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校内テレパシーのお時間です。

 白いカーテンが風にゆれ、窓際の席に座る少女の頬を優しくなでた。

 風が去ると、カーテンは静かに元の位置に戻った。

 少女は箸を動かしていた手を止め、口の中にある玉子焼きのかけらを飲み込んでから、ゆっくりと詠じた。

「『はる風に 頬なづらるる 学び舎の ぬくき窓枠 いとのどけきかな』」

 陽は暖かい。

 南の空にある太陽は、赤レンガで造られた校舎の壁、木目の浮かぶ机と椅子、明るい赤茶色のショートヘア、そのいずれをも穏やかに照らしていた。

 日光に直射されない廊下寄りの机と机の間を、一本の箒が踊る。

 サッサッサッ、サッサッサッ、とリズムを刻んで床を払い、ちりを集める。

 箒の周囲には誰もいない。

 教室の中には長袖スクールブラウスを肱までまくり、昼食の続きに戻ろうとする女子生徒が一人いるだけだった。

「あの」

 呼びかけられ、彼女は再び箸を止めた。声のした方向に顔を向けた。

 開け放しにされた教室の戸口に、別の少女が一人立っている。

 足首にまで届く長さの黒いマント。頭には円形のつば付きの黒いとんがり帽子があり、右手には杖を持つ。

「正装……。入って」

 座っていた少女は箸と弁当箱を机において、立ち上がった。戸口に立つ少女に近づき、さらに声をかける。

「ようこそ。校長から話は聞いている。息吹さんだね」

「はい。息吹響いヴき・ひヴぃきです」

 響と名乗った少女は、答えながら帽子を脱いで左手に持った。マントも外した。

 背景色がマントの黒から切り替わり、つややかなストレートの黒髪が浮かび上がる。腰まで伸びた毛の先端は、綺麗に切り揃えられている。帽子の陰になっていた前髪も同様だった。

 ショートヘアの少女が響に片手を差し出した。

「私はこのクラスの学級委員長兼学級副委員長兼学級書記兼文芸部長兼今日の掃除当番兼明日の掃除当番の一文字梓いちもんじ・あずさ。よろしく」

「こちらこそ、よろしく、おねがいします」

 響は遠慮がちに梓の手を握った。まもなく手を離し、深く頭を下げた。

 梓は握られた手をしばらく見つめ、やがて軽い会釈で返した。礼を済ませ頭を上げた響の頭頂部は、梓の目と同じ高さにあった。

「長い名前ですね」

「誤解があるね」

「すみません……もう一度お願いします。何文字さんですか」

「一文字」

 梓が黒板に目をやった。つられて響もそこを見た。『今日の掃除当番 一文字』と書かれていた。

 おずおずと響が尋ねる。

「お弁当ヴぇんとう、掃除しながら、ですか」

「あそこは風上だよ」

 カーテンがひらひらと揺れる。

 風を起こす魔法でも遠隔操作魔法でもないことは響にも判った。梓が嵌めている指輪――魔力変換補助装置は、いま作動していない。箒は動きを止めて、椅子の上に横向きで乗っていた。

「あ、そうですね……。あの……」

 響は数秒ためらったが、結局これも尋ねることにした。

「一人で、食ヴぇてるんですか」

「そうだよ」

 梓はさらりと肯定した。ただ、発音をいぶかしむ気持ちがわずかに顔に出た。

「あの、ひょっとして……。あ、いえ、その」

「友人ならいる。一緒に食事しないだけ」

「どうして、なんですか」

「彼女は忙しい」

「他のお友達は」

「みんな忙しい。君にも早速活動してもらうよ」

「わたしも、ですか」

「オリエンテーションで聞いたはず」

 この学校は校外における課外活動が非常に盛んだ、という話が恒例となっている。

「そうですけど、今日は上級生に校内を案内してもらえと、校長先生が」

『ぴん、ぽん、ぱん、ぽん』

 突如、女性の声がメロディとなって二人の脳内を駆けめぐった。

 この声の音域は、梓のものよりやや低い。

 声量は梓と響の二人分を足し合わせたものより、はるかに大きい。

『うららかな陽気の下、ゴキゲンなランチを堪能中の愛しき生徒諸君! この時間は急遽、お前らの崇めるべき校長、この偉くて尊すぎる私、姫宮杏子ひめみや・きょうこ様じきじきに連絡事項を伝えることになった。心して聴くがよい!』

 声は脳の神経を直接刺激する。

「あたまが、割れそうです」

 響が頭を抱えてうずくまった。

「頭痛がするかい?」

「ど、どんな人かは入学式のときのお話でわかっていたんですけど……」

「おや、校長の中身じゃないんだね。ならば」

 梓は左手を響に向けてかざした。

 左小指には炎瑪瑙ファイアー・アゲートの指輪がある。その褐色の宝石内で虹色の炎が小さくゆらめき、七色のうち青系統の光だけが強くなった。

 青い光は石からあふれ出たが、拡散しなかった。響を取り囲むように集まる。

「ブレイン、【干渉防御ファイアウォール】」

 魔法の光が凝固する。それは厚さ数センチの壁となって、響を前後左右と上下、計六方向から覆った。

 薄いブルーに輝く半透明の箱の中、響はほっと一息つき、ゆっくりと立ち上がった。

「もう、だいじょ……」

『くおらあああっ! 一文字イイイッ。ちゃんと話を聞けえっ』

 ファイアウォールの前面に、縦三十センチほどの亀裂が生じた。

 その一秒後に裂け目は縦いっぱいに伸び、三秒後には全面に枝分かれした。五秒後には亀裂の幅も広がった。

「うヴじゃ、ないみたいです……」

 ゲンナリとした表情で響が呟いた。

「ブレイン、【精神感応テレパス】」

 梓が再び唱える。唱えると同時に校長室の位置をイメージし、その中にいる二十代前半の女性の姿もイメージした。

 腰にまで届く長い黒髪、これは新入生の響と同じ。しかし共通点はそれのみ。一般男性並みの高身長と絶妙のウェーブがかかった豊かなボディラインは、響と対照的だ。通った鼻筋と引き締まった口許、いかなる宝石よりも澄んだ黒い瞳に、力がある。きっちりアイロンが掛けられた紺色の上下スーツは見る者に新米の女性教師を思わせるものだが、堂々と椅子にふんぞり返る様と全身からにじみ出る魔力の強さは、新人教師からは程遠い。

『校長、出力が強すぎます』

『聞こえんっ。声が小さいっ! やり直しイイイッ』

 脳内音声の大きさに変化はない。梓は小さくかぶりを振った。

『アンタの声がでかいんだ、だと? 今、そう思ったであろう!』

『思ってません』

 梓は本心と思考の分離に挑戦した。

『ウザい地獄耳だと? 肝心でないことばかりが聞こえて困る、だと?』

『そうです』

 二回目の挑戦は諦めた。

『うむ! その正直ぶり、ほめてつかわす。私はオープンな関係が好きなんだ。教師と生徒の間に余計な壁があってはいかん!』

『壁と一緒に関係も壊れます。私も頭がガンガンしてきました』

『ならば本題に入ろう。昨年度と同様に、警察から当校に緊急の協力要請があった。そこで午後の時間は予定を変更し、魔物駆除技術の実習とする! 今回の課題はガーゴイルの撃破。ビッグでストロングなイカす人造モンスターだ。我が国立総合防災大附属魔法高等学校の生徒として自覚を持ち、校是に従い周辺住民の被害を最小限にすべく、速やかに課題をクリアーしてもらいたい。以上』

『何人でやるんです』

『いま三号棟にいる二年生はお前一人だ。よかったな』

『よくないです。ここはひとつ、お手本を』

『私は他にやるべきことがある。チンケな雑魚にかまってはおれん』

『敵が強大なのか雑魚なのか、よくわかりません』

『この私から見ればザコ、お前がじかに戦う相手としては強大だ。だが心配は無用。わが校の力があれば、ちょうど良い相手だ。遠隔操作する術者が近くにいたら、応援が来るまで手を出すな。いいな』

『はい』

『よし。わかったら、すぐに着席イイイッ』

 梓はいったん響を見た。

『息吹さんはどうしますか』

『そこにいるのだな? 連れて行け』

『はい』

 ファイアウォールの残骸が消えた。梓からの魔力放出もなくなった。

 通信が終わったと判断し、響が問いかける。

「あの、課題というの、わたしも一緒に……ですか」

 響は、自分がいきなり実戦の場に連れ出されるとは思っていなかった。本来のカリキュラムでは、教室でこの学校の魔法体系を順に覚えてゆくことになっていた。

「君は特待生だろう? 魔力も私より強いから、大丈夫だよ。そもそも、カリキュラムから大きく外れてはいないんだ。座って」

「あ、はい。……座って? 行かなくて、いいんですか。モンスターが、あヴぁれているんですよね」

 何らかの理由で出現したモンスターの退治は校外活動に含まれる。そのことは、響も知っていた。

「だから行くんだよ」

 何を言ってるんだろうこの人、と言わんばかりに、響は疑わしげに梓を見つめる。

 梓は窓際の席に戻り、椅子に深く腰掛けた。机の上にある弁当箱を素早く片付ける。箒も遠隔操作魔法で引き寄せた。

 ジリリリリリリリリリリリ、と、非常ベルが鳴った。

 一箇所だけではない。

 ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリと、連鎖反応を起こしたように、校舎中の全ての非常ベルが鳴った。

 大音響が建物を飲み込む。

 校舎が揺れ出した。

「地震――」

「立っていると危ない。早く座るんだ。座ればシールドが出る」

 言われたとおりに、響は近くの席に着いた。

 すぐにシールドが出た。黄色い光を放つ卵形の防御壁が、二つの座席をそれぞれ包み込んだ。

『杖を机に。傘立てみたいな感じで』

 梓が精神感応テレパスで指示を出した。

 響が見ると、いつの間にか机に溝ができていた。椅子側の縁から机の中央に向かって切り込むような形だ。切れ込みは木製部分と金属棚部分の両方に上下平行してできており、長さは十五センチほど、幅は箒や響の杖の直径よりわずかに広い。

 梓は掃く部分が下になるように箒を、響は自分の杖を溝に入れた。

「これ、いったい」

『校外活動で教室学習だよ。それとも、校内活動で野外学習かな』

 椅子の背もたれから、光の帯が出た。二人の胴をそれぞれの椅子に縛りつけた。

 緑がかっていた黒板が黒くなってゆく。硬度を増してゆく。蝶の鱗粉よりも鮮やかに、文字が浮かび上がった。

 スピーカーからバリトンの男声が出て、黒板に浮かび上がった文字を読み上げる。

『ブレイン・システム、正常起動』

『魔法回路接続』

 新たな文字が次々と浮かび、男の声が次々と読み上げていく。バリトンといえども声にさほど渋みはなく、若さを感じさせる。

『クリエイト・システム、正常起動』

『熱制御開始』

『磁力場制御開始』

『空気圧制御開始』

『緩衝用異空間生成開始』

『アルケミー・システム、正常起動』

『空気濃度制御開始』

『ドライブ・システム、正常起動』

『重力場制御開始』

『平衡制御開始』

 直径一メートルはあろうかという水晶玉が二つ、二人の机それぞれのすぐ前方に現れた。宙に浮いている。

『メインモニタ生成完了』

『サブモニタ生成完了』

『機体生成開始』

 ゴゴゴゴゴ、と音がする。

 響がシールド越しに周囲を見渡すと、教室の壁が四方からゆっくりと席に迫ってくる。天井も少しずつ落ちてきた。

「えっ、あの、その、ええっ!?」

『余剰座席排出』

 使用していない座席と教壇が、迫り来る壁に吸い込まれて消えていった。シールドに守られた二人の座席と水晶玉は排出されず、狭くなった教室の中央に移動した。現在二人がいる空間は、六畳間よりも狭い。

『機体パーツ生成完了』

『機体結合準備確認……準備完了』

『機体結合開始』

「いったい、何がどうなって」

 いま、二人は肉声が十分届く距離にいる。

「ステータス、オン」

 響の席の前に浮く水晶玉に、立体映像が生じた。

 目に入るのは、見たことのある景色。この学校の周囲にある建物、道路、木々、そして変形した赤レンガの校舎。

 校舎は教室ごとに細かく分断され、その各部屋のあるものは細長く、またあるものは太く短くなって、空中に浮かんでいる。その数は十個を超えていた。廊下部分らしきものも、いくつか見えた。浮いている物体のうち三つは、他よりも造形が細かい。

「これは……。手のゆヴぃ……? いや、そんなヴァカな……」

「窓をみてごらん」

「まど」

 響は教室の窓を見た。見ようとした。

 ――なかった。

 左側が壁になっていた。

「前だよ」

「まえ」

 黒板が床に向かって下方スライドしており、その元の位置に横長の窓が二つ、付いていた。青い空と街が見える。

「この形、まさか」

 響が目をまるくする。それとは対照的に、二つの窓には丸みがない。

「そのまさか」

 ガシィン、ガシィーンと、力強い音が何回も発生した。軽い衝撃を受け、部屋がわずかに揺れた。

『機体結合完了』

『システム統合確認……確認完了』

『魔力残存量確認……確認完了』

 響が再び目をやった水晶玉には、四頭身ほどの人型の塊が映っていた。頭頂部までの高さが四階建ての校舎とほぼ同じ。青磁のような青緑色の兜と鎧で身を覆っているものの、隙間からのぞく皮膚に赤レンガの名残がある。

『演算能力マネージャ起動』

『ブレイン、【演算補助】』

『演算能力再確認……確認完了』

『拡張ドライブ、【ユラヌス】正常起動』

 コンピュータによく似た魔法式の計算音がかすかに室内を伝わる。音は断続的に、いつまでも続く。

「音がちがう……。はやいです」

「速くないと、作れないからね」

 作り上げられたものは、土人形の背中にあった。

 薄く柔らかい白光で構成された二本の翼。それは色彩こそ柔和だが、形状は猛禽類のものに酷似している。

 読み上げの声はしなくなった。

 男の声に替わり、アルトの女声が流れる。校長姫宮の声だ。

『目的地までの地図は転送した。生徒諸君の健闘を祈る!』

 同時に黒板から文字が消え、地図が描かれた。

 梓の座席前の水晶玉に景色が浮かぶ。巨大土人形の両目と化した教室の窓から見える光景と、同様のものだった。

「操縦は私がする。息吹さん、君は砲手だ。戦闘用の魔法は使えるね」

 机中央を上下方向に貫く箒の柄を両手で握り、梓が話しかけた。

「は、はい。やっぱり、これで行くんですね」

「ユラヌスは高性能のかわりに魔力の消耗が激しい。説明は後だ。古代の高名な軍人も、こう言っている」

「な、なんて」

「『兵は拙速を聞く』」

 梓が箒を手前に引いた。

 水晶モニタの中の土人形が翼を広げる。

 窓からの景色が上から下にスクロールする。スクロールが加速する。

SFGスクールフォースゴーレム三号棟、発進!」

 校舎は大空へと、飛び立った。

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