戦友
「よっしゃ!」
食事をゲットできた、という喜びと共に、俺は笑みを作った。
だが、次の瞬間、表情は凍った。
「グゲゲヘヘ!」
魚が、シャベッタァァァァァ!
普通の魚だと思ったが、顔はどこか人間に近く、表情にも変化があった。魚類が声を発する意味がわからない。だって、水の中で生息してるんですよ?
「ゲグゲェェェェ!」
「キモイィィィィ!」
魚が叫んだ。俺も叫んだ。
俺は半狂乱になりそうになりながらもテンションを維持したまま、叫び、転がり、ポーチから彫刻刀を取り出し、流れるような所作で魚の首を突き刺した。
「ゲェェン!」
「チッキショォォ!」
ゲビゲビという喉に液体を詰まらせたような嫌悪的な声音を何度も漏らした魚は、やがて息を引き取り、痙攣していた。
「はぁはぁはぁ!」
恐慌状態から我に返った俺は、手に握られていた彫刻刀を見つめ、そして天を仰ぐ。
「えぇー……うそぉ……これ、食べんの?」
見た目はほぼ魚。顔がちょっと人間に近いかもしれないけれど、そこを我慢すれば魚だ。多分、恐らく、いや、きっと。
串刺しにされた傷跡を見るに、魚だ。血がドクドク漏れているけれど、間違いない。
俺は恐る恐る魚を手にとり、水で洗うと容器に入れた。
あー、もうテンションだだ下がりだよぉ。
それからしばらく放心状態になったが、気を取り直して釣りに勤しんだ。もう一匹同じ魚が釣れた。同じように叫んでいたが、次は無言でトドメをさして、容器に入れた。
見た感じ『ブラックバス』っぽい。確か、ブラックバスは一応食べられるとか聞いたような。
ただ、こいつらはなぁ……贅沢は言ってられないけど。
貴重な食材だ。命を奪って食べるのだ。感謝こそすれ不満を言うのは傲慢というもの。
俺は両手をあわせて黙祷した。
「……じゃあ、料理するか」
とりあえず顔部分だけは切り落とした。
うん、これならブラックバスだ。そうだ、そうに違いない。
俺は諦観のままに落ち葉と枯れ枝を広い、湖のほとりに集めた。きちんと手を乾かしたあと、いざサバ伝授の方法で乾電池を使い、火を点ける。
「本当に点いた!」
銀紙が一瞬の内に発火し、そのまま落ち葉と枝に火を移す。
フーフーと息を吹きかけ、火がある程度は安定したと判じた後、ブラックバスの鱗を彫刻刀の背でできるだけ取り除き、腹部を切って、内臓を取り出した。これくらいなら何とかできる。
枝を口から入れて串刺しにする。本来なら塩を振りたいところだが、ないのでしょうがない。
串刺しにした魚をたき火に立てかけてしばらく待つと、香ばしい匂いが漂った。表面は焦げ目がつき、じゅわっと肉汁を垂らしている。脂は中々にのっているようだ。
これは嗅いだことのある香りだ。正しく焼き魚だった。中々に美味そうだ。
しばらく眺め続けて、頃合いを見て串を手にとった。
大丈夫。食べられる。顔がないおかげで、普通の魚だ。
問題は味だが、どうだろうか。
俺は意を決して、口に運んだ。
咀嚼するとじわっと脂が滲み、魚の旨味が口の中一杯に広がる。
焼いたおかげか臭みはなかった。むしろ仄かに香る魚独特の青臭さが僅かにアクセントとなって舌鼓を打たせてくれた。調味料が欲しくはあるが、これならば美味いといって差し支えない。
「はふっ、んんっ!」
天然の上、釣ったばかりということもあり新鮮で味に深みがある。むしろ、普段食べている魚よりも美味だった。
熱々の魚肉を頬張り、何度も味わうように噛む。最初に感じた、小さな忌避感はすでになかった。
「はあ、美味かった……」
二匹とも食べ終えると、満足感に浸った。焚火から上る煙が暗闇へと消えていく。
幻想的な自然の中に唯一人間の営みから生まれたもの。それが庭を漂っている様は、まるで自然を破壊しているような倒錯的な行動に思えた。
ここは人の分け入る場所なのだろうか?
俺は無性に罪悪感に駆られて、焚火を消した。
火は人間の生活を送るために必要なもの。だから決して離れることはないが、その状況に慣れてはいけないのかもしれない。
自然がいるからこそ、俺の胃袋は満たされた。光により視覚を得て、満足感を抱いた。傲慢になってはいけない、そう教えられた気がした。
モノを大事にしていこう。ここにあるモノ全てを。
俺は識火の処理を済まし、食事の残骸を土に埋めた。容器の中の水は流し、ペットボトルに湖の水を汲んだ。透明度は高い。
煮沸消毒をした方がいいのだろうが、鍋はないし、ろ過道具を作るにしても時間も手間もかかる。製作しても長くは持たないだろう。
一気に飲んだりしなければ腹を下したりはしない、と信じたい。
水を嗅いでみた。臭いはない。
舌の上に乗せてみたが、味はしない。思い切って少量口に含んでみた。
「んー?」
特に臭みはない。味は水そのものといった感じだが、やや鉄っぽい、か? ここは地下なのは間違いないし、鉱物の鉄分とかが染み出てるとかじゃないよな。
とりあえず、あんまり飲み過ぎると危険な気はする。
部屋にあるもので、調理器具を造った方が良さそうだが、材料あるかな? 金属がほとんどないんだよな。どこかで仕入れる必要があるか。
一応は腹を満たせたし、俺は部屋に戻ることにした。容器と糸はここに置いておいてもいいかもしれない。俺以外には誰も来なさそうだし、来てもらっては困る。
俺は水晶石を手に取り庭を出た。
自室への帰り道の水晶石は光っていた。ただ、光は弱くなっているようだった。部屋に戻るとこちらの水晶石も同様の状態で一部消えていた。個体差があるようで、持っても二時間程度のようだ。
鞄に大量に入れて、道中で落とすという方法もありかもしれないが、庭にある水晶石の数にも限界がある。
原理もよくわからないし、無尽蔵に使用するのはいかがなものか。迷妄は危険だ。できるだけ慎重に行動しなければ、資源は有限なのだから。
さて、とりあえず、赤い線、仮に『異界線』と名付けよう。異界線を超えずに行ける道がまだ残っている。そちらを探索し、何もなければ、異界線を超えるしかあるまい。
たった数時間前の出来事だ。命を奪われかけた。しかし、行かなければ真綿で首を締められ、徐々に死を享受するだけのこと。
助けは来ない、と考えた方がいい。ここは日本ではないし、俺がここにいるということを知っている人間はいないと想定しておくべきだ。
俺はデイパックを背負い、手槍と木盾を手に部屋を出た。靴下では小石を押し返すには役者不足で時折小さく痛む。だが、構ってはいられない。
俺は水晶石の明かりを頼りに分岐まで行くと、右側の道を進んだ。
道なりに進むこと数分ほど。
「扉、だ」
そこにあったのは老朽化した木造の扉だった。造りは粗雑で古めかしい。数百年前の扉であると言われても信じるだろう。取っ手は鉄輪でできている。俺はゆっくりと鉄輪を握り、引いた。
ギィーと不気味な音を鳴らしながら扉は開かれる。
中にあったのは、小部屋だった。布団と棚。そして小さな机があった。それだけ、たったそれだけの部屋だ。特筆すべき点は家具や床は全てどこか古臭くはあったが、和風だということ。内壁は木板をはめ込んだような感じで、床は畳だ。
広さは四畳半くらいだろうか。俺の部屋に比べるとかなり狭い。
布団は薄汚れ、ホコリだらけだ。住人は長らく使用していないらしい。
「う、うわっ」
俺は小さく悲鳴を上げたが、すぐに平静さを取り戻した。
毛布に包まれている人骨が見えた。動く気配はなく、完全に屍と化している。虫や小動物、それと微生物のおかげか腐肉はすでに存在しておらず、また異臭もしなかった。おかげで生理的嫌悪感を抱くこともなく、嘔吐感も覚えずに済んだ。
人が住んでいたのか。一体、なぜこんなところに。
入口には段差があった。ブーツや革靴など靴が数足置いてあった。これは助かる。
棚には小瓶、コップ、小さな鍋、ナイフ、皿、菜箸やスプーンとフォーク、使い古したリュック、何に使うかよくわからない小物のようなものが幾つもあった。
目立ったのは手製金槌などの工具と銃の部品らしきもの。手ずから修理をしていたんだろうか。全て年季が入っている。
机には蔵書や使い込んだ書籍が幾つか並べられており、一つだけ引出しが備えつけられている。畳に正座をして使う形式の様で、高さはない。
引出しをあけると、万年筆とインク、それに分厚い紙の束が入っていた。紙は原稿用紙の様で、中にはびっしりと文字が書かれている。
蔵書は何やら参考書らしい。いわゆる書生という奴だろうか。
全体的に時代がかっており、昭和初期か大正辺りの雰囲気が漂っていた。もちろん、俺に正確な時期などわからないため、かなり大雑把な感想だ。
本を一つ一つと確認する。読めなくもないが、読みづらい。
その中で気になった本があった。
日記だ。
日付は一九四一年八月二十三日から始まっている。パラパラと捲る。毎日書いているわけではなさそうだ。日記帳は一つしかないから制限したらしい。途中、ページは虫に食われている部分もあった。
しばらく流し読みをしていると、目についた場所で手を止めた。
『六十余年にわたつた我が人生をここで終わりとする。お国のため戦におもむく決意を定め、訓練にはげみ、よしと腹の中で気勢を育んだこと、それを胸に一夜を超え、気づけばわけのわからぬ場所で異様な妖怪の類を見たり。
ゐかに帝国陸軍の一兵と言えどこの顛末には甚だ困つた。ことに足をこわし防空壕のごとく洞穴から抜けるに至らず生涯を終えるとは、人生とはわからぬものである。
もしもこの遺文を読むに至つた何者か、それが人間であると信じささやかな希望として九四式拳銃改四、一丁を手に軍刀と銃弾を畳の下に隠した。それに先への道標として赤き線を引く。おかしなことにその位置を境に妖怪は踏み入れぬやうであつた。
先は地獄であつた。さういふ絵図を知りながらも進むといふのであれば、私はあなたを尊敬する。私には無理だつた。あの先には行けず、しつぽを巻いて逃げた。銃弾も意味をなさず悪鬼の如きあの化け物を見て戦うことはできず逃げた。ここの暮らしは悪くないと思いこんだのだ。
忘れてゐた。この階の子鬼は数をなす。単独ならばよし、複数ならば逃げることをすすめる。一度、狩猟が上手くゐかず空腹を覚え仕方なく奴らを調理したが食えたものではなかつた。偏食の上に変人であるのならば止めはしないが、まともな神経の持ち主ならばやめるべきだ。
しかし先の土壁の道のさらに先には兎がゐる。焼き食せば味よし。近場の庭園は食材の宝庫である。木の実や魚はすべて可食性あり。土を掘ればイモの類もあり。
最後に。戦ではなく自らの命を絶つことになつたこと、家族全員に謝りたゐと思ふ。私が消えたことで戦犯扱いされていないかと心配でならない。私は逃亡していないのだ。戦うつもりだつたのだ。せめてあなたの息子は兄は弟は我が身かわひさにすべてを捨てて逃げたのでない、と言いたかつた。
一九八九年十一月二日 田所善次郎』
その先は白紙だけで、何も書かれていない。
この人はどうやら足を怪我してしまい、食事を得る手段を失って、最終的に自殺を選んだらしい。精神的にも限界を迎えていたのだろう。
最初から読むと、心理的な負荷が所々に読みとれ、途中で諦めとも前向きともとれる心情を吐露している。
同情を禁じ得ないと同時に、俺の未来を映し出しているようで吐き気がした。
掛布団を捲ると、白骨化した田所善次郎が無言で俺を見上げていた。自殺の瞬間、彼はどうやら軍服を着ていたらしい。
虫に食われてしまっているため不格好だが、俺には凛々しく猛々しく思えた。
初めて間近で見た死体だ。なのに、俺は恐ろしいとも気持ち悪いとも思わなかった。
手元には拳銃が落ちている。手入れはできていたらしく、錆はなかったが相当な時間が経っている。暴発しそうだし使用は控えた方がいいかもしれない。
手にとると中々の重量があった。扱い方もわからないのであまり弄るのはまずそうだ。
俺は銃を机に置き、敷き布団を捲った。畳を持ち上げると、細長い桐箱と銃弾を見つめて。隣には鎖のようなものも、確かグルメットという名前の軍刀佩用の用具、それにホルスターが置いてあった。
桐箱を開けると、軍刀が入っていた。鞘から抜くと、少し錆びている。
一先ず、ホルスターを腰に巻いて、銃を入れてみた。何となく気分が高揚するが、殺傷を目的とした兵器の存在に少しだけ心がざわついた。
そして腰のベルトにグルメットを垂らし軍刀を下げた。鏡があったら、テンションが上がりそうな気がする。
銃弾と日記、使えそうな食器や調理器具と雑貨を鞄に入れて、俺は小部屋を出ようとして、立ち止まった。
彼はあのままでいいんだろうか。骨しか残っていないし、荼毘に付す必要はないかもしれないがせめて土に埋めてあげた方がいいのでは。
さすがに放置はできず、俺は薄い毛布に遺骨を包み、庭まで行くと俺が今後通らないだろう場所、端辺りの土を手頃な石で掘り返し、骨を埋めた。
両手を合わせて、黙祷を捧げる。
名前しか知らない相手だが、同じ境遇の人間だ。生きた時代は違うが、彼の心情を慮ることができるのは俺だけのような気がした。
しばらくそうしていると、俺は一言、
「あなたの残したものは活用させてもらいます」
と残し、その場を立ち去った。
一抹の不安を抱きつつも、俺は確かに前を向き、歩を進めた。




