30 勇者と不滅
エルドラはしばらくの安静をシドーに告げられ、それに大人しく従っている。だけど、なにやら様子がおかしかった。
私が「嫌い」なんて言ってしまったことに腹を立ててはいないようだったけれども、どうにも挙動不審で、会話も要領を得ない。
診療所まで見舞いに来た私を追い払うでも歓迎するでもなく、魔族領から持ち帰ったのだという虹水晶なる結晶が「どれだけ高価で希少なものなのか」だとか、そんな説明ばかりをする。そんなことより、もっと知りたいこと――ボロボロになった経緯とか、家出の理由とか――がある。……「帰ってこない」とは書かれていなかったのだから、家出というのも私の早とちりではあったのだが。
包帯でぐるぐるに巻かれた彼女を問い詰めることなどできないし、私は疑問と困惑をかかえながら悶々とするだけだった。
「――つまり、ひとかけらあればそれなりの家が建つ、それほどの代物なんだぞ。わかってるか?」
「う、うん。それは、もう、わかったけど……」
やけに、不自然なくらい得意げにハツラツと。ベッドに寝かされたまま、エルドラは珍しく身振りを交えながら話してみせる。
白い肌を、更に白いガーゼが覆う姿は痛々しいけれど、思ったよりも元気そうで安心した。……けど、空元気か、無理を押しているようにも見えた。
「それで……どうして、そんなモノのために、」
魔族領まで行ったのか、と。
どれだけ貴重だろうが、エルドラが命の危険を冒すほどの価値はない、と思うのだけれど、
エルドラはぶんぶん振り回していた両手をピタリと止める。私はもう……喋らない方がいいかもしれない。
「……そ、そんなもの……?」
ひどくショックを受けたかのような、そんな顔をしている。すがっている小さな自信を砕かれたみたいな、衝撃と狼狽と落胆が入り混じった表情だ。
「ご、ごめん! 今のは、言葉のあやで……それよりもエルドラの健康が大事っていうか……ええと……!」
せっかく戻って来てくれたのに、また余計な一言で彼女を傷つけてしまったり……そういうことがしたいわけではないのだ。
今度はこちらが身振り手振りを交えて弁解するはめになる。
その必死の言い訳を遮るように、エルドラが呟いた。
「……わたしが」
先程までとは打って変わって、不安の彩りを帯びた声だ。
「わたしが知る宝石のたぐいの中だったら……いちばん良いものだと、思って、いるんだけど」
弱々しい声音はどんどん語勢を失っていって、最後の方はもはや聞き取ることすら困難だった。
「うん、うん! あの、キラキラの欠片だよね?! 私も、すっごく綺麗だなーって思った!」
我ながらへたくそな励ましだと、そう思えても、冷静さに欠ける私はよく考えてから言葉を発することができない。
エルドラは身体にかかるシーツを口元までひっぱって、ごにょごにょと唇をこまかく震わせた。
「……本当に?」
いじらしく言うから、少しどぎまぎしながら首を縦に振る。
それでも彼女の不安を払拭するにはいたらなかったようで、空気は重く濁って沈殿する。しばらくの沈黙が流れた後、私が先に耐えきれなくなって口を開いた。
「えっ、と、なんか、その虹水晶ってやつ、粉々になっちゃったみたいだけど、よかったの……?」
また、余計なことを言っていると思った。適当な話題を見繕うことがこんなにも難しいとは。
しかしエルドラは、特段それに気を悪くするでもなく再度呟く。
「べつに……もとから、そのまま使うつもりなんてなかったし……泣いたのは、ちょっと心の準備ができてなかっただけだし」
もとは、ゴーレムのかたちをしていたのだとか。彼女の人形愛の深さは計り知れない。ゴーレムのためならこれだけ傷ついてもいいらしい。
ただ、「使う」が何を意味するのかは、私には見当もつかなかった。
「……もう、帰ってくれるか。ひとりになりたいから」
「え、あっ、ごめんね? そうだよね、けが人なのに長々と話しすぎたね」
これは、拒絶されたと考えていいのだろうか。たぶん、そうなのだろう。
あたまを軽く小突かれたような眩暈を感じながら、私は丸椅子から腰を浮かせた。
「それじゃあ、また来るから」
「…………いや、悪いけど、しばらく来ないでくれ」
あー。
これは、完全に拒絶されてしまっているようだった。
仕方のないことだ。私のせいでこの村に縛り付けていたんだし、私のせいで危険にも遭わせてきた。そもそも私には、彼女に好かれる要素がない。“誓いの指輪”もなくなって、私とエルドラが一緒にいる必要性など完全に消え失せたのだ。
それでも、こう面と向かいながら告げられて、まったく傷つかないと言えば嘘になる。
「……うん、わかった」
瞳の奥があつくなって、涙がでるのを堪えながら応えた。
診療室のとびらをくぐり、最後にちらと振り向く。エルドラは何やら深刻な顔をしている。何かを悩んでいるようにも見えたけど、どうせ私には教えてくれないのだろう、と思った。
「おや、もうお帰りですか」
など、シドーは私の気も知らないで呑気に言ってみせた。診療所の一階受付、コーヒーをすすっている。
「エルドラ様の容体については大丈夫ですよ。魔族の治癒力は人族のそれよりよほど高い。五日もあれば全快します」
「……そうですか、ありがとうございます」
ほっと胸をなでおろす気持ちと、元気になったエルドラとこれからどう接しようという気持ちが半分ずつある。身勝手なことしか考えられない自分に嫌気が差す。
それから、もしかしたら、シドーには、エルドラが悩みを打ち明けてはいないだろうかと思い至る。万が一の確率だけど、私よりもシドーの好感度の方が上回っている可能性があった。
「……あの、シドーさん、エルドラから何か聞いてませんか? 悩み事とか……」
「? いえ、何も。ユウリ様が知らないのに、私が知るわけないじゃないですか」
「……それもそっか」
思わず本音が口にでてしまって、だけどシドーは「たはは」と笑った。
「ひどいですね……でも、何を心配しているのかは知りませんけど、何も心配はいりませんよ。お二人の仲は、何も変わりはしません」
「……そうですかね」
「そうですよ」
シドーは常に胡散臭い雰囲気がある。だから、このような励ましも軽薄に聞こえてしまって、むしろ心配は増すばかりだ。
私とエルドラの関係がおおきく変わってしまうような、そんな確信めいた予感がどうしても拭えなかった。
◆
「ユウリ」
と呼ぶのは、やはり彼女だった。
前髪の隙間から覗く碧の瞳。陽の煌めきを吸いこみ、燐光を帯びる銀の髪。人形めいて端正な顔立ち。内面だって綺麗だと知っている。
「わたしは村を出ていく」
淡々とそんな言葉を吐いた。ただ決定事項を告げているだけだ。
「理想のスローライフは……ここにはない。ひとりで静かに暮らしたい。ユウリは、いらない」
エルドラは踵を返し、私に背を向けて歩き始める。
だから手を伸ばしたけどどうしても届かない。足ももつれて前に進めない。
「やっ――嫌だよ、行かないで」
悲鳴にも似た懇願に、彼女は振り返ってもくれなかった。
どんどん距離は離れていって、点になるまで眺めて立ち尽くす。
胸にあなが空いているようだった。そのあいだを風がすーすー吹き抜けるみたいで、空虚が満ちている。
半身を失ってバランスまで無くした私は、崩れていく足場に踏ん張ることができなくて、
そこで目が覚めた。
汗で前髪が張り付いて気持ち悪い。のどがからからに乾いている。枕代わりにした右腕は、しびれて感覚が消えていた。
最悪の目覚めだった。
けだるさを押しのけるように無理やり身体を起こす。日は落ちている。ひとりでいると、眠るぐらいしかすることがなかった。
眠っていたのはまっとうな寝具のうえではなく、ソファだ。
寝室のベッドはエルドラが使っている――いまは診療所のベッドで寝ているけど。彼女がいなくなっても、私はエルドラの言いつけをきちんと守って寝室の寝具を使ってはいなかった。我ながら、忠犬じみていて笑える。
悪夢をみた。
肺がうまく酸素をとりこめず、呼吸は自然と荒くなる。コップに水を注ぎ、それを飲んでようやく少し落ち着く。
ここ数日、似たような夢をみる。
ほんとうのことになってしまうのだと、半ば確信しているのだろう。正夢だと思う。
夢のなかの私は浅ましく引き留めていたけど、もしもエルドラがここを去るのだとしたら、きっぱり諦めよう、と、心に決めていた。
たぶん初恋だった。
なりゆきの関係だったけど、たしかに私はエルドラが好きだったのだと、すこし離れて過ごして気付くことだってできた。それだけでいいではないか。
初恋は実らないものだと、どこかで聞いたような気もする。だから、もういいのだ。
言い訳めいた考えを重ねながらソファに腰かける。眠り続けるのも限界がある。どうせ、寝たとしても夢のない夢しかみることができないし。
コンコン、と。
玄関口が叩かれる。
「――ユウリ様、起きていますか? エルドラ様から伝言が……『大事な話がある』と、だけ」
「…………はい、今行きます」
どうやら、今日がその日らしい。
◆
私は息を吞んだ。
灯りを消した診療室に佇む少女は、やはり抜群に可憐だった。銀の髪は、窓から差し込む僅かな月明かりをはらんで輝く。
「…………悪いな、呼び出して」
「……ううん。もう、身体は大丈夫なの?」
「……ああ」
「……………………」
いつもよりも低い声で、囁くように言う。かつてない真剣味を帯びている。
あれだけ痛々しかった包帯から解き放たれた彼女は、傷ひとつない、硝子のように透き通る肌をしている。
大事に至らなくてよかった、と思える。それだけでいい。
「それで、話っていうのは」
「……ユウリも知っての通り、“誓いの指輪”は砕けた。もう、わたしがこの村にいる理由はない」
ああ、やっぱり。
予想はばっちり的中した。そりゃそうだ。仕方のないことだ。
だけど、私は彼女の門出を祝おう。晴れて自由の身になったのだ。喜ばしいことだった。
暗くていまいち表情が読めない。せめて彼女の顔を目に焼きつけておきたかった。
「だから、その……なんていうか」
エルドラは逡巡し、言葉を濁した。やさしい彼女は、きっぱりと別れを告げるのをためらっているのだと思った。
だったら最後くらい、お姉さんとして言わなければ。「私はひとりでも平気だよ」、「離ればなれになっても元気でいてね」、何でもいい。何かを言わなければ。
のどと肺を振り絞って、ようやく。
「――やだよ」
ああ、なんて浅ましいのだろう。あれだけの決意があっただろう。
いちど口に出してしまえば、私の意志はたやすく崩れ去っていった。
「嫌だ、やだ! そんなの、耐えられない、って」
嗚咽が混じり始めている。駄目だ、だめだ。エルドラを困らせてしまうだけだろう。
勝手に涙がぽろぽろ流れ始めて、そんな惨めなところを最後に見せたくなくて、掌で顔を覆った。
「っ、ユウリ……! ふざけんなよ?! わたしが、どれだけ考えて……っ!」
エルドラは声を荒げて叫んだ。
だめだって。最悪なお別れになってしまう。
それでも、どうしても感情があふれて止まらない。
「我儘ばっか言いやがって、……いい加減にしろよ」
「それでも、嫌なの――!」
負けじと叫んでいる。諦めきれないで、最悪へと向かおうとしている。それが分かっていても、どうしても。
「ああ、そう! わたしは勝手にするからな!」
「――ふ、う、うぅう」
もう言葉にすらならない、不明瞭に呻くことしかできなかった。
せめて、最後にひとめエルドラが見たい。
涙でぐちゃぐちゃになった情けない私を見られたっていいから、せめて――
そう思って掌をどけて――左手首を掴まれて思いきり引っ張られる。予想だにしない奇襲だ。
状況を飲みこめないまま、私はされるがまま。
「え、っちょ、なに?!」
「黙ってろ、ばか!」
ほんの数秒の格闘。
それが済んで、私は違和感を覚えた。
左手薬指に何かがある。
恐る恐る眼前までやると、指輪がはまっていた。
添えられた宝石――水晶は、窓から差し込む僅かな月明かりを乱反射させて七色に輝いている。綺麗だ、と月並みに思った。
何が起こったかが分かって、だけど状況がまだ分からない。
分からないことだらけで、つい彼女を見た。
ちょうど月の光があたる位置にまで来ていて、頬をかつてないほどに紅潮させているのが分かった。
「わ、わたしだって、お前が寝込んでいる間に何もしなかったわけじゃない。色々、文献だって漁ったし……」
エルドラは、言葉に詰まりながらたどたどしく、だけど決意したように力強く言ってみせた。
「結婚するなら、ゆ、指輪が必要なんだろう。それも、なるべく高価で綺麗な宝石がついた、やつ……調べたら、本にそう書いてあって、だから」
俯いて、前髪をぐしゃぐしゃと掻いた。照れているみたいだった。
「だから、知ってるもののなかで、一番いいので造ったんだ……ご、ゴーレムを造るのは得意だけど、指輪なんて、はじめてだったから……ずっと、試行錯誤してたんだぞ?」
あんなに細部までこだわって造るゴーレムより、指輪のほうが余程簡単に思えるのだけど、そこは私には分からない世界だった。
「やだやだ、って……そんなに、わたしと結婚するのが嫌か……? 虹水晶が気に入らなかったからか……?」
そんな心配をしていたのか。エルドラは賢いのに、たまにとんでもない勘違いをする。嫌なわけない。
「――……わたしには、もうここに残る理由がない。だけど、わたしは、ここの暮らしが好きだ」
私の手に、彼女の手が添えられる。
「理想のスローライフ、だと思う。あの邸宅だって好きだし、シドーとかモニカとか、ほかの村人だって、意外と気のいい奴だし…………なにより、ユウリが……ええ、と……気に入ってるんだ」
碧の瞳が、私の瞳をまっすぐ見つめる。
「だからユウリ。お前が、わたしがここに残る理由になってくれ」
吸いこまれそうな瞳。いつになく真剣な。それが、段々と伏せられていって、
「……………………やっぱり、嫌か?」
エルドラに思いきり抱き着いた。突進するみたいに。その勢いで、背後のベッドにまで突っ込む。「ぐえ」と、小さく悲鳴が聞こえて、だけどそれを気に留めることもできない。私は考えなしのバカだから、しょうがないことだ。
「――いやじゃない! ぜんぜん! わたしも、エルドラと、結婚したい!」
バカみたいな台詞を叫んでいる。それから、また涙が勝手にこぼれてる。
「何なんだよ……意味わからん……」
何かをぼやいているけど、それだって分かんない。
分かんないことだらけだけど、エルドラが好きだ、ってことだけは確信できる。
「じゃあ誓えるか? わたしと、ずっと一緒にいるって」
押しつぶされながら、エルドラは不安げに呟いた。私はその不安を払拭しなければならない。
「ずっと、ずっと一緒にいたい」
「そうか」
満足そうに息をついて、彼女は穏やかに微笑んだ。この距離なら、そんな顔も見えた。




