10 それでは誓いの言葉を
「――あの、ごめんね? こんなことになっちゃって……怒ってるよね」
「……」
「うん、本当にごめん。全部私のせいだし……許してもらえるとは思ってないけど、ちょっとだけ許してくれたらなー、なんて……ごめん」
「……」
「あの、エルドラ。もしもし?」
「……」
「……」
みるみるうちに萎んでいくユウリ。雑魚が。
あの証明という名の公開処刑の直後のことである。わたしと彼女は、シドーに村の外へ連れ出されていた。
いや、厳密にいえばこの獣道じみた通りも村の領域らしいが、随分長い間手が加わっていないようで、もはや道であるかさえ分からない。進めば進むだけ茂り、時折顔に触れる枝や背の高い草がひどく鬱陶しい。
だが、それ以上にユウリが鬱陶しい。
あれから一言も口を利いていない。怒ってるからな。今のわたしは勇者に対してもそのような態度がとれる。
とりあえず彼女の表層は把握できた。ユウリは少しばかり強くてお人よしな、ただのバカだ。それが分かった。だから、もう怖くない。
それなりには負い目を感じているようで、監視される原因をつくったことについて謝罪された。謝って済むことでもない。だから無視している。カスが。
それに、一番肝心なことについてを謝られていない。
お前、『エルドラ―ンMkⅡ』で笑ったろ。それから刻んだろ。
舌打ちをした。勇者がちょっとだけ怯えて、ちょっとだけ愉快だった。
「……それで、シドー。わたしたちは何処に向かってるんだ。村人総出で監視するんじゃなかったか?」
わざと嫌味っぽく訊くが、シドーはそういう類の機微に疎いらしい。気にする様子もなく言う。
「ああ、あれは村人たちを納得させる方便ですよ。勇者様にそんなことするはずないじゃないですか」
本物の勇者はけしかけたくせに。
「彼らにも、あなたを知るための時間がいる。知らないものは怖いですからね」
「自分は知ってるみたいな口ぶりだな」
「ええ。エルドラ様は、自分の身も顧みず他者を助ける、善人です。それだけ知っていれば十分」
シドーの目は腐っている。四天王だぞ。元だけどな。
「いま向かっているのは“湖の賢者”の別荘です。そこに用があります」
「“湖の賢者”ぁ? 誰だそいつ。会ってどうする」
「ああ、いえ。彼女は随分と前に亡くなっています。用があるのは邸宅の方ですね」
「そろそろ着きますよ」と言い、草木を掻き分け進んでいく。ユウリはへこんだままだ。ざまーみろ。
まだら模様にしか日光が差し込まない森。その薄暗さにようやく慣れてきた頃、前方が輝いた。
息を呑む程の美しさ、というのはいささか陳腐な表現かもしれないが、確かに息を呑んだ。
陽光が跳ねる湖畔。鏡面じみて静かで、そこだけ時が停止している。湖の周囲は森が切り拓かれていて、遮るものもない。ただ、慎ましやかな屋敷だけがあった。
水辺を背にするように建てられた木造のそれは、なんとも趣のある造形である。漆塗りの上品な外装は自然との調和がとれていて、目に映る光景はさながら絵画のようであった。
「わあ、すごい」とユウリがはしゃいで駆けていく。先程までの憂いも無い、子供のように幼稚な精神である。
「なかなか良いところでしょう」
「――……ああ、そうだな」
わたしにしては珍しく、素直に言う。その程度の価値はあった。スローライフの立地としては満点だ。そのようなわけにもいかないが。
「こちらに目当ての道具があります。それから、お二人にはこの屋敷で暮らしていただきたい。村人もまだエルドラ様を怖がっていますから、こちらで暮らす方が双方にとって都合がいいでしょう」
「……はあ? 監視はどうなった」
「すぐに分かりますよ」
シドーの言うことは良く分からない。村からそう離れている訳でもないが、辺りに他の住居はない。監視の目が少なければ必然に出し抜く機会も多くなる。ユウリだけであれば、寝ている隙に逃げ出すなど、逃走は容易であろう。
シドーは疑問には応えず、そのまま進む。それに追従して屋敷の目前まで歩む。間近で見ると更によく分かる、素晴らしい出来栄えであった。
乾いた木目は歴史の貫禄を感じさせるが、決して古臭くはない。玄関口へ続く階の波打つ手すりには、細部までの拘りが見える。悔しいが、わたしの建築魔法では足元にも及ばない匠の意匠があった。
「少し、探してくるので待っていてください」
探す、とは何かを尋ねようとしたが、それを待たずに玄関の扉を開いた。
蝶番が軋み、重厚な両開きが動く。
そこで内装が目に映る。わたしは驚いた。
きったねえ。
外観からは想像もつかない魔境である。
本やらフラスコやら倒れた椅子やら、用途すら分からない謎の道具まで、乱雑に床に配置されている。
それらの上にほこりが溜まり、まるで雪国のような景色だ。
流れ出てきた腐った空気を吸い込み、激しく咳き込む。
シドーはそこへ躊躇なく飛び込み、ごみの間を縫って器用に進んでいった。慣れた様子であった。
湖にはしゃぐユウリを尻目に、しばらく待つ。
ほこりまみれになって帰ってきたシドーは、手のひらに収まる程度の箱を二つほど持っていた。
一つを、わたしに渡す。
「何だこれ」
「開けてみてください」
怪しい。見た限り、箱自体は変哲の無いものだ。革張りで手触りは良い。
恐る恐る開ける。
「……指輪?」
箱に収まっていたものも一見して変哲の無い、ただの指輪。
銀か、白金か、そのような月白の輝きだ。華美な装飾もない、ただの円形である。
よく観察すると、その輪の内側に術式が刻まれており、何らかの効力を持った魔具であることは分かった。
シドーがユウリを呼び、もう一つを渡す。
「これは“湖の賢者”の傑作、『誓いの指輪』です。これさえあれば過度な監視も必要ありません」
説明を始める。この男がもとより胡散臭い雰囲気であるから、それすらもどこか嘘のように聞こえる。
「『百聞は一見に如かず』と言いますし、やってみましょうか」
こいつはもう何を言っても怪しい。
「指輪をお互いの左手薬指にはめてください」
「えっ」
驚いたのはわたしではない。ユウリだ。今の説明に思うところでもあるのか、シドーをまじまじ見つめた。
「――え、あの、それは、そういった意味で……?」
「はて、そういった意味とは、なんでしょうか」
そういった意味ってなんだよ。
シドーがとぼけたように言う。……やっぱり怪しい。何かを企んでいるようだ。
「おい、シドー。どういうことだ? ……何か危険でもあるのか」
「いえいえ、とんでもない。用法用量を守れば、なんてことはない魔具ですよ」
……今度は、ユウリに訊く。
「ユウリ」
「は、はいっ!」
かしこまったように、背筋を伸ばして言う。最初とは逆の立場みたいだった。
「……何だ、これは。どういう意味がある」
「えっ……と。なんていうか、こう、将来を誓い合うと、言いますか、支えあうと言いますか……」
途切れ途切れ、徐々に語勢が弱まる。やはり信用ならない道具である。
「……わたしは嫌だぞ。こんな得体の知れないもの――」
「でも、そうなると村で監視されながら暮らすしか選択肢が無くなりますが、よろしいですか?」
決してよろしくはない。嫌すぎる。
……少し、状況を整理する。
俯いて考える。
まず、村からはやすやすと出られそうにはない。勇者がいて、村人の監視がある。
だが村で暮らすのは、死にはせずともスローライフとはかけ離れたものだ。
わたしに残された選択肢は二つ。
それを受け入れて村で死んだように暮らすか、未知の魔具を受け取ってこの(外観だけは)情緒ある屋敷で暮らすか……一応、やぶれかぶれに脱出を試みるという手もあるが、まあ、無理だろう。
土地自体は申し分ないものだ。綺麗で、静かで、ユウリがくっついていなければ完璧だ。
しかし、村で暮らそうともユウリはくっついてくる。
……だから、答えは決まった。
ため息を吐き、シドーに向き直る。
「……分かったから、使い方を早く教えろ」
「ええっ?!」
ユウリが騒ぐ。さっきから何なんだ。
「えっ、いいの? 大事なことだよ?! もっとしっかり考えてからじゃないと……!」
「いや、考えたよ……何をそんなに嫌がってるんだ」
「い、嫌とかじゃないけど、だって……これ、けっこん……」
そのまま、湯気が見えるほど顔を赤くして、俯く。
けっこん? ケッコン。血痕。……何だ?
「そうですね。婚礼の儀に使用されることもあります」
シドーが淡々と言う。
ああ、婚礼の儀。結婚か。……それだけか?
俯くユウリを、下から覗き見る。目の焦点が定まっていない。瞳が潤んでいる。
……絶好の、反撃の機会だと思った。
「――……へえええ。結婚のための道具か。成程なあ」
やばい。にやつきが抑えられない。
ユウリがわたしから逃げるように目を逸らす。
「えっエルドラは嫌じゃないの?! だって、心の準備が、……恥ずかしくないの……?」
初心なことを言う。
そもそも魔族に結婚という概念はない。交わり、子を成すだけだ。
愛なんて存在しない。だから、それを確かめ合う儀式も必要ない。それに、わたしと勇者であれば構造的に子を成すことなどないから尚更だ。
ユウリが慌てふためく。ひどく可笑しい。
「いやあ、わたしは嫌とか恥ずかしいとか言ってる場合でもないからなあ」
後ずさるユウリを、一歩一歩詰める。
「そもそも、何が恥ずかしいんだ? 結婚の真似事をするだけだろう? ……まさか、接吻やら営みやらの想像でもしたか?」
「ち、違うっ!」
ぐるぐると回る視線の先に、わざと回り込んでやる。
それだけでユウリが目を回したようにふらつく。
控えめに言って、最高に愉快だ。
「いいや、違わない。お前はいやらしい、淫靡な女だ!」
「――う、ううぅ――っ!」
なんか、勢いでわたしの方もとんでもないことを言っている気がする。
だが、楽しすぎる。
あの勇者が、こんなにも脆弱だ。
そこで、ユウリが膝を抱えてうずくまり、動かなくなる。わたしの完全勝利である。
「……じゃれ合いは、もう終わりましたか?」
シドーの声で我に返る……わたしも少し恥ずかしいぞ。
「あ、ああ」
「――う、違う……いやらしくない……」
よろよろと、ユウリが立ち上がる。その様子は笑えた。
「さ、さあ。さっさとやってしまおう。使い方を教えてくれ。まず、指輪をはめるんだったなっ」
無理やりユウリの手を引く。小さく悲鳴を上げる、が抵抗はしない。
「ほ、本当にいいの?」
「しつこい!」
そのまま指輪を薬指にはめる。何の引っ掛かりもなく、するりと通る。
「お前の番だ」
「え、う、うん……」
左手を差し出す。それをユウリが下から包み込み、残る片手で指輪をはめようとする。
しかし、その手が震えていて思うように指輪がはまらない。
「……おい」
「ごっごめん。緊張しちゃって……」
もどかしくなって、その手を掴んで無理やりはめさせる。また勇者が悲鳴を上げた。
「それで、ここからどうするんだ?」
「はい。私の言葉に続いて、『誓います』と見つめあいながら言ってください。それで完了です」
簡単な儀式だ。それさえ終われば、とりあえずましな暮らしができる。
ユウリの方を向く。未だに、林檎と見紛うほどの赤さであった。
「では……『病めるときも、健やかなるときも、死が二人を分かつまで愛し、慈しみ、貞節を守ることを誓いますか?』」
――そういえば、いつもあった羞恥心がない。
ユウリと目が合っているのに、あの惨めさがない。それに気づいた。
何故かは知らない。
多分、ユウリを完全に格下に認定したからだな、と結論付けた。
「――誓います」
「ちっ、誓いまひゅ!」
勇者が噛んだ。だが、儀式は成功したようであった。
指輪の輝きがほんの一瞬だけ増し、また元に戻る。それだけだった。
「……これで終わりか。どういう効果なんだ?」
『誓いの指輪』という名だから、恐らく何かしらの誓約を課すものだろう。だが、見当もつかない。
「大体、ここから村までの距離くらいですかね」
「……なんの話だ」
「指輪の有効範囲ですよ」
そのまま、笑顔で言う。
「お二人がそれ以上の距離を離れると、死にます」
とりあえず、助走をつけてシドーを殴った。