15 勇者と酩酊と混乱と初めて
随分とご機嫌だ。
そのような彼女はあまり見たことがなかったから、私までつられて楽しくなる。
「うまい。やっぱり料理の腕だけは最高だな」
「だけ、って」
苦笑する。でも、すごく嬉しい。エルドラが私を素直に褒めてくれることなんて殆どない。
お酒の力は偉大であった。
私も彼女も初めて飲む。
酒の味がどのようなものか夢想することはあったが、想像以上においしかった。この世界の酒が特別においしいのかも。
どんどんボトルの中身が減り、頭がくらくらする。
……心が「法律を遵守すべきでは?」と問うたが、無視した。
もうあちらの現実との繋がりなんてないのだ。捨て鉢だったのかもしれない。
今となっては、こちらの世界もそう悪いものでもない。
村の人たちもだんだん心を開いてきてくれているし、エルドラとも少しずつ仲良くなっている(気がする)。
最初の頃の怯えはすっかり影をひそめて、私に細かい文句を言うほどになった。彼女の作った小さいゴーレムをうっかり蹴ったときには一日中怒られた。大事なものらしいから用心しようと思う。
……そういえば、私は彼女の作品を壊してばかりだ。仕方のないことでもあったが、謝っていない。それに気づいた。
「――あの、エルドラーンのことなんだけど」
……今更か? それで、彼女を困らせたりはしないか。最近ではちょっとだけ考えてから言葉を使うようにしている。考えなしな私の、少しばかりの成長だった。
「ああ、エルドラーン? ……そうか、お前もようやく分かったか。あの、良さが」
何も言っていないのに何かを勝手に納得していた。
どうやら、酔っているらしい。顔は赤く、目がうつろで、首が据わっていない。いつの間にかそのように変化を遂げている。
「……エルドラ? 少し、飲みすぎじゃない」
そもそも彼女は十五歳だと言った。この世界の決まりや魔族の性質については疎いが、小柄な彼女であればアルコールもよく巡るのでは、と思った。
「いいや? なにを言っている。断じて、飲みすぎてなんかいない」
よくよく聞くと、舌も全然回っていなかった。明らかな酩酊状態である。
「はは、すごい酔ってるよ。もう止めようね」
机の向こうに手を伸ばして原因を取り上げようとする。しかし、それに先んじてエルドラがグラスを持ち上げることで阻止した。
「いいや! 酔ってない、証拠もある。だって、まだ飲めるっ!」
立ち上がってそう宣言する。そのまま一気に飲み干す。口元を拭う。
もう完全に目がどこかにいっちゃってた。
「え、エルドラ、大丈夫……?」
「……ひっく」
しゃっくりだ。心配になった。
お酒の怖さは知識としてだけ知っている。きっとこの世界でも共通だろう。
「――ふ。今なら何でもできそうだ。よし、行くぞっ!」
「え、ちょっと?!」
椅子を蹴とばして駆けていく。とっさのことで体が思うように動かない。私も相当に酔っていた。
外だ。日は完全に沈み、月と星の時刻にある。
エルドラは酔っ払い特有の陽気さで湖畔の周りを走る。年相応に子供みたいだ。酔ってるけど。
ここで暮らしてしばらく経つが、やはり改めて、最高のロケーションだと認識する。
自然が豊かで空がきれいで。それに、エルドラもいる。
……どうして、彼女は、その、そういう意識をしないのだろう。
流石に私も慣れたけど、ペアリングをつけて同棲するのは、つまり、そういうことではないか。いや、きっと私の考えすぎではある。シェアハウスなんて普通で一般的でみんなやってる。
それでも、ただ、エルドラは少し可愛すぎる。たとえ同性であろうと、まあドキドキはする。
私はそういった関係性を誰かと築いたことがない。こうした生活にも一種の憧れがあったのだろう。
だから、私が少しばかり彼女を意識してしまうことなんて、仕方のないことだった。
エルドラがふと立ち止まり、両手を広げながら楽しげにくるくる回った。
湖畔の妖精、と言われればそう思うかもしれなかった。
「よし、ユウリの期待に応えてやろう。いくぞお」
にこやかに、不明瞭に唱える。生成術であった。
何を言っているかぎりぎり聞き取れる程度だったけれど、それはきちんと効力を発揮した。
地を割り現出する巨人。そういうものを作るとき、彼女は一番楽しそうだ。
自身の技にむしろエルドラが驚いた。
「――ふ、ははは! 感覚で分かる……最高傑作だっ!」
そうなのか。私には他のものとの区別はつかない。
「見ろ! この、艶! 逞しさ! すごいだろう!」
「――うん、すごい」
正直、よく分からない世界だ。でも、エルドラが楽しそうだったから、きっとそうなのだろうと思った。
エルドラが震えた。
「や、っと。やっとお前も、ゴーレムの良さが分かったか……!」
感極まったように天を仰ぐ。
「さあ。さあ、遠慮することはない! もっと褒めてみろっ!」
すごく、本当に、いきいきしている。だから彼女の要望に応える。
「――まず、すっごく、言い表せないくらいにすごい! どこを取っても最高!」
「ああ、そうだろう!」
「びっくりするほど可愛い!」
「そう、格好良さと可憐さ……一見して相反する要素を組み込んでいるんだ……」
「とっても頑張り屋さんで、偉い! それに普段はつんつんしてるのに、本当は優しい!」
「そうだ! どんな困難な指令だって、絶対に達成する……! そして、確かに角ばったイカす形状だ! それで本当は……やさしい?」
「小っちゃくて、抱きしめたい――」
「ちょっと待て。何の話をしてるんだ?」
褒め方が気に入らなかったのか、怪訝そうに遮る。照れたのかもしれない。
考えると、私もかなり恥ずかしいことを口にしていた。酔いに任せて、いろいろ変なことをしゃべった気がする。
ばつが悪くなって、頬をかきながら言う。
「……え、あの……エルドラが、本当にすごいな~っていう、はなし……――?」
そう言うと、エルドラが信じられないみたいにぱちぱちとまばたきをした。
それから、徐々に――酔いが急に回ったのか――顔がもっと赤くなっていって、叫んだ。
「だ、れが、わたしを褒めろって言った――っ! ゴーレムの話だろうが!」
それを聞いて、今度は私が赤くなるのが目に見えないのに分かった。
「ご、ごめんっ! てっきり、そういう話なのかと思って……」
「ばか! お前、まじで馬鹿だっ!」
もう、お互い完全に酔っている。そうじゃないと発生しない状況だ。そんな考えだけ、やけに冷静に浮かんだ。
一通りの罵倒を終えたあと、エルドラは目を伏せた。
それから、ぽつぽつと話す。
「――……わたしには、これしかない。そんな適当な言葉を並べられて喜ぶほど、馬鹿じゃないんだ」
岩石でできた巨人の脚に触れる。先程までと打って変わって、ひどく弱々しい。
「これ以外、何の才能もなかった。はは、お前がうらやましいよ。馬鹿だけど、何でもできる」
その様子を見て、何故か私が悲しくなった。
「腕力も、魔力も、魅力もない。ただの一般魔族。今だって、誰かの恩情で生きているだけだ」
そのように自虐する。本心からの言葉のようであった。
だから、少しだけ怒りが芽生えた。
「……戦って死ぬことさえできなかった、哀れな」
「――そんなことない」
自分でも驚くほどの大声。エルドラの方が驚いているけれど。
当惑しているようであった。でも、そんなことは関係なかった。
「ユ、ユウリ?」
「私はさっき、ぜんぶ本心で言った! エルドラは、努力家で、優しくて、可愛いっ!」
本当に、そう思う。
彼女と暮らしたちょっとの間でさえそれが分かった。
「モニカを助けた! 酒場で、た、多分、私の為に怒ってくれた! いい魔族!」
「う、その、いい魔族ってのも意味が分からん! わたしは、元四天王だぞ」
「それもすごい! 頑張らないと四天王なんかなれないじゃん、絶対!」
じりじりとエルドラに距離を詰め、彼女を否定していく。彼女が自身を肯定できるようにだ。
エルドラは、エルドラのことを何も分かっていない。
分かっていないからそんなに自分を卑下できる。
だから私が分からせてやる必要があった。
エルドラは、すごい。
距離を詰めると、離れようと後ずさる。
その間にも私は散々恥ずかしいことを叫んで、エルドラも恥ずかしいことを聞いて恥ずかしがる。
なにか異様な罰ゲームみたいだった。
だから――酔っていたせいもあって――それに気がつかなかった。
ずっと追いまわして、ついに彼女が足を踏み外した。背後の湖に。
「――あ?」
「あ!」
反応もできない。エルドラの体がぐらりと傾き、背面に落下する。
激しく水しぶきが上がって、月の絵画に波紋が広がった。
「え、エルドラ――っ!」
慌てて飛び込む。もう、何が何だか分からなかった。
時間にしたら、大したものじゃない。十秒か、二十秒もかかっていないはずだ。だけど焦っていたから、時間の感覚も曖昧だ。
意外と湖は深くて、暗いせいもあってエルドラを引き上げるのにそれぐらいかかったと思う。
ようやく浮上する。背に彼女を抱えたまま、胸から大地に身を預ける。
「――は、っはあ。危なかった――ごめんね、エルドラ。大丈夫だった――?」
そこで、大変なことに気がついた。
エルドラが息をしていなかった。
耳元に顔があるのに、呼吸音が聞こえなかった。
水を吸い込んだらしい。そういう症状であった。
血の気が引いた。体温が急に下がった感覚があって、ちょっと吐きそうになった。
地面に横たえて声をかける。
「エルドラ、エルドラっ! 大丈夫?!」
大丈夫なはずがない。当たり前だ。それほどに混乱している。
どうする。こういう場合どうすればいい。
診療所まで抱えて走るか。私にはそれができた。それでいいのか。彼女に負担をかけることにならないか。それに、村唯一の医者であるシドーがその場にいるかも分からなかった。
きっと、一刻も争う状況だ。失敗したら、どうしよう。
まとまらない思考だけが廻り、どうしようもない――平手を張った。自分にだ。
冷静になれ。大丈夫だ、きっと。
原因は、水を吸い込んだこと。だから、それを解決さえすればよかった。
どうやって? 知識としてだけ知っている。
悩んでいる暇はなかった。
かつての保健体育で、少しばかりだけ習ったことだ。
気道を確保。息を吹き込み――
◆
もう大丈夫だ。水を吐いて、呼吸が戻った。安らかな寝顔だ。
……私は本当に反省した方が良い。
酔っていたとはいえ、また彼女を危険に晒した。いい加減にしろ。
「――くしゅんっ」
……可愛らしいくしゃみだ。
濡れた服を着たままでは風邪をひいてしまう。私もだ。
だから、これは不可抗力であった。
風呂まで運び、服を脱がせ、体を温め……なにも、やらしいこと――やましいことはない。言い聞かせる。
さっきのアレも、これも、どれも仕方のないことだ。そうしないといけなかった。うん、不可抗力だ。
赤ん坊の湯あみのようであった。
溺れたのに、いまは穏やかに寝息を立てている。それを抱えながら浴槽に浮かべる。
顔を直視できない。体もだ。裸だから。つまり、エルドラを視界に入れることができないみたいだった。
目を閉じて、無心で作業を終える。
寝室まで運ぶ。服を着せるのはもう、精神的にいっぱいいっぱいで、できなかった。
ベッドに横たえる。シーツをかける。もう今日のことは忘れよう。
私もまだ服を着ていない。せめて何かを羽織って寝たい。
彼女から離れ――手を掴まれている。気がつかなかった。
「…………エルドラ、起きてる?」
「…………」
うっすらと目が開いている。起きている。
意識があると、もう無理だった。私の心臓がだ。
薄い唇。駄目だ。さっきの――アレを思い出す。駄目だ。
体が固まってしまって、指一本動かない。だから、彼女にされるがままだ。
そのまま腕を引かれて、ベッドに引きずり込まれる。
「え、え、え」
そのようなことしか言えない。夢の中にいるように、何もできない。
「……さっきは、ちょっとだけ嬉しかった」
何かを言っている。その意味を脳が処理することはない。いっぱいいっぱいだから。
私の腕が、小さい胸に包まれ
「わたしは、その、自分が嫌いだった。みんなも、わたしのことを馬鹿にしてた。土魔法しか能がないって」
碧の瞳が見つめ、動けない
「だから……さっきみたいに、わたし自身がすごいって言ったのは――その、本当にそう思って言ったんだよな?」
不安げな、上目遣い
「――ちょっとだけ、本当にちょっとだけだ。その程度は、嬉しかったよ」
そのままゆっくりまぶたが閉じて
あ、駄目だ。限界を迎えたようで、そこで意識が断絶した。
◆
「――アルティメット・エルドラーン……」
相変わらず、変なネーミングだ。
エルドラは昨日の出来事を一切記憶していないようであった。だから、不可思議な経緯を説明せざるを得なかった。
……言えていないこともある。
私は嘘が下手だ。だから、その部分の説明は省くことにした。
だって、言えないだろう。言う必要もない。
彼女がどうかは知らないが、私は「初めて」だった。それで勘弁してほしい。
「最高のわたしがつくった、最高のゴーレムだ――っ!」
……少しは、覚えているのだろうか。
自分で言っていて気づいていない様子だが、それでよかった。
彼女には、元気すぎるくらい――過剰気味であるくらいがちょうどよかった。