表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/8

【 幕  間 】 奈落_光明

本日二度目、同時更新の三話目です。

 昔から不思議に思っていた。

 彼女の、兄に対する冷淡な態度に。

 私に対する馴れ馴れしさに。


 いつも同情を呉れた。

 大変な境遇を察する、と。味方だから安心して、と。

 そして付け加えるのだ。兄への誹謗を、さりげなく。


 兄――第一王子にして王太子であった彼は、神童だった。

 幼少期は公式の場でしか顔を合わすことは許されなかったが、わずかな時間でも否応なく知らされた。

 自分と一歳違いとは思えぬほど落ち着いた佇まい、振る舞いと受け答え。

 幼児ながら恐ろしく整った容貌と相まって、まるで天の御使いだと持て囃されていた。


 だが真に驚嘆すべきは、賛辞の声をいささかも鼻にかけなかったことだろう。弁えた大人でも、それは難しいことだ。

 いつだって苦笑するような気配で、追従をたしなめるような態度で、浮き立つことなく周囲の大人に接していた。

 間違いなく神童だったのだ。


 卒業を祝う宴が催される刻限まで、ふた月を切った、その日。

 学園の男子寮を訪ねていた。


 王族であれば王城から通うことも珍しくはないが、兄は望んで寮に入っている。

 さすがに主に上級貴族が使う豪華なしつらえの部屋ではある。

 居住空間とは別に応接室のあるあたりが特に。


「……兄上」

「うん、なんだい?」


 卓を挟んだ向こう側に、ゆったりと腰かけた兄。

 急に押しかけたのにもかかわらず歓待してくれている。

 鷹揚に微笑まれて、緊張のあまり唾を飲み込んだ。喉がからからに渇いていた。

 しかし近侍に出されたお茶に手をつける気にはなれない。

 今から彼に提案しようとしている、とんでもない画策を思えば、気もそぞろで手につかない。


 一蹴されるのが当たり前。

 冷たい目で見られるかもしれない。嫌われるかも……それを思うと心胆が冷える。

 頬が強張っていると自覚したまま、まずは調査書を懐から引き出した。


 兄の婚約者である公爵令嬢の私的な言動――ひいては思考のまとめだ。

 子飼いの間者を侍女として接近させ、親身になる振りをさせて聞き出したもの。

 さらに提案書も作成した。ゆえに時間がかかってしまった。

 そちらは懐に忍ばせたまま、兄へ向けて調査書を卓に滑らせる。


「これをご覧ください」

「うん……?」


 ぱらぱらと捲っていきながら、その整った顔が次第に顰められていく。

 生きた心地がしなかった。


「……」


 読み終えても兄はしばらく無言だった。

 それはそうだろう。

 一に荒唐無稽だ。

 この世界が創られたもので、私たちが決まった運命に従う役者のようなものだなどと。

 しかも兄に対して甚だしく辛辣な。

 二に、“そんなもの”を読まされたこと自体だ。

 これでも兄からは一定の信愛を得ている、と思う。

 それを裏切る行為と見做されかねない。


「――兄上」


 緊張に耐えかね、つい口を開いてしまった。しかし、なんと続ければいいのか。

 兄は大きく長息ちょうそくを吐くと、調査書を卓に投げ出した。

 目許を手で覆って天を仰ぐ。その表情は窺えない。


「兄上……」

「……腑には落ちるな」

「!」


 ため息を吐いているような声だった。


「前々からな、徴候はあったのだよ」


 手を下ろして姿勢を改めた兄に真っ向から見られる。

 覚えず己も居住まいを正していた。


「それが数年前――そう、この学園に入学したころから顕著になった」


 苦々しげに調査書を一瞥する視線。

 そこに理由が書かれていたためだ。


 公爵令嬢が、“前世で見た御伽噺と酷似した行動を兄が見せた”から。

 ならば、“これから先も記憶通りの行動をとるに違いない”。

 だったら――“裏切られることを前提に、足をすくうべく行動しよう”。


 これが令嬢の弾き出した解法で、結論。


「私が悪いのだろうな――」

「! なぜ兄上が? これは」

「いや」


 手のひらを向けられ、制された。


「彼女と初めて会ったのは、まだほんの小さなころだったが――ああ、思えば初めからだったな」

「何が、でしょうか」

「観察されていたのだよ。その目がな……私を貶めたい連中が、目を皿にして粗探ししているときのものと、よく似ていた」

「……」


 兄は昔、神童――“だった”。


「だからだろうな。私は彼女に隔意をいだいてしまっていた……」


 将来を嘱望されていた。稀代の名君になるだろうと。

 実際、幼いころは物覚えもよく、教えられたことを容易く応用してみせたそうだ。

 私も物心が付いたばかりのころは、よく当時の兄と比較され、出来が悪いと嘲られた。

 いつからだろう、評が逆転したのは。

 兄は成長するにつれ、只人ただびととなった。たぐい稀な容色は除いてだが。

 学問も武芸も人並みにしか修められなかったのだ。


 学園は成績ごとに学級を設けている。

 たとえば件の婚約者の令嬢は、最も優れた者が入る特進学級だ。

 下級貴族であれ、平民であれ、この学級に属すれば国の中枢にかかわることも夢ではない。

 しかし兄は、ひとつ劣った学級にいる。


 第一王子にして王太子だ。

 教育には最高の人材があてがわれていたはずである。

 その結果が、これ。

 いつしか顔だけの残念王子などと揶揄されるようになっていた。


 令嬢が、そうした噂話に興ずる集団に混じっているのを見かけたことがある。

 さすがに積極的に加担してはいなかった。

 だが、窘めるような素振りもまた、なかった。

 自身の婚約者が嘲笑されているというのに。意を得たりとばかりに微笑んでいた。


「臆してもいたのだろう。至らないところばかりを指摘されつづけたのだ。共にいて心が安らいだことは一度もなかった」


 そして面と向かっては、兄の劣位を知らしめるように公衆の面前でこき下ろすのだ。

 あれは駄目だ、これがなってないと、顔を合わせるごとに。昂然と。

 取り巻きが背後で失笑していようと、お構いなしに。


 歯痒かった。


 父や母は私に過剰な期待をかけていた。

 兄より優れた成果を、誰もが認める実績を、血筋は関係ないことを証明せよと、常に求められていた。

 もし期待にえなかったら己には存在価値がないのではと、怯えた。

 それを知らしめるかのように両親のいない場では陰口をたたかれる。

 兄王子はもっと呑み込みが早かった、それに比べて弟王子は――と。

 失望されるのが怖い。いつか役立たずと罵られ、捨てられる日が来る。

 だから常に最高の結果を――出し続けなければ。


 幼い私は、いつも恐怖に苛まれていた。


 教師に叱責された日、ひとりで隠れて泣いていた。

 そこを偶然、兄に見つかった。

 母に脅されていたとおり、きっとなじられると思って、さらに泣いた。

 兄は周章狼狽して全力で慰めてくれた。

 つい至らなさを吐露した。誰にも漏らせなかった重圧を。期待に応えられない罪悪感を。

 驚いた。

 口を挟まず聞いてくれた兄も泣いていた。ぎゅっとされて、頭を撫でられた。

 結果ではなく、努力を褒めてくれた。誰よりも頑張っていると認めてくれた。

 自分でも気づかなかった伸び代を指摘してくれた。

 くだらない笑い話や、滑稽な洒落で気を晴らしてくれた。

 厨房から盗んできたというお菓子を口に突っ込んでくれた。

 そうして証拠隠滅で同罪だと笑う。

 精巧な人形のよう、などと称されていた印象は、すぐ粉微塵に砕かれた。


 いつも助けてくれた。庇ってくれたのだ。

 比較して貶められたときも、卑しい血と蔑まれたときも。

 そんな場に居合わせると、兄は誰が相手でも抗弁してくれた。


 自身は父である王に疎まれているというのに。

 幼くして生母である正妃を失ったのに。

 気づかずに私はずっと己が不幸だと嘆いていた。


 正妃が亡くなってすぐ、父は私の母を――公妾を公式の行事に出すようになった。

 その扱いは最早、妃も同然。実家である商家すら理由をつけ、準貴族に取り立てた。

 となれば擦り寄る者も増える。

 兄の生母たる正妃は元が帝国の姫だった。つまり支持する層は王国内では地盤が脆い。

 勢力図は瞬く間に塗り替えられた。


 これまで私を悪し様に罵ってきた貴族や高官が、今や兄を標的にしている。

 手のひらを返して私を褒め称えるのだ。

 そうして私の、ひいては父王と公妾である母の歓心を買い、寵を得るために。


 公爵令嬢は、なぜか母に目をかけられている。

 潜り込ませている間者からもたらされた報――これだけは兄には伏せ通す心算つもりだ。

 令嬢と母が結託して、父のお墨付きを得ようとしている謀略。

 兄を廃嫡し、臣籍どころか平民にまで落とそうという姦計など、決して実行させはしない。


 本人は気にしないどころか喜ぶだろう。

 しかし、そうなってしまったら……二度と気軽に会えなくなる。


「私が不出来なことは、己が一番よく分かっているさ。彼女にも、公爵家にも、おそらく見限られたのだろうよ」

「そんな――」


 自嘲に歪む顔を見ると、泣きたくなる。

 なぜ彼女も、父も、兄自身を見ないのか。

 成績も容姿も血統も関係ない。兄の周囲の人間は、その人柄にこそ惹かれているのに。


「この筋書きのように、平然と平民を正妃にと望んで憚らない、そうしかねないと思われていたか」

「兄上……」

「いや、無理もなかろう。確かにな、あの娘と他愛ない話をすることは――楽しかった」

「――」

「うむ。なるほどな。私は、その『こうりゃくたいしょう』とやらに違いない」


 もう一度、調査書を拾って読み始める兄。

 が、ふと眉を顰められた。


「しかし……妙だな?」

「! 不備がありましたか?」

「いや、そうではない。なんと言うかな、ちぐはぐな印象を受けるのだよ」

「ああ、気づかれましたか」


 息を吐き、固く拳を握り締める。

 兄が昔から私を推してくれているのは知っていた。

 自身は王太子を返上し、さらには臣籍にくだりたいと、ずっと願っていることも。


「実は本題は、そのことなのです――兄上」


 そうだ。

 兄が望むのなら私は――多少の年月は耐えてみせる。


「ひとつ提案があるのです」

「ほう?」

「蹴っていただいて構いません。兄上に泥をかぶってもらわぬと成り立たぬのです」


 兄は吹き出すように笑った。


「今更ではあるな」

「……聞くだけ聞いていただいてから、勘案ください」

「そこまで言われたら、むしろ気になるだろう?」


 身を乗り出すようにされて、唾を呑む。

 もう後には引けない。


 令嬢の前世の知識は確かに驚異だった。

 その的中率は神がかり的、預言と断じても申し分ない精度。

 だが、穴がある。

 なぜか令嬢自身は気づいていない欠点、そこに付け込む余地があるのだ。


 彼女の知識は――筋書きは、二重構造になっている。



転生者がヒロインじゃなくて王子だったら、テンプレはどう変わるのか的な。

このテーマでじっくり書いても面白いんじゃないかしら?(他力本願)


ショタ兄弟の馴れ初め、もとい邂逅とかエピソードは早送りで終了しました。

なぜなら詳しく書くと弟王子がヤンデレブラコンストーカーに……え?

手遅れ?

おかしい。書き始めたときは断じてこんな予定じゃなかった。


次回更新、本日18時予定。兄王子の視点に戻りまぁす。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ