小さな墓標
「ハァハァ…………………」
「あと少しだ! このまま気張っていくぞ」
「うす!」
まだ、朝日も登っていない真っ暗な坂道を二人の男が走っている。
先頭を走っている体格の良い強面の男は、息切れひとつしないで走っている。
だが、その男の後を追うように走っている少年は、息を切らしている。
「ハァハァ……………… あぁ〜! 着いた!」
神高に合格する前、遡れば受験シーズンの時から俺は、坂田と一緒に毎朝のトレーニングをしている。
5時に起きて、千葉神対策局の庭で腕立て伏せと腹筋、そしてスクワットを100回する。
そして、その後は竹刀の素振りを300回と往復10キロのランニングをするという中々過酷なトレーニングだ。
「お疲れ様。ほら、プロテインだ」
坂の上で、大の字に寝っ転がってグッタリとしている俺に、坂田は、お手製のプロテインが入ったボトルを投げる。
「あぁ、ありがとうございます」
受け取ったプロテインを、俺は一気に喉に流し込む。味は、お世辞にも旨いとは言えないが、筋肉が喜ぶと思えば我慢できる。
「ゴキュゴキュ……………… プハァ!」
一気飲みした後のプロテインの容器は、自分の腰についているホルダーに引っかかる。
流石に、飲み終わった後の容器を人に渡すのは気がひけるからだ。
「後は、帰り道の10キロランニングだが、その前にいつものアレをやっておこう」
「はい!」
坂田は、そう言うと暗い道の中を歩き出す。俺も、その後を追うかのように坂田の後ろを歩く。
「よし、水と柄杓も準備できたし行くか」
俺たちがやって来たのは墓所だ。周りを木で囲まれた薄暗く、ひんやりとした場所だ。
まだ日が登っていないこの時間は、昼に来るのとは大違いだ。
「はい、行きましょう」
薄暗い墓所の中を、俺と坂田は横並びで歩く。俺の両手には、柄杓が2本、そして坂田の片手には水の入ったバケツが握られている。
「よし、始めるか」
「そうですね」
墓所の奥、俺たちは真新しい四つの墓の前にやってきた。ここは、ほんの少し前に戦死した英雄達の墓だ。
俺と坂田は、特に何も話さずに黙々と掃除をする。まぁ、毎朝のトレーニングでこの場所にも訪れて、掃除をしていて綺麗なので、大掛かりな掃除はしない。
10キロのランニングが終わったら墓参りをする。ここまでが、俺と坂田の朝のトレーニングルーティーンだ。
「そろそろ良いんじゃないですか?」
四つ目の墓石を磨き終わった後に、俺は小さな墓石を磨いている坂田に話しかける。
「あぁ、ちょうどこっちも終わったところだ」
帰る前に、俺と坂田は四人の英雄に黙祷を捧げる。
「よし、帰るか」
坂田の一言で、俺は黙祷を辞める。そして、軽く身体を伸ばす。墓掃除というものは、腰を使うので身体が硬くなってしまうからだ。
「よーし、最後は対策局までの10キロランニングだけだ」
墓を後にしようとする坂田に俺はずっと聞かないことがあった。
それは、坂田が最後に掃除していた小さな墓石についてだ。杏が眠っている墓の敷地内に、ちょこんと置かれた小さな墓石の事だ。
「そういえば悠真、お前今日は入学式だったな。制服も女将さんが綺麗にしてくれて」
「あの、坂田さん!」
俺は、坂田の言葉を遮ってしまった。だが、どうしても気になるんだ、あの小さな墓石の事が。
「うお、びっくりした。どうした、悠真」
急に大声をだしてしまった俺に対して、坂田は目を丸くする。
「今日が、神高の入学式で区切りが良いとか、そう言うのじゃないんですけど、一つ気になってる事があるんです」
「気になってる事? 俺が解決できるなら、全然聞くぞ」
もしかしたら、あの小さな墓石の事は坂田の地雷なのかもしれない。
でも、俺は知りたい。命の恩人の一人でもあると言っても過言ではない坂田、俺は彼の事はまだ何も知らないからだ。
「ずっと気になってたんです。杏先輩のお墓の隣にある、小さなお墓は何なんですか?」
言った、ついに言ってやった。これでもしかしたら坂田との関係が悪化してしまったら、未来の俺は今の俺を殴りたいと思うはずだ。
「あぁ、桜の事か」
だが、坂田は特に嫌な顔一つせずに、サラッと言った。
「桜…………………?」
流石に、人の名前なのだろうか。植物の桜ではないと思うが。
「結城桜、杏の母親だ」
「杏先輩のお母さんですか」
結城桜、初めて聞く名前だ。杏の母親、だが墓があるという事は………………
「数年前に、亡くなったがな」
坂田の表情が、ほんの少し暗くなる。だが、それはそのはずだ。人が死んだ事を思い出してヘラヘラする奴なんていない。
「そう、ですか…………………」
「三門龍介が言ってたから、お前も何となくは分かるだろ? 桜と杏の事は」
神高の入学試験、その二次試験を俺は思い出した。確か、三門龍介は杏の弟だったはずだ。
「俺も桜の事は詳しくは知らないが、三門家に仕える侍女だったそうだ」
「三門家に仕えてたんですか? そういえば、三門家に行った時も女の人がいました」
三門家に俺と坂田、そしてミツレで行った日のことを思い出す。
醜悪な獣である三門龍麻呂の隣には、うろ覚えだが女がいた。あの女は、三門家に仕える侍女だったというわけか。
「そうだ、あの時に会った女も侍女だろう。桜も、その一人だったんだ」
バケツと柄杓を、元の位置に戻しながら坂田はそう言う。そして、俺と坂田は歩きながら話の続きをする。
「三門龍麻呂好みの香織だった桜は、侍女に選ばれたらしい。いつ、どこで彼女と三門龍麻呂が出会ったのかは知らないがな。そして、侍女になった桜は、あの屋敷で三門龍麻呂の子供を授かった」
墓所の近くの古びたベンチの上で、坂田は淡々と話を進める。
「だが、生まれた子供は女だった。三門龍麻呂は、跡取りである男が欲しかったから、桜にその子、いや杏を殺すように命じたらしい」
「そんな………………」
酷い話だ。自分との間に生まれた子供を、殺すように命じる事ができるなんて人間ではない。
やはり、三門家は人の皮を被った愚かな獣の一族だ。
「だが、桜はその命令を聞かなかった。生まれた杏を川に捨てたと虚偽の報告をしたんだ」
「虚偽の報告ですか!? でも、もしバレたら………………」
自分の命よりも、子の命を優先したのだろう。とても強く、気高い人だ。
「あぁ、死刑は確定だろうな。だが、桜がたまたま見つけた、屋敷の隠し部屋で杏は育てられた」
「成る程、桜さんしか知らない隠し部屋で、杏先輩を育てていたんですか」
桜はがたまたま見つけたと言う事は、桜本人しかその隠し部屋は知らないのだろう。
そこで隠して育児をしていたと言うわけか。
「15年間、杏は屋敷の隠し部屋で育てられていたらしい。しかも、その隠し部屋から出る事は決して無かった」
「15年間!?」
だが、三門龍麻呂にバレないために仕方ない事だろう。出る事は決してないと言う事は、太陽の下にいることは15年間で一度も無かったと言う事だ。
「桜と三門龍麻呂の間に結ばれた雇用契約の年数は20年、杏が雇用契約したのは18歳の頃だから、38歳になったら屋敷から解放される。杏を産んだのは19歳の頃だったらしいから、あと4年バレなかったら自由になれてたんだ………………!」
19歳と若過ぎる年齢で桜は杏を産んだのか。その影に何があったのかを坂田が話さないと言う事は、そこまでは知らないと言う事だろう。
「あと、4年耐えれば解放されると思っていた二人に悲劇が訪れた。現実は残酷だ」
ハァと深く坂田はため息をつく。そして、その目は空をボーッと見つめる。
「屋敷の改修工事で隠し部屋の存在が、三門龍麻呂にバレてしまった。まったく、最悪だ………………!」
「そんな、あと4年だったのに」
15年間も自由を夢見て耐えた杏、そして20年間もあの地獄に縛られていた桜、二人の自由の夢が打ち壊されたのだ。
「三門龍麻呂に嘘の報告をして、子を隠し育てていたという事実によって桜は死刑された」
「そんな………………」
あと少し、あと少しだったのに…………………! くそ! どうして!
「そして、次は杏だ。腹違いの弟である三門龍介に。性的暴行を加えられていて、殺される瞬間に俺が来たんだ」
「坂田さんがですか?」
つまり、杏が死刑されそうになった瞬間に、坂田が三門家の屋敷を訪れたという事か。
「あぁ、千葉神対策局の局長に就任した俺は、四頂家全てに挨拶に回っていたんだ。そして、最後に訪れた三門家の屋敷で、桜と杏に初めて出会ったんだ」
世界を掌握している四頂家、そして彼らは神対策局にも多額の援助をしているという話を聞いた事がある。
だから、局長に就任したという大事は挨拶するのがセオリーなのだろう。
「杏が三門龍介によって殺される瞬間、俺は杏と三門龍介を引き離した。正確に言ったら、心身共にボロボロになった杏を救出したといったところか」
「なるほど、だから桜さんは残念でしたけど、杏先輩は坂田さんによって命を救われたと………………」
桜は残念だった。だが、坂田が来なかったら杏まで殺されていたのだから、最悪の事態は避けられたのではないだろうか。
「桜は間に合わなかったが、杏は命だけは救えた。俺がもう少し早く着いていれば………………………!」
「でも、坂田さんが来なかったら杏先輩も殺されていたんです。だから、そんなに卑下しないでくださいよ」
そうだ、坂田は杏という一人の少女を救ったんだ。確かに、桜は助けられなかった。
だが、英雄だという事には変わりはない。
「ありがとう、悠真。そして、この話は意外な完結の仕方をするんだ。まぁ、最悪の結果よりほんの少しマシだっただけだがな」
「意外な完結の仕方ですか?」
意外な完結の仕方とは一体どういう事だろうか。坂田は、ため息をしながら口を開く。
「普通、杏の死刑の邪魔をした俺は、即刻死刑だろう。だが、当主である三門龍麻呂は、ある提案をしてきたんだ」
「ある提案? あの男がですか?」
三門龍麻呂はプライドの高い人だ。そんな人が行おうとしていた死刑の邪魔をするなど、即刻死刑が妥当なはずだ。
「それが、俺があの時もポロッと言ってしまった桜の楔だ。まぁ、三門龍麻呂と俺の間に結ばれる契約のようなものだ」
「桜の楔………………」
そうだ、神高の試験が終わった後、三門龍麻呂が千葉神対策局に来ていた時に、坂田がその様なとこを言っていたな。
「桜の楔、皮肉な名前だよな。契約内容としては、杏の身を俺が預かる代わりに、俺が死ぬまで収入の半分を三門家に収める事だ」
「収入の半分!?」
「あぁ、収入の半分だ。毎月、ゴッソリと持ってかれていたよ」
坂田は平然と話しているが、それは死活問題なのではないだろうか。
坂田の収入がどれぐらいなのかは知らないが、収入の半分と言うものは死活問題なはずだ。
「そして、奴らは俺に対しての抑止力として、桜の遺骨は三門家が保管すると契約内容に含みやがったんだ。つまり、杏を救ったのは良いが、親とは離れ離れにしてしまった」
「そんな………………」
千葉神対策局の局長でもあり、隊長という神対策局の中でもトップクラスの称号を持つ坂田に対しての抑止力に、桜の遺骨を使うとは…………………
「あまりにも俺に対して不利な契約ではあった。だが、杏の身を守るのが最優先だと考えた俺は契約、そう桜の楔を飲んだんだ」
見ず知らずの子供を守るために、そこまで出来る人は坂田のような正義感の塊でしか出来ないだろう。まったく、この人は凄すぎる。
「だが、それにしても謎なんだよな」
坂田は、タオルで顔を拭きながらそう言う。
「何がですか?」
「杏が死んでからも、奴らは手元に桜の遺骨があるのだから、俺から桜の楔で金を絞れたはずだ。なのに、何故あの日、わざわざ千葉神対策局に来て、そして謝って、桜の楔を消したんだろうな」
「言われてみれば、そうですね」
桜の楔は、坂田が死ぬまでという条件なのだから、別に杏が死んだとしても契約は続いているはずだ。
三門家にとったらメリットしかない桜の楔。何であの日、三門龍麻呂は、わざわざ千葉神対策局に赴いて謝り、そして桜の楔を消したのだろうか。
「まぁ、過ぎた事を考えても仕方ないな。結果としては、桜の楔も無くなったし、杏と桜も会えたのだから」
坂田は、フッと静かに笑う。その笑みは、とても慈愛に満ちていた。
「そうですね! きっと、二人とも空で喜んでますよ」
「そうだな、じゃ、少し喋りすぎてしまったし、そろそろ帰るか! 日も登ってきてしまった」
山の上にあるこの墓所からは、太陽が登ると絶景が広がる。坂田と、この話をしなければ見ることのできなかった景色だ。
「はい!」
そして、俺は坂田と共に、俺たちの千葉神対策局に向かって再び走り出す。
とても眩い、朝日に向かって二人は走りだした。
実は、気づいていない人もかなりいたようですが、杏についての番外編を連載していたんですよ。
ですが、運営の検閲に何度も引っかかってしまい、何度も修正したのですが消されてしまいました。←うーん、悲しい。ぴえんってやつです。
そして、あまりにも萎えてしまったので、本当に残念ですが、杏の番外編は書かないことにしました。
でも、杏の番外編で1番書きたかった事は、今回の話に多少強引ですが書けたつもりです。
何故、あの番外編が運営の検閲に引っかかり、そして削除されたのかは分かりませんが、楽しみにしていた読者様には本当に申し訳ありません。