死んだな、これ
自室に戻ると部屋の水晶石は光を失っていた。庭に行き、水晶石を補充すると、日記を読み返す。
九四式拳銃に関しての記述を読むに、かなり暴発率が高い銃らしいことがわかった。
但し、善次郎は構造を理解し、長い時間をかけて改造を行ったらしく、シアーバーや安全装置などの暴発する要因は取り除いているらしい。
よくはわからないが、十数発撃った記述があるので、暴発の危険性は低いと信じるほかなさそうだ。
九四式拳銃はかなり独特な形状をしている。俺が知っている拳銃とは見た目がかなり違っている。ちょっと玩具っぽくもある。
日記には拳銃の分解図、手入れの方法などが事細かに書かれていた。
改造には四苦八苦したらしく、改一、改二と研究を重ね、現在の改四に至ったらしい。
軍刀の手入れ方法も書いてあった。雑貨の中にあった用具を使うらしい。白、赤錆が出た場合の対処方法も書いてある。研磨が必要そうだが俺にできるかは不安だ。
一先ず、書かれた通りの手順に従い、銃と刀の手入れをすることにした。一応、手作りの手槍と盾はあるが、すぐ壊れそうだし、手槍に関しては投擲用にした方がよさそうだ。
手に入れた調理用具と食器は助かる。特に鍋は調理の幅が広がるので重宝するだろう。使い込まれてはいるが洗えば問題はないと思う。
拳銃を記述通りに分解して手入れをする。
錆はないようだ。軍刀に比べると保存がきくのかもしれない。銃用油とラベルの張られている瓶を鞄から取り出し、指示された部分に塗った。
弾は木箱の中に入っている。一つ取り出し眺めてみると、少しだけ不安に駆られる。これ、火薬湿って使えなかったりして。
一応、マガジンに数発装填してみた。暴発しそうな気がぷんぷんして怖い。
一先ずの手入れを終えると、軍刀を抜き身にする。
「えーと、錆落としと研磨剤はこれか」
善次郎の部屋にあったものだ。他にも色々、用途不明の瓶や雑貨や実験器具のようなものがある。砥石も取り出す。
次に、机の中にあった未使用の鉛筆を取り出し、ティッシュを先端に巻きつけ、セロテープで固定した。
錆落としと書かれた瓶に入った黄色い液体をティッシュにつけ、軍刀の表面に塗布する。隙間なく塗りたくる。
机の上にタオルを敷いて、その上に軍刀を置いた。このまま一日置いて、錆落としを洗い流して研磨すればいいようだ。内容物が何なのかはイヤな予感がするので深く考えないようにしよう。
日記には植物性、動物性の油の造り方や『塩結晶』の入手場所、どんな生物が食に向いているか、燻製などの保存性食品の作り方、できること、できないことが詳細に綴られている。
善次郎は丁寧な性格だったようで、かなり細かく解釈を入れてくれている。
おかげで、俺の疑問のいくつかは氷解したが、描写との食い違いが幾つかあった。月日が流れたことで、環境が変わってしまったのかもしれない。日記を鵜呑みにするのは危険そうだ。
この場所を善次郎は『塔』と名付けていたようだった。
最後の日の日記には『この階』という記述があったので予想はしていた。善次郎は恐らく、階上への道を見つけたのだろう。外観からここは地下だと思う。上りきればあるいはどこかに出るかもしれない。
善次郎もそう思い、地上をめざし、途中に遭遇した化け物のような何かに阻まれ、脱出を断念したのだろう。
装備や知識、行動力や思考力、あらゆる面で善次郎は俺よりも優秀に思えた。そんな彼が諦めてしまったのだ。相当な困難が待ち受けていると考えた方がいいのかもしれない。
解説は五階で止まっている。それ以降、彼は進めていないところを見ると、問題の魔物は五階に存在しているらしい。
奇妙なのは魔物に対する記述がほとんどないことだった。よくよく読み進めると、あまりの恐怖からほとんど覚えていなかったと書かれている。
巨大でおぞましき風貌と悪臭を漂わせていたとあるが、それ以上は特筆すべき点はない。
一通り目を通したが、他に気になる部分はなかった。
情報を整理しよう。
まずは食料に関して。
道具を手に入れた。鍋、ナイフ、皿、コップ、箸、スプーン、フォーク。
情報を手に入れた。可食性に関する知識、植物性油、動物性油の精製方法の知識、塩結晶の存在を知った。
特にこの階の奥に兎がいるらしきことを知れたことは大きい。やはり肉を食べられるという期待は大きい。食欲を満たせるだけで生きる気力がわくというものだ。
今後の目標は、兎の入手、イモの入手、塩結晶の入手、油の精製、探索を前提に保存のきく食品の作成。
次に探索に関して。
道具を手に入れた。九四式拳銃、弾薬三十三発、軍刀、手製手槍、手製木盾、手入れ用具。
情報を手に入れた。階層毎の魔物の情報、九四式拳銃、軍刀の使用と手入れ方法、特殊サバイバル術 田所善次郎出典。
今後の目標は、武器の修繕。準備を万全にした後に先へ進む。長時間使用可能な明かりの確保。
これくらいか。
食料も問題だが、光源をどうするか。水晶石は持って二時間程度。日記には水晶樹の枝を水に浸していると長持ちするらしい。
着火はできるから、ボロ布と油を用意して、松明を使う方がいいかもしれない。非常用にスマホを持っていればなんとかなるか。
時刻は十七時を回っていた。もうこんな時間になっていたのか。日記を読むのと、手入れに思いの外、時間が費やしてしまったようだ。
夕食の準備をしないと、と思い立ち上がった。
「キュイ!」
鳴き声が聞こえた。
俺は思わず一切の所作を止め、耳に意識を集中させた。
「キュキュイ!」
聞こえた声は甲高く、ゴブリンのそれではない。しかし人間でもなかった。小動物が出しそうな声音だった。
俺は九四式拳銃改四を手に、通路を覗いた。声は奥から聞こえる。異界線の先だ。
どうする。
別に無視してもいいような気もするが、声の必死さを感じて、どうにも落ち着かない。
もしかしたらゴブリンに襲われているのかもしれない。だが、善次郎の日記にはこの階にはゴブリンと兎、他には小動物しかいない、と書かれていたはずだ。では、兎なのか。そう考えればゴブリン達も兎を主食にしているということになる。
「くそっ!」
キュキュ! と助けを求めるような声に、俺は決断した。
腰にホルスターとりつけ、拳銃を入れた。手製手槍を右手に、手製木盾を左手に持とうとしたが、これでは水晶石を持てない。
盾は諦めて、左手には水晶石を持ち、部屋を出た。声からして一刻を争いそうなほどに切迫している。早く出なくては。
俺は善次郎の持ち物だった、ブーツを履いた。現代のものより履き心地は悪いがないよりは断然マシだ。
断続的に鳴き声が聞こえる。まるで誘われているような気分になるが、頭を振って意識を眼前に集中しながら、進んだ。
赤い線を踏み越える。声は奥、右側から聞こえる。左側は行き止まりだったから、右側は二階への進行方向だ。未知の通路だが、やはり止めるべきか?
俺は逡巡の後に進むことにした。声の所在が近くだと感じたからだ。
声音は進むにつれて大きくなった。
曲がり角に辿り着く、鳴き声はすぐ近くだ。いや、違う。こちらへ曲がって来た。
距離をとる暇もなく、小さな影が飛びついて来た。思わず飛び退こうとするが上手くいかず尻餅をついてしまう。
視界が塞がれている!
見えない!
というか妙にもさもさ、もふもふして獣臭い!
なんか生暖かい!
「ぐもも、は、はなひぇ!」
「キュイキュキュイ!」
俺は顔面に張り付いているそれを強引に引きはがした。
それは子犬とイタチとキツネと比較的愛らしい爬虫類を合わせたような見た目で、尻尾が胴体と同じくらい長い。毛色は土埃で汚れているため灰色に見えるが、洗えば白に近づくだろう。丸い双眸を俺に向けて、キュイキュイと叫んでいる。
俺は胸中で『イヌモドキ』と名付けた。
愛玩動物さながらの小動物はバタバタと暴れて、俺の手から逃れると壁際で丸まってガタガタと震えていた。所作が妙に人間じみている。
咄嗟のことで頭がついていかない中、再び曲がり角から影が見えた。
俺は反射的に手槍を構えたが、何かに横へと弾かれてしまう。そのまま壁に先端をぶつけて、ガムテープとコードが外れてしまった。
首筋にチリッと焼けつくような熱が流れた。一気に体温が上がり、眼前に見えた姿に叫ぶ。
「うわあぁ!」
死角からの出現で、初めて敵の姿を確認した。
ゴブリンだ。ここまでは予想できた。しかし数は三。手前のゴブリンは鉈を振り払い、俺の手槍を弾いたところだった。奥に二体。棍棒と小剣を携えている。姿形はそのまま、だが複数体いるせいか威圧感は凄まじい。
手前のゴブリンは鉈を振るったことで僅かに隙があった。しかしこちらも手槍を弾かれ、すぐには動けない。俺は瞬間的に判断し、手槍を手放し、後方へ下がった。
ホルスターから拳銃を取り出し、正面に銃口を向ける。
「ギャギャ!」
後方の二匹は俺を無視し、イヌモドキに向かっている。どうやら捕らえるつもりらしい。俺には一匹で十分だと判じたか。
撃つしかない。しかし暴発しないかという不安は大きかった。
鉈ゴブリンが再び俺へと迫る。哄笑しながらゆったりと鉈を振りかぶった。
くそ、もうどうにでもなれ!
スライドさせて弾薬を装填した。
俺は記憶の中にある、映画の主人公が銃を打つシーンを思い浮かべ、同じように引き金を引いた。善次郎の日記に目を通していたことも手伝い、すんなりと引き金を引けた。
パンという音ではあった。しかしその音量は想像よりも遥かに大きく、そして閉鎖した空間であることも手伝ってしまった。結果、鼓膜に多少の負荷を与えられる。
「うお!?」
思わず叫んだ。と、すぐにゴブリンの様子に気づく。
弾は魔物の頭部に着弾していた。瞳孔が開いたと思ったら、そのまま後ろに倒れて絶命した。他の魔物は発砲音から立ち直っておらず、耳を塞ぎ何が起こったのかわかっていない様子だった。
俺もまだ耳がキーンと鳴っている。しかし、構わずゴブリンを撃った。
一発は小剣ゴブリンの腕に、二発目は棍棒ゴブリンの腹部に当たった。棍棒ゴブリンはもう動けまい。
けたたましく火薬が弾けたが、ゴブリンは音の出所が俺の手元にあるものだと理解したらしく、こちらを睨むと同時に、自らの肉体に起こった異常にようやく気づいた。
痛みに身悶えしながら地面を転がっている。刃物のように直接手に感触が伝わってはいないが、嫌悪感が著しく、俺は顔を顰めた。
大型の生物の命を奪うのは、やはり抵抗があった。しかし、そんな悠長なことを言っている暇はない。
腕を抑えつつ、小剣ゴブリンがこちらに向き直った。
眼を明らかな憎悪と憤怒で焦がしている。逃げる気はないようだ。生存本能よりも、自分よりも下等だと思っていた生物からの反逆に、怒り心頭に発したらしい。
距離は数歩ある。俺は迷いなく、引き金を引いた。
だが、予想に反して弾は発射されなかった。
興奮状態だった俺は変化に気づかなかった。拳銃はホールドオープンしている。スライドが後方に下がったまま制止している。つまり弾切れだ。
まずい。とりあえずと、数発装填していたが、三発しか入れてなかったらしい。慌てていたというのもあるが、迂闊にもほどがある。
引き金を何度引いても発砲できるはずはなく、焦燥感のままに、俺は後ずさった。
ゴブリンが小剣を構え、地を蹴った。今までとは違い、俊敏で、確実に俺を殺そうという決意が見えた。迫る凶刃を前に、俺は半ば確信した。
死んだな、これ。