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不審な記録

「火曜日はひどい目に遭ったよ」

「山崎さん、すぐにクリエイト解除してましたけど……。しみたんですか」

「校長の説教もだよ。『紛らわしいことを言うな』の結論に達するまで、十五分もかかったんだ」

「容疑、晴れたんですね」

「校長の誤解が解けただけ。警察がどう考えているのかはわからない。天気のようにはいかないね」

 四月下旬の土曜日。

 梓と響は快速電車に揺られ、響の実家がある緒志逗おしず市に向かっていた。

 この日の予定は、響の母親と師に会うことだ。

 日曜日、響の母は長女・紗都希さつきを失ったショックが残っているところに響まで事故に遭ったという報を受け、家の電話口で倒れてしまったという。幸い大事には至らず、響の父によれば月曜日には回復したとのことだった。しかし精密検査の結果を聞いても母親は娘の心配をすることしきりで、スマートフォンのメッセージは以前より多く、響の方でも気がかりになったので、互いに無事な顔を見せあおう、という運びになった。

 列車ボックス席窓側の端には箒が立てかけられているものの、車窓からの景色を遮ってはいない。響の付き添いとしてやってきた梓は窓の外を眺め、いつものように響に言った。

「江戸時代の高名な俳人は、こう詠んでいる」

「なんて」

「『春の海 終日ひねもすのたりのたり哉』」

「ヒメモス……。ちいさいヴェヒーモスを、そう呼ヴんですか? 魔獣園にいるところ、テレヴィで見ました」

 響は窓に顔を寄せて獰猛どうもうなモンスターを探したが、もとより見つかるはずもない。きらめく青い海、軽快に車が走る海岸通り、いずれも平和そのものだった。

「ひねもすは『一日中』のこと。……イチニチジュウという獣のことでもないから」

 しばらくする間に線路は海から離れた。

 駅を二つ通過して、快速電車は緒志逗駅に到着した。

 帽子、マント、杖などの荷物を手に取り、二人はそこで下車した。バスに乗り換える。そして緒志逗市の中心部からやや離れた住宅街でバスを降り、響の家にたどり着いた。

 息吹家は付近の住宅と同様、二階建ての一軒家だった。

 響が呼び鈴を鳴らすと玄関のドアが開き、響の母親が迎えに出た。彼女は次女の無事な姿を一目見て涙ぐんだが、梓がそばにいることに気づいて、姿勢を正して挨拶した。

「わざわざ来てくださって、ありがとうございます。どうぞ中へ」

 梓は和室の居間へ通された。

 息吹家の母娘がお茶の用意をしている間、梓は和室にあった仏壇の前で正座し、手を合わせた。

 紗都希の遺影は二十歳を越えてから撮られたものらしく、大人の風貌を見せていた。柔和で優しげな顔立ちは普段の響と同様、母親によく似ている。しかし母親にはないものがあった。それは瞳の奥に秘められた決意、とでもいうべきものだった。これはまた、サイコメトリーの映像で見た中学時代の紗都希からも感じられなかったものでもあった。

 やがて、梓が仏壇から離れるのを見計らっていたかのようなタイミングで響たちが和室に戻り、お茶とお菓子がふるまわれた。響の母は梓にトラックとの衝突を防いだことへのお礼を言い、寮生活について二つ三つたずねた。彼女が紗都希の話題を出すことはなかったが、話の最後に梓の手を取って「これからも響のこと、よろしく頼みますね」と言った際の口調には、どこか悲痛なものが含まれていた。

 その後、梓は響に連れられて二階へ上った。

 次の場所へ向かう前の準備だ。

 息吹家を出た後は魔獣園に勤務する響の師に会い、サイコメトリーについて教えを乞う。

 響の師は十六夜と同じく、他で勤務する傍ら大学院に通っている。十六夜との違いは響の家庭教師的な立場であること。高校の教育課程に含まれない魔法について指導を受けやすく、他の生徒からえこひいきだと見なされる心配もないのがメリットだ。

 マント、帽子、杖についてはもう済んだので、今度は別の物も持っていく予定だったが――。

「お姉さんの物、本当に持ち出していいのかな。君のお母さんにとっても大事なものだろう?」

 梓は二階の一室の中を見まわした。

 中学生のときまで紗都希が使っていたという部屋は、きれいに掃除されていた。姿見は曇り一つなく磨かれ、床や机の上には塵ひとつ落ちていない。本棚に並べられた詩集、文学書、科学書、医学書、魔法書なども、埃をかぶっていない。梓は厚い本を一冊抜き出して元に戻そうとしたとき、本棚の奥にも埃が全く積もっていないことに気がついた。本をいったん抜き出さない限り、掃除ができない箇所だ。

「はい……」

 戸を開けた洋服ダンスの前で、響も迷っていた。中に吊るされた中学校と高校の制服は、もはや使われることもないのに、丁寧にアイロンがかけられていた。

「ひとつだけなら……。どれが、いいでしょうか」

 響がベッドにある枕を手にした。

「枕は夢のイメージが混ざりそうだね。他に何か探そう。比較的新しくて、持ち運びやすいものがいい。……息吹さん、ここの引き出しを開けてもいいかな」

「はい。どうぞ」

 梓が机の右下の引き出しを開けた。

 もっとも手前にあった箱入りの冊子が目についた。卒業文集と卒業アルバムのセットが二組。これは小学校と中学校のものだった。高校の卒業文集は見当たらず、卒業アルバムしかない。

「これは古いから駄目だね」

 梓はそう言って小中の文集とアルバムを床に置いたが、響はすかさず文集を手に取り、姉の書いた文章を探しあて、読み始めた。

 響の熱心な様子につられて梓が横から覗き込む。そのページには丁寧な字で、『立派な研究者になって、大勢の人を助けられる魔法を作り出したい』と書かれていた。

「それは中学校の?」

 梓は尋ねつつ文集から目を離し、高校の卒業アルバムを開く。

「小学校の、です」

 響は文集から目を離さない。

「偉いね。私は『かるた大会で優勝する』だったから」

 梓はゆっくりとページを繰る。

 紗都希の顔写真を見つけ出した。

 表情に乏しい。

 他の女子生徒の多くは笑顔にもかかわらず、紗都希は生真面目とも言い難い、何とも気の抜けた顔で映っていた。放っておけば、ずっとそのままの姿勢でいそうな無気力さ。遺影よりも生彩を欠いている有様だ。

「息吹さん、言いたくなかったら答えなくてもいいけど……」

「何でしょうか」

「お姉さんの第一志望の大学はどこだった?」

防災大ヴぉうさいだい、です」

「高校のときの成績は?」

「ほとんどの科目で、よかったらしいです。実技の一部いちヴが苦手、とは言ってましたけど、受験には影響しなかったって」

「となると……誰かと付き合っていた様子は」

 別のページを見てゆく。

 注視するのは、男子生徒の写真だ。

「お付き合いしている人、いなかったと思います。師匠とも、むずかしそうな話ヴぁかりしていました」

「ふうん……。タイミングが悪かっただけかな」

「何のこと、ですか」

「平安時代のある歌人は、こう詠んでいる」

「はい?」

「『晴れやらぬ 身に浮き雲のたなびきて 月のさはりとなるぞ悲しき』。おや……」

 梓の目がアルバムの一点を捉えて動かなくなった。

「一文字さん?」

「うん。少し待ってて」

 今度はスマートフォンを取り出し、動画を早送りで再生する。そして、ある男の上半身が映った場面で一時停止させた。

 男はコンビニでのトラック突入事故の負傷者だった。頭部右側は金色に染めた髪がさらに血で上塗りされ、そこから垂れた血が額から頬に一筋の線を描く。目を凝らせば、黒のジャケットとドレスシャツにも血しぶきが飛んでいることが分かる。男の目は閉じていて、撮影時には意識を失い、力なくコンビニの床に横たわっていた。

「持っていくのはこれにしよう」

 梓は開いたアルバムの上にスマホをのせ、向きを変えて響に差し出した。

「この人が、この中に、いるんですか」

 響は二度ほど見比べたが、見つけられなかった。

 梓が指で示す。

「よく似ているよ」

 いくぶん切れ長の目に、形の良い鼻筋。薄い唇。顔の作りの涼やかさを荒涼としたものに変えてしまう、血色の悪い皮膚。頭髪が黒いことを除けば、顔写真の男子生徒と動画の男は同一人物といってよかった。

 写真の表情は「さっさと撮って終わらせろ」と言い出しそうな、紗都希とは別種のやる気のなさがある。軽い敵意を含んだ視線を送ってくる。 

 響は写真の下側に印刷された文字を見た。

「りゅう……りゅうでん?」

「たきどの。『瀧殿征真たきどの・せいま』」

 それが男の名だった。

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