始まりは迷宮から
アラームの音で目を覚まして、最初に気づいたのは暗闇の中にいるということだった。
「ふあっ……まだ夜か?」
枕元に手を伸ばすと、スマホを手に取り時刻を確認した。
午前七時二十分。
確かにアラームを設定した時刻だ。スマホが故障しているというわけではなさそうだ。
スマホの光を頼りに、電灯のスイッチを押した。
反応はない。停電しているのだろうか。
おかしい。朝にしては暗すぎる。仮に曇天だったとしても、どれだけ雲が厚くとも太陽光を完全に塞ぐことは出来ない。ここまで暗くなることはまずないはずだ。
窓から外を覗いてみた。
――壁があった。
「……は?」
何度見ても壁だ。窓を開けて、直に触ってみても感触は石の壁そのもの。
岩壁はレンガを積み、隙間をコンクリートのようなもので埋めた感じだ。レトロな洋風家屋の外壁に印象が近い。
なるほど、どうやら外からの光源は遮断されているらしい。通りで暗いわけだ。現在この部屋は、スマホ以外に明かりが存在していないのだから。
「はああ? は、ちょ、え?」
納得したところで、俺はとりあえず思いのままに声を出してみた。
当然、混乱した頭ではまともな言葉を紡ぐことは出来なかった。
昨日は普通に寝たはずだ。夕食の時は家族もいた。なのに、一晩跨いだら外には壁があった。一体何が起こった?
蛇足だが、自室の窓からは隣の家に住む、同級生の女子の部屋が見えた。
着替えの最中にカーテンが開いているなんてラッキースケベ展開はなかったが、稀に目が合うことはあった。すべて無視されたけどな。
とにかく、部屋を出てみよう。家族の安否が気にかかる。
俺は扉を開けて廊下に出た、はずだった。
そこにあったのは、見慣れない通路だった。
窓から見えた壁と同じような様式で造られている。
石と土と砂が地面と壁と天井を形作っている。おかげで、足からはざらざらとした感触が伝わってきた。しかし俺はあんぐりと口を開けることしか出来ない。
唯一の光源である、スマホを半ば無意識に動かして、周囲の状況を探った。
光は弱く、遠くまでは照らせない。そのため、見えるのは近辺のみだった。
左右の道は同様の造りで、目立った形跡はない。共通しているのは道が真っ直ぐ伸びているということだけだ。
俺は扉を閉めた。
ベッドに戻ると、とりあえず定番的なことを言ってみた。
「これは夢だ!」
虚しく響いた声を聞き、間違いなく現実だと突きつけられただけだった。
スマホは圏外だ。試しに部屋中を歩き回って電波が立たないか試したが、当然ながら変化はなかった。
窓の外の壁、廊下には見慣れぬ道、電気は通っていない、電波も届かない、光源はスマホのみ。
「これって、もしかして、俺の部屋だけどっかに移動した、のか?」
原理はわからないが、そうとしか思えなかった。
様式から見るに、どうやら老朽化した小さな地下トンネルか、洞窟のような場所だろうか。僅かに土とすえた臭いがした。俺は自然の臭いのようだという感想を抱いていた。
とにかくどうして、どうやってここに来たのかは置いておこう。
最優先すべきは、ここからどうやって脱出するかだ。助けを呼ぶにしても電波が届かないのだから、俺自身がここから移動して、人を探さないといけない。
一人。突然孤独に追い込まれてしまったという事実。
俺は動悸が激しくなるのを感じていた。
呼吸も浅くなり、背筋が凍る。
反射的に助けを呼ぶために叫びそうになるが、寸前で堪えた。ここは人気がない。暗闇の中で誰かいるとは思えないし、もしかしたら得体の知れない何かが潜んでいるかもしれない。
洞窟ならコウモリとか蛇とか、野生動物がいるかも。叫べば刺激を与えてしまうという危惧を抱く。
しかし、ここでうだうだとしていてもどうにもならないのも事実だ。一度、呼びかけてみるか。
俺は扉を開け、暗闇に向かって遠慮がちに叫んだ。
「だ、誰かいませんか?」
反響するだけで反応はない。
「誰か! いませんか!」
答えはない。それどころか物音一つしない。
今の声が聞こえないなら、近くに誰もいないのは間違いない。
仮に、俺の声が聞こえていたとしても、警戒しているか、反応出来ない理由があるとしたら反応しないかもしれない。
そうだ、俺がこんな状況になっているのだから、他に同じ境遇に陥っている人もいるのではないか。
どちらにしてもこの部屋で過ごし続けるのは無理がある。外に出て周囲を探索しなくてはならない。もしこの場所にこれから居続けなければならないなら、食料の確保などが必要になる。
そこまで考えてはたと気づいた。光がない。スマホのバッテリーが切れたら明かりはないのだ。どうにかして明かりとなる何かを手に入れなければならない。
俺は目の前にある目的に集中することで何とか平静さを保っていた。
考えたらおかしくなりそうだった。今はまだいい。もしこのまま一日、二日、一週間と過ごして行けば、俺はどうなるのか想像してしまいそうになった。
今は、別のことを考えよう。
寝間着のままだと心許ない上に多少肌寒い。
俺は私服に着替えた。多少厚着をしたため、暖かい。
靴が必要だが自室にはない。スリッパがあったので、それを履いて外に出ることにした。
廊下に出ると、左右に暗闇が続いている。どちらに行くにしても、勇気が必要だった。頼りないスマホのライトだけを手に、完全な闇の中を通ると考えるだけで、怖気が走った。
結局扉を閉め、部屋に戻っては思い直して扉を開ける、という行為を何度も繰り返してしまう。
我ながら情けないとは思うが、暗澹とした未知の場所を進むにはかなりの勇気が必要だった。
「あー、くそ!」
俺は悪態を吐きながら、逡巡の後に通路に出た。
部屋があるという安心感が背中を押してくれて、足を踏み出せたが、少し進んだだけで後悔の念が襲い掛かって来る。後回しにしても自分の首を絞めるだけだと言い聞かせて、歩き続けた。
まずは左の道を進む。道幅は五メートルくらい。微妙に広いが、壁に沿って歩いても光が届くのはありがたかった。
数分、進むと壁に突き当たった。T字路だ。左右に道があり、分岐点からスマホを掲げてみたが、奥までは見えない。まだ先に続いているようだ。
俺は一旦、部屋前まで戻り、真っ直ぐ進んだ。部屋から見て右側への道だ。
直線がしばらく続いていた。少しずつ気温が下がっているような感覚だった。時折聞こえる水音が体温を下げるような錯覚を与えて来る。道の所々に苔のようなものが見える。湿気が強いのだろうか。
こつんと小石が転がるような音がこだました。俺はその場に立ち止り、音が聞こえなくなるまで身動きがとれない。
誰かいるのか?
その不安は解消されぬまま、無音の状態が続き、やがて俺は進行を再開する。
右左折を繰り返す。部屋から左の道とは違って一本道だ。そのため、俺は歩を止めることなく進めた。道が複雑でなければ迷うことはないからだ。
スマホを確認すると二十分近く経過している。どこかに辿り着いてくれることを祈りつつ、俺はゆっくりと先を進んだ。
そこからしばらく歩くと、通路の先に開けた場所が見えた。遠目で見えたのは、先で淡く光る光源が見えたからだ。
俺は不明瞭な希望を胸に早足で向かった。
そこは開けた空間だった。岩の壁には鉱物らしきものが点々と埋まっており、それが水色に断続的に発光していた。
空を仰ぐと、吹き抜けになっていた。途中までは鉱物の放つ光で視界を確保出来ていたが、ある程度の高さになると闇の帳に邪魔をされてしまい、見えなくなっている。
円状の広場で、植物が生えていた。緑黄色の葉や木の実をつけた樹木が多いが、中には鉱物のように発光している植物もあった。水晶のような見目の木に近づき触れてみると金属のような肌触りだった。
地面は草花が茂っている。俺は植物には詳しくないが、見たこともないような形をしているものばかりだ。
正面奥には小規模の瀑布が見え、小さいながらも湖があった。透明な水の中を光球がぷかぷかと遊覧している。魚のような姿も見えた。ような、と言ったのは姿が奇異で俺の記憶にはない姿形をしていたからだ。
数はあまり多くないようだった。
幻想的な光景に俺は息を飲んだ。言葉を失い、ただただ情景に視線を奪われた。
そこは小さな楽園だった。
直径で二百メートルくらいしかなさそうだが、ここには俺が生きていくために必要なものが多く存在している。これは偶然なのか、それとも誰か意思によるものなのだろうか。
とにかく、水を得られたというのは大きい。それに、数が少ないためあまり頼りには出来ないが果実もあるみたいだ。すぐに餓死するようなことはなさそうだ。
冷静に情報を整理しながらも、思考の大半は論理的な道順を辿れなかった。
「えー……? えぇ……」
は? え? と意味のない言葉が喉から出た。
人間、あまりに非現実的なことに遭遇するとまともに話せなくなるらしい。
そも、ここに来るまでおかしなことの連続だった。どうやら俺の常識的思考の範囲外での出来事が連綿と続いたおかげで、脳の許容量を軽く超えてしまったらしい。
そして最終的に俺の頭は、こう結論づけた。
「なるほどー、そうきたかー。ファンタジーかー、そうかー」
柔和な笑みを浮かべながら、うんうんと頷いた。
表面上だけ納得した体を保った。
どうしてこんなことになったのか、ということは考えてもわかりそうにない。一先ずは現状を把握することを優先して、俺は後ろ向きな考えを抑え込んだ。
この場所は資源が豊富だ。部屋にも近いし、今後頻繁に訪れそうだと思った俺は、ここを『庭』と呼称することにした。
光を放つ鉱物は『水晶石』、光を放つ樹木を『水晶樹』と呼称することにした。
俺は試しに近場の壁に埋まっていた、手のひら程度の大きさの水晶石を手に取ってみた。
美しい色味で、光の量もある程度はあり、ライトとして使えそうだ。ただ手のひらに乗せたり、掴んだりすると一部の光を遮断してしまうため、何か透明な容器か吊るす紐のようなものが必要になりそうだ。
次に、足元に転がっていた普通の石をポケットに入れる。道に目印を書くために使おう。
俺はスマホ代わりに水晶石をかざしながら庭から出た。
部屋まで戻り、再び左の道を進んだ。二度手間になるが、ダンジョン探索系のRPGとかでも、ある程度進み、分岐点が多くなる手前で戻って、出発地点周辺のマッピングを済ませるというのは常套手段だ。
オートマッピング機能とかあれば好きにすればいいだろうが、俺の場合はそうはいかない。でなければ、道がわからなくなるか、重要な何かを見落としかねない。これはゲームじゃないが、やはり道に迷うのが一番恐ろしい。
地面と壁に矢印を書いておく。
俺は再びT字路まで来ると、左の道を進んだ。
途中で床に赤い線が引かれていることに気づく。まるで足元と、この先とは別の世界であると示しているかのように見えた。
特に思惟を巡らせずに、俺は線を越えようとした。だが、それでいいのか、という考えがもたげ、足を元の位置に戻す
ここは俺の知っている世界ではなさそうだ。
滑稽でなんとも突飛な帰結だが、恐らくはファンタジー世界なのではないかと思っている。つまり、俺の常識はほとんど通用しない概念の上に成り立っている世界。
普通に身動きがとれているという時点で、環境はほぼ地球と変わらないようだが、魔法や魔術の類があったとして、それがどのように作用するのかわからない。
慎重を期するべきだろう。
念のため、赤い線を調べてみることにした。見ると、チョークのような塗料で書かれたようなもの、ではない。黒みがかっており大雑把に描かれている。所々掠れ、数本の細い線を残しながらも、端から端をきちんと繋いでいる。
そこにはある程度の知的さが感じとれた。
人間がいるのか? という淡い期待を抱きつつも、線を描いている原料に一抹の不安を抱いた。こんなところに絵具を持ってくるとは思えない。植物を活用したにしては綺麗な深紅だ。とすると――
俺は邪念を振り払い、線を跨いだ。
ここでうだうだしていても始まらない。
しばらく進むとまた分岐。今度は正面と左の道だった。また矢印を書いて左に進んだ。
水晶石の光量では遠くまでは照らせない。せいぜい五メートルくらいだ。それでもかなり明るいと言えるが、普段通りに歩ける程ではない。
何があるかわからないので、必然的に慎重に進むしかなかった。
道は行き止まりだった。水晶石は正面の壁一面を照らし、視界の半分を明瞭にした。
どうやら反対の通路が正しい道順だったようだと思いながら、振り返る。すると、壁を照射していた光がなくなった差異によって、暗闇が浮き彫りになった。そのせいか、俺は一瞬物怖じしてしまい、足を止めた。それが奏功した。
ぺタと音がした。




