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ヒルコの最後

守護霊お美津~  の完結編です。

よろしく!!




         11、ヒルコの正体


 お美津さん……。お美津さん……。お美津さん……。オレとお美津さんは……。

 充輝は夢うつつだった。現実と夢との狭間でお美津さんを想っていた。

 オレは江戸に生まれ、火消人束をやっていた。オレとお美津さんはお救い小屋で出逢って……。

「絶壁、おい、絶壁!」

 三左衛門がベッドに横たわっている充輝に声をかけた。

「いつまで寝ているんだよ、絶壁」

 三左衛門が充輝の身体を揺り動かす。

「よせよ。そんなことしたら」

 宰三が止めた。

「そうよ、この人は化け物をやっつけたヒーローさまなんですからね。大事にしなくちゃ」

 亜希子ちゃんの頬が膨れた。

「そうだよ。乱暴だよ。気が付くまで寝かせておいてあげてよ」

 博之が目をしょぼしょぼさせた。充輝はウメズとの戦闘の後、丸二日間眠り続けていた。そんな状態の充輝の身体を揺り動かすことなど、気の優しい博之には到底考えられないのだろう。しょぼしょぼした目から、涙がこぼれ落ちそうになっていた。

「大丈夫。大丈夫だよ。医者はどこも何ともないと言っている。そうだろう絶壁」

 三左衛門は、眠り続けている充輝の顔を覗き込んだ。

(こんなことで、まいってしまうおまえじゃあないだろう……。いい加減、目を覚ませよな。おまえがいないと、俺、寂しいよ……。おまえと俺は……)

 充輝がいきなり起き上がった。充輝の顔を覗き込んでいた三左衛門の鼻と、充輝の頭がぶつかる。

「いてぇえ~ なんだよ、いきなり起き上がるなよ」

 三左衛門が顔をしかめた。充輝も三左衛門と同じように顔をしかめている。

「起きるなら、起きるといってくれよ。この断崖絶壁。絶壁、絶壁、断崖絶壁」

 と、言って、三左衛門が抗議した。

「なんだと、この時代錯誤」

 充輝がやり返す。

「時代錯誤とはなんだ。時代錯誤とは。大体おまえはなあぁ」

 三左衛門も負けじと、やり返した。

「時代錯誤だから、時代錯誤なんだよ。この時代錯誤~」

 充輝の執拗な、からかいは止まらない。

 この二人。なにもこんな時に、子供のようなそんなみっともない言い争いなどしなくてもいいのに……。いや、こんなときだからこそ、お互いをけなし合っているのかもしれないkれども、とにかく、見ていてもっともないので…………。

「おまえら、よせよ。ここをどこだと思っている」

 と、宰三が制止する。充輝と三左衛門が二人一緒に……。

「だって、こいつが」

 と、お互いに指をさすと、

「いい加減にしろっ」

 と、宰三が怒った。

 いつもふざけているようでも、そこは超研の部長である。静かにしていなければならない病室で、大きな声を出して、じゃれ合う充輝と三左衛門を、黙ってみているわけにはいかないのである。

「気がついて良かったですね」

 と、隆が言う。

「本当、どうなることになるのやらと思った」

 博之が胸を撫でおろした。

「心配しないの。この人はヒーローさまなんですからね。必ず、甦るのだ」

 亜希子ちゃんが博之の背中をこずいた。

 充輝は観光船すかしゆり船上での戦闘の後、氷川総合病院に収容され、六人部屋の病室で、治療を受けていた。その六人部屋の病室に、超研のメンバーが見舞いに来ていたのであった。

「美佳さんは?」

 充輝が聞く。

 矢田美佳は海にその身を投げたが、三左衛門と宰三によって助けられはずである。助けられた美佳はどうなったのであろうか?

 無事でいればよいのだが……。

「残念だけど、美佳さんは生死の境を彷徨っている……」

 宰三が言った。

「なんだって!!」

 充輝はウメズが残した最後の言葉を思い出した。

(美佳の守護霊お美津は消え去った。お美津が亡き後、美佳の魂は、もうヒルコさまのもの……。ヒルコさまは美佳の人身供儀によって、甦る……)

 ウメズが苦悶しながら言った呪いの言葉。真実ならば、美佳による人身御供は成就され、ヒルコが甦ることなる。

「美佳さんは、集中治療室で治療を受けている。意識がなく、いつ亡くなってもおかしくない状態だそうだ」

 宰三が言った。

「まだ、望みがある。死んでいなければなんとかなる」

 充輝は自分に言い聞かせるように言った。

 命があるならば、魂を取り返せることができる。肉体は魂の(うつわ)にすぎない。魂さえ取り戻すことができれば、美佳は生還するだろう。問題は魂を取り戻す方法だが。

「美佳さんのことで、ちょっと気になることがあるのですが」

 隆が言った。

「なんだ、言ってみろ」

 と、充輝が言う。

「美佳さんの現在(いま)の父さんと母さんは、美佳さんの本当の両親ではないという話があるのです。十七年前、児童養護施設の玄関先に、こっそりと置いて行かれた捨て子を、いまの両親がもらって育ててきたという話なんですが」

「両親が実の親ではない!? どういうこっちゃ」

 三左衛門が口をはさんだ。

「ええっ、美佳さんは矢田家の実子ではなく、十七年前焼け落ちた神社の一人娘だと言うのです」

「その情報源はどこ? どこからそんな情報が得られたの? あんた探偵じゃあないでしょう」

 亜希子ちゃんが質問する。いくらネットが普及し、情報が溢れかえっていても、個人のプライバシーがそうそうたやすく手に入るわけがない。

「SNSに書いてあるっていうの? まさかでまかせじゃあないだろうね」

 亜希子ちゃんは、腰に手をあて、隆を威圧する。

「でまかせじゃあ、ありませんよ。でまかせじゃあ」

「でまかせじゃあないなら、どこから仕入れたネタなの?」

「実は、僕の叔父さんからの情報なんですが……」

 隆の叔父さんは、美佳の父親と同じ市役所に勤めていた。二人は竹馬の友という古い表現が似合う親密な間柄だった。ともに仕事をし、プライベートでも親しかった。もちらん、矢田家のひとり娘、美佳のことも知っていた。観光船すかしゆりの事件で、美佳が、その事件に巻き込まれたことを知った隆の叔父さんは、同じすかしゆりの船上に、隆が居たことを後で知り、疑問に思ったことがあった。

 隆の叔父さんは言った。

「おまえ、超研という不思議な現象を研究するクラブに入っていただろう。超研のおまえが()()()にいて、事件が起き、課長の娘が自殺未遂を起こした。これは偶然じゃあない。絶対何かあると思うんだが」

「何かあるって何ですか、叔父さん?」

「とぼけるなよ。課長は隠しているけれど、美佳ちゃんはこれまで何度も自殺未遂を起こしているという話なんなんだろう。何度も死の淵に立っている。何度も危ない目に遭っているのに、これが不思議と助かっているんだよ」

「僕には、よく分かりませんが……」

「だから、とぼけるな。ガス自殺を企てたり、ビルから飛び降りたりする人間が、そうそうたやすく助かるもんか。超常現象。超常現象が美佳ちゃんの周辺(まわり)で起こっているから、美佳ちゃんが助かっているんだろうが。俺はこう見えても超常現象に興味があるんだよ。俺はおまえの叔父でもあるわけだからな」

「超常現象と言われても……」

 叔父に、これまで起こった出来事を話していいものなのか。

 超常現象に興味があるとは言っているが、恐らく、興味本位でしかないだろう。そんな叔父に、いきなり怨霊の話をしていいものかどうか。

 隆は目を泳がせた。

「まっ、いいか。話したくなければそれでもいい……。それでもいいが……。おまえ知っているか。美佳って娘、実は課長の本当の娘じゃあないっていう噂が昔からあるんだ。十七年前、御前の岬にあった神社が焼け落ちてな。赤ん坊だけが生き残ったという話なんだが……」

「その赤ん坊が、美佳さんっていうわけですか」

「課長は、親友の俺にも隠してはいるがな、間違いない。大人が全部焼け死んで、赤ん坊だけが生き残った……。これも不思議な話だろう。御前の岬にあった神社は鮑劉神社といってな……」

 火事を起こした神社は、鮑劉神社(ほうりゅうじんじゃ)と言った。古くから恵比寿様を祀った神社として知られていた

 御前の岬の北方にあった高台に建てられていた鮑劉神社は、杉林に囲まれた二百段ほどの石造りの階段を上り、ほとんど装飾が施されていない鹿島鳥居をくぐり、六つほどの灯篭を間を歩いた先にあった。

 鮑劉神社では、十年に一度、百年に一度の特別な秘儀が行われていた。それは禍々(まがまが)しい魂を鎮魂させるための秘儀だった。火事があったその日は、百年に一度の特別な秘儀だった……。

「禍々しい魂って何だ? 叔父さんは何だと言っていた」

 充輝が聞く。 

「禍々しい魂……。人に災厄をもたらす元凶……。叔父さんは、それをヒルコって言っていました」

 隆が応えた。

「ヒルコだって!!」

 充輝が驚く。

「ええっ、ヒルコです。大杉の事件にもヒルコが絡んでいます。大杉が最後に言った言葉を思い出してください」

 死んでから悪霊になった大杉は、美佳をヒルコに捧げることにとって、再び、肉体を手に入れようとしていた。その大杉が最後に言い残した言葉もヒルコだった。

「大杉の最後の言葉……。ヒルコか。大杉もそうだが、ウメズもその名を口にしていたな」

 充輝が言った。

「ええっ、すべてはヒルコが操っていたと言っても過言ではないでしょう」

「それで、ケンサクちゃん。ヒルコについて何かわかったの? 当然、調べているんでしょう」

 亜希子ちゃんが聞く。

「一般的に古事記などの書物で知られているヒルコは、日本創生の神であるイザナギノミコトとイザナミノミコトが夫婦の契りを交わした後、生まれた最初の子供だと言われています。この最初の子供は骨がなく、ぶよぶよした醜い状態で生まれてきた子供だったため、イザナギとイザナミは葦の葉に浮かべて、川に流しました」

「ええっー 可哀そうよ。いくらなんでも実の子供でしょう。生まれたばかりの赤ん坊を葦の葉に浮かべて流すなんて、酷すぎるわ。酷すぎるわよ」

 亜希子ちゃんは、隆の腕を思いきり叩いた。

「な、なにも僕にあたらなくても……」

 隆は、亜希子ちゃんから二歩ほど歩いて、非難した。

「それで、どうなったんだい。その赤ん坊は?」

 充輝が聞いた。

「浜に流れ着き、それからしばらくすると、恵比寿様として崇められるようになったという話があります。

 ……昔の漁師は浜に流れ着いたものを、ありがたいものだと言って崇める風習がありました。浜に流れ着くものは、それなりに役にたつのもあったし、新鮮な魚が大量に上がった時もありました。死んだばかりのクジラが浜に上がった時は、村人総出で祝ったらしいです」

「それで、なんでヒルコが恵比寿となったの?」

 亜希子ちゃんが質問する。

「昔の地方の漁村では、クジラやサメ、フグなど、滅多に浜にあがらない貴重なものを、エビスと呼んでいました。神が民のために、流し、浜にあがったものとして、崇めていたんです。イザナギとイザナミはヒルコを浜に流しました。神の子、ヒルコを恵比寿様として崇めたとしてもおかしくはありません」

「そういえば、漫画家にも蛭子(ひるこ)と書いて恵比寿という奴もいたな」

 博之が言った。

「おう、俺っちも知っているぞ。蛭子はヒルコとも言うし、エビスとも言う。案外、そう言うようになったのは、そういう事実があったからかもしれないな」

 宰三が訳知り顔で言った。

「部長は、そういうことは詳しんですね」

 と、三左衛門が言った。

「大杉の事件の後、俺っちなりにちょいと調べたんでな」

「さすが、部長」

 三左衛門がゴマをする。

 宰三はだてに超研の部長をやっているわけではない。隆のようにネットを駆使して物事を調べているわけではないが、事件が起こると、それなりに超常現象に関する本や、情報をどこからか仕入れてきているのである。

 漫画家の蛭子さんと、今回の事件、何のつながりはないとは思うが……。

「鮑劉神社は恵比寿様を祀っていた神社ですが、実は、恵比寿様を祀った神社は全国各地にあって、鮑劉神社もそのうちのひとつ過ぎません。ただ、鮑劉神社に伝わっていた恵比寿信仰は、ちょっと変わっていて……」

 鮑劉神社に伝わる恵比寿信仰……。いやヒルコの伝説は人々に災厄をもたらすものだった。

 人々の果てしなき欲望が、他の種族の生命を蝕み、滅ぼさんとするとき、大悪霊のヒルコが甦る。ひとりの穢れなき乙女の人身供儀によって復活したヒルコは、絶望的な猛威を振るい、人々を滅ぼさんとするだろう……。

「なんじゃいそれっ。他の種族の生命って、犬とか猫とか……。ライオンとかサイとかか」

 と、三左衛門が言った。

「ええっ、ヒルコは、人がこの地球上の生き物を滅ぼさんとするとき現れ、人々に災厄をもたらすと伝えられています」

 隆が言う。

「人が、この地球上の生き物を滅ぼすってかー そんなことあるかい。人が他の動物たちを滅ぼすなんて。そうだよな、博之」

 三左衛門が、博之に同意を求めた。

「そうですよ。いくらなんでも、人が動物たちを根絶やしにするわけないですよ」

 と、博之が言う。

「本当にそう思っているんですか。いいですか聞いてください。ここ数十年の間、一体どれだけの数の種が絶滅していたと思っているんですか?」

 隆が言う。

「俺に聞かれてもなあ~ おい、おまえわかるか」

 三左衛門が博之に話を振る。

「分かりません。分かりませんよそんなこと。UFOのことならなんでも応えることができると思いますけれど、生き物の絶滅の話だなんて……」

 博之がため息をついた。

「どれくらいだ。どれくらいの数の種が絶滅したんだ」

 充輝が隆に聞いた。

「四万種ですよ。四万種以上の生物の種が、この地球上から消えていっているんですよ」

「四万種!?」

 三左衛門が何か悪いものでも食べたような顔をした。

「そういえば、テレビでもやっていたな。太平洋のクロマグロが絶滅危惧種にされたとか、このままウナギの数が減り続けると、夏にウナギが食べられなくなるとか……」

 と、宰三が言う。

「ええっ! ウナギが食べられなくなるの。わたし、ウナギ大好きなのに~ 困っちゃうわ」

 亜希子ちゃんが両手の掌を頬にあてた。

 ここ数十年の間に絶滅していった動物たち……。

 カリブ海の住んでいた黒く光る光沢が美しいモンクアザラシは、その脂肪を機械油などに使おうとする人たちによって滅び、ガラパラス諸島に住んでいたピンクゾウガメは、最後の個体ロンサムジョージの死亡により絶滅が確認された。人々に愛嬌をふるまっていた揚子江のイルカは、二00七年頃絶滅し、密漁のために、西アフリカのサイは二0一一年に絶滅。二ホンアシカの最後の個体は一九七四年に発見された赤ちゃんだった。

 これらの動物たちは、ここ数十年の間に滅んで行ってしまった動物たちの一部に過ぎない。

 これらを含む多くの種族が、おのれの非を顧みない一部の人々の手によって次々と、この世から消えていったのである。

「あいつ……。二ホンカワウソのあいつは、仲間が人に乱獲されて滅びたと聞いて、嘆いていたな」

 と、宰三が言った。

 あいつとは、大杉の事件の後、充輝たちの前から姿を消したカワウソの聖獣太助のことである。

「あいつは必死に修行をして聖獣になったんだよな。仲間が人間の手によって滅ぼされたのを知らずに……」

「まだ滅んで行ってしまったとは、限らないさ」

 充輝が宰三の目を見て、言った。

 二ホンカワウソは一九七九年、高知県で目撃された後、姿を消した。その後、一九八六年には二ホンカワウソらしき幼獣の死体が見つかった。二0一七年一二月長崎の津島で生きた成獣の二ホンカワウソが発見されたが、この津島で発見された二ホンカワウソは、韓国から流れ着いたユーラシアカワウソではないかと言われている。対馬で発見された二ホンカワウソは本物の二ホンカワウソかユーラシアカワウソか定かではないが、もし、津島で発見された二ホンカワウソが、本物の二ホンカワウソならば、絶滅していたとは言えないだろう。絶滅に限りなく近いが……。

「鮑劉神社が、十年に一度、百年に特別な秘儀を行っていたのは、そのヒルコの魂を鎮めるための祀りだったんだな」

 宰三が言った。

「ええっ、秘儀は成功しましたが、その時起きた火事で、鮑劉神社は跡形もなくなりました」

 隆は言った。

「神社は無くなったけれど、ヤマト一族の末裔でる美佳さんは生き残ったわけだ。美佳さんはヤマト一族の末裔何だろう? おまえ、前に言ってただろう。御前の岬にはもう一つの伝説があるって。悪霊の魂を鎮めたヤマト一族の伝説があるって。美佳さんはその一族なんだろう」

 充輝が聞く。

 悪霊たちが美佳の命を狙った理由。ヒルコへの人身供儀は、穢れなき乙女であれば誰でもいいわけではなかった。怨霊の魂を鎮め、ヒルコの復活を防いできたヤマト一族の血を受け継いだ美佳でなければならなかったのである。

「入るよ」

 ドア越しに男の声が聞こえた。返事をする間もなく、一人の男が二人の警官を引き連れて病室に入ってきた。

「手塚さん」

 宰三が言った。警官を引き連れて病室に入ってきた男は手塚だった。

「目覚めたのか。二日ぶりだな。もっとも人のことなど言えやしないが……」

 ウメズに憑依され、すかしゆりの甲板上で気を失っていた手塚が目を覚ましたのは昨日のことだった。

「おい、おまえら知っていることを、全部俺に話せよ」

「言っても手塚さん……。全然信じないでしょう」

 充輝が言った。

「ああっ、悪霊だの守護霊だのそんなオカルト話は信じない。けれど、あれはなんだ? 海に現れたあの化け物は。おまえら何か知っているだろう」

 氷川湾を遊泳する観光船すかしゆりを襲ったウメズの映像は、乗り合わせた乗客らのスマホなどによってネットなどに流されていた。手塚は、ネットなどに配信された映像によりウメズのことを知ったのであった。

「あの怪物はウメズという悪霊の化身です。手塚さん、本当に何も覚えていないのですか?」

 隆が言った。

「知らん。なぜ、すかしゆりに乗っていたかも覚えとらん」

「本当にですか?」

 三左衛門が、手塚の顔を覗き込んだ。

「くどい! 知らぬものは知らん」

「手塚さん、手塚さんはウメズに身体を乗っ取られていたのですよ。いわゆる憑依という奴……」

 と、三左衛門が言う。

「憑依だと。俺があんな化け物に身体を乗っ取られていたというのか!」

 氷川市総合病院でウメズに身体を乗っ取られた手塚は、その後のことは何も覚えていないようだった。

(俺が霊に……、俺が霊に憑依されただなんて……)

 手塚は悶絶しそうになった。

 携帯無線機が鳴った。手塚の横にいた警官の無線機だ。

「警部、本署からです」

 警官は手塚に携帯無線機を手渡した。

「なにぃ~ 御前の岬に身長三十メートルを超す化け物が現れたって!」

 手塚は思わず大きな声をあげた。

「きっとヒルコです。ヒルコが現れたんです」

 隆が言った。

「ヒルコだと!!」

 宰三が口をへの字にする。

「本当に現れやがったのか。最悪の悪霊が」

 と、三左衛門が言った。

「あの時、美佳さんは悪霊たちに魂を乗っ取られてしまいました。海にその身を投げてしまったのです。ヒルコは清純な乙女の人身供儀によって復活すると言われています。美佳さんが海に身を投げたことによってヒルコ復活の人身供儀は成就してしまったのです」

 隆が、そう説明する。

「ちょっと待てよ。美佳さんが自殺未遂を起こしたのは今回ばかりじゃあないはずだ。前にも何回となく自殺未遂を起こしていると聞いている。なぜ今回に限ってヒルコが復活したんだ?」

 宰三が聞く。

「おそらくウメズとの戦いの途中で、お美津さんが消えていったからでしょう。お美津さんの加護がなくなった美佳さんの魂は……」

「悪霊に乗っ取られたと言うのだろう……。もういい、分かった」

 充輝は、おのれの不甲斐なさを恥じた。

(あの時、オレがもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかった)

 お美津さんは、前世であはオレの恋人だった。オレは鉄蔵と呼ばれ、江戸の町で火消人束をやっていた。お美津さんは、オレの大事な人だった。

(オレのせいで、お美津さんはいなくなり、美佳さんが危篤状態に陥っている。オレがしっかりしていれば、こんなことにならずに済んだのに)

 充輝は拳を握った。

 


           12、ヒルコ復活


 ヒルコは人によって滅ぼされた生き物たちの怨嗟が生み出した悪霊である。

 耳まで裂けた口蓋が日本狼のそれであり、黒々とした剛毛で覆われた筋肉隆々の身体は、ヒト科動物最大と言われたギガントピテクスを思わせる。左右の逞しい腕の肘の部分にはねばねばした黄土色の無数の触手があり、腰から下は四つ足で、臀部から生えている三つの長いまだら模様の尻尾の先は蛇の頭だった。

 身長三十メートル以上に巨大化したその姿は、かつて悪魔、妖怪、化け物、と忌み嫌われた者よりも、禍々しく恐ろしい存在だった。

 ヒルコの復活が雷雲を呼んだのであろうか。

 晴天の大空に、黒い乱層雲が出現した。見る間に辺りを包み込んでゆく。墨のように黒くなった世界に、稲妻が光り、腹の底に響く轟音が鳴った。

 ヒルコは雄叫びをあげた。ヒルコの咆哮は闇に蠢く肉食獣の唸り声と、地を走る草食動物たちを狩る猛禽類の鳴き声を合わせたような響きだった。

 ヒルコは猛牛の四つ足を思わせるようなそれを使って、一気に御前の岬の展望台にある大駐車場に躍り出た。人々の悲鳴が上がり、人の群れが他人を押し退けて、我先に逃げ惑った。急発進した車が、塀や他のクルマに突っ込んだ。数台のクルマが炎上し、その傍らで、子供がわけもわからず泣いていた。

 二台のパトカーに分乗して、現場に乗り込んだ手塚と超研一向は、ヒルコのおどろおどろしい姿に肝を冷やしていた。

「おいおいヤバイよ。こいつは」

 パトカーの車窓から顔を出した三左衛門が言った。

「ウメズもヤバかったけれど、こいつは想像以上だな」

 宰三が、パトカーから降りながら言う。

「ラスボスはもの凄い怪物に決まっているでしょう。でもさ、こいつを倒したら終わりなんだから頑張ってねえ」

 亜希子ちゃんが宰三の肩を叩いた。

「僕、帰ろうかな~ 」

 パトカーから降りた博之が、パトカーの後方に隠れた。

「充輝くん、油断しないでください。あの怪物を倒せるのはあなただけなんですからね」

 と、隆が言った。

「がっはははっは。オレは浄魂の剣の持ち主なんだぜ。こんな化け物、ひとひねりで倒して見せる。けど……」

「けど……、何だ?」

 三左衛門が尋ねた。

「倒しても、お金が稼げないじゃん。ゲームのように、お金がドバーっと入ってくれば面白いけどな」

「おまえなぁー 」

 三左衛門が、目を細める。

「なんあだ?」

 充輝がとぼけると、

「馬鹿なことを言っている場合かーっていうの」

 と、三左衛門が充輝の頭をこずいた。

「だいたい、おまえはだな……。ん!?」

 三左衛門が充輝の脚を指さした。見ると、充輝の脚がガクガク震えている。

「気、気にするな。こいつは武者震いというやつだ。武者震い、武者震い、がっはっはっはははっ」

「武者震いねえ~」

 三左衛門はしっかりしろよと言いたげに、充輝の脚を手で思いきり叩いた。

「いてえな。なにをする」

「気合を入れてやったんだ。その武者震いっていう奴に」

「そんなことをしなくても大丈夫だ。わっはっはっははっ」

 充輝は追いつめられると、笑って誤魔化すクセがついたらしい。切羽詰まった時に笑うなんて、なんとも不謹慎な話なのだが。

「警部、この子たちは? こんな所に連れてきて大丈夫なんですか」

 現場にいた警官が、手塚に聞く。

「聞くな……。俺が全責任を持つ」

 手塚がそう言い切った。いちいち説明するのが面倒くさいのだろう。いや、ことは緊急を要する。あれこれ説明している場合ではない。

「全責任を持つと言ったって……。民間人に怪我でもされたら」

 この現場にいる警官たちが、心配するのは当然のことだろう。

 身長三十メートルを超す化け物が目の前に出現しているのである。化け物は、破壊と殺戮を行い、周りは地獄絵図と変わり果てている。こんな所に民間人を、それも子供たちを連れてくるなんて、何を考えているのだろう。

「おまえ、見なかったのか?」

 手塚が警官に問う。

「なにをですか?」

「氷川湾。氷川湾に化け物が現れただろう」

「ニュースで見ましたけど……」

「あの化け物を倒したのが、この少年なんだよ」

「えっ? この少年があの化け物を倒したのですか?」

 警官は充輝の姿を、目を丸めてみた。少し天然パーマのかかった髪を額に垂らし、百七十センチぐらいの身長で、やせ型の体形は、自信がありそうで、なさそうにも見える。この、どこにでもいるような少年が、氷川湾の化け物を倒しただなんて、とても信じられない……。

「あの時の映像は、盛んにマスコミに取り上げられていて、何度も見ています。この少年の姿は見ませんでしたけど」

 ウメズと充輝たちとの死闘は、観光船すかしゆりに乗り合わせていた乗客らによって撮影され、ネットになどにも流され、話題になってはいたが、充輝の雄姿を映し出した映像は確認されてはいなかった。充輝の雄姿は、緑の炎として映像媒体に残されていただけであった。

「化け物を倒したのは、突然現れた緑の炎じゃあなかったのですか?」

「その緑の炎の正体が、こいつなんだよ」

 手塚の言葉に、警官は眉をひそめた。

「言っている意味が、ちょっと分かりませんが……」

「分からなくてもいい。とにかくこいつが緑の炎の正体で、こいつがいなくちゃあどうにもならんということだ。分かったか!」

 手塚はそう怒鳴った。

(俺だって、本当は信じたくなかったんだが……)

 手塚は緑の炎の正体をパトカーの中で聞いた時、耳を疑った。

 高校生が光り輝く剣を持って、宙を飛び、化け物を倒した?

 アニメや特撮ヒーローもののテレビ番組じゃああるまいし、そんなことが現実に起きるなんて……。

(信じられない!?)

 超研の部長でもある宰三の話によると、二ホンカワウソの聖獣とA級の守護霊であるお美津さんという、やからもいると言うのだが………。

「来たれ! 浄魂の剣」

 充輝が叫んだ。充輝の手の中に光り輝く浄魂の剣が出現する。充輝が気合を込めて浄魂の剣を握ると、身体が緑色のオーラーに包まれた。

 宙に飛び、ヒルコと対峙する。ヒルコは舌なめずりをした。充輝を注視する。

 雷鳴が止み、渦を巻いていた黒雲が活動を停止した。

「おまえがこの時代の浄魂の剣の持ち主か」

「そ、そうだ。このオレさまが浄魂の剣の持ち主だ」

「浄魂の剣か……。わたしのシモベたちは、その剣で葬られたようだが、わたしにはそんなものは通用せんよ。その理由を教えてやろうか?」

 ヒルコは言葉を一旦区切った。舐めるように充輝を見る。

 ヒルコは滅んでいった生き物たちの悲痛な想いが造り上げた怪物である。人々の果てしない欲望が他の生き物の命を顧みなくなったときに、現れるという怨霊の化身である。

 その化身が言う。

「わたしは滅んでいった生き物たちの怨嗟の塊。怨嗟の塊は決して浄化などされぬ。悪の元凶である人間を滅ぼすことでしか成仏できぬのじゃ。おまえには聞こえぬのか、滅んでいった生き物たちの慟哭を」

 ヒルコは二股に分かれている黄色い舌を出した。ヒルコの周辺にこげ茶色の霧が立ち込める。こげ茶色の霧の中に赤青、黄色、黒、紫などの色に染まった無数の生き物たちの霊が蠢いていた。蠢き、啼いている。

「警部、なんです? この叫び声は……」

 手塚の隣にいた警官たちが頭を両手で押さえた。生き物たちの霊の悲痛な叫びは、物理的な圧迫感を持っていた。人の頭に耐え難い痛みを与えているのである。

「痛い、痛いです……。聞いていたら気が変になりそうです」

 博之が頭を押さえて倒れた。

「ちょっとー なんとかしてよ! わたし、こんなの聞いていない」

 亜希子ちゃんが耳を押さえながら、宰三の尻を蹴った。

「俺っちにあたってもな……。ケンサク、なんとかしろっー」

 宰三が、隆に言う。

「い、い、い、いまこのタブレットで検索して……」

「馬鹿、そんなことしている時間がないだろう。て、いうか絶対無理」

 三左衛門が、ため息を漏らした。

 生き物たちの怨霊は啼き続けている。

 人さえいなければ。人さえこの世にいなかったのならと……。

「このものたちは、啼くことしかできぬ弱きものだが、わたしの身体の中には、大いなる力を持った霊たちが無数に住んでいる。早く俺たちを解放しろ。外にだせ。復讐してやるから解放してくれと、わたしに懇願している」

 と、ヒルコが言った。

「そんなことはさせない! このオレが貴様を倒す」

 充輝が言う。

「貴様にはこのわたしを倒せない。滅んでいった幾多の生き物たちの怨嗟が、その剣ひとつで断ち切れると本気で思っているのか」

 隆は、ここ十年の間に四万種以上の生き物たちが滅んでいったと言っていた。

 種にして四万種ならば、実際どれぐらいの数の生き物たちの命が奪われたのだろう。数百万、数千万の数。あるいはそれ以上の数の命が、この世界から消えていったのだろうか。

「人というものは、この世界に蔓延した破滅という名のウイルスなんだよ。空を飛ぶ鳥を殺し、野を走る動物を殺し、海に住む魚を殺し、すべてを殺し、この世界を破滅させる。そんなウイルス、存在する価値などない。この世界を破滅させるウイルスは消えてゆくしかないのだよ。消えな、人間ども」

 ヒルコは高らかに嗤った。

 人はこの世界を蝕む破滅というウイルスなのだろうか? 人さえいなくなれば、この世は災いもない、豊かな自然あふれる世界に変わるのだろうか?

 確かに、人は快適な暮らしを求めて、山や大地、海を、その手で破壊した。美食を求めて、乱獲をし、命の種を絶滅に追いやった。

 しかし……。

「おいおい人を滅ぼしてどうする? 滅んでいった動物たちが甦るってとでもいうのかよ。そりゃあ~ 人は愚かなものだけどもよ。愛すべきところだってたくさんあるんだぜ」

 聖獣太助の声がした。充輝が辺りを見渡す。見ると太助が充輝の右斜め後方にいるではないか。

「太助、戻って来てくれたのか」

 充輝が言った。

「おまえだけじゃあ、頼りないからな」

 太助が鼻を擦る。自分の子孫を根絶やしにされたかもしれないという思いから、人に絶望し、聖獣を辞めて、充輝たちの前から去った太助。

 その太助が充輝と超研一向の前に現れたのであった。

「お美津さんは? お美津さんの姿が見えないが」

 太助が充輝に尋ねた。

「お美津さんは……」

 充輝は顔を曇らせた。

 言えなかった。お美津さんはウメズとの戦いで、充輝を救うために、選ばれた者しか持てない浄魂の剣を持ってしまい、充輝たちの前から去って行ってしまったことを……。

「おぬしら、さっきから何をごちゃごちゃとほざいている。わたしと戦う気がないなら、そうそうにここから立ち去るがよい」

 ヒルコは言い放ち、充輝たち目掛けて右腕を振り下ろした。充輝と太助がその場から跳び、急襲を交わす。

「すげえ衝撃だぜ。こいつをまともに喰らったら、ひとたまりもねえや」

 太助が言った。

 充輝たちにはヒルコの右腕の強襲を交わしたが、その衝撃はすさまじく、大気を震わせ、地を破壊したのである。

「おい、気をつけろよ」

 太助が注意を促す。充輝は浄魂の剣を構えなおした。

「絶壁、どうする?」

 太助が言った。

「どうするって言ったってよ……。この剣でぶった切るだけよ。大根を斬るように切り刻んでやるさ。わっははっはっは」

「切り刻むってかー どうやってだ? うかつに近づいたらやられるだけだぞ」

 ヒルコには容易には近づけない。先のウメズ戦では、お美津さんが、風と稲妻を自由自在に操り、ウメズを翻弄してくれたおかげで、優位に戦うことができたが、ここにはお美津さんはいない。

「ひとつ助言してやろう」

 太助が言った。

「助言……。このオレに助言か……。助言してくれるのは嬉しいけれどな……」

 充輝が疑惑のまなざしで太助を見た。

「なんだよ。その目は」

 太助が訝る。

「お金をとるわけではないだろうな」

「馬鹿。金なんかとるわけないだろう。まったくおまえという奴はいつもそれだ。金、金、金って」

 太助が首を振って抗議した。

「うるさい。人の生きがいに口を出すな。お金を貯めてなにが悪い。お金がなければ何もできないだろうが……。で、それで助言って何だ?」

「あん?」

「あんじゃあない。助言してくれるんだろう」

「助言というのはだな……。闇雲に戦っても勝ち目はないってことだ。だから……」

 先代の浄魂の剣の持ち主と一緒に戦ったことがある太助は、浄魂の剣の中に秘められている力を知っていた。浄魂の剣は、この世に未練を残し彷徨う魂を、慈愛の光で浄化し、あの世に送る剣だが、それだけの剣ではない。

「浄魂の剣の剣先から、光の(やいば)を出すんだ。光りの刃をあいつに叩きこめ」

 と、太助が言う。

「光りの刃っていったって……」

 充輝が繰り返す。

「ああっ、光の刃だ。いわゆる飛び道具っていう奴だな」

「そんなもん、出せるのか? このオレに……」

 迷っている充輝を、ヒルコの無数の触手が襲った。充輝はかろうじてかわすが、ぼやぼやしている暇はない。ヒルコは執拗に攻撃を繰り返している。

「逃げているだけじゃあダメだ。いつかやられる。反撃しろ。光の刃のイメージを頭に描け」

 太助が充輝を叱咤する。

「光り刃……光の刃……光の刃……光の刃………見えた!」

 充輝は浄魂の剣を大上段に構えると、それをそのまま振り下ろした。

 浄魂の剣の先から白く輝くブーメラン状の光の刃が弾き出た。ブーメラン状の光の刃は、襲い来るヒルコの触手を切断した。

「やればできるじゃん」

 太助が手を叩いて喜んだ。

 充輝は宙を移動しながら、浄魂の剣を振り下ろし、連続して、光の刃を出した。光の刃が次々とヒルコの身体に突き刺さる。ヒルコは光の刃の猛攻を受けて体勢を崩した。

「オイラもいっちょうやったろか」

 太助の額にある炎の形をした聖獣の紋章が、金色になった。太助の身体が金色になる。金色に染まった太助は、空高く舞い上がった。

「太助……。その身体は」

 充輝が言った。

「オイラは、この身体を鋼鉄よりも(かた)くできるのさ。この硬くなった体で……」

 太助は急降下した。そのままヒルコの頭部に、ぶち当たる。鋼鉄よりも硬くなった太助の直撃をくらい、ヒルコはよろめいた。

「もう、いっちょう」

 太助は空に舞い上がり、再び急降下してヒルコの身体にぶち当たった。充輝は宙を自由自在に動き回り、四方八方から、ブーメラン状の光の刃を、ヒルコめがけて撃ち続ける。鋼鉄の身体になった太助の攻撃と、充輝の光の刃の波状攻撃の前に、ヒルコは防御に徹していたようだったが……。

 ヒルコはうっすらと嗤い、両手を握りしめた。口から黒い霧のようなものを吐く。すると、ヒルコの身体に突き刺さっていたブーメラン状の光の刃が、すべて抜け落ちた。ヒルコの真上にいた太助は、勢いをつけて急降下した。太助の攻撃はかわされた。ヒルコは左手で太助を薙ぎ払ったのだ。ヒルコの反撃をくらった太助は、御前の岬の中腹の斜面に、頭から激突した。充輝が慌てて、太助のもとに飛んで行く。

「太助、大丈夫か……」

 充輝が声をかけると、太助は土の中からひょこりと頭を持ち上げた。

「ふぅう~ 死ぬかと思った」

「死んでもらっては困る」

 充輝は安堵のため息を漏らした。

「こいつは一筋縄じゃあいかないぜ。もっともこんな攻撃でくたばる相手だとは、思っていなかったがな」

 充輝と太助の攻撃をかわしたヒルコは、破壊と殺戮を再開した。四階建ての観光センターのビルが砂塵をあげて崩れ落ち、庭に植樹されている数本の広葉樹が、無残に引き抜かれる。ヒルコが脚を一歩踏み出すたびにアスファルトが割れ、土がむき出しになり、地下に埋没されていた下水管から、大量の汚水が噴き出した。

「警部、危険です。ここは一旦引き上げましょう」

 警官が手塚に進言する。

「我々、警察が出る幕ではありません。さっさと引き上げないと」

「うるさい。黙れ!」

 手塚は、警官を一喝し、

「おい、どうしたというのだ。絶壁と太助が、あのバケモンをやっつけるのではなかったのか」

 と、超研一向に言った。

「相手が強すぎる。お美津さんもいないし」

 三左衛門が言う。

「お美津? ああっ、A級の守護霊という幽霊のことか。そいつはなぜあらわれない? ウメズの時は一緒に戦ったんだろう」

「それは……」

 お美津さんは、もう戻ってては来ないのだろうか。いいや、お美津さんはA級の守護霊なのだ。そう簡単にやられるわけがない。三左衛門は思っている。そう思っているのは、三左衛門だけじゃあないだろう。宰三だって、隆だって、博之だって、そして亜希子ちゃんだって、そう思っているに違いない。

 みんな、あの笑顔に逢いたいのだ。

「部長、占ってくださいよ。占えば、何かわかるかも」

 三左衛門は、藁にもすがる思いで、宰三に話をふった。

「占うにしても、ここにはニャンタもポチもいないし」

 宰三は腕を組んだ。

「なにやってんのよ。ボヤボヤしていないで逃げるのよ。死にたくないでしょう」

 亜希子ちゃんが宰三の腕を引っ張った。





      13、昏睡状態の中で……。


 美佳は夢の中にいた。

 妙にはっきりとした夢だった。

 傍らに神社があった。どこの神社なのかは分からない。格式が高い神社なのだろう。樹齢三百年を超すとみられる杉の大木に囲まれたその威厳ある風情は、比叡山のふもとにある日吉神社にも似たものだった。

 拝殿の大注連縄の下、生後間もない赤子が、若い夫婦にあやされていた。

 赤子を抱く若い夫婦は、この神社にゆかりのあるものなのだろうか。男は白い着物の下に浅葱(あさぎ)色の袴を身に着け、女は巫女の姿で緋色の袴を穿いていた。

 あやされて、ニコニコ笑う赤子は、つぶらな瞳で若い夫婦を見つめていた。

(可愛い……。可愛くて、どこかなつかしい感じがする……)

 幼いころ嗅いだことのある匂いが、赤ん坊を包んでいる掻い巻きからが出ていた。夢の中にいるはずなのに、はっきりと嗅覚を刺激した。

(この子……。私だわ。私には分かるわ。この子は私で……。この子を抱いている若い人たちは……。私の本当のお父さんとお母さん)

 第六感というものなのだろうか。初めて見る赤ん坊に、美佳は自分を重ねていた。

 美佳はうすうす気づいていた。

 現在(いま)、一緒に暮らしている市役所勤めの誠実な父も、夫を支え続けてきた優しい母も、実の両親じゃあないってことを……。

 あれは美佳が十歳になったばかりの頃だった。美佳の誕生日に、家に遊びに来ていたお祖母ちゃんが、美佳がその場にいないと勘違いをして、ふと漏らした言葉があった。

――施設から世話をしてもらった子供が、こんなに大きくなるなんてねえ……。

(施設から世話してもらった子……。世話してもらった子って? それって私のこと!?)

――お母さん、その話はしないでくださいよ。役所の中にも、美佳のことを疑っている人がいるんだから。ばれたら、美佳がどんなに傷つくか……。

 父は、口に人差し指をあてて言った。

――はいはい、分かりました。分かりました。

 お祖母ちゃんは、ニコニコ笑って、頷いた。

―-美佳は、もう僕たちの子供なんですからね。

(私って、父さんと母さんの本当の子供じゃあないの? 私、施設で育てられていたの? )

 トイレから帰ってきた美佳は、茶の間の前のドアに立ち尽くし、焦点の定まらぬ目をして、茫然と、お祖母ちゃんの言葉を心の中で反芻した。

(私は……。施設からもらった子。私の本当のお父さんとお母さんは……。ここにいるお父さんと、お母さんは、私の本当のお父さんとお母さんじゃあないの?)

 ドア超しに聞いた父とお祖母ちゃんの会話は、美佳の心に突き刺さった。

 このまま茶の間に飛び込んで、父と母に真偽を問い正しかった。父と母にお祖母ちゃんの言うことは嘘だよと言ってもらいたかった。けど、十歳の美佳にはそれができなかった。

(お祖母ちゃんの言っていることが真実ならば、私はいったい誰の子供なのだろう……)

 十歳の誕生日の日に、聞いてしまった自分の出生の秘密。

 心の中に、それは夏の夜の線香花火の燃えカスのように燻り続けていたのだ。

「美佳……。私たち夫婦は大禍(おおわざわい)から人々を守るために、この神社に伝わる秘儀を行わけなければならなくなった」

 男は赤ん坊を見つめて言った。

「おそらく秘儀を行うことによって、私たちの命の(ともしび)は消えてゆくだろう。しかし、私たちの魂は消えることなどない」

 男は傍らにいる女の手を握った。

「肉体は滅んでしまっても、私たちはいつもあなたの側にいるわ」

 女は涙ぐみながら言った。

「これから行う秘儀によってヒルコの復活は、阻止できるだろう。しかし、完全じゃあない。一時的なものだ。浄魂の剣の持ち主がこの時代に現れるまでのものなのだよ。美佳、おまえが十七の歳を数えた時、おまえの前に、浄魂の剣の持ち主が現れるだろう。おまえは、その浄魂の剣の持ち主と一緒に、再び現れるヒルコの復活を阻止しなければならない」

 男は赤ん坊を愛しそうに見つめた後、女に目を移した。女は真っ直ぐな視線で、愛しそう赤ん坊を見つめた。

「本当はあなたにそんな危険なことはさせたくない。普通の女の子として、成長し、幸せになってもらいたい……。けどね、美佳」

 女は、一旦言葉を区切った。

「けれどね美佳。私たちヤマト一族がやらなければ、一体誰がヒルコの復活を阻止するというの。古代から悪霊の魂を鎮めてきた私たち以外に、浄魂の剣の持ち主を支える存在が、この世にいるとでもいうの? 私たち以外に浄魂の剣の持ち主を支えるものはどこにもいないのよ」

 涙のしずくが赤ん坊の頬に落ちた。

「私たちの肉体は滅びるけど、あなたの側からいなくなるわけじゃあない。私たちは、いつまでもあなたを見守っているわ」

芳江(よしえ)、泣くのはよしなさい。美佳を見守っているのは、私だけじゃあないんだ。これからはA級の守護霊であるお美津さんが、いつも美佳の側にいる」

 男は、赤ん坊から目を逸らし、前方を見た。親子の前に白い霧が立ち込めていた。霧の中からお美津さんが現れた。お美津さんは親子に寄り添い、赤ん坊の顔を見て、にっこりと微笑んだ。

(私の守護霊……)

 美佳は、自分を守り続けてきたお美津さんのその姿を、初めて見ることができた。

(この人が、お美津さん……。こんな可愛らしい人が、私を守り続けていたの。こんな私を……。自分のことだけしか考えず、自分勝手で、人に迷惑ばかりかけ続けてきた私を……)

 夢の中の父と母は、赤ん坊の美佳を抱きしめながら、現在(いま)の美佳に語り始める。

「おまえは、お美津さんの加護を失って、悪霊に魂を奪われてしまった。人身供儀は成就され、ヒルコは復活してしまった」

(ヒルコが復活してしまったの?)

「残念ながらヒルコは復活してしまった。しかしあきらめることはない。おまえにとり憑いていた悪霊たちは、私たちが追い払い、おまえは自分の魂を取り戻すことができた。魂を取り戻したおまえが、やるべきことはひとつ。浄魂の剣の持ち主と一緒にヒルコを浄化すること。私たちができなかったことを、おまえがやるんだ」

(私にできるかしら……)

「私たち一族は古代から浄魂の剣の持ち主に使え支えてきた者たち。私たちにできて、おまえにできぬはずがない」

(でも、どうやって……)

「これから(のち)一匹の聖獣が、おまえにみそぎの杖を授ける。みそぎの杖は、私たちヤマト一族に伝わる秘宝だ。理由があって青龍さまにあずかってもらっているが、本来は、私たちヤマト一族のもの。おまえと浄魂の剣の持ち主に大いなる希望を与えるものなのだよ」

(みそぎの杖って!? 聖獣が私の前に現れるの?)

「おまえは、すでに一度その聖獣と出会っているよ」

 カワウソの聖獣、太助は美佳の命を救うために、美佳が入院した氷川市総合病院を一度訪れている。大杉に羽交い絞めにされて気をうしなってしまった美佳を助けているのだ。

「私たちは十七年前に、みそぎの杖を使って一時的にヒルコを封印することができたが、今回甦ったヒルコは、前とは比べられない驚異的な力を持っている。ここ十数年の間に人によって滅ぼされた生き物たちの恨みがヒルコの力をより巨大なものにしたのだ。浄魂の剣、みそぎの杖、聖獣の力がなければ、到底ヒルコには勝てない。美佳、浄魂の剣の持ち主と聖獣と逢い、ともに戦って、ヒルコを浄化してくれっ」

(お父さん、お母さん……。私は……)

 美佳は逡巡していた。汗ばみ、息が上がり、呼吸が早くなった。

(私に何ができるのだろう。この私に何ができると言うのだろう。一介の少女に過ぎない私に……)

「迷うことなど、何もない。自分を信じて戦うんだ。おまえはヤマト一族の者だ。浄魂の剣の持ち主を支える者は、おまえしかいない。」

 父は力強く言った。

「さあ、行きなさい」

(どこに行けばいいのですか?)

「自分の信じるところに……。みそぎの杖がおまえの道すじを示すだろう」

(お父さん、お母さん……)

「行きなさい、美佳。私たちはいつもおまえと一緒にいる」

「私たちは、いつもお前を見守っている。これからだって、ずっと……」

「父さん、母さん」

「美佳、行きなさい」

 伝えることをすべて伝えたのであろうか。美佳の父と母は足元からうっすらと消えていった。

 眠り続けている美佳の目から一筋の波ががこぼれた。青ざめていた美佳の頬に赤みがさし、美佳の意識が覚醒する。

「お美津さん、そこにいるんでしょう」

 美佳は半身を起こした。

「私の側にいつもいた人。私の大切な人。私の守護霊……」

 美佳の想いが通じたのであろうか。美佳の前にお美津さんが姿を現した。

「美佳さん、あたいの姿がみえますの?」

 お美津さんが言った。

「見えます。少しぼやけているけれどわかります。お美津さん、いままで私を守っていてくれてありがとう」

 美佳の瞳に光るものがあった。

「あなたを守るのが、あたいの使命ですから、礼にはおよびませんよ」

 お美津さんは、涙で滲んだ目を拭った。

 美佳は、いままでお美津さんの存在を認めようとはしなかった。自殺未遂を起こすたびにお美津さんが、美佳を助けても……。

「私、なんで、あなたの存在に気がつかなかったんでしょうね」

「美佳さんのせいではありません。悪霊たちが、美佳さんの目を曇らせていたのですよ」

「いいえ、悪霊たちだけのせいだけではありません。私……。バカだった……」

 美佳は、周りの人たちに愛され、なんの不自由もなく育てられた。誰よりも愛されていたのに、それに気づかなかった。思い通りにならないと、勝手に憤り、自分は孤独なんだという馬鹿な勘違いをしていた。。

「私……。本当にバカだった……」

 美佳は涙を拭った。

「お美津さん、ヒルコが復活しているでしょう」

 美佳が言った。

「ええっ、あたいの努力が足りないばかりに……」

「あなたのせいじゃあないわ。私が悪いの。私の負の心が悪霊を呼び寄せ、ヒルコを復活させてしまったの……。けれど、私、もうそんなに弱くない。自殺なんか絶対しない。お美津さん、私と一緒に戦って。ヒルコを倒すのよ」

「あたいの力は……、もう……」

 お美津さんは、疲弊していた。力という力が抜け落ちていた。そこにいるのもやっとの状態だった。

「大丈夫。今度は私があなたを助けるわ」

「助けるって……」

「忘れたの? 私はヤマト一族の末裔よ。父と母が私の周りから悪霊を追い払ってくれたおかげで、私はヤマト一族として目覚めたのよ」

「美佳さん……」

「お美津さん、私の手を握って」

 美佳が差し出した両手を、お美津さんは、両手で握った。

「こ、これは……」

 お美津さんは、美佳の体内から溢れ出てくる暖かい波動を感じ取った。春の息吹のような柔らかい波動が、お美津さんの霊体を包み込む。桜色の慈愛のもやが辺りにに立ちこめ、ぼやけていたお美津さんの全体像が、はっきりと見え始めた。

「お美津さん、いいわね、行くよ。浄魂の剣の持ち主のところに」

 美佳は決意を固めた。





         14、決戦!


 御前の岬に設置されていた近代的な施設と、岬に寄り添うようにただずむ風光明媚な景観は、その形状をほとんどとどめていなかった。観光センターもおろか、九つあった大小の展望台、赤松が生い茂っていた大岩も、玉砂利が敷き詰められていた浜辺も、すべて変わり果てた姿になっていた。

 雄叫びをあげて破壊を繰り返すヒルコは、そのまま国道沿いに足を踏み出した。国道に架かっていた真新しい高架橋が飴のように折り曲がり、ヒルコが前進するたびに、アスファルトが割れ、ヒルコによって、高架橋からはがされたビーム型ガードレールが付近の民家を直撃した。

 ヒルコの進撃は止まらない。

 観光名所になっている粗末な漁師小屋を、三つの長い尾で一撃で壊し、ザッパ船を宙に舞い上がらせた。宙に舞い上がったザッパ船が、地上に叩きつけられた時には、十ほどあった漁師小屋すべてが、破壊されていた。

「おいおい、このままだと相当な死人が出るぞ」

 カワウソの聖獣太助が言う。

「どうやったら、ヒルコを止められる?」

 充輝が聞いた。

「オイラに聞かれてもな……」

 太助は頭を抱えた。

 ヒルコのしもべであるウメズを、祠の中に封印したのち、みずから祠の中に籠った太助は、ヒルコが十七年前に美佳の両親によって、一度封印されていたことを知らない。浄魂の剣の持ち主である充輝も、当然、十七年前のことを知らない。もし、二人が知っていたならばヒルコに対して有効な攻撃を加えることが出来たかも知れないが………。

「太助、おまえ聖獣だろう。人を守るのがお前の使命だろう。なんとかならないのか」

 と、充輝が言う。

「そう言ったってなあ~ オイラの攻撃が、まったく通じないんだぜ。おまえの浄魂の剣を使っての攻撃も、跳ね返されたしな」

「その背にあるものは何だ?」

 充輝が聞く。

「これか……。これは青龍さまに託されたものだ。ある少女に渡してくれとな」

「お美津さんのことか?」

「いやいや、お美津さんのことではないらしい」

 青龍は太助にみそぎの杖だけを預けて、去ってしまっていた。

「お美津さんじゃあない? じゃあ誰だ」

 充輝が問う。

「オイラにも、よくわからねえよ」

 太助は、美佳が実は悪霊を封じ込めていたヤマト一族の末裔で、浄魂の剣の持ち主を支える少女だということを知らない。

 自殺を企て、皆に迷惑ばかりかけていた少女が、みそぎの杖の本当の持ち主だと、誰が想像できようか。

「オレ、もう一度攻撃してみる」

 充輝が言った。

「よせよせ、何度攻撃しても無駄なこと。死に急ぐなって」

「無駄なことだと! このままここにいても町は破壊され、人が死んでゆくんだぞ。黙ってみてられるか」

「そんなこと言ってもなあ~」

 聖獣である太助には、数々の悪霊と戦った経験がある。簡単に退けた相手もいたが、困難辛苦の末にやっとのことでやっつけた相手もいた。それゆえ現在の状況が手に取るように分かる。敵はこれまで戦った相手など比べ物にならないほど強いのだ。力任せに押しても、傷を負い、無駄に力を使い果たしてしまうだろう。待ち受けるものは死と隣り合わせの敗北という二文字だ。

「待てよ……。まてまて、思い出した。思い出した」

 辛酸をなめてきた経験の中に、ヒルコにダメージを与えることが出来る攻撃があるとすれば……。

 太助は、充輝の傍らに行き、充輝に耳打ちをした。

「そんなことして大丈夫か」

 充輝が言った。

「分からん。けど、オイラの記憶によれば」先代の浄魂の剣の持ち主タケルは、そいつを使ってオイラの身体の中に“(こん)”というものを入れた」

「こいつを使って“魂”…をいれろって? “魂”ってなんだ?」

 充輝が浄魂の剣を左右に振りながら言った。

「よく分かんねよ。けれどオイラが思うにはな、“魂”っていうのは、一種の力の塊みたいなものじゃあねえのか」

「本当に大丈夫なんだろうな。消えて行ったりしないだろうな」

 A級の守護霊であったお美津さんは、浄魂の剣をを手にしただけで充輝たちの前から消えて行ってしまった。同じことにならなければいいのだが……。

「迷っている暇はないぜ、絶壁」

「ああっ、分かった」

 充輝は太助にかけてみることにした。太助は前に一度経験があるのだ。その時は良くて、今回はダメだったということはないだろう。

 充輝と太助は、再び空に飛んだ。ヒルコを睨みつける。

 充輝は太助と距離をとって、浄魂の剣をを大上段に構えた。一呼吸おいて、太助の額にある炎の紋章に向かって浄魂の剣を振り下ろす。

 浄魂の剣の剣先から金色の光の線が放出された。太助の聖獣の紋章が白金色(プラチナ)に輝く。太助の身体も白金色になった。

 太助は苦しそうだった。額に手をあてて、白金色の身体を震わせて悶絶した。空の上から地上に墜落し、アスファルトの上に激突した。衝撃でアスファルトは大きくへこみ、円形上にへこんだ穴の中で、太助は七転八倒し、口から血を吐いた。

 所有者以外の者が持つと、禍をもたらすという浄魂の剣。太助はその浄魂の剣の光を浴びてしまったのだが……。

「絶壁、この感じだよ。この感じ……」

 太助は起き上がった。拳で口の周りの血を拭きとった。身体から大気を震わす熱量が出ている。

「絶壁、ついてこい!」

 太助は飛翔した。充輝は太助の後を追った。太助は後方に充輝がいるのを確認すると、上空高く舞い上がり、そのままヒルコめがけて突っ込んだ。太助の攻撃を回避しようと、ヒルコが腕を振り下ろすが、太助のスピードについてこれない。太助の白金色の身体がヒルコの右腕を打ち抜く。ヒルコの右腕から緑色の血糊があふれ出る。太助は再度上空高く舞い上がり、ヒルコの前足の(すね)の部分を次々と打ち抜いていった。

「よっしゃあ、次は後ろ足だ。絶壁、援護、頼むぞ」

「分かった」

 充輝は光の刃を、太助の後方から再び繰り出した。光の刃の攻撃はヒルコには通じない。けれど、太助の攻撃の手助けにはなるだろう。

 太助は充輝の援護を受けて、ヒルコの後ろ足めがけて突っ込んだ。ヒルコが口から黄色の溶解液を吐き出す。噴霧上に吐き出された溶解液が太助にかかった。白金色の太助の身体から蒸気があがった。突撃する太助の軌道がずれ、地面に激突する。

「太助」

 充輝が太助のもとに急降下した。

「大丈夫か、太助」

「だ、大丈夫だといいたいが……。身体がヒリヒリしてら」

 太助の白金色の身体が光沢を失いつつあった。赤く腫れあがっている個所が身体のいたる所にあった。充輝が太助の身体を心配して、触ろうとすると、太助は(かぶり)を振った。

「オイラに触るな。危険だ」

 太助の身体から零れ落ちた溶解液の残滓が、アスファルトの上に落ちた。

 アスファルトが溶解する。溶剤を混合して作られ、強度を強くしたカットバック・アスファルトは別として、普通のアスファルトの溶解温度は、摂氏百四十度から百五十度である。太助の身体から零れ落ちたヒルコの吐いた溶解液は、それ以上の温度があったとでもいうのだろうか。アスファルトが音をたてて溶けていった。

「いくら浄魂の剣の持ち主さまであっても、こいつをくらったら、ただでは済まないぜ」

 太助は肩で息をしていた。浄魂の剣から“魂”をもらい、白金色の身体になっていなかったら死んでいたかもしれない。

 ヒルコの右腕が、ゴボゴボと音をたてていた。音をたてているのは右腕だけではない。前足の脛もまた、湯が吹きあがるような音を立てていた。太助の攻撃によってできた穴が再生しようとしているのだ。ひとつひとつの細胞が寄り集まり、元の姿に戻ろうとしている。

「おいおい、冗談じゃあないぜ」

 太助が言う。

「くそっー」

 充輝は上空に飛んだ。ヒルコの再生を阻むつもりだ。

 ヒルコは充輝に向かって溶解液を吐いた。充輝は咄嗟に溶解液に向かって浄魂の剣を投げた。浄魂の剣は空中で円を描くように回転した。溶解液が浄魂の剣で、すべて弾き返される。

「やるじゃあないか、絶壁」

 太助が感心した。

「はっはっははっは。負けられるかよ」

 やせ我慢して、笑って誤魔化してはいるが、充輝にとって噴霧状の溶解液に向かって浄魂の剣を投げつけるのは、イチかバチかのかけだった。ヒルコの吐く溶解液をどうやれば防ぐことが出来るのか? 充輝は扇風機のイメージを思い描き、それを浄魂の剣に託したのだった。

「浄魂の剣には、思いもよらない力がありますわよ」

 お美津さんの声がした。

 充輝が声がしたほうを見ると、地上にいる太助の傍らに、お美津さんと美佳の姿があった。

「遅いじゃあないか、今ごろのこのこやってきて」

 太助がお美津さんに不満げに言うと、

「あら、太助さん。聖獣はお辞めになったんではなかったの」

 と、お美津さんが言い返した。

「オイラが聖獣を辞めてどうする? オイラがいなかったらヒルコを退治できないだろう」

 太助は鼻を擦った。

「聖獣さん、期待しているわよ」

 美佳が太助を見つめた。

「おまえ……。美佳か。本当に美佳なのか。まえと雰囲気が全然違うようだが……」

 氷川市総合病院であった美佳は、どこかわがままで自分勝手に生きているような女の子に見えた。いま、ここにいる美佳はそんな女の子には見えない。芯の一本通った素直な女の子に見えた。

「美佳さんは目覚めたのよ。浄魂の剣の持ち主を支える女性として」

 お美津さんが言った。

「絶壁を支える!? 一緒に戦ってくれると言うのか」

 と、太助が言うと、

「人を見かけで判断したらダメよ。美佳さんはねえ~ 十七年前、復活しようとしていたヒルコを、封印した人たちの、子供なのよ」

 お美津さんは、太助には信じられないことを言った。

 ヒルコは、人によって滅ぼされた生き物の怨嗟が生み出した悪霊である。その怨嗟の塊であるヒルコを、人が一時的にせよ封印したとは信じられない。

(どういうことだ……)

 太助の目が泳ぎだした。

 人にそんな力があるものなのか?

「封印はできたけれどもね、浄化はされなかった。ヒルコを浄化するには浄魂の剣でなければならないのよ」

 お美津さんが言う。

「魂を浄化させるには、やはり浄魂の剣が必要なわけだな。しかしなんだな。人がヒルコを一時的にも封印しただなんて、オイラには理解できないや 」

 太助は首を傾げた。

「太助さん、ヤマト一族のことぐらい知っているでしょう」

「それくらい、知っているよ。悪霊や化け物を封印してきた一族のことだろう」

「美佳さんはもの一族の末裔なのよ」

「なに! ヤマト一族は滅びたんじゃあなかかったのか」

「滅びたわけではないの。ここに美佳さんがいるでしょう」

 太助が先代の浄魂の剣の持ち主と一緒に悪霊どもと戦った時代、ヤマト一族はその姿を一度も太助たちの前に見せたことがなかった。

 代々に亘って悪霊や怨霊を封印していたヤマト一族は、ある戦いをきっかけに、その姿を隠さなければならない状況に追い込まれた。ヤマト一族は身を隠すため、各地に散らばった。人里離れた山奥に籠った者もいれば、身分を偽り、神社の宮司や、その土地の相談役として、身を隠したものもいた。身を隠し、陰で厳しい修行に身をやつしたのである。

 ヒルコを倒すために……。

「あれがヒルコね」

 美佳は、ヒルコを見上げた。

 ヒルコは美佳にとって親の(かたき)でもあった。

 太助の背に縛り付けられていた杖が振動した。杖と太助の身体を縛っていた銀色の縄がふわりと解けた。縄と杖が太助の身体から放たれ、美佳の前で静止した。

「それが、なんだがわかるか?」

 太助が美佳に聞く。

「ヒルコを一時的に封印したみそぎの杖……。両親の形見」

 美佳が、そう応えた。

 みそぎの杖が紅く輝き始めた。美佳の身体に温かく、なつかしいものが奔流になって流れ込む。

 それは亡くなった両親の美佳にたいする思いだった。生まれて間もない我が子を残して、ヒルコを封印するためにその身を捧げなければならなかった父母のせつない想いだった。

 美佳は上空にいる充輝を見つめた。やがて大きく深呼吸をして、目を閉じた。

《絶壁さん、聞こえる?》

「この声は……。美佳さんか? 美佳さんがオレに話しかけているのか?」

《そう、この杖を使ってね》

 美佳はみそぎの杖を使って、上空にいる充輝とテレパシィーで交感しているのである。

「杖!? 美佳さん、大丈夫なのか。なぜ、ここに」

 充輝は混乱していた。

 集中治療室にいたはずの美佳が、この場にいる。生死の境を彷徨っていた少女が、突然、この場に現れ、普通の人間にはない能力を使って充輝に話しかけている。

《詳しい話は後、いまは私を信じて、私の話を聞いて、浄魂の剣の持ち主さん》

「おまえ、オレのこと知っているのか」

《ええっ、知っているわ。あなたは浄魂の剣の持ち主で、私はあなたを支えるヤマト一族の末裔……。絶壁さん、私がヒルコの再生を防ぐから攻撃を再開して》

「分かった。太助、こいよ」

 充輝は、下にいる太助を呼んだ。

「あたいも行くね」

 お美津さんが、その後に続く。

「それじゃあ、いっちょうかましますか」

 太助が言った。太助の身体が、再び、白金色に輝き出す。

「待って、無暗に突っ込んでも叩き落されるだけ……。ここは、あたいから」

 お美津さんが両手を握り、右手の人差し指を立てた。

「うなれ、破ノ烈風」

 風が狂う。風は竜巻になる。ひとつの竜巻が二つに分かれ、二つの竜巻が四つになった。四つの竜巻が八つになると、八つの竜巻が八方向からヒルコを襲った。対するヒルコ。ヒルコの受けたダメージはすでに回復していた。太助と充輝の連携プレイの攻撃でできた傷はすべて塞がっていた。太助がヒルコの頭上に舞い上がった。機を見て、ヒルコめがけて急降下した。ヒルコは触手を使って太助を捕えようとした。が、破ノ烈風に翻弄されて太助を捕えきれない。ヒルコは捕えきれないと悟ると、口から溶解液を吐き出した。溶解液と触手を使って、太助の攻撃から逃れようとするのだが、破ノ烈風がそれを邪魔する。太助はヒルコの右腕を再び撃ちぬいた。撃ちぬかれた箇所の細胞が、ゴボゴボ音をたてて再生しようとする。

 美佳がみそぎの杖を大きく左右に振った。ヒルコの再生途中の細胞が炎上し、右腕から削げ落ちた。

「絶壁さん、いまよ。光の刃を叩きこんで」

 お美津さんが言った。

 充輝は浄魂の剣を大上段に構えた。気合を込めて振り下ろす。浄魂の剣の剣先から次々と光の刃が出てきて、ヒルコの右腕めがけて飛んでいった。

「うぎゃぎゃあぁぎゃあ」

 ヒルコが悲鳴をあげた。ヒルコの右腕が光の刃の集中攻撃によって切断されたのだった。

 ヒルコの真上にいた太助が、四つあるヒルコの脚の左前脚に突っ込んだ。太助が左前脚を貫通すると、美佳がみそぎの杖を振り、再生を防ぐ。充輝がそれを見て、光の刃を左前脚に叩きこんだ。ヒルコの左前脚が、ゴトリと音をたてて地面に落下した。

「おのれ……。これしきのことで…」 

 ヒルコは雄叫びをあげた。ヒルコの傷口から(もや)のようなものが現れた。靄のようなものは怨霊と化した。それは、人に滅ぼされた生き物たちの怨霊だった。一つではない。数百、いや数千はいるだろうか。憎しみの眼差しで(まなざ)充輝たちを見ていた。

「あちゃあ~ こいつはやばいぜ。ヒルコの中の強い奴らが出てきた」

 太助が弱音を吐いた。

「なに、意気地のないことを言ってるの。あんた聖獣でしょう。なんとかできるでしょうよ」

 お美津さんが言った。

「そんなこと言ってもな。見てみろよ、こいつらの数」

 そういいながら、太助は襲い掛かってきた怨霊を爪で二つに引き裂いた。太助に引き裂かれた怨霊は、二つに引き裂かれた状態で、再び、太助を襲った。

「こいつら……」

 太助は、そこから逃げた。

「力ずくじゃあダメ。この怨霊群は浄魂の剣じゃあなけりゃあ始末できないわよ」

 お美津さんは、破ノ烈風を使って怨霊群を追い払っているが、対処できないでいる。太助を助けている余裕などなかった。

「太助、お美津さん、今待ってろ」

 充輝が、太助とお美津さんのもとに駆け付け、浄魂の剣で怨霊群を浄化していった。

「あたいたちは大丈夫だから、美佳さんを助けてやって」

 お美津さんが言った。

 美佳は、みそぎの杖を振り回して、自分の身を守っていた。みそぎの杖が振られるたびに、怨霊群が不動金縛り状態になって、パラパラと地に落ちてゆく。

「この杖……。怨霊を追い払う道具としても使えるわ。浄化はできないけれども……」

 地に落ちた怨霊たちは、怨霊になる前の姿でピクピクともがいていた。

「これは……。そんな、あんまりだわ」

 それは、小鳥や、リスたちの小動物の霊だった。可愛らしい姿で蠢き、可愛らしい声を出して啼いていた。

 美佳は屈んだ。小鳥の姿の霊を手にとって撫でた。小鳥の霊は小さな(くちばし)で美佳の手を突っついた。

(そんなに……。そんなに、人間が憎いの? 悪い人間ばかりがいるわけじゃあないのよ)

 美佳は上を見上げた。

《上にいる浄魂の剣の持ち主さん。この子たちを浄化させて。お願い。……涅槃に行かせてやって》

 美佳は泣いていた。

 小鳥もリスも、死にたくはなかったろう。いつまでも生きていて、自由に空や野をかけていたかっただろう。

 なのに、なぜ、人間たちに殺されなければならなかったのだろう。

 この小鳥やリスたちは、恐らく人間たちに理不尽に殺されてしまったのだろう。

 肉体を失ってしまってまで、憎しみの道具にされるなんて、悲しすぎる。

「お美津さん、風をうまく使って、霊たちを一つに集めて。太助、太助は後方に行って。美佳さん、美佳さんはみそぎの杖を使って、お美津さんを支援してくれっ」

 充輝が言った。

「破ノ烈風、方円の陣」

 お美津さんが両手を握りしめて、突き立てていた人差し指を、そのまま振り上げた。丸を描くように腕を振り回す。すると、数千の怨霊群を取り囲むように、方々で竜巻が起こった。

 美佳は、みそぎの杖を両手で固く握った。みそぎの杖の中央が白く光った。右手にみそぎの杖を持ち換え、両手を交差させる。

 竜巻と竜巻の間に、薄い絹のようなものが現れる。薄い絹のようなものは桃色の光を放ち、輝いている。

「ありゃあ~ 何だ?」

 太助が問う。

「美佳さんだ。美佳さんが造ったシールドだ」

 充輝が応えた。

「あいつにそんな力があるわけ?」

 太助が首を傾けた。

「みそぎの杖だよ。美佳さんがみそぎの杖を使って造り出したんだよ。見ろよ、みそぎの杖が光っているだろう」

「ああっ、なるほどね」

 太助は首を縦に振った。

 数千の怨霊群が、竜巻とシルク・シールドによって追い詰められてゆく。充輝が怨霊群の中心に向かって飛んでいった。

「絶壁、なにをするきだ!」

 太助が叫んだ。

「浄魂の剣の力を最大限にしてみる」

 充輝は、一か所に固まった怨霊群の真ん中に割って入っていった。左手に浄魂の剣を持ち換えた。そのまま両手を広げる。充輝は十字の形になった。

「迷える魂よ。浄化の波によって清められたまえ」

 充輝は、十字架上に磔になったような姿で叫び、身体を回転させた。コマのように高速回転している充輝の身体から虹色の光がほとばしる。怨霊群は虹色の光を浴び、次々と浄化されていった。

「やるじゃあない」

 太助が、充輝のもとに駆け付ける。

「さすがは浄魂の剣の持ち主さまね」

 お美津さんも充輝の傍らにやってきた。その下では、美佳が大きく手を振っていた。

「あとはヒルコだけだな」

 充輝が言うと、太助が無言でうなずいた。

 ヒルコは右腕、左前脚を切断されたが、その猛威は一向に衰えていない。盛んに吼えている。

「なんか、様子がへんだ!?」

 充輝が言った。

「おいおい、これは……」

 太助がヒルコが発散しているものに気づいた。ヒルコは身体じゅうから紫色のガスを出していた。空気より比重が重いのであろうか。紫色のガスは、地を這うように辺りに拡がってゆく。

 紫色のガスは、命を蝕むガスだった。地に拡がったそれは、触れたものを一瞬にして朽ちらせてゆく。

 緑の草原が茶褐色になり、色彩豊かな花々が萎れてしまった。虫や小動物が息絶え、溶けてゆく。

「あれは死霊の息吹……。触れたものの命を腐らす」

 お美津さんが言った。

「ヤバいぜ。こいつは……」

 太助が(かぶり)を振る。

「お美津さん、破ノ烈風で、そいつを蹴散らしてくれっ」

 充輝が言った。

「そんなことをしたら、死霊の息吹が辺りに拡散するだけだわ。ここは私に任せて」

 美佳がみそぎの杖を振った。

 桃色のシルク・シールドが紫色のガスに覆い被さってゆく。しかし、すべてを覆いつくせない。隙間からガスが漏れていた。

「ダメだわ。覆いつくせない。このままでは……。浄魂の剣の持ち主さん、何とかしてよ」

 美佳の悲痛な声が辺りに響いた。

 ヒルコは死霊の息吹を出し続けている。美佳がみそぎの杖を使って、なんとかこの場を切り抜けてはいるが、持ちこたえそうにもない。このままゆくと、地上にいるすべての命は、死霊の息吹の餌食になるだろう。

「太助、雷神ノ鉾の衝撃に耐えられるか?」

 充輝が聞いた。

「白金色のオイラに聞くなよ。大丈夫だよ」

 充輝の意図を理解したのだろう。太助はニコリと微笑んだ。

「太助、お美津さん、行くぞ」

 充輝が言う。

「お美津さん、オイラに雷神ノ鉾を撃つんだ」

 太助が言った。

「いくわよ」

 お美津さんが応える。

「うなれ、雷神ノ鉾」

 稲妻が四方八方に煌めいた。お美津さんが、太助に向かって両手を投げおろすと、稲妻群が太助の身体に降り注いだ。太助は、それを背にうけて、ヒルコの額めがけて急降下した。ヒルコは太助の急襲を左腕で払いのけようとしたが、太助はそのままヒルコの左腕を貫通し、ヒルコの額に突き刺さった。その後を追い、充輝がヒルコの頭から腹まで浄魂の剣でヒルコを真っ二つにした。が、ヒルコは絶命しない。引き裂かれた身体をもとに戻そうと、神経の束を張り巡らせた。美佳がみそぎの杖をヒルコに向かって突き出す。神経の束に蒸気が走り、ぐじゅうぐちゅになって溶け出す。それを見た充輝が、浄魂の剣で、ヒルコの身体を横に切り裂いた。縦に引き裂かれ、横に真っ二つされたヒルコは粉々に砕け散り、残骸が周辺に飛び散った。

 残骸の中から、生き物たちの魂が出てくる。

「おい、ヤバいぜ。まただよ」

 太助が言った。

「大丈夫よ、太助さん。よく見て」

 お美津さんが応える。

 ヒルコの残骸から溢れ出て生き物たちの魂は、暖かい慈愛の光をたたえていた。この世のあらゆる無常から解放されたかのように、ゆっくりと漂っていた。 

「浄魂の剣の力よ。この魂たちは浄魂の剣の力で浄化されたのよ」

 お美津さんが言った。

「おうよ、オレ様の力よ。やってやったぜ。まあ、こうなることはわかっていたことだがな。わっははっはっは」

 充輝が腰に手をやり、笑った。

「もう、すぐにいい気になるんだから。あなたさまひとりの力じゃあないでしょう」

 と、お美津さんが言う。

「そうよ、オイラがいなかったらどうなっていたかわからないぜ」

 太助が、充輝に目配せをした。

「それと美佳さん。美佳さんがここに来てくれなかったら、あるいは負けていたかもしれないわよ」

 お美津さんが、地上にいる美佳に手を振ると、美佳も笑顔で手を振った。

 浄化された無数の生き物たちの魂が、ヒルコのもとに集った。生き物たちの慈愛の光が、バラバラになったヒルコの残骸を包み込んだ。ヒルコの残骸が、おだやかなヒマワリ色に包まれる。

「ヒルコが浄化する」

 充輝が言った。

 夕焼けの空に、タンポポの種のような白い綿帽子のように見える光の粒子が、無数に舞った。それは新たなる新天地を求めて旅立つ、浄化された魂の幻想的な光景だった。

 充輝とお美津さん、太助が空から地上に降りた。幻想的な光景を見続けている美佳のもとに歩いてゆく。

「終わりましたね……。浄魂の剣の……いえ、絶壁さん」

 美佳が、傍らに来た充輝に言った。

「ああっ、終わった」

 充輝が頷く。

 事は、美佳の自殺未遂騒動から始まった。

 御前の岬で自殺しようとしていた美佳を、美佳の守護霊であるお美津さんと、充輝が止めようとしたときに、聖獣である太助が現れ、美佳の命はとりとめた。が、事は収まらず、事件は氷川市総合病院での大杉という医者の悪霊との戦いに発展した。悪霊との戦いに勝つには勝ったが、自分の子孫が人に滅ぼされたかもしれないと聞いた太助は、人に絶望して、聖獣を辞めてしまった。そうこうしているうちに氷川湾にヒルコのしもべであるウメズが現れた。充輝たちは、聖獣の太助の力なしで、ウメズと戦った。窮地に立たされた充輝たちだったが、A級の守護霊であるお美津さんの奮闘と、充輝の頑張りで、ウメズは倒すことができた。お美津さんが、一時的に消えてしまった状態になったが………。

「いろいろあったよな」

 充輝が言った。

「ほんと、いろいろありすぎて、あたい、どうにかなりそうだったわよ。太助さんも、そうでしょう?」

 お美津さんが言う。

「太助さん……。どうしたの?」

 太助は、お美津さんの言うことを聞いていないようだった。なにやら思うことがあるらしい。

「なあ、なんで、イザナギとイザナミは生まれたばかりの我が子を葦の葉に浮かべて流したんだろうな」

 太助が、感慨深く言った。

「どんな姿で生まれてきても、生きてゆく権利というものがあるのにな」

 骨もないぶよぶよの醜い姿で生まれたヒルコとて、そんな姿では生まれたくはなかっただろう。

 醜い姿ゆえ、両親に愛されずに捨てられたヒルコは、幸せにはなれなかったのだろうか……。

「絶壁、もし、おまえの子供がそういう状態で生まれてきたら、どうする?」

「どうするって、言ったって……」

「イザナギやイザナミのように捨てるか?」

「オレは……」

 充輝は返事に窮した。

 自分が子供を持ち、育てるなんて、一度も考えたことがなかい。夢もあるし、やりたいこともたくさんある。子供は可愛いものだという認識はあるけれど、自分の時間を犠牲にしてまで、子供を愛することなどできるのだろうか。

 恐らく、今の自由な時間をつぶしてまで、子供を育てることなどできないだろう。

 できないとなると、イザナギ、イザナミのように子供を捨てるだろうか……。

 充輝には、自分にこの問いに答える資格があるかどうか、それさえ分からなかった。

「絶壁……。子供は可愛いものだぞ」

 太助が言った。

「オイラにも三匹の子供がいてな。そのうちの一匹は片足が不自由だったんだ」

「太助さんにも子供がいたの?」

 美佳が言った。

「ああっ」

 太助の子供は、片足が不自由なゆえ、仲間のカワウソに苛められていた。太助は苛められていた子供を救うために、仲間のカワウソと喧嘩になり、重傷を負った。

「健康な子供より、何か問題がある子供のほうが可愛いとは、よく言ったものだ。オイラ、その子供が可愛くて可愛くて仕方がなかったよ」

 聖獣になった太助は、成長し、大人になった自分の子供らに一度だけ逢ったことがあった。

「三匹とも立派な大人のカワウソになっていたよ。オイラよりも立派な大人にな」

 太助は涙ぐんでいた。

「オイラ、信じたいんだよ。イザナギ、イザナミは我が子を捨てたりしない。捨てたというのは後からつくられた作り話だと。我が子を捨てる親なんかいるもんか。カワウソのオイラさえ、我が子が愛おしくて、愛おしくてたまらなかったんだ。イザナギ、イザナミは神様だぜ。神が我が子を捨てるなんて、考えられないんじゃあないか」

「太助……」

 充輝は、太助の中にある思いに、胸をうたれていた。聖獣である太助は、誰よりの命に対する思いが強いのである。

「太助さん……。流されたヒルコを恵比須さまとして祀り上げたのは、太助さんのような優しい心を持った人々が作った信仰かも知れないわね」

 お美津さんが言う。

「ああっ……」

 太助は頷いた。




        15、戦いの後で……。


 バラバラバラというヘリ、特有のホバリングの音とともに真っ青な機体が赤い空に浮かんでいる。N県警のヘリ“アオサギ1号”が充輝たちの上空に現れたのである。

 850馬力エンジン2基搭載、航続距離800キロを超える10人乗りの青い機体は、ゆっくりと地上に降りてきた。

 地上に降りたヘリのドアが開き、中から、人が出てくる。

「み、みんな……。どうしてここに? なんで、ヘリに乗ってたの?」

 充輝が驚きの声をあげた。

 ヘリから降り立ったのは、超研の面々だった。部長の宰三をはじめ、三左衛門、隆、博之、それと亜希子ちゃんまでそこにいた。

「よく、やったな。おまえならやれると思っていたよ」

 宰三が言った。

「僕も、充輝くんならやれると思っていました」

 隆が、目を細めて言う。

「僕、興奮して、おしっこ漏らしそうになったよ」

 博之が、鼻をぐずらせた。どうやら泣いているようだ。

「ちょっとー なに? 男のくせに」

 亜希子ちゃんが、博之を見て言った。

「だって……。どうなることになるかなーと思っていたんだもの。ああっー  勝って本当に良かった」

 博之は、大粒の涙をこぼしていた。

「もう、男だったら、メソメソしないの。あんた男でしょう」

「はぃ……」

「だったら、泣かない」

 亜希子ちゃんは、腕を組んでニコリと笑い、博之を慰めたのだが、博之は泣くのを止めない。いつまでも、グズグズしていた。

「だから、泣かないの」

「だって……」

「泣かない。これ以上、メソメソしたらいい加減怒るからね」

 亜希子ちゃんは、拳を振り上げた。

 亜希子ちゃんは本気で怒っているようだ。ピリピリとした怒気が辺りに満ちている。

「こええな。女は……。そう思うだろ、三左衛門」 

 宰三が、身体を縮小させて言う。

「ほんと、怖えよな。女は」

 三左衛門が頷いた。

「僕は、怒らせたりはしませんが」

 と、隆が宰三の視線に応えた。

「そうだ。そうだったよな。おまえが女を怒らせるわけないか。なにせ、おまえという奴は、女の前に立つと、真っ赤になって、何も話せなくなるような、そんな奴だからな」

「そ、そんな~ 話せないわけではありません。ただ、口から言葉が出てこなくなるんです」

「バッカ、それを話せなくなると言うんだよ」

 宰三が大きな声を出して笑った。みんながつられて笑いだす。

 三左衛門は、充輝の肩を叩きながら冗談を言い、亜希子ちゃんは、執拗に博之をからかっている。お美津さんと美佳は、それを見て、ニコニコと微笑んでいた。

 和気あいあいとしている超研のメンバーと、充輝たちを見つめている男たちがいた。

 超研のメンバーの後、ヘリから降りた男たちが、充輝たちを監視していたのである。

「手塚さん、そちらの方は誰ですか?」

 充輝が男たちに気づき、聞いた。男たちの中に手塚がいたのである。

「こちらの方は……」

 手塚が充輝に応えようとすると、

「手塚さん、自己紹介するよ。これから長い付き合いになるかもしれないのでね。私は小田(おだ)だ。小田陽介。本名ではないがね」

 と、男が手塚の声を遮った。

 三十代後半だと思われる男は、髪を七三に分け、銀縁の眼鏡をかけていた。眼鏡の奥から、人を刺すような細い目を光らせ、高級紳士服メーカー“ダンヒル”のロイヤルブルースーツを意気に着こなしている。

「本名は理由(わけ)があってあかせはしないが、日本政府のものだとだけ言っておこう」

「日本政府のもの!? 警察関係者ではないのか?」

 と、充輝が言う。

「警察とは違う組織だ。詳しくは言えないが、ヤマト一族とヒルコのことを知っていた組織の者だと言っておこう。もっとも我々の組織のことは、極秘にされているから、(おおやけ)にはできないし、私はこの世界に存在しないものになっている。先程、本名を名乗れないといったことは、そういうことだ。早速だが、おまえたちはこれから私の所属する組織の管理下に置かれることになる」

「それって、俺たちの自由がなくなるっていうこと?」

 三左衛門が口を尖らす。

「いいや、諸君らは我々の管理の中に置かれるが、これまでどうりの自由は保障される。君らが霊とか悪霊の存在を真実として口外しなければね」

「口外しなければって言ったって、ヒルコは現れたし、街は破壊された……。この事実をどう説明するんですか?」

 と、隆が言う。

「あれは、決して悪霊ではない。あの化け物はのことは環境破壊と異常気象のせいで現れた、巨大化したイソギンチャクの化け物ということで処理することにしている。悪霊とか怨霊、はたまた幽霊などというものはこの世に存在しないということにしたいのでね」

「どういうことですか、それは?」

 美佳が尋ねた。

「よく考えたらいい。幽霊とかお化けとか霊魂は、宗教とか小説や、映画の中にだけ存在するほうがいいと思わんか。もし、それが事実として証明されてしまったら、どうなってしまうと思う?」

「どうなるって言われたってな……」

 三左衛門と、宰三が顔を見合わせた。

「とてつもない混乱が起きる……。我々としては、そんな事態は何としても回避したいのでね」

 かつて、霊の存在が今よりも身近に信じられていた時代。人々は悪病や天災などの災厄が起きると、怨霊の祟りのせいで、それらの災厄が起きたと信じていた。

そのため、国家的規模で御霊会(ごりょうえ)と呼ばれる儀式を催して、怨霊と化したと思われる霊を鎮めてきたのである。

 もし、現代に霊の存在や悪霊、怨霊の存在が事実として認められ、社会認識されたら、御霊会どころじゃあ済まないだろう。

「しかし、現実にあることを、どう誤魔化すんです?」

 充輝が言った。

「我々を甘く見てもらっては困る。真実は我々の情報操作によって、いくらでも隠ぺいすることができる」

「隠ぺいだって!?」

 宰三が眉を吊り上げた。

 隠ぺいとは、都合の悪いことを故意に隠す行為のことがが、事がことだけに、隠し通すことができるのだろうか? もし、それができるのなら、小田が属する組織は、相当な力を持つ組織だといえるだろう。 

「しかし、いくらなんでも、幽霊はいることは事実だし、いまさら誤魔化そうとしたって……、なあ」

 宰三が、みんなに同意を求めた。

「だから、我々を甘く見るなと言っているだろう。現にこの地に、我々以外のヘリが一機も飛んでないという事実は、どう説明する?」

「どう説明するって言ったって!?」

「これだけの事件だ。普通なら、マスコミ各社がスクープ欲しさに、ヘリを飛ばすだろう」

 充輝たちは、辺りを見渡した。

 確かに、ヘリはおろか、マスコミの姿はどこにも見えない。

 なぜ? ヒルコは倒され、平穏を取り戻したはずなのに…………。

「ここから半径五キロメートル以内を立ち入り禁止にし、この辺一帯が放射能に汚染されたという情報をマスコミ各社に流した。いろいろと探られたら困るからな」

「それじゃあ、怪我をした人は誰が助けるんですか? 火災も起きているし…………」

 充輝が言った。

「安心しろっ。救助活動は、我々の息がかかった組織がやっている。人命は尊重されなければいけないのでな」

「しかし、放射能汚染なんていうデマを流したら、それこそ、パニックになるんではないですか?」

 充輝が言った。

「いいや、ならない。放射能汚染の情報は、マスコミ各社の上部の者しかしらないし、固く口留めされている」

 マスコミ各社の末端で働く人たちは、理由もわからずに行動を制限されて、さぞ、歯がゆい思いをしているだろう。

「しかし、それでは……」

「事態が収束したら、放射能汚染の事実はなかったことになる。あれは誤報だったと言いくるめるさ」

「それで、納得するんですか?」

 三左衛門が言う。

「納得なんて、できるわけないだろう。そんな誤報を流した者は処分されるに決まっている」

 隆が憤る。

「誰が、誰を処分するんだね。誤報を流した者も、その誤報を取り締まるものも、大本は同じ組織。我々は裏で、行政を操作できるといっても過言ではない」

 行政の影で、情報を操り、行使できる組織。そんな組織が本当にあるのだろうか?

 もし、本当にあるのだとしたら、ある意味で国を裏で操ってきた組織なのだろう。

 小田が属している組織の歴史は古い。

 時は平安時代の末期に遡る。武士に権力を奪われ、政権を奪取された朝廷は、あやゆる策謀、謀略を巡らし、陰から政治を動かすことに全力を注ぐことにした。そのために、諜報活動に優れた組織を立ち上げ、時の政権をうまく利用しようと考えたのだった。

 朝廷は匪族(ひぞく)と呼ばれる者を使った。(断っておくが、ここでいう匪族は、集団で略奪や暴行、火付けを行った武装集団の匪賊のことではない)匪族には普通の人にはない特異能力があった。数キロ先の針が落ちる音さえ聞き分けることができる聴力を持つ者。暗闇でも、敵を見分けることができる視力があるもの者。犬なみの嗅覚を持つ者など、人よりも優れた能力を持つ者が、朝廷の命で、時の政権の影で蠢いたのであった。

 朝廷の命を受けて日本全土に散らばった匪族が持ち帰った情報の中に、ヒルコのことを記された書簡があったのである。

「おまえら匪族だろう。オイラの鼻がおまえらを匪族だと嗅ぎ分けている。匪族か……。ここで、また、あんたらと会えるとは思わなかったぜ」

 太助が言う。

「二ホンカワウソの聖獣、太助。君のことは組織のコンピューターにファイルされていた。ここで逢うことはすでに予測されていたことだ」

 小田が言った。

「まったくだぜ。陰でいつもいつもちょこまか、ちょこまか動いていた目障りな匪族が、こんな所にお出ましとはな」

 太助は、口をへの字に曲げた。なにやら、太助と匪族の間には、因縁があるらしい。口をへの字に曲げた太助は、そっぽを向いて、小田から目を逸らした。

「それで、匪族さんよ。これからオイラたちをどうするつもりだ?」

「さっきも言ったが、君らは、これから組織の管理下におかれる。君らの行動は常に、私たちの組織に監視される。ただし、言っておくが、君らのことは監視はするが、君らの自由が奪われるということではない。秘密を守ってくれれば、拘束することはないから安心したまえ」

 小田が、太助たちの心を見透かしたように言った。

「あの~ 組織の名前はなんていうのですか? 存在しないことになっていても、名前ぐらいあるんでしょう」

 隆が言った。

「検索でもするか、ケンサク君こと隆君。もっともいくら検索しても存在しない組織の名など、でてきやしないがな……。けれど、便宜上、名はある。我々の組織はAHO……。組織オーという」

 小田は、唇を歪ませた。




         16、戦いは終わらない。


 あれから二週間が過ぎた。

 ひと騒動が終わり落ち着くかと思われたが、充輝の周りはさらに騒がしくなっていた。美佳が、充輝たちが通う氷川高校に転入してくるし、立て続けに起こった化け物騒ぎのおかげで、超研に入りたいという奇特な生徒が、部室の前に列をつくって並んだのである。

 五十人におよぶ応募者を全員、入部させるわけにはいかない。そういうことで部長である宰三が、ニャンタとポチを使って、誰を入部させたらいいか占っているらしいが、部長の占いをあてにしたら、どうなることになるのやら分かったもんじゃあない。ここはひとつ、A級の守護霊であるお美津さんに透視してもらって……。

「絶壁、なに、ぼやっとしているんだ」

 三左衛門が、充輝の頭をこずいた。

「なにをしやがる」

 充輝が抗議をすると、三左衛門は身構えて、

「やるか、俺はいつでも相手になってやる」

 と、ほざいた。

「それは、こっちのセリフだ……。ん! やーめた」

 充輝は握った拳を引っ込めた。三左衛門と争う気はないらしい。挑発している三左衛門を無視して、背を向けて、椅子に腰かけた。

 ヒルコとの戦いは、充輝を成長させたようだ。いつもなら、くだらない喧嘩を長々と続けるのだが、おとなしくしている。三左衛門を見ようともしなかった。

 午後のひととき。超研の部室に居るのは充輝と三左衛門だけではない。隆や博之、亜希子ちゃんや美佳、お美津さんや太助、宰三と部外者である小田が、なにをするわけでもいなくのんびりとしていた。

「いつも思うんですけれども、超研の部室って、本当に汚いですわよね」

 と、お美津さんが言う。

「男どもがだらしないのはしょうがないとしても、私たちが、これから出入りするんだから、もうちょっとキレイにしなければね。そう思うでしょう。美佳さん」

 亜希子ちゃんが言った。

「そうね、いくらなんでもこれじゃあねえ」

 美佳は首を傾げた。

 確かに超研の部室は汚い。大小さまざまな超常関係の本が乱雑に積み重ねてあるし、コンビニの弁当の食い残しやら、飲みかけのペットボトルが机の上に散らばっている。

「あたいたちが、キレイにしてやりますか」

 お美津さんが言った。

「そうね、これからお世話になるんだし……。小田さんもそうおもうでしょう」

 美佳が、宰三と話をしている小田に言った。

「その前に……。ちょっと聞きたいことがあるのですが」

 隆が言った。

「僕たちと戦う前に、ヒルコは一度、この世界に現れたことがあるんですか? 復活ということはそういうことでしょう?」

「そういえば、そうだな」

 充輝が応える。

 美佳の両親は、十七年前に、ヒルコの復活を阻止するためにその命を落としたという事実がある。悪霊と化した大杉と、化け物ウメズは、ヒルコの復活のために、美佳を人身供儀にしようとしたのだ。

「お美津さん、どうなの? ヒルコは前に現れたことがあるの?」

 美佳が聞く。

「あたいには、よくわからないけれど……。太助さん、分かる?」

 お美津さんが、太助に話を振った。

「おいおい、あんた、A級の守護霊だろ。そんなことも知らないのか」

「太助さんは、知っているの?」

「いいや、オイラも知らない」

 太助は、頭を振った。

「その問いには、私が答えよう」

 小田が言った。

「匪族に知らないことはない、とでもいいたいようだな……。匪族さんよ」

 太助が、目を細めて侮蔑する。小田は意に介さないようだ。話をつづけた。

「イザナミとイザナミが海にヒルコを流した神話は知っているだろう」

「また、その話か」

 太助が言う。

「黙って聞け。大事な話なんだから」

 充輝が注意をした。

「はいはい、わかりました」

 太助がぞんざいに答えた。

「ヒルコが恵比寿になったという伝承は有名だが、海に流されたヒルコが大津波になって人々を襲ったという伝承もあるんだ」

 その大津波が、漁村を襲う数ヶ月前、浜はかつてない大漁に賑わっていた。数えきれないほどのイワシやサバが浜に打ち上げられ、滅多に網に入ることないカツオやマグロまで捕れた。村人は浮かれ、はしゃぎまわり、海神である恵比須さまに感謝したのであった。

 豊漁は村に多大な恩恵をもたらしたが、その一方では、村人の力では解決できない問題が発生した。

浜にあがった大漁の魚は、うらぶれた漁村を潤したが、捌ききれない魚は、他の土地の人々に売りさばくこともできずに、土に埋めるか、土にも埋められない魚は一か所に集められて、そのまま放置されるしかなかったのである。

 数千を数える魚が、野ざらしにされて、腐った魚が悪臭を放ち始めた頃、一人の老人が、ヒルコの予言をした。

 それは、生き物の命を、おのれの欲望のためにむやみに奪うと、ヒルコさまが現れ、人々に大悪禍をもたらすであろうという予言だった。

 村人は、そんな話があってたまるかと、老人を馬鹿にした。その村にもイザナミ、イザナミによって海に捨てられたヒルコが、恵比寿さまになって海の恩恵を村人に与えているという伝承が伝えられていたために、恵比寿さまになったヒルコがそんなことをするわけがないと思っていたのだった。

 しかし、老人の予言は正しかった。

 ある夜、大地震が起き、それから数時間後、村を飲み込む大津波がその地を襲ったのである。

 村は全滅した。老人の話を信じた数名の女と、子供たちだけが生き残っただけだった。

「その大津波が、ヒルコだったというのかい?」

 太助が質問する。

「それまで穏やかだった海が、突然荒れ狂うなんて、昔の人々は予測できなかったんだろうな。津波、そのものをヒルコというわけではないだろうが、大津波はヒルコとして名を与えられ、その地に伝承された」

 小田が言った。

 嵐でもないのに、突如、静かだった海が狂ったように荒れ、大津波になって、なにもかも飲み込んでしまう……。

 津波発生のメカニズムなど想像もできない昔の人々は、神さまの(ヒルコ)(ばち)が当たったのかもしれないと恐れおののくしかなかったのである。

「昔は大津波で、今回は凶悪な化け物っていうわけかい。大津波が、形を変え、あんな化け物になってしまったのは、やはり、絶滅した生き物たちの恨みっていうわけ?」

 と、太助が言う。

「大津波が起きる直前、村人は、海の幸を粗末にしてしまった。大漁の魚介類が、無駄に、その屍を大地にさらしてしまった。魚にも魂があるのなら、村人を恨んだかもしれないな。断定はできないが…………」

 小田が応えた。

 人は、なぜ、同じ過ちを繰り返すのだろうか…………。

 ヒルコが大津波になって、村人を襲ったと語る小田は、淡々と伝えられてきた伝承を語っているようだが、その表情はさえなかった。

「小田さん……。小田さんは、何の用でここに来たの? ヒルコの話をしに来たわけではないでしょう」

 美佳が言う。

 小田は存在しないと言われる組織の者だ。その組織に属する小田が、用もないのに、のこのこと充輝たちに会いにきたとは思えない。

「おっと、失礼…………。私は、君たちの今後のことについて釘をさしにきた。大昔の伝承のことを話に来たわけではない」

「俺たち、何もしていませんが……」

 三左衛門が頭を掻いた。

「まず、第一に、超研の部員はこれ以上を増やさないこと。部員が増えると、秘密も漏れてしまう危険が大きくなる。そうだろう、亜希子ちゃん」

 小田が亜希子ちゃん視線を送る。

「えっ!?」

 一連の事件後、亜希子ちゃんは、充輝のこととか、お美津さんのこと、美佳のことを自慢げに友達に話していた。浄魂の剣のこととか、守護霊のこととか、ヤマト一族のことをである。

「君が話しても、周りの友人たちは、君の話を信じようとはしないから、ほっといておいたが、中には信じる奴も出てくるかも知れないからな。ほっとおくわけにはいかない」

「そうなのよ。浄魂の剣のことを言っても信じてくれないし、守護霊のことを言ったって、お美津さんは大事な時に現れてはくれないし……」

「あたいの姿は、ここにいる人にしか見えないようにしているの」

 お美津さんが言う。

「えっ― そうなの? どうりで。だから、私の友達にはお美津さんの姿が見えなかったわけね。えーん、ショック」

 亜希子ちゃんは、嘆いた。

「でもさ、お美津さんのことはともかくとして…………。浄魂の剣のこととか、悪霊の大杉の話…………。なんで、私のいうこと、誰も信じてくれない分け。」

「そりゃあ~ そのう~」

 宰三が花をならした。

 亜希子ちゃんのいう事だから、誰も信じてくれないんだよと、口が裂けても言えない。そんなことを言ったら、どんな目に合うか、宰三たちは身に染みて分かっているのである。

「小田さん、まだ、話があるんでしょう」

 充輝が言った。

 組織AHOの一員である小田が、それだけのことで、わざわざ充輝たちに会いに来たとは思えない。苦言は前にも刺されているのである。

「我々の組織に西の浄魂の剣の持ち主から連絡が入った」

 小田が応えた。

「西の浄魂の剣の持ち主って!?」

 充輝が言う。

「浄魂の剣の持ち主は、あなたさまだけじゃあないってことよ」

 お美津さんが、充輝に言った。

「イギリスで、胸に人の怨霊が浮かぶ、グィスギーが現れているというという連絡があった」

 小田が言った。

「グィスギー…………。グィスギーは一度滅びたはず」

 お美津さんが言った。

 グィスギーとは、イギリスの神話に出てくる怪物である。ウェールズ地方に出現していたと言われ、狼にも似た犬の姿をしており、この怪物に遭うと、人は凍りついて身動きができなくなるらしい。グィスギーは、イギリスの怪物、ケルビー、バンシーとともに滅んだと言われているが……。

「一度滅びたグィスギーと、今回現れたグィスギーはちょっと違うようだ」

 小田が言うと、

「胸に人の怨霊……。それって、人の怨霊がグィスギーにとり憑いているんじゃあないの?」

と、美佳が言った。

「人の怨霊がグィスギーを蘇らせたのか……。大杉とは逆だな」

 充輝が言う。

「逆とは?」

 小田が充輝に問う。

「ヒルコは生身の身体を取り戻したいという大杉の執念を利用し、死霊である大杉を操ったが、今度の場合、人が…………。人の怨霊が怪物を操ろうとしているんじゃあないの?」

 ヒルコは、人をこの世から滅ぼそうとした生き物たちの怨霊の化身である。そのヒルコが、人の怨霊である大杉に生身の身体を与えるわけない。大杉はまんまとだまされ、ヒルコは美佳の人身供儀を成就させようとしたのであった。

「西の浄魂の剣の持ち主はそうとうてこずっているようだ。だから、我々の組織に連絡をよこしたんだろう。で、そういうことだから、充輝くんには早速、イギリスに飛んでもらう」」

 小田が言った。

「オレがイギリスに!?」

 充輝は、海外に行ったことがない。外国などテレビや映画でその様子を見るだけである。

「絶壁さんが、行くならば、私も行きますからね。私は浄魂の剣の持ち主はを支える一族、ヤマトの末裔ですもの」

 美佳が言った。

「美佳さんが、行くなら、あたいも。あたいは美佳さんの守護霊よ」

 お美津さんが言う。

「おいおい、オイラを忘れてしまちゃあ嫌だぜ。オイラがいかなくちゃあさまにならないよな」

 太助が言った。

「もちろん、美佳さん、お美津さん、太助にもイギリスに行ってもらう」

 小田が言った。

「じゃあ、俺っちは? 俺っちたちも同行できるんだろう」

 宰三が言う。

 組織AHOからの要請となると、海外渡航費は、もちろん無料(ただ)だろう。無料で海外、それもイギリスに行けるかもしれない。宰三の心は躍ったが…………。

「馬鹿、言っちゃあいけないよ。君らが同行できるわけないだろう。絶壁と行動を一緒にできるのは、美佳とお美津さん、太助…………。それと、ケンサクくんだけ」

「えっ!? 僕が……。なんで、僕が」

 ケンサクこと隆は、片手で眼鏡をつり上げた。

「理由は、いまは言えない。さしあたって君には、私たち組織との連絡係になってもらう。君がいつも背負っているそのリックサックの中のタブレットに今後のことを送っておくから、後で見てくれっ。それじゃあこれで」

 小田は踵を返すと、超研の部室から出て行った。

「絶壁、おまえ大変だな。イギリスに行くとなると…………」

 三左衛門が言った。

「な、なにが大変なものか。ただで海外旅行ができるんだぜ。くっわはっはっはっは」

 充輝が笑った。

 内心、充輝は心細い。言葉もろくに通じない外国に行くなんて、考えたこともない。ちなみに充輝の英語の成績は、いつも赤点だあった。

「まったく、うらやましいぜ。イギリスにゆくなんて…………。まっ、日本のことは、この宰三に任せて、イギリスでそのグィスギーという怪物を退治してくれっ」

 と、宰三が言うと…………。

「絶壁…………。俺と博之は、おまえがどこに行こうと、おまえのことを信じているからな。必ずイギリスから帰って来いよな」

 と、三左衛門が充輝に言った。

「はっきり言って、僕もイギリスに行きたいです。イギリスにあるストーンヘンジはUFOの基地とか言われているじゃあないですか」

 UFOオタクの博之は、相変わらずである。なにかとUFOのことばかり気にしている。イギリス渡航の目的はグィスギー退治なのにも関わらず、UFO、UFOと鬼の首でもとったように騒いでいるのであった。

(どんな奴なんだろう。イギリスにいる西の浄魂の剣の持ち主は………)

 まだ見ぬ、西の浄魂の剣の持ち主。

 充輝の思いは、すでにまだ見ぬ浄魂の剣の持つ主に馳せていた。




              = 了 =






  


 

     

 


 

 



 

令和一年十二月中に掲載予定でしたが、身内の不幸があり、掲載することができませんでした。

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