グランフォート家の秘密
グランフォート家の秘密
1
「やっほー。今日あんた非番なんだって? じゃ、暇してるよね?」
冒険者組合の補佐官であるファニィが、組合の男子寮にある俺の部屋へ飛び込んできた。
ちなみに男子寮は女人禁制。つまり女子立ち入り禁止。知り合いだろうと合意の上だろうと呼んで連れ込むのも禁止。簡単な話、女は入っちゃ駄目出て行けっつー事。
そもそも男しかいないむさ苦しい男子寮になんて、普通の神経をしていて良識を持った女性なら、一抹の不安も考慮に入れた上で遠慮して入ってこないものだろう。
だがこいつに普通の神経やら常識やらを期待しても無駄だな。組合随一かと思える程の傍若無人さと身勝手さを兼ね備えている事を、俺はこの数週間の付き合いで嫌と言う程よぉーく理解していた。
だがとりあえず忠告はしておく事にした。俺は常識人だから。
「あのさ。ここ男子寮だぞ?」
「いいの気にしないで。あたし補佐官だから」
関係ねぇよ!
思わず心の中でツッこんだ。
やっぱりこいつに、常識やら普通の神経を求める方が無駄だったらしい。あっけらかんとしたもんだ。
俺はタスク・カキネ。魔法による統治国家である東方のジーンという国から修行という名目で家出してきて、このオウカの国の冒険者組合に籍を置いてもらっている魔法使いのタマゴだ。
本当の所は『魔法使い』を目指ししている『魔術師』で、魔法と魔術の違いというのは……あー、この辺ちょっとややこしいんで、まぁ今度、時間のある時にでも。
「非番は非番だが、厨房の足りないものを買い出しに行くからそんなに暇って訳じゃないぞ」
「買い出し? いつもは市場の御用聞きの人が注文聞いて持ってきてくれるんじゃないの?」
「チーフに俺から頼んだんだよ。俺の使いたい調味料とか香辛料がここにはあんま揃ってねぇから」
「あんたもうすっかり食堂で実権握ってるねー」
ファニィがにっと笑う。
つい先日までは人が変わったように落ち込んでたくせに、もうすっかり元のファニィだ。まぁこいつが落ち込む代わりに、今度は俺がちょっとばかり落ち込んでるんだが。
落ち込むと言っても、仕事に支障を来す程じゃない。俺は普段通りの態度でファニィや組合の連中に接していた。
「ふーん。じゃあ買い物付き合ってあげようか?」
「お前は組合の仕事があるんじゃないのか?」
「あるけど……ま、息抜きって事で」
「お前がいてくれれば市場で迷わなくて済むけど……本当に補佐官の仕事ほったらかしで大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ。今はあたしのサポートの……えー、書記官? うん、書記官。その書記官が元締めの補佐に来てくれてるの。もしかしたらあたしより仕事できるかもね。書き物とか書類整理なんかの事務処理はあたしより確実に早いし手際いいよ。もう仕事終わってたりしてね」
書記官? 俺は会った事がないが、まぁ組合の上層部とそうそう顔を会わせるような立場じゃないしな、俺。名前だけの副元締めのヒースと違って、ファニィが信用しているような人らしいし、それなら放っておいて大丈夫だろう。
「じゃあ案内頼めるか?」
「任せといて」
俺はファニィと市場へ向かう事になった。
賑やかな市場はどこの国でも似たようなものだ。色鮮やかな織物を売る屋台。果物や野菜を売る屋台。食欲中枢を刺激する香りの食い物を売る屋台。
売る側の人間も客側の人間も活気に満ちあふれ、誰もが楽しそうな笑顔でいる。このオウカは特に、東のジーン、西のエルト、南のコスタ、北のラシナという国々の中心に位置し、物流産業が盛んなために、様々な人種も見る事ができる。
ただ、もともと国交の少ないジーンの人間は、やはりここでも珍しいらしい。俺のような黒い髪で褐色の肌の人間はやや目立っているようだ。顔にある目立つ刺青の事もあって、好奇の目で見られる事はないが、常に視線を感じるのは仕方ない。ジーンを出てから随分経つし、そういった視線にはもう慣れた。
「ジーンの香辛料、あんまり売ってないね」
「まあジーンはお国柄、他国とあんまり接触しないって女王の方針だからな。物も流れてこないのは仕方ないだろ」
俺は香辛料を売る屋台の前で、変わった香りのスパイスを掌で転がしながら返事をする。味見させてもらえるだろうか?
「ま、似たようなの探すさ。新しい調味料で新しい味を発見するのも面白いしな」
「おー。なんか料理人っぽい発言。冒険者より天職なんじゃない?」
「馬鹿言え。俺はちゃんと修行して立派な魔法使いになってジーンに帰るんだ」
そうだった。これが本来の目的だった。ファニィに突っ込まれるまで半分忘れてたぜ。
ファニィには口が裂けても「忘れてた」なんて言えないが。言ったら間違いなく馬鹿にされる。
「ほうほう、修行ね。その修行には、精神的に参ってる女の子の心の隙をついて口説くような修行も混ざってんの?」
「ばっ……か……!」
俺はつい先日、勢い余ってファニィに好きだと告げそうになったんだ。未遂に終わったが、こいつに気持ちが傾いてしまったという事実はすっかり当人に知られてしまった。
当の本人があっけらかんとしているので、俺も気まずくならずに済んでいるが、思い出すと頭に血が昇り、脂汗が滲んでくる。
なんでこんな、口と性格の悪さで見た目の可愛さを打ち消す程のトンデモ女に惚れたのか分からない。だがファニィの特殊な身の上が俺自身の身の上と共感できてしまったという点が、少なからず好意の理由の一つとして挙げられる事は間違いないだろう。似た者に対する好意というか。
「お、お前に告白しそうになったのは気の迷いだ!」
俺は顔が火照るのを感じながら、なんとか否定の言葉を吐き出す。
するとすぐ近くで、ドサッと紙袋か何かが落ちるような音が聞こえた。
「……あ」
ファニィが声をあげた方を見ると、大きめの青い帽子を被った蜂蜜色の髪の美幼女が、大きな荷物を落としてこちらを見ていた。
いや、訂正。美幼女じゃなく、思わず連れ去りたくなるような、愛くるしさ満点の女の子のような容姿をした小柄な小僧、コートニスだ。小僧と言うからにはもちろん男。まだガキんちょ。
コートはその愛くるしい容姿と内気な性格で、絶世の美女である姉のジュラフィスさんと並んで組合でも大人気のマスコット的存在だが、男なのに男が好きという、かなり傍迷惑な性癖を持っている。そしてこいつの好みのタイプに、どうやら俺はジャストフィットしているらしい。
でも俺はノーマルだからな! 至ってノーマル! 普通に女が好きで、男の恋人なんか何があってもいらねぇ!
「あ、あー……えーとね。タスクが言ったのは、そう深い意味はなくて……友好的? っていうか、そういうの? ……かなぁ……」
ファニィが突然慌てふためいてコートに取り繕うような言葉を掛ける。
「……タスクさんが……ファニィさんに……」
「違うの! それは違うのよ!」
コートは両手で口元を押さえ、目に涙をいっぱいに溜めてしゃくりあげ始めた。
あーあ、まただ。こいつはやたら軟弱ですぐに泣く。その仕種がこれまた似合ってしまっているのが問題大アリなんだ。可愛らしいったらありゃしない。
ジュラさんやファニィが過保護過ぎるほど可愛がるのも無理はない。
「あのなぁ、コート。お前が俺をどう思ってようが、俺は至ってノーマルなのであって、お前の趣味に俺を当てはめ……」
「タスク黙って! コート、だからこれは誤解でね」
ファニィにぴしゃりと口止めされ、ファニィは必死にコートを宥めようとしている。弟分のコートに対して平身低頭な姿がいつものファニィらしくないな。
「……タスクさんなんて……タスクさんなんて嫌いです!」
コートがそう叫んで逃げるように駆け出した。ファニィが頭を掻きながら、バツの悪そうな顔になる。
「……厄介な事になっちゃったよ、タスク」
「なにが?」
「ウチの組合でね。怒らすと一番怖いのはコートだよ。悪い事言わないから、追っかけて釈明ついでに謝っておいでよ」
謝れと言われる意味が分かんねぇ。
「なんでガキに頭下げなきゃなんないんだよ。あいつの一方的な悪癖に付き合ってられるか」
「あーあ。あたし知らないよ……って、あたしも巻き込まれてるんだよねぇ……」
コートが俺を好きだというのはコートの勝手だし、俺はノーマルなんだから他の誰に好意を寄せようが、コートには関係ないじゃないか。ファニィはコートの悪癖の味方なのか?
……可能性は充分あるな。俺をからかう事を無上の喜びとしているような節があるし。
「コート、どこにいますの? わたくし、かくれんぼは苦手ですのよ」
遅れてのんびりやってきたのはジュラさんだ。いつもながらのほほんと我が道を行く人だな。たぶんコートとはぐれたんだろう。この人ごみだし。
「ジュラさん! こっちですよ!」
「まぁ、タスクさんにファニィさん。ごきげんよう」
ジュラさんがいつも通りの、大胆に胸元の開いたドレスの裾を摘まんで優雅に一礼する。
「ジュラ、ごめん。コート泣かしちゃった。タスクが」
「まぁタスクさんたらコートをいじめたんですの? わたくし許しません事よ」
コートと食べ物の事しか考えてないジュラさんお得意の壮大な早とちりだ。見事に内容を都合のいいように曲解して勘違いしている。
最初は戸惑った俺だが、もうすっかり慣れてしまった。こうなってしまったジュラさんは、子供に教えるように分かりやすく訂正してやればいいんだ。
「違いますよ。コートが勝手に逃げてっただけです」
「原因はタスクだけどね」
「ファニィ、お前はどうしても俺を悪者にしたいらしいな」
ジュラさんが不思議そうな顔をして首を傾げている。
「とにかくコート捜さないと、また人さらいに遭っちゃうよ」
「人さらいって大袈裟な……」
「コートはあんなに可愛いんだもん。過去に何度か誘拐されかかった事があるの」
おいおい……初耳だぞソレ。
「まぁ大変ですわ! ファニィさん、タスクさん。コートを捜してくださいましね」
ジュラさんが走り出そうとするのをファニィが掴まえる。
「一緒に行くよ。ジュラ一人だと迷子になるからね」
「お願いしますわ、ファニィさん」
「ほらタスクも!」
俺たちは姿を眩ませたコートを捜しに駆け出した。
2
お日様が随分傾いてきてしまいましたわ。でも迷子さんになってしまったコートはまだ見つかりませんの。
わたくしを一人にしてしまうなんて、コートはイタズラ好きのお茶目さんですわ。でもわたくし、そういった冗談は好きではありませんの。だからコートを見つけたらメッて怒ってさしあげますわ。愛の鞭ですの。そしてその後はタスクさんに作っていただいた美味しいお夕飯を一緒にいただくんですのよ。
わたくしとコートは特別な仲良しさんですもの。
「もう日が暮れちゃうよ。どこまで行っちゃったんだろう?」
いつもお元気なファニィさんも、少し疲れたお顔をなさっていますわ。でもわたくしもちょっと疲れてしまいましたの。おなかも空いてきましたし。
「タスクが一緒だから、コートもこっちの姿見つけるなり、サッと逃げてるのかもね」
「あ? だからなんで俺を一人悪者にするんだよ」
「あれだけ懐かれてたのに『嫌いです!』だよ? 大きな声出さないコートが『タスクさんなんて嫌いですぅ』だなんて、相当とんでもない大事件だよ?」
そういえばコートはタスクさんと喧嘩してしまったのだと仰っていましたわね。じゃあやっぱりタスクさんが悪いんですの? わたくし難しい事を考えるのは得意ではありませんけれど、喧嘩両成敗ですわ。コートが帰ってきたら、タスクさんと一緒にメッですわね。
「とりあえず周辺の店に軽く聞き込みして、それでも見つからないようならファニィが言ってたように攫われたって線で動くべきだな。このまま闇雲に捜していても埒があかない」
「そうね。コートの特徴は……ラシナの民で大きい帽子と金髪?」
「あとカワイコちゃんな容姿とチビな」
コートはとても小さくて可愛らしいんですの。わたくしのお膝にちょこんと座ってると、わたくしはお人形さんを抱いている気分になりますわ。お利口さんですし、とっても自慢の弟ですのよ。
わたくしはファニィさんとタスクさんがあちこちのお店の方にお声を掛けていらっしゃるのを後ろで見ていましたの。だってわたくし、難しいお話は苦手なのですもの。こういった交渉のようなお話は、今まで全部ファニィさんにお願いしておりましたのよ。
ファニィさんとタスクさんが手分けしてお店の方にコートの事を伺い始めて少ししたくらいかしら? わたくし、少し離れた露店と露店の隙間にチラリとのぞく青いものを見つけたんですの。
お二人はお忙しいみたいですし、少しくらいなら、わたくし一人で行動して大丈夫かしら? わたくしは気になったそれのところへ歩いて行きましたの。
「まあ……」
それは思った通り、コートのお帽子でしたわ。誰かに蹴飛ばされて、ちょっと汚れてしまっていますけれど間違いありません。
「ジュラ! 一人で行動しちゃ駄目じゃない!」
「ファニィさん、わたくし大発見ですわ」
ぷんぷん怒って駆けてらしたファニィさんに、わたくしは見つけたお帽子を見せますの。
「それコートの?」
「ええ、間違いありませんわ」
コートのお帽子は、随分前にわたくしがコートにプレゼントしたものですの。コートはそれはそれは喜んで、あれからずっと被っていますのよ。コートが気に入ってくれて良かったですわ。
そんなコートのお気に入りのお帽子だけが落ちているなんて……落とした事に気付かずお出掛けしてしまったのかしら?
「帽子だけが落っこちてたって事は、落とした事にも気付かないくらい急いでたか、それとも拾ってる余裕がなかったか」
「どちらにせよ、なんか雲行きが怪しいな」
ファニィさんがコートのお帽子を眺めていて、ふと怪訝なお顔をなさいましたの。そしてお帽子の内側の折り返しから、引き千切られたような糸くずの付いたボタンを取り出しましたわ。わたくし、そんなボタンには全然気が付きませんでしたの。ファニィさんは探し物がお上手ですわね。
あら、そのボタンの模様……気になりますわ。
「ファニィさん、よく見せてくださいまし」
「これ? なんかどっかで見たような紋章みたいだけど……ジュラ、分かるの?」
ボタンに浮き彫りにされた紋章は、ラシナ地方に咲く珍しい百合の花を咥えた鷲の紋章でしたの。
……思い出すのも忌々しい、グランフォート家の紋章ですわ。
わたくしの中にふつふつと憎しみの感情が沸き起こりましたの。わたくしだって本気で怒る事もあるんですのよ。
あの女はまだ、わたくしとコートを引き離すおつもりなのかしら? でしたらわたくし、絶対に絶対に許しません事よ!
私がギリギリと歯ぎしりしてボタンを握り潰しますと、ファニィさんとタスクさんは驚いてわたくしを凝視しましたわ。
「ジュラ何やってんの! 唯一の手がかりなのに! ……って、もしかして知ってるの?」
「コートは……誘拐されたのですわ」
わたくしの声は怒りで震えていましたの。
「このボタンの紋章はグランフォート家のもの。わたくしとコートの生まれた、忌まわしい家の家紋ですわ!」
「グランフォート……そうか! どこかで聞いた事あると思ってたが、ラシナの旧名家の!」
タスクさんが驚いたようにわたくしを見ます。ファニィさんは混乱なさったお顔でタスクさんを見上げていらっしゃいますわ。
「ジュラさんとコートはあの名家の出身だったんですか?」
「許せません……許せませんわ。あの女はまだわたくしとコートを引き離すつもりでしたのね!」
「ジュラ、分かるように説明して」
「コートはわたくしたちの母に誘拐されたのですわ!」
わたくしが憎しみを吐き出すかのように叫ぶと、ファニィさんとタスクさんは驚いたように顔を見合わせましたの。
3
グランフォート家の別荘だと言う、オウカの外れにある屋敷に潜入した俺とファニィ、そしてジュラさんは、闇に紛れるようにして、こっそりとコートを捜していた。
いや、こっそりしているのは俺とファニィだけで、頭に血の昇ったジュラさんは、俺たちが止める間もなく屋敷の真正面から堂々と乗り込んでいってしまった。そのお陰で俺とファニィは、裏口からこっそり秘密裏に屋敷に潜入できたとも言える。
ジュラさんがコートに対して、病的と言うか盲目的と言うか、異常とも言えるほど溺愛し、過保護過ぎるほど過保護なのは知ってたが、いつものほほんと能天気なあの人が、ここまで露骨に怒りを露わにしてハキハキした人格に豹変するとは思っちゃいなかった。ジュラさんだってやる時はやるんだと分かった一件だった。
日の暮れた市場でコートの帽子を見つけてからすぐにここへやってきたんで、あまり詳しく事情を聞いている暇はなかったんだが、どうやらジュラさんとコートは訳アリでグランフォート家を飛び出して来たらしい。
道理で、俺が冒険者組合の面接でジーンの実家を家出してきたって元締めに告げた時、元締めがファニィを見てゲラゲラ笑っていたはずだ。ファニィのチームには、俺と同じく現役の家出娘と家出息子がいたんだからな。
名家である実家が嫌で飛び出してきたという点は俺と同じ。ただその理由までは同じとは限らない。無事にコートを取り戻せたら詳しく聞いてみよう。これだけ大騒ぎに巻き込まれたんだ。俺にだって聞く権利はある。
屋敷の中に潜入した俺はファニィと別れ、手分けしてコートを捜す事にした。
しかしまさかあのグランフォート家の別荘に侵入して、こそこそ泥棒のような真似をする羽目になるとは思っちゃいなかった。
俺も相当、ゴタゴタに首を突っ込むようになっちまったな。昔はこうじゃなかったはずなんだが、どうもこのオウカに来てから……いや、ファニィに絡まれてから、俺の人生の歯車が思いも寄らぬ方向へ、全力でフル回転しているような気がしてならない。事実そうだとしても、むしろ考えたら負けのような気がするから考えないでおこう。
いくら正面玄関からジュラさんが単身乗り込んで大騒ぎになっているからと言っても、どうも警備が手ぬるい気がする。さっきから警備の人間どころか、屋敷の手入れや家人の世話をする人間の気配すらない。別宅という事だし、でかい屋敷だから、人手が足りないのだろうか?
でもそのお陰で隠密行動が得意でない俺でも、易々と探索ができるというものだ。
俺は耳を澄ませて物音を探った。静かな夜だから、屋敷内の小さな物音もよく聞こえる。
足音を忍ばせて屋敷の廊下を歩いていると、廊下の突き当たりの部屋からコトリと小さな音がした。家人か?
家人だとすれば、いきなり部屋に飛び込んで、騒がれたりすれば俺の身も危険だが、虎穴に入らずんば虎子を得ずとも言う。
俺は少し迷い、意を決して部屋に入る事にした。どうせならさっと飛び込んで、用がなければさっと逃げてくればいい。
ドアのノブを掴んで小さく深呼吸し、バッと一気にドアを開いた。そして薄暗い室内に飛び込んだ刹那、足下に転がっていた固まりに蹴躓いて派手に転倒した。
「どわっ!」
「ひゃうっ!」
俺が蹴飛ばしたものは可愛らしい悲鳴を挙げてコロコロと床を転がる。
イテテ……もしかして俺、いきなり見つかったとか? こうなりゃ俺が躓いた人間だかペットだかを黙らせて逃げるが勝ちだ。
俺は床に派手に打ち付けた膝をさすりつつ、なんとか体制を整えて捕縛の暗黒魔術を放とうと、床に丸くなっているそいつに向き直った。
まっすぐで柔らかそうなサラサラの蜂蜜色の髪と白い肌。透き通るようなまん丸い青い瞳と小さいながらも整った顔立ち。どこからどう見ても可愛い愛らしい幼女そのものだが、実はれっきとした男である。
「コート!」
「……っあ……タスク、さ……ん」
俺の面を見るなり、みるみる紅潮していく顔。そして今にも声をあげて騒ぎ出しそうになっているコートの口を押さえてその小さな体を抱え込み、俺は急いでドアを閉めた。そのまま気配を殺して廊下の様子を伺う。
外は……静かだな……よし、誰にも気付かれなかったみたいだ。
俺は腕の中のコートをまじまじと観察した。どうやら怪我もしていないし、体調が悪いという事もなさそうだ。
「おい、コート。大丈夫か?」
声を掛けてからふと疑問が浮かぶ。誘拐されたはずのコートが、監禁されているはずの屋敷で、一人で自由に動き回れるものか? こんな屋敷の隅の突き当たりの薄暗い部屋で何をやっていたんだ? 誘拐されたのなら拘束されててもおかしくないだろう。
「お前、何やってたんだ?」
真っ赤な顔をしたまま、コートは緊張で硬直したままだ。俺はコートを離してペチペチと軽く頬を叩いてやった。はっと我に返ったかのように、コートが両手で口元を押さえて俺を前髪の隙間から見上げてくる。
「ほら。とりあえずゆっくり深呼吸して落ち着け。落ち着いたか?」
コートは胸を押さえて数回息を吸い込み、俺に向かって小さくこくんと頷いた。
「よし。お前、今現在、自分が置かれている状況は分かってるな?」
「は、はい……きゅ、急に抱擁されてしま、しまって……驚いて、います……」
断じて違う。
「殴るぞ」
「す、すみません。あの……き、着替えていました」
コートが脱ぎ捨てたらしい仕立てのいい子供服が床に散らばっている。仕立てはいいが……正直趣味は悪い。こんな絵本の中の馬鹿王子が着るような服、何かのコスチュームプレイか?
俺が求める答えとは違うが、まぁ良しとしよう。落ち着いたようだし。
「お前、誘拐されたんだって聞いたけど。お袋さんに」
「はっ、はい……母様の雇った人たちに……えと、市場で捕まってしまって……」
「自分の親が自分の子供を誘拐する理由が分からねぇ。順序立てて説明しろ。ただしあんまりゆっくりはしてられないぞ。ちゃんと喋れよ。俺はこの誘拐騒ぎに巻き込まれた被害者なんだから、真実を知る権利はあるはずだ」
「は、はいっ……」
コートは水色のケープの乱れを直し、もう一度深呼吸する。そしていつものように、緊張で言葉を詰まらせながら説明を始めた。
「あ、あの……グランフォートの先祖の遺産に関する情報を……僕に喋らせるために、僕、捕まってしまったのです」
「先祖の遺産?」
いきなり訳分かんねぇし、胡散臭い事この上ない単語が出てきたな。
なんで誘拐の理由を聞いて『先祖の遺産』なんて単語が飛び出てくるんだ?
「えと……グランフォート家はラシナでは、古い名家として名が通っていますけれど……その……実は由緒あるのはもう家名だけで、家にお金がないのです。だから……母様は当面の資金繰りのため、遺産の唯一の相続人である僕に目を付けたみたいです」
確かにコートは天才児だが、遺産の相続人というのはおかしいだろう。本当にそういった類のものがあるとしても、普通ならば当主や長子に伝えられるものじゃないか? コートにはジュラさんという、歳の離れた姉もいるんだし。今どき『女だから駄目』とかいう、時代錯誤のふざけた理由じゃないだろうな?
「姉を差し置いて弟が遺産相続人というのはおかしくないか?」
「えっ、と……それは……」
コートが口籠もる。そして目を泳がせ、言葉を濁す。
「言いにくい事なら言わなくてもいい。気にはなるが、他人の家の財産がどうとかいう問題は、俺が首を突っ込んでいい話題じゃないしな」
「……い、いえ……言います。あの、でも……ここだけのお話という事で……」
「ああ、分かった」
ジュラさんとコートが家を飛び出してきた理由が分かるだろうか?
「僕と……姉様、ジュラ姉様の間には、あと二人、姉がいます。ルミエス姉様とレティス姉様……」
「男はお前一人だから、末弟でも後継者って事か?」
「い、いえ、そういう事ではなく……その……ごめんなさい……」
話を急ぎ過ぎたようだ。どうもコートとの会話はまどろっこしくて面倒臭いな。仕方ないっちゃ、仕方ないんだが。
コートは口元に指先を当て、細い眉をしかめる。
「あの……僕とジュラ姉様、母様は同じですけれど……父様が違うんです。他の姉様方も、全て父様が違っていて……」
「初代当主が亡くなったのか? その次もその次も」
「いえ、健在です。でも……家にはいません。母様が追い出しました。今いるグランフォート家の……名目上の当主は僕たちきょうだいの誰の父様でもありません。それどころか、家柄も……よく分からない人です」
正直かなり驚いた。きょうだい毎に父親が違って、今はどこの馬の骨とも分からない男が当主だと? コートが言葉を濁したくなる理由がなんとなく分かった。
「ジュラ姉様の父様は正当なグランフォート家の血筋なのですけれど……姉様が幼い頃に家を追い出されたそうです。その……つまり……母様はグランフォートという家名と財産をジュラ姉様の父様から奪って、ご自分の気に入ったかたと次々関係を持たれて……家のお金をどんどん食い潰していく狡猾で醜い害虫なんです」
吐き気がした。
名家と言われる名のある家庭には、何か色々と揉め事があるというのが常だが、こんな十歳やそこらのガキに、害虫とまで言わしめるような性根の腐り切った母親がいるとは。
つまりだ。
グランフォートの奥方は、初代当主に上手く取り入り、そしてジュラさんという子をもうけた後、正当なる初代当主を家から追い出した。その後、自分の気に入った男を取っ替え引っ替え好き放題し、莫大であったであろうグランフォートの財産を食い潰してきた訳だ。
「お前のお袋さんの腐敗根性はよく分かった。遺産とかって話はどうした?」
「ええ、それなん……ですけど……母様がグランフォートの財産を食い潰して、先ほども言いましたとおり、今その地位は古い由緒ある名前だけなのです。でも……えっと……姉様の父様のお祖父様がとても価値のある研究をされていて、その秘密を遺産として隠しているんです。その秘密を知っていて理解しているのは、今のグランフォートの家では僕、だけ……なんです」
なるほどね。だからコートを誘拐して、その遺産の場所を吐かせるつもりだったのか。金のために我が子まで利用しようとするなんて、とんでもない母親がいたもんだ。
でも、あれ? コートしか遺産の場所を知らないって……ジュラさんの親父さんの祖父さんなんだろ? それってコートはまだ生まれてないんじゃ……。
「おい。ジュラさんの親父さんの祖父さんが生きてた頃って、お前まだ生まれてないだろ?」
「は、はい。お会いした事はありませんけれど……研究資料を読んで解読しました」
「は? それってお前が何歳の時の話だ? つい最近か?」
「……えと……姉様を連れて家を出る時ですから……僕が四歳で、姉様が二十歳の時……です」
天才児だという事は分かってたが、とんでもないガキだな、コートは。組合が年齢制限に引っかかろうとも、特例としてでも欲しがるだけの頭脳は持ってるという事だ。もしかしたら、ジーン一の賢者として名を馳せる姉貴を凌ぐ知識を持っているのかもしれない。知識だけなら。
俺の四歳の頃っつったら、鼻たらして家の中を我が物顔で駆け回ってたぞ。
しかし四歳のガキが成人してる姉を唆して家出なんか企てるものか? その辺がまた新たな謎だな。
「遺産を渡すまいとして家を飛び出して来たのか?」
「……そういう訳では……ないですけど……遺産の資料なんて僕、興味が持てなかったですし……」
解読したという研究資料は、コートの食指が動くような内容じゃなかったらしいな。
「僕、母様も他の姉様たちも嫌いです。でもジュラ姉様だけは大好きなんです。僕が小さい頃から、姉様は僕に優しくしてくださいましたし。姉様を守るために、僕は姉様を連れてグランフォートを出ました。これが一番の理由です」
普段は極度のあがり症と内向的な性格のために、物事をはっきり口にできないコートが、この時ばかりはきっぱりと言い切った。
だが身内が嫌いだとか、その程度で家出なんて考えつくか? 四歳だぞ? 反抗期だとしても早過ぎるし、行動的過ぎるだろう。
「でもさ、コート。お前が口を割らない限りは実家にいても身の安全は保証されるだろ? そればかりか、お前の頭なら母親を言いくるめて逆にグランフォート家を乗っ取れるんじゃないのか? 命の危険が伴うような冒険者なんかやってるより、ずっと安全で快適な生活ができるんじゃないのか?」
コートはもどかしそうに首を振り、俺を見上げてもう一度はっきりと言った。
「あんな家や家名に縛られるなんて嫌です。それにあの家に残れば、姉様は母様に利用されて切り売りされるだけです。姉様を守る事が僕の幸せなんです」
ジュラさんの弟過保護っぷりも相当だと思ったが、コートのジュラさんに対するシスコンっぷりも相当なものらしい。もしかしたら俺に対する同性偏愛思考よりもジュラさんの方が大切なんじゃないか?
「じゃあ遺産とやらをくれてやって、きっぱり縁を切ってもらうのは駄目なのか?」
「僕自身は……あの研究に興味はありませけれど、あんな人にひい祖父様の大切な研究を渡したくはありません。然るべき時がくるまで僕が管理します」
頭の良すぎるガキは、人によってはこまっしゃくれて可愛げがないと感じるものだが、俺はこういうの、嫌いじゃないぜ。むしろ、あの内気なコートにも、こういう強い意志があるという点は好印象だ。
俺は手を伸ばしてコートの頭をくしゃりと撫でてやり、目を細めて笑い掛けてやった。
「分かった。グランフォートなんて家柄に縛り付けられてるお前よりも、確かにジュラさんの膝の上で一緒にのほほんとお茶してる方がお前らしいよ。だったらこんな所、さっさと抜け出すぞ」
「はい!」
コートは頬を染めて嬉しそうに微笑む。
ぐ……思わず頬ずりしたくなるような天使の微笑みだぞ、これ。可愛いなんてモンじゃない。ファニィがいつもしてるように勢いでハグでもしようものなら、コートが調子に乗りかねないから絶対に手を出したりしないが。
落ち着けー、俺ー!
「じゃあ俺に着いてこ……」
「あっ……タスク、さ……ん……」
コートが遠慮気味に俺のショールの端を掴む。いつもの内気な調子に戻っちまってる。
「どうした? とっとと抜け出さないと、もし誰かに見つかりでもしたら……」
「あ、いえ……その……秘密の抜け道、こっちです……」
コートが俯き加減の上目遣いで、奥の暖炉を指差す。
「……よく抜け道なんて知ってたな」
「あ、え……は、はい……あの……えと……ラシナの本宅と、オウカ、エスタの別荘の間取り図は……全部覚えてます……」
俺は苦虫を噛み潰したような表情になって、無言でポリポリと頭を掻いた。気まずい……。
「……案内しろ……」
「は、はい……」
くそっ……これじゃどっちが助けに来たのか分かりゃしねぇ。
……そういやコートは、昼間の市場での身勝手な嫉妬の事、もう忘れてるみたいだな。このままにしておこう。ややこしいのは御免だからな。
4
コートが見つからないまま、あたしはひとまずタスクと待ち合わせてるお屋敷の外まで出てきた。
だってあんまりにもお屋敷が広過ぎるんだもの。部屋とか廊下の作りも似てて、何だか途中で迷っちゃったみたい。あたし、空間認識力にはそこそこ強いと思ってたんだけどなぁ。お金持ちの人の家ってみんなこんな感じなのかな?
あたしに見つけられないものがタスクに見つけられるとは思えないから、あとはジュラ任せ、かな?
あのぽよーんのジュラだから心配と言えば心配ではあるけど、でもコートの事になったらジュラの鼻はよく利くし。
……あ、でもジュラは正面突破したんだっけ。お屋敷の警備の人たちと乱闘になってたら、コートを捜すどころじゃないわよね。
うーん……やっぱりもう一度あたしが行くしかないかな?
草むらで一人悩んでいると、すぐ側の草がガサッと鳴った。あたしは驚いて飛び上がる。声をあげなかったのは、我ながら褒めてあげたいわ。
「誰……?」
短剣をいつでも抜けるように、柄に手を掛けてあたしは低い声で問い掛ける。
「俺だ」
「なんだ……もう、脅かさないでよ」
「悪い。遠回りして出てきたんで、ちょっとここ見つけるのに手間取った」
タスクが髪や服に付いた葉っぱを払いながら草むらから出てきた。するとタスクの背後でその草むらがまたガサガサと揺れる。
「こ、今度は誰っ? ジュラ?」
「違う違う。そうビビるなよ。コートだから」
「えっ? あんたコート見つけたの?」
あたしが驚いていると、草むらから葉っぱまみれになったコートが顔を庇いながらトコトコと出てきた。
「わぁ! 無事だったのね!」
「あ……ファニィさん……ご心配お掛けしてしまってすみません……」
コートがペコリと頭を下げる。あたしはコートに抱き付いた。
「無事で良かったぁ」
「えへへ……タスクさんに……助けていただきました」
「タスクー。あんた結構やるじゃない」
「こいつ見つけたのは偶然みたいなもんだけどな」
なんかこないだの洞窟の時といい、タスクったら大活躍じゃない。まだ組合に来て間もないのに。
魔法使いってこんなに使える奴ばっかなの? それとも単にタスクがツイてるだけ?
あたしはコートを離して、彼の髪や服に付いた葉っぱを払ってあげた。
「じゃあ後はジュラの回収だけど……キレて正面から突っ込んでっちゃってるしねぇ……どうする?」
「姉様も来くださってるのですか?」
「当然じゃない。ここを教えてくれたの、ジュラだし」
「姉様がよくここを覚えていらっしゃいましたね……ちょっと驚きました」
コートがジュラにこんな言い方するなんて、このお屋敷はよほど印象薄いものだったのかも。露骨な表現はしないけどコートも、ジュラの記憶力は自分と食べ物の事以外は、ろくに覚えてられないって言うくらいだし。
「……じゃあ……こうしましょう」
何か思い付いたのか、コートがあたしの手を引っ張る。お屋敷の方へ近付くの?
コートに導かれてお屋敷の外壁の側へとやってきた。そしてコートが窓の明かりを指差しながら数えて小さく頷く。
「ファニィさん、あの……何か燃やせるもの、持ってませんか?」
「ハンカチくらいなら」
「燃やしてしまっても大丈夫ですか?」
「いいわよ、別に。でも燃やすって言っても火種が無いわよ? それにハンカチ燃やしてどうするの?」
コートの事だから何か策を考えてるんだろうけど、あたしにはまだそれがよく分からない。
「タ、タスクさん……あの……魔法で火を、点けていただいても……いいでしょうか?」
「俺? 別に構わねぇが、松明か何かにするのか?」
「い、いえ……」
コートは足下から手頃な石を拾い、あたしの渡したハンカチを括り付ける。
「ファニィさん、あの右から五つ目の窓に向かって火を付けたこれを投げられますか?」
「届くと思うけど……ちょっとズレてもいい?」
「いえ、正確に」
「難しいなぁ……」
あたしが背伸びして、コートの指示する窓を見上げると、タスクがちょいちょいとあたしの肩を突っついてきた。
「俺がやってやろうか?」
「あんたコントロールに自信あるの?」
なんか嘘っぽい。自信満々やらかして、失敗して「ごめん、ハハッ」てオチじゃないでしょうね。
「炎の槍の魔法を使う。あれなら狙った場所にまっすぐ飛ぶから、始めの狙いがズレてなきゃ大丈夫だ。魔法ならわざわざハンカチ燃やす必要もないし」
うわまた大活躍だよ、この魔法使い君は。
なに? なんかあたしやコートにわざとめちゃくちゃ格好いいところ見せようとしてる? うっわー、やらしーなぁ。わざとらしいなぁ。
「窓をぶち破る時にちょっと周りも焦げるが、それでも大丈夫か?」
タスクがコートに問い掛けると、コートは頬を赤く染めてコクコク頷いた。
「全部燃やしますから気になさらないでください」
……あれ今、さらりとなんかスゴイ事、言わなかった?
さすがのタスクも思わずえっという顔をしている。
「ぜ、全部燃やすって……何を燃やすんだ?」
「あの別荘です」
「……聞き間違いだと思うから、もう一回聞くね。コート、何を燃やすって?」
あたしは頬を引き攣らせながらコートに再度回答を求める。聞き違いだよね、聞き違いだよね?
「屋敷を燃やします。そうしたら姉様も避難して出ていらっしゃいます」
と、当たり前のようにスゴイ発言しちゃうコート。
怖っ! なにこの子! マジ怖い! さらりとすっごい怖い事言っちゃってるよ! 放火だよ、放火宣言!
まだジュラとコートが組合に来て間もない頃の悪夢が蘇る。
あたしはあの時、ちょっとした事でコートを怒らせてしまい、コートの本気の逆襲に真の恐怖を味わった事がある。だからあの時以来、組合で本気で怒らせると一番怖いのはコートだとあたし的認定したの。コートは本気で怒るなんて事は滅多にないけど……。
今……再認識したわ……。
「ちょっ……マジか、お前!」
「本気です」
コートがにっこりタスクに笑い掛ける。いやいやいやちょっと! コート、全然目が笑ってない!
タスクが唖然としてコートを見下ろしている。
「お、俺の魔法だけじゃ、こんなでかい屋敷丸ごとは燃えないぞ。ほ、ほら俺、まだ修行中だし」
タスクが賢明にコートを引き止めようと、自分の無能っぷりアピールしてるけど、それは無駄な努力だよ。やるって決めたコートは絶対やっちゃうから。さっき自分から魔法使うって言ったからには、コートが今更計画を変更するはずはない。そういうトコ、頑固だからね。
そういえばコート、さっきから妙にハキハキ喋ってる。なんか凄く楽しそうに。別荘といえど、自分の家を放火するのがそんなに楽しいのかしら? 火遊びが楽しい年頃……っていうのは、コートには当てはまらないと思うし。
「大丈夫です。僕、捕まっている間に、屋敷のあちこちに、一か所が燃えれば次々誘爆するよう火薬を設置してきましたから」
「火薬って……そんなモンどこから調達したんだよっ?」
「え……常に持ち歩いてますけど……」
と、コートは長めの袖の中から小さな火薬玉を取り出してタスクに見せる。
ああ、そういえば火薬玉はコートのメイン武器だったわね。あたし、もう驚くの疲れちゃった。これから何を言われても、何を見せられても驚かないもんねー。
「さあ、やってしまってください。タスクさん」
コートの微笑みの裏側に黒いものが見えた気がした。うう、やっぱりあたし、絶対にコートを敵に回すような事はしない。
「だ、だって燃やしちまったら俺、犯罪者……」
「やってくださいますよね、タスクさん?」
「……犯罪……者は、ちょっと俺……」
「お役人さんの調書は僕が後で細工しておきますから。と言うより、先手を打ちますし、調書を取られるようなミスはしません、僕。だから安心してやってください。タスクさん」
いつも控え目なコートの圧力……じゃなくて、脅しだね、もうこれは。
「……う……分かった……」
コートならやる。絶対やっちゃう。自警団やら役人やらの裏からの根回し、絶対簡単にやれちゃう。
有無を言わせぬコートの迫力に、タスクも根負けしたらしい。全て諦めて承諾をした。
「うう……ジーンの両親や姉貴に合わす顔ねぇ……うぐっ」
コートがきゅっとタスクのショールの端を掴んだ。タスクは慄いてコートを見る。そして慌てて両手をお屋敷の方へと向けた。
「ど、どうにでもなれ! 槍よ!」
周囲の空気がもわっとあったかくなり、タスクの手の先に炎が灯った。そして次の瞬間、それは細長い槍の形となって、お屋敷の窓へと一直線に飛んでいった。
パリンと右から五つ目の窓が割れ、少しして小さい爆発音が聞こえた。それは次々小さい爆発を誘爆し、そして……お屋敷が一瞬で炎に包まれた。
「マ、マジかっ? ちょっと火が激しすぎるんじゃないかっ?」
「そ、そうねぇ……さすがにジュラでもちょっと燃えちゃうんじゃないかしら?」
さっきはもう驚かないって言ったけど、撤回するわ。お屋敷の予想以上の爆発にかなり驚いた。
「大丈夫です。走って逃げられるよう、順次引火するように、火薬を設置する位置と量には気を配りましたから。あ、ほら姉様です」
コートが嬉しそうに両手を胸の前で合わせて、燃え盛るお屋敷から出てきた人影を見つめる。だけどその可愛らしい顔が不愉快そうに歪んだ。
「あれ? ジュラさんと……誰だ?」
煤で汚れたドレスの裾を片手で掴み、ジュラが誰かに向かって鋭い踵落としを食らわせる。だけど相手はそれを両腕で防御して、ジュラの体を押し戻した。ジュラはトンと軽く地面を蹴って、あたしたちの方へと近付いてくる。そのすぐ背後でまた爆発が起こった。
爆発にも驚いたけど、ジュラの攻撃を受け流せる人がいるなんて……。
「姉様っ!」
「まぁコート、捜しまし……少しお待ちなさいね!」
ジュラがコートを放置したまま、再び相手との間合いを詰める。そしてその勢いを利用して、相手の喉元に肘打ちを叩きこむ。さすがに今度は、相手の人はジュラの攻撃をまともに食らって吹っ飛ばされる。そのまま蹲って激しく咳き込んでいた。
「ちょ……ちょっとジュラ! ジュラの本気の攻撃食らったら、その人死んじゃうんじゃ……」
「忌々しいですけれど無傷ですよ、母様は」
コートが低く唸る。え、母様って……ジュラとコートのママ?
ジュラは相手を吹っ飛ばしてまた間合いを取り、急いでこっちへと駆けてきた。
うわ! あのジュラが体中に打ち身やら切り傷作ってるよ! 今までどんな危ない場所に行っても、危険な相手と戦っても、ホントにかすり傷一つしなかったジュラがよ?
「コート、いらっしゃい! ファニィさん、タスクさん、走りますわよ!」
ジュラがコートを素早く抱き上げ、あたしとタスクの間を走り抜けた。あたしとタスクは慌ててジュラを追う。
「な、何がどうなってんの?」
「姉様に体術を教えたのは母様です」
すごく納得した。
ジュラの人間離れした技と怪力は母親譲りって訳ね。そしてあそこで吹っ飛ばされてフラフラしてるのが、ジュラとコートのママ。師匠に当たるママが、弟子であるジュラを技において上回る事はないって訳ね。でもジュラの怪力は天性のもので、ママにもそれがあるっていうの? っていうか、そんなの遺伝する?
あたしが疑問に思っていると、背後から野太いおばさんの声が聞こえてきた。
「ジュラフィス! こんな真似をしてタダで済むと思わない事ね!」
「今度わたくしからコートを引き離そうとしたら、腕を折るだけでは済ましませんわよ!」
「うぇっ! ちょ……ジュラさん! お袋さんの腕、折っちゃったんですか?」
タスクがジュラの顔を覗き込む。
「次こそは首の骨を砕いて差し上げますわ」
「ジュラそれ駄目! 死んじゃう!」
ジュラの怪力で首折ったら、ホントに死んじゃうってば。あたしでも死ぬかもよ?
「あの女はこの程度では死にませんわ!」
「姉様。次は僕も加勢します」
「まぁコートはお利口さんね。期待してますわ」
やーんっ! この姉弟、あたしの予想以上に怖い姉弟だったんだわ! これが本当に普通の人間なの? あたしより魔物の血が濃いんじゃないの? もう何を信じていいのか分かんない。
あたしたちはジュラとコートのママの追跡を逃れるべく、とにかく必死に夜の森を駆け抜けた。