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Light Fantasia  作者: 天海六花
15/20

ヒース・ドルソー

     ヒース・ドルソー


       1


「お前、また残しやがったな?」

 ファニィの私室へ食事の膳を下げに行き、そのほとんどが手付かずのまま残っているのを見て、俺はファニィの額を小突いた。普段ならここで激しい反論が返ってくるはずなんだが、ファニィは肩を落としてしおらしく俯く。

「……ごめん……少しは食べたつもりなんだけど……」

 ジュラさんとコートがマインドシードの毒素にやられ、いまだ意識が戻らない事を、ファニィは自分のせいだと責め続けている。確かにサヴリンの芝居を見抜けなかった過ちはファニィの落ち度だが、俺はファニィを責める気にはならない。きっと俺がファニィと同じ立場で、同じだけの情報しか手札になければ、ファニィと同じ判断をしていたと思うからだ。

 あの時あの場にいた誰もが、最良の選択をするには決定的なピースを持ち合わせていなかった。そんな不完全な情報しか持ち得ない状況で、正しい選択肢を選べる人間なんて誰一人いなかったんだ。だから誰も、責めたり責められる理由なんかない。

「……仕事……行く準備しないといけないから、出てってくれないかな」

「休んだ方がいいんじゃねぇか?」

「この前も休んだばかりだし……今は〝書記官〟もいないし……あたしは大丈夫だよ」

 ファニィがぎこちなく笑い掛けてくる。俺は腰に手を当て、溜め息を吐いた。

「なんか喉越しのいい甘いモンでも作ってやろうか? そういうのなら口入るだろ」

「え、うん……あ、いいよ。気を遣わなくて。おなか空いたら……食堂、行くから……」

「……分かった。絶対来いよ。来なきゃまた押し掛ける」

 そうやって、食事の膳を持って押し掛けたのは、今回で七回目。つまり丸二日分の三食と三日目の朝飯。それだけの食事を、ファニィは拒否していた。

 いくら不死身のファニィだって、このままじゃマジに体が持たないに決まってる。どうしたもんかね。


 俺は膳を手にして、ファニィの私室を出た。そのままぼんやり廊下の窓の外を見ながら歩く。

 今日で三日目の朝。

 ファニィがほとんど飯を食わなくなって、ジュラさんとコートが眠り続けて、今日で三日目という意味だ。いつも鬱陶しいくらいに俺の周りをうろついていた三人が三人とも、俺の視界からいないんだ。そりゃあ寂しいに決まってる。

 本館を出て別館に入り、そのままぼんやり歩いていたから、うっかり食堂を通り過ぎてしまった。俺は一人で照れ笑いし、厨房へ入って膳から食器をシンクへと置く。

「おーい、タスクー」

 カウンターから声が聞こえた。

「イノス先輩。どうも。今日はもう昼飯ですか?」

「見たぜ、お前がボケーッとしてて食堂通り過ぎるの」

 ぐっ……。

 俺は奥歯を噛み締め、言葉を飲み込む。どう言い訳したって、うっかりを見られたのもミスッたのも事実だからだ。何も言い返せない。

「まぁいいや。医務室おいでよ」

「医務室? あっ! ジュラさんとコート、気付いたんですか?」

「ジュラフィスさんだけね」

 俺は急いでイノス先輩と医務室へ向かった。


 医務室にはベッドが一つしかなく、そのベッドの上でジュラさんが青白い顔で額を抑えて座っていた。いつもの朗らかな笑顔はなく、ただ無言で口を噤んでいる。

「ジュラさん、大丈夫ですか?」

 俺は医務室へ飛び込むなり、嬉しさのあまり声を張り上げた。

「……ん……ごめんあそばせ。頭が少し痛いんですの。あまり大きな声は出さないでくださいませんこと?」

 ジュラさんが形のいい眉を顰めて言う。

「すみません。でも意識が戻って良かったです」

 ジュラさんは不思議そうに小首を傾げ、そしてキョロキョロと辺りを見回す。窓から差し込む太陽の光を見て、指先を唇に当てて何度か瞬きする。

「わたくし、随分お寝坊さんしたのですわね。コートは起こしてくれなかったのかしら?」

「ジュラさんは体調を崩してるんですから、寝坊したっていいんですよ」

「そうですの? ……ん」

 ジュラさんがこめかみを抑え、辛そうな表情になる。

「まだ具合悪そうですね? もうしばらく休んでいてください。次に起きたら、ジュラさんの好きな食い物、何でも作りますから」

「まぁ、それは楽しみですわ」

 ジュラさんが柔和な笑みを浮かべる。だがふいに、不安そうな表情に変わった。

「……ねぇ、タスクさん。コートが見当たりませんけれど……」

 俺は口籠る。するとイノス先輩が進み出た。

「コートニスちゃんは元締め様の用事でしばらく出掛けています。ジュラフィスさんは体壊して寝てましたから、くれぐれもジュラフィスさんをよろしくって言って出掛けましたよ。だから少しだけ我慢です。ね?」

 明らかに嘘だろう。だけどイノス先輩の機転に俺は合わせる事にした。

「わたくしに何も言わずにお出掛けするなんて、コートは意地悪さんですわ」

「急な仕事だったみたいですから仕方ないですよ。帰ってきたらいっぱい遊んでやってください」

「そうですわね」

 ジュラさんが両腕を擦る。

「なんだか寒気がしますの。それにまだ少し眠いですわ。お休みさせていただいてもよろしいかしら?」

「はい、ゆっくり休んでください。おやすみなさい」

「ええ、おやすみですわ」

 ベッドへ横になると、ジュラさんはすぐに静かな寝息をたて始めた。俺は毛布を直し、イノス先輩と廊下へ出る。

「先輩、ありがとうございます。さすが、いい機転でしたね」

「おれが考えた訳じゃないよ。どっちかが先に目が覚めたら、ああ言うようにファニィちゃんから指示されてたんだよ」

 ファニィ……自分だって辛いのに。いや、自分が辛いからこそ、か。

「それでコートは?」

 確かジュラさんと医務室でベッドを並べて寝ていたはずだが、コートはベッドごと消えていた。

「向かいの来賓室。お互い姿を見られたらマズいから、ベッドごと移動させたんだ。まだ意識は戻ってないけど見舞うかい?」

「はい」

 コートが火薬で吹っ飛ばした部屋とは別の来賓室は、ベッドを置いたら少し手狭な感じがした。その部屋の中央に置かれたベッドで、コートは昏々と眠り続けている。

 元々、北方白色系のラシナの民であるコートの肌は、まるで蝋人形に見えるほど真っ白になっていた。呼吸も極端に少なく、事情を知らなければきっと死んでいるのではないかと勘違いするだろう。

「純度の高いマインドシードを、針か何かで直接注入されたんだろう。大人でも昏倒するような量の麻薬を子供に使えば、その負担は想像に難くないだろ」

 人並み外れて体力のあるジュラさんですら、三日も意識を取り戻せなかったほどの量の麻薬。コートの体格は標準よりかなり小柄だから、身体的負担はその倍程度、というような、単純計算では考えない方がいいという事だ。

「それにジュラフィスさんに比べて、体内への毒素の回りが極端に早かったみたいなんだ。体が小さい子供だからかな?」

「……そうですね……コートは奴に対してかなり興奮してて、普段聞かないような大声で叫んだり暴れ回ったりしてました。普段おとなしい分、完全にキレて見境がなくなってたというか」

「なるほど。血流はかなり乱れて激しかったってたって事か」

 イノス先輩は腕を組んで難しい表情になる。

「でも先輩。よくマインドシードによる中毒の処置なんて知ってましたね。この麻薬、ジーンでしか採取されないもので、他の国にはあまり出回ってないのに」

 外国であまり出回らない種類の麻薬だからこそ、サヴリンはマインドシードを選んだのだろう。ジーン生まれの血縁者がいるなら、この麻薬に詳しくても不思議じゃない。

「ああ、それはたまたま偶然。今、勉強してる本に、珍種の薬草の事が載ってたんだ。そこにマインドシードの事も書かれてた。多分あの本を読んでなければ、まともな処置はできなかったよ」

 本当に危なかったんだな。俺もジーンの魔法使いの端くれだから、マインドシードの扱い方や効能は少しくらいなら知ってる。だが、解毒方法を聞かれても、薬学は俺の専門外だから何も答えられないし分からない。厄介な物を使ってくれたもんだぜ、サヴリンの野郎は。


 その時、来賓室のドアがノックもなしに開いた。

「あっ……」

「よう。お前も来たのか」

 ファニィだった。

 ファニィは驚いたように俺たちの顔を見回し、そしてコートのベッドに気付いて、ドアをゆっくり閉めて室内へ入ってきた。

「こっちに移動してたの? 今、医務室見てきたらジュラしかいなくて」

「ええ。さっきジュラフィスさんの意識が戻って、ファニィちゃんに言われた通りにコートニスちゃんの事は誤魔化しておきました。ジュラフィスさんはまた眠っているだけです」

 ファニィは両手で口元を抑え、目を潤ませる。

「良かった……ジュラ、もう大丈夫なのね?」

「ええ。まだしばらく安静にはしないと駄目だと思いますが、明日には起きられるようになりますよ。特に悪い副作用もないようですし」

 ファニィは泣き笑いの表情を浮かべ、こちらへ歩み寄ってくる。そしてコートを見て、また表情を曇らせた。

「……コートはまだ?」

「は、はい……大人でもほんのごく微量で昏倒する程の劇薬ですから、子供のコートニスちゃんの体に掛かる負担は何十倍何百倍にもなるかと。目が覚めたとしても、副作用の影響がどんな形で出るか全く予測できません……」

 ファニィはコートのベッドの横に膝を付き、コートの手を両手で握る。

「イノス君お願い……コートを助けて……」

「解毒はできてるんですよね? さっき本で読んだばかりだって」

 俺が念を押すように言うと、イノス先輩は表情を曇らせる。

「それが……その……おれは一般的な治療をしただけで、完璧な解毒ができた訳じゃないんです。ジュラフィスさんは普通よりずっと体力のある人だから目が覚めたんだと……」

「ねぇ、何とかならないの? どんな薬だって取り寄せるよ。それがどんなに高いお薬でも、費用はあたしがなんとかする。だから……」

「すみません……多分、無理……です」

 先輩が申し訳なさそうに肩を落とす。

「使われたのがジーンでも珍しいとされるマインドシード。そしてその解毒に使える薬草も、ジーンでごく僅かしか採れない、かなり珍しい薬草らしいんです。あまりに稀少なんで、魔法使いの間でしか取引されないものらしくて」

「オウカにも小さいけどマジックショップとかあるよね? だったらそこに売ってない? なんならジーンのマジックショップまで行ってきてもいいわ!」

 ファニィは必死にイノス先輩に食い下がる。

「ジーンのマジックショップになら……ある、かなぁ……? タスク、知ってるか? デリィセージって言うらしいんだけど……」

 デリィセージ! ジーンの高原地帯で何十年かに一度くらいしか採取されない、本当に珍しい薬草の名前だ。

「……デリィセージはジーン国内でもほとんど出回らない。高原地帯で何十年かに一度くらいしか芽吹かない稀少な薬草なんだ。だから人工栽培の研究はされてるが、まだまだ品種改良の段階で、実験的に栽培された人工デリィセージは天然物に比べて遥かに効果は薄い」

「そんなに珍しい物なのか。じゃあ今からジーンに探しに行ったとしても、採れるかどうかも怪しい訳だ。完全に手詰まりだなぁ」

 イノス先輩が腕組みする。

「それでもいい! あたし、行ってくる! ちょっとでも可能性があるならそれに賭けるわ!」

 ファニィが立ち上がって駆け出そうとする。俺はすかさずファニィの腕を掴んで引き止めた。

「離して! すぐ行って薬草採ってこないとコートは!」

 ファニィの手に、イノス先輩が手を重ねる。そして諭すように言った。

「……ファニィちゃん……タスクの話、聞いてましたよね? そんな幻の薬草……簡単に手に入る訳が……」

「だって!」

「……先輩。デリィセージ、もし今、手に入ったとして、どうやって使うんですか?」

 イノス先輩とファニィの問答を遮る俺。

「え? えー、それは……もう一度あの薬草の本を読んで調べないと、おれも流し読みしただけだから詳しくは……」

 俺はイノス先輩の顔を見て、それからファニィを見た。

「天然のデリィセージは干して乾燥させます。魔法使いが魔力を高めるために香として焚き、部屋を煙で満たして瞑想するために使うんです」

 イノス先輩は腕組みしてコクコクと頷く。

「気化させて吸引……それもありかな。煎じて飲ませるのかと思ってたけど」

「じゃあ、生花である必要はないんですね?」

「あ、ああ……おれはデリィセージの実物なんて見た事も聞いた事もないし……」

 俺は眠り続けるコートを見て、ふっと口元を笑みの形にした。ファニィとイノス先輩が訝しげに俺を見る。

「俺、持ってます」

「え?」

「天然のデリィセージ。俺、持ってます」

「なんだって、本当か!? 貴重な物なんだろう?」

 イノス先輩が驚いた表情で身を乗り出してくる。俺はファニィの腕を離し、もう一度コートを見た。

「家を出てくる時、路銀に困ったら売ろうと思って、実家から少しですけど持ってきてたんです。大した量じゃないけど……持ってきます!」

 俺は部屋を飛び出した。背中からイノス先輩の声が聞こえる。

「ファニィちゃん! コートニスちゃん助かりますよ! タスクのお陰でコートニスちゃん、助けられますよ!」

 デリィセージが金になる事は知ってたが、まさか家を出る間際の、あのとっさの思い付きが今になって役立つなんて! 本気で金に困るまで売らずに取っておいて良かった!

 ファニィはきっと泣き崩れているだろう。俺も泣きたい気分だった。



       2



「お前は外に出てろよ」

 タスクが迷惑そうな声音で言う。

「い、嫌よ。絶対っ……こ、ここにいる。コート、目が覚めるまで……」

 あたしは息も絶え絶えに答える。

 デリィセージはマインドシードの毒素を体内から抜く唯一の薬草であり、そして魔法使いが精神統一のために焚く香でもあるからって、タスクはコートの眠るベッドの横でデリィセージのお香を焚き、そして自分もついでに精神統一の修行をするからと、床に布を敷いて座禅を組んでいる。その隣にあたしも付き添ってるんだけど……胸はムカムカするし吐き気はするし目はショボショボするし頭は痛いし肌がピリピリ痺れるし、もうとにかく気持ち悪いし気分も体調も最悪。

 ……はふぅ……なんとなく……原因は分かるんだけど。

「むう……あのさ、ファニィ。あんまし言いたかねぇけど……デリィセージの香は魔除けの効能もあるんだ。だから……」

「それ以上言わないで!」

 あたしは両耳を抑えて頭を振る。うっ、クラクラする……。

「……あー、うん。お前もちゃんと認識できてるようだが、あえて言う。お前……思いっ切り完璧にモロに本気でマジにガチでダメージ喰らってるぞ。ほら、お前半分くらい魔物だし」

 タスクは真顔でそう口にした。

「キィッ! 分かってるわよ! だから言わないでって言ったのに!」

 あたしの中の魔物の血が、このデリィセージのお香の煙を完璧に拒絶していた。つまり……タスクが言うように、バッチリ〝魔除け〟されちゃってる訳。

 このムカムカ気持ち悪いのは、そのせいなのよ! フンッ!

「クソしぶといお前の事だし、それにデリィセージはあくまで魔除け程度の効能だから死にはしないだろうけど……相当弱ってるよな、お前さ。あと弱めの攻撃一発くらい当てれば倒せるだろうなー、みたいな?」

 タスクが神妙な面持ちで淡々と説明する。あたしは言い返そうとしたけど、すうっと血の気が引いて、バタリとその場に崩れた。うぐぅ……ダメ、もう言い返せない。そんな力残ってない。吐きそう……。

「あー……ったく。これ以上体調不良者増やすな」

 あたしはタスクに抱き上げられ、気持ち悪いお香の煙が充満した来賓室を出た。はふぅ……外の空気がこんなに美味しいなんて。

「うーん。生き返るわ」

「だったらおとなしく外で待ってろ」

「でもコートが起きるか気になるじゃない」

「中に入ってきたらまた半ゾンビ化するぞ」

 あたしはぷっと頬を膨らませた。

「降ろして。もう一人で歩けるから」

 あたしはタスクの腕から降りる。まだちょっとだけ足許ふらふらするけど、でももう大丈夫。

「じゃああたしは仕方なく外で待っててあげるから、コートの目が覚めたらすぐ呼びなさい。命令よ。呼ばなきゃあんたクビ」

「なんだよ、その上から目線の職権乱用」

 あたしが腰に拳を当て、胸を張って答えると、タスクはげんなりした様子で小さく首を振る。

「どこもおかしくないわよ。あたし、ここの補佐官だもん。あんたより偉いの」

「へいへい、そうですね。補佐官さま……うぐ」

 タスクの表情が思いっ切り歪む。苦虫を噛み潰したって言うか、口の中に無理矢理虫を突っ込まれましたって感じの顔。

「どうしたの? あんたも毒ダメージ?」

 あたしが嬉しそうにツッこむと、タスクはあたしの後ろを指差した。振り返るとそこには、癖の強い赤毛ととび色の目をした青年が──つまりヒースがこっちを見てわなないていた。

「貴様ァ! ファニィから離れろ!」

 ヒースが裏返った声で叫び、大股でこっちに近付いてくる。

 なんでヒースがここにいるの? 次の支部長会議はまだ先でしょ?

「薄汚い手を離せと言ってるんだ!」

 ヒースの言葉を聞いて、その時初めて、あたしはまだタスクに背中を支えてもらってた事に気付いた。デリィセージのせいかなぁ、なんかちょっと体の感覚が鈍いみたい。

「ヒース、あんたいつ戻ってきたの? なんか用?」

「たった今戻ったんだ。理由は親父に聞け」

 なるほど、元締めが呼び付けたらしいわね。さては支部でなんかやらかしたな、ヒース。

「ファニィ、この男に何をされたんだ?」

「別になにも?」

 あたしは両手を広げて見せる。

「顔色が悪い。何かされたに決まってる」

「理由も聞かずに俺は一方的に悪者かよ」

「当然だ。貴様なんぞ、ろくでもない事しか企まないに決まってる。劣等な宿無しだろ」

 あ、タスクが家出中ってのはヒース、知ってるんだ。また勝手に元締めの引き出し見たんだろう。息子だからって、何してもいい訳じゃないのになぁ。

 でもヒースは知らないんだよね。今でこそ家出中で帰る家がないとはいえ、タスクはこれでも、ジーンの名家の息子。社会的に見たらヒースより格上。組合での立場は下だけど。

 まぁここで身分どうこうって押し問答してても時間の無駄か。この水と油の二人を一緒にしておくと、いつまでもいつまでもうるさいからなぁ。あたしがどうにかするしかないか。

「タスク。コートをお願い。ヒースはあたしが構ってやらないと拗ねるから」

「誰が拗ねるんだ!」

「あんたがよ!」

 あたしがすかさず言い返すと、ヒースは顔を真っ赤にして口籠る。もう前みたいにあたしが何でも言いなりになると思わないことね。

「コートニス……あのクソガキがどうかしたのか?」

「歩きながら説明してあげる。じゃあ、タスク。あとよろしく」

 あたしはヒースの腕を掴んで執務室へ向かって歩き出した。タスクが小さく舌打ちして、コートのいる来賓室へと戻るのが見えた。


 さてどう説明しようかな。

 あたしはヒースにジュラとコートの事を、簡単に掻い摘んで説明した。あと、あの嫌なデリィセージのお香でフラフラになっちゃう事もね。

「あんな男に任せておいていいのか? コートニスはお前のチームメイトだろう?」

「そりゃあ心配だよ。だけどあたしはあのお香を体が受け付けないんだから、無理に一緒にいたって邪魔にしかなんないじゃない」

 悔しいけど、あの〝魔除け〟はどう頑張ってもあたしの体が受け付けない。ずっと息を止めてる訳にもいかないし。

 魔物との混血による死なない体って便利な時も多いけど、でもこうして不便な事も多々あるのよね。教会とか絶対に入れないし、聖水で火傷したりする。あたしの場合はすぐ治るけど。

「お前は補佐官なんだし、役に立たなくなった奴なんてどんどん切り捨てて、また新しい奴と組めばいいじゃないか。もうあのチビは使えないんだろ。なら……」

 ヒースの言葉に、あたしは思わず立ち止まる。そして彼を睨み付けた。

「ジュラとコートはあたしのチームメイトって以上に大切な存在なの。今度そんな言い方したら、いくらあんただって許さないから」

「フ、フン……勝手にしろ」

 ヒースは強がるものの、少し怯えた目を泳がせる。

「あたしのチームメイト、ジュラとコートとタスクは、誰一人欠けちゃいけないの。あたしは三人を守ってみせるし、タスクたちもあたしを守ってくれるわ」

 ヒースが訝しげにあたしを見る。

「タスクって……さっきの奴だよな? あいつはまだ新人だって言ってたじゃないか。お前のチームで引き取ったのか?」

「え? ああ、ヒースには言ってなかったわよね。タスクはあれでいて結構頼りになるのよ。あたしも何度か助けられてるし。だから正式にあたしのチームに入れたわ」

 ヒースは痛いくらいの力で、あたしの肩を掴んだ。

「駄目だ! あいつだけは絶対に駄目だ! 今すぐ外せ!」

「なんであんたに命令されなきゃなんないのよ?」

 あたしはヒースの手を振り払おうとしたけど、ヒースは全然力を緩めてくれない。

「ちょっと、痛いってば」

「なんなんだよ、お前は! 意味が分からない!」

「意味分かんないのはこっちよ。なんなの、急に?」

「あ、あいつはお前の事、変な目で見てるだろ!」

 ヒースの頬がうっすら赤くなる。なんだ、妬いてるのか。あたしはおかしくなって笑う。

「なーに妬いてんのよ。あたしはあんたの事が好きだって、みんなに宣言したでしょ。タスクはただのチームメイト。向こうがどう思ってようが、あたしがあんたしか見てなかったら関係な……」

「お前だってあいつを見てるじゃないか!」

 ヒースが悲痛な声で叫ぶ。あたしは思わず口籠る。

「ファニィは変わった! あいつが来るまでそんなじゃなかった! おれは絶対に認めない!」

 ヒースはあたしの肩を突き飛ばし、突然、あたしの頬を打った。その瞬間、あたしの頭に一気に血が昇る。キッとヒースを睨み付け、床を踏み鳴らす。

 この程度の力で殴られたくらいじゃ腫れもしないけど、でも女の顔をぶつなんて最低ッ!

「なんであんたにとやかく言われなきゃなんないのよ! あたしはヒースの事、いろいろ心配してやってるのに、ヒースはあたしを全然大事にしてくれないじゃない! タスクは表面的な文句を言いながらでも、あたしをちゃんと気遣ってくれるわ! 普通の女の子扱いしてくれるもの! だけどあんたは違う! あたしに甘える一方で、あたしが挫けそうな時に手の一つだって握ってくれない! そんな一方通行の気持ちを押し付けられてばかりで、あたしの気をずっと惹いておけるって思ってるの? あたしはあんたのママでも保護者でもないわよ!」

 あたしは一気にまくし立てる。ずっとわだかまっていた不満が吹き出すみたいに。

「それはお前の秘密を知らないからじゃないのか? お前が魔物との混血だと知れば……」

「タスクは知ってるわ。それどころか、魔物化したあたしをたった一人で必死に抑えてくれようとしたのよ。魔物化して人を襲って、人を殺したあたしを抱き締めて、あたしが悪いはずなのに『何も怯えなくていい』って、あたしを人間扱いして、女の子扱いして、あたしを庇ってくれるの。ヒースは……あたしが魔物化した時、一度でも手を握ってくれた事、ある? 怖がらずに近付いてきてくれた事、ある?」

 ヒースを責めるような口調で問い掛けながら、あたしは自分の胸がチクチク痛むのを感じていた。ヒースにこんな事、言いたい訳じゃないのに。ただ分かってもらいたいだけなのに。

ヒースは雷に打たれたみたいにビクッと体を強張らせる。

「お、前は……強い、から……おれなんか……強い、から……ファニィは……」

 震える声音でうわ言のように囁き、ゆっくりとあたしに手を伸ばしてくる。だけどその手は小刻みに震えてて、あたしに触れるか触れないかという距離になって、熱い物にでも触ったかのように引っ込められた。あたしは唇を噛み、ずっと心に秘めていた思いをヒースにぶつけた。

「……ヒースはあたしの事、怖いんでしょ? あたしの本当の両親が半分ずつの魔物だから。あんたはそれでも構わないって言える? そんなの問題じゃないって言える? ヒースも組合のみんなも、心の底であたしを怖がってる。だけどタスクは……あたしの全部を受け入れてくれるの。あたしの気持ちが揺らぐの、当然じゃない。あたしはヒースが思ってるほど強くないよ。いつでも怖いの。怯えてるの。自分が怖くて恐ろしくて仕方ないの」

 あたしは込み上げてきたものを抑えきれず、俯いて目元を拭う。

「いつかまたあたしの大切な人を襲うんじゃないかって、自分で自分が一番信用できない。護符を取ったあたしを見て、ヒースはまだあたしを好きって言える?」

 あたしは目を涙でいっぱいにしたまま、バンダナを外した。

 あたしの見える世界が変わる。普段なら見えない程の遠くの物がすぐ目の前のように見え、全身の神経が研ぎ澄まされ、ヒースの鼓動や震えまではっきりと感じ取れるほどになる。

 バンダナ……あたしのバンダナは……護符なの。これを外したら、外見がより魔物に近付く。感覚も魔物みたいに研ぎ澄まされて鋭くなり、あきらかに〝人でないモノ〟として、外的認識が出来る容姿になる。

 この容姿の事を知ってるのは、元締めとヒース、そしてジュラとコートだけ。あ……タスクも知ってるんだっけ?

 じりっと、ヒースが一歩後退する。あたしはそれを見て、ヒースの答えを悟った。

 視線を落としながら、あたしはバンダナを締め直した。予測できてた事なのに、改めてその答えを突き付けられ……ただ悲しい。

「……分かったよ……ヒースの答え」

 護符の効力は即効性のものじゃないから、あたしの声はまだ少し、ザラザラしたノイズが混じる。

「お、れは……」

「無理しないでいいよ。ヒースが怖がる〝赤い目の魔物〟が怖いのは……あたしも一緒だから」

 あたしの言葉を最後に、しばらく沈黙が続いた。先に口を開いたのはヒースだった。

「その……姿。見せたのか?」

「自主的にはまだだけど……でも……でも、もっと酷い姿を見られたわ。あたしの意思を持ってない時のあたしが〝食事〟してる姿。だけど、それでも彼は受け入れてくれた。まだ完全に自我が戻ってなくて、あたしは彼も〝食べた〟わ。服で隠してるけど、喉や肩にまだあたしの歯形が残ってるはずよ。でも何一つ文句言わず、あたしを受け入れてくれた」

 ヒースが呻く。その呻き声は徐々に、嗚咽に変わった。

「……おれは、弱い。ずっと、ずっと弱い」

「その弱さを、あたしは守ってあげようと思ってたんだよ? ヒースはあたしのたった一人の幼馴染だから。たった一人の兄だから。でもあたし、恨んだりしないよ。ヒースが今教えてくれた気持ちは本物だもの。ヒースはあたしに初めてホントの姿を見せてくれたんだよ。ずっと、それを待ってた。ヒースの本音を教えてほしかったの」

子供みたいにポタポタと大粒の涙を零しながら、ヒースは初めてあたしに対して心から謝ってくれた。すごく……すごく嬉しくて、あたしも鼻の奥がツンとした。


       3


 酷い頭痛と気だるさ。ずっと同じ姿勢をしていて、急に体を動かした時のような全身の強張り。そういった感覚を一瞬で一度に感じて、僕は息苦しさに小さく唸りました。

 喘ぐように口を開けても、新鮮な空気はちっとも肺の中に入ってきてくれません。鼻腔からは今まで嗅いだことのないにおいがします。甘いような、すっきりするような、少し煙たいような。でも嫌なにおいではありません。

「……ート……おれの声が聞こえないか?」

 僕の頬をどなたかが撫でてくださっています。とても温かな優しい手です。でも起き上がることはもちろん、返事をすることも億劫です。

「コートニス。……コート。まだ起きられないのか?」

 僕はがんばって一生懸命目を開いてみました。するとすぐ傍に、どなたかが立っていらっしゃいます。

「……あ……れ?」

 自分の声なのに、他人の声のように遠くに聞こえます。

「……ヒース、様?」

 僕が目を開いたのを見て、ヒース様は優しく微笑まれました。

 意外かもしれませんが、ヒース様は僕と二人だけの時にはとても親切にしてくださるのです。他のかたがいらっしゃる時は、いつも虚勢を張って不遜で乱暴な態度をされます。そういった態度はよくないですって、差し出がましいとは思いつつも一度ご進言させていただいたのですけれど、聞き入れてくださらなくて。

 だから僕も、ヒース様と二人のときはファニィさんや姉様と接する時のように、気持ちを開いて少し親しくお話しさせていただいているのです。そうする事で、ヒース様もお優しいお顔になるんです。

 僕と話す事で、ヒース様のお心が少しでも安らげるなら。

「コート。変な毒にやられたと聞いたが……無事なようだな」

 あ……そう言えば、僕……。

 記憶がなんだか曖昧で、だけどサヴリンさんの嫌な顔だけはしっかりと覚えています。

「まだ苦しいか?」

「……苦しくはない、ですけれど……体が重いです」

 ヒース様の様子から、このお部屋には僕とヒース様しかいないのだと分かります。姉様はご無事なのでしょうか?

「ヒース様。あの……」

「どうした? 水か? 水差しは……っと……?」

 ヒース様が室内に水差しが無いか探されています。

「いえ、あの……」

 僕が起き上がろうとすると、ヒース様が慌てて背中を支えてくださいました。

「起きて平気なのか?」

「は、はい、少しくらいなら……」

 体はすごく重くて、ヒース様に支えていてもらわないと、またすぐ倒れてしまいそうでした。でもヒース様とお話ししたくて、僕はがんばって起き上がりました。

「あの……ヒース様はサヴリンさんを、ご存知でしょうか? あの人がどうなったか、姉様がご無事か、何か聞いていらっしゃいませんか?」

「ん? サヴリンだったか、ちょっとよく覚えてないが、ジュラフィスとお前に毒を刺したという奴なら、もういないとファニィが言ってた」

 いない? ファニィさんが追い返してくださったのでしょうか?

「……コートが毒で昏睡状態だって聞いて、すぐ見舞いに来てやりたかったんだが……いろいろ面倒があってな」

「お気持ちだけで、僕、嬉しいです」

 僕がそう言うと、ヒース様は少し寂しそうな微笑みを浮かべられました。

「あ、あの……お気を悪くされてしまったらすみません。えと……もしかして、またどなたかと言い争いを?」

 ヒース様はベッドの縁に座り、僕に背を向けられました。

「あの、その……ヒース様はいつも僕にこんなによくしてくださっているのですから、組合の他のかたにも同じように、お優しい面をお見せになってもいいと思います。ヒース様が僕以外のかたには偽りの姿しか見せないの……とても悲しいことだと思います」

 ヒース様は腕を伸ばして、僕の手にご自分の手を重ねられました。さっきの温かくて優しい手、です。

「おれは……ああでもしなきゃ、誰にも力を誇示できない」

「……力で誰かを抑え付けることは……間違いだと思います。僕の知っているヒース様なら、きっと皆さんヒース様を認めてくださいます。だからもっと自信をお持ちになってください」

 僕が言うと、ヒース様は振り返って泣き笑いの表情をなさいました。そして苦しそうに口を開かれます。

「コートは小さいのに何でもできるから、おれの気持ちは分からないだろうよ」

「ぼ、僕は何もできません。か、買い被りです……」

 少し恥ずかしくなって俯くと、ヒース様が僕の髪を撫でてくださいました。

「何もしなくても、お前は誰からも愛される。親父、ファニィ、ジュラフィス、組合のみんな。俺はお情けで、親父とファニィから声を掛けてもらえるだけだ。あとは、コートと」

「そ、そんな事はありません。僕は本当にヒース様をお慕いして……」

 今日のヒース様はいつものヒース様と違います。

 以前の雰囲気が微塵も感じられません。悪い意味であったとしても〝自分はここにいる〟と必死にご自身を誇示していたはずのヒース様は、ここにはいません。誰かに手厳しく非難され、酷く追い詰められた、疲れ果てた様子です。

「あ、あのヒース様……」

「コートニス。無理に起こして悪かったな。もう休め」

「……ヒース様……」

 ヒース様が僕を『コート』ではなく、『コートニス』と呼んだということは、もう心を閉ざしてしまったということです。ご自分の心に、何重にも鍵を掛けた分厚い扉の中に閉じ込め、誰も寄せ付けなくなってしまったとき、僕を遠ざけるようにそう呼ぶのです。

 ヒース様は僕の肩を押してベッドに寝かせてくださり、そして毛布を掛け直してくださいました。その悲しそうな眼差しに、僕は何も声を掛けることができませんでした。

「ゆっくり休んで、体を治せ。じゃあ……な。コートニス。おれは……行くから。おやすみ……」

 ヒース様は立ち上がってからしばらく無言のまま僕を見下ろしていて、そしてそのまま何も言わずに立ち去られました。体はまだ動きませんけれど、せめてお声を掛けて差し上げたかったのですが……何を言えばいいのか、どうしてもわからなかったのです。

 僕はヒース様の出て行かれたドアを見つめたまま、また深い眠りに落ちていきました。


       4


 人の不幸を笑えるほど、俺は堕ちぶれた人間じゃない。たとえそれがどんな仇敵であっても。

 今朝、組合本部の中庭で、血を流して倒れているヒースが見つかった。組合本部の屋上から飛び降りたらしい。

 命に別状はなかったものの、打ち所が悪かったのか、まだ目を覚まさない。組合の医務室はこのところ、ベッドに空きができる余裕がない。薬剤師のイノス先輩や、医療の知識がある他の組合員は、寝る間も惜しんで交代で医務室に詰めている。

 俺の隣には鎮痛な面持ちのファニィがいる。自分の血の事に加え、ジュラさんとコートの事だけでも相当参ってるのに、ヒースの事まで抱え込んで……本気で潰れちまうぞ。

「ファニィ。ヒースは勝手に足を滑らせただけだ。お前が気に病む必要はねぇよ」

「あたしの……せいだよ……」

 前髪で目元を隠し、ファニィは肩を落としてる。

「あたしがヒースを追い詰めるような事を言わなければ、ヒースは自殺なんかしようとしなかったもの」

「何を言ったんだ?」

 ファニィは答えない。

「……ファニィ。頼むからこれ以上、自分の中に何でもかんでも抱え込まないでくれ。本気でお前……潰れちまうぞ」

 俺は心底ファニィが心配になり、手を伸ばしてファニィの頭を撫でてやる。

 あの日……サヴリンの命を、ファニィが魔物化して奪い去ってしまったあの日、おそらくファニィは〝思い出している〟んだ。自分の両親と元締めの奥さんを、幼い日の自分が殺めてしまった事。だってこいつは「知っている」「覚えている」と自ら認めたんだから。

 元締めはこの事を、ファニィが思い出したらファニィ自身が壊れてしまうと危惧していたようだが、ファニィは精神を病んだりはしていないように見える。気持ちは相当落ち込んではいるようだが、自分からも意識的に思い出さないよう、話題に触れないようにしているのかもしれない。

 更に、ジュラさんとコートを昏倒させてしまう原因となる、誤った判断をしてしまったのも自分、そしてヒースを追い詰めたのも自分だと。何もかも自分のせいだと心を追い込んで締め付けて、だが気丈に振舞おうとして、そのやせ我慢ももう限界にきていて。

 そんなやせ我慢はいつまでも続かない。誰かが手を差し伸べてやらないと、元締めが危惧していたように、本当にこいつは壊れてしまうかもしれない。

「お前が一人で背負い込まなくても、俺が半分手伝ってやるから……どんな事だって、一緒に悩んで考えてやるから。だからもう、自分だけを責めないでくれ。頼むよ、ファニィ。俺にお前の心の負担を一緒に背負わせてくれ」

 俺は心からそう願い、気持ちを、決意を口にした。

 ファニィはゆっくり顔を上げ、力無く微笑む。

「人の彼氏の病床で……口説かないでよ」

「そ、そういうつもりじゃ……」

 俺は顔を紅潮させる。そう聞こえちまっても仕方ないが、でも他に言いようがなくてだな。

「もっとも、もう……彼氏でも彼女でも、ないんだけどね。ヒースとあたし」

「え? どういう……」

 ファニィがくたりと頭を俺の肩にもたげる。俺は思わず体を強張らせた。

「あたし、ヒースに言ったの。ヒースはあたしを弱い女の子扱いしてくれない。だけど……タスクは、甘えさせてくれるって。そんな事されたら、気持ちが揺らいじゃうのは当然だよって」

 俺の顔がカァッと熱くなる。

「あたし、ヤな女の子だよね。ちょっと何かあっただけで簡単にコロコロ気持ち変えちゃって。でもまだあたしはヒースが好き。どうしても放っておけないっていう意味で、ヒースが好き」

 今ここでファニィにもう一度告白すれば、きっとファニィは俺になびいてくれると浅ましい考えが浮かんだが、すぐにその薄汚い願望を振り払った。ヒースは確かに俺の恋敵であり嫌な奴で、今の俺はどうやってもこいつを好意的に見られない。だがヒースは意識不明状態、ファニィも精神摩耗状態という、こういった正常な判断が出来かねる消耗的状況を利用してファニィを自分のものにしようとするのは、あらゆる意味でフェアじゃないし、そうしていたらきっと、俺は俺が許せないと思ったんだ。

 俺は黙って、そして何もせず、ファニィが自分から頭を上げるのを待った。

「……ごめん。タスク、混乱してる?」

「いや」

 ファニィは頭を上げ、だがすぐに再び俯いて前髪で顔を隠した。

「ごめん……ね」

「お前が何に対して謝ってんのか理解不能だな。シャキッとしろ」

 俺は軽くファニィの頭を小突いてやった。

「う、ん……混乱してるの、あたしの方だね」

 ファニィは両手で軽く、自分の額を叩いた。


 その時だ。入口が控えめにノックされ、ファニィは小首を傾げて返事した。

「どうぞ。誰? イノス君?」

 ドアが開き、蜂蜜色のさらさらの髪と透き通るような白い肌の、愛くるしい顔をした幼女が入ってくる。いや、幼女じゃなくてコートだ。

「コート!」

「お前! もう起き上がれるのか?」

 俺とファニィが同時に椅子から立ち上がる。コートは一瞬怯えるように首を竦め、そして両手を胸の上で合わせてぺこりと頭を下げる。

「あ、あの……ご心配、お掛けしました。その……も、もう大丈夫……です」

 大丈夫とは言うものの、まだ少し顔色も悪く、足許がふらついている。素足でタイル張りの床はさぞ冷たかろうに。

 ……素足?

「お、お前! 起きたそのまんまで出歩いてたのかっ? 体冷やして余計に容態悪化するぞ!」

「ひゃっ……ご、ごめんなさい……あの……あの……」

 コートは両手で頭を庇って俺の怒声に怯える仕種をする。

 コートが身に付けている物は、イノス先輩や町から呼んできた医者が診察しやすいように、丈の長い薄手のシャツ一枚。そして足許は裸足。そんな薄着で冷たい廊下を歩いてきたら、本当に体調悪化させちまうぞ。

「ああ…ったく、とりあえずコレ羽織っとけ」

「す、すみませ、ん……」

 俺はショールを外してコートの肩に引っ掻ける。ファニィは慌てて余りのベッドから毛布を引っ張り出して椅子の上に敷いて、そこへコートを座らせた。

「ジュラを探しにきたの?」

「そ、それもありますけど……その……ヒース様がお怪我なさったと聞いて……」

 ヒース……〝様〟? ああ、そうか、そういやコートはヒースをなぜか様付けで呼んでいたっけな。でもなんでこいつにそんな敬称を? 奴が元締めの実の息子だからか?

「誰がそんな事を言ってたの?」

「ぼ、僕の休ませていただいていたお部屋の外で、どなたかがお話されているのを聞きました。だから僕……心配でヒース様を捜していたんです」

 コートは椅子から降り、ヒースの眠るベッドに歩み寄る。そして悲しそうな顔をした。

「……ご自分に……自信を持ってくださいと、申し上げましたのに……」

 ヒースに同情か? 自分の容態も芳しくないというのに、ヒースの自殺未遂を聞いて飛んでやってくるなんて、一体どういう事なんだ?

「ヒースに同情してるのか?」

「……ヒース様はいつも強がっておられますが、とてもお優しくて……脆いかたなんです。ずっとお一人で、苦しんでおられたんです」

 ファニィは口元に手を当て、コートを見下ろす。

「僕なんかでは少しもヒース様のお力にはなれないかもしれませんけれど……でも僕、ここにいていいでしょうか?」

「無茶言うな。お前だってまだ起きたばかりで……」

「お願いできる?」

 ファニィがとんでもない事を言い出した。

「おい、ファニィ!」

「……あたしじゃ……もう、ヒースの力になってあげられない。あたしの存在が余計にヒースを追い詰めちゃうから」

「はい。僕、一生懸命ヒース様を……」

「でも」

 ファニィは優しくコートの頭を撫でる。

「コートも着替えてからね。ちゃんとあったかい恰好で、それからコートも休めるように、こっちにベッド持ってくるから一緒に寝ててあげて」

 コートは素直にコクリと頷く。

「タスク。コートに何かあったかくて食べやすいもの作ってあげて。あたしは誰かにベッドの用意してもらってくる」

「……分かった。コート、お前も絶対無理するなよ」

「はい」

 俺とファニィは医務室を出た。

「……ファニィ。なんで病み上がりのコートにあいつを任せた?」

「さっきも言ったでしょ。あたしじゃもう、ヒースの負担にしかならないからだって。じゃあ早めに食事の用意、お願いね」

 ファニィは一度も振り返らずに走り去った。

 ファニィ……本当に潰れちまわないだろうか。迷惑がられても様子を見に行った方がいいな。

 俺はひとまずコートの飯の準備のため、食堂へと向かった。


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