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魔物の饗宴

 参った。

 選択を誤ったかもしれない。


 俺は五つ目の行き止まりを背に立ち尽くした。


 巣エリアを超えてかなりの時間が経過している。腕時計の短針は十一を差していた。帰るには遅すぎる時間だ。


 参った。本当に参った。



 ――死ぬかもしれない。



 俺の周囲を照らす唯一の識火は、俺を守る光でもあった。時折影がちらつく。蠢いている四肢を前に、俺の頬は引きつる。


 俺は左手には松明、右手には拳銃を持っている。弾数は三十。十分? いや足りない。


 ガザガザガザと寒気が走るような擦過音が途切れることなく聞こえた。

 リュウは唸りながら奴らを牽制している。


 どうする、どうすればこの窮地を脱することができる?


 背には壁、正面には二十を優に超える蟲、蟲、蟲。


 鉤爪のような肢に薄く美麗さの欠片もない翅、光を反射する多数の複眼、ギリギリと動く口腔。それらはすべて同じ種で、蟻と蝉の中間的な見目で黒光りしグロテスクだった。


 リュウに比べるとやや小さいが蟲にしては大きすぎる体躯だ。奴らが一斉に襲い掛かってきたとしたら、そう考えると鳥肌が止まらない。


 俺は奴らを『セミアリ』と呼ぶことにした。


 奴らは火を嫌っている。そのおかげで何とか命を長らえている。



「ギシュギギジュカリカリカリ」



 声もキモい、気持ち悪い!



 こんな奴の情報は日記にはなかった。油断はしてなかったはずだ。ただあまりに突然だったため対処が遅れた。というか、こんな狭い空間で、警戒してもこんな風に襲われたらどうしようもない。


 よし、落ち着け。目の前でわさわさ動いている蟲のことは一瞬忘れよう。


 こう着状態をどうするかだけを考える。


 銃を撃ってみるか? あまり効果はなさそうだが。


 それよりもやはり火だろう。光ではない。火だ。奴らは水晶樹の明かりは気にしていないようだった。


 鞄を下ろして中を探るとボロ布があと数枚しか残ってなかった。油はある。最悪衣服を使えばいい。


 俺はボロ布を油で濡らし、松明に巻いた。


「い、いいか、リュウ。もし、奴らが近づいてきたら火を吐いてくれ。た、頼んだぞ」

「ギュ!」


 任せろ、とばかりに返事をしたリュウを頼もしく思う。


 俺は恐る恐る松明を振りながら、壁に背にしながらゆっくりと道を戻った。


 明かりを避けながらセミアリは距離感を保っている。もう諦めてくれればいいのに、松明が消える瞬間を今か今かと待ち受けているようだ。完全に俺を獲物として認定してくれたようだ。嬉しくねぇ!


 ギリギリと歯ぎしりのような音を出しながら、俺を注視する蟲共。



 こんな奴らに食われてたまるかよ!



 俺は奥歯を噛みしめながら、慎重に、冷静に、緩慢に、後方に影を造らないように歩く。


 睨み合いが続く中、何とか分岐地点に戻った。袋小路でなくなったことで少し安堵する。だが、奴らはまだ俺を囲んでいる。


 このままでいるしかないのか。しかし、これジリ貧じゃないか? ボロ布数枚、衣服、最悪俺が来ている服や鞄を燃やしても、油には限りがある。


 いずれ明かりはなくなるし、最終手段としてはリュウに火を吐いてもらうことになるが、長時間は無理だろう。


 つまり、食われるのは時間の問題、ってことか?


「冗談じゃないぞ、おい……!」


 ならばと思い、ボロ布を油で浸し松明で火を点けて、地面に放った。通路は狭い、これくらいの光でも幅全域を照らせる。


 思った通り、燃えているボロ布を境にセミアリ達は立ち往生している。



 よし、これならいける!



「……マジかよ」


 と思ったが、進行方向からガサガサと音が聞こえた。


 尋常ではない数だ。


 おい、なんだよこの数。あの巣の規模と数からしてあり得ないだろ。

 そう考えたが、外観では山のように見えたが、もしかしたら地下に掘っていたのかもしれない。


 だったらセミアリの数は想定よりも増えることになる。つまり少数から多数。俺が想定していたよりも遥かに多い個体がここに集結することになる。


 引くは時間も燃料も足らず、行くは未知の領域で安全な場所があるかどうかも不明、日記には詳細はなく、一か八かの賭け、綱渡り、その先に光明があるかも知れない中を進むしかない。


「ああ、くそ! わかったよ、くそが! リュウ走るぞ!」


 俺は迷いを振り切るように、大群に向かって疾走した。


 火の存在に気づいたセミアリたちは、モーゼの十戒のように綺麗に道を開ける。構わず、俺は突っ込んだ。


 リュウは近場にいるセミアリにブレスを吹く。小さな口から放たれる火炎の規模は同様に小さい。だが、小型の火炎放射器のように放射の勢いは強く、奴らにとって十分な脅威となっている。


 俺は松明を振るい、リュウは火を吐く。


 攻防は続き、俺達は足を止めない。蟲達も諦める様子はなかった。しつこい奴らだ。


「はっはっ、しんどい!」


 帰宅部の俺には長距離走は厳しい。緊張と視界の悪い中、二十分程走ったところで速度が落ちる。一日中歩き続けたせいで疲労が溜まっていたのもあって、体力の限界が近づいていた。


 マッピングは不完全。一々書き加える余裕もなく、頭の中に描いた地図を頼りに進んでいる。全速力はすでに駆け足に変わって、今では早足程度だ。


 一階層はかなり広かった。善次郎、こんな大事なこと、書いておいてくれ!


 内心で悪態を吐く。ボロ布はもうない。衣服を代わりに使おうとしたが、すでに油がない。今ある植物性油すべてを持ってきたのに、使い尽くした。


 今、煌々と照らしている松明が最後の篝火。やがて弱化し、消える。そうなった時は、俺の身の破滅を意味している。


 焦燥感から打開策は浮かばない。愚直に先へと進む、それしかない。せめて、何か、燃やせる何かがあれば。植物が、木があれば。


 懇願するも緑はない。


 あるのは土と砂と岩。そして開けた空間に出たとしてもセミアリの巣が待ち受けているだけだ。最初に通過した巣エリアだったが、一階層には点在していた。つまり奴らは異常に繁殖し生息しているのだ。


 一匹殺そうが十匹殺そうが毛ほどにも痛くはないだろう。


「はぁはぁ、くっそ……! 出口、二階への階段はないのかよ!」


 絶対に安全な場所があるはずだ。でなければ善次郎が四階に行けるはずがない。そう信じ、脳内の地図を埋め、ひたすらに走り、そして火が消えた。


「キュ!」


 瞬時に肩に乗ったリュウが、横にブレスを吐き、辺りを照らす。熱さは感じない。むしろ丁度いい温度だったが、心地よさはない。こんな緊迫した状況で適温かどうかなんて考える暇はなかった。


 息を吐き続けるには限界がある。持って数分だろう。

 俺はリュウが落ちないように抑えつつ、走った。


 道は分岐に次ぐ分岐。はっきり言って、行っていない道はまだかなりある。こっちが正しいのかもわからない。右に曲がり、左に曲がり、三股の道を正面に進んだ。そこかしこにセミアリの姿が見えた。



 急げ!



 火が弱まる。リュウの限界が近い。


 俺も最後の力を振り絞り全速力で走った。肺も足も心臓も何もかもが限界間近の状態で、俺は小石に蹴躓いてしまう。


「うお!?」


 緩やかな斜面になっており、転がった。当然リュウは火を吐けずに周囲は暗闇に包まれる。その中、ごろごろと転がり落ちる。俺はリュウを抱きしめ、身体で包み守った。


 体感で数秒間、痛みと衝撃を終えた。俺達はあまりに無防備だった。俺は死の予感を拭えず、瞼を力の限り閉じた。


 ガサガサという音が耳朶に届き、恐怖と共に襲いくる。



 もうだめだ!



 そう思った瞬間、リュウがブレスで周囲を照らした。


 俺は恐る恐る瞼を開いた。


 痛みはない。音も一定の距離を保ったまま近づいていない。リュウが火を吐く前からその状態だった。


「ここは……?」


 俺は思わず呟き、周辺を見回した。


 眼前にあったのは階段だった。岩を削り、形を整えられたような螺旋階段が上に向かっている。部屋は決して広くはなく、円形の空間だった。周辺には燭台が等間隔で並べられている。


 俺は乱れた呼吸をそのままに、リュウに頼み、燭台の蝋燭に火を点けた。

 赤ではなく青い炎が周囲を照らした。不思議と蝋燭は一切、溶けていない。


 セミアリ達の姿は見えない。まさかこの場所には入れない、のか?


 異界線と同じようなものかもしれない。そう思い、通路を覗き見る。すると少し遠くにセミアリ達が未練がましく俺を見ていた。


 よくよく見ると、赤い線が地面に書かれている。石畳とは違い土と岩の地面のため血が掠れて消えかかっていたが、間違いなく善次郎が書いたものだろう。


 つまり、ここは安全圏。

 『休息所』だ。



「はあーーーーーーっ、た、助かった……はぁはぁ、し、死ぬかと、思った……」


 俺は後ろに倒れ込み、大の字になった。息を吐き、何度も生きた実感を得る。


「ほんと、はぁ、助かった。リュウ」


「キュウー」


 リュウを褒めるように顎の下を撫でた。気持ちよさそうに目を細めるリュウを見て、緊張感から完全に解放された。


 今回は本当にだめかと思った。いつも言ってる気がするけど、本当に窮地だった。


 準備をしてきたつもりだった。けど、いくら万端にしようが未知の領域に足を踏み入れた時点で安全からは乖離する。死と隣り合わせの中、進むしかないのだろう。


 本音で言えばもうこりごりだが、必要に迫られている状態で足踏みしてもしょうがない。

 俺は呼吸が整うまでしばらく寝転がったままだったが、やがて上半身を起こした。


「とにかく、ここで休もう」


 俺は荷物をおろして、鞄から毛布を取り出すと地面に引いた。


 自室付近は乱雑でごつごつとした石畳だったが、ここは理路整然と規則的に作られた石畳のため、感触は硬いが、妙なでこぼこは少なかった。


 サツマイモ燻製チップと木の実、それに魚の燻製を取り出してリュウと分け合う。動きっぱなしだったので、お腹が空いている。間食したりもしたんだけどな。


 ポリポリサクサクムシャムシャと咀嚼音だけが響いた。


「ふぅ、ごちそうさま」


「キュキュィ」


 俺が両手を合わせると、リュウはその様子を観察し、真似して両手を擦った。なんとも可愛らしく聡い所作に、俺のささくれ立った感情も平坦になる。


 脱力し、倒れ込むと見上げた。


 螺旋階段の行きつく先は同様の洞穴の一階層に過ぎず、俺は何も達成していない。


 本心で言えば、兎や塩結晶なんていなかったじゃないか善次郎という憤りもあったが、それも霧散した。彼は色々なものを残してくれたのだ。


 ここからは俺が俺の見たものを書き記していこう。そう思い、メモ帳を取り出し、記憶に残っている道順と気になった部分を記述した。


 述懐する。俺は今、生と死の境に身を置くことで、強く生を実感していた。日本にいた時よりも、多幸感を抱いていた。それは死ぬことなく生き延びられたことへの感謝だった。


 安らぎはない。ただ達成感はあった。


 ひとしきり書き終えると、眠気が急激に強くなる。


 今日は休もう。明日、また進まなければならない。

 瞼が重い。だが、抗わなくてもいいだろう。


 俺は毛布を被ると同時に意識を手放した。

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