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Light Fantasia  作者: 天海六花
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魔鏡の封印

     魔鏡の封印


       1


 露骨に不機嫌な様子で、ファニィさんは椅子に深く腰掛けて腕組みなさっています。そして抑えていらした苛立ちが頂点に達したのか、乱暴にテーブルを蹴飛ばしました。

 僕はびっくりして身を竦め、ただただファニィさんの怒りが静まるのを待ちます。僕が知る限り、これが最善の策なんです。

「キィッ! もーっ、ムカつくったらありゃしない!」

 ファニィさんが再びテーブルを蹴りました。すると同じテーブルでケーキを召し上がっていた姉様が、優雅に口元をナフキンで拭ってファニィさんに向き直ります。

「ファニィさん。お食事をするところを蹴るなんてお行儀が悪いですわ。ほら、わたくしのケーキ、いただいていている途中で倒れてしまいましたの。イチゴさんが落ちてしまいましたわ」

「ケーキくらいいちいちフォークでちまちま食べなくても、ガッと掴んでムグッって一口で食べちゃえばいいじゃない! それよりも任務よ任務! に・ん・む! し・ご・と! このあたしが任務失敗だなんて、恥ずかしいわムカつくわ……あーもうっ!」

「一度にたくさん口に入れてしまうなんて、美味しいケーキがもったいないですわ。美味しいものはゆっくりじっくり味わってこそ美味しいのですわよ」

「だから今はケーキの食べ方じゃなくて、任務失敗の反省会を開いてるんでしょうが!」

 一見するとファニィさんと姉様は口論しているように見えますが、このやり取りはいたって普段通りの会話です。姉様には姉様独自のほわんとした理論と、ファニィさんはファニィさんの曲げられない信念があるのです。正反対の性格のお二人ですが、僕も含めて組合の中ではとても仲がいいんです。

 僕はそれが分かっているので口を挟んだりしません。したくてもできません。苛立ってらっしゃるファニィさんにお声を掛けるなんて、僕にそんな勇気はないです。


 つい先日のことです。

 僕と姉様、そしてファニィさんは、組合のお仕事でジーンの国境近くにある山中の洞窟へと行きました。最近発掘された、まだ調査の行き届いていない新しい洞窟です。

 魔法国家であるジーンに所属する研究団体のかたから、正式に調査隊を派遣したいので、まずは危険がないか、調査のための調査をしてほしい、場合によっては巣食う魔物の排除をしてほしいと冒険者組合に依頼があり、僕と姉様、ファニィさんが赴くことになりました。

 洞窟内部はゴブリンという魔物が出没する、少し危険な場所でしたけれど、途中までなら調査隊の皆さんでも行くことができると思います。でも途中まで、という結果は依頼主のかたには必要ない結果なのです。

 なぜなら〝洞窟の最深部まで〟調査できるかどうかを調べてきてほしいという依頼でしたから。

 僕たちが途中までしか行けなかった理由は簡単です。洞窟の最深部近くに大きな古い扉のようなものがあり、それを僕たちは開けることができなかったのです。

 扉の向こうに何があるか分かりません。ゴブリンなんかよりずっと恐ろしい魔物が潜んでいるかもしれませんし、何もないかもしれません。でもとにかく僕たちは、一度ちゃんと最深部まで到達し、魔物との戦いに慣れていない調査隊の皆さんが行っても大丈夫かどうかを確かめなくてはいけないのです。


「あんな古い扉くらい、火薬でふっ飛ばしちゃえば良かったのに!」

「だ、だめですよ! 閉鎖空間で火薬なんて使えば……た、大変なことに……」

「ちょっとくらい焼けても焦げても死にやしないでしょうが」

「し、死んじゃいますよぅ!」

 僕はぐすっと鼻を鳴らしてぶんぶんと首を振りました。


 冒険者組合では、組合員それぞれの得意分野を生かした職種を、名前と共に登録するシステムがあります。

ファニィさんは組合の補佐官ではありますけれど、とても身軽な優れた身体能力を生かして軽業師として登録なさっています。補佐官のお仕事がない時は、依頼を率先してこなされています。僕と姉様はファニィさんとチームを組ませていただいて、いろいろな依頼に当たるのです。

 僕はお喋りや戦うことは苦手ですけれど、物を作ったり調べたりすることが得意なので、からくり技師として登録しています。姉様はとても力持ちなので武術家です。


「あー……ったく。なんかどうにかする方法ないのかな」

 イライラと頭を掻いて、ファニィさんは歯ぎしりなさっています。僕はふと思い出したことがあり、お仕事の時に持ち歩いている鞄から手帳を取り出しました。

「あ、あの……ファニィさん」

「なに? 喧嘩売る気?」

 ファニィさんが面倒臭そうに僕をちらりと横目で見ます。

「え、えっと……その……と、扉の横の壁、のところなんですけれど……文字が刻んであって……」

「文字?」

 ファニィさんが僕の言葉に興味を持たれたようなので、僕は手帳のページを繰りました。

「あ、あの、その……ぼ、僕も読めない、古代文字コモンルーンのようなのですけれど……あ、ちょっとだけ分かる、のですけれど、でも……あの、ちゃんとは読めなくて……」

 僕が口下手なことをよく知ってくださっているファニィさんは、じっと僕の言葉を待っていてくださいます。怒っていらしても、僕や姉様のことをちゃんと理解してくださっているのです。

「資料……集めないとだめですけれど……たぶん訳せたら、扉は開く、と思います」

 僕がようやく言い終えると、ファニィさんの表情が一気にパッと明るくなりました。そして僕の頭を帽子の上から乱暴に、だけど優しく撫でてくださいました。

「そっかぁ! よく気付いたね、コート! 偉いぞぉ」

「え、えへへ。調べ物は、僕の役目ですから」

 ファニィさんの機嫌が直って、僕は少し照れながら上目使いにファニィさんを見ました。するとファニィさんもにっこり微笑み返してくださいました。

「よし! じゃあ午後から図書室で古代文字の解読だね。次こそは扉ぶち破って依頼解決させるよ!」

 僕は手帳を閉じて小さく頷きました。

「難しいお話は終わりまして? わたくしのケーキが無くなってしまいましたの。もうこれで最後でしたかしら?」

 僕とファニィさんがお話ししている間、姉様はゆっくりケーキを召し上がっていたようでした。姉様の前に置かれたお皿は綺麗に空になっています。

「あははっ! じゃあ、あんまり美味しくないけど、組合の食堂でお昼ご飯食べよっか。それが終わったらジュラは鍛錬室で体術の訓練でもして待ってなよ。あたしとコートは調べ物があるから」

「分かりましたわ。お昼は何がおすすめなのかしら? わたくしとても楽しみですわ」

 僕と姉様、ファニィさんは反省会を終了させて、昼食のために食堂へ向かいました。


       2


 美味しくないと悪い評判の食堂は、いつも閑古鳥で人影まばらなはずだった……んだけど、今日はなぜか満員御礼状態。どんなに不味くても、人間おなかが空いてたら食べるしかない訳で、今日はたまたま混み合う時間に食堂へ来ちゃったって事なのかしら?

おかしいなぁ。組合の食堂より、外のお弁当屋さんのお弁当を買ってくる人の方が多いと思ったんだけど。あ、もしかして給料日前だから? ……って、そんな訳ないか。依頼をこなしたチームのお給料は基本、申請後即時支払いだし、ウチ。


 あたしは補佐官特権を利用して、どうにか三人分の席を確保したの。そして相席になった、組合の薬師をしているイノス君に声を掛けた。

「すごいね、今日の食堂。なんかあったの?」

「いやー、組合の有名人三名と相席なんて、今日はツイてるなー」

「イノス君。ちゃんと答えないと組合から放り出すわよ」

「あっ、すんません。新人コックが来たんすよ。昨日入ったって新人に、組合の給料だけじゃ食ってけないぞって教えてやったら、なんか料理が得意だって言うんで、ここのチーフに紹介してやったら本当に料理が得意だったらしくて、口コミで一気にこの有り様で」

 追放が怖かったのか、イノス君はペラペラと喋り出す。

 昨日入った新人? ……って言うと、ジーンから来た魔法使いの彼だっけ?

「その新人って、ジーンの魔法使い君?」

「そうそう。ジーンの魔法使いの奴です」


 彼、男なのに料理とかできちゃうんだ。人は見掛けによらないものねぇ。

 ところで彼の名前、なんだっけ? さすがに数十人、といる組合員全員の顔と名前なんて、補佐官やってるあたしですら、ちゃんとは覚えていられない。脳みその作りが常人を逸脱して異常発達してるコートなら覚えてるかもしれないけど。

 うん、コートは組合きっての天才児だから。

「あいつ、銀鮭のシチューが得意とか言ってましたけど、今日はもう売り切れなんすよ。でも子羊のスパイシーソースとかも美味いっすよ」

「へぇ、そうなんだ。じゃ、ジュラもコートもそれでいい?」

「もちろんですわ。わたくしお肉はとても好きなんですのよ。ねぇコート」

「は、はい。あ、でも僕は辛いものは……いえ、な、なんでもないです」

「じゃあ俺、三人分注文してきますね。ファニィちゃんたちはここにいてください」

 イノス君はまるであたしのご機嫌取りでもするかのように、厨房のカウンターまで走って行く。それを見届けてから、あたしはセルフサービスのお水を三人分用意した。


「新しいかたが……いらしたのですね」

「うん。ジーンの魔法使いだって。コートに言ってなかったっけ?」

 コートが少し考えるように小首を傾げている。コートは北のラシナの出身だから、ジーンが魔法使いの国だという事は知っていても、実際に魔法使いを見た事がないから戸惑ってるのかもね。組合にいるジーン出身の魔法使いは、とても魔法使いというレベルじゃない程度の魔法しか使えない、もっぱら事務員みたいなものだし。


「ファニィちゃん、ジュラフィスさん、コートニスちゃん、お待たせっす」

「お待たせしました」

 イノス君と、昨日の魔法使い君が両手に子羊のなんちゃらのお皿を持ってやってくる。

あーあー。あたしが注文したからって、料理人本人を連れてきちゃったら、厨房がてんてこ舞いじゃないの。イノス君のお節介は相変わらずだわ。

「どぞどぞ。マジ美味いんで食ってやってください」

 あんたの手柄じゃないでしょうが、イノス君。

「お口に合えばいいんですが」

 魔法使い君はぺこりと頭を下げて、お皿をジュラとコートの前に置いた。

「まぁ美味しそうですわ。いただきますわね」

 ジュラがさっそくナイフとフォークを手にする。コートはぼうっと魔法使い君を見たまま固まっている。


 あー、コートに彼の容姿はちょっと怖かったか。顔に変な刺青とかあるし、やたらとでっかいジュラと同じくらい背は高いし、肌も黒いし目付きもアレだし。

 魔法使い君は厨房に戻るでもなく、ぼんやりとジュラに見惚れている。

 ま、そりゃ当然よね。あたしはもう見慣れちゃってるけど、ジュラは縦横ナナメどこから見ても完璧なプロポーションと、目も眩むほどの美貌を兼ね備えている絶世の美女。冒険者って言葉に似つかわしくない、組合の中で明らかに場違いな容姿と、無駄に大きい胸を誇示するような服装だもんね。世のお馬鹿な男どもが見惚れるのは当然だわ。

 彼もまた例に洩れず、ジュラに見惚れているらしい。そして真実を知った時に呆然とするに違いないわ。ジュラの頭の中にはお花畑が咲いてるんだよーって。あはっ!


「まぁ、美味しいですわ。コートもそう思いますわよね?」

 ジュラがパクパクモリモリ切り分けたお肉を口へ運んでいる。ジュラは好き嫌いなく何でも食べるのは知ってるけど、ここまでがっついて食べてるのは初めて見たかも。そんなに美味しいのかな?

 あたしは小さめに切り分けたお肉とソースと一緒に口に放り込んだ。

「……え、嘘っ? ホントに美味しい!」

 昨日までどうしようもなく不味かった料理が、たった一人、新しいバイトが入るだけでこんなに美味しく変身しちゃうものなの?

 あたしはびっくりして、もう一切れ口に突っ込んだ。やだ、本当に美味しい!

「美味しいよ、これ! 魔法使い君! キミすごいよ!」

「はっ? あ、ああ。すいません、ぼうっとしてて。お口に合って良かったです」

 我に返った魔法使い君が、ちょっとだけ頬を緩める。へぇ、笑うとちょっと優しい顔になるじゃない。

「まぁ。コートはもうご馳走さまですの? まだたくさん余っていますわよ。食べて差し上げないと、お料理になってくださった子羊さんが可哀想ですわ」

 いつの間にかペロッと自分のお皿を空にしてしまっているジュラが、魔法使い君を見たショックで固まったままのコートに話しかけている。コートはまだ一口も食べていないみたい。

 あれ? 怖がってるにしても緊張してるにしても、何だかいつもより挙動不審ね。ううん。挙動不審っていうか、全く動いてない。

「どうしたの、コート? 緊張し過ぎておなかでも痛い?」

「……あ……いえ……あの……」

 蚊の鳴くような声で、耳の先まで真っ赤になって俯くコート。その様子を見てあたしはピンときた。

「さてはコート? あんた、彼の事が気に入っちゃったな?」

「やっ……ファ、ファニィさん……っ!」

 あたしが意地悪く言うと、コートは更に真っ赤になって俯き、両手で頬を押さえる。おおー、まさに恋する少女の仕種だわ。可愛いなぁ、もうっ!

「え、あ、俺、ですか? こんな小さい子に好意的に見られるなんて……」

 魔法使い君が戸惑うようにあたしとコートを見比べている。

 あははっ! そりゃ戸惑うよねぇ。初対面でいきなり気に入ったとか言われても。コートって、すっごい内気なくせに、とんでもなく惚れっぽい性格なんだよね。気が多いというか、おマセというか。

「ごめんごめん。魔法使い君、コートはすっごく惚れっぽいのにとんでもなく照れ屋なんだよ。これでも普通だから、あんまり気にしないで」

「そ、そうですか。ああ、でも悪い気はしないですよ。俺この顔ですから、初対面の相手には無意識に避けられる事が多いので」

「うん。確かに人相悪いね」

 ピクッと魔法使い君の頬が引き攣ったように見えた……けど、気のせいかな?


「コートが食べないのでしたら、わたくしがいただきますわね」

 ジュラがコートの返事も聞かないまま、さっさと自分の空のお皿と、コートの手付けずのお皿を交換してしまう。ありゃ。コートがノロノロしてるから食いっぱぐれちゃった。

「あ、あの。この子、まだ一口も食べてないのでは?」

「うふふ。美味しいですわよ。ねぇコート」

 コートに同意を求めるジュラ。だからコートは食べてないって。

 コートの食事が目の前で強奪されたのを目撃し、魔法使い君が思わずジュラに声を掛けるも、ジュラは食べるのに夢中で聞いちゃいない。

 うん。ジュラはいつでも至って平常運行ね。


「あージュラもこれで普通だから。気にしないで」

「はぁ……」

 魔法使い君が少し呆れたように肩を竦める。あ、ちょっとだけジュラの本性見えたな?

 あたしが笑いながら食事を続けようとすると、ツンツンと控えめに腕を突かれた。見ればコートが何か言いたげにモジモジとしている。

「どうしたの? 魔法使い君に抱っこのリクエスト?」

「ちっ……違いま……す……っ!」

 コートが真っ赤な顔して必死に首をブンブン。ホントいちいち反応が可愛いなぁ、もう。

「何かもう一品作ってきてやろうか? こちらの……ええと、お姉さん? かな? ……に、全部食われちゃったみたいだし」

 ジュラとコートに共通する、ラシナの民特融の長い耳と白い肌を見て、魔法使い君はジュラとコートの関係を見事言い当てる。

「ジュラとコートがきょうだいだって、よく気付いたね。あ、見たら分かるか。よく似てるし。こっちの食べるのに夢中なのがジュラフィス。小さい方がコートニス。どっちもあたしのチームメイトよ。ところで魔法使い君。キミ、なんて名前だっけ?」

「俺はタスク・カキネです」

「タスク君ね。覚えとくから、また美味しいご飯、よろしくね」

「ええ、喜んで。ありがとうございます」

 料理を褒められた事が嬉しいらしい。タスク君が目を細めて笑う。あ、やっぱり彼、笑うと優しい顔になるんだ。発見!


「そう言えばコート。あたしになんか用?」

 コートはタスク君の前ですっかり緊張しちゃって、多分まともに喋れない。コートの照れ屋というか、あがり症はもはや病的とも言える。おそらく一生治ってくれないから、あたしもすっかり対応に慣れちゃった。

 あたしは彼の口元へ耳を持っていった。

「……あ……すみま、せん……あの……僕、思ったんですけど……ジーンの魔法使いのかたなら、あの古代文字、を解読、できるかもしれません。あの洞窟はジーンの国境近く、でしたし……魔法使いのかたのほとんどは……古代語、を勉強、なさっていると聞いた事がありますし」

「それホント?」

 あたしが聞き返すと、コートはまだ赤い顔のまま、コクコクと頷いた。あたしはパチンと指を鳴らし、その勢いのままタスク君に詰め寄った。

「ねぇキミ! 古代文字って読める?」

 いきなり直球で質問をぶつけてみる。あたし、ジュラとコートに関わる事以外のまどろっこしいのは嫌いなのよね。だって面倒臭いじゃない。

「古代文字、ですか? 古代と一口に言っても、時代によりますけど一通りは勉強しましたが……」

「コート、メモ!」

 あたしが手を出すと、コートが慌ててさっきの手帳を取り出して開く。あたしはそれをひったくって、タスク君の前にバンと突き出した。

「こんなの!」

「ちょ、近っ! 近過ぎて見えないです! ええと……ははぁ……ヘルバディオ時代、ですね」

 あたしの手からコートの手帳を受け取り、タスク君は顎に手を置いてじっとその文字を目で追う。

「……はい、この時代のものなら分かりますよ。ただちょっとこのメモは写し間違えてるのか、文法が繋がらなくて意味が分からないですけど」

 うっそ、マジ? 読めちゃうの、こんなミミズとムカデが乱捕り稽古してるみたいな文字!

「タスク君ラッキーだよ! さっそく依頼、一つあげる!」

 あたしは彼の手から手帳を取り上げ、ビシッとコートのメモを指差した。

「この文字が書かれた洞窟調査の同行を申し渡します! 明日、あたしたちに着いてきて」

「いきなり仕事をいただけるんですか? ありがとうございます!」

 タスク君が嬉しそうにあたしを見る。確かに大抜擢だよ。組合に入った翌日に仕事もらえるなんてラッキー、そうそうあるものじゃないわ。


「では明日、何時くらいに準備しておけばいいんでしょうか?」

「そうね。ジュラがきっと寝坊するだろうから、お昼前でいいわよ」

 あたしが答えると、タスク君はジュラとコートを見て、訝しげに首を捻る。

「あの……少々つかぬ事を伺いますが……補佐官様に同行という事は……」

「ん? チームの事? あたしとジュラとコートだけど?」

 タスク君が明らかに狼狽した様子で、両手を胸の前でひらひらさせる。

「えっ、でもあの! 軽視する訳ではないですが、伺う限り女性と子供……だけですよね?」


 タスク君がその言葉を口にした瞬間、同じテーブルでおとなしく成り行きを見守っていたイノス君が一瞬で真っ青な顔になった。そして自分のお皿を持ってそそくさと逃げ出す。賢明な判断ね。

 ……これってあたしたちの事、完璧にナメられてるよね?

 あたしの眉尻がキリキリと攣り上がる。そしてダンッと椅子に片足を付いて、彼をビシッと指差した。

「あんた! あたしたちをナメてるでしょ! あたしもジュラもコートも、この組合筆頭の実力者よ! 見た目で判断してると痛い目見るわよ!」

「いえ、だから軽視してる訳ではなく、ええと……この子ですよ! この子、こんな小さいんですよ? 冒険とかで町の外に連れ出して危なくないですか?」

「コートは大丈夫よ!」

「さっきから不思議に思ってたんですけど、面接の時の誓約書には、十五歳以下の加入は認められないとあったじゃありませんか。この子はどう大目に見ても七、八歳くらいでしょう? 組合は未成熟の幼児を危ない任務に使ってるんですか?」

 やたら噛み付いてくるタスク君。

 コートは自分が話題になったと知り、今にも泣き出しそうな顔になる。あ、泣き出しそうじゃなくて、もう泣いてるよね。

「コートは特例なの! それに七歳じゃなくて十歳! 背は標準より小っさいけど! ホントならあんたの言うとおり年齢で弾かれるんだけど、コートの優れた能力は、どう少なく見積もってもあんたより遥かに上よ!」

「おっ、俺は子供以下って言うんですか!」

 タスク君が、いえ、タスクが苛立ちを露わにして地団駄を踏みそうな勢いで噛み付いてくる。そして舌打ちして腰に手を当てて大きく息を吸い込んだ。

「さっきも人の事を人相が悪いだとか、そっちこそ俺をナメてるんじゃないのかよ!」

 タスクの言葉使いが崩れた。

「あんた、あたしに対してその口の利き方は何よ!」

「地位を盾にすりゃ、人を馬鹿にしていいとでも思ってんのか! 人がおとなしくしてりゃ偉そうに踏ん反り返りやがって、お前みたいな口の悪い性格も悪い女から補佐官って皮をひん剥いたら、何が残るってんだよ!」

「なによ猫っかぶり!」

「やかましいわ、クソアマが!」


 キレた。あたし、本気でムカついた!


 なんなの、こいつ! ちょっととぼけた料理好きの変わり者魔法使いだと思ったけど、礼儀知らずもいいトコじゃない! あたしに対してクソアマなんて言い方した奴、今まで見た事ないわ!

 あたしがギリギリと歯ぎしりするのを見て、あたしとタスクの周囲から、さっと人が消える。そして遠巻きにあたしとタスクの喧嘩の行く末を見守っている。

 そうよね、あたしに盾突く人間なんて、この組合には今まで誰一人いなかったもの。あたし相手に暴言吐く新人なんて、そりゃあ誰だって驚くわ。

「謝りなさい! 謝らないと、今すぐ速攻でクビにしてやるわよ!」

「誰が謝るか! 地位を盾にしないと何もできないようなお嬢ちゃんこそ、とっととさっきの非礼を詫びるべきなんじゃないのか?」

「完っ璧に頭きた! ひっぱたいてやるからおとなしくしなさい!」

 あたしが平手打ちのために手を振り上げると、タスクは指先をあたしに突き付けた。刹那、あたしの前髪を、突然現れた火の玉が焦がす。

「キャッ!」

「クビでもなんにでもしろよ! ただし、ちょっと痛い目を見てもらうからな!」

 そうだ、魔法使いだったんだ、こいつ。

 あたしはトンと背後に飛んで距離を取り、ギリギリと奥歯を噛んでタスクを睨み付けた。


       3


 ファニィさんとお料理人さんが、ちょっと派手なお遊びを始めてしまって、わたくしはゆっくりお食事ができなくなってしまいましたわ。せっかく美味しいお料理ですのに。

 でも大丈夫ですのよ。ついさっき、全部美味しくいただき終わりましたの。コートが残してしまった分も、わたくしがちゃんと責任持って美味しくいただきましたわ。次はデザートですわね。

 唇に付いたソースをナフキンで拭ってから、わたくしはコートに話しかけようとしましたの。でもコートはいなくなっていましたわ。

 あら? ついさっきまで傍にいましたのに。

「まぁコート。どこへ行ってしまったんですの?」

 テーブルの下を覗いても、お皿を裏返してもコートはいませんわ。忽然と姿が消えてしまったんですの。

 大変ですわ。コートったらもしかして、わたくしを置いて一人で美味しいデザートを食べに行ってしまったのかもしれませんわ。

 もう、コートったら酷いですわ。わたくしに内緒でそんな抜け駆けをするなんて、見つけたらメッて怒って差し上げますわ。愛の鞭ですのよ。


「ヘラヘラ避けるな! 当たれよ!」

「イヤよ! 誰が好き好んで燃やされなきゃなんないのよ!」

 ファニィさんとお料理人さんがとても大きな声でお話ししていますの。

 まぁまぁお二人とも威勢がよろしい事。若い時はそうでなくてはいけませんわ。

 でもわたくし、一人で待っているのも退屈ですわ。どちらかの応援でもしていましょうかしら? でもどちらの応援をすればよろしいのかしら。

 ファニィさんはわたくしのお友達ですし、お料理人さんは美味しいお食事を作ってくださるし。どちらか一人だなんて罪作りですから選べませんわ。

 そうですわ! コートなら的確な意見を言ってくれるに違いありませんの。わたくし、名案を思い付いて嬉しくなってしまいましたわ。

 にっこりしながら傍にいるはずのコートに話しかけようとして、コートがいない事に気付きましたの。

 あら? ついさっきまでは傍にいましたのに。

 テーブルの下を覗いても、お皿を裏返してもコートはいませんわ。忽然と姿が消えてしまったんですの。

 大変ですわ。コートったらもしかして、わたくしを置いて一人で美味しいデザートを食べに行ってしまったのかもしれませんわ。

 もう、コートったら酷いですわ。わたくしに内緒でそんな抜け駆けをするなんて、見つけたらメッて怒って差し上げますわ。愛の鞭ですのよ。

 あら、おかしいですわね? なんだかつい最近も同じような事があったような気がしますわ。


「女だから手加減してやってりゃ、いい気になりやがって!」

「手加減なんかいらないわよ! 本気でかかってきなさいよ! それともそれがあんたの実力? ふふん!」

 まぁ、ファニィさんとお料理人さん、どちらも威勢がよろしいですわ。若い方はこうでなくては……って。あら? これも何だかつい最近、同じような事があったような気がしますわ。

 わたくし、ちょっと混乱してしまいましたの。

 難しい問題を考える事はいつもコートに任せてしまっていますけれど、コートは今、傍にいませんし。どうしましょうと迷っていた矢先、わたくしが座る椅子の側にどなたかが立たれましたの。

 見上げれば、その方は組合の元締めさんではないですか。元締めさんの背後には、ぐすぐすと鼻を鳴らして泣いているコートがいますの。

 まぁ元締めさんたらコートを泣かせたんですの? でしたらわたくし、許しません事よ。


 わたくしが元締めさんに文句を言おうと口を開きかけた時ですわ。元締めさんがテーブルを思い切り叩いて声を張り上げましたの。

「ファニィ! タスク・カキネ! お前たちは組合を破壊する気か!」

 元締めさんの大声に、わたくしはびっくりして耳を押さえましたの。それだけとても大きなお声でしたのよ。

 元締めさんの声で、ファニィさんとお料理人さんはお喋りとじゃれ合いをやめましたわ。

ファニィさんなんて、叱られた子供のように一瞬でしゅんとなさってますの。うふふ。ファニィさんもお父様の躾には子供らしくなるのですわね。

「だ、だってこいつ、あたしをクソアマって……」

「いい気になるな! 自分勝手で傍若無人な補佐官など、その内誰も信用してくれぬようになるぞ! お前はもっと自分の立場をわきまえろ!」

「……ぐう……むうう……」

 ファニィさんはとても渋い顔をしてまだ何か言いたげに元締めさんを見ていますの。でももう何も言えないみたいですわ。

 不貞腐れたように頬を膨らませて、そんなお顔をしていたら可愛らしさが半減しますわよ。

「タスク・カキネ。室内で火炎魔法を使うなど、正気の沙汰とは思えん。今回は見逃すが、次に何か不祥事を起こせば一生厨房でタダ働きさせるぞ!」

「うっ……すみません、でした……」

 お料理人さんは顔を赤くしてぺこりと頭を下げましたの。あらあら、素直に反省のできる殿方は好感が持てましてよ。わたくし、そういう素直な殿方は好きですわ。

 涙ぐんだまま、わたくしの傍へ戻ってきたコートを膝の上に抱き上げ、わたくしはコートをいい子いい子してあげましたの。

「コートはお利口さんですわね。お二人とも元気があって賑やかだとは思いましたけれど、ちょっと声が大き過ぎて耳が痛かったんですの。コートは元締めさんを呼びに行ってましたのね」

「姉様。ファニィさんとタ……タスク、さん……は、その……喧嘩してらしたんです。だからやめてもらおうと思って僕、元締め様を……」

「まぁそうでしたの? 喧嘩はいけませんわ。喧嘩両成敗ですのよ」

 コートはわたくしの気付かなかった事に気付いて、元締めさんに対処を求めに行ってたのですわね。わたくし、とてもお利口さんな弟を持って鼻が高いですわ。

「二人とも、ここの片付けを済ませてからワシの執務室へ来なさい」

 うふふ。元締めさんのお説教ですわね。元締めさんのお説教はとても長いんですのよ。きっとお尻が痛くなるまでこってり叱られますわね。

ファニィさんはすっかり肩を落として床で割れているお皿のかけらを拾い始めましたわ。お料理人さんもご自分で焦がしてしまった壁を雑巾で拭き始めて。

 今、気付きましたけれど、この様子を黙って見てらした組合の皆さんもほっとした様子で食堂を離れ始めましたの。

 全てが丸く収まって良かったですわ。これで安心してわたくし、お夕飯がいただけますの。

 あら? でも食堂がこんな状況でしたら、わたくしはどこで食事をすればいいんですの? お夕飯までにお掃除が終わるのかしら? 困りましたわね。


       4


 冒険者組合補佐官との言い争いを咎められ、俺は組合加入二日目にして、丸一日の謹慎を命じられた。あのクソアマ……っと、ファニィ補佐官も俺と同じように謹慎を命じられたらしい。

いい気味だ。

ようやく謹慎の解けた翌日、俺はバイトのために組合の厨房へと顔を出す。すると先輩たちや厨房チーフがわっと寄ってきた。

「お前いい根性してたんだなぁ」

「入って一日でファニィさんと一戦やらかすなんて、お前の肝っ玉には驚いたよ」

「はぁ……」

 謹慎中に部屋に遊びにきたイノス先輩がファニィ補佐官は口も立つが腕も立つと教えてくれたっけ。

 面接の時は町の市場の看板娘がお似合いだなんて思ったもんだけど、俺とやりあった時のあいつの身のこなしや動きを見ていれば、本当にあいつが口だけでない一端の冒険者なのだという事がよく分かる。ピョンピョコ跳ねたり跳んだり一見無駄な動きをしているんだが、実際は相手との距離を測りながら、腕力はさほどないものの、着実な一撃を加えてくるんだ。いわゆる手数で勝負というやつだ。俺なんかよりよほど場数を踏んでいる。悔しいが、実力を認めて感心するしかない。

 ちょっとは補佐官を見直しはしたが、あれだけ派手にやりあったんだ。すぐ仲直りしましょうという訳にはいかない。俺のプライド的にも、きっとあいつのプライド的にも。


「ま、お前の本性も垣間見えたし、もう猫かぶらなくてもいいぜ。タメでいいさ、タメで」

「そう言ってくれるなら……本当に素で行きますよ、俺」

 この先の仕事や金の心配もあったので、慣れるまではおとなしくしていようかと思ったんだけどな。全部あいつに引っ掻き回されちまった。

 厨房チーフと言っても、厨房に仕事が無い時は俺や他の先輩と同じで組合員としての仕事をしている。先に入ったか後に入ったかだけの差の、同じ釜の飯を食う仲間だ。

「そんじゃ、ま、今日も昼の仕込みを始めるか」

「はいよ」

 俺は一日ぶりにエプロンを腰に巻いた。

「お、噂をすれば」

 さっそく肉の塊を切り分けようとしていると、チーフがニヤニヤしながら俺の腕を引いた。振り返ると厨房カウンター越しに、嫌でも目立つ真っ赤なバンダナが目に飛び込んでくる。

 ファニィ補佐官とその連れの……ジュラフィスさんとコートニスだっけ? とにかくこの組合に似つかわしくないラシナの綺麗ドコロ二人。

 俺は露骨に嫌な顔になり、チーフにヒラヒラと手を振ってSOSのノーサインを送る。

「パス」

「そう言うなよ。俺たちの飯を食いにくる、ありがたーい仲間じゃないか」

「俺はアレを仲間だと思いたくない」


 チーフと問答していると、ファニィ補佐官はカウンターに身を乗り出して、厨房を覗き込んできた。

「あ、いたいた。タスクー」

 ご指名かよ!

 今日はなんだ? また人相が悪いとか、反省してタダ飯食わせろとか文句垂れに来やがったのか?

「タスク。銀鮭のシチューが得意なんだって? さっそく三人前ね!」

 まるで何事もなかったかのように、平然と食事の注文をしてくる補佐官。お前の思考、訳わかんねぇ。

 俺はやれやれと首を振り、ドンと肘をカウンターに乗せて補佐官を睨み付けた。

「あのなぁ。お前はたった一日前に俺と盛大に喧嘩やらかしただろうが。なんで平然としてやがる」

 もうこいつに猫を被る必要はない。

「あんたまだ根に持ってんの? 器量の小さい男ねー」

「なっ……お前また俺を……ッ!」

「とにかくどうでもいいから、銀鮭のシチュー三人前。ご飯済んだらあんたはとっとと荷物まとめて玄関集合よ」

「……は?」

 元締めは今回は謹慎だけで見逃すと言ってくれたが、こいつはやっぱり俺を組合から追い出す気なんだろうか?

「俺やっぱクビか?」

 イノス先輩にも最初に言われたっけ。元締めが気に入っても、こいつが気に入らなければ組合から放り出されるって。

 ところが補佐官は一瞬きょとんとした顔をして、突然カウンターをバシンと叩いた。

「古代文字よ、古代文字! あんた解読できるって言ったでしょうが! 午後から出発するから、その準備してこいって言ってんの! もう忘れたの?」

 そういや古代文字の解読がどうとか言われてたっけ。初仕事だったが、こいつとのトラブルでおじゃんになったと思ってたんだが。

「俺、仕事もらえる訳?」

「あんたしか解読できないんだから仕方ないじゃない。行くの行かないの?」

「い、行くさ!」

 俺は慌てて返事をする。

 そうか、あの依頼の話、まだ生きてたのか。俺、クビじゃなかったんだ。

 半ば諦めていた事もあり、俺はホッと胸を撫で下ろす。すると補佐官はふふんと鼻を鳴らした。

「ま、あたしの気持ちとしては、ムカつくあんたなんて追放って言いたいんだけどね。でもコートがあんたを随分気に入っちゃったから、当分は追放しないで執行猶予をあげるわ」

「コート……コートニスって、あのチビちゃんか」

 補佐官の肩越しに食堂を見ると、ジュラフィスさんとコートニスがこっちを見ている。俺と目が合うと、コートニスは真っ赤になってジュラフィスさんの影に隠れた。

 ははっ。なんかいじらしくて可愛いな。

「見る人が見れば、俺の良さがちゃんと分かるんだよ。どこぞの捻くれた補佐官と違って、チビでもあの幼女の方がよっぽど人間として形成されてるじゃねぇか」

「ムカつくわねー、やっぱあんた」

 補佐官が目を細めて俺を睨む。が、もうさすがに手を出したりはしないらしい。元締めの説教に懲りたんだろう。


 ふいに補佐官が真顔になって俺を見上げる。そしてコートニスを見る。そしてまた俺を見てニヤリと笑う。

「なるほどねぇ。あんたも可愛いコートが好きなんだぁ?」

「俺に幼女趣味はないが、恋愛感情絡みの好き嫌いは別として、少なくともお前よりはあのチビちゃんのが好感度高いぞ」

「どういうところが可愛い?」

「慎ましやかで女の子らしい女の子じゃないか。撥ねっ返りのお前と違って」

 補佐官がますます嫌味ったらしく笑う。なんだ? なに考えてやがるんだ?

「コート、ちょっとおいで」

 補佐官の言葉にコートニスはビクッと体を震わせ、顔を真っ赤にしたままギクシャクとカウンターに近付いてきた。そして大きめの帽子とサラサラの金髪の隙間から、そっと俺を見上げてくる。

 うわ、近くで見ると相当なカワイコちゃんだな。姉さんのジュラフィスさんもすごい美人だと思ったが、コートニスも成長したらジュラフィスさんに負けないくらいの美人になるんじゃないか? 透き通った青い大きな目と、サラサラの蜂蜜色の金髪に、ラシナの民特融の白い肌がよく映える。

 スプーンより重い物を持てなさそうなこんなカワイこちゃんが、俺より役に立つだって? 確かに目の保養にはなるだろうが、年齢的にも冒険者なんてまるで向いていないように見える。

「コート、あんた望みあるよ。タスクもあんたが好きだって」

「え……」

 コートニスが更に顔を赤くして俺を見上げてくる。俺はカウンターから手を伸ばしてコートニスの頭を帽子の上から撫でてやった。女は年齢なんか関係なしに褒められると喜ぶし、ちょっとおべっか使っておくか。あ、こいつが可愛いと思うのは俺の本心だし。

「もうちょっと歳が上だったらほっとけないくらい可愛いよ、コートニスは」

 俺が言うとコートニスは両手で口元を覆って俯いた。こんな歳でも容姿を褒められると嬉しいらしい。


「可愛く生まれて良かったねぇ、コート。お嫁さん候補ができたよ」

「補佐官。人を幼女趣味みたいに言う……な?」

 あれ、今なんか引っかかったぞ?

「嫁さん候補って……誰が?」

「タスクが」

「誰の?」

「コートの」

 俺は確かに家事が得意だが、嫁じゃないだろ、嫁じゃ。むしろ逆。ついでに言えば『主夫』になる気もさらさらない。

「コートニスが俺の彼女になりたいとか言ってるんだろ?」

「違うよ。コートはタスクを彼氏にしたいの」

「いや、だから彼氏っつったら男の俺だろ? ならコートニスは彼女……」

 補佐官が俺に向かってニヤニヤしたままコートニスをぎゅっと抱き寄せる。

「あっれー、タスクは違うのぉ? コートって、こぉんな思わず連れ去りたくなるような可愛い女の子みたいだけど、れっきとしたジュラの〝弟〟だよぉ?」

「おと……弟……男ぉっ?」

 あまりの衝撃発言に、俺の声が裏返った。

「てっきりタスクもコートと同じぃ、同性愛趣味だと思ってたんだけどぉ、違ったのぉ? きゃははっ!」

 補佐官が堪えていたものを吐き出すかのように、腹を抱えて笑い出した。

 ちょっ……待て待て待て! コートニス、男って、これでか! この容姿でかっ?

「コートニスお前! 本当かっ?」

「ひっ……」

 俺がカウンターから身を乗り出してコートニスを見ると、コートニスは胸の前で強く両手を握って目を瞑った。そのまま小刻みに体を震わせたまま、恐る恐る小さくコクンと頷く。

「あははははっ! タスク変な顔! コートは可愛い女の子じゃなくて可愛い男の子!」

「お前、騙しやがったな!」

「あたしは嘘なんて言ってないよーだ! コート紹介する時だって、女の子だなんて一言も言ってないじゃない」

 クッ……確かに、こっちの『小さいの』がどうとか言われた気がする。

 でもなぁ! でもお前、これ、酷ぇだろうが! コートニスの顔、仕種、どれを切り取ったって恋する小さな乙女そのものだろうが! これで男って、すんげー詐欺だぞ!

「コートだってもうちょっと成長すれば、もっと美少年らしくなるわよ。それまではジュラとあたしのかーわいい弟なの」

 補佐官がコートニスを抱き寄せて頬ずりする。コートニスもそれが嫌ではないらしく、はにかむように笑う。


 クッ……目の前がクラクラする。俺は昔っから人相悪いとか怖そうとか言われてきてたから、コートニスに一目惚れされたと聞いて、ああ、やっと俺も人並みに好感持たれる面構えになったんだなぁと、ちょっぴり感動してたのに。本気で騙された。

 いやいや好感持たれたのは事実だから素直に嬉しいんだが、相手が男となると話は別だ。俺は至ってノーマルなんだから!

「お話しはもう済みまして? わたくしずっと待っているのですけれど、まだお昼はいただけないんですの?」

 絶世の美女、ジュラフィスさんが退屈したのかカウンターにやってきた。

 いや、美女と思っていたがコートニスの例もある。実はジュラフィスさんも男だとか……はないな。あの完璧なまでの巨乳が偽物のはずはない。

「補佐官! お前もう俺を騙してる事はないだろうな! まだ隠し事があるってなら、飯は作らねぇぞ!」

「これ以上なにを騙すって言うのよ? ジュラも男の人ですとか言ってほしい訳?」

「ばっ、馬鹿たれ! この見せびらかすような悩殺的なバストが偽物の訳あるか! さすがにもう騙されねぇぞ!」

「うわ、やらしー。ジュラの事、胸でしか見てないんだー」

 補佐官が舌を出して俺を挑発する。

「なっ、ちがっ……」

「言い訳は見苦しいよ。あんたは女の子を胸でしか判断しないに決定。はい、お話終わり。銀鮭のシチュー三人前ね。ジュラの分は大盛りで。ジュラ、コート、席座ってよ」

「うぐぐ……」

 補佐官にからかわれていると分かり、俺はギリギリと歯ぎしりした。そんな俺の肩を、静観していたチーフがポンと叩く。

「な? ファニィさんにゃ敵わないだろ」

「……あンの減らず口、いつか絶対に黙らせてやる」

 俺は悔しさをフライパンにぶつけてやった。


       5


 姉様が背後にいたゴブリンを肘打ちで弾き返します。ゴブリンは呆気なく硬い岩肌に叩きつけられ、そのまま舌を出して失神してしまいました。

あまり力を込めているように見えませんが、でもすごい力なんですよ。姉様はこれでも組合で一番の力持ちなんです。そうは見えないとよく言われますけれど。

 姉様から少し離れたところにはファニィさんがいらっしゃいます。ファニィさんはゴブリンの頭上を軽々と飛び越えて、動きを封じるために素早く足の健を短剣で切り裂きました。いつ見ても驚くほど身軽なかたです。

「へぇ、言うだけはあるんだな」

 僕の隣には褐色の肌と黒髪の男の人、タスクさんがいらっしゃいます。右頬に朱い刺青をなさっていて、少し怖そうな印象を受けるかたですが、でもとても優しいかたです。

 その……えと……とても素敵なかたで、僕……あっ……な、なんでもないです。


「ちょっとタスク! あんた少しくらい手伝いなさいよ! 魔法使いなんでしょ!」

 ファニィさんがタスクさんに向かって声を張り上げます。

「馬鹿言え! こんな閉鎖空間で火炎魔法なんか使ってみろ。みんな黒焦げだぞ!」

「使えない奴ねっ!」

 タスクさんとファニィさんは、組合の食堂で一度大喧嘩なさってから、とても仲が良くなりました。口では罵り合いをするのですが、お互い面白がって言い合っているようで息ぴったりなのです。

 僕ちょっとだけ……羨ましいです。僕は口下手だから、そういうのが……できなくて。

 でも僕はこうして一緒にいられるだけで……その、すごく……嬉しいです。

「っんだとクソアマ! そこまで言うならやってやるよ! ただし俺の正面に立つなよ!」

 と、売り言葉に買い言葉で返事をなさって、タスクさんは帯の後ろに差していた魔法使いの杖を引っ張り出します。

 その杖は魔法金属という、ジーンで作り出された特殊な人工金属でできているらしく、先端に埋め込まれた宝石も魔力を蓄えたとても珍しいものなのだそうです。僕は珍しいものが好きなので、一度じっくりと研究してみたいのですけれど、とてもお願いできません。だって……恥ずかしくて……。


 タスクさんが杖を目の高さに掲げて、もう片方の手を前に差し出した状態のまま、魔法の呪文を唱えます。すると杖ではなく、何も持っていない方の手から一条の光が迸りました。

 光といっても白や黄色などの淡い色の神々しい光ではなく、闇色とも表現できそうな黒くて禍々しいものです。

 その光に触れたゴブリンたちの皮膚が、一瞬で爛れて姿そのものが崩れ出しました。

「……っう……」

 僕は気持ち悪くなって顔を背け、両手で口元を押さえました。

「うっわ、グチャグチャ! タスクってば残酷!」

「悪かったな! 火炎魔法以外じゃ、俺は暗黒魔術しか使えないんだよ! 暗黒魔術は死の魔術。手加減してもこういうモンなんだ!」

 後から聞いた話ですが、魔法と魔術というものは似て異なるものなのだそうです。魔法研究があまり活発でないオウカやラシナでは、一口に魔法と魔術は違うと言われてもよく理解できません。これも一度ちゃんと研究してみたいです。


「あらコート。おなかでも痛いんですの?」

「違うよ、ジュラ。タスクが酷いモノをコートに見せていじめたから、コートが気持ち悪くなっちゃったの」

「まぁタスクさん酷いですわ。コートをいじめるなんて、わたくし許しません事よ」

「違いますよジュラさん! ファニィの奴が無茶言うんで、俺も戦闘に参加したらこうなっただけです。あー、コート。悪かったな。確かにお前にはちょっと刺激が強すぎたかも。でももう消えちまったから大丈夫だぜ」

 今朝まではタスクさんは、ファニィさんを補佐官、姉様をジュラフィスさん、僕をコートニスと、正しい名前で呼んでいらっしゃいました。でもこの洞窟へ来る途中、ファニィさんが「あんたにそう呼ばれると気持ち悪い」と、身も蓋もなく一蹴してから、皆さんを愛称で呼んでくださるようになりました。

 その……少し親しくなれたようで嬉しいです。えへへ。


 僕が恐る恐る目を開くと、溶けるように崩れてしまったゴブリンの死体はどこにもありませんでした。タスクさんが仰るように、魔術の光で溶けて消えてしまったようです。すごい威力です。僕、とても驚きました。熱は発しなかったようなので焼いたのではなく、強い酸のようなもので溶かしてしまったんだと思います。

「タスク。コートの前ではそのグチャグチャ魔法、禁止ね」

「魔法じゃなくて魔術。魔術を禁じられたら俺は戦えないから、お前、せいぜい頑張れよ」

「うわー。それ男の発言じゃないよ。女の子任せで平気だなんて、軟弱。ヘボ。紐男ね、紐男」

「……背後から火球をお見舞いしてやろうか?」

「今、寒くないから遠慮しとくわ」

 やっぱりタスクさんとファニィさんの息はぴったりです。

「ジュラ、コートの手を引いてやって。先に進むよ」

 ファニィさんは岩陰に置いていたランタンを手にして、洞窟の中をずんずん進み始めました。


 薄暗くて澱んだ空気の臭いがします。でも仕方ないですよね。今まで人が踏み入った事のない洞窟なのですから。でもよく今まで誰にも発見されずにいたのか不思議です。

 ランタンの灯りを頼りに僕たちは奥へと進み、そして大きな岩扉まで辿り着きました。この扉が、前に僕たちが開けられなかった扉です。

 僕たちの中で一番背の高いタスクさんの身長より、更にその倍くらいの大きさがあります。だから僕からですと、姉様を見上げるよりずっとずっと上を見上げなければいけません。

 ちょっと首が痛くなってしまいます。

「ははぁ、なるほど。確かにヘルバディオ時代独特の様式だ。多分向こう側に部屋があるな」

「ホントに分かって言ってる? 適当なデタラメじゃないよね?」

「うるさい。この時代の歴史は昔ちゃんと勉強したんだ。魔法も盛んに研究されていた時代だが、暗黒魔術に長けた術者が多い時代だったんでな」

 タスクさんが少し寂しそうな、悲しそうな表情をなさいました。

 今だけではないです。タスクさんが『暗黒魔術』と口にされるたび、わずかではありますけれど、表情が暗くなるのです。暗黒魔術というものが、何か特別な意味を持つ言葉なのでしょうか?

 魔法と魔術。本当に一度ちゃんと違いを勉強して理解してみたいです。そうすればタスクさんの憂いも少しは理解できるかもしれません。僕が力になろうだなんて、おこがましいとは思いますけれど……。


 楔で打ち付けたような模様が扉一面に掘り込まれていて、取っ手らしきものはありません。扉といっても、壁に丸い一枚岩を貼り付けたような感じです。こんな大きな岩が、普通のドアのように開いたりするのでしょうか?

 この向こうに部屋があるのか、何もないのかすら、僕には分かりません。タスクさんのジーンの魔法使いとしての知識を信用するしかありません。

「ジュラが思いっきり殴っても蹴飛ばしてもビクともしなかったわ。あんたホントにどうにかできる?」

「できるかどうかは古代文字を解読してからだ。おい、ファニィ、灯り貸せ。コート。お前がメモした古代文字はどの辺りだ?」

 急に名前を呼ばれて僕はびっくりしてしまいました。でもすぐに鞄から手帳を取り出して、タスクさんを古代文字のあった場所へ案内します。

 タスクさんは僕の手帳を片手に、そして壁の下の方にある掘り込まれた文字を指先でなぞりながら、解読を始めます。

「ふむ……あ、ほら、コート。ここがお前の写し間違い。この時代の文章は文法を一箇所でも間違うと、まるで意味が違ってくるんだ。だからお前のメモだけじゃ解読不能だったんだよ」

 なるほど。確かに僕、一行飛ばして写し間違えていました。見慣れない文字なので仕方ないと言えば仕方ないのですが、ファニィさんのチームで記録係を仰せつかっている立場としては、とても申し訳ないし悔しいです。次にこういうことがあれば、もっと慎重に記録を残さないといけません。今回は戒めとしてしっかり記憶しておこうと思います。

 僕はタスクさんに講義していただきながら、しっかりとそれを記録し直しました。後でちゃんと復習しておこうと思います。


 そしてふと、僕はとんでもない事に気付きました。タスクさんと僕、袖が擦れ合っているのです。

 僕は慌てふためいてタスクさんから離れました。興味を引かれる物に遭遇すると周りが見えなくなってしまうのは僕の悪い癖です。僕、とてもはしたない事をしてしまいました。

「コート。あんたドサクサに紛れてもっとタスクに擦り寄っておけばよかったのに」

「そ、そんな僕……っ!」

 ファニィさんが僕をからかいます。いつも僕を茶化すんですから。


「さっきのゴブリンの時に見てたけどさ。ジュラさんがその恰好でちゃんと戦闘要員だっていうのは分かったけど、でもそれならそれで、もっとらしい恰好すればいいんじゃないのか? 胴着とかせめてパンツルックとか、もっとこう、動きやすい服にするとか」

 タスクさんがご自分でお持ちになった小さな辞書のようなものを使って解読を進めながら、ポツリと呟きます。僕は姉様を見上げました。

 深いスリットが入ったさらりとした生地の長いスカートと、胸が大きく開いたシフォンのドレスです。姉様によくお似合いなのですけれど、タスクさんは気に入らないのでしょうか?

「本人がこれが動きやすいって言ってんだからいいんじゃないの? ジュラがガッチガチに装備固めてたら変だよ」

「ふわふわしたスカートって、戦ってる時に引っ掛けたり汚したりしませんか、ジュラさん?」

「そうですわね……引っ掛けてしまった事はありませんわ。少しくらい汚れてしまっても、ファニィさんやコートがお洗濯してくれますの。ねぇコート」

「……そういう事じゃなくてですね……」

「あんただって魔法使いみたいにビラビラしたの、くっ付いてるじゃない」

「魔法使いみたい、じゃなくて魔法使いなんだ。能力のない奴じゃ分からないだろうが、結構いい魔法絹の仕立てなんだぞ」

「ぜーんぜん分かんない」

「じゃあ黙ってろ。あー、もういい。俺はこっちに集中する。コート、手帳貸せ。空いたページに解読用の構文書くぞ、いいな?」

 タスクさんはその場へ腰を下ろして、ペンを取り出しました。そして僕の手帳の空いたページにガリガリと何かを書き始めました。文字と文字を矢印で繋いで……その隣に訳したものを書いていらっしゃるようです。

 僕には理解できない構文です。僕もまだまだ勉強不足ですね。


「……祈り……いや、崇め……若き……」

「ねぇ、コート。古代文字の解読って、結構大変なの?」

 ファニィさんが僕に問い掛けてきました。僕も少しなら古代文字を読めますが、専門ではないのであまり詳しくはないです。

「は、はい。今では使われていない文字を、複雑な順序で辿ったりしますから……僕も古代文字の解読はあまり得意ではないです。すみません……お役に立てなくて」

「天才のコートでも難読なものを、タスクが解読できるのかしらね」

 僕が素直に告げると、ファニィさんは両手を広げて肩を竦めます。

 その……僕も疑う訳ではありませんけれど……タスクさん、大丈夫でしょうか? できないとなってしまったら、ファニィさんはすごくお怒りになられると思うのですけれど。

 でも僕の不安は杞憂に終わったようでした。

「……よし。大雑把にだが解読できた。意味は理解できる」

 タスクさんが手帳にキュッと丸をして振り返りました。

「へぇ、意外にやるじゃない。見直したよ」

 ファニィさんは口では茶化すような事を仰いますが、すごい事は素直に賞賛されるかたです。少々口調のキツいところはありますが、ファニィさんは本当はとても他人思いで素敵なかたなんです。

「どうもここはヘルバディオ時代の魔術師の秘密研究室として使われていたようだ。具体的に何を研究していたのかは分からない。当然だよな。玄関に自分の研究内容を記しておくような奴はいない。今の今までこの洞窟やこの部屋が見つからないでいたのは、十中八九、魔術によるものだ」

「魔術が関係して、なんで見つからなかった訳?」

「簡単に言うと、洞窟自体を容易に見つけられないように目晦ましの魔法をかけていたんだ。入口やらに幻を見せて何もないかのように見せかけていたんだな。だから動物的勘のあるゴブリンやらコボルトなんかには魔術は効かず、中に巣食ってやがったんだ。実際には魔法ではなく魔術による封印。ここの魔術師自身が研究を破棄して封印したと考えられる」

 自分の研究していたものを捨ててしまったのですか? 僕はどんな研究でも最後までちゃんと見届けたい性分ですから、途中でやめてしまうなんて後味が悪くて嫌なのですけれど……。

 タスクさんは立ち上がって服に付いた砂を払いました。

「で、どうやって開けるの?」

「それなんだが……開けない方がいいかもしれねぇ」

「は? それじゃ来た意味ないじゃない! この依頼はね、ジーンの研究施設の調査隊が来ても安全かどうかを調べる事にあるの! 開けたくないから中止してね、じゃ駄目なのよ!」

 タスクさんが苛ついたように指先を突き付けながら、ファニィさんに詰め寄ります。

「あのな! 魔術師が自分の研究を封印するって意味は、それが自分の手に余る危険を孕んでいるからって意味になるんだよ! ここを無理に開ける事によって、どんな災厄が降り注ぐか分からない! そんな中をのんきに研究だ調査だなんて言ってられるか!」

「じゃあその災厄ってやつを取っ払ってやればいいじゃないの!」

「そんな簡単に排除できるもんなら、こんな大掛かりな封印なんかするか!」

 タスクさんが地面を踏み鳴らすと、ファニィさんも負けじと地面を踏みにじります。お二人がまた睨み合いの喧嘩を始めてしまいました。

「あたしがどうにかしてやるわよ! だから開け方教えなさい!」

「ただ身軽なだけで、専門知識も何もないお前がどうこうできる問題じゃない!」

「じゃあいい! あんたなんか頼らない! ジュラ、コート! 三人がかりでぶっ壊すわよ!」

「やめろ!」

 ファニィさんはタスクさんの静止を無視して、短剣を扉に突き立てました。姉様もファニィさんに促されて、掌打や蹴りを扉に加えます。ぼ、僕も何かしないとファニィさんに怒られてしまうかも。

「ファニィ! ジュラさん! やめろ! 絶対ここには呪いの類がある! このまま引き返すんだ! コート、お前は下がれ!」

 僕はファニィさんとタスクさんに挟まれ、混乱してしまいました。どうすればいいのか分からなくなって、僕はよろめいてしまいます。まっすぐ立っていられなくなって、僕はトンと扉に背中を付いてしまいました。

 すると今までビクともしなかった扉が、ゆっくりと回り始めました。まるで大きな螺子が回転しながら岩壁にめり込んでいくようです。

 この扉は普通のドアのように開閉するのではなく、特殊な動きで開くようですね。魔法使いのかたが作ったものらしいので、僕ちょっと感心しました。

「しまった……コートの年齢がドンピシャだったか!」

「え? なに?」

 ファニィさんがきょとんとしてタスクさんを見ます。

「封印を解くには若き純潔の者が生贄として必要だって書いてあったんだよ!」

「生贄? なにその時代錯誤」

「時代錯誤って、ヘルバディオ時代はそういう古い時代なんだよ!」

 僕は逃げるように姉様の後ろに隠れました。生贄って……僕がですか? そんなのイヤです! 死んじゃうなんてイヤです、僕!

「コート、体どうもない? 気持ち悪いとか頭痛いとかない?」

「な、ないですけれど……でも僕が生贄なのですか? そ、そんなの困ります……」

 僕が涙ぐむと、タスクさんは訝しげな表情をします。

「でもおかしいな。若き純潔者って、大抵は女子を示すんだが」

「コートは女の子みたいに可愛いじゃない? だからじゃないの?」

「封印を解くのに中身が肝心なんだから、見た目は関係ないだろうが」

 タスクさんが疲れたように首を振ります。

 そうこうしている内に、ゆっくり回っていた扉に隙間が見えました。ついに奥の部屋が開かれたようです。

「あっ、開いた。じゃあさっそく!」

「だからっ! 行くな入るな危険だからやめとけ!」

 タスクさんがファニィさんを掴まえるより一歩早く、ファニィさんは扉の隙間から真っ暗な部屋へ潜り込んでしまいました。

僕が生贄という問題は片付いていませんけど、今のところ何もないようです。もう大丈夫なのでしょうか?


       6


 ファニィを捕まえ損ない、俺の手は虚しく空を切る。俺の手を逃れたファニィは軽い足取りでさっさと封印の扉の奥へと駆け込んでいってしまった。

「ファニィ戻れ!」

 コートが触れただけで開いてしまった扉の謎は不明だが、こんな厳重な封印を施した場所は、俺の経験上ろくなものはない。俺はファニィを連れ戻そうと、彼女を追った。

 真っ暗なガランとした、意外に広い空間が扉の向こうに広がっている。ファニィはそこで立ち尽くしていた。

「おい、ファニィ……」

「何にも見えない。ねぇ、コート。灯り持ってきて」

 コートがランタンを持ってやってくる。続いてジュラさんも。

「ファニィ、聞いてんのか? ここには……」

「中へ入っても何にも起こってないじゃない。あたしもコートもピンピンしてるよ?」

 確かにそうなんだが……。

 俺が歯噛みしていると、ふいに周囲の空気が澱んだ。コートの持ってきたランタンに照らされて、暗闇の奥の方がチカチカ光る。

「何あれ? もしかしてお宝?」

 ファニィが嬉しそうな声をあげて、跳ねるように奥へと駆け出した。

「ちょっ、待っ……!」

 俺が再び引き止めようとしたが、ファニィはそのまま反射する光へと駆け寄る。

 反射……光を反射? 反射するもの……鏡……魔鏡か!

 魔鏡ってのは、呪いの一種によって汚染された鏡で、はっきり言ってかなり性質が悪い。秘められた力は相当なもので、使いこなせれば大いなる研究の成果となるのは間違いないが、不用意に近付けば痛い目に遭うどころの騒ぎじゃない。百害あって一利なし。この秘密の部屋を作った魔術師がここを破棄した理由はこの魔鏡が手に余るシロモノであったがためという可能性は高い。いや、研究破棄の理由としては充分。ほぼ間違いないだろう。

 俺は嫌な予感が振り払えず、急いでファニィを追った。

「おいファニィ」

「んー?」

 ファニィが俺の声に反応して振り返った刹那、澱んでいた室内の空気が一気に一ヵ所に集約したように感じられた。

 まずい!

 俺は帯から魔法の杖を引き抜きながら、魔鏡へ向かって駆け出した。だが俺がそこへ辿り着くより、先陣を切ったファニィが魔鏡へ手を出す方が早かった。


 パシュッ!


「……え……」

 魔鏡から、俺の放つ暗黒魔術の光のようなものが放たれ、目にも止まらぬ速さでファニィの胸を刺し貫いた。

「ファニィ!」

 赤黒い液体をぶちまけながらその場へと倒れるファニィ。あのジュラさんさえ驚愕したような表情で倒れるファニィを見つめ、コートなど目を真ん丸にして立ち竦んでいる。

 魔鏡が第二波の予兆のように、チカチカと俺の背後のランタンの光を反射する。だが俺の方が早い!

「砕けろ!」

 俺は暗黒魔術を解き放ちながら、杖の柄の方を魔鏡に叩きつけた。

 砕け散った魔鏡から、暗黒魔術特融の禍々しい魔力の余波が周辺へと飛散する。だが魔術師である俺にはそんなものは効かない。

 俺は再び暗黒魔術の力を解き放ち、周囲に流れた魔鏡の魔力を吸い上げた。できるかできないかなんて問題ない。やるしかないんだ! 魔術師である俺にしかできないから!

 再び魔鏡に魔力を封印するなんて真似は俺にはできないが、ファニィたちにこれ以上、暗黒魔術の被害が及ばないようにその混沌とした魔力を俺の中に吸収する事はできる。そうする事で俺自身がどうなってしまうか分からないが、魔術師でもなんでもないファニィたちに被害が及ぶよりよほどマシなはずだ。自ら毒を食らうなら皿まで食ってやる!

「俺の中に来い!」

 腹の底でどす黒い何かが疼く感覚が気持ち悪い。だがすぐにその感覚は消え、魔鏡の余波も消えた。

 小さな祭壇のようなところに立てかけられていた魔鏡は粉々に砕け、そして周囲の澱んだ空気が徐々に澄んでいった。


 終わった、か?

 幸いにも俺がどうにかなるという事態も避けられたようだ。正解ではないだろうが、俺の判断は間違っちゃいなかったって事だ。

 俺は少し足をもつれさせながら、倒れているファニィの元へと歩み寄った。

「ファニィ?」

 刺し貫かれた胸から、もう血は流れていない。彼女の両サイドには、ジュラさんとコートがいた。

「ファニィは?」

 いつも生意気な事を喋る口は薄く開き、瞼は閉じられている。息を、してない?

「ちょ……マジかよ……」

 あの女がこんな簡単にくたばるものなのか? 華奢な肩を偉そうにいからせて、両手を腰に当てて踏ん反り返ってたあの女が?

「間に合わなかった……俺が、俺がもっとしっかり止めてたら……っ!」

「タスクさん。何を悲しんでらっしゃるの?」

 ジュラさんがのんびりと俺に問い掛けてくる。こんな時にまで、まだとぼけてるのか、この人は!

 俺は苛立ち、ファニィを抱き起そうと手を伸ばした。

「……っくは……」

 ファニィが小さく息を吐いた。

 え? だって胸をモロに刺し貫かれて……なんで息して……?

「……っつつ……痛ぁーい!」

「ファニィさん、大体五分ほどでした」

 コートが手を広げて可愛らしく、だがあまりに場違いな事を言う。姉弟でとぼけてるのか、ジュラさんとコートは? それともこの状況が飲み込めてないのか?

「そんなに? あー、やっぱ心臓やられると、復活遅いねー」

「ちょっ……ちょっと待て! 待て待て待て! お前っ……なんで生きてんだよ! 心臓やられるとかその大量出血とか復活遅いとかどういう意味だ!」

 俺は目の前の状況が飲み込めず、思わず矢継ぎ早に質問を繰り出した。ジュラさんとコートがとぼけているんじゃなく、俺だけがこの状況の、何から何まで一切合切理解していなかったらしい。ジュラさんもコートもとぼけているのではなく、もうすっかり慣れた光景を見ていたので無反応だったんだな。


 ファニィは穴の開いた胸元を押さえて、ピョンと立ち上がる。

「よし、復活完了。いやー、いきなり心臓ド真ん中を串刺しとかって、さすがに今回は死んだかもって思っちゃったわ」

 けろっとした表情で、しれっと笑いながら言うファニィ。マジで何事もなかったかのようにピンピンしてやがる……。

 俺は自分の常識が完璧に覆され、唸りながら頭を掻き毟った。

「だーっ! ファニィ答えろ! お前なんで死んでないんだよ! 即死レベルの攻撃モロに食らってやがったくせに!」

「うるさいわね! あたしは死なない体質なの!」

「体質とかそんな訳あるかーッ!」

 俺は腹の底から叫んでいた。


「あ、あの……僕も初めて見た時はびっくりしましたから……」

「びっくりとかいうレベルじゃねぇだろうがコレ! 死んでたんだぞ!? 蘇ったんだぞ!? 串刺しだったんだぞ!?」

「ひっ……」

 コートの言葉に俺がすかさず突っ込むと、コートは両手で頭を抱えてぐずり出した。またすぐ泣く、こいつはーッ!

「まぁ! コートをいじめるなんて、タスクさんは酷い人ですわ!」

「小さい子いじめて信じらんない! コートいじめたら、あたしだって許さないから!」

「信じられないのは俺の方だ! あの魔術の直撃食らって死なないお前が信じられねぇ!」

 ファニィは確かに魔鏡の暗黒の刃に貫かれたはずだ。事実胸元は大量の出血で汚れてるし、服に穴だって空いている。俺の見間違いのはずはない。なのに何なんだ、ファニィもジュラさんもコートも、この妙に落ち着き払ってすっかり慣れてますって顔は!

 誰でもいいから俺に分かるように説明しろーッ!


「あー、もー。めんどくさいわねー」

 ファニィがポリポリと頭を掻く。

「あたしの実父がヴァンパイアハーフ、いわゆるダンピールってヤツなの。で、実母はマーメイドハーフなの。だからあたしも体は頑丈だし怪我してもすぐ治るし即死攻撃食らっても簡単に復活できちゃうから、そうそうあっさり死んだりしないのよ。ほら、簡単に言うと魔物ハーフの子だからクウォーターっていうか、でもハーフとハーフだから百パーセントっていうか。そんな感じ?」

「は? 魔物との混血? お前、何の冗談だ?」

「冗談なんかじゃないわよ。ハーフ同士の子だから、まぁそこそこに魔物の血は濃いだけよ」

 ダンピールとマーメイドのハーフだって? 魔物と人間との混血自体が希少で稀なのに、さらにその異種混血同士の混血児が存在するなんて、俺の今までの常識を軽く覆す。有り得ないだろう。

 だが間近でよくよく見れば、ファニィの赤い瞳の虹彩は魔物のように長い。そしてニィッと笑う八重歯も少し長く、牙として認識できない事もない。ラシナの民の長い耳とは少し違う尖った耳とか……魔物との混血なのだと言われれば『該当するんじゃないか?』と思えなくもないパーツがファニィにはゴロゴロくっ付いてやがる。

 ホントーに言われなきゃ分からないレベルだが。


「分かった? だからあたしはほぼ不死身なの。でも怪我はするし血も出るよ。この傷だってそりゃもう死にそうなくらい痛かったわよ。コートの計測で実際五分くらい死んでたみたいだし。でもマーメイドの治癒力の高さを持った血のせいか、極端に治りが早いだけ。だから復活したの」

 と、すでに完全に傷口の塞がった胸をポンと叩く。

こいつが口にする『死ぬ』って単語の意味ほど、羽根より軽く感じられる言葉は他にない。と、思う。

死ぬってどういう意味だっけ? 俺、馬鹿になったみたいでもう何も考えられない。こいつには、俺の今まで培ってきた常識が一切全く通用しないんだから当然だ。駄目だ、我慢できない。

 俺は……俺は再び腹の底から魂の叫びを張り上げていた。

「また俺を騙しやがったな、この腐れデタラメ人間がーッ!」

 心底心配同情悔恨、とにかくグチャグチャになってしまった俺の親切心から出た優しさを返せ!


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