ようやく一緒に
暗い、暗い何も見えない孤独な世界が広がっていた。
身体が動かない。まるで、身体全体が底無し沼にズップリと浸かっているかのようだ。
だが、左手のみに温かい感触がある。俺の左手は、何かに包み込まれている。
「ん……………… ここは……………?」
真っ暗だった何も見えない孤独の世界から一転し、俺の視界には天井が広がる。古い木で作られたその天井は、古いながらも暖かさを感じ取れる。
「はっ! そういえば、試験は……………!」
そうだ、俺は神高の入学試験を受けていたんだ。確か、俺は………………
「覚えている、俺は三門龍介の顔面を思いっきりぶん殴ったんだ。だが、何故俺は生きているんだ?」
頭がズキズキと痛むが、しっかりと試験でどのような事が起きたかは鮮明に覚えている。
あの二次試験で、俺は確かに三門龍介を打ち負かした。
だが、あれはあくまでも試験の結果だ。二次試験が終わったら、三門龍介は試験の結果に関係なく俺を死刑すると言っていたはずだ。
「なのに、何故俺は布団で寝ていたんだ? ん?」
左手が、やけに暖かい。まるで春を告げるかのような朗らかな気持ちになる暖かさだ。
「うぉ!? ビックリしたぁ……………」
左手に視線を移すと、誰かが俺の左手を両手で握りしめていた。
白銀の銀世界のような銀髪で、いつもクールぶっているけども、どこか抜けている少女だ。
その少女は、正座でちょこんと座っており、俺の左手を膝の上で握りしめながら、首をカクンと下げて居眠りをしている。
「ビックリさせんなよ、ミツレ」
「ふぁっ!? 神崎さん!?」
俺が起きた事に気づいて、ミツレは俺の左手から勢いよく両手を離す。
おいおい、なんか汚い物触ったみたいな感じだな……………………
「ゴホンっ! 神崎さん、おはようございます」
ミツレは、軽く咳払いをして誤魔化す。そして、俺の両目をじっと見る。
「うん、おはよう。いや、今は何時だ?」
どうやらこの部屋は、千葉神対策局の俺が住ませてもらっている部屋だと言うことが分かった。
俺は、枕元に置いてあった目覚まし時計を手に取って、時間を確認する。
「午前九時………………?」
待てよ、俺が神高で二次試験を受けたのは、昼ぐらいだったはずだ。
ということはつまり………………
「今日は、神高受験の翌日の朝です。神崎さんは、二次試験の後、今までの間ずっと気を失っていたんです」
「は、はぁ!?」
訳が分からない。どういうことだ? つまり、俺は三門龍介を倒した後から、試験の翌日の今日までずっと寝ていたと言うことなのか?
「ま、待ってくれ! 聞きたいことがありすぎるんだけど!」
何故、俺は生きているんだ!? だって、三門龍介から俺は殺されるはずだって…………
それに、ミツレも何故生きている!? 四頂家の三門龍介に失言のオンパレードだったぞ?
「気持ちは分かります。私が答えられる範囲で良ければ答えますよ」
ミツレも色々な事がありすぎて疲れたのか、少しため息を吐く。
「その、何だ……………」
うぅ、分からない事が多すぎて、何から聞いたら良いのか分からなくなってきた。
「あまり無理はしないでください。今日はお休みになっても構いませんよ」
寝起きのせいか、それとも疲れのせいなのか分からないが、頭が回らない俺を見て、ミツレは心配そうな顔をする。
「いや、大丈夫だ。聞いてくれ」
「無理だけはダメですよ? もう、あまり見たくないですから………………」
そうか、今思えば二次試験は無理をし過ぎた。
いくら、仮想の世界での出来事だと言えど、現実の世界の痛みや感覚と同じなのだから、あの試験での出来事は異常だ。ミツレが心配するのも無理はないな。
「そうだな、変な事を聞くかもしれないが、何で俺は生きている?」
んー、我ながら変な質問だな。生きている人間が、生死を他の人間に問うのは実に変だ。
「100点の回答を答える事は出来ませんが、簡単に言うと、神崎さんの二次試験が終わってから、三門龍介とその父親、三門龍麻呂の姿が消えたのです」
どう言う事だ? つまり、四頂家の二人が何故か消えたから、俺は今生きていると言うことか?
「消えたってのは、どう言う事だ?」
消えるという言葉には、色々な意味が含まれている。
水が空気中に蒸発するかのように消えるのか、それとも何処か別の場所に移動したのかだ。まぁ、流石に後者だとは思うが。
「あの試験の後、三門龍介と神崎さんは試験が終わっても目覚める事はありませんでした」
俺は、三門龍介の顔面をぶん殴って場外に吹き飛ばした。
その時の衝撃と痛みで、現実世界の三門龍介も意識を失ったと言う事だろう。
「そして、そのあと三門龍介と神崎さんは、神高の中にある医務室に運ばれました。もちろん、万が一の事を考えて、三門龍介と神崎さんの医務室は別々にされましたよ」
意識を失った俺と三門龍介は、あの後医務室に運ばれたのか。
それにしても、まったく記憶に無いな。まぁ、今まで意識を失っていたのだから、覚えていなくても無理はないか。
「で、三門龍介がどうなったかは知りませんが、バイタルに特に異常も無い神崎さんは、ドクさんと女将さんによって千葉神対策局に運ばれました」
「ドクさんと、女将さんがわざわざ………………」
確か、ドクさんは神高入試日は別の仕事があると言っていて忙しかったはずだ。
そして、あの女将さんも家の事で毎日忙しそうだ。わざわざ、俺のために……………
「坂田さんは、私たちの引率なので最後までいましたね」
「そうか……………」
良かった、坂田にも迷惑かけていたら面目なかった。
「そういえば、変な噂話があったんですよ」
「噂話? なんだそりゃ」
ミツレは、何かを思い出したかのように、両手の掌を、パンっと音を立てて合わせる。
「実は、三門龍介がいた医務室には直ぐに三門龍麻呂が駆けつけたみたいなんですよ」
「まぁ、そりゃそうだろうな。実の息子が殴られて、気を失ったんだから」
それのどこが噂話なんだ? どっちかと言うと、噂話じゃなかて事実話じゃないか?
「その後何ですよ。その二人はどこかに消えて、床には血痕が残っていたそうです」
「血痕? 一体、誰のだ?」
医務室だと言うから、医者か誰かがいたのだろうか。
その場にいた医者が、三門龍麻呂、もしくは意識を回復した三門龍介に暴行を加えられたのか?
「三門龍介達がいた医務室は、三門龍麻呂によって医者は追い出されたそうなんです」
「それが、一体どうしたんだ?」
「そして、その医務室には三門龍介は何人たりとも入る事を禁じたそうです」
「まぁ、息子の恥ずかしい姿は、プライドの高い三門家は見られたくはないだろうからな」
さっきから、ミツレは何が言いたいんだ? 医務室に謎の血痕があって、そこには三門龍介と三門龍麻呂しかいなかったってだけだろ?
ん? 何か引っかかるな………………
「っ……………! まさか!!」
そうか、そう言う事か! だから、ミツレは変な噂話って言ったのか!
「そうです、完全密室で三門家の人間しかいない空間で謎の血痕が見つかりました。そして、扉が空いたままだったので追い出された医者が部屋を覗いた時には、三門龍介て三門龍麻呂の姿は消えており、血痕のみが残っていたそうです」
「なるほど、それは確かに変な噂話だな」
いや、しかしそれにしても血痕が気になるな。部屋を追い出された医者が見つけたと言う事は、その血痕は、密室になってから生み出された物だと言う事だ。
「その血痕は、誰の物なのか分かったのか?」
「それが分からないんですよ」
「血液検査とかはしなかったのか?」
血痕が残されているのならば、その血液を調べたりしたら、誰の血液なのか分かるはずだ。
「もちろん、事故の可能性もあったので血液検査を行ったそうです」
「そうだな、血が残されているって事は事故の可能性が高いもんな」
血痕が床に残っていると言う事は、誰かが負傷したと言う事だ。事件性が高く、調べるべき事である。
「周辺にいた医者や、その医務室の関係者を中心に血液を検査しましたが、誰もその血痕と一致する人はいませんでした」
ミツレは首を横に振るう。つまり、その血痕を残した人物は、まだ分からないと言うことか。
「ですが、医務室に入室した人物で、血液検査を受けていない人が二人いるのです」
「まさか……………!」
二人という単語を聞いて、俺はある人物が二人頭の中に現れた。
「そうです、三門龍介と三門龍麻呂です。あの二人は、血液検査を受けるよりも前に、姿を消してしまいました」
やはりだ、俺の考えは間違っていなかった。
「ん? だが、それは少しおかしくないか? その密室は誰も入る事ができないのだろう?」
確かに、俺の考えは間違っていなかった。だが、一つだけおかしい点がある。
「はい、あの密室は三門家以外誰もいませんでした。普通に考えて、三門龍介と三門龍麻呂が血を出すような事を二人ですると思いますか?」
「いや、思わないな。あの二人を見た限り、三門龍麻呂は三門龍介を溺愛していたし、暴力をするようには見えない。それは、三門龍介だって同じだ」
あの二人が、血を出すような喧嘩などをするとは想像できない。
血液検査を受けてないとは言え、その血痕があの二人のどちらかのものである確率は少なそうだ。
「そこが謎なんですよ。突如姿を消した三門龍介と三門龍麻呂、そして医務室に残された血痕が噂話の内容です」
「あぁ、確かに変な噂話だな。だが、アイツらが消えてくれたおかげで、俺たちは今こうして話してられるな」
俺は、自分の首をトントンと手で叩く。三門龍介と三門龍麻呂が消えた理由は分からないが、それによって俺たちは生きているのだ。
「フフ、そうですね。噂話の真意はどうであれ、消えてくれたおかげで、私たちは生きています。他に何か質問はありますか?」
ミツレは、ほんの少しだけ頰を緩めて笑う。生きていると言う事に安堵したのか、それとも他に理由があるのかは俺には分からない。
「そうだな……………あ! お前たち3人の試験はどうだったんだ?」
俺と三門龍介の試合は、二次試験の第一試合だった。
その後に、ミツレと氷華、それと流風の試合があったはずだ。3人の試験結果はどうだったのだろうか………………
「私たち3人が負けるはずありませんよ。3人とも相手を倒して、最終試験の二次試験を突破しました」
ミツレは、待ってましたと言わんばかりのドヤ顔をする。コイツ、俺に聞いて欲しかったのかな?
「おお! マジか! と言う事は俺たち全員合格したのか!?」
ミツレのドヤ顔は少し腹立つが、3人とも合格できて本当に良かった。
「ええ、そうですね。一応、厳密な審査を行って試験結果は送られてくるそうですが、合格と言っても過言はないでしょう」
「良かった、俺たち神高に合格したんだな!」
短いようで長い道のりだった。神高に入学するという同じ目標を持った3人の友と出会い、友に鍛錬に打ち込む日々が俺の脳裏に思い出される。
そして、辛いことも沢山あった。瑠紫や坂田と言った、圧倒的な強者との間に存在する壁や、神々の強さ、三門家の卑劣さなど色々な事があった。それと、先輩たちやミツレと流風のマザーとの別れだ。
だが、もちろん楽しいこともあった。千葉神対策局での鍋パーティーや、東京神対策局でのバーベキュー、そして先輩たちやミツレ達との何気ない日々などだ。
「フフフ、神崎さん泣いてるんですか?」
「え? あ、本当だ…………」
気づいたら俺は両目から涙を流していた。何故、涙を流したのかは分からない。
神高受験に合格したことか? それとも、杏先輩や三門龍介に虐げられた人の敵討ちができたことか?
あぁ、今の俺にはこの涙の正体は分からない。だが、この涙は悲しい涙ではないなぁ…………
「他に何か聞きたい事はありますか?」
ミツレがハンカチを俺に渡す。俺は、渡された黄色のハンカチで涙を拭く。
「そうだなぁ…………」
それから俺は、様々な事を聞いた。二次試験で一番盛り上がった試合や、一番強そうな人の話などだ。
二次試験の話以外では、俺が倒れた後に心配して来てくれた人たちの話をしてくれた。瑠紫や春馬などの東京神対策局の人たちや、死川が来てくれたらしい。それと、神々廻も来てくれたらしいのだが、神々廻の名前を出すと、ミツレは何故か少しだけムスッとしていた。
「なるほどなぁ、そんな事があったのか。そういえば、ミツレ達の試合はどんな感じだったんだ?」
「あー、まぁ圧勝でしたよ。私たちの相手は戦闘慣れはしていない方でしたから」
「いや、でもどんな感じだったんだ?」
「もう、しつこいですね。とりあえず圧勝だったんですよ。作者も書くのはしんどいって言ってるし」
「いや、作者って誰だよ!!」
俺の質問に、一部を除いてミツレは丁寧に答えてくれた。
それにより、俺は自分が倒れていた間に何が起きたのか大体理解する事ができた。
「ありがとう、ミツレ。大体のことは分かったよ。皆んな、無事そうで良かった」
「いえいえ、大丈夫ですよ。他に何か質問はありますか?」
「いや、もう大丈夫だ。ありがとな」
もうミツレに聞くことはない。本当は、しわがれた声の主について知っている事があれば聞きたい。
だが、アイツの声は俺にしか聞こえないし、アレは俺だけで解決するべき問題な気がするから聞かない事にしておこう。
「では、私からの一つの質問に答えてくれますか?」
それまで微笑んでいたミツレは、スッと目をいつものように尖らせる。
「あ、あぁ構わないぞ」
その眼光で、俺は少しだけビクッとしてしまう。
「三門龍介との二次試験中、後半の時の神崎さんは、本当に神崎さんだったのですか?」
「は? 何を言ってるんだ?」
ミツレが何を言ってるのか分からない。あの時の俺は正真正銘、神崎悠真だ。
「ですから、そのままの意味です。あの時の神崎さんは、神崎さんでしたか?」
あぁ、そういう事か。しわがれた声の主に右腕を乗っ取られた時の事か。
アイツの事を言うべきか? だが、アイツがミツレに手を加えるかもしれないから危険だ。
「それは……………」
俺はどうしたらいいんだ? あの時、何が起きたのか離すべきなのか?
だが、アイツがミツレに何もしないという保証はない。
「神崎さん、答えてください。あの後、バイタルは異常無しで身体的な問題はないと判断されましたが、私からしたら異常有りです」
「ッ………………!」
ダメだ、答えられない。アイツは危険すぎる、何をやらかすかは分からない爆弾みたいなやつだ。
ミツレに、アイツの事を言うのは……………
緊迫した空気を切り裂くかのように、俺の部屋のドアが勢いよく開く。
ドアを開けたのは、流風だ。息を荒げており、少しだけ汗をかいている。
「ミツレっ! 昨日からずっと神崎悠真の部屋で看病してて疲れてると思うが、ヤバイ奴が来た! 早く下に来てくれ!!」
「ヤバい奴? お客さんですか?」
「良いから、早く来てくれ!」
流風は、部屋に入るなり、ミツレの二の腕を掴む。
そして、俺とやっと目が合う。
「おわっ!? ビックリしたぁ! もう体調は良いのか?」
俺が起きていた事に驚いたのか、流風は肩をビクッと震わす。
いや、部屋に入って来た時に気づいてくれよ………
「あぁ、もう大丈夫だ。それよりも、誰が来たんだ? 俺の知ってる人か?」
普段は落ち着いている流風が、これだけ血相を変えているという事は、中々の大物のはずだ。
「……………………神崎悠真が一番関係あるな」
流風は、右手を顎に当てて少し考えている。
「俺と関係がある? 誰なんだよ、その人は」
俺と一番関係があるだと? 特に心当たりは無いんだけどな。
「説明してる暇は無い! 神崎悠真も早く下に来てくれ!」
「おいっ! ちょ!? おまえっ!!」
やはり、流風の様子が変だ。俺とミツレの二の腕を掴み、部屋を勢いよく出る。
そして、駆け足で廊下を走り、階段で一階に向かう。
「おいおい、俺まだ寝巻きなんだぞ? こんな服で人に会うなんて失礼……………… 嘘、だろ?」
「ッ………………! いつかは来ると思っていましたが、まさか本当に来るとは………………!」
流風に半ば強引に一階に連れて行かれた俺とミツレは、そこで衝撃的な光景を目撃する。
一階には、先輩達や氷華、ドクさんや坂田さんなど千葉神対策局のメンバー全員が集合している。
そして、玄関にいる獣と坂田さんは対峙していたのだ。
「三門龍麻呂…………! イッ!? 様…………」
そう、そこにいたのは、二次試験で俺と戦って敗北した三門龍介の父親、三門龍麻呂だ。
反射的に呼び捨てで呼んでしまいそうだったが、ミツレが足を踏んでくれたおかげで、何とか敬称を付けて誤魔化す。
「三門龍麻呂様が、千葉神対策局に足を運んでくださるとは……………… 本日は、何用でしょうか? 事前に連絡して頂ければ、茶菓子でも用意していたのですが、今は生憎、待ち合わせが無いのです」
坂田は、三門龍麻呂に満面の笑みで微笑む。だが、目は一切笑みをこぼしておらず、その目は三門龍麻呂の両眼をジッと見つめている。
「い、い、いや…………… だ、だ、大丈夫…………です」
何かがおかしい。俺が知っている三門龍麻呂は、息子と瓜二つの性格の持ち主で、傲慢かつ冷淡な性格だったはずだ。
そんな奴が、あれだけ虐げてきた坂田に対して、ですだと!?
「…………………? 大丈夫ですか? 体調が優れていないようですが………… ん? 左耳、どうされたのですか? かなり深い傷を負ったようですが」
坂田も、その異変に気付いたようだ。そして、探りを入れるかのように、三門龍麻呂を見つめる。
三門龍麻呂の左耳には包帯が巻かれており、怪我をしているようだ。
「あ、あ、あぁ…………… も、も、も、問題ない……………です。きょ、きょ、今日は三門家と坂田………………くんの間にある、契約を解消しに来たん……………で、で、です」
震える声で、身体中をガクガクと震わせながら、三門龍麻呂はそう言う。
まるで、何かに怯えてるかのようだ。たった1日の間で何があったんだ?
「契約……………! 一体、何故?」
契約という単語が聞こえた瞬間、坂田は両目を大きく開く。
俺が知っている妖獣と人間の神を倒すための契約ではなく、人と人の間に結ばれる契約、いや縛りだ。
たしか、三門龍介が坂田に向かって、契約がどうのこうのって言っていたな。それの事だろうか? あの時の坂田は、何かに縛られているかのようだったから、鮮明に覚えている。
「そ、そ、そ、それは詳しくは話せない………………です。固く禁じられてしまったん………………です」
「禁じられている? つまり、三門龍麻呂様が私との間に結んでいる契約、いや桜の楔を解消する理由は話せないと言う事ですか?」
桜の楔、その単語を坂田が口にした瞬間、三門龍麻呂は玄関の床先に両膝を付ける。
「龍麻呂様!? どうしたんですか!? ドクさん! 救急車を!」
急に両膝を地面に付いた三門龍麻呂を見て、坂田はドクさんを指差して救急車を呼ばせようとする。
「い、い、いや大丈夫……………です。そ、そ、そ、そう……………です。理由は話す事はで、で、できませんが、解消させても、も、もらいたくて、来たん……………した」
救急車を呼ぼうと、ドクさんに指示をした坂田の右手を震える両手で掴んで、三門龍麻呂はその行動を阻止する。
「あ、あ、あぁ…………… 桜桜桜桜桜桜桜桜桜ぁ…………」
だが、ブツブツと三門龍麻呂は何かを言っている。その目は焦点が合っていなくて、まるで壊れたゼンマイ仕掛けのオモチャみたいだ。
「ヒギィっ!?」
随分と変わり果てた姿に変貌した、三門龍麻呂の目線に、坂田は合わせるため片膝を床に付いてしゃがむ。
急に視線が坂田とあったからか、三門龍麻呂は変な声を漏らす。
「……………本当に、桜の楔を解消していただけるのですか?」
「も、も、もちろん……………です! では、これを……………」
そう言うと、三門龍麻呂は懐から一枚の茶封筒を取り出す。
そして、震える手でその茶封筒を破き、中から一枚の紙を取り出す。
「これは……………!」
階段でピタリと止まってしまった俺には、その紙がどのような物かは分からない。
だが、薄汚れたボロボロの紙切れには、土の汚れと血のようなものが付着しているのは見えた。
「口約束ではし、し、信用な、ならない…………です。な、な、なので、それを破いたら契約は、お、お、終わり…………です」
「分かりました。つまり、消せば良いのですよね?」
「え、は、はぁ……………」
そう言うと坂田は、その薄汚れた紙を左手で摘む。そして、スーツのポケットから愛用しているオイルライターを取り出す。
「これで、終わり………………か」
坂田はボソッと何かを言う。よく聞き取れなかったが、その顔は安堵しているかのように見えた。
そして、オイルライターから勢いよく炎が出て、ボロボロの紙切れを跡形なく燃やし尽くす。
黒焦げになったその紙は、ハラリとまるで桜が地面に落ちるかのように床に落ちる。
「そ、そ、そ、それと契約内容のうちの一つである、坂田…………くんが、給料の50パーセントを三門家に収めていた今までの金は、ご、ご、後日、口座に振り込んでおき……………ます」
50パーセント!? 坂田は、いつから契約を結んでいたのかは知らないが、給料の半分を三門家に奪われていたのか!?
「どうも」
きっと多額の金を得るはずなのに、坂田の表情は浮かばない。
契約の内容には、金よりも重い何かがあるのか?
「さ、さ、最後にこれを……………… 持ってこい」
坂田と話していた時には震えていた声は、玄関外にいる部下らしき人に対してはしない。
昨日まで存在していた、傲慢な醜い獣の声音だ。
「こ、こ、こ、これ、これ、これ、これを…………」
「ッ……………!」
部下らしき人が両手に抱えていたのは、一つの木箱だった。
一辺の長さが30センチほどの正方形の木製の箱で、それを三門龍介は部下から両手で受け取り、震える手で坂田に差し出す。
「やっとか……………長かったなぁ……………!!」
その木箱を見た途端、坂田の表情が一変した。
それまでは、偽物の笑顔で三門龍麻呂に接していた坂田だったが、木箱を見た瞬間に声を少しだけ荒げ、眉を寄せる。
「ヒ、ヒ、ヒイイイイイイイ!!」
三門龍麻呂はガクガクと震えている。両手で木箱を持ち上げ、顔を下に向けている様は、世界を統べる四頂家の三門家の当主とは思えない。
「ゴホン、すみません。では、返してもらいます」
坂田は、咳払いをした再び偽りの笑顔を顔に貼り付ける。
そして、三門龍麻呂の震える両手からサッと木箱を受け取る。
「こ、こ、これで契約破棄の儀は終わり…………です。こ、こ、これから三門家は千葉神対策局の下…………ゴホン! 方達とは一切か、か、関わらないので、今までの事はな、な、無かった事に…………… で、で、では失礼……………」
三門龍麻呂は、坂田に木箱を受け渡すと立ち上がり、千葉神対策局を後にしようと、背をこちらに向ける。
「………………待ってください」
「ヒイっ!?」
坂田は、確かに敬語だった。だが、その声音は静かな怒りに燃えており、待てと言われるよりも怖い何かがあった。
「分かりました、今までの事は無かった事にしましょう」
坂田は深いため息を吐き、首をゴキゴキと鳴らす。
「で、では失礼………し」
何か嫌な事を言われるかと思って、肩をビクッとさせた三門龍麻呂だったが、肩を撫で下ろす。
「ですが!!」
「ヒギィっ!?」
その瞬間、坂田の怒号が響き渡る。大気をも奮わせるその怒号は、辺り一面をビリビリとさせる。
その怒号によって、三門龍麻呂は腰を抜かして、坂田を見上げる体勢になる。
「これまでの事は無かった事にしましょう。ですが、杏と桜、そしてここにいる仲間を傷つけられた者達に謝ってください」
「な……………!?」
坂田は、四頂家相手に謝れと言った。この世界に生きる者であれば、その言葉が死を意味することは分かるだろう。
俺も三門龍介に謝れと言ったが、あれはあくまでも当主ではなく息子だ。四頂家の当主に言うのとでは、その重さが違う。
「だ、だ、だが! 契約は破」
三門龍麻呂は、口をゆっくりと開けて言葉を発する。
「謝ってください」
それに対して、坂田は笑顔で言葉を遮る。
「す、す、全てをお前に返し」
三門龍麻呂の口調が、ほんの少しだけ荒ぶる。
「謝ってください」
だが、そんな事はお構い無しに坂田は再び言葉を遮る。
「貴様ぁ!! 四頂家に向かっ」
そして、三門龍麻呂は顔を真っ赤に染め上げて立ち上がり、坂田の胸元を掴もうと腕を伸ばす。
だが、三門龍麻呂の腕が坂田に触れる事は無かった。
「謝れぇ!! それで全部終わりだ!」
坂田の眼力で、三門龍麻呂は再び尻餅をつく。そして、身体を小刻みに震わせながら玄関先の汚い場所で正座をする。
「うううううう………………! う、ぐぁぁぁぁ!」
そして、ゆっくりとその額を地面に付ける。三門龍麻呂は、拳を硬く握りめる。
「この……………度は、誠に……………! 申し訳…………! ありま……………せん、でし………………た……………!」
この光景を俺はこの先二度と見ることがないだろう。
四頂家が頭を垂れて土下座をし、謝罪している光景を。
「三門家は、この先、貴…………… あなたたち…………! には、関わり……………! ませ……………ん!」
俺は結局、三門龍介に謝らせることは出来なかった。だが、それを坂田が代わりにやってくれたのだ。
いや、今のは間違っている。坂田は俺の代わりにやったのでは無い。俺を含めた皆の代わりにやってくれたのだ。
「これで、桜の楔が終わったか…………」
坂田は、左手の人差し指に付いていた紙の燃えかすを親指と擦り付けて床に落とす。
その言葉を聞いた三門龍麻呂は何も言わずに立ち上がる。
そして、顔を真っ赤に染め上げ、背中を向けてそそくさと千葉神対策局を後にした。
「ふぅ……………… 長かった、本当に長かったなぁ……………」
坂田はそう言うと、小脇に抱えていた木箱をギュッと両手で抱きしめる。
「すまない、朝食は俺抜きで行ってくれ。女将さん、せっかく作ってくれたのに申し訳ないです」
「い、いえ………… それは構いませんが……………」
木箱を両手で抱えたまま、坂田は自分の部屋がある方に向かう。
「そうだ、忘れていた。悠真、起きたようだな。体調に問題はないか?」
坂田は足を止めて、振り返る事はせずに俺に問いただす。
その声音は、少しだけ震えており、その双肩も同じように震えていた。
「いや、俺は大丈夫ですけど……………」
「そうか、なら良かった。寝たきりで飯を食べていないのだから、しっかり食べるんだぞ」
そう言うと、再び坂田は自室に向かって足を進める。
「ッ……………! 坂」
様子がおかしい坂田を止めようと、俺は声を上げる。
だが、それは寸でのところで隣にいたミツレに口を押さえられて、止められた。
「今は、そっとしておきましょう。私は坂田さんの事はあまり知りませんが、今はそっとしておくべきです」
そうだ、俺は坂田の事を何も知らない。だが、ミツレの言う通りだな。今は、そっと一人にしておくべきだ。
「あぁ、そうだな」
「さ、とりあえず朝ご飯を頂きましょう。神崎さん、何も食べてないのですから」
言われてみれば、約1日ほど何も食べていないのか。空腹感はあまりないが、食べておかないとな。
「だが、その前に……………」
たった1日しか先輩達、千葉神対策局の人たちに会っていなかったのに何故か、とても長く会えなかった気がする。
だから………………
「先輩達、女将さん、ドクさん、氷華、流風、そしてミツレ」
俺は、朝食の準備をしている皆んなに目を向ける。そして、みんなの視線が俺に向いた時にそっと口を開く。
「ただいま」
俺のこの言葉に対して、千葉神対策局の仲間たちが返す言葉はただ一つだ。
「おかえり」
そして、場面は暖かい千葉神対策局から寒々しい外へと移る。
そこには、でっぷりと太った男が黒い高級車に乗っていた。
「本当によろしかったので? 龍麻呂様が、直々に赴いて謝るなど……………」
車内には、三門家専属の運転手と、三門家当主の三門龍麻呂の二人のみだ。
「麻呂だって、頭を地に付けるなどしとうなかったわ!」
三門龍麻呂は、自分の膝をドンッと叩く。そして、震える手でウイスキーのボトルの栓を開け、喉に流し込む。
「頭を地に付けたのですか!? 一体誰に!? そんなの、死刑確定ですよ!」
運転手は、驚き目を大きく開く。そして、その両手は微かに震えていた。
この男は、三門龍麻呂が坂田に謝罪している姿を見てはいない。
だが、四頂家が下民と罵っている一般人に謝るなどあってはならない事は知っている。
「この事は決して口外するでないぞ。麻呂の唯一の黒歴史とやらだ」
「で、ですが………………」
運転手は口を濁らせる。だが、彼が言葉を濁らすのも無理はない。
なぜかと言うと、三門龍麻呂が坂田に頭を付けられたとでも世間に流せば、坂田に関する者である、あの場にいた全ての人を死刑にする事ができるからだ。
なぜ、それをしないのかが、この運転手には分からないのだ。
「あってはならぬのだ。アイツが、麻呂に口止めをしおったからだ……………」
「アイツ? アイツとは、一体………………」
「黙れぃ! さっさと運転せんか! 貴様に、話す事はない! 首を落とされたいのか!」
「ヒ、ヒイイイイイイ! も、も、申し訳ありません!!」
食い入る運転手に、三門龍麻呂は怒鳴る。それによって、運転手は歯をガチガチと震わせながらハンドルを握る。
「堕ち人のくせに……………」
チッと舌打ちをし、三門龍麻呂は怪我をした左耳の部分をさする。
―――――――そして、場面は過去に遡る。神崎悠真と三門龍介の熾烈な戦いが終結し、ある医務室へと移り変わる。
「う…………… ここは……………」
一匹の豚が目覚めた。時間で言うと、試合が終わってから三十分ほどぐらいだ。
「おお! 龍介よ! 目覚めたか! 麻呂は心配してたのだぞ!!」
「パパ………………」
そして、ベッドから上半身を起こした豚の両手を握ったのは、その豚の父親だ。
「はっ! 僕ちんは、あのゴミ下民に…………!」
三門龍介の脳裏に蘇る耐え難い記憶。そう、あの男に頬を殴られて敗北した記憶だ。
それ以外にも、会場にいた全ての下民の眼差しが蘇る。
特に、アイツだ。あの女狐の目が憎い……………!
「残念ながら、あのゴミに龍介は負けたのだ……………!」
我が事のように、三門龍麻呂は悔しがる。だが、無理もない。
四頂家である者が、あろうことか下民と罵ってきた者に負けたのだから。
「だが、心配する事はない。少し神高の上の連中を揺さぶれば、合格にしてもらえる」
ニチャアと三門龍麻呂は不敵な笑みを浮かべる。だが、それは三門龍介も同じだ。
「パパ、もう合格なんてどうでも良いよ。今の僕ちんは、あそこにいた連中をどうやって殺すかしか考えていないからさぁ……………!」
だが、彼が浮かべていた笑みは三門龍麻呂とは少し違っていた。明確な殺意が込められていたからだ。
「おお! 流石は麻呂の唯一の子供だ! 失敗した後の立て直しが素晴らしい!」
「へへっ! でしょ? ブッヒャッヒャッヒャ! あぁ、どう殺してやろうかなぁ! 斬首か? 水責めか? いや、火刑も良いなぁ!」
「ホッホッホッホ、まぁ落ち着きなさい。沢山、下民が沸いておるのだから全てできるとも」
「流石、パパ! やっぱりパパは違うなぁ!」
「そういう天才なところも、麻呂に似ておるぞ」
話の内容は歪だが、和気藹々とした父親と息子の会話は、勢いよく開けられた扉によって途絶えられた。
「なんじゃあ? ここは、四頂家の者以外、立ち入るなと言った筈だぞ? 貴様、殺される覚悟は出来ておるのか?」
三門龍麻呂は、勢いよく扉を開けた者に向かって背中で言う。
そして、その無礼者を見るためにクルリと身体を移動させる。
「な………………! 誰かと思えば、貴様か。今ならまだ許す、堕ち人は回れ右だ」
入って来た無礼者を見た瞬間、一瞬だけ三門龍麻呂の顔が曇る。
だが、その曇った顔はほんの一瞬で、その入って来た者を睨みつける。
「おい! 聞いておるのか!」
入って来た無礼者は、入室する時とは正反対で静かに戸を閉める。
「は? 今、なんと言った?」
扉を閉めた無礼者は、何かを三門龍麻呂に言う。彼が発した言葉は、三門龍麻呂には意味が分からなかった。
「聞き間違いではないか。千葉神対策局の連中に謝罪をし、これから連中と関わらないと誓えだと?」
彼が、二度同じことを言ったので、三門龍麻呂は自身の聞き間違いではない事を知った。
そして彼は、コクリと首を下に振った。
「ふざけるな! 何故、麻呂達がそのような事をしなければならない!」
もちろん、四頂家である三門龍麻呂は激昂した。彼が言っている事はありえない事であり、それは炊き立てのご飯が不味い事ぐらいありえない事だったからだ。
「なんだと? 謝るのは、一族の代表として麻呂だけで良いと? 貴様、話を聞」
その瞬間、密室と化した医務室の来訪者は、一瞬にして三門龍麻呂の間合いに入り、懐にから取り出したナイフを首元に当てる。
「ヒ、ヒイイイイイイイイ!」
「おい! 老ぼれ! 黙って見てれば、パパに何してんだ! あ? 動くなだと? うるせぇ!!」
彼は、殴り掛かろうしてきた三門龍介を止めようとした。だが、三門龍介は言う事を聞かなさそうだったので、ナイフをそっと三門龍麻呂の左耳に置いた。
「何してんだ! 話せよ!! くそジジイ!!」
三門龍介が、彼に掴み掛かろうとした瞬間、彼はナイフを真っ直ぐに下ろした。
まるで、まな板の上に乗せたリンゴを切るかのように。
「ギャアアアアアアア!? 耳がぁ! 痛い、痛い、痛いいいいいいいいいい!!」
床一面に鮮血が広がる。そして、その中心には二度とくっ付く事はない三門龍麻呂の左耳が、血でできた海の中でポツンと転がっていた。
「パパ!? パパ!? 嘘だろ? パパの左耳が!」
コツコツと硬い床を歩く死神の足音が、三門龍介の耳に入って来た。
ベッドから転げ落ち、三門龍麻呂と同じように床にいた三門龍介は上を見上げる。
そこには、血塗られたナイフを片手に持った死神が立っていた。
死神の目は、至って冷静だった。一切の曇りのない、まるで澄んだ青空かのようだった。
まるで、自分の行為が正義であるかのように。
「な、な、なんなんだよ!? お前は! 急に部屋に入ってきて、謝れだの言いやがって! それに、パパの左耳を削ぎ落としたな!? お前が何者かは知らないが、死」
泣きながら喚き散らかす豚に、死神は人差し指を立てて豚の口元に置く。
そして、死神は豚の左目に向かってナイフを突き刺そうとする。
「ま、待て! 息子には手を出さないでくれ! 分かった、腹立たしいが、貴様の要求を飲み込もう。後日、千葉神対策局に麻呂が赴く。それで良いだろう?」
失った左耳があった場所を押さえ、そして声を震わせながら三門龍麻呂はそう言った。
その言葉を聞いた彼は、コクリと頷く。
「パパ、嘘だろ!? なんで、あんな下民に謝」
「黙っとれ、龍介! いいか? この事は決して口外するな! 分かったのなら、さっさと行くぞ!」
あれだけ溺愛してきた息子には対して、三門龍麻呂はおそらく初めて怒鳴り付けた。
「ほら、行くぞ!」
初めて父親に怒鳴り付けられた三門龍介は、ポカンとしていた。現実が受け入れられないようだ。
そして、ポカンとした息子の手を引いて三門龍麻呂は医務室を後にした。
哀れで惨めな獣がいなくなった部屋に、彼は一人残されていた。
彼は、血が付いたナイフを自分のシルクのハンカチで拭き取る。
そして、床に広がる血の海にプカプカと浮かぶ獣の左耳を、ハンカチで拾い上げ、近くにあった花瓶の中にポチャンと入れた。
一通り終わると彼はハンカチを胸にしまう。そして、コツコツと足音を立てて部屋を後にしたのであった。
監視カメラもないこの医務室で起きたこの事は、誰にも知られていない。
この事件を知っているのは、二匹の獣と一人の死神のみだ。
――――――――そして、時は加速して4月6日、千葉神対策局の連中は、とある墓所にいた。
人気の少ない寂れた墓所だが、唯一輝く四つの墓の前に連中は手を合わせていた。
そう、財前俊介、音波五右衛門、猫魔凛、そして結城杏の四人の英雄が眠る墓の前だ。
周りの墓は、誰も掃除をしていないのかコケが生えてたり、雑草が生い茂っていたりしているが、この四人の墓は坂田や千葉神対策局の皆んなが掃除しているので、いつも綺麗だ。
「では、そろそろ行きましょうか。家に帰って、朝食としましょう」
目を瞑り、四人に挨拶や近況報告をしていて静寂していた空間を、女将さんの声が掻き消す。
「そうですね! お腹空きました〜!」
美香が、背伸びをして帰りの準備をする女将さんについて行く。
「あ、私準備手伝いますよ!」
ミツレは、女将さんの仕事を手伝うようだ。
そして、他の皆んなは、掃除するときに使った柄杓やブラシなどを片付けて、ここまで来るのに使った車に荷物を運ぶ。
「神崎さーん! 早く行きますよ〜!」
車に荷物を全て運び終えたようだ。ボーッとしてた俺に、ミツレは車窓から手を振る。
「おう! 今行く! 坂田さんも、早く行きましょう!」
だが、ボーッとしてたのは俺だけではない。坂田も、俺と同じようにボーッとしてたのだ。
いや、坂田の場合は何かを考えているとも捉えられる顔つきだった。
「あ、ああ! すまない、すぐに行く!」
「先に行ってますよ!」
俺は、小走りで車に戻る。座席は、空いていたから助手席に座る事にした。
「長かったな。だが、ようやく一緒にしてやる事ができた。天国で幸せにな」
オールバックの強面の男は、杏の墓石の隣にちょこんとある小さな墓石をさする。
真新しいその墓石が誰のものなのかを知る者は、この世界でこの男しかいない。
だが、それで良いのだ。深く、暗い憎しみの現世から解放されたのだから、彼女達には静かに天国で暮らしていてほしい。
だから、この事を知る人は彼だけで良いのだ。
「坂田さーん! 早くー!」
「体調悪いのですかー?」
「坂田修、あんな優しい顔するのだな…………」
「本当だ、坂田さんがあんな顔するのは珍しいな………」
「ククククク…………… 冷酷な坂田さんとはいえど、たまにはあんな顔をするものさ」
「あぁ、俺たちの前で、時たま見せるあの顔が、俺は好きだ」
彼の宝物である、少年少女の眩い笑顔や声が寂れた墓所を色鮮やかにする。
「フッ……………… うるさい奴らだな」
桜舞う春は、新しい出会いが生まれる季節ではあるが、それと同時に別れの季節でもある。
オールバックの男を含め、この場にいた全ての者はツライ別れを経験した者たちだ。
だが、彼彼女らは悲しむ事はするが、絶望はしない。それが、残された者に出来る唯一の事なのだから。
「だが、それがアイツらやお前たちの長所だな」
男は、四人の墓全てを撫でる。そして、杏の墓にのみある小さな墓石の前にしゃがみ込む。
「じゃ、行ってくる。すまないな、一緒にしてやれるのが遅くなってしまった」
そう言うと、男は立ち上がる。そしてタバコに火をつけて車に向かう。
「坂田さーん! 何してるんですかー?」
「おー、分かった分かった。今行く」
車に向かう瞬間、男の背後から暖かい気持ちになるような風がフワッと吹き当たる。
「…………………あぁ、俺も頑張るよ」
その風に、どのような意味があったのかは分からない。人によっては、ただの風だろう。
でも、この男には明確な意味があった。だが、それを知る者は彼を除いて誰もいない。
春が訪れた千葉神対策局、その先に待ち受けるものは何なのか。
希望かもしれないし、絶望かもしれない。だが、彼彼女らは歩みを止める事はないだろう。
そう、それが残された者の宿命なのだから。
これにて、4章完結ですっ!
いやー、後半は文字数が多いところが多くて、申し訳ありません!
分割しようと何度も思ったのですが、なかなか綺麗に区切れないのですよね笑
ま、まぁ、終わり方は中々綺麗にキュッと終わったではないでしょうか?
この章では、四頂家の一つである三門家の卑劣さと七聖剣の事についてをメインにしました。
もちろん、この章だけでは四頂家や七聖剣の謎や疑問は読者様は解決していないかもしれません。
ですが! 安心してください! ヘナチョコ作家の自分ですが、ばら撒いた伏線は全て回収する事を、ここに宣言します!(なんか、進撃の巨人のタイバー家みたいですね笑)
最後に、ここまで見てくださり、本当にありがとうございます。
私の作品は、前半の部分が大変酷くそこで読むのを諦めてしまう読者の方も多いと聞きます。
もちろん、私も修正をしたりはしているのですが、酷い部分が多すぎて中々間に合っておりません。
そんな酷い中、ここまで見てくださった読者様にはあたまが上がりません。
そして、ちょこちょこ言っていた番外編についてなのですが、もちろん書きます。
ですが、前回のエキドナの過去編の短編とは違い、一万字程度を五話ほど執筆して連載したいと思っております。
過去編の内容は、頭に少し練られているのでお楽しみにしておいてください。
では、皆さまに健やかな日常がある事を祈っております。