19 限界
「あら、一人? あの勇者は?」
「逃がしたよ」
「……まあ、恩寵を消した以上、どうでもいいけど」
エルトリリスが舞い降りた。傷一つすら負っていない。
「わたしも、見逃してくれないかな」
「それはダメ。裏切り者は消さないといけないもの、ねえ――不滅のエルドラ」
「……バレてたか」
「あれだけヒントがあれば分かるわよ……まさか、こんな可愛らしい女の子が操縦してたなんて思わなかったけど」
ゴーレムを生成し、エルドラーンを操り、エルドラと呼ばれる。まあ、気づかれるだろう。
それに、裏切り者とは――四天王をぶん殴って魔王軍辞めたんだから、裏切り者か。
徐々に近づいてくる。わたしはそれに対し、何の反応もしない。それが逆に彼女の足を止めた。
「……何のつもり。諦めたってワケ?」
「ああ、そうだ。早く一思いに殺してくれ、面倒だから」
そのまま地面に座る。
もうユウリにどれだけの時間が残されているかも分からない。死ぬ覚悟はできても、自死する勇気はなかった。だから、引導は彼女に渡してもらう。
……何で、ユウリの代わりに死のうとしているのか、その答えももうすぐで掴めそうだった。そんな気がした。でも、もうそれが分かることもないだろう。
「……あの娘、勇者でしょ」
「ああ?」
「何で魔族のあなたと、仲良くしてるのかな、って」
急に変なことを言い出すから、少しイラついてしまった。
「別に、仲良くなんてしてない。成り行きで、一緒に暮らしてただけだ」
「嘘。じゃあ何で逃がしてあげたのよ。自分は逃げずに」
「……」
そんなこと、わたしだって知るか。いや、そろそろ分かりそうなんだ。それでも、今は答えを出せない。
「……まあ、いいわ。そろそろ望み通りにしてあげる」
もう、どうしようもない。魔力もないし、そもそも戦闘でこいつに敵うはずもない。
だけど、あのとき。ユウリに殺されかけていたときよりかは、きっと格好良く死ねるはずだ。
エルトリリスがこちらに歩みを進め――
「――待ってッ!」
耳をつんざく悲鳴。わたしだけじゃなくて、エルトリリスもだいぶ驚いてる。
声の主は――まあ、予想はついていた。
めちゃくちゃ、かつてない程に腹が立った。
こいつ、わたしが何で残ったと思ってるんだ?
「ふ、……ざけんなっ、ユウリっ! 何しに戻ってきた!」
瀕死の、ずたぼろのくせに、足にゴーレム三体しがみついているのに、二本足で立っている。火事場の馬鹿力はこういうときに使うものじゃないだろ。
そいつらを引きずりながらずんずん進む。
そのままエルトリリスに立ちふさがるように――いや、流石にそこで力尽きて、わたしにもたれかかるみたいに倒れた。
まだゴーレムはユウリを運ぼうとしている。それなのに、岩みたいに動かない。
「――けほッ……エルドラを、殺さないで」
そのような、勝手な懇願。圧倒的な優位に立つはずのエルトリリスが、むしろ狼狽えた。
そりゃそうだろう。こいつはただ無駄に死ぬ為に戻ってきた大馬鹿だ。
「――クソっ! エルトリリス、こいつは見逃してくれ。ただのバカだから!」
わたしも、もうやけくそになって言う。何のためにここまで必死になったと思っているのだ。
「や、やだっ! エルドラが死ぬなら、私も死ぬ!」
「はあ?! おまっ……お前! せっかく、わたしがっ、お前のために残ってやったのにっ、のこのこ帰ってきやがって! ぶち殺すぞッ!」
「それでもいい! 私だけ、生きてたくない――っ!」
……そうか、わたしも恐らくはそのような心境だった。ユウリを殺して、自分だけ生きていたくなかったのかも。後味が悪いからな。だからって代わりに死のうとするか、わたし?
ぎゃーぎゃーと、やかましい応酬は続く。エルトリリスは――何やら考え込むように、口元に手を当てている。
「――良い」
何か言ってる。
何なんだよ、もう……諦め半分、残り半分は、ごちゃついてて分からない。そのような気持ちだ。
「あなたたちって仲が良いのね、やっぱり」
「どこを見てそう思ったんだよ……」
もういい……やるなら、とっととやってほしかった。
「いや、だって、ええ? 命を捨てに戻ってきたの、わざわざ?」
「……こいつ、バカなんだよ。まじで、ただのバカ」
「う、ううん。バカなのは間違いなさそうだけど……えと、ごめんね? やっぱり、それでも殺さないと……うう、どうしよ」
何で死の間際に、こんな問答をしなければいけないのか。散り際くらいは格好良く逝きたかった。ユウリがわたしに抱き着く。
「――う、やだあ! せめて、私が先に死ぬ……!」
「何なんだよ、もう! どっか行けクソっ!」
「行かない! エルドラが死ぬところも見たくない……っ!」
わがままばっかりだ。鼻水を盛大に服に付着させてくる。最悪だ。
最期までこいつと一緒なのは、もう、無念としか言いようがない。
そろそろ本当に疲れてきた……エルトリリスは――なんか、よろめいてる。
顔を手で押さえて、膝がぐらぐらしていて、何でかどこかに傷を負ったようであった。
「あー。良い。無理」
そのような悲鳴(?)をあげてふらついている。何が無理なんだよ。段々こいつにも腹が立ってきた。
「……おい、いい加減に――」
「いやいやいや。もう無理だわ、殺すとか、限界……尊い……」
「はあ?」
素っ頓狂な声をだしてしまう。何言ってるんだ、こいつ。じゃあ何のために追ってきたんだ?
「だって、さあ。そういう関係だって知らなかったし……あ、よく見たら指輪はめてる! やっぱりそうじゃない!」
何がやっぱりなのかもさっぱりだ。
鼻息を荒げてまくしたてる。
「う、私、男専門だと思ってたのに……そっちのもいけるかー」
「な、何だ。何の話をしてる?」
勝手に一人で納得したような顔をしている。
さっきまでとは違う恐怖だ。未知の、不明の、根源的な部分から来る恐怖。
エルトリリスは天才だ。だから、ちょっとばかり変なところがあったとして、おかしなことはない……いや、それにしたって常軌を逸している。怖すぎる。情緒がやばいって。
それから、こっちに近寄ってきて手を伸ばした。
くそ、やっぱり殺す気じゃないか。
目を閉じる、が、痛みはない。ユウリの悲鳴も聞こえない。
うっすら目を開くと、光を帯びた手でユウリを撫でていた。治癒術の光だ。
ユウリがきょとんとしている。
「……一応の処置はしたから。しばらく安静にする必要はあるけど、死ぬことはないわ」
「……何をしてる」
「え? 治療だけど」
普通に答える。バカか? まじで何がしたいんだ。
「――私は、勇者ユウリを四天王に勧誘したけど断られて、戦闘になった。ついでに銀髪の襲撃者も見つけて、二人とも殺した。そうよね?」
「……見逃すのか、わたしたちを」
「う、うーん。そうなるのかな……あ、でもっ、推し変じゃないから! 別に、どっちも推すだけだからね?!」
「……もう、何なんだよ。早く行ってくれ……」
自分でも泣きそうな声になっているのが分かった。
「あっ、あと、近々ユウリの討伐があるらしくって……恩寵消しちゃってごめんなんだけど、頑張ってね……?」
なんだそりゃ。もういい。帰ってくれ。
「それじゃあ、お幸せに……」とだけ言って飛び去っていく。嵐のような――いや、まじで何しに来たんだ。
若干の静寂の後、ユウリと顔を合わせる。
「え、と。助かったってこと、私たち……?」
「……多分、とりあえずは」
そう告げると、ユウリが絶叫――悲鳴と歓声が混ざったみたいな、耳に刺さる声――をあげた。
全力を込めてわたしにしがみついてきて苦しい。しかもまた泣き始めた。
「――よ、かったあ。エルドラが死ななくって、本当に――っ」
こいつに必要なのはまず反省だろう。勝手に戻ってきやがって。
役目を……果たせていないが、ゴーレムたちを土に還す。うん、よく頑張ったよ。ユウリがバカなだけだ。
このまま説教してやろうと思ったが、もう疲れた。
とりあえず、ユウリが泣き止むまではされるがままだ。
◆
「あ。おかえり~どうだった? 四天王に入ってくれるって?」
無邪気な明るい声。魔王陛下だ。
「……いやあ残念ですけど、無理でした。殺しちゃいました」
謁見の広間。報告には私一人で赴いているし、私と陛下以外には誰もいない。
「へえ、じゃあ使ったんだ、“勇者殺し”」
「あれがなかったら私が死んでましたね~あっ、あと銀髪の襲撃者。あいつも見つけたんで、ついでに殺っときました。もう手配書取り下げてもいいですよ~」
できるだけにこやかに告げる。だから魔王も、にこやかに返した。
「嘘が下手だね、エルトリリス」
何故か既にバレている。その顔には笑みが張りついているが、瞳の奥は決して笑っていない。冷や汗が垂れる。
「……えっ、と。どうします、粛清とか?」
「いや、別にいいよ。そっちの方が良いと思ったんでしょ? なら、それでいい」
ケタケタ笑う。この世の全てがどうでもいいような、そういう軽薄さがある。
彼女は暇さえ潰せればそれでいいのだ。
「ふふ、どうなる、どうなるかなあ。あ、もう行っていいよ」
「……はい」
少し肝が冷えたが、特に怒ってはいないようだった。
広間から抜け、先程に現象した傑作を懐から取り出す。
魔族の元四天王と人間の勇者が映ったもの。
エルドラが身を犠牲にして勇者を救おうとし、むしろ満身創痍なユウリが魔族をかばう。
種族、性別、諸々の垣根を超えた純なる愛があった。
「っはあー。やっぱりイイわ、良すぎるこれ」
……別に、グランとウィートから鞍替えする訳じゃない。どっちも“あり”だっただけだ。
とりあえず、再びその写真をしまって自室へ急ぐ。
通常業務は終わった。だから、これから為すべきことは他にある。
「ユウ×エル……いや、エル×ユウ……?」
そのような分かる人にしか分からない呪文を呟きながら、足早に進む。
今は、それが最重要事項であった。