エピローグ――ある新暦五月の一日
「『仮校舎 若葉すべり入る 窓辺かな』」
昼休み、五月中旬の爽やかな風が吹き込む一室で、梓は昼食をとっていた。
警察と海上保安庁が人工島近海の捜索を終え、被疑者を確保して一週間。国立総合防災大附属校の敷地には、数棟の仮設校舎が立ち並ぶ。梓たちはその中の一棟、二階の部屋にいた。
同じ部屋の廊下側の机には、鳥かごがあった。中のヤタガラスがクリームパンの欠片をついばむ。響の昼食の残りだった。
「アンチヴァクテリアル……アンチヴァクテリアル……」
響は鳥かごに向かって立ち、両手をそれにかざして、ある魔法に取り組む。
「バよ、バ。バクテリアのバ」
近くの椅子に座っている栗子が、発声の手本を見せた。
「ヴァ」
「バ」
「ヴァ、ヴァ。アルケミー、【アンチヴァクテリアル】!」
抗菌の魔法は発動しなかった。
「だめです」
「あーもう。クセ、すっかり戻っちゃってんじゃん」
「火事場の馬鹿力だったね」
梓が風上から言った。
「かじヴぁのヴァカぢから」
栗子は机に片ひじをつき、その手で頭を抱えた。ヤタガラスが「カー」と間の抜けた調子で鳴き、それがさらに栗子の指導意欲を殺いだ。
「はー。当分はあたしが抗菌やっとくから。エサとかしつけはあんたがちゃんとやっとくのよ。いい?」
「はい」
『ぴん、ぽん、ぱん、ぽん』
「ブレイン、【干渉防御】」
梓は間髪入れず、頭痛を防ぎにいった。
「甘いぞ一文字、フェイントだ!」
戸が勢いよく開いた。
「あーうっさ」
「何の用ですか、副校長」
姫宮が室内に入ってきた。その後ろから十六夜も入ってきた。彼は手に一本の杖を持っている。
姫宮はヤタガラスに目をとめ、梓に尋ねた。
「済んだようだな。道具はどこだ」
「山崎さんが持ってます」
「これ。返すんでしょ」
栗子が蘇生用魔法具・ウロボロスを姫宮に渡した。これは男子生徒たちやその他の被害者の治療後、ヤタガラスを彫像から元に戻す際に使用した。取り戻した二つのうち一方を香甲第二高校に返還し、もう一方を防災大附属校が借りている状況だ。
「うむ。そのことについてたが」
姫宮はいったん間を置き、生徒三人を見回した。
「この道具は香甲第二高校から引き続き無償貸与を受け、防災大で管理することになった」
「ヤバいもん作ってた口止め料ね」
「それ言っちゃダメだよ! 建前は『貴校の理念を尊重して』だからね!」
十六夜があわてて釘を刺し、響がクスッと小さく笑った。やりとりのおかしさに加えて、曲がりなりにも姉の目的が達成されたことの喜びもあった。
姫宮はフッと笑い、十六夜に声をかけた。
「十六夜教諭、杖を」
彼は姫宮に持っている杖を渡し、それから響に向かって言った。
「それの代わりだよ」
ヤタガラスの杖の柄が鳥かごの横に置いてある。これは警察を通して魔法研究所に返還される予定だ。すなわち響は形見の杖を二本失うことになる。そこで彼は新たな杖を用意したのだった。持ってきた杖は色、形状、使われている宝石などのすべてにおいて、大学時の紗都希の杖――最初の形見の杖と同型だった。刻まれた登録番号と名前だけが響のものになっている。
「今後も研鑽に励むように」
「はい」
副校長は厳粛に言い、特待生も気を引き締めて答え、杖を受け取った。
「まだ連絡事項がある。一文字」
「何ですか」
「新任の校長のスカウトが済んだ。理事会の承認も得られる見込みだ」
「本当にあの子でいいのかなあ……。スピーチしてもグダグダになるよ」
十六夜が口を挟んだ。
「安心しろ、実権は私が握る。上に庇護欲をかき立てるマスコットを据えるのは時勢というものだぞ。時代は確実に動いている」
「それ傀儡政治っていうんだよ。昔ながらのやり口だよ!」
「ハッハッハ。猫の駅長もいるではないか」
「そのことと、私が何か」
梓は先を促した。
姫宮は笑いを収めた。
「新校長の着任前に本校舎を再建せねばならん。そこで午後の授業は予定を変更し、量産型機の操縦実習とする! 一文字は同機を用い、魔法技師と建設業者を手伝え。息吹は一文字を補佐しろ。十六夜教諭は他の生徒との連絡調整に当たれ。山崎は事故があった場合に備え、しかるべき場所で待機せよ。詳しいことは追って指示する。なお、私も後刻、別の棟を使って参加する。手本にするがいい」
わかったら解散! と力強く言い残して、姫宮は部屋を出ていった。十六夜も続き、栗子も「そんじゃ」と言って部屋を後にした。
梓は弁当箱を片付けた。
部屋の端にあるロッカーのところへ行き、そこから鍔付きの黄色いとんがり帽子を二つ取り出す。
「もうすぐ昼休みも終わる。準備はいいかな」
「はい」
帽子の一つを響に投げた。帽子はふわっと飛び、響の頭に乗った。
「座って」
「あ、はい。……座って? ということは、やっぱり」
「慣れてきたね」
仮設校舎の非常ベルが一斉に鳴り出した。他の部屋にいた生徒たちが建物の外に出ていく。
梓は床に落ちていた新緑の葉を拾い、響の座席に近づいた。拾った若葉をカラスの嘴に咥えさせる。ベルに驚き「カーカー」とわめいていたカラスは、それで少し大人しくなった。
響は椅子に座り、鳥かごを膝の上に抱えた。
「わたしがついてるからね」
カラスはすっかり落ち着き、「カー!」と元気よく鳴いた。若葉が嘴から離れ、宙を舞う。
梓も帽子をかぶり、席に着いた。
仮設校舎が変形を開始する。窓の位置がシフトし、前面に来た。
「『レンガ積む うえ軽らかに ツバメ過ぐ』」
窓の外、赤レンガを満載したトラックの上を、一羽の鳥が飛ぶ。その口には巣作りのための泥。今は新たな生命を育てる季節。
「SFG・仮三号棟、発進!」
ゴーレムは命の息吹に満ちた大地の上を、一歩一歩進んでいった。




