純白魔術
純白魔術
1
「……以上で完了報告といたします。本依頼における最重要参考人と思われる、リッケル・ルーは死亡しました。以降、町に類似事件は確認されていません」
俺はコートの纏めた今回の依頼の顛末書を、元締めの前で淡々と読み上げた。
「そうか。残念だ。彼がね……」
「魔物化した人間を元に戻す方法という術が手札の中になく、そしてチームリーダー不在という緊急事態であったため、俺の独断で〝魔物を強制排除〟という判断を下しました。全ての責任は俺にあります」
元締めは顎の髭を数回片手で撫で、深い溜め息を吐いた。
「……タスク・カキネ。君の判断は正しかった。その時点で最善の策だったと言わざるを得ない。ゆえに君に対していかなる処分も処罰もない。今後とも組合のために尽力を頼む」
「ありがとうございます」
俺は顛末書を元締めに提出した。
本来ならば、こういった依頼の完了報告は、チームリーダーを務める者の役割だ。つまり俺が所属するチームリーダーであるファニィがすべき仕事となる。
だがファニィは昨夜……あの一件から、まるで魂が抜けたように虚ろな視線を虚空へ泳がせ、寝込んでいる。ただうわ言でずっと「自分は何もしていない」「自分が見た」「自分と同じ」という言葉を繰り返しているんだ。白昼夢でも見てるかのように。
「それでは失礼します」
俺は元締めに一礼し、執務室を出て行こうとして、ふと足を止めた。そして少し躊躇ったのち、もう一度元締めの方に向き直った。
「あの……すみません。個人的な話になりますが、少しお時間、よろしいでしょうか?」
元締めがチラリと俺に一瞥くれる。
「すまないが、忙しいのでね」
「お願いします」
俺はなおも食い下がる。元締めはふっと息を吐き出し、椅子の背に体を預けた。
「ファニィの事か?」
「はい」
元締めが片手で目元を押さえる。
「……聞こう」
「ありがとうございます」
俺は再び元締めの机の前まで赴き、姿勢を正した。
「単刀直入に聞きます。ファニィはリッケル先輩が魔物化する姿を見てから、正気を失いました。そしてあのうわ言です。元締め様は何かご存知ではないでしょうか?」
ファニィの実の両親はもういない。ならば育ての親である元締めだけが、ファニィの過去を知っている者となる。ファニィがああなってしまった理由、おそらくはファニィの血や過去に由来するもののはずだ。
ファニィのあの様子は、ある種のトラウマや精神的ショックからくる反応と似ている。
「魔物化するリッケルを見て、あの子も満月の夜に魔物化してしまう自身と重ね合わせてしまったからではないかな。ファニィにとって、自らの忌まわしき血は逃れられぬ宿命であるからな」
「それも理由の一つであると同感です。でも俺は、原因はもっと根深い所にあると睨んでいます。その手掛かりを持つのは、養父である元締め様しかいない。そうではありませんか?」
俺の指摘に、元締めは再び息を吐き出す。
「まったく、コートニスとは別の意味で扱い辛いね、頭のいい者は」
俺の推測は当たりなんだろう。元締めの言葉は肯定を指していた。
「ファニィはどこまで、君に過去を話している?」
「あなたがファニィの父親を〝処分〟し、そしてファニィを引き取ったと」
元締めの目が遠くを見つめている。まるで過去の映像がそこに流れているように、だ。
「魔物化の話は?」
「魔物化……ファニィのですか?」
「いや……ニードの事だ」
俺は首を傾げる。
「ニード……?」
聞いた事のない名前だ。
「ニード・ラドラム。ファニィの実父だ」
ファニィの実父が魔物化? そういえば、ファニィはおぼろげにしか覚えちゃいなかったらしいが、ファニィの実父が、ヒースの母親、つまりは元締めの奥さんを魔物化して襲ったから、元締めはファニィの父親を〝魔物として処分〟したと言っていた。
「魔物化したニードはわしの妻、イルナを殺した。だからわしはニードを処分した」
「それをファニィは見ていたんですね? だから〝人が魔物化していく姿〟を見て、忘れていた過去の忌まわしい記憶が蘇った。『自分は見ていた』と繰り返すのはそのせいですね?」
元締めが目を閉じて髭を撫でる。何か考え込んでいるようだ。
うん……? 俺の推理は違っているのだろうか?
「タスク・カキネ。一つ質問してもいいかな」
「はい。なんでしょうか?」
「君が必要以上にファニィの過去に触れたがる理由はなんだね? ファニィが心を許すジュラフィスやコートニスにも話していない、ファニィの触れられたくない過去を、まだ付き合いの浅い君に話さねばならない理由はなんだね?」
「それは……」
俺は口籠る。
理由は何かと聞かれれば、それは単なる俺の好奇心だ。だがもう一つ。俺はファニィの全てを知りたいから。ファニィの全てを知って、受け入れたいから。
知る事によって、ファニィと親密になりたいだとか、どうこうしたいという訳ではない。ただ俺は純粋に、ほんの僅かでいいからあいつの支えになってやりたいだけだ。もちろんこれは俺のエゴで自己満足で、ファニィにしてみればありがた迷惑なのかもしれない。だが、俺は力になりたいと心から思っているんだ。
俺は口元に手を当て、どう答えるべきか考えた。ここで間違った受け答えをすれば、俺はこの人の口から二度とファニィの過去を聞き出せなくなる。ファニィという人間を知る方法が潰えるんだ。
「ただの仲間意識からくる好奇心で聞こうとしているのなら、何も聞かずにここで部屋を出て行くべきだ。ファニィはすぐに正気を取り戻す。そして今まで通り、組合の補佐官をしながら君たちと共に冒険に出られるだろう。全てを知る事が最良の結果を導くものでないと、賢明な君なら理解しているだろう」
俺は口元に当てていた手を胸まで降ろし、数回深呼吸した。そして真っ向から元締めを見る。真面目に、真摯に、向き合う。
「俺はファニィが好きです。生まれ育った環境や故郷が違うとか、魔物の血を濃く受け継いでいるとか、そんなものは関係ありません。あいつは普段、絶対に自分の背負った重責や苦しみを見せようとしませんが、俺はそれを一緒に背負っていきたい。過去に何があったとしても、俺はあいつが好きです。好きな相手の全てを知りたいと考え至り、何が不思議なんでしょうか? 俺に、ファニィの過去を一緒に背負わせてください」
俺の告白に、元締めが目を丸くする。だがすぐに元の険しい表情に戻った。
「君が思っているほど、軽いものではないぞ」
「あなたが思っているほど、俺の宿命も軽くはありません」
俺は負けじと言い返す。
「宿命?」
「俺は魔術師です。オウカではあまり知られていないと思いますが、死を司る暗黒魔術の使い手は、ジーンでは忌まわしき者として嫌悪され、生涯を通して奇異や排斥の目に晒されます。どんな善行を行おうと、どんな名誉を受けようと、暗黒魔術師であるという忌まわしき枷は、一生涯付いてまわります。俺の宿命は重く苦しく、何があっても何をしても、たとえ死してからも消えはしない、生まれながらにしての罪人なんです」
元締めは値踏みするかのように俺の頭の先からつま先までを眺める。
「俺とファニィは同じなんです。他人から〝ヒトとは違う者〟として見られる事が同じなんです。だから俺はファニィの重荷を一緒に背負っていきたいと願っています。最初に興味を抱いたのは同属意識からでした。でも今は違う。ファニィが好きなんです。かけがえのない存在なんです。だから俺はファニィと一緒に歩んでいきたい。ファニィは俺の事なんて、どうでもいいと思ってるかもしれませんが……それでいいんです。俺はただ、ファニィの傍でファニィの陰から、ファニィの力になれればいいんです。ファニィの全てを受け入れさせてください」
元締めが両腕を組んで小さく首を振った。
「随分ファニィに傾倒しているのだな、君は。そして魔術師……難しいな。魔術師がどうだといったものは、よく理解できない」
「魔法という学問に精通した方でないと、なかなか理解は難しいと思います。ジーンの排他的な風習から、外にはあまり知られずに受け継がれてきた事象なので」
元締めの口元が緩んだ。
「本当にあの子の過去を受け入れられるほど強いのかな、君は」
「俺は強くはありません。でも受け入れます。何があっても」
「あの子が心を許す、ジュラフィスもコートニスも知らない過去だぞ?」
「俺の胸の内にだけ秘めておきます。あなたと、ファニィがそう望むのであれば」
俺の決心は変わらない。ファニィが俺を認めようが認めまいが、俺はファニィの全てを受け入れる。その覚悟はできているつもりだ。
「……分かった。話そう」
元締めが立ち上がり、窓の傍に立った。そして外を指差す。俺は元締めの少し後ろに立ち、元締めが指差す場所を見た。
組合の中庭の、植え込みの奥に微かに細長い石が見える。墓標、のように見えるが?
「あそこに、ファニィの父ニードと母親マレイユ、そしてわしの妻イルナが眠っている」
やっぱり墓か。でもなんであんな植え込みに隠すようにしているんだろう?
「この三人は殺されたのだ。手を下したのはニードでもわしでもなく……〝ファニィ〟だ」
「……ッ!」
俺は息を飲んで元締めを凝視した。
「事実は君の知るものとは違う。ニードが魔物化したのではない。ファニィが魔物化したんだ」
元締めが窓の桟に手を置く。
「魔物化したファニィは、一番傍にいた自分の母親、マレイユを噛み殺した。そしてファニィを止めようとしたニードとイルナを……殺した」
元締めの言葉が俺の全身を強張らせた。
「……じ、じゃあ……ファニィが『見た』っていうのは……」
「内なる血の欲求に抗えず、自分が両親たちを牙に掛ける様子を、第三者の仕業だと思い込む事で自我を保っているのだろう。だから自分は『見て』『何もしていない』のだと主張するのだ。だが人を襲う魔物が、〝自分と同じ〟である事に気付いているのだろう。自分が両親を手に掛けたなどと思い出し、自覚すれば、あの子は……壊れる」
俺は言葉を失っていた。
ファニィの魔物としての血が、何らかの形であいつの正気を奪うものなんだろうとは予測していたが、まさかあいつ自身が、その手で、牙で、自分の両親や元締めの奥方を殺していたなんて……。
「あ、あいつ……は……小さかったから、よく覚えていないって……」
「四歳だった。ある程度自我が芽生え、そして魔物の血の欲求に忠実な年頃だ。ファニィの出生は前例がないほど稀有なものだから……誰も予測ができなかった。ハンターであるわしも、実の親であるニードとマレイユも」
聞かなきゃ良かった、なんて思わない。でも聞いて良かったとも思わない。あいつの背負うものがこれほどのものだったなんて……俺の覚悟はまだまだ甘かった。
「わしはいつでも〝赤い目の魔物〟を処分できるように、手元に置く事にした。幸いと言っていいのかは分からんが、満月の夜以外で、あの子が自我を失うほど魔物化する事はなかった。あれから十四年だ。それだけの時を共に過ごしてきたんだ。愛情も芽生えるし、情も移る。わしはもう、何かあっても、あの子を処分する事はできない。無二の親友の忘れ形見で、そしてわしの〝娘〟だからな」
元締めが腹の中にずっと溜め込んでいたものを吐き出すかのように、長い長い溜め息を吐いた。
「君に話す事で、やっとわしも少し楽になった気がする。だが君は今、きっと酷く後悔しているだろう」
俺はぐっと唇を噛み締める。そして小さく首を振った。
「……後悔なんて、しません。俺は受け入れると、言いましたから」
「そうか。強いな」
「話してくださって、ありがとうございます」
俺は深く頭を下げた。
「……ファニィを……頼めるかな。あの子の父親として頼みたい」
「今の話、俺の胸の内にだけに秘めておきます。俺はこれから何が起ころうと、陰からあいつを支えていきます。あいつが知ってはいけない過去……ですから」
「感謝する」
俺はもう一度、窓から植え込みの陰の墓標を見た。あの墓は多分ファニィも知らないんだろう。そしてこれからも知る事はない。
「俺、ファニィの様子を見てきます。失礼します」
執務室を出る前に、俺は両手で自分の頬を強く叩いた。そして気持ちを切り替える。よし。もう大丈夫だ。
2
寮のお部屋で僕は新しいからくりの設計図を描いていました。姉様はお昼寝中です。
えへへ。今度のからくりは、とても面白そうな物ができそうです。材料を集めて、工房へ持っていって、それから組み立てて。考えるだけでも楽しいです。組み上がったら、真っ先にファニィさんに見ていただくんです。だってファニィさんは、いつも僕のからくりを褒めてくださるんですもの。
ファニィさん……早くよくなられたらいいのに。僕、なにもできないけれど、早くよくなってくださいと、いっぱいお祈りします。
ペン先をインクの瓶に浸した時でした。お部屋のドアが数回ノックされました。僕はペンを置いて椅子を降り、ドアを開けました。
すると寮の一階のお部屋のマヤさんがいらっしゃいました。マヤさんは寮母さんのような役割もしてくださっているのです。
「コートニスちゃんの呼び出しよ」
「あ、はい。どなた……でしょうか?」
ファニィさんは体調がすぐれなくてお休みされていますから、元締め様でしょうか?
僕は姉様と二人一緒に女子寮のお部屋をお借りしているので、元締め様や他の男性組合員のかたは、マヤさんを通じてしか僕を呼び出せません。
「ううん。タスクさんよ」
「えっ……」
僕は急に顔が熱くなるのを抑えきれませんでした。
「あっ……す、すぐ行きますとお伝えください。そ、それから……ええと、姉様がお昼寝なさってて……えと……あの!」
「うん。あとでジュラフィスさんには、ちゃんと言っておいてあげる」
「は、はいっ。よろしくお願いします!」
僕は急いでケープを付けて帽子を被りました。姉様がまだ深い眠りでいらっしゃるのを確認してから、お部屋を出ました。途中の階段で、外のタスクさんに言伝してくださったマヤさんとすれ違います。マヤさんはにこにこして僕を見送ってくださいました。
「はっ、はいっ! あ、あのっ……お待たせ、し、しました!」
「お、早いな」
女子寮の入口で、タスクさんは壁に寄り掛かって待ってくださっていました。
タスクさんがわざわざ僕を寮まで迎えに来てくださるなんて、どんなご用件なんでしょう? わ、わ……なんだか胸がドキドキします。
「ジュラさんは?」
「ね、姉様はお昼寝中です」
「ほっといて大丈夫か?」
僕は何度も頷いて、はやる気持ちを押さえて答えました。
「は、はい。マヤさんにお願いしてきましたので大丈夫です」
タスクさんはうんと頷いて、親指を組合の外に向けました。
「ちょっと外行くから付き合え」
「は、はい! どこへでもお供させていただきます!」
タスクさんが僕をおでかけに誘ってくださるなんて、すごく嬉しいです!
僕は両手で胸を押さえたまま、前を歩くタスクさんに遅れまいと、一生懸命歩きました。えへへ。ちょっとだけ、駆け足ですけど。
組合を出て、町のメインストリートを抜けて、市場へやってきました。ここはいつも賑わっていますから、人が多くてタスクさんとはぐれてしまいそうです。
「わっ……あ、あの……すみません、タスクさ……ひゃっ!」
何度も知らないかたにぶつかって、僕はタスクさんと少し離れてしまいました。僕は慌ててタスクさんを呼び止めます。
「んあ? ああ、悪い悪い。ほら、掴んでろ。はぐれるなよ」
タスクさんはショールの端を僕に握らせてくださいました。わぁ……い、いいんでしょうか? 緊張、します……。
市場の西の広場のほうへとやってきて、タスクさんは立ち止まられました。
あれ……ここ……先日の……?
僕がタスクさんを見上げると、タスクさんは難しい表情のまま、周囲に神経を張り巡らせているようでした。なにか思案中……でしょうか? 今、お声を掛けたらご迷惑かもしれませんね。
「……駄目だな……やっぱり昼間は喧騒で掻き消されてる」
何のことをおっしゃっているんでしょう?
「コート。わざわざ呼び出しといて悪いが帰るぞ」
「え、あ、はい……?」
僕は頷くしかありませんでした。タスクさんが何の目的でここへやってきたのか、どうして僕を誘ってくださったのか、見当もつきません。
「夜に出直す。晩飯食ったら……夜になったらもう一度ここにくる。ジュラさんはおやつでも渡して留守番しててもらえ」
「よ、夜にまた……ここへ?」
「お前の力が必要なんだ」
僕は言葉に詰まって、両手で頬を押さえて俯きました。そ、そんな大胆なことを急におっしゃられても、僕、どうすればいいのか分かりません。僕が必要だなんて……僕が必要、だなんて……わぁ……恥ずかしいです。
僕はタスクさんに連れられて、来た道を引き返しました。そして夜に出掛ける時間の約束をして、一度お部屋に戻りました。
それからなんだか気分が落ち着かず、僕は途中まで描いていたからくりの設計図を、仕上げることができませんでした。夕食も変に緊張してしまって、あんまり喉を通らなかったです。
そして夜、僕は姉様にお留守番をお願いして、タスクさんとの約束の時間に、組合の正面入り口で待ち合わせました。タスクさんは難しいお顔をなさっていて、どこか不機嫌そうです。
「よし、行くぞ」
僕はまたタスクさんと市場の西側の広場へ。
「やっぱり……」
タスクさんは眉間に皺を寄せて、息苦しそうに襟に指を差し入れて何度か服を引っ張っていらっしゃいます。
「あ、の……タスクさん?」
「お前はまだ感知はできねぇか?」
「か、感知?」
「まだ無理か……」
タスクさんのおっしゃりたいこと、なさりたいことが僕にはどうしても分かりません。
タスクさんは両手を前に差し出して、目を閉じられました。そのままゆっくりと広場を歩き出します。僕は首を傾げながら付いて行きました。
「……この辺りだな」
タスクさんが石畳に膝を着いて、ゆっくりと地面を擦ります。僕は訳が分かりませんけれど、お邪魔にならないように付いていくしかありません。
「ん、見えた。ここだな」
タスクさんが魔法の杖を取り出して、石畳の隙間に先端の宝石を押し付けました。
「火炎球」
杖の先端が光り、石畳の隙間を焼き焦がします。僕の火薬玉とは違う火花が散って、僕はびっくりして数歩後退しました。
「火炎球」
タスクさんがもう一度、魔法を放ちます。石畳の石が一枚割れて、下の土が露出しました。炎の魔法で地面を穿っていらっしゃるのでしょうけれど……理由が分かりません。
穿った穴の奥を覗き込んで、タスクさんは小さく唸って頭を掻かれます。
「やっぱ一帯掘り出すとかでないと難しいよなぁ……仕方ない。あんまり使いたくねぇけど」
お一人で悩んで、魔法を使われて、そしてぶつぶつと独り言を繰り返して。タスクさんは僕を同行させて、何をしたいのでしょうか? これも純白魔術の修行の一環、なんでしょうか? だったら訳が分かりません。ミサオお師匠様はもっと分かりやすく教えてくださいました。
「あ、あのタスクさん。先ほどから、な、何をされているのですか? 僕はどうすればいいのでしょう?」
僕は思い切って聞いてみました。
「んあ? ああ、お前の出番はまだ先」
「は、はあ……」
答えていただけませんでした。
タスクさんは少しだけ穿った穴に素手を翳し、その手の上に魔法の杖を重ねました。そして目を閉じます。
「……我の元へ」
あっ……!
タスクさんの周囲に、異様な文様が一瞬だけ見えて消えました。も、もしかして……暗黒魔術、でしょうか? 僕にも構築式が見えるほど、魔術が身に付いてきたのでしょうか? だったらすごく嬉しいです。
「よし、ビンゴ」
タスクさんが手に何かを握ったまま振り返ります。
「コート、出番だ」
「は、はい。僕は一体なにを……」
タスクさんが手を開くと、そこには土で汚れた動物の牙のようなものが握られていました。でもなんだか……すごく、嫌な感じです。ただ古いだけの動物の牙なのに。
「……な、なんです、か……それ……気持ち悪い、です……見た目じゃなく、気配というか、なんとなく……ですけれど」
「さすがに剥き出しだとお前でも分かるか」
その牙を見た瞬間、僕の胸の奥でザワザワと何かが騒ぎ出し、吐き気にも似た何かが込み上げてきたんです。
「魔術……暗黒魔術の儀式に使われていた魔力媒体だ」
タスクさんが手の中の牙を見ながら、悲しそうなお顔をされました。
「この間、リッケル先輩がここで魔物化しただろ? あれはこいつが原因だ。いつからかは分からないが、ここに埋もれていたこいつから、黒き魔力が漏れ出して人間に悪影響を与えていたんだ。リッケル先輩は魔法使いじゃないが、多分魔的なものを吸収しやすい体質だったんだと思う。だから、あんな悲しい結末になってしまった」
「ではそれを探しにタスクさんは?」
タスクさんが頷かれました。
「リッケル先輩以外でも、オウカでは人間が魔物になるって話が昔からちょくちょくあったらしいからな。それにちょっと気になる事例を聞いて、もしかしてと思って調べてみた。暗黒魔術は人の心の悪しき部分を増大させる。悪しき心に囚われたら……そのほとんどが悲しい結末を迎える。だからこいつはこれ以上悪さしないように封じてしまった方がいい。こんなちっぽけな媒体であっても、こんなたくさんの人々が行き交うような場所で、誰にも気付かれずに長く土に埋もれて、長い年月、少しずつ多くの人間の悪意を吸収し続ければ、いずれあの魔鏡のような、もっと性質の悪いものになってしまう。純白魔術なら、こいつの力の源を封じる事ができる」
──純白魔術。だから僕の力が必要とおっしゃったのですね。僕はようやく納得してタスクさんを見上げました。
でも……僕、ミサオお師匠様からは、タスクさんの中の炎の魔神を封じるための呪文や構築式しか習っていません。僕はどうすればいいのでしょう?
「お前は姉貴から、魔神を封じるための構築式を習ってるだろ? その一部を描き変えてやるんだ。呪文は俺が言う通り復唱すればいい」
「は、はい……あの……でも僕……その構築式が上手く描けなくて……」
頭の中に図面を描くのと同じというふうに習いましたが、でも順番に構築式を描いていく内に最初の方がグチャグチャになってしまうんです。紙にからくりの図面を描くように、容易にはできません。僕にはちょっと難しいです。
「覚えきれてないのか、それとも描き出してる内に崩れていくのか、どっちだ?」
「く、崩れていくほうです……」
タスクさん、ちょっと怖いです。魔法のことは優しく教えてくださるのですけれど、魔術のことになるとすごく険しいお顔をなさるんです。
僕はちょっと萎縮してしまいました。
「んー……どうすっかなぁ……」
タスクさんは少し苛々しながら髪を掻きます。そして立ち上がって、僕の後ろで膝を折ってしゃがまれました。
「できるかできねぇか分かんねぇけど、俺が構築式を描き出す。お前は魔力を制御しろ。お前と意識を同調させる」
「え、どういう……わっ!」
タスクさんが僕の体を抱き寄せて、僕の背中に額を押し付けてこられました。そのまま脇から腕を伸ばして、牙を握った手を僕の前に差し出します。
「魔力制御しろ」
「え、あ……あ……見え……」
僕の頭の中に複雑な文様、純白魔術の構築式が、すごい早さで描き出されて流れていきます。タスクさんの鼓動を背中から感じて、それと同じ早さで僕の頭の中に構築式が描き出されて。
これが意識の同調というのでしょうか?
す、すごいです……タスクさんは純白魔術を使えないのに、こんな早さで純白魔術の構築式を生成してしまうなんて。
「我、願わんとす……」
呪文、ですよね? あっ……だ、だったら魔力の制御もちゃんとしないと……。
「わ、われ……願わんと、す……」
僕は必死に自分の中にくすぶる、多分魔力という精神力の一部を引っ張り出そうと、タスクさんの教えてくださる呪文を口にしながら「魔力」「制御」何度も心の中で繰り返しました。手の先がぽうっと、ちょっとだけ温かくなります。
せ、制御、できてます! 僕、できてます!
「古よりの禍の源、我の命により封じんとす……」
「……い、いにしえ、よりの……わざわいのみなも、と……わ、われの命により、ふ、封じん……とする……?」
意識を別のものに集中させながら、耳で聞いた呪文を復唱するのって、すごく難しいです。でもタスクさんが僕を頼ってくださっているのだから、僕、精いっぱい期待に応えたいです。
「怯えるな。堂々としてろ」
「は、はいっ……」
僕はタスクさんが握る牙の上に両手を翳しました。
僕の腕の肘の辺りが少し熱くなります。純白魔術師の証である痣のある辺りです。僕はタスクさんに言われた通り、一生懸命、弱気になってしまいそうな心を奮わせて勇気を振り絞りました。
魔術は、体内の魔力を対話の媒体として、精霊や悪霊を使役して扱う術なんです。その人ならざる物体に、術者は弱みを見せてはいけないんだそうです。術者が侮られ、見縊られてしまったら、使役するどころか、魔術の効果自体が最も悪い形で術者に跳ね返ってしまうんだそうです。
僕の両手の中に小さな白い光が灯って、タスクさんの手の中にある牙に吸収されていきました。光が完全に消えると、さっきまで気持ち悪かった胸のつかえがなくなっていました。なんだか随分呆気なくて、少し拍子抜けしました。
でもこれって、すごく難しい事なんです。ミサオお師匠様やタスクさんが、何度も根気よく教えてくださるほど、難しい魔術なんです。
「……なんとか成功か」
タスクさんはふぅと息を吐き出して、その場にペタンと座られました。僕はまだ何がなんだか分からなくて、ぼんやりしてました。
「お疲れ、コート。終わったよ」
「は、はぁ……」
まだ状況がよく分かりません。
タスクさんはぼんやりしている僕を見て苦笑なさいました。そしてお顔の横でさっきの牙を指で弾いて受け止めました。
「お前の初魔術、成功な」
「え、あ……ぼ、僕……ですか?」
僕が魔術を……?
ようやく血が巡ってきて、僕は両手で口元を押さえました。唇が自然と笑みの形になります。
「ぼ、僕、できたんですか? 魔術、できたんですよね!」
「途中ちょっとヤバかったけどな。構築式もグダグダだし、魔力の制御はヒョロヒョロ危なっかしいし」
僕の描き出す構築式はまだ未熟で、魔力循環も均一に派生させられなくて、タスクさんの手助けがなければきっと完成しなかったと思います。けれど初めて魔術を使えたんです。
「で、でも僕、すごく頑張りました! う、嬉しいです!」
「へいへい。その調子で構築式をもっとしっかり描けるようになってくれ。俺の中の魔神が暴れ出す前にな」
「は、はいっ!」
どうすればこの喜びが表現できるんでしょうか? 姉様に言ってもきっと分かってくださいませんよね。組合の誰にも分からない……いえ、僕、タスクさんとファニィさん以外とはちゃんとお話しできないですし。
嬉しさだけが空回っているような、独創的なからくりを組み上げた時とはまた違う高揚感に、僕は思わず小躍りしてしまいそうになっていました。顔が自然とほころんでしまうんです。
「よし、帰るか」
「はいっ」
僕は嬉しくて、思わずタスクさんの手を握っていました。いつも姉様にしているみたいに。
タスクさんは苦笑しながらも、僕の手を払いのけはしませんでした。でもちょっと意地悪そうなお顔をなさって……。
「ほれ。記念に持って帰るか?」
僕の目の前に、さっきの牙を掲げられました。
「わっ! やっ……嫌です! いらないです!」
僕は飛び上がって逃げました。
「お前、こういうの研究するの、好きじゃん?」
「で、でもそれはいらないです! ぼ、僕の興味の範疇外です!」
タスクさん、意地悪です。
「あとで誰にも分かんねぇトコに埋めとくよ。もうこいつの役目は終わった。永遠にな」
タスクさんは牙をポケットに入れて歩き出しました。タスクさん、ちょっと意地悪です。でも、すごく満足そうなお顔をされていらっしゃいます。
僕のこと、褒めてくださってる……んでしょうか? きっとそうですよね! 僕、もっともっと勉強してタスクさんのお役にたてるように頑張ります!




