魔術師の帰還
魔術師の帰還
1
「相手の呼吸を読むってのがあるだろ? あれと同じように、自分の体内に魔力の流れを感じるんだ。一度出来たんだから同じ事を、もういっぺんやりゃいいんだよ。簡単じゃねぇか」
俺は膝の上に頬杖を付いたまま言う。だがコートは今にも泣き出しそうな顔になり、両手をぶんぶん振って「えい」だの「やー」だの、不思議な踊りを踊っている。本人は至って本気で真面目なのが、傍で見ている俺としてはまた何というか……痛々しく涙を誘う。
あまりの痛々しさに思わず顔を背けると、鍋の前で神妙な面持ちで座るファニィの姿が見えた。
「おいこらファニィ! それ塩入れ過ぎ! そんな塩っ辛いスープがあるかよ!」
俺が素早く指摘すると、ファニィはふくれっ面で塩の袋を握り締める。こいつの場合は放っておいたら、海水より塩辛いスープを大量生産してしまう。オママゴトじゃねぇんだよ!
「ジュラさん。薪を適当な大きさに折ってくださいとは言いましたけど、そんな小さくしてどうすんですか」
ジュラさんは指ほどの大きさに砕いた大量の木片を両手に持って、不思議そうに小首を傾げている。俺、最初に「薪を作ってください」っつったよな? 爪楊枝みたいに小さく細く砕いて何する気ですか、この人は。
「あー……ったく、お前らは俺がいないと何にもできねぇのかよ!」
俺が組合に来るまで、こいつらはどうやって生活してたんだ? 仕事で野営する事だって一度や二度じゃなかっただろうが。
「うるさいわね! いちいち細かい事を小姑みたいにグチャグチャ言……」
「言われたくなかったら真面目にやれ!」
俺は膝を叩いてファニィを黙らせた。できる事ならとっくに俺が全部やってるぜ!
ジーンへのタイガーパールの輸送兼、俺の護衛としてくっ付いてきたいつもの面子。その道中、今日は一旦野営してって事になったんだが、こいつら一人として普通の事が普通にできていない。
利き腕を折って固定しているために料理もたき火の準備もできない俺は、ファニィに飯の味付けをさせながら、ジュラさんに薪を作ってもらう。だがファニィは何でもかんでも大雑把に鍋にブチ込み過ぎな上、味付けは塩を袋ごと流し込む勢い。そしてジュラさんはちょうどいい塩梅ってのを理解してないので、薪用にと言った木の枝を木端微塵に砕いてしまっている。
魔法の力も魔術の力も封印されて、魔法に関する事が何もできなくなった俺だが、知識だけは残っているのでコートに純白魔術のおさらいさせてるんだが、一度一人で魔術を成功させているはずなのに、こいつはわざとかそうでないのか、生来の不器用さを前面に押し出して、出鱈目な魔力循環を繰り返して魔術を不発させている。生と癒しの純白魔術だからまだ失敗しても平気だが、死と破壊の暗黒魔術だったら失敗した術が跳ね返って大惨事になってるところだ。
「だ、だって……構成紋章が崩れちゃうんですぅ……」
「泣くな鬱陶しい! 俺はもう魔力を感じ取れないし、構成紋章も見えない描けないんだっつーの! 自力でできなきゃやめちまえ!」
「ふぇ……」
コートの目にじわっと涙が浮かぶ。
「まぁタスクさん! コートをいじめるなんて許せませんわ! メッですわよ!」
「コートの心配する前に、薪の準備はできてるんですかっ? 火が起こせなきゃ飯も食えませんよ!」
「それは困りますわね。頑張りますわ」
ジュラさんはすごすごと引き下がり、新しい木の枝をまた〝木端微塵〟にしていた。
はぁ……真面目にやってくれよ。頼むぜ、みんな……。
俺は深い溜め息を吐きながら、やれやれと首を振った。そして何気なく、頬を押さえる。
俺の右頬。魔神の呪いによって生まれた時からあった炎の形の痣。魔神を一時的に封じるための、両親によって彫られた円環の刺青。それはどちらも消えていた。コートに……封じてもらったから。
顔にあった刺青だから、自分では鏡でも見ない限り見えないし、触れたところで感触がある訳でもない。だが何となく……喪失感のようなものを感じていた。おそらくその喪失感は、今まで体内に宿していた魔法なり魔術なりの〝魔力〟が消えてしまった事にも起因するのだと考えられる。
ひっそりと、炎の魔法の構成紋章を頭の中に描き出す。だがそれが完成する間際、弾けるようにして消えた。一瞬で頭の中が真っ白になってしまうんだ。何を描きたかったのか、全てを忘れてしまったかのように。
「やっぱ……駄目か……」
コートは本当に天才だと思うぜ。これだけ完璧に俺の魔力を一切合切封じてしまったんだから。
だが理解力や応用力はあるのに、臆病さと不器用さがそれを邪魔する。だから天才なのに、他人より抜きん出る事がないんだ。
コートはあの時、本気で俺を助けようとしてくれた。だからこそ、たった一人で俺の全てを封じる事ができたんだと思う。ジーン一の賢者である姉貴や、魔法に長けた両親ですら、複数人で行わなければ成功しないという、魔神と、そして全魔力の封印を、この魔法使いでもなんでもない小さい坊主はたった一人でやり遂げたんだ。これを天才と言わずして、何を天才とするんだ?
そりゃあ……俺は本当に魔法使いになりたかったし、努力も勉強も人一倍やってきたという自負がある。それ故に、ほんの一瞬で全てを失ってしまった喪失感や絶望を、嘆きたいし、誰かに八つ当たりたい、と思わない事もない。だが嘆いた所で魔力が戻ってくる訳ではないし、コートに責任を押し付けてしまう事は、俺が許せない。許さない。
「んー……こんなもん?」
ファニィがごった煮鍋を味見して首を傾げている。
「おい。不安だから俺も味見」
「うん、どうぞ」
ファニィが差し出した玉杓子の煮汁を口に入れ、勢いよく俺は吐き出した。
「うわっ、汚なっ!」
「この馬鹿! クソアマッ! なんで唐辛子入れんだよッ! 辛くてこれじゃ誰も食えねぇだろうが!」
「隠し味よ!」
「どこが隠しだッ? 隠すどころか、火を噴きそうな痺れるような辛さが先頭ブッチギリで突っ走ってるわーッ!」
辛い熱いを通り越して、舌がヒリヒリ痺れて痛む。こいつは今まで俺の料理をどういう舌で味わってやがったんだ? 味覚オンチにも限度ってもんがあるだろうが!
2
他国の文化をあまり受け入れない、そして自国の文化もあまり国外へ流通させない。そんな閉鎖的な環境の、女王が治める国ジーン。
そんなジーンの領土に入り、タスクの口数は極端に減っていた。暑さで参ってる……訳じゃないよね。参ってるのはジュラとコートだし。
そういえばこいつ、魔法使いになるまでジーンには戻らない、なんて大口叩いて家出してきてるんだもんね。そりゃあ帰りづらいわ。
女王の神殿があるという町。つまりタスクの実家がある町の入口にあたしたちは到着し、そして若い警備兵に止められた。
「これより女王の統括区になります。外部の方はお約束のある方以外、ご遠慮いただいております」
あたしたちを見下してる訳じゃないと思うけど、とにかく「よそ者はあっち行け」って言ってる訳よね? 言葉は丁寧だけど、なんかちょっと態度が横柄。
「あたしたちは、ミサオ・カキネさんに用事があります。連絡を取ってもらえればすぐ分かるわ」
「賢者様に? 冗談を」
警備兵の目付きが、明らかにあたしたちを見下したものへと変化した。賢者様の知り合いっていうのを嘘だとでも思ってるのかしら? きっとそうよね。
でもミサオさんからの依頼は、あくまで秘密裏にしなきゃいけない事。まさか盗まれたタイガーパールを取り戻してきましたなんて言えないし。どうやって説明しようかしら?
「あのね。とにかく連絡してみてよ。あたしはオウカのファニィ・ラドラム。ミサオさんとはオウカで直接会った事が……」
「ファニィ、ここは任せてくれ」
あたしたちの一番後ろで息を潜めてたタスクが、あたしを制するように前に出てきた。警備兵がタスクを見る。
「俺はタスク・カキネ。賢者ミサオ・カキネの弟です」
警備兵の表情が訝しげなものに変わる。
「……〝カキネ家の魔術師〟……これで意味が分かりますか?」
「あの魔術師の……ッ!」
警備兵の顔色が一瞬にして真っ青になる。ミサオさんとタスクの関係に驚いたというより、魔術師という単語に恐れ慄いてる感じ。
「ど、どうぞお通り下さい!」
「……安心していいですよ。魔術師と会話したくらいでは、あなたに何も影響はないですから。みんな、行こう。こっちだ」
タスクは少し複雑な雰囲気の笑みを浮かべて、警備兵の隣を通り過ぎた。あたしたちは慌ててタスクの後を追う。警備兵はチラチラと横目で何度もこっちを見ていた。
町の中心地まではまだ少しあるのか、家の数はパラパラとまばら。だから日陰になるような所もなくて、あたしはフラフラ歩いてるコートの汗をタオルで拭いてあげる。
「あ……す、すみません」
コートはちょっと意識が朦朧としてるみたい。
「もうすぐだからね。あとちょっと頑張ろ。ジュラもね」
「ええ……」
ジーンの暑さは前にタスクに聞いてたけど、その話以上に辛い。ジュラもいつもなら長い銀髪を背中に流してるだけだけど、今日ばかりはくるっと巻いて頭の上に結い上げている。そして日除けの薄いヴェールを被ってるわ。
「あの小さい丘を越えたらカキネ家の私道に入る。そこからまだ少し歩くが……休める所、は……その……無い、から辛抱してくれるか」
「一応町なんだし、お茶屋さんくらいありそうだけど。あ、やっぱ外国人は遠慮してくださいっていうさっきのアレ?」
国内の人間しか近づけない地区なら、外国人にお茶や休憩場所を提供するお店がなくてもおかしくないわよね。町中だから道端に座り込んで持参の水をって訳にもいかないし。うわ、それならさっき、もっとお水飲んでおけば良かった。
「いや……茶屋くらいは、あるんだが……その……つまり……」
タスクが言い難そうに尻すぼみに言葉を途切れさせる。そして視線を地面に落とした。長い沈黙の後に、タスクは視線を落としたままぽつりと呟いた。
「……俺が、いるから……遠回しに追い出される」
コートがあたしの隣で息を飲むのが分かった。
「なんなの……それ? 意味……分かんない」
そう言いながら、あたしはタスクの言いたい事を理解した。理解せざるを得なかった。
あたしはタスクじゃないのに、魔術師じゃないのに、魔法使いじゃないのに、全身が怒りと悔しさで震えてくる。
タスクが〝魔術師〟だから、お店に入っても追い出されるって事なのよね? タスクは何もしてなくても、ただ〝魔術師である〟ってだけで、みんなに嫌煙されて、怪訝な顔されて、突き放される訳よね?
あたしはこの時になってようやく、タスクが〝魔法使いになる〟という事にやたら執着している意味を悟った。
生まれつきの、こんな本人の意思でどうにもならない理由で、誰からも避けられて、疎まれて、突き放される、多数対一人の、卑劣ないじめのような迫害を、タスクはずっと受けてきてたの? だから魔法使いになって、自分を認めてもらおうと躍起になっていたの?
「……あ、ああ……そうか。全員で固まってる必要はないんだよな。お前らだけで店に入って休憩すればいいさ。俺はどこか見えない場所で待ってるから」
タスクが無理やり笑顔を作って片手をヒラヒラ振って見せる。その笑顔は凄く無理してるのがはっきり分かる。あたしたちに余計な気を使わせまいとしてるんだと思うけど、でもそれが全て逆効果になってる。そんな顔見せられたら、あたしたち……どうすればいいのか分かんないじゃない。何て答えたらいいのか分かんないじゃない。
あたしは拳を握り締めて、黙って自分の中にある怒りと悔しさを堪える事しかできなかった。
「……あ……えと……えと、あのっ……あの! ぼ、僕まだ元気です。ね、姉様も平気ですよね? 早くミサオお師匠様の……あ、違う。タスクさんのお家に行きましょう。僕、久しぶりにミサオお師匠様とお話ししたいです」
コートがジュラとあたしの手を取り、にこっと可愛らしい笑みを浮かべる。コートもタスクの事、気付いたんだ。だからこんな明るく笑って見せて。
「あ、ああ。じゃあ、こっちな。こっちの道なら少し遠回りになるが、日陰もあるから」
タスクが包帯を巻いた腕を庇いながら、表の道から外れた細い道を指差す。
「なぁんだ。日陰があるならもっと早く言ってくれればいいのに」
あたしは軽口を叩きながらタスクの顔を見ないようにして、さっさとタスクの指差す細い道に入る。駄目……タスクの顔、見られない。見たらあたし、自分の感情、抑えられなくなっちゃう。
「ほーら。ジュラ、コート。早く行こう。タスクもさっさと道案内しなさいよね」
早口に言い、あたしはコートの手を握る。コートも必死に泣くまいと我慢してるような表情だった。
「……わたくし、まだまだへっちゃらさんですのよ」
いつもマイペースなジュラまでもが、十中八九、自分の本当に言いたい事と真逆の言葉を口にしていた。
「……ごめん、な……みんな……」
あたしの横を通り過ぎながら、タスクは小声で呟いた。あたしたちに聞こえないように言ったつもりなんだろうけど、あいにくとあたしの聴力は魔物並、そしてジュラとコートは耳のいいラシナの民だから、ばっちり聞こえてちゃったのよね。
いいわ。タスクがそういうつもりなら、あたしたちは極力今まで通りに振る舞うまでよ。タスクだってそうしてほしいんでしょ?
横道とは言え、昼間だもの。人通りがゼロって訳じゃない。あたしたちは〝ジーンでは珍しい外国人〟っていう異質な者として、道行く人から注目を浴びていた。タスクは自分の顔が見えないようにしたいのか、日除けの布を深く被って俯いて歩いている。
「もっと外交に盛んっていうか、他の国に対して友好的になれば、こういうイヤーな視線ってなくなると思わない?」
「ジーンは確かに閉鎖的な国ではありますけれど、で、でも中立国として……成り立っています。ま、魔法……という特殊な文化も……構成を理解すれば誰でも簡単に悪用できることを考えれば、あまり派手に流通させて国家資産として運用する訳にもいきません、から……こういった閉鎖的な手段をとるといった状況も仕方ないのでは……ないでしょうか?」
コートと政治的な話題で話をしながら、でもさすがにコートの知識にあたしが勝てる訳もなく、あたしはすっかりコートに言い負かされてしまった。ちょっと悔しい……。
「ねぇファニィさん」
ジュラが指先を唇に当てて首を傾げながら問い掛けてくる。
「なに? ジュラもあたしたちの会話に加わりたいの?」
「わたくし難しいお話は苦手ですわ」
「なら何か用?」
ジュラがにこりと微笑む。
「ジーンには一体どんな名物のお料理がありますの? わたくし今夜の夕食が待ち遠しくていますの」
「また食べる事ぉ?」
あたしは苦笑して肩を竦める。
「コート。ジーン特産の食材は?」
「え、ええと……」
コートが頭の中の引き出しを引っ張り出すより早く、タスクが口を開いた。
「ジーンは山岳方面で良質な米や麦が収穫されるから、前に出したようなライス系のものと麺類だな。あと海も近いから魚介類も。多分今夜は、親父が作ってくれると思うぜ」
そこはお母さんって答える所なんじゃないかしらね? タスクの家って、男が厨房に立つ家なの?
あたしはおかしくなってくすっと笑った。
「それはそれで楽しみね」
「ああ。親父の料理は俺なんかより……っと……」
振り返りながら話していたタスクは、対向からやってきた人にぶつかった。その反動で頭から日除けの布が落ちる。
「すみません。よそ見していて……」
「カキネ家の魔術師!」
ぶつかった人が、タスクを指差して声を張り上げた。途端に周囲の人が、クモの子を散らすようにさっと身を引き、遠目にあたしたちの様子を伺うようになる。そしてタスクがぶつかって声をあげた人は、魔物にでも出くわしたかのように悲鳴をあげて逃げ出した。
「……。」
タスクの表情に陰りが落ちる。黙って落ちた布を拾い、そして顔を隠すように被り直す。そのままただ、じっと立ち竦んでいた。
またなの? またさっきと同じなの? せっかくタスクの気持ちも実家に近付いて穏やかになってきてたのに、また同じ事を言われて、同じ事をされて、同じように避けられるの?
「魔術師が戻ってきよった……」
「禍が……」
「名家の恥晒しが……」
「忌まわしい……」
聞こえるようにわざとなのか、あたしたちを取り囲んでいる人々が、タスクをチラチラ見ながら陰口を叩く。あたしの中に収まっていた怒りの炎が、またメラメラと燃え上がった。
本人が抗えない欠点を直接言うのも卑怯だけど、聞こえるように陰口を叩くのはもっと卑怯だわ! タスクは自分の生い立ちを負い目と感じてるから何も言い返せないのを知ってて、こんな卑怯で卑劣な事をして……ッ!
奥歯をギリッと噛み締めたあたしは、思い切り大地を踏み締めて叫んだ。
「今、他人の陰に隠れていやらしい陰口言った奴! 出て来なさい! タスクは何もしてないじゃない! ただ道を歩いてただけじゃない! なのになんでそんな事言われなきゃ……」
「ファニィ! いい、黙れ!」
タスクがあたしの腕を引っ張って震えた声で叫ぶ。
「……いいから……黙ってくれ。姉貴や親父やお袋たちの名を……これ以上穢したくないんだ。頼むから……何も言わないでくれ」
掴まれたあたしの腕に、震えが伝わってくる。
「……タスクだって言い返せばいいじゃない。こんな事されて、なんであんた黙ってるのよ? あたし、我慢できないよ」
「お前だって一人で耐えてるだろ。俺も同じだよ」
タスクはあたしの腕を離した。
あ……。
そう、か……そうなんだ。あたしと同じなのね。あたしも魔物との混血だと蔑まれ……じっと一人で耐えてた。誰にも理解してもらえないからって、ただ耐えるしかなかった。
同じ……なんだね……。
タスクに諭され、あたしの怒りがすぅっと急速に収まった。でも代わりにこの上なく悔しくて、やり切れない気持ちがあたしの胸を押し潰しそうになる。
「……っう……ぐすっ……」
コートがジュラにしがみ付き、しゃくり上げ始めた。辛いよね。こんなの、辛過ぎるよね。
「行こう……」
あたしが三人を促すと、タスクは俯いたまま歩き出した。するとまるで人垣が割れるように道が作られる。タスクを……避けてるんだ。
それからタスクの実家に着くまで、誰も口を開こうとしなかった。
3
五年ぶりに見る実家は、何も変わっていなかった。大きな門と、三階建ての屋敷。二階の一番左に見える窓が俺の部屋で隣が……いや。今は感慨にふけってる状況じゃないな。
俺は小さく深呼吸し、門を護る番兵に歩み寄る。ああ、この人もまだウチに仕えてくれてたんだ。
俺のガキの頃から番兵をしてくれてる、親父の弟子だ。
「……お久し振りです。イムラさん。タスクです。今、戻りました」
「坊? お、おお! ご無事で!」
イムラさんは俺の肩を懐かしそうに叩き、何度も両手を合わせる。
「親父たちはいますか? あと姉貴は女王の神殿ですか?」
「キミチカ師匠とレナ様、ミサオ様もご在宅ですわ。坊が帰った言うたら、大喜びしますで」
ジーンの独特の方言とアクセント。俺が家出してから長く聞かなかった話し方で、イムラさんは答える。
「そうか。ありがとう。あと後ろは俺の連れだから」
「どうぞどうぞ。みなさん、ようこそジーンへ。歓迎します」
俺はファニィたちを連れて家に入り、とりあえず客間へ三人を案内した。それから厨房に行き、家の給仕や掃除なんかをを手伝ってくれてる使用人たちへ、俺が帰った事を連絡する。出て行く前と変わらず誰も辞めてなかったし、昔からの顔触れだったからすぐに話が通じて良かった。
「じゃあ客間で待ってるから、親父たちを頼むよ」
利き手じゃないとはいえ、人数分のお茶を乗せたトレイくらいは持てる。俺はお茶を四つ用意して、ファニィたちの待つ客間に戻った。
「門の所にいたおじさん。いい感じの人だったわね」
女王の統括区に入ってから、ファニィたちにも精神的に辛い思いさせてたからな。イムラさんみたいな友好的な反応はホッとしただろう。
「あの人は親父の弟子で、俺がガキの頃からウチに仕えてくれてるんだ。使用人の人たちも全然変わってなかった」
「そうなんだ。あ、お茶さっそくもらっていい? 喉乾いちゃってさ」
「ああ、そっか。お替わりも用意してくりゃ良かったな」
冷えたお茶だから、ジーンの暑さに参ってたファニィたちにはさぞかし美味く感じるだろう。お替わりのポットも持ってくれば良かったぜ。
「ん、いいよいいよ」
ファニィが美味そうにお茶を飲む。ジュラさんも嬉しそうにグラスに口を付けていた。
だがコートはグラスを持ったまま、きょろきょろと壁の装飾を見ている。
「どうした、コート?」
「あ……す、すみません、不躾にじろじろと……その……ジーン独特の装飾建築が珍しくて……」
ははっ。こいつはどこ行っても何を見せても、研究材料の宝庫だな。
「じゃあ後でゆっくり見物するといい。案内ならあとで誰かに……」
俺がそこまで言い掛けた時だ。客間のドアが無遠慮に勢いよく開き、二つの人影が俺に突進してきた。
「痛ぇーっ!」
骨折した腕を見事にホールドされ、俺は悲鳴をあげる。
「タスク無事やったんか! 心配しとったんやで! どこほっつき歩いとってん? トーチャンに顔見せてみ!」
「タスク元気にしとったか? 生水飲んでおなか壊してへんやろね? 食べるもんちゃんと食べとったか? オカーチャン心配で心配で夜も寝られへんかってんで! 痩せたやろ!」
はぁ……やっぱきたよ、親父たちの怒涛の「心配してたんだぞ」責め……。
ある程度予想してたとはいえ、この早口での矢継ぎ早の質問責めは以前より凄まじくなってないか? これを予想してたから、ファニィたちをあまりウチへ連れてきたくなかったんだが……もう遅いな。
「え、えーと……」
さすがのファニィも、親父とお袋の異常過保護を目の当たりにして、言葉を失っている。何というか……ジュラさんのブラコンと、コートのシスコンとは、また違った意味の過保護にされてんだよな、俺……。
「親父もお袋も! 客人の前なんだから、恥ずかしい真似やめろよ!」
俺が両親に怒鳴り付けると、親父とお袋は俺を離さず、物珍しげにファニィたちを見る。
「ありゃー。これまた別嬪さんがいっぱいやね」
「タスクあかんでぇ。ジーンは一夫一妻制。別嬪さんの誰か二人諦めてもらわな」
なっ……なんでそこに思考が直結するんだ、親父!
「そうじゃねぇよっ! つか、いい加減離せ! 腕折れてんだから、俺!」
「あっ、ホンマや! どないしたんや? コケたんか? あんた昔っからそそっかしいトコあるさかい……」
「お前どないすんねん! 腕折っとったら包丁握られへんやろが!」
いや、そこは魔法が使えないとか言うのが、魔法使いの親じゃねぇのかよ。まぁ……本当に使えなくなってるんだけど……。
「コートニス君、元気やったぁ?」
「はい、ミサオお師匠様。ご無沙汰しています」
姉貴はマイペースでコートの傍にしゃがみ込んで、奴の手を握ってニコニコヘラヘラ。
「ジュラフィスさんも相変わらず綺麗でお元気そうで。ファニィちゃんも元気やったぁ?」
姉貴、挨拶はいいからこの親どもをどうにかしてくれ……。
「……タスク……お前……」
親父が急に真顔になって俺の右頬に触れる。お袋も気付いたらしく、先までの過保護馬鹿親っぷりな様子が消えていた。
「オトウチャン……タスクから何も感じひんよ、ウチ」
「ワシもやで。タスク……どういう事や?」
何も感じないとは、魔力を感じないという事だ。
そうだよな。親父たちほどの魔法使いなら、俺の魔力が失われた事なんか、いとも容易く見抜けるはずだ。
「それは……」
俺はチラリとコートを見る。コートはビクッと体を強張らせ、俯いてしまう。それに気付いた姉貴は神妙な顔付きになって、やや動揺した視線を俺に向けた。
「……封じたんか?」
姉貴の言葉に、俺は無言で頷いた。
「封じた? ミサオ、タスク。どういう事や?」
「順番に話するよ。ファニィ、まずそっちの用事から片付けよう」
「へっ? あ、うん」
ファニィは大事に背負っていた鞄を降ろし、中を探った。
「親父もお袋も姉貴も、とりあえず座ろうぜ」
家長席に親父、そしてその両サイドの長椅子に、俺たちは腰を下ろした。
「ミサオさんから、オウカの冒険者組合に依頼いただいた件。無事完了しました事をご報告に上がりました」
ファニィが形式に乗っ取った言葉を紡ぎ出す。
「タイガーパール、見つかったん?」
「はい、ご確認お願いします」
ファニィは厳重に保護した箱を開き、中から布にくるまれたタイガーパールを取り出す。
「間違いあらへん。これやわ!」
「ありがとう、おおきに! 冒険者組合の……ええと」
「あ、すみません。名乗ってませんでしたね。失礼しました。あたしは補佐官のファニィ・ラドラムです。こちらはジュラフィス・グランフォート、こちらはコートニス・グランフォート。ご紹介が遅れました事をお詫びします」
ファニィに倣い、ジュラさんとコートが少し腰を浮かせて頭を下げる。
「ミサオが冒険者組合に捜索依頼出すて言うた時は、どないしょうかホンマ迷いましたわ。けど任せて良かった。もっぺんお礼言わせてください。ありがとうございます。ホンマおおきに」
「ありがとう、お嬢さん方」
親父とお袋が両手を合わせて何度も頭を下げる。タイガーパールが無事に戻って、俺もホッとしたよ。
「おとん、おかん。ウチ、これ宝物庫にしもてくるわ」
「頼むで。それでタスクの話はしててええんか?」
「そやな……」
姉貴はタイガーパールの台座を持ったまま、口元に指を添える。
「ウチ戻るまで待っててくれるか。ウチもちょっと話に噛んどるから」
「わかった。オカアチャン。ファニィさんらのお茶、冷やこいの淹れ直しといで」
お袋は親父に言われた通り、トレイにグラスを集めて客間を出て行った。
「しっかし大きゅうなったなぁ、タスク」
「そりゃあ……成長期の五年、会ってなけりゃな。図体だってでかくなるさ」
俺は少し照れ臭く、頭を掻く。
「魔法もろくに使われへんお前が家出してしもて、ワシらもう二度とお前に会われへんと思てたわ」
「それなりに苦労もしたけど、ま、何とかな」
「絶対どっかで野垂れ死んどる思てたわ。魔物の餌になってると思うて、近場の魔物の巣穴、見に行ったりしてなぁ」
「簡単に息子を殺すなよ!」
この親父は息子が可愛いのか殺したいのかどっちなんだ?
でもまぁ……口じゃこういう事を言うが、俺をずっと〝守って〟きてくれた両親だ。
忌まわしき血の〝魔術師〟を庇っていると、俺の知らない所でもきっと、罵声を浴びせられても石を投げ付けられても、懸命に俺を守って育ててくれていたんだろう。俺の前で馬鹿親みたいな振りをしておちゃらけて見せるのは、そういったものを悟らせないように気を使ってくれてるんだ。昔はそういったものがうざったらしく感じていたものだが、今になって思えば、親が子を守ろうとする無償の愛情だと理解できる。今更、面と向かってありがとうなんて照れ臭いが、何かの形で返せればな、とは思う。
そうこうしている内に、お袋と姉貴が戻ってきた。いよいよ、俺の話、か。
4
ミサオお師匠様が冒険者組合にタイガーパール捜索の依頼にいらした時、組合に所属していたタスクさんと再会されたこと。タスクさんに炎の魔神の呪いについてをお話しされたこと。帰国を強く勧めたけれどタスクさんはオウカに残ると仰ったこと。僕の純白魔術のこと。
ミサオお師匠様はそこまでのお話を、タスクさんのお父様とお母様にお話しされました。
それからタスクさんが引き続きのお話で、ご自身の魔力供給が安定しなくなっていた矢先に事故に遭われたこと。その事故が引き金となって炎の魔神の活動が本格化したこと。そして僕が純白魔術で炎の魔神を、タスクさんの全ての魔力と共に封じてしまったことをお話しされました。
僕は膝の上でぎゅっと手を握り締め、俯きます。思い出したら、鼻の奥がツンとしてきました。
「……ご、ごめん、なさい……僕、が……もっと上手にしてたら……タスクさんの魔力、失わせたり……しなかったのに……ごめんなさい……」
泣くのを一生懸命堪えました。だって泣いても結果は変わりません。
僕の頭を姉様が撫でてくださいました。姉様はたぶんお話の全容を理解しておられないでしょうけれど、でも僕が悲しんでいる時は、いつもこうやって頭を撫でてくださるんです。姉様、優しいです。
「コート、まだ言わせる気か? お前がやらなきゃ俺は死んでたんだ。お前はもう謝らなくていい」
「そうやで、コートニス君。あんたは正しい判断をしてくれた。タスクを助けてくれた。ウチやおとんもおかんも、あんたにお礼言わんと。ありがとうな」
ミサオお師匠様が慰めてくださいますが、でも僕、本当に後悔してるんです。
もっと他に方法があったのではなかったのか。僕がもっとがんばって、魔術について理解して、使いこなす練習をしていれば、タスクさんの何もかもを奪ってしまうことにはならなかったんじゃないか。
タスクさんやミサオお師匠様が、僕が正しかったと仰ってくださればくださるほど、僕は自分を責めてしまうんです。
タスクさんの命は助かりましたけど、でも……結果的には僕がタスクさんの能力も夢も奪ってしまったんです。僕、また大切なかたの大切なものを壊してしまったんです。
「でも驚きやなぁ。そんな傍に、希少な純白魔術師がおったやなんて」
「しかもごっつう魔力も大きいし。タスクの魔力封印は、ウチとオトウチャンとミサオの三人掛かりでせなアカン思てたのに、こんな小っちゃい、めんこい子一人でしてまうんやもんなぁ。凄いわぁ」
「僕は……すごくなんか……」
本当に力を使いこなていたなら、問題のある部分だけを封印できたはずなんです。エイミィさんがファニィさんの魔物化を封じたように。
僕にはそれができなかった。習った通りに呪文を反芻して、必死に魔力を制御して、だけど精霊をきちんと使役できなかったから、全てを壊してしまう結果になったんです。
「コートニスちゃんやったな」
「は、はい」
タスクさんのお父様が僕の隣にいらして、膝をついて僕の手を取りました。
「ホンマに……ありがとうな。タスクに再会できたんも、タスクを助けてくれた君のお陰や。ホンマに心から礼言うで」
「そ、そんな……僕……」
僕が戸惑っていると、お母様も僕の傍に来られて僕のもう片方の手を握られました。
「そんなに自分責めんでええんよ? コートニスちゃんはウチらに最高のプレゼントしてくれたんやもん。言葉にできへんくらい感謝してるのに、コートニスちゃんがそんなに自分責めてしもたら、ウチもオトウチャンも何に感謝したらええのんか分からへんなるやん。人の感謝は素直に受け取るんが、相手に対する一番のお返しなんよ」
お母様の言葉を聞いて、僕は顔を上げます。お母様と、お父様が僕に微笑み掛けてくださいました。
「……あ、の……僕……」
「うん?」
地下工房の入口の前で血を流して倒れていたタスクさんを思い出します。そのタスクさんの周囲に渦巻いていた、黒い魔の力に圧倒されそうになったことを思い出します。僕はあの時、タスクさんを絶対に助けたいと思ったんです。
「……ぼ、僕……一生懸命、でした。タスクさんを助けたくて……助けられるのは僕しかいないって、ミサオお師匠様から伺っていて……僕、必死になって……すごくがんばって……タスクさんも……『封じろ』って仰って……」
「うん」
お父様もお母様も、まとまりのない僕の言葉をじっと聞いてくださっています。
「良かった……んですよね? 僕……間違ってなかったんですよね?」
「そうや。やっと分かってくれたか」
「ホンマにええ子やね」
ずっとくすぶっていた僕の心の闇が、ゆっくり晴れていきました。僕は自然と笑顔になって、嬉しくなって、泣いちゃいました。
「僕、タスクさんを助けられて、本当に良かったです」
お母様が僕をぎゅっと抱き締めてくださいました。姉様やファニィさんとは違う、優しい温かな匂いと感触。これが……本当の母親、というものなんでしょうか?
「今日は嬉しい事ふたつもいっぺんにあったお祝いや。ご馳走作るさかい、皆さん食べてってや!」
「今日だけ言わんと、明日も明後日も泊まっていってくれて構わへんのよ」
「コートニス君。久し振りにいっぱいお話ししよな!」
とても暖かいご家族です。タスクさんは町の皆さんからは辛く当たられていますけれど、でもとても幸せなんですね。
5
五年ぶり、か。
五年ぶりに戻った俺の部屋は、親父かお袋が毎日掃除しててくれたのか、埃一つない、当時のままの状態にされていた。
魔法書の詰まった本棚も、構築式の書き取りをしていた机の上の紙の束も、家出した十五の頃に着ていた服の詰まったクローゼットも、何もかもそのままにしていてくれていた。
「さすがにもうこんな小さくなった服なんか、誰も着ないんだから捨てりゃいいのに」
俺は苦笑しながらクローゼットの中の懐かしい服を眺める。それから机の上の紙の束を広げ、描いた構成紋章と構築式を指先でなぞる。
「構築式だってもう全部覚えてるよ。……もう使えなくなったけどな」
俺にはもう必要ないものだから捨ててしまおうか少し迷ったが、その紙の束を大事に机の引き出しへ入れる。これは俺が、出来損ないとはいえ魔法使いだったという数少ない痕跡だからな。
数回深呼吸すると、懐かしいジーンの、俺の家の匂いがした。俺、帰ってきたんだな。
ゆっくりベッドに体を投げ出すと、クッションが思いの外ヘバっている事に気付いた。そっか、これは姉貴のお古だっけ。さすがに十二、三年も使えばクッションも傷むよな。でも……懐かしい感触だ。
明日、ファニィたちはオウカに帰る。だけど俺はオウカには戻れず、ジーンに残る。もうずっとファニィたちとオウカにいられるものだと思っていた時期もあったから、今ジーンにいる事が少し不思議に思える。
ジーンに残って、俺がやるべき事は……。
魔術も使えなくなったが、俺が〝魔術師〟であったという人々の記憶はまだ鮮明に残っている。だから魔術は使えなくとも、俺は〝カキネ家の魔術師〟なんだ。この事実は、何をどうやったって覆せない。
そして魔法。俺が唯一使えた炎の魔法ももう使えない。俺の持つ全ての魔力が封じられ、俺はただ魔法の知識があるだけの男でしかなくなった。そんな俺が魔法国家であるジーンにいて、何ができるのか……。
魔法の構成紋章のようにも見える天井の細工をぼんやりと眺めながら、俺は片手を頭の後ろへ枕替わりに持っていった。
「どう……すっかな……」
魔法も魔術も使えなくなるなんて考えた事もなかった。だから魔力を失ってしまった今の俺は、これから自分が何をすべきなのか、何を目標とすればいいのか、考えても考えても思い浮かばくなっていたんだ。
ただ一つ漠然と、だけどはっきり分かっているのは、魔力を失ったという事実は、今はさほどショックでも何でもないという事だ。もちろん当初は現実に戸惑ったし、魔力を封じたコートに八つ当たりしたくなった事も認める。だけど今。本当に何もかも失ったんだと、理性も感情も納得してしまった今は、やるべき事が見つけられないだけで、ショックも悔しさも、そんな負の感情は何もないんだ。
探究心や魔法に対する貪欲さが失われ、無気力になってしまった……と言えるかもしれない。
コンコンとドアがノックされる。こんな夜中に誰だ?
足を上げて反動で置き上がり、利き腕が使えない不便さにまた戸惑う。だがその内治るんだからと、無事な方の手で折れた腕を擦りながらドアを開けた。
「あっ……」
「か、関係ないわよ! あたし補佐官だから!」
ファニィが俺が口を開くより早く、いつも寮に押し掛けてきた時の常套句を口にした。
「……って、ここは寮じゃないんだから本当に関係ないか」
ファニィがくすくすと笑う。俺はファニィの額を小突いた。
「組合の寮じゃないが、夜中に男の部屋に一人でのこのこやってくるのは、マトモな神経した女のやる事じゃねぇぞ」
「ああ、それね。それも関係ないよ。だってあたし」
ファニィがニッと笑う。
「あんたの彼女だから」
「そっ……」
はっきり言い切られると、反対にこっちが照れる。確かにヒースとのやりとりで、結果的にそういう関係に落ち着いたんだが、何つうか……うん。ちょっと、まだ、照れる。実感もないし。
俺が頭を掻いていると、ファニィは無遠慮に室内へ入ってきた。きょろきょろと物珍しげに室内を眺めている。見られて困るようなものは無いが……もうちょっと遠慮しろよな。
「へぇー。ここがあんたの部屋なんだ」
「昔のまんまだから、ちょっとガキっぽいモンがあったりするけどな」
クローゼットの奥に押し込んではいるが、昔、姉貴が勝手に置いていった不細工なぬいぐるみとか……。
「で、何の用だ?」
俺はドアを閉めて振り返る。窓際のランプに照らされたファニィの輪郭がオレンジ色に見える。
「用っていうか、確認っていうか……」
ファニィが振り返ると、赤い瞳にランプのオレンジ色が映り込んで、不思議な色合いになる。
「あんたのパパやママ、ミサオさんは凄くいい人だし、あんたを大切に思ってるけど……あんたはこのままジーンにいて幸せなの?」
ファニィは真剣な表情で俺を見つめている。
「昼間にあったような事、あんた日常的にされてたんでしょ? ずっとずっとヤな目で見られて、陰口叩かれて、そういうの嫌で、あんたは家出してきたんじゃないの? そんな町に残って……あんた幸せなの?」
ジーンにいる限り、町に出れば俺は〝カキネ家の魔術師〟としての扱いを、今後も受け続けるだろう。ファニィはそれを心配してくれてるんだよな。自分と同じ〝忌まわしき者〟である俺に、自分の影を重ねているのかもしれない。最初の頃、俺がファニィをそう思ったように。
「幸せかそうじゃないかって聞かれたら、そうじゃない、だろうな」
「だったら! ……だったら……明日……」
ファニィが俯いて黙り込む。だがすぐに、何かを決意するような表情で顔を上げた。その頬は僅かに紅潮していて。
「……だったら明日……一緒にオウカに帰ろう? 組合には戻してあげられないけど、でも……偏見のないオウカには、あんたにできる仕事だってきっとあるよ。オウカなら、あんたは〝魔術師〟って疎まれないで暮らせるよ。だから……! だから一緒に……」
ファニィは早口に捲し立ててくる。
「ファニィ、ありがとう」
俺はファニィの頭に手を乗せた。
「でも俺はジーンに残るよ」
「なんで? どうして? あんたはもう魔法使いに戻れないんだよ! 嫌な事を我慢してまでジーンに残る必要なんてないじゃない!」
ファニィは俺の手を振り払い、俺を突き上げるようにして睨み付けてくる。俺は苦笑して、静かに口を開いた。
「お前の顔見てたら、俺のやるべき事を思い出した」
「やるべき事?」
ファニィが、俺の忘れかけていた答えを思い出させてくれた。迷っていた俺の道しるべになってくれた。
「お前の苦しみや悲しみや辛さを、俺が半分受け持ってやるって約束したよな? 俺がお前を支えてやるって約束したよな? 今の俺にお前を守ってやれる力は何もないけど、だけどそれをジーンで見つけて、俺はまたオウカに戻る。お前を守るために、オウカに戻る。それが俺のやるべき事」
「そんなのいらない! そんなのいらないから、一緒にオウカに戻ってきてよッ!」
ファニィが俺に見せる初めての感情を剥き出しにして叫んだ。そしてがばっと俺にしがみ付いてきた。
「いらない……あたしを守るなんて言わなくいいから、あたしを守ってなんてくれなくていいから、お願いだからあたしを一人にしないで!」
こんなに素直に自分の感情を、気持ちを、想いをぶつけてくるファニィなんて初めて見た。
男としてこれは舞い上がるべきなんだろうけど、でも俺の心は酷く穏やかで静かだった。ファニィが熱くなれば熱くなる程、俺の心は海が凪ぐように緩やかに落ち着いていく。
「なぁファニィ」
俺の肩に顔を埋めたまま、ファニィは返事をしない。
「誰がお前を一人にするって言った?」
「え?」
ファニィが顔を上げる。頬を赤くして、目に涙をいっぱいに溜めて、ファニィの赤い瞳に俺が写っている。
「お前にはジュラさんもコートもヒースもいるだろ」
「……ッ違うよ! ジュラたちはあんたと違うの! タスクとは違うの!」
「違うだろうな」
「分かってんなら……!」
俺は左手の指先でファニィの目元を拭ってやる。
「あのな、よく聞いてくれ」
俺は昔から思慮深いタイプだったと思う。だけどオウカでファニィたちと過ごしている内に、突っ走りがちなファニィやジュラさんを引き止めるという癖がすっかり染み付いてしまった。今もそうだ。自分の感情だけで突っ走ろうとしているファニィを、俺が止めなきゃならない。ファニィのためにも、俺のためにも。
「俺はこの先もジーンで過ごす限り〝魔術師であった〟という過去からは逃れられない。それはお前の血と同じで、どんな事をしても変えられない事実なんだ。だけどそれは辛いけど、不幸な事じゃないと思ってる。蔑まされる立場を、ファニィと同じ視線で見られるようになったからだ。ファニィを理解して、受け入れる事ができたのは、お前と同じ目線に立つ事を知っていたからだと思う」
「何が言いたいの……?」
「分からないか? 俺はファニィが好きだ。ファニィの忌むべき血も、受けてきた仕打ちも、俺は全て受け入れた上で、お前の事が好きだ」
ファニィが顔を赤くして俯く。
「最初は同じ立場だから惹かれているだけだと思ってたけど、でも今はそんな事、どうだっていい。魔物との混血だろうと関係ない。俺はファニィがファニィだから好きなんだ」
オウカにいた時にさんざん姉貴にせっつかれたが、俺は初めて言葉にしてファニィに自分の好意を伝えた。
「俺さ……ジーンにいる限り、また罵られたり避けられたりすると思う。偏見はすぐには無くならないものだから。だけど俺は沈黙を続ける。我慢を続ける。そしてその間に、俺はファニィを守る別の力を模索してみる。ジーン一の賢者や高名な魔法使いがカキネ家にはいるんだ。俺の思いつかないような奇想天外な方法を見つけ出してくれるに違いない。俺はファニィを守るという約束は絶対に破らない。絶対にファニィを守れる力を見つけて、必ずオウカに戻る。だからそれまで、ほんの少しだけ待っててくれないか? お前を迎えに行くまで、俺を信じていてくれないか?」
そうなんだ。俺はファニィの力になると、ファニィが生きる手伝いをすると約束したんだ。その約束を果たせる力をもう一度、俺が生まれ育ったこのジーンで学び直したい。それが俺の……今の目標なんだ。
ファニィは緩く俺の肩を叩いた。
「……ずるい……」
ファニィが俺の服を強く掴む。
「ずるいよ、タスク。タスクはずるい……っく」
ファニィが体を強張らせる。
「……そんな、言い方されたら……あたし、もう我が儘言えないじゃない。タスクの言葉を信じるしか、言えないじゃない。一緒に、来てなんて……もう言えないじゃない。そんな言い方、ずるいよ」
ファニィが小さく肩を震わせる。泣いて……んのか?
「……タスク……は、強い……よね。あたしもタスクみたいになりたい。肩肘張って、見栄張って……強いフリするの、もう、辛いよ……」
「俺は強くなんかないよ。お前の方がよっぽど強い。だけどお前はもう、強がる必要なんてないんだ。だってお前の事は、俺が守ってやるんだから」
「……っく……ひくっ……」
ファニィは堪え切れなくなったのか、泣き声を漏らした。
「泣いてお別れとか、俺そんなのやだぜ。俺、お前の笑ってる顔が見たい」
「無茶……言わないでよ……っく……もう、止まんないもん……涙……ひぐっ」
「……ははっ……しばらく胸貸しててやるけど、鼻水付けんなよ」
「いじわる……」
俺はファニィの肩に手を乗せ、ファニィが泣きやむのを待った。
今夜の月、ちょっと雲に隠れてるな。俺がこの家を黙って出て行った日と同じだ。
「タスク……絶対、だからね。約束だからね」
「ああ。俺は必ずお前を迎えに行く。約束する」
ファニィは涙で濡らした顔を上げ、じっと俺を見つめる。そして少し戸惑いながら、背を伸ばしてきた。
あー、うん。嬉しいんだけど……。
俺は左手でファニィの口を塞ぐ。ファニィはきょとんとどんぐり眼で俺を見て頭を混乱させている。俺が応じると思って仕掛けてきたんだから、そりゃあまぁ相応の反応だよな。
俺は苦笑しながらファニィを少し押し離す。
「ええと……キス、は、今はパスって事で」
「……なっ……なんでよ! ひ、人がその気になってんのに……ッ! ……ふ、雰囲気ブチ壊さないでよ!」
ファニィが真っ赤になって噛み付くかのような勢いで不平を漏らす。
「いや、だからその……約束、果たしたらな。先にもらう訳にはいかないだろ」
「あたしを……迎えにきてからって事?」
「そうそう。そういう事で。あっ。でも今、俺がビビッてる訳じゃねぇからな。勘違いすんなよ」
ブチブチと不平を垂れるファニィに俺は釘を刺す。
うん、俺は間違っちゃいない。
確かに今、そういう雰囲気だったのは認める。だけどキスしちまったら、なんか俺の決心揺らぎそうで。俺だって情けないまんま「やっぱりファニィと別れたくないからオウカに戻ります」なんて言いたかねぇし。ちっとは男らしいトコ、見せたいじゃねぇか。
「ふ、ふんっ……なによ、ヘタレ。もう絶対あたしからあんな事しない!」
「だからビビッたんじゃないって! 俺にも恰好付けさせろよ」
ファニィは目元をぐいと拭って、腰に手を当てる。
「分かるもんですか。あーあ。ヒースと寄り戻そうかな」
「それは俺が許さねぇ」
「悔しかったらさっさと迎えにきなさいよね」
腕組みして顔を背ける。だがその頬が緩んでいるのを俺は見逃さなかった。
ふっ……あははっ! やっぱりこういう憎まれ口の叩き合いってのが、俺たちにはお似合いだよな。




