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18 スケープゴート

 エルトリリス。彼女の二つ目の名は“腐海”。

 それが意味するところは、彼女固有の術式にある。

 腐蝕術――彼女が独自に開発した魔法だ。水属性から派生して創られた魔法ではあるが、もはや水属性の基本から逸したそれは、新たに命名された腐属性の名とともに広まった。

 万物を腐らせる防御不能の術。直接戦ったことはないが、ゴーレムの耐久性に頼るわたしが最も苦手とする手合いである。

 エルトリリスは天才だ。腐蝕術、映写術……その他細々(こまごま)したものを合わせれば、開発した術式は数知れない。

 それだけではない。戦闘経験も豊富で、彼女独自の魔術を戦いに組み込むセンスもある。

 つまり、わたしとは違って才能のある奴だ。悔しいが認めざるを得ない。


 彼女こそが、四天王で最強である。


 それでも、ユウリがこいつに負ける道理はなかった。ユウリはもっと最強だから。

 そのはずだった。



     ◆



 何か魔道具を構えたから、こちらも身構える。腕を交差させて衝撃に備えた、が、何も起きない。

 術式が周囲に奔ったようであったが、それだけだ。何も起こらなかった。


「……何だ、不発みたいじゃないか。ただのこけおどしか」


 本当にそのようには思っていない。ただ、効果が分からないから会話から情報を引き出そうとした。

 その必要もなく、間もなく異変が生じる。


 ユウリが剣の切っ先――腐って溶けているが――を下げた。戦闘中に構えを解く利点などない。まあ、彼女ならばそれすら関係ないとは思うが、どこかその姿に違和感を覚えた。

 剣を持つ手が震えている。


「……おい、ユウリ」

「――あ、あれ? なにこれ」


 ついに剣が地面に接するほどの位置にまで移動している。


「お、もたい――」

「……ふざけてる場合か、早く構えろ!」


 彼女は勇者だ。そしてその恩寵ギフトは“身体強化”。それがどれ程まで有用なものかは知らないが、ただの剣を重く感じるはずもない。


 だから、さっきの魔具はそういう効果のはずだ。例えば、相手の装備を重くする――いや、違うだろう。エルトリリスは“勇者殺し”と言った。耳に覚えがある。効力も知っている。

 勇者を――その恩寵ギフトを殺す魔具。そのようなものは実在していないと思っていた。だけど、そうでもないと辻褄が合わない。

 “身体強化”を失ったとしたら、彼女はその戦闘力の殆どを無くすことになる。

 だとすると今の状況はひどくまずい。


「――半信半疑だったけど、本物だったみたいね、これ……あ、壊れた」


 割れた立方体を眺めながら「消耗品なのね」と呑気のんきに呟いている。それを気にしている場合じゃない。


「おい、ユウリ! いったん撤退するぞ」

「う、うん」


 舌打ちをしてから叫ぶ。ひとまずエルトリリスから距離を取るように駆ける。

 ユウリが重みに耐えかねたように剣を落とし、わたしに続く。


(――遅い)

 と思った。ユウリの速度がだ。

 本当にただの人のように、緩慢かんまんな動き。それを四天王最強が見逃すはずもなかった。


 一瞬で追いつかれ、ユウリの横腹が蹴り飛ばされる。

 ただ、蹴っただけだ。それだけのはずなのに、ひどく痛々しい破裂が聞こえた。


 そのまま吹き飛び、屋敷の壁に背から激突し、喀血かっけつする。

 悲鳴さえあげられないようで、目を白黒させている。


 あの勇者が、こんなにも脆弱だ。こんなに簡単に、致命の傷を負う。


「ユ、ウリ――くそっ! 【軋め義骸。廻れ歯車。木偶に命を】ッ! 食い止めてくれ!」


 ゴーレムの生成。それも同時に三体。その程度でないと足止めすらできない。

 エルトリリスを囲うように出現させる。それを見て、驚いたように目を丸くしていた。


「……! このゴーレム……まさか、だけど――」


 また、何かを考え込むようにあごに手をやった。

 ゴーレムにはそうした思案を待つようにしていない。上空から叩き込むような打撃を浴びせる――が、無為だ。

 エルトリリス自身よりも遥かに巨大な拳を受け止め、そのまま徐々に溶かす。

 質量が大きいから時間はかかるが、未来の機能停止は目に見えている。

 そいつらに構っている間に、湖の傍らに立つ巨人――アルティメット・エルドラーンまで走る。そして、搭乗。胸の一部が開放され、そこに乗り込む。


「……やっぱり、そうよね」


 激しい戦闘の最中でも、そのように呟いている。

 エルドラーンに乗ったのは戦うためじゃない。逃げるためだ。

 わたしでは彼女に敵わない。

 ユウリへ駆け寄る。


『おい、大丈夫か?! 逃げるぞ!』


 両手ですくうように持ち上げて、そのままエルトリリスから逃げる。


「う、ああ――!」


 急な加速に耐えられなかったようで、そのように苦しげにうめいた。

 だから自然と速度を落としてしまう。


『くそ、クソっ! 何なんだよ……!』


 背後から戦闘音が聞こえる。きっとすぐにでも収まるだろう。だから、足を止めることはできなかった。



     ◆



 しばらくの疾走。ただし、ユウリの負担にならない程度の。

 森の中、村とは別方向に走っている。彼らがいたとして何の足しにもならない。


 分からないことだらけだ。

 何故、エルトリリスがここにいるのか。何故、あのような魔具を持っていたか。

 分かったところでどうしようもない。とにかく、今は逃げて身を隠すほかに対処法がなかった。


「――けほッ、は、あ――」


 ユウリがまた血を吐く。さっきの衝撃で、どこかの内臓を骨がひっかいているのかもしれなかった。


『おい、大丈夫か?』


 立ち止まり、声をかける。それ以外に何もできない。わたしは治癒術を使えないから。


「……心配してくれるんだ、私でも……やっぱり、優しい」

『馬鹿言うな。話せる元気があるんなら、大丈夫だな』

「――待って」


 もう一度走り出そうとして、それを止められる。


「……私をさ、ここに置いていってくれないかな」

『……何言ってるんだ。指輪の効果を忘れたか? それがあるから、今だって仕方なく――』

「誓いの指輪の宣言は」


 わたしを遮って、死にかけのくせに力強く言う。


「死が二人を分かつまで――でしょ。つまりさ、私が先に死ねば、エルドラはどこにだって行ける。もうここに、留まる必要もない」


 こちらを見据みすえて、そう言う。覚悟を決めたような、いつになく真剣な顔だ。

 わたしだってその可能性には気づいていた。どちらか片方が死ねば指輪の効果は消える。しかし、ユウリには絶対に敵わない。だからその選択肢は頭から消えていた。


 だけど、今ならどうだ?

 恩寵ギフトを失った、瀕死の、ただの小娘だ。

 少しだけエルドラーンの手を閉じれば、置いていくまでもなく簡単にくびり殺せる。それどころか、恐らくもう彼女はちょっとした衝撃にすら耐えきれない。

 わたしが、もしくはエルトリリスが手を下さなくても、治療を施さなくては死ぬのも時間の問題であった。


「――エルドラは、優しいから、さ。きっと私を殺せ、ない。だから、捨てていってよ」


 息も絶え絶えに言う。口の端から赤色が滲み、見ていられない――何故だ。わたしは魔族で、人間がひとり死のうがどうでもいい、はずだった。

 ユウリが血を吐くたび、わたしの内からも血の気が引くようであった。

 ユウリが呻くたび、わたしの臓腑ぞうふもきりきり痛んだ。


 意味不明だ。理解不能だ。今だって、早く決断しなければいけない。

 わたしは死にたくない。だから、こいつを置いて逃げなければならない。

 目的を思い出せ。スローライフだろう。

 あの屋敷を手放すのは惜しいが、逃げた先にまた新天地を見つければいいだけだ。


 おのずと、かつての暮らしが脳裏に浮かんだ。


 素敵な住居と最高の立地に、絶品の料理と究極のゴーレム。それに、隣にはユウリが――ああ、まただ。わたしの脳内をむやみにかき回す、迷惑女。


 きっとこいつがいないと新生活を満喫できない。そんな予感があった。

 だから、わたしは立ち止まったまま。一歩も動かない。


 ユウリを地面へそっと降ろし、わたしもエルドラーンから脱する。

 瀕死の彼女の傍まで行って、ゴーレムを作った。小さい、目立たない奴を三体ほど。それでわたしの魔力は尽きる。もう反抗の手段もない。


「……える、ドラ――?」

「こいつを診療所まで運べ。指輪の効果範囲ぎりぎりまでだ。そこから運ぶのは、わたしが死んだ後でいい」


 そのように命令できる。一度魔力を注いだゴーレムはわたしがどうなろうが問題なく動作する。

 ユウリがひどく顔を歪めた。泣きそうな、怒ったようにも見えた。


「ちょっと――何それ……! 冗談言ってる場合じゃ――」

「お前も同じようなこと言ってただろ。仕返しだ」


 ゴーレムがユウリを拘束する。少し暴れたが、瀕死のこいつに抵抗する力があるはずもなかった。


「どうせ、どっちかが死ぬんだろう。別にそれはわたしでもいい」

「ふざけ――ふざけないでっ! いい加減にしないと、怒るよ!」

「おい、そいつを黙らせろ。うるさい」


 一体が口を手で塞ぎ、「へぶっ」とまぬけな声を上げた。

 不明瞭に呻きながらこちらを睨む。ぼろぼろと、雫がこぼれていた。

 最期くらいは笑顔が見たかったと、不思議とそう感じた。


 三体のゴーレムに持ち上げられ、これまたまぬけに運ばれていく。視界から消えるまで眺めて、わたしらしくないな、と思った。

 覚悟を決めた……本当は少しだけ怖いが、そうも言っていられない。

 背後から聞こえていたはずの戦闘の証はとっくに消えている。

 そろそろ来るはずであった。


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