13 正義の鉄槌
ユウリと暮らし始めてから三週間が経った。もう三週間だ。早すぎる。
屋敷での暮らしは思った以上にのんびりとしていて、良い。まあまあなスローライフだ。時間の感覚も当然におかしくなる。シドーに少しは感謝してやってもいいほどである。
ユウリがくっついていなければ尚更――と思っていたのだが、最近では彼女のいる生活にも慣れてきて、もうその存在を無視するか聞き流すくらいのこともできるようになった。慣れは怖い。
それに、ユウリのつくる飯はうまい。家事も彼女に丸投げしている。家政婦としての価値ぐらいはあった。
書斎で“湖の賢者”の遺した魔術書を読みふけっていたときだ。午後である。戸が叩かれ、扉の向こうから声がかかる。
「エルドラー。今日の晩御飯は何がいい?」
「あー、この間食べた『はんばーぐ』ってやつ。あれがまた食べたい」
「おっけー」
嬉しげな返事。彼女は随分と他人に尽くすのが好きなようで、生粋の家政婦気質だなと思った。
「それと、そろそろ食材の備蓄もなくなっちゃうから、村まで行ってきてもいい?」
「いやそれはダメだ! 絶対に一人で行こうとするなよ?!」
「えー? でも、シドーさんはギリギリ範囲内って言ってたじゃん。大丈夫だよ」
「ギリギリだろ。いいから、村にはわたしも一緒に行く」
一緒に暮らし始めて分かったが、ユウリの行動原理は人間というよりも犬に近い。従順だが頭空っぽの楽観主義で、興味があれば何にでもほいほい着いて行くし、その場その時の思い付きで動く。だから、ユウリと少しでも離れているときは気が気じゃなかった。
『誓いの指輪』の効果で、わたしたちは長距離を離れられない。彼女の身体能力であれば一瞬で引き離せるくらいの距離だ。それを越えれば、お互いに死ぬ。
……なのにこいつは平気でそのような提案をする。馬鹿なのだ。
「ちょっと待ってろ。すぐに準備する」
「うん!」
扉で隠れて見えないのに、振り回される尻尾が見えた気がした。
村までは、あの獣道を歩いて十分かからない程度である。いちいち狭い道を歩くのも面倒なので、そのうち整地でもしてやろうかと思う。視界が開け、村が見える。
離れで暮らし始めてしばらく経ったが、村人の反応はまちまちだ。
相変わらずわたしに憎悪を向ける者、慣れて挨拶まで交わしてくる者、モニカやシドーのように少し友好的過ぎる者までさまざまである。
何故か湖のとんちき賢者とその魔具については周知のようで、指にはめられた輪っかを見ると村人は安心したように胸をなでおろした。
あと、村の領域内では一応のわたしの拘束が義務付けられ――ユウリに手を繋がれ――ている。その様子と指輪のせいで勘違いした村人がいるらしく、そういう噂まで耳にした。一応それについて釈明はしたものの、聞き入れられることはなかった。エルフというのは理解力に乏しい種族らしい。
「あ、お姉ちゃん! ユウリさんも来てくれたんだ」
こちらに気が付いたモニカが駆け寄ってくる。モニカの家系は代々狩猟に従事しているらしく、モニカの父は「娘の命の恩人だ」とか言って半ば押し付けるように食用肉を恵んでくれる。
わたしの想像ではエルフはもっと慎ましやかに自然と共生しているものと思っていたのだが、全然俗物である。肉は食うし、森は切り拓くし、宴は大好きだし、金に執着している。
だが、わたしたちに金はない。働いていないからだ。だから、こういう善意に甘えるか、昔ながらの物々交換か、ちょっとした労働をする必要があった。
どうでもいい事だが、わたしが「お姉ちゃん」でユウリが「さん」付けなのが少し気に入らない。
「モニカひさしぶりー。元気にしてた?」
「うん! お姉ちゃんたちも、ちゃんと仲良しにしてる?」
「もちろん」
別に仲良くはしてないが。
「みんなもお姉ちゃんのこと、もうあんまり怖がってないよ! あと一息!」
「何があと一息だ。指輪が外れたらすぐにでも出て行ってやるぞ」
いくら屋敷の生活が心地よかろうと、やはり一人で暮らしたい気持ちはある。その言葉にユウリとモニカが同時に文句を言った。
「ええー?! なんで?」
「そうだよエルドラ! 二人暮らし楽しいじゃん。ハンバーグも食べられなくなるよ?」
それはまあ、確かに惜しい。料理の腕だけはなかなかだ。それだけだ。
「いいから、早く食材買って帰るぞ。本の続きが読みたい」
「えー」
文句を言うな。
賢者の蔵書は読んだことのないものだらけであった。全く新しい観点からの魔術理論や技法が示されていて、とても興味深い。変人ではあるが、大層な魔術師であったのだろう。
そこで何か割れ砕けたような、そんな音と悲鳴が聞こえた。
少し離れて、広場の方面からだ。ユウリが訝しむ。
「……何、今の?」
「おい、放っておけよ。わたしらには関係――って、おい!」
止めるより先に駆け出していた。本当に思いつきでしか行動できないようであった。仕方がないのでついていく。
喧騒は、広場に面した通りにある酒場の中から聞こえてきたようだった。ユウリがそこに躊躇なく飛び込む。ため息を吐いた。
まだ日は高いというのに、酒場にはそれなりの人数がいる。そんなに飲みたいものなのか。
騒音の原因もすぐに分かる。カウンターに座る四人組であった。人間である。落ち着いた店内の雰囲気に似合わず、それぞれが適当に染め上げたような不自然な髪色をしている。思い思いの鎧を着こんでいるから、戦士や傭兵の類だろう。エルフの客がそれを迷惑そうに遠巻きに眺めていた。
そいつらの周囲にはボトルやグラスが散乱し、硝子片が飛び散っている。それを意に介することもなく下品に笑い酌み交わす。店主がたしなめた。
「ちょ、ちょっとお客さん、呑みすぎですよ! 他のお客にも迷惑が――」
「ああ? 金払ってんだから別にいいだろーがよ! お客様は神様だろうが!」
男の一人がよく意味の分からないことを叫んでいる。客が神な訳あるか。
ユウリがそいつらの方にどんどん進んでいって、一人の肩を叩いた。
「あの、みんな迷惑してるみたいですから、少し落ち着いて」
「ああ? ――おいおい、なんだよ。結構かわいいじゃねえか。せっかくの酒場なのに女いねーしよ。ちょうどよかったわ」
下卑た笑みを張り付けた男たちが立ち上がる。それを見て、何故か無性に腹が立った。
「……なんですか」
「君、いくつ? ちょっとお酌してよ。野郎ばっかで花がなくてさー」
……なんだかムカつくな。何故かは分からない。普段から不機嫌ではあるが、このときばかりは怒りが留まらなかった。
だから、文句を言ってやることにした。
「おい、酔っ払い。騒々しくて敵わんな、猿か。喧しいから、わたしのいない所でやってろ」
「ああ?」
こちらに視線が向く。楽しい空気に水を差されたのがよっぽど癇に障ったようで、声には怒気がこもっていた。
「んだよ。こっちはこのお嬢ちゃんと話してんの。ガキがしゃしゃり出んな」
むか。
「……あまり嘗めた口を利くなよ。痛い目に遭うぞ」
「はあ? やってみろよガキ」
誰を相手に喋っているか知らない様子だ。こいつら程度ならちょっとした魔術だけで対処できる。
こちらを囲むように進んでくる。
「――痛い目に遭うのはてめーの方だよ!」
拳が迫る。だが遅い。それを首を傾けるだけで避け――ようとしたのだが、その前に拳が眼前で止まった。
手首を横合いに掴まれている。
「エルドラに」
パキ、ぽきり。小枝を踏みつけたような音だ。
「触らないで」
ユウリが男の骨を砕いた……やりすぎでは?
何が身に起こったか分からない様子だったが、痛みがようやく脳に届いたらしく、時間差で叫んだ。
「――い、ってええええッ!」
折れた手をかばうように膝をつく。いい気味だ。
それを見たユウリがむしろ慌てた。
「……あ、ああ! ごめんなさい! つい力が入りすぎちゃって……!」
つい、で骨を折るのか、こいつ。ヤバすぎる。
倒れた男を仲間が心配した。
「お、おい大丈夫か――【巡れ血潮。流れろ。癒せ】」
驚いた。治癒術であった。
水属性の術式で、習得難易度は極めて高い。こいつらの装備は立派なものだが、圧倒的に経験値が足りていない。だから、そのような術式を扱えるのが不思議だった。
痛みが引いたようで男が立ち上がった。
「――ふ、ざけんなよテメェら! 女だからって許されると思うなよ……俺たちは、勇者だぞ!?」
更に、驚いた。驚きすぎて声も出なかった。
「……おいおい、どうした? びびってんのか。謝るなら今のうちだぞ」
本当にびびった。だって、
「――……弱すぎないか?」
「はあ?!」
異世界からやってくる勇者には、無条件に強力な恩寵が与えられる。それが戦士の心得もない一般人を英雄たらしめる由縁だ。でなければわたしがユウリに負けるはずもない。
でも、こいつらは
「……いやいやいや、嘘をつけ。お前らが勇者な訳あるか。だって、勇者ならもっと強いはずだろう。お前らからは、何の脅威も感じないぞ」
みるみるうちに自称勇者たちの顔が赤くなる。羞恥か、怒りのようであった。ぷるぷる震えて叫ぶ。
「てめえ、ぶち殺す! 後悔すんなよ!」
「ああ、やめておいた方が良い。ちょっと、ヤバい奴がいるから」
「何言って――ゲぴッ」
愉快な生態のカエルみたいな声を上げて、吹き飛ぶ。ユウリの拳が顔面に刺さったからだ。
「……大人しく帰らないって言うなら、ちょっと反省してもらおうかな」
◆
地獄絵図だった。
まさに、ちぎっては投げ、投げてはちぎり。酒場の外に自称勇者たちが積み重なったのもすぐだった。
店主と客たちの歓声。乱闘は良い肴になったみたいで、半端ではなく盛り上がっている。
男の一人が呻いた。
「――ぐ、うう……お前ら、覚えてろよ……」
「……まだ、反省してないなら――」
「ヒィっ!」
そこからはもう迅速。一斉に立ち上がって脱兎の如く駆け出す。
「――流石、勇者様! エルドラ様も、ありがとうございました!」
店主が感極まったように言う。
「? わたしは何もしてないだろ」
「いいえ。あんなばっさり文句言ってもらえて、胸がすきました!」
そういえば、何でわたしはあんなにイラついたんだろう。分からん。
「少しばかりの気持ちですが」と、酒のボトルを一本いただく。まあ、悪い気はしなかった。
「……エルドラは、やっぱりいい魔族だね。人のために怒ってあげて」
「なんだよ、いい魔族って。それより腹が減った。早く帰って『はんばーぐ』をつくってくれ」
「うん!」
日も沈みかけている。目当てのものだけ買い、帰路についた。
◆
夕食である。『はんばーぐ』もうまい。せっかくの頂きものだし、ボトルを開ける。晩酌だ。
「ええ? エルドラ、お酒飲めるの?」
「知らん、飲んだことない。お前も飲むか?」
「う、うーん。でも私まだ十七だし……」
「そうか、わたしは十五だ」
「じゅーご」
ユウリが目を丸くする。
「え、飲んでいいの?」
「別にいいだろ。酒は飲める奴が飲むだけだ」
わたしが飲めるかは知らないが。
「……じゃあ、私ももらおうかな」
「そうか」
ボトルを傾ける。ぶどう酒のようだった。食卓に赤の色どりが並び、少し気分が躍る。
ユウリが「かんぱーい……」と小さく言い、グラスに口をつけた。
「――ん、おいしい!」
釣られてわたしも飲む。確かに、うまかった。甘酸っぱいというか、料理に合う味だ。
どんどんボトルから赤が消える。どんどん飲む。『はんばーぐ』がうまい。飲む。消える。うまい。のむ。きえる。うまい――
朝だ。記憶がない。頭が痛い。
額を押さえながら起き上がる。ベッドの上にいるようだった。
「――う、水……」
のどが渇いていた。水分を求めて立ち上がろうとする。
そこでふと気づいた。裸であった。何で?
意味は分からないが、とりあえずベッドから降り――隣にも裸体があった。ユウリだった。何で?
◆
「――う、痛え……」
あの女にボコボコにされた後のことである。悪の勇者、ユウリを探しての旅であった。
旅の疲れを癒そうと酒場によって、楽しく騒いでいただけで、殴られ……あの暴力女、絶対に許せない。
逃げ帰る様に王国へ向かう道中、仲間の一人が叫んだ。
「ああ――っ! これ……!」
「何だよ、うるせえな」
その手には人相書きがある。王国に流布されている、悪の勇者が描かれたものだ。
捜索にあたり勇者ひとりひとりに配られている。
長い黒髪の女らしい。
そこで、何か頭に引っかかった。
「……んん? こいつ――まさか……!」
酔っていて気が付かなかったが、あの女にそっくりであった。
「あ、あいつが悪の勇者だったんだよ!」
「なるほど、合点がいったぜ! だから、勇者である俺たちを恐れて攻撃を……許せねえ!」
「でも、あの女ばか強かったぞ。どうすんだよ」
「決まってンだろ……帰って報告だ。勇者総出で、悪の勇者を討つぞ!」
悪は滅ぶ。正義は絶対。俺たちこそが正義なのだ。
目には目を歯には歯を、暴力には更なる数の暴力だ。
ついに正義の鉄槌を振るえる、と男は震えた。