27 魔王城へようこそ
見果てぬ荒野と暗闇。漂う破滅の雰囲気。
魔族領の夜は往々にして、このようなものだった。
草木のひとつすら無い不毛が嫌い。
代り映えしない岩肌の群れが嫌い。
この大地に立つのも久しぶりだったけど、森の暮らしに慣れきったわたしには郷愁どころか嫌悪しかない。
森を抜けてから何度目になるかのため息をこぼす。そうなるのも致し方なかった。
これから自らの足でわざわざ危険に飛び込むのだ。
進む、無限にも思えた闇の先に、ぼんやりと輪郭が浮かびあがる。
そびえたつ堅牢な石壁と、鋭利に尖る悪趣味な意匠。
魔族は集団を形成しない。強靭な個体であればなおのこと。
その通説が覆されたのは、ただ一人の魔族の出現と同時である。
圧倒的な暴力による恐怖政治で全ての魔族を支配する女王――その本拠地。
即ち、魔王城。その城門である。
退屈していたのだろう、あくびに上体を伸ばすリザードマンの門兵がこちらに気付いた。
「止まれ! 何者、だ……」
槍を構え威圧的に怒鳴る。勤務態度にはやや問題があるが、それでも門番としての職務はわきまえているようで……しかし語気は徐々に勢いを失い、目を丸くひん剥いた。
視線はわたしを見上げている。
「ふ、“不滅のエルドラ”っ――……様……?!」
寛大なわたしは、呼び捨てしかけたことは見逃してやった。
◆
魔王軍四天王、土属性の“不滅のエルドラ”としてのわたしは、唯一にして至高の自律型ゴーレムである。その正体を魔王軍の誰も(エルトリリスを除いて)知らない。
「――せっかく四天王の席が空いてたのによぉ、のこのこ帰ってきやがって」
「――死んだんじゃなかったのか? あいつ、四天王で最弱なんだろ」
全部きこえてんだよ。ぶっ飛ばすぞ。
エルドラーンに搭乗したままだと広大な城内にあっても窮屈だ。別の意味で、肩身も狭い。
廊下ですれ違う雑兵どもの揶揄を聞き流しながら歩く。
『“不滅のエルドラ”は四天王の中でも最弱』というのは魔王軍では有名な話で、わたしはずっと軽んじられていた。妬みやっかみもあったのだろう。
不遇な土属性しか扱えず、それでも四天王にまで上り詰めて、だとしても、わたしは弱いままなのだと。
(……勝手に言ってろ、クソっ!)
このような屈辱を味わうために戻ってきたのではない。もっと別の……目的があって、戻ってきたのだ。それさえ終えれば用などない。
堂々としていればいい。“不滅のエルドラ”の死亡説はガセで、ただ帰ってきただけだ、と。四天王が一角、“疾風のウィート”をぶん殴って逃げたあいつとは全くの無関係であると。
あとは……エルトリリスが余計なことをしていなければ、何の問題もない。
それでも小心のわたしは掌にじっとりと汗を握り、怯えている。
忌々しいことに、かつての記憶は色あせないまま、道のりを一切違えることなく辿り着く。
四天王にはそれぞれ城内に個室が与えられた。わたしの部屋は、いま歩んでいる廊下の突き当りにある。
以前となにも変わらない、若干だけ大きめに備えられた扉だ。そのノブに手をかける。
「エルドラ、か?」
訝しげな声に思わず視線をやった。
その先に捉えたのは……四天王だ。わたし以外の。
赤絨毯のうえに威風堂々と横並ぶ、魔王を除く最大戦力である。
灼熱のグラン。疾風のウィート。腐海のエルトリリス。
筋骨隆々の大男。きざったらしい細身長身。露出度の高い痴女。そのような面々。
できれば、どいつも再会したくない奴らだった。
「まさか、生きていたとはな……四天王の面汚しめ」
『…………』
グランが腕を組んだまま鼻を鳴らして嘲る。流石は部隊指揮を任される役職だけあって、わたしの生存に驚くのもつかの間、すぐさま冷静さを取り戻している。
「今まで報告もせずにどこをほっつき歩いていた。やるべき仕事は山ほどあるだろう」
威圧的な態度も、弱者を見下す暴力至上主義も、うんざりだ。わたしは顔をしかめた。
過去の、言われるがままに淡々と仕事をこなすエルドラはいない。
わたしを縛るものも何もなくなった。
真に自由の、自在の存在なのだ。
『――それは』
グランが、ウィートも同様に、今度こそ驚愕に顔を歪めた。
『また雑用か何かか? わたしはもう魔王軍なんかじゃない……もう、こき使われるのは御免だ』
格下相手に口ごたえされてよほど驚いたのだろう。ざまあみろ、まぬけに唖然としたまま――いや、違うな。しまったかも。
「……し、喋れたのか、お前」
『…………ワタシハ、モウ魔王軍ジャ、アリマセン。タダノ、野良ゴーレムデス……』
うっかりミスだ。
そういえば無口で通していたのを失念していた。
……いや、べつに、もう二度と会わないだろうし喋れるのがばれても問題ないとは思うが、余計な疑念を抱かせたくはない。
すこしの静寂のあと、はじめに沈黙を打ち破ったのはエルトリリスで――その顔色が妙に青ざめていることが気にかかった。
「あ、あら、エルドラ。ひさしぶりじゃない。積もる話もあるし、ね、ちょっと場所を移しましょうか?」
わざとらしい台詞にひきつった声。不自然そのものである。
それでもどこか、有無を言わせぬ気迫があった。
まさかではあるが、今度こそわたしを始末するつもりなのではないかと思い至る。
『い、イエ、用事ガ――』
済んだらすぐに出ていく、と伝えきる前に無理やり背を押されて進む。
エルドラーンに乗っているのだから大人と子どもほどの対格差があるのに、それでも止まれない。驚くべき馬鹿力である。
まだ理解に及んでいないグランとウィートを置き去りにして運ばれていく。
きっとエルトリリスは、わたしを見逃したことが露見するのを恐れて――。
後悔が波のように押し寄せる。
一度助けられたからといって……エルトリリスを信用すべきではなかったのだ。
魔王城の、敵陣で抵抗しようものならすぐさま捕らえられるだろう。つまり、詰んでいた。そういうときのわたしの思考速度は驚嘆に値する。
(……全力で謝るっ……しかない……!)
そのような情けない打開策をよどみなく思いつくことができる。
考えうる限り、最良の一手であった。
「すみませんでしたあっ!」
額を地面にこすりつける勢いの、全身全霊の謝罪である。
この世の申し訳なさを凝縮したかのごとき最高峰の詫び。
どんな非礼であろうと、これさえできれば許されてしまう、そんなお手本のような平謝り。
それを実行したのはわたしではない。
極限まで首を垂れたエルトリリスを見下ろしながら、静かに混乱した。
『…………何が?』
連れられたのはエルトリリスの自室……だと思う。
それを確信できないのは、室内の異様さにある。
配置された家具はどれも尋常のものだ。机も、寝具も本棚もふつう。それ以外のすべてが異常。
四方に、天井にまで張られたおびただしい写真の数々。その全てが、仲睦まじい男性同士が切り取られたもので――一枚だけ、わたしとユウリが映ってる。やばい。
どう考えても、到底生活できるような空間ではなく、呪い的な要素を多分に含んだ得体の知れぬ恐怖がある。
その異様な空間で、やはり異様な行動を目の当たりにし、先程まで元気に駆けまわっていた思考はすっかり停止してしまった。
エルトリリスは……泣いている。更に恐ろしい。
「うっ、う、すみません……ほんの、ほんの出来心なんです……許してください……!」
『いや、その……何がだ?』
「このっ、この右手が悪いんです! そ、それからこの情熱と、リビドーが悪くてっ……すみませんでした!」
『だからっ、何がだよ!』
一切の心当たりはない。
身に覚えのないことでこうも頭を下げられると、むしろ恐怖心を掻き立てることを知った。
エルトリリスの頭をエルドラーンの指先で持ち上げっ――重っ……、持ち上げて、ようやく会話ができるようになる。
『意味わからん! わたしは、ちょっと……忘れ物を、取りに来ただけだ』
「えっ」
きょとんとして、何度かのまばたきのあと、エルトリリスはようやく正気に戻った。
「あ、あら。そうだったのね。私はてっきり、どこかから情報が漏れたのかと……そうよね、創作仲間がしゃべるわけもないし……」
正気に戻ったとしても、彼女の言動は理解不能である。わたしは大いに訝しみながら言葉を続けた。
『まだ、わたしの私物は残してるか?』
「え、ええ。手付かずのまま放置してあるはず」
『そうか』
短く会話を終わらせて踵を返す。背からの問いかけに、わたしは振り向かないまま答えた。
「そんな大切なものでも置いていったの?」
『……彫像が、あって。虹水晶のやつだ。小さめの……ゴーレムをかたどった……』
「…………あなた、そんなもののために」
呆れたように呟くエルトリリスを捨て置き、扉の前へ進む。
「そんなもの」とは随分な言い草だが、確かにその通りかもしれない。危険を冒すには不釣り合いな代物だと我ながら思う。
虹水晶なる石は、淡く七色に煌めく――知る中でもっとも希少価値の高い鉱石だった。
ゴーレム造りくらいしか趣味のないわたしが初めて手掛けたものがそれで、それなりに思い入れはある。
だから大切で、必要なものなのは間違いなかった。
だから……。
『……邪魔したな』
身をかがめて扉をくぐろうとした瞬間、その風圧で何かが舞った。一枚の紙だ。机から落ちたらしい。
『ああ、悪い』と、拾い上げたそれを見てぎょっとした。
描かれていたのは、絵だ。
ふたりの女性が分割されたコマの中で、それはもう筆舌に尽くしがたく……いや、あまり言及するのは止めておこう。
ただ、その二人というのが、なにやらユウリとわたしにひどく似ていて。
首だけをエルトリリスへと向けると、再び顔を真っ青にさせて玉のような汗を瀑布めいて垂れ流していた。
「ち、違うの。誤解なんです」
『何が誤解だっ! こんなもの、勝手につくりやがって――!』
その羊皮紙を破り捨てようとして、だけどそうしなかった。
「こんなもの」だろうとこいつには大切かもしれないし、尋ねたいことがあった。
『……お前にはさ、ユウリとわたしはどういう関係に見える?』
「えっ、そんな、答えられ」
『いいから言え』
そう告げると、エルトリリスは今度は真っ赤に頬を染めながら気色悪く身をくねらせた。
「……いや、そりゃもう? 超らぶらぶでぇ、お互い想い合ってるのに、素直になれない? みたいな? あと――」
『もういい……黙ってくれ』
訊く相手を間違えた。そもそも、これは自らの他に導きだせる答えではないのだ。
今度こそ、身をかがめて扉をくぐる。
『それ、本にしたらマジで許さないからな』
「……はい」
念を押し、廊下へ躍り出る。ド変態が。くたばって欲しかった。




