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男女の壁

「『御曹司みざうしの 矢に射抜かるる恋文こひぶみの こまやかなりし 公達きんだちの墨』」

 ゲームは早くも佳境に入り、貴公子たちによる恋のさや当ては白熱していた。スマートフォンを操作する響の指にも力が入る。

「そんなゲームにマジになってどうすんの」

 響は返事をしなかった。大城戸の声を誤魔化すため、という本来の目的は頭の片隅に追いやられていた。

「意外と面白いのかもしれない。君もやったら?」

 栗子に話しかけつつ、梓もまたスマホを操作する。梓は作った歌を入力していた。

「いいわ。あー、つまんねー」

 栗子はベンチの背もたれによりかかり、空を仰いだ。視界一面が鮮やかな青で染まった。

 一日が過ぎて、五月の初め。

 昼休み、三人は校庭の中庭のベンチに並んで座る。ヤタガラスは寮の部屋の中に置いてきた。平日は警察にも瀧殿にも寮監にも見つからぬよう潜伏し、祝日になるのを待って道具を取りに行く。それがカラスに宿る大城戸の仮想人格が立てた計画だ。響が同行することになっており、梓も同行を検討中だ。

 栗子はこの計画に乗り気でない。というより、カラスの話は全く信じていない。連休中の遊び仲間二人を取られただけのような気分だった。

「あー……いい天気……だけどつまんね」

「山崎、付き合ってくれないか」

 突然男の声がした。

 それはゲームの声ではなかった。そもそも名前の入力をしていない。

「あ?」

 ある男子生徒の顔が逆さまになって現れた。乙女ゲームには到底出演できないけれど、不細工と呼ぶのも不当な顔。いわば顔面偏差値五十八。

 栗子はのけぞるような姿勢をやめて立ち上がり、振り返った。梓と響も同じく立って振り返り、ベンチの後ろを見た。

 三人の男子生徒が立っている。四月中旬の朝礼で響が倒れた際、保健室まで運んだ生徒たちだった。彼らはベンチの前に回り込んだ。

「付き合ってくれと言ってるんだ」

 リーダー格の少年が再び言った。目にも声にも力が入る。持てる力を百二十パーセントに引き出した、彼渾身のキメ顔だった。

「何言ってんの、五十八いそはち。唐突すぎるでしょ」

 梓が隣でうんうんと頷く。付き合いの申し込みも謎のニックネーム呼びも突然すぎた。まずはふみのやり取りからだね、と小声で言った。響はぽかんと口を開けて上級生たちを眺めていた。

「イソハチじゃねーよ。誰だよそれ」

「あんたたち。五十八いそはち五十二いそじ五十四いそしでしょ」

 小太りの五十二は痩せれば六十二むそじ、ひょろ長の五十四は逆に肉がつけば高身長に見合って六十一むそいちになるな、と栗子は脳内で勝手な分析を繰り広げた。

「あーもう、磯野ファミリーでも山本ファミリーでも何でもいいよ。急いでるんだ。それより、返事を聞かせてくれ」

「マジなの?」

「本気だ。頼む、この通り!」

 彼は手を合わせて頭を深く下げた。彼の連れ二人も、友人を支援するかのように同じポーズを取った。

「ああ、でもさ、あたしそーゆーの、興味ないんだよね」

 半分は本当で半分は嘘だった。栗子は自分自身で恋愛を楽しむつもりはなかった。ただし得意げな気持ちは表情に出ていた。あたしが本丸天守閣、響が内堀、残る一人が外堀、と。堀が全然埋まってないけど気にしない。顔は数値化できるけど、恋は不条理。理屈で語るものじゃない、と。

「今しかないんだ。頼む!」

 彼はより強い調子でそう言うと、その場で土下座して、また頭を下げた。連れ二人までも土下座してしまった。

「ちょっ、やめろよ。ダメだっての」

 思わぬ行為に栗子は戸惑い、響も目をまるくした。梓は腕組みし、私の友人がそんなにモテるわけがない、と不審げに男子生徒たちと栗子を見比べた。嫉妬より疑念が大きく勝り、ふくれっ面にはならない。

「これだけしてもか……。仕方ない、奥の手だ」

 男子生徒たちは立ち上がった。彼らの指輪が光る。

「クリエイト、単独式」

「クリエイト、単独式」

「クリエイト、単独式」

 彼らが一斉に魔法を放つ。退路を塞ぐように、女子生徒三人のすぐ後ろに壁がそれぞれ作られた。男子生徒たちは今度は全員でキメ顔を作って、女子三人ににじりよる。自身と壁で女子を個々に挟み込んだ。壁と男子の距離は、腕の長さとぴったり同じ。

「まさか」

 栗子が言った。梓が応える。

「そのまさか?」

 ドン。トン。ドォン。

 男子三人が片手で壁を強く突いた。キメ顔は全員崩さない。誰も似合っていないにもかかわらず。

「いいだろ?」

「あんたたちバカでしょ」

「バカにするなよ。奥の手はまだあるんだ」

「何本あんのよ」

「おい、角野。あれを出せ」

 リーダー格の『五十八』が指示を出した。それを受けて『五十二』こと角野はスマートフォンを取り出し、画像を表示させた。印籠のように突き出す。

「これが見えるかい?」

 女子三人は目を凝らして画面を見た。

 響が映っていた。全身を横から撮影したもので、響の前方にはお菓子の陳列棚がある。響は一方の手に買い物かごを、もう一方の腕に手提げ袋を提げていて、カラスがその袋の中から首をのぞかせていた。カラスは響の方を向いて口を広げており、お菓子の購入に容喙ようかいしている様子だった。

「あっ」

 撮られた張本人が声をあげた。万引きの証拠を掴まれたかのようだった。

「一年女子にかわいい子がいるって話をしてたら、みんな画像が欲しいって言ってね」

「そういうことだ」

 したり顔の表情が五十八のキメ顔に加わった。彼渾身のドヤキメ顔だが、似合ってはいなかった。

 角野が別の画像を表示させる。この画像は一枚目よりも前の日に撮られていて、梓も栗子も映っていた。カラスこそいないものの、響の手には同じ手提げ袋がある。

「その頭の悪そうな鳥は無許可で飼ってるらしいな。仲のいい後輩を困らせたくなかったら……」

 悪人顔の属性まで加わったが、そのスケールはチンピラレベルでしかなかった。

 しかし栗子は高く評価した。

「てめっ、盗撮で脅迫かよ。この三十八みそはちども!」

 内面偏差値三十八。

「何とでも言えよ。さあ、一緒にきてもらうからな」

「ぐ」

 彼は栗子の腕を取って歩き出した。

「君たちも」

「え?」

 他の二人も梓と響の腕を取って後に続く。

「待てったら。殴られたいのかよ!」

 栗子は声を荒げ、空いている腕で拳を振り上げた。しかし相手は怯まない。そのことに満足げな様子でさえある。

「山崎のそういうところが気に入ったんだ」

 彼は爽やかな笑顔で言った。これは実によく似合っていた。

「いっ!?」

「ええっ!? どどどど、どんなぷれいを……」

「うん、血沸き肉躍る楽しいプレイかなあ」

 角野が言った。彼は歩きながらも、夢想するように宙を見上げる。彼に腕を取られて歩く梓も、同じく宙を見上げた。そしてある文豪の言葉を思い出し、口にした。

「『だが今では人間は人生を愛している。それは苦痛と恐怖を愛するからだ』」

「んなこと言ってる場合かっ」

 男子三人は女子三人を強引に連れ歩く。女子三人は人気ひとけの無いところへ連れて行かれるのかと思っていたが、その予想は外れた。校舎の中に入り、廊下を進む。通行人は減るどころか、次第に増えてゆく。

「み、みんなに見られてヴたれたほうが、興奮するんでしょうか」

「そんなドMがこの世のどこにいんのよっ」

 ねえ変なこと言ってるよ、気にするな、と男子たちが小声で話しているうちに、ある部屋の前にたどり着き、そこで六人の歩みが止まった。校長室の前だ。

「あ、チクる気なの?」

「告げ口はしねーよ。付き合ってもらうんだからな。校長の認可をもらいにきたんだ」

「外堀すぎんだろ」

「校長は真田丸だよ。難攻不落の出城」

 また変なこと言ってるよ、そうだな、校長は真田幸村より強いからな、と男子たちは小声で話した。話し終えると、五十八と呼ばれていた男子がドアをノックした。

水渡みとです」

「入れ」

 校長姫宮は在室していた。

 六人は入室した。

 黒光りする執務机の前に並んで立つ。姫宮はそこの肘掛椅子に深々と腰掛けて、書類に目を通していた。

 水渡がひとり前に出て机に両手を突き、身を乗り出して校長に迫った。

「言われたとおり、医療スタッフを確保しました。これならいいですよね。出場許可、おねがいします!」

 姫宮は即答せず、栗子を見てひとこと言った。

「山崎か」

「一文字とそっちの……」

「息吹」

 ひょろ長の『五十四』がフォローした。

「息吹は、男女混合戦のメンバーとして参加してもらいます」

「は?」

 栗子が驚いて水渡を見た。しかし、角野がすかさず制止に入った。画像表示状態のスマートフォンで栗子のわき腹を軽めに叩く。口裏を合わせろ、という無言の圧力だ。梓と響には視線で同様に促した。響はぽかんとしたまま動かず、梓は何かに納得したようにうんうんと二度ほど頷いたが、彼とは視線を合わせていなかった。

「その三人は模擬戦インターハイに乗り気でないようだが」

 模擬戦とはいわば、魔法による総合格闘技の試合のことを指す。そのインターハイは毎年開催されている人気行事だ。身体強化による肉弾戦もあれば、魔法弾による射撃戦、精神操作系魔法による心理戦などもある。チーム対抗の場合はそれらが複雑に絡み合う。春は各学校内でこのメンバーを選抜する期間になっており、参加校では一種の盛り上がりを見せるものの、棄権と不戦敗が多い防災大附属校ではあまり話題に上らない。

 梓は校長室の中を一度見まわし、ある箇所に目を止め、それから姫宮に向かって言った。

「そうですね。格闘技は私の好みじゃないですから」

「お前ゴーレム乗り回して暴れてるだろ!」

 水渡がツッコむ。

「ゴーレムで人と戦うわけじゃない」

「魔法カルタで戦ってるじゃないか」

 今度は角野がツッコんだ。

 魔法カルタは冬季に行われる別の行事だ。梓は前回のその大会に意気込んで参加した。なお年齢区分は小学校の部・中学校の部・高校の部・一般の部の四つあり、そこからさらに和歌・一般文・呪文の三つに小区分される。中学校の部・呪文の組み合わせが人気を博する。

「あれが格闘技でなけりゃなんなんだよ!」

 助勢を得て水渡が再度ツッコんだ。

「君たちは文芸というものがわかっていない。カルタは戦いじゃない。和歌の心が必要なんだ。上の句から下の句へ流れる心情の細やかな動きをいかに汲み取れるかという、行間の読みあいなんだね」

 男子三人は強烈な疑惑の視線を梓に集めた。

 話がそれていきそうな気配を読み取って、姫宮が響に問いかける。

「息吹はどうだ」

「あの、お付き合いの話じゃ?」

「何のことだ」

 響は男子三人に視線を移したが、彼らも姫宮と同じ反応を示した。梓の方を見れば横を向いて口元を手で押え、目が笑っている。逆に栗子は苦虫を噛み潰したような表情で俯いていた。その頬は少し紅潮し、腰の横で左の拳が震えていた。

 響が戸惑っていると、栗子が面を上げた。

「れ、練習につきあってくれって話でしょ。あたしは忙しいけど、模擬戦のスパー一回だけならいいわ」

 その一回でボコボコにしてやる、という決意が拳に込められた。

「山崎さんは医療スタッフだって」

「そうだぞ。お前が前線に出るのは最後の手段だ」

 角野と水渡は怒りの矛先が向いていることには気づかない。

「……わかった。ちゃんと治療魔法で止血・・してやるからな」

 止血魔法の使い道は多い。脳梗塞・心筋梗塞の発症、脚部への血流停止による足止め、魔力変換補助装置の装着部位への血流停止による魔法妨害。一撃必殺にもなぶり殺しにも使える魔法だ。

「おお! やる気になったのか!」

「頼むよ!」

 梓はられる二人を憐れむように、呆れるように、やれやれと小さくかぶりを振った。笑ったお前も止血すっからな、と栗子が睨んだが、梓は気づかなかった。

「えっと、あの、つまり、ほかの人とたたかう試合があって、それにでるんですか。そういうの、この学校にはないって、姉から」

「うちのとこだけないのもおかしいだろ」

「バトルは男のロマンだよ!」

 名乗る機会のない『五十四』も無言でうなずき、水渡たちに賛同した。彼は寡黙だった。

「でもわたし、おとこじゃないです」

「僕たちが前で戦うから。君は後ろの安全なところにいてくれればいいから」

「ほう、見上げたものだな角野。だがその必要はあるまい。特待生の息吹の魔力は、お前たちよりも強いのだからな」

「校長! 今までの僕たちとは違うんですよ、今までの僕たちとは!」

「俺たちは強くなったんです!」

「魔力も魔力変換速度も」

 若き三連星は男のロマンとプライドをかけてたたみかける。

「我が校では対人戦用の技術は科目にないが……自主的に腕を磨いたということか」

「そうです!」

「評価対象外であってもか」

「それがロマンです!」

「防災関連の授業に手抜きはしておらんな?」

「もちろんです! 他のは体育以外さぼってます!」

「ハッハッハ。正直で嬉しいぞ。大事なことは忘れず、上の者に媚びへつらうこともなく、己が道を進む。すばらしい! 赴任して来てよかったぞ、強い子に会えて」

「いやあ~」

「どうも」

 照れ笑いする男子生徒たちと、どうでもよさげな女子生徒たち。姫宮は立ち上がり、男子たちに歩み寄った。

「生徒が意欲を見せているというのに、校長であるこの私が何もせんというわけにもいくまい。お前たちに贈り物をしたいと思う。一種の教材だが、決してつまらぬものではない。何しろこの杏子様の手作りなのだからな。大いに参考になるであろう。水渡、角野、介見は放課後またここに来い。出場許可に関する手続きはそのときにする」

「はい!」

「山崎、お前も来い。医療に携わる者として、私の教材が参考になることもあろう」

「はあ」

「はあ、だと? 気のない返事をするな。一文字と息吹はどうするか、もうしばらく考えておけ」

「わかりました」

 ちょうど昼休みも終わりになる時刻に差し掛かった。

 男子たちは意気揚々として校長室から引き揚げる。姫宮は執務机に戻り、電話で蕎麦屋に出前を注文しはじめた。栗子は響を連れて退室しようとし、その響は今後の予定を相談するべく、梓の方を見た。

 梓は室内に立ち止まって、隅に置いてある機械を見ていた。

 薄型テレビのようなモニタと、いくつかの指輪が収められたケース。それらは魔法に関する能力を測定する機器のひとつだ。測定器が学校にあることは自然であったが、校長室に置いてあることは梓には不自然に思えた。校長室は生徒が頻繁に出入りする場所ではない。また、モニタの大きさや形状も、学校にある同系統の機器とは微妙に違っていることも気になった。

「一文字さん」

「ああ、うん」

「どうかしたんですか」

「どこかで見たような気がするんだ」

「何を」

 栗子が尋ねた。

「あのモニタ」

「あんなの、どこにでもあんじゃん」

「そうだけどね」

 ようやく梓も退室することにした。部屋の話し声は姫宮の大声だけになった。

「そうだ、八百円ちょうどの手打ちざるそばだ。いつも頼んでいるではないか。工場出荷の量産品とはひと味もふた味も違う職人の心意気、今日もとくと味わわせてもらうぞハッハッハッハッ……」

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