別れそして、おかえり
「なんだぁ? このジジイは! どこから湧いてきた!」
アヌビスが傷口を抑える。先程まではパックリと穴が開いていた傷口がもう閉じている。再生力はエキドナよりも上だ。
「ジジイとは失敬な! せめておじいさんと言いなさいよ………………」
ジジイと言われて少しショックなのか死川の表情が曇る。死川は肩より上しか残っていないエキドナに一瞥をくれると、
「……………話は既に聞いているよ。神崎くん、キュウビいや、ミツレさん、そして流風さん。この場にいるゴミ1匹の処理は私に任せなさい。そして神崎くん以外の二人は母親に最後の挨拶をしておきなさい。神崎くんは私の手助けをしてもらうよ。」
と言った。
俺に死川さんの手伝いが出来るのか………………? 俺は魔力は空っぽだぞ?
「拷問師 死川か…………… あなたは人一倍神が憎いはずよ。なのに私を殺さないとはどう言うつもりかしら?」
エキドナは虚な目で死川を見る。そうだ、坂田さんも言ってたが死川さんは妻を神に殺されてるんだ。神に対する憎しみは人一倍あるはずだ。
なのにどうして…………………
「私が憎んでいるのは神のみです。あなたのどこが神なのでしょうか? 私には分からない。こんな老いぼれと話すよりも娘さん達と話しなさい。あなたは神ではない、その娘達の母親です。」
死川はタバコに火を付けると、エキドナの前を通り過ぎ、俺たちの前に出る。
「拷問師なんて物騒な名前を付けられてるのに随分と優しいのね。優しいおじいさんは嫌いじゃないわ。」
「私も優しくなったものです。歳とは取りたくはないですねぇ。」
吸っていたタバコを右手の人差し指と親指で潰して火を消し、ポケットに入れる。
「では、行きましょうか。神崎くん、お手伝いと言って何ですが内容は大したものでないので心配しないでください。」
死川はポツンと立っていた俺にニッコリと笑顔を向ける。そういえば死川さんの手伝いって何なんだ?
「俺は何をすればいいんですか? 魔力は空っぽですし役に立つとは思えないのですが……………」
「そんなに気構えなくてもいいですよ。私がゴミを処理している間、もしかしたら敵の追手が来るかもしれない。それを警戒しておいてくれるだけで良いです。」
「わ、分かりました………………」
確かにそれだったら今の俺にも出来そうだ。それにしても死川さんは神の事をゴミって言うんだな。だが、死川さんの気持ちも痛いほど分かる。
「クソジジイが! さっきのは不意打ちだったが同じ手は二度と俺には通じねえ!」
アヌビスは杖を棍棒のように構えて、死川に向かう。
「口の汚いゴミは嫌だのぅ。そーれっと!」
黒いローブの中を右手でゴソゴソと何かを探し、持ち手が黒で刃は普通の銀色のナイフを一本取り出す。それを真正面からアヌビスに向かって坂田は放つ。
「はっ! やっぱりボケジジイだな! 真正面からのたった一本のナイフなんて簡単に避けれる!」
これはアヌビスの言う通りだ。死川は老人とは思えないかなりのスピードでナイフを投げた。だが、真正面からのナイフなんて俺でも避けれる!
「一本だけとか言ったか? ゴミが、消え失せろ。増殖!」
死川の声音が急に変わる。さっきまでは深海のように静かな雰囲気の男が、急に煮えたぎるマグマのような雰囲気に変わったのだ。そして、死川が指パッチンをすると、先程までは一本のナイフを投げたはずなのに、百本以上のナイフに変わる。
こっちからだとナイフの数が多すぎてアヌビスを確認する事はできない。数多のナイフは速度を落とす事なくアヌビスに向かう。
「な、なんだとぉ!? クソジジイがあああああああああ!!」
ナイフと刃によって銀色の視界が広がっていたのだが、アヌビスの断末魔と共に赤色の視界に変わる。ほぼ全てのナイフがアヌビスの全身の肉に裂傷と刺し傷を負わせる。
「グホォ………………」
アヌビスに周りには幾つものナイフが突き刺さっており、もちろんアヌビス自身の身体にも何本も突き刺さっている。
「す、凄い……………」
俺は思わず心の声が滲み出た。エキドナの言う事が正しいのならば、アヌビスの実力はエキドナよりも上だ。三人がかりでも倒せなかったエキドナよりも強いアヌビスを、死川さんはたった一人で、それも一瞬で追い込んだのだ。
「だがなぁ! 神には再生の力がある! いくらナイフの数が多いとは言え、一撃一撃は軽い! 直ぐに再生してやる!」
そうだった、死川さんの今の攻撃は数が多いとは言え、ナイフだ。ダメージ自体は重くないから直ぐに回復してしまう!
「………………あれ?」
アヌビスの様子がおかしい。普通、神は再生力が高く、ナイフなどの小さな傷ではすぐに回復してしまう。そのはずなのに、アヌビスの傷口は一向に止まらない。それどころか出血が激しくなっている。
「どうしてだ!? 俺の身体は一体何が起きたんだ! あ、あれ? 身体が動か、ない……………………」
全身の傷口から血がブシャァ!と噴水のように溢れ出し、アヌビスは膝から崩れ落ちる。膝立ちしている状態だ。
「神経毒です。一番最初にゴミを刺した黄色のナイフには特殊な神経毒が塗られているのです。毒が回るには少し時間がかかるのですが、回りきったら体を動かす事は困難です。」
死川はそう言うと、指パッチンをもう一度する。すると先程まで地面やアヌビスに刺さっていた数多のナイフはスッと消える。そして、地面に消えずに残った一本のナイフを拾い、ローブの中に直す。少し歩き、今度は黄色の刃をしたナイフを拾い、またローブの中に入れる。
「消えた!? さっきまでのは幻だったのか!?」
「それは違いますよ神崎くん、分かりやすく言うのなら実体を持った幻です。」
死川はアヌビスの時とは違う声音で俺に話すと、ゆっくりとアヌビスに歩み寄る。
「く、来るな! クソォ! 指先までもが動かないから帰船できねぇ!」
アヌビスは指をプルプルさせながら、くっ付けようとするが動かない。オシリスも指パッチンで蛇型の船を迎えようとしてたから、逃げるには指パッチンなどの体を使った合図が必要なのだろう。だが、今のアヌビスにはそれができない。
「…………………醜い顔だ。」
死川はアヌビスの目の前に立つと、そう言い捨てる。俺と死川さんの距離は少し離れているので、ここからだと死川さんの背中しか見えない。俺は嫌な予感がしたので立ち尽くす事しかできなかった。
「クソジジイが…………………」
アヌビスがそう言った瞬間、死川はローブから刃が銀色の先程投げたナイフを取り出し、アヌビスの右目に突き刺す。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?」
悲痛な断末魔が辺りに響き渡る。
死川はアヌビスの右目に突き刺したナイフを強く握りしめ、左目がある方にナイフの刃を勧める。ブチブチと血管が切れる音がする。
「あ、あ、な、何も見えねぇ………………」
「……………………私の仲間はある神から目玉を生きたままグチャグチャにされたんですよね。確か、名前はセクメトでしたっけ。私が駆けつけた時には酷い有り様でした。目は潰れ、足と手の指は引きちぎられていましたよ。同じエジプト神王国のゴミならば体で償ってもらいましょうか。」
死川はローブの中から五寸釘を二本取り出す。そして、ナイフをローブの中に直し、五寸釘を片手に一本ずつ持つ。
「セクメトォ? アイツはラー様のお叱りでソウルの質を上げるため以外の苦痛はもう禁じられた! それは過去の話だ!」
「過去? そんなの関係ない。私は仲間にされた事を憎んでいる。」
片手に一本ずつ持った五寸釘でアヌビスの両目を根本まで突き刺す。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!? セクメトのヤロォ! ア゛イ゛ツ゛のせいで! こんなイカレジジイに! グアアアアアアア!!」
ナイフでは横に刃を進めていた死川だが、今度は縦に五寸釘を動かす。だが、ナイフと違い切れ味はないので、肉を切るというよりは無理やり捻じ切っている感じだ。
「痛いか? 私の仲間はもっと痛かったはずだがのぅ…………」
死川は五寸釘を一度引き抜き、アヌビスの両肩に突き刺しておく。五寸釘を引き抜かれたアヌビスの顔は目から横にナイフによって切られ、両目から縦方向には五寸釘によって強引に傷口が広がる。
「こ、殺してくれぇ……………… 悪かった、俺が悪かった……………」
アヌビスは吐血しながらか細い声で話す。だが、死川は聞く耳を持たず、両肩に刺しておいた五寸釘を引き抜き、今度は両耳に根本まで突き刺す。
「があ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
両耳に差し込んだ五寸釘を、死川はグルグルと回転させる。刺したり抜いたりを何度も繰り返す。
そして、今度はゆっくりと引き抜く。
「ほら、見てみなさい。耳の作りは人間と同じなのですかねぇ? 私は人間で遊んだ事はありませんが。」
五寸釘にデロリと巻きついた耳の中にある様々な器官をアヌビスに見せつける。だが、アヌビスは両眼を死川によって潰されているので見れない。
「な、何も聞こえねぇ!! 何なんだよおおおおおおおお!!」
「今ので耳が完全にイカレたか。これはこうしておくかの。」
耳から引き抜いた五寸釘を死川はアヌビスの口に突き刺す。そして、今度は口を裂くように五寸釘を移動させる。アヌビスの口は大きく裂け、筋肉を完全に切られたので下顎が閉じなくなる。
「ア、アガアガ!! 」
アヌビスは喋ろうとするが喋れない。
「中々丈夫じゃな。これならどうだ?」
死川は顎から五寸釘を引き抜くと、アヌビスの喉仏に二本同時に突き刺す。
「――――――――!!」
アヌビスは何も喋れる事なく、身体が一瞬ビクンと上下に動き、背中からバタリと倒れる。そして、アヌビスの周りを紫色の光が覆う。死川はアヌビスから距離を置く。
「死んだかの。中々面白かった。」
アヌビスを包んだ紫色の光は消え、それと同時にアヌビスも消える。
「死川さん……………………」
ここらからだと死川さんが何をしていたのかはハッキリとは見えない。だが、人ならざる事をしてた事はアヌビスの悲鳴から理解する事ができた。
「すまんの、神崎くん。少々時間をかけてしまいました。」
「いえ………………」
俺は死川さんに何をしていたのか聞こうとしてた。だが、それを聞く事は出来なかった。
「さぁ、あちらに行くとしましょうかの。」
「はい、分かりました。」
俺は死川さんが指差したミツレ達がいる方に向かう。
エキドナはもう顔の半分しか残っていない。確実にゆっくりと消えている。
「本当に色んな事があったわね。釣りに行った時なんてミツレが川に落ちたりとか!」
「はい…………ありましたね。」
エキドナの口調はとても明るい。今から死んで消える人とは思えない。俺と死川さんがあっちにいる間にしていた話は母親と娘の何気ない会話だったのだろう。
「あと、流風が風邪で寝込んだ時には薬飲まそうとしたけど、苦くて嫌だとか言ってたわね。」
「うん、そうだねマザー……………」
ミツレと流風からは常に大粒の涙が溢れている。声も震えており、涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃだ。
「本当にありがとう。私はあなた達のおかげで偽物でも母親になる事ができたわ。」
「偽物なんかじゃありません! マザーは私の母親です!」
「そうだよ! マザーは本物の母親だ!」
ミツレと流風の手の中にいるエキドナは、フフッと笑い、残された左半分の顔の左目から涙を流す。
「そう、ありがとう。ずっと大好きだよ。愛しの我が子達………………」
最後にそう言い残すとエキドナは完全に消えた。ミツレと流風の手に流れたエキドナの涙もスウッと消える。
「私だって、ずっと大好きですよ、マザー。」
「今まで流風の母親でいてくれてありがとう。マザー…………」
こうしてミツレと流風は母親であるエキドナと別れた。二人はアヌビスが去った事により晴れた空の中、母親との別れを悲しみ泣き続けた。
その後、俺は泣き続ける二人の肩を支えながら、救援に来た軍の船に乗り込み、激戦があった橋を後にした。
船に乗った後の事はよく覚えてない。目が覚めると、少し前にも乗ったことのある車内の助手席のとこに俺はいた。
エキドナの命のおかげで身体の傷はすっかり癒えているので痛みはない。
ボーッとしている視線をゆっくりと運転席の方にやると、強面だがどことなく優しい雰囲気を漂わすあの男がいた。
男は目が覚めた俺に気づくと、タバコを揉み消し、優しい声で
「頑張ったな、悠真。よく帰ってきた、おかえり。」
と言う。俺は何故か涙が止まらなくなり嗚咽混じりの声で男の名前を呼ぶ。
「坂田さん………………!」
「本当に生きていて良かった。千葉にいるアイツらも心配していた。雄介達の事で落ち込んでいたアイツらだが、今はもうだいぶ顔色も良くなっている。お前らまでもがいなくなったらアイツらは一生立ち直れなかっただろう。」
そうか、俺たちよりも長く先輩は雄介さん達と接してきたんだ。俺とミツレであれほどの悲しみならば、先輩達の悲しみは計り知れない。
「あれ、ミツレ達はどこにいるんですか?」
「二人とも泣き疲れたのか後ろで寝ている。起こしてやるなよ。」
坂田が首でクイッと後ろを示す。そこには、ミツレと流風、それと氷華がいた。ミツレは窓に寄りかかるようにして寝ており、流風と氷華は俯いた状態で寝ている。
「氷華!? どうしてムグッ!?」
俺は氷華がいた事にビックリしてしまい、大声を出しそうになる。それを見かねた坂田が左手で俺の口を抑える。
「あの時、寝ていたから覚えてないか。橋を後にしたあとに俺と氷華が車で迎えに行ったんだ。氷華はお前らが無事で帰ってきてくれた事にホッとしたのか、車に乗ってしばらくしたら安堵のあまり寝てしまった。」
そうだったのか、確かに俺は軍の船に乗ったあたりから記憶がボヤーっとしている。
「氷華と流風は千葉神対策局で面倒を見る事にした。アイツらにも伝えてあるし喜んでいた。文句はないだろう?」
坂田はフッと笑うと、横目で俺を見る。
「はい! 氷華と流風と暮らせて嬉しいです!」
「それは良かった。あと少ししたら港に着く。そこから千葉県まで一直線で行くからもう少し寝てろ。お前達は本当によく頑張った、色々と話したい事や明日の予定などがあるが、今はゆっくりと体と精神を休めるがいい。」
坂田に頭をポンポンとされ、少し照れる。俺はもう一度目を瞑り、真っ暗な夢の中に誘われる。
―――――――――容赦なく降り注ぐ眩しい光に俺は耐えれなくなり、目を開ける。
布団が引かれたワンルームに俺はいた。いつのまにか寝巻き用の浴衣に着替えさせられている。
視界を天井から変えるために起き上がる。一人暮らしには十分な部屋の広さ、ほのかに香る井草の匂い、そして下から聞こえる朝にしては似合わない騒がしい声。
俺は、その騒がしい声のある方に歩みを進める。部屋を出て、階段を降りて一階に向かう。木造の建物特有の扉を開ける時のキィーと言う音と共に騒がしい声は一段と大きくなる。
「おはようございます! 神崎さん!!」
「お、起きてきたか。おはよう悠真。」
「クククク……………久しぶりだな好敵手!」
「いつから先輩の好敵手なんですか。あ、おはよう悠くん。」
扉を開けた音で気づいたのか、皆んなの視線を一気に浴びる。その中で一番最初に声をかけてくれた、透き通るような声の持ち主はミツレだ。
「皆んな、おはよう。」
ああ、久しぶりだ。本当に無事に帰ってこれた。もう一度日常が始まるんだ。
遂に三章が終わりました! いやー、この章は連載する前から考えていたので書いていて楽しかったですね!
この章が終わったので、番外編を書こうと思っているのですが、短編小説として出すのが良いのか、普通に本編の続きに出すのが良いのかどっちなんですかね?
感動的な話を書くのは苦手な作者でしたが、いかがでしたか?
いつも通り、辛口アドバイスや感想待ってます!!




