急転直下
夕刻。
梓たち三人は連れ立って校舎の廊下を歩き、校長室を訪れようとしていた。
『ぴん、ぽん、ぱん、ぽん』
「う、あたまが……」
響が頭を抱えた。姫宮のテレパスだ。
『倦みつかれた足取りで寮や部室に向かう我が愛しき生徒諸君、こんにちは。連休中なのに学校なんてやってらんねえよ、という諸君の嘆きの元凶、お前らの畏怖すべき、そして乗り越えていくべき大いなる試練、校長姫宮杏子様だ。退屈しきった諸君に耳よりの情報をやろう。本日午後四時半より、体育館で模擬戦インターハイについての説明会を行う。大会参加希望者はむろん、応援ツアーに申し込むつもりの者もぜひ来るように。なお昼休みに校長室へ来るように言い渡した者は予定を変更し、直接体育館へ来い。以上』
「だってさ」
「校長ノってるね」
「そだね」
姫宮のテレパスには冴えがあった。
明瞭な発音ながらも、体全体に沁み渡るような豊かなアルトの声。噛むことはおろか、ほんの一瞬たりとも言葉に詰まったり迷ったりすることはない。抑揚のつけかたや話す速度の加減も申し分なく、廊下にいた生徒は響を除いて全員立ち止まり、校長の言葉に耳を傾けたのだった。
「インターハイのなんかの種目で優勝したことがある、つってたしなー」
「好きなんだろうね」
そのとき響が体を起こして、梓を見た。響の顔には困惑の表情が浮かぶ。
「君をメンバーから外してもらう話は、私から言うよ」
「おねがい、します」
響はイベントで盛り上がる気分に到底なれない。姉の事件を追うことに専念したかった。
歩く方向を変え、体育館へ向かう。
体育館には二十数人の生徒が集まり、パイプ椅子に座っていた。いずれも男子生徒だ。全校生徒数が百人超に過ぎない防災大附属校では多いといえた。
壇上にいた姫宮が肉声で呼びかける。
「来たか。座れ。クリエイト、複合式」
姫宮が追加の椅子を三つ手際よく作り出し、三人も座った。
「そろそろだな。よし、これより説明会を始める。資料を回せ」
早くよこせ、あわてんなバカ、と怒声が飛び交いつつも資料が配られ、説明会が始まった。
が、やる気のない女子三人は説明をことごとく聞き流した。
栗子が欠伸をかみ殺し、梓が下の句を作れず苦しむさなか、説明会は終わった。隣の男子に聞けば、参加資格、日程、費用、競技種目などはひと通り説明されたという。
「さて、説明会はこれで終わりだ。だが解散するのは少し待て。お前たちに贈り物がある。水渡、角野、介見は前に出ろ」
「はい!」
男子三人が進み出て、舞台に上がった。昼休みに梓たちを校長室に連れて行った三人だ。
「十六夜教諭、あれを」
姫宮が舞台の袖に向かい叫んだ。
「人使いが荒いよ」
十六夜が三つの箱を持って現れ、姫宮の脇まで移動した。栗子が「あ、いたんだ」と驚いた。
姫宮は十六夜から箱の一つを受け取り、その箱の向きをいったん変えて、卒業証書を授与するように水渡に手渡した。残りの二つも同様に、角野と介見の手に渡った。
「この三つは私が特別に編集したDVD‐BOXだ。一昨年までの地方予選、全国大会本選、強豪校の練習をそれぞれ収録してある。あいにく昨年の試合は未収録だが、数年前のものは私が直に撮影した。古いとはいえ、並のカメラマンでは危険な位置から撮影したものだ。参考資料として活用するがよい。エンタメとしても悪くはないぞ」
言い終えると、姫宮はスーツの内ポケットからリモコンを取り出した。
「すぐ見るか」
「はい!」
座っている男子生徒たちも口々に、見せろ見せろー、と叫んだ。
「バスケ部もいいか」
バスケットボール部の部員たちは、体育館後方で説明会が終わるのを待っていた。
「いいっすよー」
「俺たちも見ていいですかー」
「かまわん」
彼らも近寄ってきた。
梓たちは席を立つタイミングを逃し、やむなく一緒に映像を見る羽目になった。
照明は消され、窓という窓に暗幕が引かれ、大型ワイドスクリーンが用意された。DVD‐BOXはいったん十六夜の手に戻され、彼は舞台袖から体育館放送室に向かった。姫宮は細長いテーブルを一つ作り出し、「構わず始めろ」と言い残し体育館を出て行った。
上映が始まった。
「音ちいせーぞ!」
「お前がうるせーんだよ!」
「そこどけ見えねー!」
「ん~」
栗子は居眠りを始めた。
一方、響は音声をオフにしてスマートフォンでゲームを始めた。大城戸に似た声のキャラクターが長く登場する追加シナリオは、終了間近。この時間を使って偽装工作の準備を終わらせるつもりだ。
梓はスクリーンと男子たちを眺めた。
「やれー」
「いけー」
「そこだー」
地方予選一回戦は盛り上がった。体育館には熱気がこもった。しかし二回戦が再生されるや、その盛り上がりは早くも下降線を描き始めた。
「う」
「レベルたけえ」
「いや予選だろこれ」
「どこの県だよ」
ふと、静かになった。
それが三回戦なのか、あるいは四回戦なのかはわからない。ただ、スクリーン内で暴れている一人の少女の力が地方予選の水準を遥かに超えていることは、視聴する全員に理解できた。
その少女の右腕は不自然に膨張していた。
短い金色の髪と同じ色の魔法波が何重にも右腕を覆い、それが筋肉の形に凝固した。同じ魔法は防災大附属校の男子たちにも使えたが、それは二つか三つの魔法波を固めた程度。ところが彼女のものはその数が三十を超える。少女の体は右肩から先がグロテスクなまでに様変わりして、力感・存在感ともに備わり、神話の巨人の腕が突如そこに現れたかのようだった。
巨腕はその大きさからは想像できない速度で振り上げられる。対戦相手の少年を高々と打ち上げた。
「うわぁ……」
「げえ」
自分が殴られたわけでもないのに、観衆は次々と呻く。
ほぼ垂直に飛んでいく体。開いた口から飛び散る唾液。歪む頬。広がる衝撃に動きを封じられる瞼。寸前まで握られていた手は誰かに助けを求めるように大きく広がり、前に突き出される。
克明なスローモーション映像はやられた少年のみならず、観衆の息まで止めてしまった。その呼吸は選手の少年が天井に叩きつけられ、さらに地面に叩きつけられ、バウンドし、血で床を染め終わったときに正常に再開された。戻った呼吸は観衆のものだけだった。
「死んだんじゃないか……」
「生きてる……と思う。ピクッと動いたぞ」
「どこがだよ」
「もう止まったのか」
「死後硬直が始まったのかも」
「はええよ」
その選手の試合前は生意気な面構え、生気溌剌、みなぎる自信。ちょっとした憎たらしさもあった。しかし試合後は白目のデスマスク。面影という語は彼の辞書から消去された。
「あんなんなりたくねー」
「俺も」
「俺も」
「俺も」
「俺も」
救護班が犠牲者に駆けよるものの、ジョギングのような足取りで、切迫感がまるでない。よくあることだ、という顔つき。慣れた所作で担架に乗せて、食器を片付けるようなすまし顔で会場の奥に消えた。
「俺帰るわ」
一人の男子生徒が席を立った。
「俺もやめる。せっかく誘ってくれたのに悪いな、水渡」
「おい、待てよ。待てったら!」
堰を切ったように他の男子が続く。スクリーンでは次の試合が行われていたが、それを見る者はいなかった。その選手は足がおかしな方向にねじれた姿を見られずに済んだ。
「た、戦いのロマンは……」
角野が呼び止めようとする。しかし彼の声は震えていた。
「これにそんなもんあるかよ。ただのやられ役になるぜ」
「お前も考え直した方がいいんじゃないか。俺たちみんな未経験だろ。じゃあな」
「待ってよ!」
ほとんどの男子生徒がスクリーンに背を向け、体育館から出て行った。
残った生徒は八人。梓、響、栗子、水渡、角野、介見に加え、元々体育館にいたバスケ部の部員二人だ。
『十六夜先生、とめてもいいと思いますよ』
梓は体育館放送室にテレパスで連絡した。すると体育館放送室の窓際に十六夜が現れ、彼は空席を一目見て奥に引っ込んだ。そのすぐ後にDVDの再生が止まった。バスケ部員がボールを床に打ちつける音だけが館内に響いた。
男子三人が悄然と体育館の出入り口を見つめていると、その戸が開いた。
戻ってきたのは姫宮だった。
姫宮は上下二段あるワゴンのような台車を押して入ってきた。台車の上にはテレビモニタのような装置が二セット載せてある。
「おや、どうした。もういいのか。……ずいぶん減ったな」
『あの編集の仕方じゃ、こうなると思っていたよ』
十六夜がテレパスで話しかけた。
姫宮もテレパスに切り替えた。
『ハッハッハ。こういうものは、事実を見せねばいかんだろう。本当にやる気のある者だけが残ったと思えばいいではないか。そうだろうビューアーの諸君!』
「そ、そうですよね。ハハ」
「ハハ」
「ハハ」
男子三人の笑いには力がない。入りようもなかった。戦いの水準と激しさは彼らの予想を大きく超えていた。今まで別のところで見ていた映像では、危険な部分はカットされていたのだった。
「あ、おわったんですね」
響がスマートフォンのゲーム画面から目を離した。
「そうだよ」
「まだだぞ、一文字。見るべきものはこれからだ。私自らが潜入取材して得たスペシャルな映像を見てもらわねばな」
姫宮は席を立とうとする梓を制した。
『十六夜教諭、ナンバースリーのディレクターズカット・パートをセットだ!』
『え、あれも見せるの? あれはもっとまずいよ』
『かまうまい。ここにいるのは全員十五歳以上ではないか。この先生きのこるにはどの程度鍛える必要があるのか、よく理解してもらう。山崎、起きろ』
『いいのかなあ』
「うぁ。あたまいた……なに? きのこならいらね……」
別のDVDが再生される。
男子三人は静かに映像を見た。熱意を三分の一ほど失った目だ。
栗子はぼんやりと自身の前方を眺めた。寝ぼけ眼だった。
「ほう……」
残りの聴衆に目をやった姫宮は、意外そうに言った。
梓と響の態度が昼休みや説明会のときとはまるで違うものになっていたからだ。
梓は絶え間なく視線を動かして、スクリーンに映る光景を隅々まで観察しようとする。
響は瞬きをほとんどせず、スマートフォンのゲームを終了させることも忘れて、スクリーンの一点を凝視していた。
響の視線の先には一人の女子高校生の姿があった。ただし響は彼女の顔をほとんど見ていない。見ているのは制服だ。スカートの丈が短いものの、それ以外は息吹家の洋服ダンスにある制服と同じデザインをしている。画面ほぼ中央に映るその少女のやや離れた後方には、別の女子高校生が四人ほど小さく映っていて、彼女らもまた同じ制服を着ていた。
「あー、これ、この服。これ好きだったんだよなー。はー」
栗子は相変わらずの寝ぼけ眼のまま、ため息をついた。
『近づかないでくれる? くさい息で服が汚れるから』
「あん?」
「君に言ったんじゃないよ」
ぴしゃりと言った人間も言われた人間も、スクリーンの中。
言った者は画面中央の少女だ。ウェーブのかかった長髪を悠然とかきあげる。
言われた側は画面手前にいる男子高校生。カメラ位置は彼の背後側にあるが、学生服の肩と腕の部分に裂け目があることがわかる。斜め方向に裂けているにもかかわらず、ほつれの全くない直線的な――直線的すぎる切れ方。何かにひっかけてそれができたなどとは、視聴者の誰も思わない。透明な隔離用防護壁・通称『シェルター』が二人を囲っていることからも、模擬戦の最中であることはすぐに理解できる。場所はどこかの広い建物の中で、やや薄暗い。
男子高校生が魔法を放つ。
『クリエイト、【ファイアーボール】』
ごく基本的な魔法だった。単発。速度は遅い。少女はひらりとかわした。
男子高校生はそれから炎の弾を何十発も撃ったが、いずれもかわされた。少女の動きは晩餐会の社交ダンスのようにゆったりとしたものだった。
『そんなものが当たるとでも?』
少女が嘲るように笑う。そしてもう一度髪をかき上げようとしたとき、顔が引きつった。
今度は少年がせせら笑う。
『クリエイト、複合式』
彼は魔法でデジタルカメラを作り、片手で持った。
『ほらよパー子さん。いつもより美人になったな』
少女に向けて一度シャッターを切り、放り投げた。カメラの画面に映る少女の長髪は、一か所が小さく焦げていた。
『あーあ、やっちゃったよコイツ』
『サイコロコース確定~』
『ステーキになるのはそいつさ』
「この声……」
梓は少年の顔を確認しようとしたが、彼が新たに作り出した数十の火炎弾に隠されてしまった。
『まぐれあたりなのにねえ』
少年が再びファイアーボールを撃つ。
攻撃方法は連射から一斉発射に切り替わり、数十の炎が四方八方から少女に襲い掛かる。
今度はかわされなかった。少女は胸の前に片手をかざすと、軽くその手を振った。するとたちまちにして竜巻状の暴風が少女の周りをとり囲んだ。
風の渦は大小の床の破片もデジタルカメラも巻き上げつつ、放たれたファイアーボールをことごとく飲み込む。カメラは壁に叩きつけられて砕け散り、炎は風の中で力なく消えた。
少年が大きく舌打ちする。
『あっさりと消してくれたな』
『ファイアーボールしか使えないの? カメラオタクさん』
『悪いか』
『ぷっ』
『アハハハハ。なにコイツ雑魚すぎー』
『男子の補欠じゃない?』
『それマジ最低ー』
『そうね。じゃあ簡単なのを一つ教えてあげる』
少女が風の魔法を解除する。
そのとき、少年の口元が画面に映った。それは一瞬だけだったが、梓の目は少年の口のわずかな動きを見逃さなかった。薄い唇にかすかな笑み、それもほくそ笑むような類の、余裕を漂わせた笑みが浮かんだように見えた。
戦闘用魔法の腕前は、少女の方がずっと上。映像中の女子高生全員と同様、響もそう思っていたし、水渡も角野も介見もそう思っていた。寝起きの栗子もそうだった。梓も一度はそう思ったものの、少年の笑みと記憶の底にある何かが邪魔をした。
『体で覚えてね』
力の差をより歴然と、より明瞭に示すべく、少女は次の魔法を放つ。
小さく手を振り上げ、空中に百を超える数の魔法波を作り出し、それを凝固させて五つの刃を錬成した。刃渡りは約二メートル。金属、炎、氷、圧縮された水、圧縮された空気の五種類が一つずつ。魔法波が二つ三つ分程度ならば、これらもごく基本的な魔法だ。巨人の腕の場合と同じく、数の差が力量の差をそのまま表す。
「ははははは。すげえな角野」
「ははははは。そうだね」
観衆の男子たちの引きつった笑い。それが伝染したかのように、映像中の少年も笑う。
『フッ。ハハハハハ。ハハハハハハハ。ハハハハハハハハ』
笑い声の長さと大きさが、当事者性の差をそのまま表した。
『そうこなくっちゃあな』
少年は剣を作り出し、少女の魔法に対抗しようとする。三つの魔法波が固まって金属と化し、一振りの剣ができあがった。彼は剣を右手にし、飛来する凶刃をはたき落としにいく。
力の比率は、三対百。
「ああ……」
「無茶だ」
「折られるよ」
少年の剣と少女の刃がぶつかった。
観衆の男子たちの予想は当たった。剣は炎の刃に溶かされ、あっさりと折れた。
次は体が切り刻まれる……。
そこからの予想は外れた。
少年が反撃に成功したからではない。反撃が不可能になった――予想を超えて不可能になりすぎたからだった。
炎の刃は剣を溶かした後、角度を変えて舞い戻り、剣を持っていた右腕を焼き切った。
氷の刃は左腕を切り落とした。
水の刃が左脚を膝部分で切断し、少年がうつ伏せに転倒した。その直後、空気の刃が床を這うように飛来し、左脚を切断して飛び去った。
少年が首を起こして空中に目をやる。観衆も彼の視線を追う。そこにあるものは、重厚無比な金属の刃。彼の作った金属の剣よりも太く、重く、強靭で、清らかな水で洗われたばかりのように美しい。
「おい、あれまさか……」
「いくらなんでも」
『おやすみ』
少女の優しい声と同時に、刃が落ちた。
皮膚、筋肉、頸動脈、頸静脈、頚椎、食道、リンパ管、その他諸々の体組織。
少年の頭部と胸部をつなぐあらゆるものを断ち切って、刃は床に達した。刃は床を割いて下方向に消え、残ったクレバスが少年の残骸から流れた血を吸った。
暗闇の底からぽたっ、ぽたっと、滴る音が響く。
『もう帰ろうよー』
『もういいでしょー』
映像を流す暗い体育館の中。
誰も動かなかった。
スピーカーから流れる女子高生たちの嬌声が消えると、館内は完全な静寂に包まれた。息を呑む音すらしない。
ごろん、と首が転がった。
どん、とバスケットボールが床に落ちた。小さくバウンドして転がった。ボールは首よりも長い距離を転がった。
少年の死に顔がスクリーンに小さく映る。
梓と響には見覚えのある顔。紗都希の机にあった、卒業アルバムに載っていた一人の男子生徒の顔。瀧殿征真の顔が――。




