ノックの音と共に《レヴェルside》
レティシアの絵本を選んでいると部屋にノックの音が響く。それに応えれば、扉が護衛によってあけられた。
「あに…」
うえ、と続けようとした言葉がレティシアの「グランにぃさま!」という言葉にかき消される。
なんで? 倒れてたのに あんなに痛そうな傷があったのに。レティシアを抱きとめた兄上は少しも痛そうな様子はなかったけど、屈んでかすかに見えた傷のあったところの服は変わらず破れていて。でも傷はなくて。
「なん、で」
なんで来たんですか。
なんで来てくれたんですか。
僕はあなたをそんな目に遭わせた母上の実子なのに。なんで。
レティシアに微笑む兄上はいつもと変わらない。変わらず僕らの兄としてそこにいる。
「レヴェル」
兄上が優しく名前を呼んでくれるけど体が勝手に震える。兄上が僕に終わりを告げに来たのだろうか。そこまで父上は僕を嫌っていたのだろうか。
「グランシアノ王子…私、は」
私はあなたに合わせる顔がなかったのに。
「いつものように兄上と呼んでくれないの?」
少し驚いたように目を見開いて、すぐに柔らかな笑みを浮かべる。レティシアも僕も好きな笑顔で。
「呼べ、ません…もう、私に王子の資格はありませんから」
王子でない僕は、もう兄上に気軽に声もかけられなくなる。心の中でしか兄上と、口にできない。
もしかしたら心の中すらもダメなのかもしれないけど。それでも僕にとって兄上はずっと兄上だ。たとえ口に出来なくともそれは変わらない。
「…レティシア」
「はい! グランにぃさま!」
「レヴェルを捕まえて?」
「わかりましたっ」
「わかりましたって、レティシア!」
納得するな!こっちに来るな!言っただろうに!もう王子と呼べってっ
あたりまえだけど、レティシアは僕らの今の位置づけなんか頭に浮かばせることなんて出来ないらしくて。
その小さな手を僕に伸ばして抱き着いてくる。
「レティシア!」
「だめー! グランにぃさまが捕まえろって言ったのー!」
馬鹿正直に聞くやつがあるか!と叫びそうになったのが喉まできて止まる。兄上が僕のすぐ側に来ていて手を伸ばしている。
「っ」
そして僕とレティシアを抱き締めてくれた。腕の中はいつもと同じように優しい熱がある。それが嬉しくて、勝手に涙が出た。
「レヴェル、大丈夫だよ」
「っふ」
「レヴェルにぃさま、どこか痛いの?」
痛い。痛いよ。ずっと前からすごく痛くて仕方なかった。
母上、どうしてこんな事を。
僕は王位なんて要らなかったのに。この国が好きでこの城が好きで家族が好きで、ずっと一緒に楽しくいれたなら王位なんて要らなかったのに。
「レヴェルはすぐ溜め込むからねぇ」
兄上が何か言ってるけど、僕は溢れる涙を止めようと必死で。僕を抱きしめたままのレティシアは心配そうに僕を見ていて。
兄上は僕の兄だ。血が半分しか繋がってなくたってそうだって思っていたんだ。越せなくてもやり方を教えて上達すれば褒めてくれる兄上が大好きで。
それをいつだって母上にわかってもらいたかった。
僕は王位を継ぐ気がないって分かって欲しかった。
「ごめ、なさ」
ごめなんさい。父上、兄上、スティニア様。僕が母上をちゃんと止められていたら。僕が話をちゃんとしていたら、こんなことにはならなかったのかもしれない。
あんなに兄上が痛い思いをしなくて済んだのかもしれない。
「おかしなレヴェル、なぜ君が謝る必要があるんだ?」
「母上が、あんなこと…父…陛下だって裏切って…」
「レヴェルが父上のこと陛下なんて呼んだら父上泣いちゃうよ?」
兄上の腕が温かいのは兄上が生きているからだ。母上がつけた傷が無くなっているから兄上はこうして僕のところに来れたんだ。あの広がる黒が良くないものだって僕にでもわかる。
「レヴェル、レヴェルは私の弟なんだ。努力家で、家族思いで、口下手で生意気で、大切な私のたった一人の弟なんだよ」
「でもっ、もう私は王子ではなくなる…ほかの貴族に利用される危険だって!」
「私の弟と妹がそんな馬鹿な奴らに靡くわけがないだろう? それにそういう輩は私が片付けるさ。」
私は君たちが大切だから。
優しい兄上はあんな目にあっても優しくて。嬉しいけどやっぱり無理なんだって分かってる。
こんなに優しい兄上を傷付けた母上の罪はきっとずっと僕の想像よりも重いもので。その血を引く僕も、レティシアも十分罰せられる可能性があって。
父上だって、もう僕らの事を自分の子供と思ってくれないに決まっている。




