11 新婚生活は大掃除の後で
「――何が『用法用量を守れば安全』だコノヤロー! 騙しやがったな!」
「お、落ち着いてエルドラ」
「落ち着けるかっ。ていうか、お前も死ぬんだぞ?!」
わたしの打撃で倒れたシドー。それに追撃しようとするわたし。それを抑えるユウリ。そういった構図だ。
「……う、うぐ。すみません、伝え方が悪かったです……何も即死する訳ではありません。一定の距離を離れると徐々に衰弱していって、最後には――」
「同じだろうが!」
やっぱりシドーの頭はイカれていた。あと“湖の賢者”とかいう奴もイカれてる。魔具じゃなくて呪具だろこんなもの。何が傑作だ。
「もとは夫婦の不貞を防止するための道具です。一生を添い遂げる覚悟をした二人が片時も離れることなく、死が二人を分かつまで――なかなか浪漫があるじゃないですか?」
ねーよ。
指輪を外そうと試みる。薬指から強引に引き抜こうとする――が、外れない。
別に接着されている訳でもない。触れられないのだ。周囲に薄い空気の膜ができているみたいで、直接に指輪へ到達することができない。
「……おい、外れないぞ。どうするんだ、これ!」
「解呪の方法はない事もないですが……当分は、内緒です」
解呪って言ったか? やっぱり呪具じゃねーか。
「しばらくはお二人で暮らしてみてください。きっと、村人たちもそう遠くないうちに理解してくれますよ、エルドラ様を」
シドーが良い笑顔を浮かべる。無性に腹が立つ顔だ。もう一度ひっぱたいてやりたい。
「では、私は診療所に戻らなければ」とだけ言い残して去っていく。それを呆然と見つめた。
「……どうしよっか、エルドラ」
「……どうするも、こうするも……――クソっ! まず、掃除だ! さっさと片付けるぞ」
もうヤケだ。諦観かもしれなかった。そういう気持ちだ。
それを聞いて、ユウリは何故か嬉しそうにしている。
「――うん!」
その背後に振り回される尻尾を幻視した。ユウリは、犬に似ている。
◆
生成術、と呼ばれる魔術がある。
有から有。無から有。何でもいい。何かを生み出す技術だ。わたしの魔導機生成もその一種である。
一般的には、火球や雷撃などの瞬間的に効力を発揮するものではなく、魔導機や土壁といった半永久的に残るものがそれに分類されている。
魔動機の生成術はわたしのもっとも得意とする魔術である。これだけは、誰にも負けない自信があった。
ゴーレムは良い。こいつらだけは話を聞いてくれるし(返事はできない)、従順だし、わたしを馬鹿にもしない。他属性の魔術と比べて燃費もいいから、魔力量の少ないわたしと相性ばっちりだ。
少しだけ、極めた絶技をユウリに見せてやろうと思う。
寝ているもぐらを起こすみたいに、つま先で大地を二度蹴る。
それで、生成。ぼこり、と土を掘り起こして、膝の高さ程度の大きさのものが五つほど出てくる。ゴーレムである。
ただし戦闘用のものではない。あちらは無骨で角ばった形状だがこのゴーレムたちは丸っこく、球体にそのまま手足が生えたような形をしている。雑用、偵察用のものである。
この位のものならば大した魔力も集中力も必要ないから、詠唱もいらない。
……実は、詠唱破棄はそれなりに高度な技術だ。生成術でそれを行える者をわたし以外に知らない。それが自慢だ。
「おおー」とユウリが驚いて拍手する……いや、本当はもっと驚くべき技術なのだ。だが、それを自分から言い出すのは気が引けた。
「……コホン。さあ、お前たちの仕事はこの屋敷の掃除だ。分かったな?」
ゴーレムは喋らないし、意思の疎通もできない。そもそもに意思がない。けれど、そのゴーレムたちは喜劇的に敬礼して返事をした。そういうふうに設計している。
てくてくと屋敷の中に入っていく。彼らにはチリを吸い込む機構といらないものを集める機構を即興で装着した。
だから、それ以外のことはわたしたちがやる必要があった。面倒だけどやるしかない。ため息を吐いた。
屋敷は二階建てであった。一階に居間、応接間、台所、風呂、厠。二階に寝室、書斎、それと物置のような部屋。
どこも荒れ果てていて、“湖の賢者”の生活がどのようなものか想像がつく――いや、ここまでいくと、もはや想像もつかない程である。
どの調度品も格式高そうな、高級感に溢れたものだ。そのくせ居間の椅子は何故かひっくり返って積みあがっている。
書斎の本は棚に収まっているものより床に散乱しているものの方が多い。
台所には得体の知れない用途不明の道具――フライパンから無数の包丁じみた刃が飛び出たもの。多分、呪具――が存在感を放っている。いや、よく見るとそこかしこに意味の分からない道具が散らばっていた。呪具屋敷である。
住居、というより巣、というより――何だろう。形容する言葉も浮かばない。強いて挙げれば魔窟、迷宮、そんな感じ。
先行させた五体がそれなりに頑張ってくれているから、歩ける程度には片付いた。それでも、この荒れ具合では住めるようになるのに時間がかかりそうだった。
「おーい。この食器棚、どこに置いたらいい?」
こういう時だけ勇者が役に立つ。自身の重みの何倍あるかも分からない家具を凄まじい速さで整頓している。
ふと気になったので訊いてみた。
「そういえば、その怪力と速度は恩寵なのか」
「あー……うん、らしいよ。“身体強化”だってさ」
恩寵、と呼ばれるものがある。遍く種族へ不平等に――十万、百万に一つ。その程度の確率だ――与えられる才能である。
例を挙げる。
オーレリア王国の初代国王は、光魔法を生まれながらに極めていたらしい。その恩寵で魔族を退け建国を成したと、嘘か誠か言い伝えられている。
人間だけの特権でもない。元来貧弱なはずのホビットでありながら、最強を称された剣豪がいた。見るだけで生物を殺す異能の魔王がいた。
歴史に名を刻む英雄の多くが、その身に宿す超常の才能。それが恩寵である。
ユウリの場合は、単純に膂力が強化されるものだろう。単純だからこそ弱点がない。
ただただ強靭く、疾いのだ。それを封じなければ倒すことも敵わない。
彼女たち、勇者がもといた世界には神が存在しないのだという。
だからそれを哀れに思ったこの世界の神によって、転移者たちには必ず強力な恩寵が与えられると、御伽噺ではそうなっている。
今は、模様替えのためにその能力を存分に振るってもらおうと思う。
「よし、それを運び終えたら今度はそっちの机だ」
「はーい」
人をあごで使うのはちょっとした快感だ。今なら他の四天王の気持ちが少しだけわかるな。
「――やっ……と、終わったー!」
ユウリが両手を掲げて喜ぶ。既に日も沈んでいる。とりあえずの掃除を一日で終わらせられて良かった。
ただ、問題が一つあった。
「じゃあ、どうやって寝ようか」
寝室にベッドが一つしかない。
ずぼらな“湖の賢者”のことだから、来客用の寝具なんか存在しないことは薄々感づいていた。
やはりベッドも高級そうで経年による劣化は見られない。ふかふかである。これで寝たい。
だから解決策もただ一つ。
「ユウリは床で寝ろ。わたしがベッドだ」
「え、い、嫌だ!」
「わがままを言うな!」
「ええ? 理不尽……」
項垂れる勇者。だが、わたしも鬼ではない。
「それが嫌なら、わたしがこしらえた別荘もあるぞ? 外を見てみろ」
そう言い窓を指さす。それに釣られてユウリが顔を出す。
「……豆腐じゃん」
なんだ知っていたのか。そう、トーフだ。
「いやだよ! せっかく綺麗に掃除したのに……詰めれば二人でも寝れるじゃん!」
確かに、二人どころか三人でも余りある程度の大きさである。だが、どうしてユウリと一緒に寝なければならない。
「……一応、私たち、新婚さんだし……」
そういえば、ユウリは馬鹿だった。雰囲気だけに流されている。
「結婚の真似事をしただけだ。それが二人で寝る理由には――」
「あーっ! 照れてるんだ。私にあんなこと言っておいて、結局自分もやらしい妄想してるんだ!」
「はあ? そんな訳あるか」
「ううん、絶対そうだ。女の子が二人で一緒に寝るなんて、お泊り会だったら当たり前だからねっ。妹ともよく一緒に寝てたし……!」
自分からまくし立てておいて、また顔を真っ赤に染め上げている……だが、たかが人間の小娘になめられっぱなしでは癪に障る。
「……そこまで言うなら、今晩だけはお前にもベッドを使わせてやる」
「え、ええ?!」
何故お前が驚く。
「わたしがそんな妄想をしていないことを、証明してやる!」
そう言い放ち、ベッドに飛び込む。やはりふかふかだ。
ユウリがわたしを見て立ち尽くしている。
「どうした。かかってこないのか?」
「え、あ、その――お邪魔します……」
そろり、とベッドに入り込む。そのままわたしに背を向けるように、端っこに収まった。
勝った。もはや何の勝負なのかも知らないが、再び勇者に勝利する。
その余韻に浸りつつ、夜を越すことにする。
◆
寝苦しさに目を覚ます。
視界が埋まっていた。勇者の胸であった。
クソが。なんて寝相だ。ベッドの端から転がってきて、わたしを抱きかかえるようにして寝息を立てていた。
むかついたから、叩き起こそうと思った。
「おい、ユウリ! 離れろ――」
「ごめん、エルドラ。ごめんなさい――」
驚いた。勇者から少し体を離して、顔を見上げる。寝ている癖に泣いていた。
「私のせいで、ごめ――」
寝ていようが、腹立たしい奴だ。だが、わざわざ怒る気にもなれなかった。
……今日だけは、許してやる。どうせ今晩だけだ。
舌打ちだけして、そのまま抱かれたままに目を閉じた。