あぶないギフト
土煙は夕方の微風に吹かれ、徐々に散ってゆく。
梓と響はひしゃげた事務机の下にいた。
この少し前、まだ濛々と土煙が立ち込めている間に、梓は響を連れて建物のあった場所にすばやく入り込んでいた。粉塵は帽子のヴェールにかけられた魔法で防いだ。
「あの」
「しっ」
梓は響の唇に自分の人差し指を当て、黙らせた。
周囲には無数のガレキが散乱する。大きいものは縦横ともに数メートルあり、それらと他の事務机が垣となって、二人の姿を外部から隠している。
『頭痛は? ジェスチャーで答えて』
テレパスによる質問に、響は指でOKサインを作って答えた。
梓は頷くと目立つ帽子を脱いでそっと身を乗り出し、大きい瓦礫にできた割れ目から道路を覗き見た。響もそれに倣って帽子を脱ぎ、横転した他の事務机の横から、梓の視線の先を追う。
うつ伏せに横たわる巨獣のそばに、男が立っていた。
金髪に黒のジャケット。黒のドレスシャツの襟。一八〇センチに少し届かない程度の身長。
斜め後ろからではあったが、梓は確信した。
瀧殿だ。
コンビニでの事故の負傷者、撮影した動画、卒業アルバムの写真、事務所倒壊寸前の記憶。四種のイメージは、そのいずれもが眼前の男と綺麗に合致して、矛盾を感じさせることがない。
瀧殿は黒のボトムスのポケットに左手を突っ込み、右手で細長い包みをもてあそんでいた。
包みは茶色の紙製で、長さ一メートル五〇センチ、太さ十センチほどの円柱状。一方の端が大きく膨らんでいて、響の持っている杖なら丸々収まるサイズと形をしている。
その包みには、三種類のラベルが貼ってある。
宛名と内容物を記したらしい白いラベル、赤地に白い字が書かれたラベル、白地に黒い字が書かれたラベルの三つだ。最後の黒字のラベルは『重要』とかなり大きく書かれているので、梓と響のいる位置からでも読み取れた。しかし残り二つは赤地のラベルが危険・取扱注意のものだと推測するのがせいぜいで、白いラベルの文字はとても読み取れない。
「差出人、緒志逗魔獣園飼育展示課、大城戸半平。受取人、御州市魔法研究所第二十一本部、研究長様」
まるで二人に伝えるかのように、瀧殿が読み上げた。
「あっ……」
響が小さく声を出してしまった。
梓がぎょっとして振り向き、響は慌てて口を抑えて机の陰に身をひっこめた。
『彼が近づいてきたら箒に飛び乗って、煙幕を』
テレパスと頷きで打ち合わせ、二人は再びそっと様子を窺う。
瀧殿は建物跡に来なかった。同じ場所に立っていて、包みを無造作に破っているところだった。
わずかに姿を現した包みの中身を瀧殿が握った次の瞬間、梓と響はともに息を呑んだ。
回転した。
包みの中身は細長い白銀のドリル刃状の物体で、それが男の手の中で高速回転したのだ。
包み紙はあっけなくコマ切れとなって、消えた。
皮膚が裂け、肉がちぎれる。
鮮血が飛び散り、骨の破片も飛んだ。
男の手を容赦なく抉った。
響は声にならない叫びをあげ、尻餅をついた。梓も言葉を失っていた。
一方、瀧殿は自らの血しぶきで顔が朱に染まりながらも、ほとんど血相を変えない。わずかに口元を歪ませ、皮肉な笑みを浮かべるだけだった。
「あいつ、中々やってくれるな」
それだけを言ってドリル刃を足下に落とすと、今度は無傷のもう一方の手でジャケットのポケットを探り、小さな壜を取り出した。錠剤が詰まっている。瀧殿は片手の指のみでふたを弾き飛ばし、錠剤を次々と口に入れ、バリバリと噛み潰して飲み込んだ。錠剤は治療薬ではないらしく、怪我をした手からの出血は続く。
梓は響から「どういうことですか」と聞きたげな視線を送られたが、答えようもない。
他に考えなければならないこともある。倒壊した事務所にどれだけの人がいたのか。負傷者が――そして死者が――どれだけいるのか。すぐにでも捜索を始めたかったが、巨獣に事務所を破壊させた最有力容疑者の前では危険すぎて、動くわけにはいかない。
「出て来いよ、くたばりぞこない」
ふいに、男が言った。
「こいつの餌食になりたくなかったらな」
男の言う『こいつ』とは何か?
巨獣は倒れている。しかも草食動物だ。餌食という言葉はふさわしくない。
答えを示したのは、羽音だった。
大きな羽音。
ゆっくりとしたその羽ばたきは、殺気を帯びた魔法波を振りまき、再び土埃を舞い上がらせる。
埃から目と呼吸器を守るために、梓と響は片腕と両手でそれぞれ顔を覆わざるをえなかった。しかし、耳まではふさいでいない。飛来した何物かが着地する音を聞いた。
接地面の少なく、重量のある物体が大地を突くような音。巨獣ファスコラルクトスの足音を「重く鈍い」というならば、着地音は「重く鋭い」とでもいうべきものだった。また、ジャラリという金属的な音もそれに付随していた。
「あ」
「うっ」
埃が消え、降り立ったものを見て、今度は梓も声を上げてしまった。
翼開長が五十メートルにも達する巨鳥。
赤紫、緑、黄の三色の羽毛は夕風を受けても揺れることなく、水はおろか矢も銃弾もはじきかねない硬質なもの。嘴は一噛みで人体を二つに、鉤爪は一掴みで人体を四つに裂きそうなほど太く鋭く、人間の一人や二人は軽々と捕らえて飛び上がれることは一目でわかる。両足首にはそれぞれ金属製の足枷がついているものの、足枷付属の鎖は途中で溶断されており、凶暴さを全身に滲ませた存在を地上に繋いでおくことはできなかった。
「ど、どうしましょう」
「まだ動かないで」
梓は巨鳥を見据えたまま、響に言った。
「でも」
「こっちを見ていない。動けば私たちに狙いが変わる」
巨鳥が鋭い眼光で睨むのは、右手から血を滴らせる男の方だった。梓は意外とは思ったものの、この機会を活かそうと考えた。
「こいつの嘴は」
男が言った。
巨鳥が一歩を踏み出す。棚が踏みつぶされた。
「岩をも砕く」
なおも男は悠長に言う。自分が狙われているはずなのに。
「岩を砕くためにあるのさ」
梓も響も、男の言葉が何を意味するのかわからなかった。ここに岩などはない。建物もすでに砕かれているのだ。
巨鳥が上体をのけぞらせ、口を大きく開いた。
「威嚇……じゃない」
嘴には上下ともに、開かないように轡か何かで縛った痕がくっきりとある。それほど強く縛らなければならない理由がある、ということだ。
威嚇のための咆哮は、出なかった。
その代わりに、魔力を帯びた光が徐々に喉からあふれ出した。
「乗るんだ!」
「はいっ」
一つの箒に二人が飛び乗る。
箒の急発進と同時に、付近一帯は巨鳥が吐いた灰色の瘴気に覆われた。