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親ガチャ
言いたくないが「親ガチャ」だ。
親が子供に用意する環境はその経済力に大きく関わるだろう。そして経済力は平等ではない。ならば子供に用意される環境も平等ではない。親ガチャという表現には虚しさを感じるが事実はある。格差は現実にあるのだ。その現実を根拠に当たりを引いた人は非難される。
でもさあ、親ガチャでいいのを引いた人が有利で得をしているのは間違いないが、責任はないよね?この日本では親のしたことの始末を子に付けさせるのはやってはいけないことだから。
非難はおかしい。おかしいが差はあり、格差として続いてしまう。これは現実だ。これを真に平等にするには下を上に合わせるしかない。お金で埋めるしかない。そうだね。バラマキだ。日本で生まれたということを根拠になされるバラマキだ。ばらまいたところで子供に使われるとは限らないがとりあえずまきなよ。すぐに子供に使う親もいるだろうし、さまざまな手だって後からうてる。それよりもいま、分断は刻々と進んでいるんだよ。