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Light Fantasia  作者: 天海六花
18/20

終宴の闇

     終焉の闇


       1


 わたくしだって女ですもの。綺麗な物には興味がありますわ。

 綺麗なお花。綺麗な景色。綺麗なお洋服。綺麗な宝石。

 先日取り返してきたタイガーパールという宝石を見せていただいて、わたくし嬉しくなってしまいましたわ。だってとても綺麗な宝石だったんですもの。

 でも台座がちょっとだけ気に入りませんわ。トラさんという動物がその綺麗な宝石、縞模様の真珠を咥えているデザインなんですの。わたくし、このトラさんの獰猛なお顔、あまり好きではありませんわ。ウサギさんやリスさんみたいな可愛らしい小動物が真珠を支える台座にすればよろしかったですのに。そうすればもっと可愛らしくなったと思いますの。

「ああ、間違いなくタイガーパールだな。実物をガキの頃に見た事があるから間違いない」

「実物を知ってる人間の言葉はやっぱ頼りになるわね。一応組合が手配した宝石鑑定士の見立てでも、宝石は間違いなく本物だって事だから、これで依頼の二段階目はクリアね」

 ファニィさんはその宝石をさっと布にくるんでから箱に入れてしまいましたわ。わたくし、もう少し眺めていたかったですのに。

「それでいつジーンに届けるんだ?」

「んー、それはまだ。でも早い方がいいわよね」

 見るものがなくなってしまったので、わたくしは膝に座らせているコートの頭を撫でてあげましたの。コートは少しくすぐったそうにしましたけれど、可愛らしく笑ってわたくしを見上げてきましたわ。

 うふふ。やっぱり綺麗な物を見るのも楽しいですけれど、コートとこうやってスキンシップしている方がずっと楽しいですわ。


「あ。でもあんた、ジーンに帰って平気なの?」

「……え、あ……どう、すっかな……」

 タスクさんは少し困ったように口元を押さえて俯きましたの。

 わたくしの気のせいかもしれないのですけれど、タスクさんは最近少し、表情が暗くなったように思いますの。何か難しい事を考えていらっしゃるのかもしれませんけれど、わたくしが心配する事ではないのかしら?

「……そうだな……やっぱり……俺は外してもらいたい、かな。その……できればしばらく……仕事は全面的に遠慮させてもらいたい」

「どうかしたの?」

「その、ちょっとな。魔法が……いや、魔法の修行、ちょっと集中的にしたいと思って。やっぱりこういうのはちょっと身勝手かな、俺」

 タスクさんの言葉を聞いて、コートがわたくしの膝の上で体を固くしましたわ。あら? コートはタスクさんの考えていらっしゃる事が分かるのですかしら?

 ファニィさんは小首を傾げてタスクさんをじっと見ていますわ。タスクさんは居心地が悪そうに視線を逸らしましたの。

「ミサオさんにも会いたいからあたしたちが届けようかと思ってたんだけど……タスクが気乗りしないんじゃ仕方ないわね。他のチーム当たってみるわ」

 ファニィさんは腰に手を当てて溜め息を吐かれましたわ。

「悪いな、勝手言って」

「随分控えめな物言いね。いつものあんたならもっと噛み付いてくるのに」

 ファニィさんが挑発なさいますの。でもタスクさんは何も言い返しませんでしたわ。

 あらあら。わたくし、ファニィさんとタスクさんのお元気で賑やかな掛け合いが好きでしたのに。今日は随分あっさりですのね。

「ねぇコート。タスクさんのお元気がちょっと足りないと思いませんこと?」

「あ……えと……そ、そうですね。でもタスクさんがご相談してくださらないことを、僕たちが無理に聞き出すなんて失礼です」

 言われてみればコートの言う通りですわ。話したくない事は話さない、話したい時はいつでも話し相手になる。これがわたくしたちでしたもの。

 でも……どこかギクシャクした空気。波長の合わないタスクさんとファニィさん。なにも言ってくれないコート。

 わたくし……こんな雰囲気、嫌ですわ。

「ねぇタスクさん、ファニィさん。皆さんでお茶にしませんこと? わたくし少しおなかが空いてしまいましたの。美味しいお茶とケーキを食べれば、皆さん元気になりますわ」

 名案ですわ。わたくし、今とてもいい事を思い付きましたの。やっぱりお茶の時間は大切ですわよね。

「相変わらず食べる事ばっかだねー、ジュラは」

 ファニィさんが肩を竦めて笑いますの。

「あら、人はおなかが空いていると元気も出ませんわ。お食事とおやつはとても大切なんですのよ」

 わたくしが説明すると、タスクさんが膝に両手を付いて椅子から立ち上がられましたわ。

「よし、じゃあ食堂に集合な。ケーキは焼いてる時間はねぇけど、買い置きのマドレーヌくらいならあったはずだから」

 そう仰って、一人先にお部屋を出て行こうとされましたわ。でもドアの所で立ち止まって、肩越しにわたくしの方を見られましたの。わたくしが首を傾げると、タスクさんは小さく笑って手を挙げましたわ。そして会議室を出て行かれましたの。

 今のはどういう意味だったのでしょう? わたくし、ちゃんと言葉で言っていただかないとよく分かりませんわ。でもコートの事ならわたくし、何でも分かりますのよ。だってコートはわたくしの自慢の弟ですもの。


       2


 いつものごとく、昼飯時になってもファニィと元締めは食堂に現れない。また書類の山作って、それのサインだか確認だかに追われているんだろう。本当にあの人たちは、自分の体調には無頓着な性分だな。

 俺は昼のラッシュが過ぎてから、具だくさんのサンドイッチと豆から絞ったほろ苦いお茶を二人分用意して、それをトレイに載せて執務室へ向かった。

 厨房に立っている時はいろんな事を忘れられる。今日はなるべく、厨房に籠りっきりになろう。

 俺はそんな事を考えながら、執務室のドアをノックした。案の定、返事はない。

「タスク・カキネです。昼食を持ってきました」

 ドアに向かってひと声掛け、俺はドアを開けた。

 すると予想通り、元締めとファニィの二人は、うず高く積まれた書類に埋もれていた。

 前々から思っていたんだが、何をどうしたら、これだけの書類に埋もれるほど仕事を溜めこめるんだ? 普段からこまめに少しずつ片付けておけば、切羽詰まって飯抜きになるほど執務室に缶詰になる事もないだろう。

「元締め様、ファニィ。昼休憩にしてください。何か口に入れないと倒れますよ」

「あ、ああ。君か。いつも悪いね」

 元締めはペンを動かす手を休めず、片手で机の上の書類の一部を押し退ける。バサリと幾つかの束が落ちたが気にしていないようだ。

 俺は元締めが空けてくれた机の隙間にトレイを置く。

「ファニィ、お前もだ」

「今、話し掛けないで」

 ファニィは素っ気なく言い、こめかみを爪で引っ掻きながら必死に書類にペンを走らせている。

「ファニィの苦手な報告書だ。しばらく待っていてやってくれ」

 元締めが笑いながら言う。俺は苦笑して、ファニィのペンが止まるのを待った。

 随分長い文章を書き終え、ファニィはペンを机に転がして突っ伏す。

「ふひー、もう駄目……あたしもうこれ以上文章考えるの嫌」

 弱音を吐くファニィ。俺はふと思い、首を傾げて問い掛ける。

「ヒースも補佐官見習いやってるなら、あいつにやらせればどうだ?」

「あいつにまだこんな重要書類書けるはずないでしょ」

 重要書類と言う割には、顔を突っ伏して扱いが雑なような気もするんだが。

「ならコートは? あいつは書記官だろ」

「……あ」

 俺に言われて初めて思い出したように、ファニィが口をあんぐりあけて俺を見る。完璧にコートの存在を忘れてたな、こいつ。

「そうだ、コートだよ。あの子なら報告書くらいすぐじゃない」

 ファニィが嬉々として明るい声をあげる。

「じゃあさっそく呼びに……」

「待った。その役目は俺」

 俺はファニィの前に昼飯のトレイを突き出す。

「俺が呼びに行ってやるから、お前は昼飯食ってろ」

「そう? ありがと」

 ファニィは素直にトレイを受け取り、椅子にも座らずさっそくサンドイッチに齧り付く。

「座って食え」

「ふぁーい」

 ファニィは口をもごもごと動かしながら、ストンと椅子に座った。

「はは。ファニィもカキネ君の前では随分素直だな」

「餌付けされてるからね」

 ファニィが軽口を叩く。

「あ、タスク。コートは多分地下の工房だから」

「は? 工房?」

 初めて聞いたぞ、そんな部屋。

「あれ? タスクは知らなかったっけ? 中庭の地下にコート専用の工房があるの。何かのからくりを組み立てる時はそこに籠ってるわ」

 コートは冒険者組合でも、過去に前例がない程の超天才児だ。そして補佐官であるファニィにやたら可愛がられていて、元締めもコートを気に入っているのは知っている。だが、ガキ一人に専用の工房を与えるって、しかも組合の敷地内にって、一体この人たちは何を考えてんだ? あのチビを優遇し過ぎだろうが。

 俺は軽い眩暈がして、額に手を置いて首を小さく振った。

「中庭の寮に近いところに小さな小屋があるから、そこが地下への入口。入ってすぐの所に伝声管があるから、そこから声掛けてくれれば返事するはずよ」

 なんか次々知らない事実や単語が出てくるんだが……。

 ま、まぁとにかく、中庭の小屋ってのを探して、伝声管とやらが声を遠くへ伝える物らしいから、そこに話し掛けりゃいいんだな?

「ひゃあおへがひへ」

 ファニィはまたサンドイッチを頬張ったまま言う。口の中のモンを飲み込んでから喋れよ、こいつは……ったく。


 俺は執務室を出て、中庭に向かった。寮の近くというと……ああ、あれか。

 ちょうど女子寮の入口の対になる場所に、木製の掘っ立て小屋のような物があった。その中に入ると、狭いだけで何もない。

「なんだ? 伝声管とかいう奴も地下へ向かうっぽいドアもねぇじゃねぇか」

 掃除道具を入れる小屋か何かと間違えたんだろうか?

 きょろきょろと狭い天井やら壁を見回しながら室内を歩くと、何かに蹴躓いた。それは取っ手のようなもの。

 地下工房……地下……地下へのドアか?

 まさか地面に貼り付いたドアだとは思ってなかったので、俺はちょっと驚きつつも、その取っ手をゆっくり引っ張った。随分軽い扉だ。コートが開けられるくらいの扉なんだから、軽くて当然なのかもしれないが。

「梯子? しかし暗いな……灯りは無いのか?」

 地下へは一本の梯子が伸びており、灯りも何もないので底がまるで見えない。

 その梯子を降りるために灯り替わりの炎の魔法を使おうとしたが、構築式を描き掛け、すぐにやめた。また魔力の供給が上手くいかなかったら、俺が焼け死んじまう。

 梯子から手を離さなければどうにかなるだろう。それにコートがいるなら、工房まで真っ暗という事はないはずだ。

 俺は慎重に梯子を降り始めた。


 真っ暗な中を梯子の手触りだけを頼りに降りつつ、ふと伝声管とやらの事を思い出した。そういやそんなもん……あったか? 見落としたのかも。

 片手を伸ばして暗い中の壁をそろそろと擦ってみたが、それらしきものはない。やっぱりそんなもん無いじゃないか。どうせここまで降りてきたんだ。直接行った方が早い。

 幸いにも、消えかけたランプが壁にあり、暗闇に目が慣れた事もあって、少し先までなら見えるようになっていたからな。俺はランプを指先に引っ掛けて、梯子を伝って降りた。

 しばらくして足が地面に付く。到着かと思ったが、どうやらここから階段になっているらしい。螺旋状の、丈夫な木を壁に打ち込んでいるだけの、かなりヒヤヒヤする階段が地下に伸びている。

 ビビッてても埒があかない。覚悟決めて降りるか。俺は壁に手を付きながら、ゆっくり階段を下りていった。

 不思議なことに、この地下の螺旋階段に篭もる空気は、下へ降りるごとにどんどん温かくなってゆく。もう熱いくらいだ。

 それにしても随分長いな。いや、周囲が暗闇だから俺の時間の感覚が狂ってるだけか。

 木製の階段の軋む音だけが聞こえる。それがいやに耳に付き、奇妙な不安を駆り立てる。底はまだなのかよ?

 少し焦りが出てきた。俺は降りるスピードを速め、どんどん下って行く。

 ところがふいに周囲が明るくなった。

「なっ……」

 思わず声をあげる。どういう仕組みか分からないが、転々と弱く小さな光が地下に向かって灯ったんだ。だが……。

「……ッ!」

 灯りに見惚れていたせいか、ふいに足許の感覚が無くなった。とっさに何かに掴まろうとしたが手は虚しく空を切り、俺の体全体が浮遊感に見舞われる。

 転々と灯った灯りが物凄い勢いで俺の脇を掠めていく。俺……落ちてるのか?

 ようやく状況を飲み込めた時、俺の体は何か……恐らく最深部分の床に叩き付けられた。喉の奥から血の味が込み上げ、吐き出す。意識が朦朧とする中、俺の右頬だけが異様に熱いという感覚だけが残っていた。

 あの時と同じ、痛みにも似た、皮膚が裂けるような、耐えがたい熱さ。だが頬に触れる事さえ、俺の意思ではできなかったんだ。体が……全く動かない。


       3


 遅い。

 あたしはタスクの持ってきてくれたサンドイッチを食べ終え、お豆のお茶も飲み終えていた。

「迷ってんのかな、あいつ……」

「心配なら見てくればどうだ?」

 元締めが優雅にお茶をずずーっと啜っている。そんな悠長な事してる場合じゃないでしょ。夕方提出の書類はまだ半分も終わってないんだから。

「もーっ。世話が焼けるわね! ちょっと行ってくるわ」

 あたしが執務室を出ると、やたら薄着で珍しく髪も後ろで一つに纏め、重たそうなキャリーを引っ張っているコートと出くわした。

「あらコート。あんた工房じゃなかったの?」

「あ、はい。工房は今、空調が壊れていて、修理のための部品を探しに倉庫にいました」

 なるほど。それで薄着なのね。空調が壊れたって事は、工房はかなり熱くなってるって事だし、それに倉庫は埃っぽいから服が汚れるし。

「じゃあ入れ違いか。コートにこっち手伝ってもらおうと思って、タスクを工房にお使いに出しちゃった」

「えっ!」

 コートが両手で口元を覆って青い顔をする。

「どうしたの?」

「い、今、工房はとても危険なんです! あの、あのっ……空調が利かなくなってしまった原因は、地下への螺旋階段の一部が折れて、伝声管に沿って設置していた外気を取り込むダクトを壊してしまったからなんです。だから地下に降りる階段から修理しないと工房へは……」

 さぁっとあたしの顔から血の気が引く。

「ちょ、ちょっとそれって……何も知らないタスクが階段降りたら、折れた階段踏み外して地下まで落っこちちゃうんじゃないの?」

 コートが泣き出しそうな顔になってキャリーを放り出す。

「お、お迎えに行ってきます!」

「待って! あたしも行く!」

 あたしはコートの手を引き、急いで地下工房の入口へと向かった。

 お願いタスク。無事でいて!


       4


 とても緊急な事態です。タスクさんが工房に一人で行かれるなんて、予想していませんでした。

 工房へ続く螺旋階段の途中が壊れていて、僕はそれを修理する予定でした。そして地下の工房の温度を保つための換気用ダクトも修理しないと、工房には窯から熱せられた空気が充満してすごく熱くなってしまうんです。長時間そんな中にいれば、肺が焼けて呼吸できなくなってしまいます。

 それにもし無事に工房まで降りられたとしても、工房には触れると危険なからくりも沢山あります。不用意に触ったら爆発してしまうものだってあります。

 本来なら工房へは、どなたも降りてこられないように二重のロックをかけてあります。ですが今日だけは、階段とダクトの修理のため、僕は予めロックを外してあったんです。最初のドアの伝声管から声をかけてくだされば、僕の不在も分かったかもしれませんが、タスクさんはきっとそれにお気付きにならなかったんだと思います。


「あっつ……」

「工房の窯は火を落としてあるので、これ以上は熱くならないと思いますが、ダクトが壊れているので熱気を排出できないんです」

 ファニィさんが上着を脱いで腰に巻き付けます。チューブトップだけの上半身なので、とても涼しそうではあるのですけれど……でもちょっと露出が多すぎるのではないでしょうか?

 あっ、今はこんなことを考えている余裕はないですよね。

「コート。やっぱさ、この形状の階段って危険じゃない? あんた小さいから段を踏み外したら隙間から落っこちるんじゃないの? 事実タスクも落ちたみたいだし」

「そ、そうですね。でも最初に工房を作っていただいたとき、まだ予算があまりなかったので……」

 石で隙間のない階段を作ることができれば良かったのですけれど、組合の予算を僕の工房のためだけにたくさん使ってしまうことに気が引けたので、この簡易版の木製の階段にしたのですが……こんな事故が起こってしまうなんて。

 タスクさん、途中で階段が壊れていることに気付いて、引き返してきてくださらないでしょうか?

 僕は必死に不安を押し殺しながらファニィさんと階段を降ります。最小限の照明を付けてはいるんですが、それから発する光も少し不安定です。発光する水の循環が上手くいってないのでしょうか?


「……あれ? ねぇコート!」

 ファニィさんが僕の肩を掴んで引き止めますそして地下を指差しました。

「あれ! あの人影! タスクじゃないの?」

 僕は階段の縁から地下を見下ろしました。すると工房の入口、最深部分に倒れている人影が見えました。

「……ッ! タ、タスクさん!」

 声を張り上げて呼びかけましたが、タスクさんは返事をしてくださいません。

「打ち所が悪かったのかも! 急がなき……わっ、ここ階段が!」

「はい、この部分が三段ほど抜けてしまっていて、修理しないと降りられません」

 ファニィさんがギリッと爪を噛んで目を細めます。

「距離的にはあたしなら飛び越えられるかもしれないけど……」

 ファニィさんが見つめる先は、もう一段が外れそうになっている四段目の階段です。

「はい。あの、たぶん……ファニィさんの体重は支えきれないと思います。僕でもどうにかというくらいかと。ファニィさんは僕よりずっと背も高いですし大人ですし……」

「あんたじゃジャンプ力が足りないでしょ。あたしにあんたを投げるってのも無理だし。それに跳び移れたとしても、あんたじゃタスクを抱え上げる事もできないわ」

 ファニィさんが苛々としながら腕を組まれました。そして何か方法がないか考え込みます。

「階段の修理はあんたにしかできない?」

「い、いえ。建築の知識があるかたでしたら簡易的に修理はできると思います」

 ファニィさんはパチンと指を鳴らしました。

「じゃああたしは修理できる人間探してくるわ。で、あんたはジュラ呼んできて向こう側に投げてもらう。先に降りてタスク診ておいて」

「は、はい。じゃあ一旦上に戻って姉様を……」

「あんたはここにいて、ここからタスクを見てて。呼び掛けて返事をするかだけでも生死の確認できるでしょ」

 〝生死〟という言葉を聞いて、僕は目の奥が熱くなりました。いえ! 今は泣いてる暇なんてないんです。

「わ、分かりました。待ってます」

「じゃ、急いで行ってくるわ!」

 ファニィさんが風のように軽やかに階段を駆け上がっていきます。僕はそれを見送って、もう一度階段の縁からタスクさんを見下ろしました。

「タスクさん! 返事してください!」

 やっぱりお返事はありません。光量のないここの照明では、タスクさんの姿をはっきりとは確認できません。ですが頭部から何か血のような物が零れているのが見えます。

 タスクさん……。

 この籠った熱気で意識が朦朧としているだけなのか、落下なさって頭を打たれたのか、どちらかによって対処法は変わります。でもここからでははっきり確認できません。

 僕はごくりと唾を飲み込んで、壊れた階段を見つめました。

 姉様を待つのが一番確実ですけど、でも僕、もう待っていられません。気持ちばかりが急いてしまって、正常な判断ができなくなっています。

 落ちたら僕も怪我を……いえ、死んでしまうかもしれません。でも……でも僕、もうタスクさんを放っておけないです!


 五段ほど階段を昇って、僕はゆっくり深呼吸しました。熱い澱んだ空気が喉を通ります。

 僕、今、自分で決めないと、きっと後悔します。だから……やります!

 恐怖で目を閉じてしまわないように必死に勇気を奮い起こし、僕は強く階段を蹴るように駆け出しました。

 さん、に、いちっ!

 崩れてしまっている最後の段を、思いっ切り蹴り出します。

 ほんの一瞬だったと思います。だけどすごく長く、空中にいたような気がします。

「わっ……と……」

 僕は崩れそうになっている四段目に軽くつま先で着地し、そしてすぐに五段目に重心を移動させました。

 僕が飛び降りた衝撃で、四段目が壁から抜け落ちてしまいました。さっきより開いてしまった空虚の隙間を見て、僕は今になって、全身から汗が吹き出しました。

 まだ心臓がドクドク脈打っています。すごく、すごく怖かったです。でも僕はできたんです。跳び越せたんです。

「はっ……は……」

 胸を押さえて少しだけ呼吸を整えると、僕は唇を噛み締めて立ち上がりました。そして壁を片手でなぞりながらなるべく急いで階段を駆け下り、タスクさんの傍にしゃがみ込みました。

「タスクさん! お返事してください!」

 血を吐いて、肘が不自然な方向へ曲がっています。やはり足を滑らせて落ちてしまったんですね。

「タスクさん、しっかりなさってください!」

 タスクさんの頬を叩いて意識を覚醒させようと手を伸ばしかけ、僕ははっと息を飲みました。

 タスクさんの右の頬にある炎の形の刺青。赤い色をしていたはずのそれは……真っ黒になっていました。そして動かないはずのそれは、ゆらゆらと炎がくすぶるように揺れていたんです。

「……あ……魔術……?」

 今までタスクさんのお怪我の事で意識が逸れていましたが、今、タスクさんの周辺には暗黒魔術を使われる時に放たれる、黒い魔力のようなものを感じます。

 魔術で……防護壁のようなものを作ったんでしょうか? でも暗黒魔術は死を司る魔術。そんな防御的なものは無かったと記憶しているのですが……。

「……ート……か……」

「タスクさん! お気付きになりましたか?」

 目は開きませんが、タスクさんが吐き出した血に濡れた唇で、微かに僕を呼びました。僕は耳をタスクさんの口元に寄せます。

「……封、じ……ろ……」

 封じる?

「魔神……俺の意、識……ある内に……」

 僕ははっとしてタスクさんの右頬の刺青をもう一度見ました。

 僕がミサオお師匠様から純白魔術を習っているのは、タスクさんを蝕む炎の魔神に対抗するためなんです。それができるのは僕しかいなくて、でも僕はまだ魔力の循環や供給を上手くコントロールできなくて……それに構築式を頭の中に描き出すのがすごく下手なんです。

「ぼ、僕できない……です……まだ練習でも、ちゃんとできなくて……」

「できる……コート……なら、できる」

 純白魔術は暗黒魔術と対を成す、生を司る魔術です。ですが魔法よりずっと難しい魔術であることに変わりは無く、失敗すれば想像できないような障害反射を食らってしまうんです。だからこそ、僕はミサオお師匠様やタスクさんに、何度もゆっくり慎重に、魔力の循環と供給を練習させられているんです。

「……タ、スクさん……僕……」

「封じ……がっ!」

 タスクさんが血の塊を吐き出しました。すると周囲に圧倒的な暗黒の力が充満します。むせ返るほどのどす黒い、気持ちの悪くなる魔の力です。

 僕は喉を押さえて蹲りました。

 このままタスクさんを放置すれば、タスクさんは怪我による失血死をしてしまいます。そしてたぶん……魔神に体を乗っ取られます。

 更に僕は、この圧倒的な黒い魔の力に飲まれてしまうかもしれません。

「……や、ります……タスクさん、僕が……助けます……」

 失敗は怖いです。でもこのままタスクさんを失ってしまうのは、もっと嫌です。

 僕はタスクさんの傍へ膝を付き、両手を自分の胸に沿えてゆっくり目を閉じました。

 力を、ください。僕に力を貸してください。ミサオお師匠様。そして……エイミィさん!

「……わ、我は求める。彼の者のあるべき姿。あるべき力。望まざるは偽りのまやかし……」

 必死に瞼の裏に、純白魔術の構成紋章を描き出します。失敗はできない、一発勝負です。この紋章、絶対に崩させません。

「白き力の源よ、我に力を。我にその手を。我の望む真実を。忌むべき力を……退けよ!」

 両手を突き出し、目を開きます。僕の両手の中に、完成された純白魔術の構成紋章と、聖刻が浮かび上がっていました。僕は小さく笑い、紋章をタスクさんに近付けます。

「……タスクさん、戻って……きてください」

 紋章がタスクさんの頬、炎の紋章に吸い込まれます。そして聖刻が光を増しました。周囲に禍々しく渦巻いていた黒き魔の力を、白き魔の力に塗り替えていきました。

 どうか……僕の祈りを、届けてください。


     5


「では、取り決めに従い、登録は抹消、除名処分となる」

「はい」

 俺は素直に頷いた。だがファニィは納得していないようで、補佐官席から勢いよく立ち上がる。

「彼はあたしのチームメイトよ! リーダーであるあたしの承諾もなしに勝手に抜けられるのは困るわ!」

「だが今の彼は何の能力も持たない一人の青年に過ぎない。そのような者を組合に置いておく訳にはいかない」

「それでも!」

「一時の感情に流されるな、補佐官であろう!」

 元締めの一喝で、ファニィが悔しそうに黙り込む。


 俺はコートの工房へ向かう途中、螺旋階段が壊れている事に気付かず、そのまま地下まで落下した。体の半身を強く打ち付け、腕は骨折。頭も打ったが、幸いな事にこっちは骨折も脳挫傷もなく、こめかみを切った程度で済んだ。

 だが……出血による意識混濁によって、俺の中にいるという炎の魔神が、俺の体を乗っ取ろうと本格的に疼きだしたんだ。あのまま誰も来なかったら、コートが純白魔術で魔神を封じなければ、俺は俺としての命が消える事になっていた。

 前触れはあったんだ。魔神の活動が活発化した予兆は。

 タイガーパール奪還作戦の頃から、俺は唯一使える炎の魔法のコントロールができなくなっていた。いくら威力を抑えようとしても、俺の使おうとする以上の炎が噴き出してしまうようになっていた。その時は単純に構成紋章の構築式を間違えただけだと思っていたんだが、実際は違った。魔神の動きが活発化し、炎の力、魔力が俺の術式だけでは制御しきれなくなって、暴発していたんだ。

 その時点で魔神の動きに気付いて純白魔術による魔神封印を行っていれば、別の結果がでていたかもしれない。だがあの生死の境を彷徨う最中になって、ようやく魔神の動きに気付いた俺は、全てがもう遅かったのだと気付いた。だから俺を心配してやってきたコートに〝全て〟を封じるように頼んだんだ。

 俺の持ち得る、全ての力。魔術も、魔法も、魔に通ずる力を全て、封じさせたんだ。

 だから今の俺には……冒険者組合で活躍できるような特技を何一つ持ち合わせていない、ただの男に成り果てた。もうここへ籍を置いてもらえないんだ。

 そして今日、俺は元締めから直々に呼び出しを受け、除名処分を言い渡された。無論、俺もその決断に納得した。納得せざるを得なかった。


「親父、どうにか置いてやる事はできないのか?」

 一時はファニィの事で揉めていたヒースだが、今はいい友人の一人だ。ファニィから身を引いてくれたヒースも、ファニィを思ってか、俺を不憫に感じてか、俺の組合除名を取り消せないか掛け合ってくれている。

「ファニィ、ヒース。いいんだ。組合の決まりは破れないし、俺も決めた事だから」

「待って! 待ちなさいよ! だ、だからえっと……そ、そう! 組合の食堂、前々からみんなに言われてたけど、専属料理人を雇うわ! タスク、やってくれるわよねっ?」

 ファニィが叫ぶ。俺は苦笑し、何重にも包帯の巻かれた腕を、無事な方の指で指した。

「いつ治るかも分からない、折れた腕をぶら下げてんのが見えるだろ。市場で募集を掛けた方が早い」

「図書館に司書を置くのはどうだ! ウチの図書館の蔵書をコートニス一人に任せるのは無理があるだろ!」

 ヒースも必死になって元締めに詰め寄る。

「俺はコートと違って、ジーンとオウカの文字しか読めない。エルト地方の文献が多いあの図書館の蔵書管理は無理だよ」

 俺が肩を竦めると、ヒースがギリギリと歯ぎしりする。

「元締め様。除名処分のついでで申し訳ありませんが、護衛を依頼させていただけませんでしょうか?」

「護衛?」

「はい。俺はジーンに……帰ります」

 もっと早く、決断すべきだったのかもな。

 俺の言葉を聞いて、ファニィが俺に詰め寄って来た。

「何言ってんのよ! あんたジーンには帰りたくないって言ってたじゃないの! 魔法使いになるまで帰らないって……」

「ああ、確かに言ってたな。だけど……もうなれねぇから」

 俺は自由な方の手をファニィの前に翳し、精神を集中させた。頭の中に構成紋章が浮かび上がり、魔力が循環し……そして弾けるように消える。

「な? もう火種を起こす事すらできねぇ。魔力、完全に失われたから」

 ファニィは悔しそうに俯き、肩を震わせている。ヒースも言葉を無くし、力なく椅子に座った。

「護衛の依頼料金ですが、ジーンに戻ってからの成功報酬でお願いします。俺の実家が払ってくれるはずですから」

「いいだろう。出発はいつにするね?」

「早い方がいいですね。明日にでも」

「では手配でき次第、寮の君の部屋に連絡を入れよう。それまでに部屋を片付けていたまえ」

 俺は深く一礼し、ファニィに背を向けた。そのまま執務室のドアまでゆっくり歩く。

「……な、何か! 何か考えるからちょっと待ってよ!」

 ファニィが涙声で叫ぶ。

「……考えるから……残れる理由、考えるから! ……もうちょっとだけ、待ってよ……お願いだから……待って、よ……」

 振り返らずとも、ファニィが泣き崩れるのが分かった。


 なぁファニィ。そう言ってくれるだけでも、俺にはすげー嬉しいんだぜ? 性格が捻くれまくったお前が、そんな真っ直ぐな感情ぶつけてきてくれるなんて、俺とお前が出会った当初じゃ考えられなかったじゃないか。


 俺は振り返らず、そのまま執務室を出た。そのまま寄り道せず、真っ直ぐ寮の自分の部屋まで帰る。

 元々鞄一つでオウカまで旅してきたんだ。持って帰る荷物も少ない。こっちで買い集めた本は、そのまま図書館へ寄贈すりゃいい。

 小さなクローゼットや机から私物を取り出し、俺は鞄に詰め込んでいた。その時だ。

 控えめなノックが聞こえた。

「鍵なら開いてるよ」

 ドアに向かって声を掛けたが、ドアが開く気配も返事もない。俺は首を捻ってドアを開けた。

 廊下には誰もいな……いた。かなり低い、腰辺りに。

「コート。お前どうした?」

 コートはぐすぐすと大泣きしながらその場に立ち竦んでいる。俺はくしゃっとコートの髪を撫でてやる。

「あんまビービー泣くなって何度も言ったろ。お前だって男なんだから」

「ぐすっ……で、も……僕が……悪いんです……」

 顔を上げず、目元を押さえたまま、コートがしゃくり上げている。

「……僕、が……うまくできなかったか、ら……タスクさ、魔力……全部、無くなって……ぐすっ……ひっく……」

 怪我の治療が終わって、意識を取り戻してからも何度も言ったんだがなぁ……まだ言い聞かせなきゃならないか。

「あのな、コート。お前が炎の魔人ごと、俺の魔術の力や魔力を全部封じなかったら、俺はあのまま魔神に体乗っ取られて死んじまってたんだぞ。俺がお前に礼を言う事があっても、お前が謝る必要性は一切ないって、何度も説明してやったろ? お前は失敗してない。大成功したんだよ」

「でもっ……タス、さ……帰る、んで、よ……ね? ぐすっ……さっき……ファニィさん……僕、姉様……さみし……」

 もはや何を言っているのかマトモに聞き取れない。

「泣ーくーな! 泣いてるガキは苦手なんだよ、俺」

 コートはしゃくり上げながら俺を見上げ、そして……完全に理性がプッツリいっちまったのか、大爆発するかのように大声で泣き出した。それが廊下なもんで、隣や向かいの先輩たちが何事かと顔を出す。うわ、ヤベ……。

「おい、タスク! コートニスちゃん泣かして何やってんだよ!」

「誰かジュラフィスさん呼んで来いよ! メッしてもらおうぜ、メッ!」

「そ、それは勘弁……」

 ジュラさんのメッなんかマトモに食らったら、骨折箇所がまた増えちまう。

「ああ、ほらコート。いい加減に……」

「こらー! 何やってんのよ、あんたは!」

「まぁっ! タスクさんたら酷いですわ! コートをいじめましたのねっ?」

 男子寮で聞こえるはずのない声が聞こえ、俺は思わず首を縮める。恐る恐る振り返ると、そこには鬼の形相のジュラさんとファニィがいた。

「あ、あはは……あの……ここ、男子寮なんですけど」

 俺が恐る恐る言うと、ファニィはダンッと床を踏み鳴らした。そしてジュラさんは裏拳で壁をぶち抜く。

「関係ないわ! あたし補佐官だから!」

「関係ありませんわ! わたくしはコートの姉ですもの!」

 どこが関係ないんだーッ!

 俺が逃げ腰になって部屋の中へ後退すると、ファニィとジュラさんも俺を追い掛けてくる。コートはいつの間にかジュラさんに抱きかかえられて、相変わらずぐずっている。

「タスク! よく聞きなさい!」

「は、はいいっ!」

 ファニィの怒声に思わず背筋を伸ばしてしまう俺。ファニィは鋭く俺を睨みながら俺をビシッと指差してきた。

「ジーンへのタイガーパールの輸送はあたしのチームが担当する事になったから! それと輸送ついでにあんたを護衛すんのもあたしのチームが担当になったから! 覚悟なさいよ!」

「はいっ?」

 思わず俺の声が裏返る。

 さっき言ったばかりの依頼で、もう担当チーム決まったのか? ……ってか、これって絶対に、ファニィがゴリ押ししたとしか思えない。ファニィの怒涛の剣幕で押し切られて、しどろもどろになった元締めの顔が瞼に浮かぶ。

 おかしくもなんともないのに、いや、充分おかしすぎて、俺は頬を引き攣らせながら笑った。笑うしかなかった。ファニィも目を吊り上げて怒りながら、口元はニィッと笑っていた。

 まったくこいつは……どうしようもないな。だがそれが、こいつらしい。ファニィもジュラさんもコートも、俺の知るこいつららしい。

 ははっ! いつも賑やかで愉快な奴らだよ、ったく。最高の仲間じゃないか!


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