瞳の中のスナイパー
くちばしの中に、ノコギリ状の歯が生えていた。
左目の中に、奸悪な光が宿っていた。
響に見えたのはそこまでだった。
飛来する物体を察知して振り返った石像の顔は、ゴーレムの右足に隠され、そのすぐ後につぶされた。
灰色の礫がコックピットの窓と壁を叩き、部屋のずっと下方から床に重く鈍い衝撃が届く。
空気が揺れる。振動が伝わる。
「ドライブ、【平衡制御】」
座席を包む卵形のシールドの向きを水平に維持したまま、部屋が回転した。サブモニタに映るゴーレムが、それと寸分違わない速度で後方宙返りを決める。コックピットである狭い教室の天井と床が入れ替わり、床と天井が入れ替わった。
ズンッという着地音がやむと同時に、響は顔を伏せ、片手で両目を覆った。
「うっ、すこし、めまいが」
「あ、ごめん」
梓は何ともない。モニタから目を離していなかった。
「いえ、なんとか……もう、だいじょうヴです」
「それはよかった。私は回復魔法できないから」
「わたしも、あまり」
「それなら、内部にダメージを受ける前に倒さないといけないな」
そう言った梓が、緊張の面持ちで水晶玉モニタをふたたび覗く。
響も水晶玉を覗いた。
さきほどの石像は首から上の部分を失い、二車線道路に倒れていた。石像の胴体と同じ色をした石礫が一帯に散っている。街路樹も風圧により巻き添えを食らい、新緑の葉を散乱させていた。歩行者と車は見当たらない。
「これ、さっきの」
「石像鬼。ゴーレムと同じく、魔力で作り上げたモンスター」
蹴られたガーゴイルの身長はゴーレムと変わらない。翼を広げたときの大きさではゴーレムに勝り、体格の頑健さではゴーレムより劣る。
「校長先生が言っていた、敵ですよね。もうやっつけたんですね」
「いや……。校長は、私が楽に勝てる相手だとは言っていなかった」
梓がモニタに目を凝らす。
「道路に操作者はいない。血の跡もどこにもないから、巻き添えになったわけでもない」
「血……」
響の顔から、血の気がわずかに引いた。
「胴体……?」
呟いた梓はシートベルトを外して立ち上がり、その場で窓越しに石像の残存部分を観察した。
「ガーゴイルを動かせるほどの魔力源は……あそこから感じない」
「と、いうことは」
「まだ近くにいる。ブレイン、【索敵】」
右のこめかみに右手の人差し指と中指の先を当て、目を閉じる。
「気配が」
「えっ」
響には、魔法による敵の居場所の探り方がわからない。座ったまま何度も上半身を動かして自身の左右と後方を見たが、そこには教室の壁しかなかった。
「あ。ちがいました。こっちを見れヴぁ」
サブモニタの水晶玉を覗き込んだ。右斜め上から俯瞰する角度で、ゴーレムの全身が映っている。
「きりかえ、きりかえ。水晶の使い方は……【ズームアウト】」
左手の人差し指と中指を水晶玉に当て、魔力を送った。
「見えたかい」
「みえましたっ」
「うしろだね」
「そう、で」
返事は遮られた。
獣の咆哮が遮った。
それと同時に部屋が勢いよく一八〇度右回転し、振動がきて、とまった。
「き、牙が」
正面の窓越しに、巨大な犬歯が見える。ただし牙の持主は犬ではなく、狼でもない。獅子だ。
ガーゴイルと同様の石材で作られた体躯は硬さを感じさせるものだが、モデルとなった生物の持つ骨格と筋肉を忠実に再現し、躍動感をも併せ持つ。
獅子像はゴーレムの身長を上回る体長をもって、両前足を掲げ、口を大きく開き、上体からのしかかってきていた。
牙と口は動かない。ゴーレムの両手がその咬合を阻む。
「撃つんだ息吹さん」
「わたしが」
「私は手が離せない」
箒を握り締める梓の両手から、光が溢れる。
「大口を開けた今がチャンス。古代の軍人もこう言っている!」
「な、なんて」
「『虎穴にいらずんば虎児を得ず』!」
「トラじゃないですっ」
二人が話している間に、獅子像はさらに体重をかけてくる。口がじりじりと近づく。ガリガリと音がする。前足の爪でゴーレムの鎧が削られる。
「やるしかないっ」
響は眉間に神経を集中させた。両肩の筋肉が著しく緊張し、顔がこわばる。目つきと両眉の鋭さがよみがえった。無事に着地して敵を一体倒したことによる緩みは、完全に消え去った。
充血した目に光が宿る。毛細血管の中を、魔力を帯びた粒子が駆け巡る。
その顔のままシートベルトを外して立ち上がり、水晶玉を押しのけて窓の外を睨んだ。
「あっ! そうじゃないっ!」
梓の制止は振り切られた。
ヴオオオオオオオオンと音を立てつつ、球形の白光が響の顔の正面で膨らんでゆく。その光は触れる先から座席のシールドを粉々に破壊しつつ膨張し、直径一メートルほどになると、大きさが変わらなくなった。しかし音は鳴り止まず、輝度は増してゆく。
「クリエイト、【ガンフォース】!」
瞬きする間もなく、窓の強化ガラスが割れた。
そのグシャッという破壊音が伝播するよりも早く、光弾が敵に吸い込まれた。獅子像の口内を焼き、喉の奥をえぐる。
像の後頭部で爆発が生じ、粉塵が舞った。
雄々しさをかもし出していた鬣に大小無数の亀裂が入り、毛先がボロボロと崩れ出す。
像の動きが止まった。
崩落が一段落して、風が吹き抜ける。
風の通り道は、石像の後頭部、のど、口、ゴーレムの右目。
春風と一緒に石片を吐き出して、獅子像が倒れる。街路樹の幹を裂き、工場の塀を壊し、アスファルトを砕いて、瓦礫と化した。
「や、やった。やりました、一文字さんっ」
振り返ったが、血の引かない目には上級生の姿が映らない。
「どこですか」
「ここ」
机の下にもぐっていた。
「隠れなくても」
「見ないで」
見つけ出しても、いまだ血眼である。
「一文字さんが撃てと」
「操縦桿を通して魔力を送り込んで、ゴーレムの腕や額から撃つんだよ……」
「でもこれ、入学試験の実技科目です。みなさん、やってるんじゃ」
「威力がありえない。窓を壊すのもありえない」
「ごめんなさい」
響は座席シールドの穴をくぐり抜け、窓に寄った。
「開けられたんですね。よ、い、しょ」
固いレバーをまわすと、ぽっかりと穴の開いた窓が少しスライドした。中央部が著しく軽量化されてなお、窓は重い。
「次、から、は、開け、て、撃ち、ます。お、おもい」
「話きいてる? シールド解除」
梓も机の下から出て、窓に寄った。
「力学作用の魔法を使うんだよ。ドライブ、単独式」
梓がレバーをまわすと、窓はすんなりと全開になった。
外の天気は快晴そのものだ。
しかし夏の黒雲のごとく、梓の胸に疑心が湧き上がった。
「これは単純なイメージ操作……。中学で習ったはず」
上級生が特待生を軽くにらむ。にらみ返された場合にすぐかわせるよう、足に少しずつ魔力をこめている。
「わたし、中学校のとき、魔法科コースじゃないんです」
反撃は来なかった。
「普通科? 独学であの魔法を? あの威力になるまで……?」
視線の先には、獅子像の残骸。工場の敷地内にまで飛んでいた。工場脇の通路には獅子像の足跡が点在する。工場の裏側に潜んでいたと思われた。
「ひとりじゃないです。師匠から、教えてもらいました。学校のせんせいじゃないです……。わたしが使えるの、クリエイトとアルケミーヴぁかりなんです。ドライヴやヴレインはなかなか発動しなくて……」
「その変な発音のせいだと思うけど。魔法式が改造されたドライブはブ……言いにくいな。ヴが本来のものだけど、ブレインにまでヴ……を使う必要はないよ」
「でも師匠によると、魔力が上がりやすいんだそうです」
「変な人だね。君のお師匠さん」
言いながら、梓は窓から身を乗り出した。
「あ。あれだ」
長さ十メートルを超える二つの大きな石塊の間に、杖が落ちていた。
「三体目はいない……。取ってくる。ドライブ、複合式」
操縦桿になっていた箒を取り寄せて、またがった。箒は術者の体を乗せて浮き上がり、滑るように外へ飛び出した。
いったん、空中で周囲を見回す。
工場は屋根と壁が壊され、半壊状態だった。隙間から見える工場内部では、複雑な機械と製造中の機器の部品が乱雑に散らばっている。部品は複数のコードと集積回路と液晶パネルで、薄型テレビの組み立てラインらしかった。従業員も監督者もすでに全員避難したらしく、動くものの影はない。気配もしない。
梓は敵が見当たらないことを確認すると、地面に降りた。防災大附属校では教室内でも土足であり、履き替える必要はない。
杖を手に取る。
「トパーズ、か」
取っ手側に二つ。その反対側の端に一つ。嵌めこまれた三つの黄玉が、それぞれ強い光沢を放つ。
血が三滴、杖から落下した。
それらは沸騰し、路面のコンクリートを溶かして穿ち、蒸発して消えた。
「これは……」
梓が再び杖を見たとき、宝石はその輝きを失っていた。