16 腐海の使命
扉を開け、素早く身を滑り込ませる。魔王城内に備えられた自室である。
ごく一般的な調度品のみで構成されたごく一般的な内装。
ただ、それに反して壁面は異様な様相を呈している。
四天王の一角である私――腐海のエルトリリスには、決して人にお見せできない趣味があった。
部屋の四方に貼られた、おびただしい数の写真。
魔族の男二人ないし複数人で映っている点が共通している。単独で撮影されたものはない。
その写真のうちの半分程度が灼熱のグランと疾風のウィートが写るものである。
共に笑い、泣き、ときには争い、ときには肩を組んで飲み交わす。そのようなほほえましい光景が切り取られている。
長年培ってきた盗撮技術。その結晶であった。
現在では誰もが知る“映写魔術”。視界に映る全てを保存し、現象する、戦術的にも極めて有用な魔術である。
その、水属性と光属性を組み合わされて構築された複雑な術式。それを開発したのは私だ。
趣味以外で活用することは少ないが。
(――グラン、ウィート。いつも、おかずの提供ありがとう!)
彼らに対しての恋愛的な感情はない。ただあるのは「感謝」。それだけである。
いつの頃からか、男性同士の突き抜けた友情――それに対する熱い執着があった。
ポケットの中から、つい最近に現象した傑作を取り出す。
苦悶の表情を浮かべるウィートと、心配そうに佇むグラン。それが映し出されたブツ。
二人には申し訳ないが、あの襲撃者にも感謝しなければならない。
……依然、足取りはつかめていない。
銀髪の女。恐らくは、四天王に肉薄する実力がある。
何故、魔王城内で事に及んだか。何故、牽制程度で去っていったか。
その目的も、何もかもが不明のままである。
お尋ね者の捜索――こういう時に、不滅のエルドラの偵察ゴーレムが役立つのだが……死んだ奴のことを考えても仕方がない。
ただ部下の報告を待つのみであった。
だから、本日の通常業務を終えた私の為すべきことは他にある。
椅子に腰かけてペンを執り、もう一度、あの傑作を拝む。
みるみるうちにインスピレーションが湧き出てくる。
「グラ×ウィーか、ウィー×グラか……」
そのような呪文を唱え、内に滾る情熱を描き出そうとした瞬間であった。
机の片隅に置かれた呼び鈴が震え、存在を主張する。
ため息を吐いた。魔王陛下からの招集の合図である。
渋々ペンを置き、謁見の間へ急いだ。
◆
「おそい。遅いよーエルトリリス。二分は待ったよ」
玉座にだらしなく腰掛ける少女がいる。身を投げ出すようにもたれかかり、こちらを見ようともしない。
魔王陛下はそのようなお方だ。
炎めいた赤髪から伸びるねじれた角を、指先で撫でている。
他の四天王の二人――灼熱のグランと疾風のウィートは既に到着していた。
「はあ、申し訳ありません。これでも急いできたんですが……今度は何の御用ですか」
不遜ともとれる態度。それでも、魔王は特段気にすることもない。
彼女のきまぐれで呼び出されることなんてしょっちゅうだ。大抵が、大した用事もない暇つぶしである。
「うん、襲撃者はまだ見つからないんだって? 勇者もわんさか湧いてくるし、エルドラも死んだらしいし。いよいよヤバいかもね」
ケタケタと笑う。何が可笑しいかは分からない。
がばりと身を起こし、目を輝かせながら言う。
「だから――いまの魔王軍に必要なのは戦力の補強だっ!」
「はあ、そうですか」
……別に、必要ないと思うが。
身も蓋もないことを言うが、そもそも魔王軍など――四天王でさえも必要ないのだ。
だって、魔王陛下ただ一人さえいれば世界の蹂躙など容易い。彼女には、その程度の暴力がある。
魔王軍の存在も、適当に人間と小競り合いを続けている現状も、彼女の暇つぶし――茶番なのだ。
魔族は何より力を重んじる。
王になるのに、血統も統率力も必要ない。いるのは暴の力だけだ。
だから彼女は魔王だった。
「ほら、四天王なのに三人って、変でしょ。だからさあ、またもう一人欲しいよね……」
適当に纏う服の内から、ごそごそと何かを取り出す。紙――手配書のようであった。人相書きが描かれている。
「こいつ、悪の勇者ユウリ……だってさ。人間族への反逆の罪で手配中ー」
楽しげに、ひらひらと揺らす。
「こいつをさあ……四天王に引き入れよう!」
「……」
「もう『四天王は四属性で統一!』とかも飽きたでしょ。時代は意外性だよ、うん。勇者が魔王軍に味方したらどんな顔するだろうな、人間たち」
やはり突拍子もない提案であった。できるはずもない、と思う。
「あの、お言葉ですが、無茶では? 腐っても勇者でしょう、魔族に味方するとは――」
「むー。できるできないじゃないのー。やるのー」
足をばたつかせて駄々をこねる。年相応の、いや、外見よりも幼い言動であった。
「もう決定ね。はい、決定! エルトリリスが勧誘に行って!」
「ええ? 何で私が……」
「一番遅刻した! それに、私に意見したから! 罰だっ」
残る二人が、私を不憫そうに見た。
まあ、陛下のわがままに付き合うのも四天王の仕事だから……
「でも聞いた話だと結構強いらしいから気を付けてねー」
「はあ」
「なんでも、恩寵は“身体強化”なんだってさ」
「……本当ですか」
一気に行きたくなくなった。だって、それは、
「まじで。私のとおんなじ恩寵だから」
魔王を、魔王たらしめる才能。それがその勇者にもあるらしい。
「じゃあもう絶対無理です、行きません。もし戦闘になったら勝ち目ないですもん。陛下が行ってくださいよ……」
「ふふ、そう言うと思って……――じゃーん!」
再び懐から取り出したのは、見覚えのない、手のひらに収まる程度の――鉱石をくり抜いたような立方体であった。
それをこちらに放り投げたので、慌てて捕る。
「な、何ですか、これ?」
「――“勇者殺し”」
目を閉じ、おもちゃを自慢するように続ける。
「伝説級の魔具。名前くらいは知ってるでしょ? 出自不明の年代物。最近、拾ったんだよねー」
「……これが?」
にわかには信じがたい。拾ったというのも本当か怪しい。
“勇者殺し”――その名が示す通り、勇者を殺す魔具。正確には、転移勇者の恩寵を殺す道具。
この世界の神は、不平等だ。
多くの憐れな誰かに構わず、理由なく適当な誰かに才能を与える。
ただ、転移者だけは別だ。彼らは神にとってよほど可哀そうな存在らしい。
彼らのもといた世界には神がいない。だから、それを憐れんだ神が、強力な恩寵を転移者に与えた。
神は複数いる。なかでも、転移者にだけ力を与える神がいる。その効力だけを滅ぼす魔具。
過ぎた力を持つ英雄、転移勇者をただの愚者に堕とす。
それが、“勇者殺し”であった。
「本物ですか?」
「うん、絶対本物。間違いなし!」
自信たっぷりに言い切る。だけど、それが真実かどうかは分からない。
軽薄な笑みを浮かべている。
「これさえあれば、負ける心配もない! もし勧誘拒否られて戦いになっても、殺れるから大丈夫。さあ行けい!」
ケタケタ笑う。私に拒否権はなかった。
うんざりとため息を吐く。
「『行けい』って……どこにいるんですか」
「もう場所は割れてるんだよね。そう遠くない森の中」
陛下が指を空中に回しながら続ける。
「近いうちにその勇者の討伐がある。だから、それより早く――もう今日いっちゃえ! 善は急げだ。いい報告期待してるよー」
……魔王陛下の暇つぶしに付き合うのも、仕事の内だ。
もう一度だけため息を吐いた。