21 犬であるから
大地に掌を置き、詠唱。それで完了。移動。
大地に掌を置き、詠唱。それで完了。移動。
大地に掌を置き、詠唱。それで完了。移動。
以下、繰り返し。
何度目かの詠唱で魔力が尽きる。帰還。
「ユウリ、もう一度だ」
「ま、また?」
うんざりしたような声色。
わたしの言いつけはきちんと守っているようだ。ベッドから少しだけ身を起こして、その嫌そうな尊顔をこちらに向けた。
「なんだ、不服か?」
「いや、そうじゃないけど……もうちょっとだけ休憩してから」
「駄目だ。いつ敵が来るかも分からない。早くしろ」
「う、うう――」
泣きそうに、渋々と、そういった様子でわたしの手を取った。
「――【湧け。渦巻け泉。彼の者に巡れ】ぇ……」
魔力譲渡術の詠唱である。
肌の触れ合う部分から魔力が流れる。血液の循環にも似て、身体が温まる。全身をユウリの魔力が巡り、少しむずがゆい感覚がある。
満たされ、終わり。ユウリが手を放して再びベッドに身を投げる。それなりの体力の消耗が伴うから、既に何度か――六か七だった気がする――行使しているユウリは、一歩も動かないままに息を切らしていた。
「ぜ、ぇ、もう無理……疲れた」
「じゃあ、また来る」
少しばかりの絶望だったか、その歪めた表情は、笑えた。
◆
村は四方を森林に囲まれた僻地である。
入口に面した道も大したものでない。整備されてはいるものの、狭く、荷馬車が二台すれ違えるかどうか。
すなわち、ちょっとした天然の要塞であった。そこまで頼りになる訳ではないが、大軍隊がやってくることはない。つまり、少数精鋭――例えば、勇者のみで構成された部隊だとか、来るとしたらそういうものだろう。
……以前のユウリの実力であれば、恐らく一国の軍隊を動かしたって敵わない。
あいつの強さを見て「勝機あり」と踏んで動かした部隊であれば、私に勝ち目など――いや、いやいや、弱気になる必要はない。
わたしはただ、すべきことをするだけだ。
するべきことは、この暮らしを守ること。ひいてはユウリを守ること……優秀な使用人であるから、そうすべきだと思った。
指にはめられた輪っかを見る。
これがあるから逃げられない、離れられない。そうした理由がないと、わたしはどうすれば良いのか分からなかった。
未だもやもやと渦巻く不可思議な胸中に悩まされながら、詠唱する。
「――【軋め義骸。廻れ歯車。木偶に命を】」
魔導機生成術である。
大地を割り、現れる。掘り起こされた巨人は沈黙している。
「敵が来るまで待機だ……頼んだぞ」
こいつらには同様の命令を下していた。ある程度の抽象も、わたしの意思をくみ取って理解してくれる、話の分かる奴らだった。
どこから、どれだけ敵がやってくるか分からないから、村を囲むように広範囲に配置している。もう何体作ったかも知らない。
これだけ大量に作ったのは久しぶりだ。魔王軍の時代――命令されるがままにゴーレムを生成して、適当に浪費されていた時代を思い出す。
あの頃のゴーレムの扱いは使い捨ての駒みたいで辟易していたけれど、今は違う。わたしの家族も同然だ。
こいつらを率いて、本当に国を作るのも良いと思えた。最高だ。
妄想じみたくだらない考えでやる気を引き出す。わたしとて、魔術の詠唱の連発は少し堪えるので、そのように疲労を思考から追いやる必要があった。
ただ無心で作業するよりも、何か考えている方が良い。できるだけ楽しいことを考える。ゴーレム。ゴーレム。はんばーぐ。ゴーレム。
でも今回ばかりはそれすらも少し難しかった。
ふと、ユウリが脳裏をよぎるのだ。そいつらは笑ってたり泣いてたり、それはもう感情豊かに思考を駆けていた。まるで犬のようだ。
そこで、わたしは気づいた。
(――ああ、ユウリは召使いなんかじゃない)
パズルが埋まるように、かつての謎が紐解かれていく。
思考と行動がかみ合い、何故これほどユウリを守ろうとしているのかさえ分かる。
全部、全部が腑に落ちた。
ユウリは――
(ユウリは愛玩動物だ!)
魔族には無い文化だった。自分より程度の低い生物を飼育し、観賞したり狩猟の連れにしたり。わたしと彼女の関係は、それによく似ていた。
ユウリは旨い料理もつくれる便利なペットだったから、失いたくなかったのだ。
「――ふ、ははっ。うん、そうだよな。だって、そうじゃなきゃおかしい、うん」
あいつが程度の低いバカだから、ちょっとだけ庇護欲が湧いただけだった。
あいつが少しばかり見てくれが良いから、まあ手元に置いてやってもいいと思えただけだった。
あいつがわたしを“すごい”と褒めるから――うん? 言ったか? いや、そのような記憶はないけれど――わたしの脳が危険信号を発したので、それ以上を考えるのはやめた。
普段より多い運動量のせいか、やけに火照る身体に鞭打ち、作業を再開する。
すべては、理想のスローライフのために。
日が暮れて、しばらく。
あれからも何度かユウリから魔力を拝借して、そのたびに悲鳴を上げるものだから、面白くなって余分に魔力を頂いてしまった。
何十か、何百かもしれない。その程度のゴーレムが村の周囲にいる。それもユウリという魔力タンクがあったから、その全部に全力を注ぐことができた。できうる限りの、最強のゴーレム軍団であった。
だから少々くたびれて、とりあえず帰路に着き、屋敷に到着する。
静寂があった。夜であったから辺りはしん、と静まり、自身の靴音しか無い。
扉の軋みがやけに響く。当然に、室内は暗い。照明に火を灯す。うすぼんやりと照らされた部屋の輪郭が、普段よりも広く見えた。
そこで、今日はまだ何も食べていないことに気づく。
「おい、ユウリ――」
そのように脊髄反射してしまったので、恥ずかしくなった。
あいつのいる生活に慣れきってしまっていた。それは、認めざるを得なかった。
それから、ユウリが酷く恋しくなって――いや、その表現は違う。心配になって、いや、あいつの苦しむ顔がもう一度見たくなったから、診療所へ赴くことにした。
部屋に靴音が鳴る。一人分しか聞こえないそれが少し怖くて、足早に屋敷を出た。
◆
「も、もしかして、また……?」
「もう十分だ。魔力はいらない」
分かりやすく胸をなでおろしている。
もうすぐ日付も変わる時間だというのに、こいつは暇そうに天井を眺めていた。眠れないのだろう。
「それで、どうしたの。もしかしてお見舞い?」
「暇つぶし」
そう言うと「なあんだ」と、わざとらしく落胆してみせた。少しは元気も戻っているみたいで、良かった。
昼に会ったときのこいつは泣いていたから。そのとき、それを深く追求するのもはばかられた。
ペットであれば、その程度の心配は普通だろう。
「私も暇だからさ、お話ししようよ」
「……別に、いいぞ」
「わ、珍しく素直だ」
ペットであるから、その程度の願いは叶えてやろうと思った。
「じゃあ、……ええと、何を話そうか」
「決めてなかったのか」
わたしは呆れて苦笑した。
「うぅん、……あ、現代の話!」
「現代?」
転移者がもといた世界のこと。こことは異なる世界。
正直、少し気になった。転移者がそもそも少なかったこともあるし、その記録も大して残っていないから。
「そう、私が暮らしたのは、日本っていう国の――」
中々に興味深い話であった。
こいつの妄言でなければ、どれもこれも新鮮な話で、聞いたこともないものだった。
彼女の暮らす地域はほとんどが整備されていて、鉄でできた馬が走るらしい。
やはり人間が幅を利かせているらしい。が、人間同士での諍いは絶えないらしい。
魔法はなく、代わりに科学なる技術が発展しているらしい。
多くが勉学を受ける権利を有し、それなりに豊かな社会らしい。それも一つの学び舎に何百人規模の学生がいて、ユウリもその集団に属していたらしい。
他にも、うまい料理店の話、ユウリが勉強が苦手だという話(それは知っていた)、ピアノに自信があるということ、友達の恋愛事情。そういった彼女にとっては他愛もないであろう話でも、わたしにとっては未知の、価値のあるものであった。
ただ、家族を語るユウリは痛く寂しげに見えた。
「――それで妹、エミって名前なんだけど、エミが来年で受験生だから『お姉ちゃん勉強教えてー』って、けど私も分からなかったから、それで……――」
語勢が弱まり黙ってしまう。
そして、ぽつ、と言った。
「……エルドラはさ、家族のこと、好き?」
「わたしは家族なんてものを知らない」
そうしたら、何か、驚愕したようにこちらを見た。
「ご、ごめん、私――」
「いや、魔族はそれが当たり前だ。両親の顔さえ知らない。生まれたときから独りだ」
ユウリは「そっか」と、目を伏せた。
「別に、だから寂しいとか、そういう感情はない」
でも人間は――ユウリはそうでないのだろう。彼女の語り口からも、家族への愛情、そのような好意がうすらと見えた。
「……もう、こっちの世界に来てから随分経ったけど、あっちのことは忘れようと思ったけど、駄目なんだよね」
ユウリが毛布へ顔をうずめた。
「お父さんにもお母さんにもエミにも、お別れも言えてない……帰りたい」
消え入るように言う。痛々しい姿だ。だから、少し慰めてやる。
「じゃあ、この世界ではわたしが家族になってやろう」
そう告げると、ユウリが毛布を引きはがすようにこちらを見た。今の少しの間に泣いていたようで、布地の一部が濡れている。だけど、わたしの優しさに驚いて泣き止んだらしい。目を丸く見開いている。
「――へ、え? あ、それ、って――」
喜びのあまり言葉もでてこないようだ。何やら顔を紅潮させている。
「え、エルドラ、それ、え、本来の意味で――?」
「そのままの意味だ。わたしが、家族になってやる」
更に頬を染める。
それから酸素が足りなくなったみたいに口をぱくぱくさせた。
「あ、その……不束者ですが、よ、ろしく――」
「ペットっていうのは、人間にとっては家族も同然らしいからな」
「お願いしま、ペット?」
固まってしまった。余程、嬉しいらしい。
「ああ、光栄だろう。家族同然と言えば、ゴーレムとほぼ同等だ。ものすごい昇格だぞ?」
「…………」
「これからは、まあ、それなりの扱いを――おい、聞いてるか?」
「……しらない」
毛布をかぶって、そっぽを向いてしまった。何か、気に障ったみたいだ。
「お、おい。何が不服だ?」
「知らない。おやすみ」
へそを曲げて、淡々と言う。意味が分からなかった。
ちょっとだけムカついたが、まあ、ペットのやることだ。許してやろう。
だからわたしも仕方なく、椅子に座ったままに目をつむる。
ユウリがよそを向いたまま、恐る恐る訊いた。
「……帰らないの? あ、いや、帰ってほしい訳じゃないんだけど」
「暇つぶしに来たって言っただろう。帰っても、独りだ」
「……そっか」
納得したようで、そのまま何も言わなくなる。しばらくして、寝息を立て始めた。
わたしは一向に眠れない。
横になっていないから、というのもあるが、やはり緊張していたのだろう。ユウリと同室していることにではなく、襲撃のことだ。
それがいつ来るかも分からなかったから、気も休まらない。
しかし、その心配もすぐになくなった。
遠隔で、ゴーレムの起動を察知した。
誰か、敵が来たようであった。




