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かぐわしき校風

 一行は構内の道路を歩く。

 校舎の中には入らない。目指すのは部室棟だ。途中の立て看板に『模擬戦IH校内二次選抜会場→』とあったが、その指示する方向とは逆をゆく。

「この高校の一学年の生徒数は約二百人」

「知ってる」

「知ってます」

 梓の説明に、栗子と響が返事をした。

 説明の続きは、「来たことないのあんただけ」と言われるより早かった。

「加えて、四月の始業からはまだ一か月。だから、新入生全員の顔や氏名を覚えている生徒はまずいない。教師でも、そこまで熱心な人は少ないだろうね」

 歩きながら、梓は話し続ける。

 道の左右には芝生が広がる。左右どちらの側もよく手入れがされており、二百メートル以上先まで緑が広がっていた。ところどころにベンチが点在する。

「そういうわけで、隠れて移動する必要はないんだ」

 むしろ、隠れる場所がないともいえた。

「それはいいけどさ」

 栗子が言った。少しうんざりした調子だった。

「何」

「ここ高校だけだよな」

「そうだよ。小中高一貫は第一。第二は高校だけ」

「やっぱおかしいでしょ」

「そうだね」

 すでに百メートル以上は歩いていた。

「ひろいです」

 響が率直な感想を述べた。香甲第二高校の敷地は、少なく見積もっても総合大学のキャンパスに匹敵するだけの広さがある。

『空間歪曲魔法さ』

 大城戸ガラスは歩行のペースに合わせて、ゆっくりと羽ばたく。

『運動場や体育館はもっと広くなるぞ。ちょっとした大爆発やヌルい音速移動の衝撃波が起きても大丈ブイ! というわけだな』

「あ、ここ運動部でそういうのやんのね」

『派手にやらかしたのは第一高校の体育だと聞いたがな。ぶっ壊れた壁やフェンスをいちいち直してられんから、ここでは常時スペースを広くとるようになったのだ。お、もうじきだぞ』

 二階建ての建物が二棟見えた。

 そのうちの一方に近づく。

 途中、ラケットを持った女子生徒二人とすれ違った。ラケットのカバーには筆記体で『Love Prince』と伝統的ブランドの名が縫われている。彼女たちは梓たちの帽子とマントに少し目を止めて、それからコートのある別方向に歩いて行った。「珍しいよね」「あれじゃない? 選抜の」「あれでもいないよ」という会話が去り際に聞こえた。

「ここだと目立つのかな……」

 梓が帽子に手をやって脱ぐか脱ぐまいか逡巡していると、今度は一人の男子生徒が建物から出てきた。

 彼は話しかけてきた。

「見ない顔だな」

 梓をじろじろと観察していたが、突然顔色が変わった。

「縦……げ、やべ……失礼しました!」

 深く一礼して、走っていった。

「何なのあれ?」

「さあ」

 栗子と梓が首を傾げる。

 響は大城戸ガラスに尋ねようとしたが、『私にも知らんことはあるよ』と返された。

「予想したより目立つみたいだ」

『部室の中に入れば問題なかろ』

 部室棟の階段を上る。途中で日が陰ってきた。黒い雨雲が少しずつ空を覆い、一帯を暗くしてゆく。

「雨……」

「ふりますね」

 全員が空を見上げた。

『魔法でドームが作られるから、豪雨でも心配いらんが……』

「それ、うちんとこでもそう……」

 話の内容とは裏腹に、大城戸の口調も栗子の口調も歯切れが悪い。事前に見ておいた天気予報では、降水確率一〇%。予想の外れは、積み重なれば不安を生む。

 二階の一番端まで進んだ。

 薄汚れたドアプレートに『魔法生物研究部』の文字が並ぶ。文字はところどころ剥げ落ち、隅に小さな蜘蛛の巣までできている。ドア中央部には『消毒完了まで立ち入り禁止・生徒会』の張り紙があり、その上からさらに『汚物は早く消毒しろ世紀末生徒会』と張り紙がしてあった。

「あたし入りたくない……」

「こわいです……」

「私が行くよ」

 帽子のヴェールを下ろして魔法を発動させる。箒の飛行時と同様にヴェールが硬質化し、さらにその上から薄い魔法の幕が頭部全体を包み込む。防風・防塵・防煙が主な効果だが、防毒にもいくらか効く。埃と蜘蛛の巣に備えるため、箒も構える。

 梓とカラスだけが入る。

 一歩踏み入れたとたんに、何かを踏んだ。

 古びたノートと本の山だった。本はドア近辺のみならず部屋のあちこちに散らばっていて、積んであったものが崩れた様子ではない。室内の本棚がほぼ空っぽなので、そこから抜きだされ、乱暴に投げ捨てられたものと思われた。

 梓がさらに一歩進むと、足下でバキッと何かが割れる音がした。

『ゴホッ。気をつけてくれたまえッ』

「うわクサっ。ちょっと梓っ! 響、入っちゃだめ!」

 踏んだノートの下に、何か固いものがある。

 ノートをどけると、蓋の割れた大きな標本箱。蓋は透明なので、中身が見える。ぱっと目につくのは亀甲羅だ。甲羅の長さは約三十センチ。

 梓はよく見るために箱を持ち上げた。

「これはカメ……え!?」

 甲羅から突き出た頭部には、ストロー上の口と長い触角がある。尻尾はない。そして細長く節のある脚が六本・・、甲羅から突き出ていた。ネームプレートに書かれた文字は、『たぶんカメムシ』。その横に落ちていた付箋には『未処理』。

 脚の付け根と甲羅の隙間から、オレンジ色の汁がドロリと垂れた。汁がシュウシュウと音を立てて気化する。

「ひいいっ」

 部屋の外で響が悲鳴を上げた。

 天井の警報器もまた悲鳴を上げた。警報音が激しく鳴り響き、同時に音声が出た。

『異常事態発生。異常事態発生。ガスを感知しました。至急、避難してください。繰り返します。ガスを感知しました』

「何だ、何だ」

「うわ、くせえぞ。禁断の部屋だ!」

「開けたの誰だよ!」

 他の部室から生徒が出てきて、廊下の外は騒がしくなった。

『むむむ、人が集まっては面倒! レッド君! 奥のコートだ!』

「コート!」

 部屋の奥にショーウインドウのような棚がある。その中に毛皮のコートが展示されているのがわかる。

 梓は標本箱を捨て、箒を手にして駆け出した。途中で『スカラベウス・コプロフィリア』『厳重管理・マホウタマオシコガネの餌』とマジックで書かれた段ボールを二つ蹴とばして警報がより激しくなったが、かまわず進み、一気にウインドウの前まで来た。

 ウインドウ内にあるのはコート一着のみ。ワイヤートルソーに掛けられたコートは毛足が長く、白と黒の二色で縞模様になっている。ウインドウ内の床には標本箱と同様にネームプレートがあり、表示は『最臭防具COMSコート・オブ・マジカルスカンク80エイティ』。

 手でガラス戸を開けようとしたが、開かない。

 戸の下部に鍵穴がある。

「鍵は!」

『ナッシン!』

 梓はすかさず箒の柄を両手で握り、高く振り上げた。

「クリエイト、【ファイアーアックス】!」

 箒の穂が魔法の光を発し、変形してゆく。大型の消防斧に変わった。

「ある高名な音楽家は、こう言っている!」

『急ぎたまえっ』

 廊下に出てくる人の数は増えていた。

「『運命はかく扉を叩く』!」

 ためらいなく四連撃を叩きこむ。一撃目でガラスが破れ、二撃目で錠が壊され、残りの二撃で戸は弾き飛ばされた。

 クリエイトを解除してコートに手を伸ばそうとすると、カラスが叫んだ。

『脱がすと作動するぞ! 着用者以外は全滅だ!』

 梓が振り向くと、すぐに次の指示が出た。

『トルソーごと持っていきたまえ! ロック解除は別の場所でするのだ!』

 箒をカラスに投げ渡し、トルソーの支柱を抱えた。

 即座に出入り口に向かって走る。足下で何かがうごめき、丸く茶色い何かが床を転がったが、一人と一羽はそれを無視した。

 部屋の外に出ると、響と栗子が待っていた。ウインドウを破る間に二人もヴェールを垂らし、悪臭を防いでいる。廊下には他に誰もいない。

「どうぐは」

 響が尋ねた。梓が答える。

「これ。すぐ出よう」

 響はコートを見て不思議そうな表情を浮かべた。しかし大城戸ガラスも『出るのだ』と脱出を促したので、それに従った。

 部室棟の階段を下りる途中、地上にいる十五人以上からの注目の的になった。部室棟からいち早く避難した部員たちだ。下りきれば彼らが詰問してくることは間違いない。

『我々は危険物処理班だ!』

「これは魔法のスカンク製です! 暴発の恐れがあります!」

 カラスが先手を打つ。女声を無理やり作って叫び、梓がすかさず同調した。

 注目はコートに一点集中。

 その場の空気が固まった。

「逃げろおおおおおおーーーーっ」

 絶叫が合図になった。

 香甲第二高の生徒たちは魔法で脚力を強化し、思い思いの方向へ全力で逃走した。まずサッカー部員とラグビー部員の姿があっという間に彼方へ消え、脚力強化に不慣れな剣道部や柔道部の新入部員たちがその後に続き、最後にボディービルディング部員がドスドスと地を揺らして走った。マジカルスカンクの臭いを魔法で防ごうとする者は一人もいなかった。

 梓たち三人は無人の地面に下り立った。

『よしよし。うまくいったな!』

「確かにすごい道具みたいですね」

『通常の嗅覚を通して大ダメージをあたえるうえに、ニオイを嗅いだ者の分泌腺と魔法器官を誘爆させてさらなるニオイ物質を大量生産するからな。魔法器官が発達した者ほど悪臭に苦しむ。最強の追加効果さ』

「うえ……。それ、あたしたちも危なくない?」

『なあに、君ぐらいの魔力レベルなら大したことはない』

「あ、そうなの?」

『そうともさ。一週間フロに入っていない男で満員の真夏のエレベーターに閉じ込められたところに納豆とシュールストレミングをぶっかけられて、グチャグチャにかき混ぜられた程度で済む』

「済むわけねーだろ!」

 怒声を放つ栗子の横で、響と梓が首を傾げる。響はシュールストレミングとは何なのかと疑問を抱き、梓はまた別の疑問をふと抱いた。

「においが魔法兵器に効くんですか」

『魔法兵器は魔法器官のカタマリなのだよ。ブレイン魔法の信号を受容する器官もある。操作者が近くにいればショックで即死。遠くにいても魔法兵器がルーターとなって遠隔操作者に誘爆する』

「細菌やウイルスみたいな魔法生物兵器には――」

『むむむ、レッド梓くん、その話はあとだ。安全に使うために、まずはロックを解除せねばならんぞ。パスワードは……』

 梓は質問をとりやめ、続きを聞くことにした。

『パスワードはな……』

「パスワードは?」

「なんですか」

 三人が固唾をのんで見守る。

『それはな』

「はやくいえって。このまま暴発したらどうすんのよ」

『知らんのだ』

「はあ!?」

 カラスは三本足で持っていた梓の箒を投げ捨て、詰め寄る栗子を飛んでやりすごし、スカンクコートの肩部分に降りた。梓は江戸時代のまとい持ちのような格好で、トルソーとコートとカラスを支える。

『知っているのは、ロックした紗都希くんだけだ』

 紗都希がすでに故人であることは、言うまでもない。

『だが案ずるな。さあレッド君、次は図書室へ向かいたまえ! そこにパスを解くヒントがある!』

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