亀の甲より年の功
締めつけの圧力が増した。
もはや呻き声も出ない。
梓は首に巻きつく砂の蛇をつかもうとしたが、右手は激しく痙攣して力が入らない。
左腕には別の砂の蛇が巻きついて締め上げてくる。薄くなった意識で懸命に魔法のイメージを作り上げても、左手の炎瑪瑙の指輪は何の反応も起こさなかった。
「くらえ!」
男の声がした。それは魔法で首を絞めてくる男――瀧殿のものではなかった。
突然、複数の金属製のパイプと木材の破片が地面すれすれを飛んだ。瀧殿の足に迫る。
「まだ動ける奴がいたか」
瀧殿は魔法で大きく跳躍して机の残骸から回避した。
「逃がすか!」
一人の男子生徒が現れ、瀧殿を睨む。彼の眉間の前で魔法弾が生まれ、発射された。瀧殿は撃たれた魔法弾を右手の平で軽く受け止めた。
「キューブにつかまらない割には弱いな」
「なめるなよ」
男子生徒は香甲第二高校の制服に身を包み、茶色の長髪。顔立ちは、美男子と強引に主張すれば十人中二人が苦笑しつつ曖昧に賛同する程度。
今度は両手それぞれでも弾を作り、三発同時に放つ。
瀧殿はそれらを右手だけで軽くはじき飛ばした。
「いつまで手を抜くつもりだ?」
「なんだと」
魔法弾はさらに増えた。男子生徒が撃つものに加え、瀧殿の背後の空間からも弾が現れ、正面、右斜め後ろ、左斜め後ろの三方向からの連射になった。
砂煙が立ちのぼる。
それは着弾前に生じた。
魔法弾は舞い上がった砂にすべて捉えられ、エネルギーを殺された。散り散りになって消えた。
「彼は……そうだ、いまのうちに……」
梓はよろよろと立ち上がった。
瀧殿は魔法の毒砂【アデニウム】を自身の周囲に集めて張り巡らせることで魔法弾の攻撃を防いだが、そのために砂の蛇が消えていた。
梓がアスクレピオスの杖に向かって歩く。毒の影響で一歩一歩が重く、歩みは遅い。
瀧殿が梓を見据えた。
男子生徒が叫ぶ。
「待てよ! お前の相手は俺たちだぞ!」
その声に応えるように、新たに二人の男子生徒が姿を見せた。窓側の階段席に銀メッシュ髪に黒縁メガネをかけた小太りの少年、廊下側の階段席にパーマヘアの長身痩躯の少年だ。
「三人いたのか?」
口調はやや呆れ気味だ。
「観念するんだなテロリスト!」
「テロリストだって? ハハハ、俺がか?」
呆れ口調が強くなった。自身の右手と左手に持つ右手を左右に広げ、やれやれ、とジェスチャーした。
「俺はテロリストじゃあないぜ」
「お前がテロリストでなけりゃなんなんだよ!」
「これを見ろ」
瀧殿はくしゃくしゃになった一枚の紙をポケットから取り出した。指に挟むと一気に皺が伸び、硬くなった。投げつける。
紙は縁で額を切りにいくかのように、長髪の男子生徒の真正面に飛ぶ。
「喰らうかあっ」
パアンと快音一発。少年は白刃取りでキャッチした。
「おいおい、そんなのに両手を使うなよ。まあまずはそいつを読め。『学業成績証明書』と書いてあるだろう? OBが書類と預け物を受け取りに来たついでに実戦的な稽古をつけてやっただけさ」
「OBだと」
紙を一瞥すると、確かに『学業成績証明書』とあり、校印も押されている。
少年は瀧殿の動きを警戒しつつも、中身を読み進めた。実力を測る参考にするためだ。
実技の成績は次の通りだった。
瀧殿 征真
学年総合、一九九位/二○○人中。学年男子九九位/一〇〇人中。
魔力変換 F
魔法イメージ構築 G
アルケミー H
ブレイン H
クリエイト E
ドライブ H
スペシャル適性 無し
「月初の測定と同じ表示形式にしてある。知っての通り、最高評価はSSS。次がSS、その次がS。あとはABCD以下略、の順で成績優良さ」
「お前ぜんぶ『以下略』の範囲だろ! 最低ひとつ手前じゃねーか!」
「そういえば、二〇〇位の奴は病気持ちでほぼ不登校だったな。単位ギリギリだった」
「お前もギリギリだろ! つーかお前、実質最下位のくせに稽古とか……稽古とか……どういうことなんだよ……。何でそんな奴を倒せないんだ」
「なあに、何度か死ねば貧弱極まりないお前も強くなれるかもしれないぜ? 手伝ってやるよ。生き返らせはしないけどな」
瀧殿の右手に砂が集まる。
「さあて、お嬢様以外は特別扱いなしだ。香甲高校の掟、知ってるな。言ってみろ」
少年は何も言えなかった。
その掟のことなど何も知らない。また、瀧殿の奇妙な動きに気を取られもしたからだ。
瀧殿は手についた毒の砂を舐めていた。
まるでそれが砂糖であるかのような、ほんの僅かな甘味も惜しむかのような仕草。微かに浮かぶ甘美な表情。
瀧殿の全身がビクンビクンと痙攣した。顔と両手の血管が異様な膨らみを帯びて浮き上がる。眼も魔力変換の指輪も妖しくギラつき、少年の警戒心と恐怖心を煽った。
「く、くるか。クリエイト、【プロテクション】」
「『弱者は血を流せ』」
赤、白、ピンク。アデニウムの花と同色の数百の魔法波が指先に凝集する。
空を切る音と空気の刃が切る音。
二つの音が混ざった次の瞬間、少年の右腕前腕部は床に落ちた。魔法金属製のプロテクターは綺麗な断面にふさわしい綺麗な反響音を出して床を跳ね、体の一部を包んだまま短い距離を転がった。
「な……に? 見えなかった」
少年が左手で右ひじを抱えてうずくまる。
「みっくん!」
「水渡!」
少年の二人の仲間――角野と介見が叫ぶ。
瀧殿が小太りの少年・角野に言い放つ。
「お前は重いのが好きそうだな。ドライブ、複合式」
角野は下に押し付けられるような加圧を感じた。力は強くなってくる。遠隔操作の魔法だ。
「ドライブ、複合式!」
角野は上方向に働く力で対抗しようとする。しかし抗いきれない。踏ん張る足が通路の床に少しめりこんだ。彼は歯を食いしばって重圧に耐えた。口の代わりに膝が悲鳴を上げた。
「負けちゃだめだ。負けたらダメなんだ! 学校にきたテロリストを倒すのは……」
「お前もテロリスト扱いか」
瀧殿が呆れて笑う。その笑いが魔法の制御を緩めた。
「男のロマン!」
重圧を跳ね返して跳んだ。介見が作った空中の透明板を踏み台に、角野はさらに高く跳ぶ。瀧殿の視線は彼を追い、自然と上を向く。
放たれる右の拳。
瀧殿の左頬に一撃が入った。
「お前か」
一撃を加えたのは水渡だった。彼の右腕には、魔法で作った銀色の義手が輝く。
「だが緩い」
瀧殿は転倒しない。頭上から角野が撃ってきたパイルバンカーを身をひるがえしてかわすと、ふたたびドライブの魔法で二人に重圧をかけた。介見がぶつけにきた複数の透明板の刃も地に落とし、彼本人も餌食にした。
出力を増した加速度の魔法を受け、少年三人の体が床にめりこむ。
「ううっ」
「くそ……」
「いくら血気があっても」
瀧殿が言う。
「変換装置なしじゃあな」
水渡の義手が輝いたのは一瞬だけで、もうすでに色が薄くなっていた。魔力変換補助装置なしの魔法拳は重厚さを欠き、威力に乏しい。彼は右手に指輪を嵌めていたのだ。
「テロリストってのは、政治だの世の中だのを騙って暴れる奴のことだろう? 俺はそんな真似はしない。せいぜい物欲だけさ」
喋りながらも魔法は緩めない。
「ぐ、あ、ドライブ、複合式!」
「ドライブ、複合式!」
「ドライブ、複合式!」
三人がかりで打ち破ろうとしたが、かなわない。相も変わらず凄まじい力で床に押し付けられる。
水渡たち三人の手足の骨が重圧に耐えきれず、折れた。
彼らのみならず、広大な室内の多くの机と椅子も脚が重圧に耐えきれずに折れ曲がり、潰れた。数あるブラックキューブにもヒビが入り、歪み、立方体の形状をそのままとどめているものはなくなった。
「なんだこの魔法……」
「強さも範囲も」
「使っている魔法は同じさ。ドライブの基本、力学作用の魔法の初歩の初歩、テレキネシス。ただし」
瀧殿は右手を広げ、その甲の側を水渡たちに向けた。
「【アデニウム】のクスリでドーピングしてある」
輝く四つの指輪と太く浮き出た静脈。
静脈は魔法ホルモンのない血液を心臓に送り返し、心臓は毒の作用でホルモンのある血液を通常より強く手先へ送り出す。
少年三人が吐血した。ダメージが肋骨や内臓に達した。
「とどめは……まあいいか、残量がない」
瀧殿は三人を捨て置いて、歩き出した。
毒と重圧の二つの魔法を受け、梓が途中で倒れていた。意識はある。骨折もしていない。重圧が少年三人のものより軽い。
瀧殿は梓の横を通りすぎ、アスクレピオスの杖のそばに戻った。
杖は床に倒れている。掛けられていたウロボロスがすぐ近くに落ちている。
瀧殿は杖を右手で拾い上げた。ひと睨みすると杖は二つに折れ、頭部側が落ちた。残りも無造作に投げ捨て、ウロボロスを手に取る。瀧殿が手にしたウロボロスは二つになった。
「パーツはそろった。じゃあな、お嬢様。生きていられたら、新しいのはまた理事長に建ててもらえ。旧いのは愛校心あふれる卒業生が餞別にもらっていった、とでも伝えろ」
瀧殿が左手に持つ右手の指輪が光る。
校舎のベルが一斉に鳴りだした。
終業のベルではない。
どこにでもある非常ベルと、ほぼ同じ音。
一般のものとはわずかな違いがあるが、それは聞き慣れた者にしか認識できない。
この場でそれができたのは梓、水渡、角野、介見の四人。
この香甲第二高校の非常ベルの音は、防災大附属校と全く同一のものだった。




