03 勇者の正義
整備されずに荒れた、木の根が蔓延る山道に立っている。眼前には崩れていくゴーレムがいる。
武者の甲冑によく似た、むかしに観たロボットアニメで登場したような気がする、そんな外見。
またか、と思う。
この景色をみて、自分が夢にいると直感した。流石に三日も四日も同じ夢を見続ければ、どう展開していくかも全てわかる。
ぼろぼろと、先程まで戦闘を繰り広げていた強靭な鎧がただの土塊に変わっていく。その中には空洞があって、そこからきらりと、銀のなにかが輝く。
武者が完全に土に戻ったとき、空洞の内から現れたのは少女であった。
十代半ば程度であろう、年端もいかぬ幼気な姿。光って見えたのは彼女の頭髪のようで、陽の煌めきを吸い込んで微かな燐光を帯びている。
ひどく繊細で、儚げで、子供の頃に気に入っていた硝子細工を想起させた。
「……女の子?」
パーティの誰かが言った。誰が言ったかは思い出せない。夢だから、その辺りのディティールが曖昧だ。
でも、その声に合わせて少女が怯えるように肩を震わせたのは確かに見た。
長い前髪の隙間から覗く碧の瞳は、涙に濡れて輪郭がぼやけている。
瓦礫につまずいたか、羽織る漆黒のローブを踏んづけたか、はたまた腰が抜けたか、少女は「ぺたん」と擬音がよく似合う動作で尻もちをついた。
完全な無防備。一切の戦意を失っている。
「ははっ、まさか不滅のエルドラがこんなガキだったとはな」
仲間の、戦士の男がその少女に歩みを進めた。その手には抜身の剣を携えたままだ。
少女が「ひっ」と小さく悲鳴をあげる。その様子を見て、ひどく心が痛んだのを覚えている。
これは私の望むものじゃない。
「ちょっと待って。もう戦う気もないみたいだし、見逃してあげても――」
「はぁ? 何言ってんだ、勇者様。こいつは魔王軍の四天王だぜ? いろいろワルい事もしてるだろーよ」
私の提案を無視して戦士はそのまま一歩ずつ進む。
標的の前に到達した男は、握った剣を構えた。
「それに……――四天王を殺ったら、報酬もたんまりだあっ!」
刃が振り下ろされる。少女が観念したように固く目を閉じる。
だが、ついにその剣が振り抜かれることはなかった。
ガギリ、という衝突音。戦士の刃を私の剣が迎え撃ったことで生じた音である。
召喚以前の私には考えられない超常の速度で、切っ先の速さよりも先に回り込んだ。
「てめっユウリ! 何すんだ――うおっ!」
鍔迫り合いの状態から戦士を突き飛ばす。今度は戦士が尻もちをついた。
「……えと、きみ、立てる?」
少女の方を振り向き、手を差し伸べる。少女はちょっとの間、理解ができていない様子で私を見つめた。
それからふと我に返ったようで、手を払いのけて逃げるように跳ねた。
「――情けをかけたつもりか、勇者!? とうに、しっ、死ぬ覚悟はできている。わたしを、侮辱するなあっ!」
覚悟があるとは思えない、震えた声だった。
この世界の住民にとって命の価値は大したものではないようで、私にはそれが理解できなかった。
「いいから行って。本当に死んじゃうよ!」
獣のように息を荒げる少女に、言いたいことだけ伝える。
思っていたよりも大声が出て自分でも驚いたが、少女はそれ以上に驚いたみたいで、再び目に涙を浮かべた。
「……う、ううぅう――っ!」
少女は不明瞭なうなり声をあげながら、脱兎の如く草木が茂る山に駆けていく。
その姿を見送り、振り返る。
パーティの皆がいる。出会って日は浅いけれど、同じ人間で、仲間だ。
だけど、私を見る皆の顔は、怒るような、恐れるような、まるで敵を、魔族を見つめる表情で。
視界が反転する。
天地がぐるぐると回り、目に映る全てが溶けて混ざっていく。
それで、夢の終わりだ。
◆
目を開く。額は汗でじっとりと濡れていて、張り付いた前髪が気持ち悪い。
けだるい身体を無理やり起こし、ベッドの枕元に用意された水の入ったグラスを傾けた。
あの日、不滅のエルドラという魔族を逃がした日から、私は王城の一室に軟禁状態にある。
召喚から一ヶ月が過ぎても、勇者の務めを果たすどころか魔族を助けすらする私の処遇を決めかねているのだそうだ。
罪人じみた扱いにため息がでる。実際のところ、彼らからすれば私は極悪人なのだろう。牢屋に入れられていないだけましだと思い直す。
現代――日本の高校生として普通に暮らしていたところ、一方的にこの世界に呼び寄せられた。なんでも魔族と戦う才能を持つ者が片っ端から召喚されているのだと。
私で二十人目だと聞いた。
「帰りたい」と思った。
他の勇者の多くは言われるままに魔族と戦って、楽しく暮らしているらしい。私も、この絵物語のような世界に心躍らなかったと言えば嘘になる。
だけど……異世界だとか、勇者だ魔族だよりも、家族が大切だった。
優しい両親にも可愛い妹にも別れを告げることすらできていない。帰る方法は無いのだそうだ。
ならばせめて、自由に、思うように生きようと思った。
とんとん、と戸が叩かれる。
「ユウリ様、ユウリ様。起きてらっしゃいますか」
「あっ、はい」
王家の使用人のようで、控えめに声を掛けられる。
朝食でも運んできてくれたか、あるいは――
「国王陛下がお呼びです。謁見の間へ参りましょう」
「……はい」
がちゃり。外鍵が開き、メイド服姿の使用人と、甲冑を着た騎士が二人、部屋に入り込む。
身支度もできぬまま、沈黙する騎士に挟まれ連行される。
両脇から腕を引かれる自分が、過去の記憶にあるグレイ型の宇宙人の姿のようで――この世界の異物のようで――すこし可笑しかった。
「ユウリ。お前は勇者でありながら、今まで魔族の一匹すら殺していないそうだな。追い払うばかりだと、そう聞いている。申し開きはあるか?」
「……いいえ、ありません」
絢爛な広間。玉座に座る髭を蓄えた男は、オーレリア王国の国王陛下なのだと。
私を見下ろしながら、頬杖をついている。
広間の外周を何十人の騎士が囲み、私に冷ややかな視線を突き刺す。
まるで裁判のような、それとも裁判だったのだろう。弁護人なんかいないけど。
「なぜ魔族を殺そうとしない? お前だけ、お前だけだ。他の勇者はどんどん戦果を挙げているというのに」
「えと、言葉が通じるからです。魔族にも心があって……なのに、殺すなんてできません」
ざわり、と色めき立つ。それを国王が咳払いで制する。
「……魔族に、心だと? 面白い見解だな。まだこの世界に来て短いから知らないようだが、魔族の本質は悪だ。奴らは平気で殺し、燃やし、奪う。奴らを駆逐することが、勇者に与えられた崇高なる使命なのだ」
人間にも言えることだ、と思う。この一か月間見てきた限り、魔族も人間も変わらない。どちらにも悪人はいるし、善人もいる、当然のことだ。だけど、そう思っただけで口にはしなかった。
それをこの場で言っても意味を成すとは思えない。
国王は淡々と事実を述べる様に言い、周りの騎士も同意するように小さくうなずいている。
「――ユウリ。本当に魔族と戦う気はないのだな?」
「はい、ありません」
勇者の多くは平和な現代日本から訪れている。
なのに、どうして皆は闘争に平気で身を投じられるのか、はなはだ疑問であった。
国王が額に手をあて、ため息を吐く。
「……そうか、お前はとんだ外れ勇者だよ。こうなった以上、我が王国で暮らすことはかなわん。勇者の称号を剥奪、並びに、国外追放を命じる。処刑されないだけましだと思え」
「はい」
短く応え、立ち上がる。
騎士たちが警戒するように腰の剣に手をかけている。
どうやら私は、人間の中では魔族寄りなようだ。
「お世話になりました」
軽く礼をして踵を返す。一刻も早くこの場を逃れたかった。
ここにいたら、私の心まで浸食されてしまいそうだったから。
(あの娘を逃がしたことに、後悔なんてない)
帰れないのならば、せめて自由に。せめて自身の幼い正義くらいは守りたかった。
こうして勇者でなくなった私は、オーレリア王国を去った。