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Light Fantasia  作者: 天海六花
12/20

古き記憶の穴から

     古き記憶の穴から


       1


「ファニィさん! そこ、元締め様のサインですぅ!」

「キャーッ! ごめん間違えた! 悪いけどもう一枚同文書作成して!」

「は、はいっ! あ、あの……でもっ、ごめんなさい! こっちが終わったらにしてくださいぃ!」

「ファニィ、わしのインクが切れた。代わりのインクはあるか?」

「あたしに言わないで自分で備品庫から予備取ってきてよ!」

 執務室へ休憩を促すためのお茶を運んで行くと、そこはうず高く積まれた書類に悪戦苦闘する、組合トップスリーの阿鼻叫喚地獄絵図が広がっていた。


 今日は朝から元締めとファニィの姿はもちろん、コートの姿も見ていないと思い、事務関係の仕事が忙しいのだと予測して、昼のラッシュとジュラさんの食事の面倒を見た後、労いと休憩を促すためにハーブティーを用意して執務室へ向かったんだ。ドアをノックしても返事が無いから、いつも通り勝手に開けると……この有り様だった。

 補佐官であるファニィはもちろん、普段はあまり呼び出されないはずの書記官であるコートも駆り出され、三名が三名とも目を血走らせて、背丈より高く積まれた書類の確認とサインとハンコ押しという、単純かつ暴力的な事務作業に追われまくって殺気立っていた。

 俺は執務室に蔓延した空気に完全に気圧されて、お茶を載せたトレイを手にしたまま声を掛けるタイミングを見失う。

「ちょっとコート! あんたココんトコのスペル間違えてる!」

「ファニィさんだって通し番号をひとつ抜かしてます!」

「二人共、今は言い争いをしている時間は……」

「元締めが一番ミス多いんでしょ! 元締めの尻拭いに一番時間掛かってんだからね!」

「僕、今日は元締め様のミスで再作成した文書が二桁超えてます!」

「……う、む……すまん……気を付ける」

 ファニィは普段はアレでも、元締めに対してはちゃんと敬意を払う態度を取っているんだが、今日は頭ごなしに怒鳴りつけている。そして普段内気なコートですら、元締めに向かって強気な発言を繰り返しているのだから、状況は俺が考えるよりよほど切羽詰った深刻なものなんだろう。

 俺は無言のままハーブティーを淹れたトレイを手にして、極力静かに執務室を後にした。空気を読まずに呑気にお茶休憩しろなんて声を掛けたら間違いなく、俺はファニィとコートから凄まじい罵詈雑言を浴びせかけられる。向こうの状況もちゃんと理解していない俺なんか、何も言い返せる訳がないじゃないか。


「あ、タースク」

 姉貴の声がして、俺が振り返るより早く、後頭部を平手でバシンと叩かれた。いつもの挨拶だから気にはしてないが……もうちょっと力の加減ができないもんかね? かなりスナップの利いた一発だった。

 俺は片手で後頭部を擦りながら振り返る。案の定、そこに姉貴がいた。また組合の会議室で講義でも頼まれてたんだろう。魔法学以外にも、姉貴の知識は冒険者に有益となるものも多いからな。

 賢者と肩を並べる博識者として組合に所属するコートには、大勢を前にしての演説や講義なんかできないだろうし。病的な照れ屋であがり症、内向的な性格から来るデモ・ソノ・エットのどもり以前に、蚊の鳴くような小さすぎる声が聞こえない。

「なぁ、タスク。ウチの可愛い弟子、見んかったか?」

 コートに純白魔術を扱える素質があると分かり、姉貴はコートの師匠として、コートに魔術の手ほどきをしているんだ。俺にかけられた呪いに対抗し得る唯一の手段だから、その辺はしっかり教え込んでいてもらいたい。姉貴ならやってくれるはずだ。

「コートなら執務室で缶詰だよ。書類の山に埋もれてた。元締めとファニィも一緒だ」

「なんやぁ、そうなんか。あの子、書記官やったっけ?」

「そ。今、声を掛けようもんならぶっ飛ばされそうな覇気だったぜ」

 姉貴が俺の手にしたトレイを見て、ふふと苦笑する。

「お茶一つ置いてこられへんような状況やねんね。ほな仕方あらへんかぁ」


 俺と姉貴は二人並んで食堂へ向かった。そしてファニィ達に出し損ねたお茶を二人で向かい合って飲む。

「コートの方はどうなんだ? 相変わらずサボり半分、本気半分か?」

 ジュラさんが無意識下で、俺に対して少なからず好意を持っていると知ったコートが、拗ねていじけて俺やファニィに多大な迷惑を掛けたあの日以来、コートは姉貴の講義を時々サボるようになった。サボッて俺の様子を見に来るんだ。

 サボると言っても、元々真面目なコートだ。講義の時間に遅刻して行ったり、何かと用事を作って講義自体を早めに切り上げさせたりと、講義全てをサボる訳じゃない。そして俺のところへ様子を伺いに来ては、特に何をするでもなく、じーっと俺を柱の影から観察してやがるんだ。

 姉貴もコートの行く先が分かっているから、わざわざコートを連れ戻そうとはしない。よほどの事が無い限り、自分から率先して動こうとはしないからな。

「そやねぇ。ウチが考えてたよりは遅れてるけど、まぁまぁ順調ちゃう?」

 姉貴が順調と言うくらいだから、割とはかどっているんだろう。姉貴の講義はかなりスパルタだからな。コートも根を上げずにいるんだから、俺が考えているより、コートと姉貴の師弟関係の相性はいいのかもしれない。

「今日は多分一日中無理だぞ。さっきの様子ならな」

「そうかぁ。残念やね。最後の日くらい一緒にどっか行きたかったんやけど」

「最後?」

 俺がおうむ返しに問い返すと、姉貴はニコリと笑ってカップをソーサーに置いた。

「ウチ、ジーンに帰るわ」

 突然の姉貴の言葉に、俺はカップを落としそうになる。

「帰るって……まだ例の物、取り返してないだろ」

「そやねんけど、昨夜な、おとんとおかんに連絡取ったら、ええ加減、早よ帰れって怒られてしもて。女王はんもさすがに苛立ってはるみたいやねん。ちょっと長居し過ぎたわ」

 姉貴の水鏡の占術に、風の高位魔法にある伝達の魔法を組み合わせれば、遠く離れた者同士でも交信しあえる。俺にはできない芸当だが、姉貴や両親なら容易く扱える魔法だ。

「なんや向こうでも厄介事、起こっとるみたいでな。女王に仕える賢者不在でエライ騒ぎになってしもてるらしいねん」

 ま、考えれば当然だ。女王のご意見番で代理口答の役割である賢者が不在だなんて、問題が起これば大変なのは誰の目にも明らかだからな。ジーンの賢者は姉貴一人じゃないが、それでも姉貴一人抜けるだけで、他の賢者に課される負担は増える。

「アレの事はファニィちゃんに任してるさかい、ウチは安心して一足先に帰れるわ」

「そっか……俺も出来る限り手伝うし、きっと取り返してくるから、もうちょっとだけ待っててくれよな」

「うん。あんたにもちょっとだけ期待しといたるわ。しっかりしぃや」

 姉貴はカップを持ち上げ、ハーブティーを飲み干した。

「ああ、そや。もう一つ」

 姉貴がお茶のおかわりを催促するので、俺はティーポットから姉貴のカップにお茶を注ぐ。

「あんたがオウカにいてるゆう事は、おとんにもおかんにも言うてへん。取り返したモン、あんたが持ってくるなり別のお人が持ってくるなり、ファニィちゃんとあんたの判断に任せるわ」

 修行するという大義名分掲げて、実際はただ家出しただけの俺を、姉貴は両親たちには知らせず黙っていてくれると言ってるんだ。なんか……姉貴に頭、上がんねぇな……。

 俺は苦笑しながら小さく頷いた。

「でもこれだけは言うとく」

 姉貴が目を細めて笑みを浮かべる。賢者としてのものではなく、ただ一人の、不出来な弟に対する、姉としての顔。

「ウチもおとんもおかんも、あんたの事、ホンマ心配してるんやで」

「……ああ。その……ありがとう、な……」

 俺はなんだか照れ臭くなり、姉貴から顔を背けた。

「あんたの気持ち、整理できたら、いつでも戻っておいでや。余計な心配はいらへん」

「ああ……」

 魔術師である事を気にしなくてもいいって事だろう。姉貴や親父たちだけは、何があっても俺の味方でいてくれる。俺は姉貴たちに守られ、庇護され、だから、生きていける。絶望しなくて済む。言葉じゃ、感謝しきれねぇよな。

 本当に心の整理がついたなら、ジーンに帰ろう。魔法使いになれてもなれなくても。帰って無事な顔を見せる事が、俺ができる唯一の恩返しだ。


 姉貴は結い上げた髪から零れるひと房の髪に指先を絡める。そして唇の端を笑みの形に吊り上げた。

「そやなぁ……その時はついでに、甥っ子か姪っ子の顔も見たいわぁ」

「そっ! それはさすがに……ちょっと……気が、早過ぎるだろ……」

 尻すぼみに自然と声が小さくなる。顔が熱い。俺がファニィに惚れてるって事は、姉貴に完璧にバレちまってるからなぁ……。これからもきっと、何かにつけてからかわれる。間違いない。

「ああ、そうやね。これはさすがに無理やんなぁ」

「そ、そうだよ。当然だろ。だって俺とファニィはまだ……」

「しゃーないなぁ。コートニス君、男やもん」

「なんでそこでコートなんだよッ!」

 俺は思わずテーブルを叩いた。

 姉貴が愉快そうに口元に手を当ててニヤニヤしてやがる。

「あんたモテモテやん、コートニス君に。ウチの講義サボるくらい、あんたに惚れてんやろ、あの子? 撫でくり回したなるくらい可愛らしい顔して、あんたの事、好きでしゃーない言うとったよ」

「姉貴にまで言いふらすか、あのクソガキは……」

 恥ずかしいとか苛つくよりもまず、頭が痛くなってきた。コートにしろ、ジュラさんにしろ、なんでよりによって俺なんだ? ラシナの民は揃って美意識の高い人種なはずだろうが。あの美形姉弟が揃って、外見印象が決していいとは言えない俺を選ぶ理由がまず分からない。

「最初はちょっとびっくりしたけど、コートニス君やったら構へんで! あの子別嬪やし! 姉ちゃん応援したるで! 頑張りや!」

「何を頑張るんだ何を! コートがそれなりに可愛いのは認めるが、俺は断じて違う! アレと一緒にしないでくれ。俺はノーマルなんだ!」

「ちゃうちゃう。それなりに可愛いんやない。ごっつう可愛いんや」

 鼻息荒く、姉貴力説。

 そもそも姉貴と言い争う論点からして違っていた。これ以上、何を言ってもどんな反論しても無駄だ。そもそも俺が姉貴に勝てる見込みは、あらゆる点で永遠に一切無い。皆無である。断言できる。


「勝手に言ってろよ。それで? いつ帰るんだよ、姉貴は?」

「明日や」

「おいおい……随分急だな」

 さすがに俺も複雑な気持ちになる。

 姉貴の趣味とも言える弟いびりには辟易するが、実際いなくなると分かると寂しくもある。無意味な意地張って帰らない連絡しないという俺も悪いが、せっかく久しぶりに会えたのに。

「情けない顔しいなや。いつでも姿くらい、見られるやん」

「俺には、姉貴が使うような水鏡の魔法は使えねぇの。悪かったな、不出来な弟で」

 俺が不平を漏らすと、姉貴はテーブルに両手を置いて微笑んだ。

「分かってんやったら、もっと修行しぃ」

 修行でどうにもならない事は、姉貴が一番よく分かっているはずだ。でもあえて、そう言ってくれる事が俺には嬉しい。炎の魔神の呪いだとかいう訳の分からない、先の見えない呪縛に気持ちが絡め取られないで済むからだ。

「オウカには一端の魔法使いがいないし、魔術師はもっといないだろうから……コートの修行は俺が引き継げばいいのか?」

「そうや。呪文とか構築式はもう大体覚えたんよ。でも魔力の循環と供給解放が不安定やねん」

 魔法であっても、魔術であっても、自分の体内にある魔力を循環させて供給解放するという手順は同じだ。一人前の魔法使いになる最大の難関は、自分が宿す魔力を安定供給させる事で、魔法を習いたての初心者が最初にぶつかる壁がこの部分なんだ。

「物心つく前から教え込むのと、そうでないのじゃ飲み込みが違うからなぁ……」

 ジーンの人間の大半が魔法使いであるのは、生まれた時から魔法使いになれという教育をされる賜物だ。だから外部から魔法使いになりたいとジーンにやってくる人間は、大抵この魔力循環の辺りで挫折を経験する。

「そうやねん。コートニス君は物覚えはごっつうええねんけど、ブキッチョさんやからね」

 あいつの本業はからくり技師だから手先は器用だし、頭が良くて機転も利くので物覚えの早さは常人を遥かに凌ぐ。だが生きる術というか、世渡りの下手さというか、そういった面の壊滅的不器用さは、他人がどうこう教えてすぐ直るものではない。

 精神的とも感覚的ともされる魔力の循環の得手不得手は、物質的な器用さとは結びつかない。魔法に携わらない者が、普段の生活に全く活用する機会のないものをコントロールする事は、幼い頃から訓練しているのとそうでないのとではかなりの差が出る。物心付く頃にはすでに神童だと謳われてきた姉貴でも、魔力のコントロールにはかなり慎重に時間を割いて修行してきたんだ。当然未熟な俺は、姉貴の更に倍の倍以上は。

「魔力の循環とか安定供給くらいやったら、あんたでも教えられるやろ?」

「ああ。純白魔術の基礎知識も、一応は全部覚えてる」

 暗黒魔術師である俺には扱えない純白魔術だが、知識だけは身に付けてある。手本を実践して見せてはやれないが、万が一にもコートが構築式を忘れたと言っても、口頭で教えるだけなら俺でもできる。いざとなったら意識の同調という手も使えるしな。

 ……コートと意識の同調か……む、無理かも……。

「ほなウチ、荷物纏めなアカンさかい、宿に戻るわ」

「俺に手伝える事はないか?」

「いらんいらん。あんたに手伝うてもろたら、余計に時間掛かってしゃあないわ」

 姉貴は椅子から立ち上がり、ポンと俺の肩を叩いた。

「手伝いはいらんから、明日とびっきりの弁当作って見送ってや。当分、あんたの作るご飯ともお別れやしな」

「分かった。コートとファニィとジュラさんも誘って、明日見送りに行くよ」

 食堂を出て行く姉貴の背を見送り、俺はポットとティーカップを片付けた。


       2


 書類に強くハンコを押し、あたしはそのまま机の上に上半身を投げ出した。

「終わったぁ……」

 ホント、今日中には終わらないと思ってた。

 組合の事務処理って、意外と多いのよね。受け付けた依頼はもちろん、事後処理や各チームのお給料や必要経費の確認なんかも、一度全ての書類を、元締めとあたしが目を通さないといけないんだもの。依頼が複数のチームに重なった時とか、そりゃもう執務室が戦場よ。今日みたいに。

こういう表に一切出ない裏方の仕事、組合員には意外と理解されてないのよね。だから『食堂バイトの誰かさん』はすぐに「また書類貯めこんだのか! 毎日きっちり片付けていけ!」なんて、無責任に怒鳴ってくれちゃうのよ。

「目が渇いてちょっと痛いです……」

 コートが両手で目をぐりぐりマッサージしながら俯いている。あはは。コートもお疲れさま。

「さすがにこの歳になると堪えるな」

「元締めがサイン間違いしなければきっともっと早く終わってたわ」

「……まだ根に持っとるか、ファニィ」

 あは。ちょっと皮肉。でも事実だもん。

「じゃあ後は経理に書類回して……」

 あたしが言い掛けると、執務室のドアがノックされた。


「はい、どうぞ」

「失礼します」

 組合の受付事務を取り仕切っているリッケル君だった。彼がわざわざ執務室に来るという事は、緊急の依頼が組合に持ち込まれた事を指す。

「先ほど自警団より、緊急の依頼が持ち込まれましたので、ご報告に参りました」

 ほらね。

 オウカには、腕に自信のある住民が寄り集まって組織された自警団が幾つか存在する。ジーンやコスタのように国を代表する王族や貴族はいないから、国を守るための軍隊ってものがないの。だから国を守るのはそこの住民の仕事。だから冒険者組合という存在は、国を跨いだ特殊兵団のような意味合いをも持つ事になるわね。

 そういった各国の自警団の手に負えなくなった仕事は、便利屋組合とも称される冒険者組合に流れてくる事が稀にある。今回もきっとそういった依頼なんだろう。


「分かった。わしが目を通すので……」

「大丈夫です。あたしが行きます」

 あたしは元締めの言葉を制して、リッケル君の持つ依頼状を受け取った。

「ファニィ。君も疲れているだろう?」

「元締めより体力はありますよ。ふむふむ……」

 依頼状には、今、オウカを騒がせている猟奇殺人事件の犯人を捕縛してほしい旨が記されていた。

 殺人事件解決なんてものは自警団の仕事だけど、犯人が自警団の手に負えない凶悪犯や魔物となると、冒険者組合の仕事にシフトする。今回の依頼も、自警団が突き止めた犯人は魔物だったというものだった。

「目撃情報の乏しい事件だそうですが、唯一生き残った者が、魔物の姿を見たそうです」

「ちょっと気になってたんだけど、町の中の事件なのに魔物が犯人なの?」

「はい。詳しくご説明したいので、早急に担当チームを決めていただき、会議を開いていただけますでしょうか?」

 あたしは振り返り、不安そうにこっちを見ているコートに呼びかけた。

「コート。あんた、まだ動ける?」

「は、はい。大丈夫、です」

 コートも疲れてて悪いとは思うけど、これはちょっと他のチームに任せてはおけないわね。動くのは少数精鋭のあたしのトコがいい。

「じゃあ緊急って事で、ジュラとタスクを呼んできて。いつもの小会議室」

「はい」

 コートは椅子の背に引っ掻けていた帽子を被り直し、急いで執務室を出て行った。

「ファニィ。無理はするでないぞ」

「うん、まだ平気。コートは前線から下げて、ジュラとタスクに頑張ってもらうから」

 あたしとコートの体調の心配をしてくれる元締めに向かって、あたしは片目を瞑って答えた。


 それから半刻もしない内に、ジュラとタスクが小会議室へ来た。あたしはコートとリッケル君を伴って二人に向かい合う。

「緊急の依頼よ。リッケル君、説明お願い」

 リッケル君が、二人を待つ間に複写しておいてくれた書類を配りながら話し出す。

「市場を中心として、今、オウカを騒がせている猟奇殺人の犯人が魔物ではないかとの、自警団からの依頼がありました。唯一の目撃者である者も重傷による昏睡状態だそうで、対する魔物に関した詳細な情報がありません」

 巷を騒がせる猟奇殺人事件は犯行現場がバラバラで、目撃者は今まで一人も出てこなかった。原因は簡単。目撃者も殺されていたから。つまり皆殺し。

 本当の意味で猟奇的な事件ね。だから今回、重症で昏睡状態と言えど、目撃者が生き残ってたというのが、この事件を解決に導く糸口になった訳ね。

「その目撃者の話によると、人の姿をしていた魔物は、突然魔物へと変化したそうです」

「ふーん。そういう魔物もいるんだ。怖いね」

 あたしは真面目に聞きながらも、必死におなかが鳴るのを堪えていた。だってよく考えれば、朝から何も食べてなかったんだもの。

「事件の発生時刻は深夜に限られているのではないかとの事です。生き残った目撃者の証言と、物音を聞いた等の証言情報の圧倒的少なさから導き出された推理ですが、被害者の数などを考えても妥当な線ではないかと」

 なるほどなるほど。確かに深夜なら、出歩いてる人はあんまりいないわよね。

「そして魔物の特徴ですが、赤い目をした巨漢の魔物だそうです。しかし魔物化する前はごく普通の人のサイズだったとの事です」

「赤い目……」

「普段は人の姿……?」

「深夜の徘徊……」

 ぼんやりとメモを取っていたあたしは、ふいに自分に注がれる複数の視線に気付いた。

「えっ?」

 みんなを見回すと、タスクもコートもジュラもリッケル君も、みんながみんな、揃ってあたしをじーっと見ていた。

「な、なんなのよ! どうしてあたしを見てるのよ!」

「いや……なんつうか……当てはまるポイントが多過ぎて」

「補佐官様を疑う訳ではありませんが、私もタスクさんと同意見です」

「ご、ごめんなさい……」

「うふふ。みなさんファニィさんをご覧になっているんですもの。わたくしも真似をしてみましたの」

 カァッと頭に血が昇り、あたしは憤慨してテーブルを思いっ切り叩いた。

「冗談じゃないわよ! あたしは確かに夜中に血が騒いで一人で散歩に行ったりするけど、でも町に出ないわ! それに魔物化するのは満月の夜だけ! あと、あたしのドコが巨漢だって言うのよ! 失礼ねッ!」

 魔物の血を濃く受け継ぐあたしが赤い目をしているのは事実。夜遅くにふいに血が騒いで深夜徘徊しちゃうのも事実。それらを知らない組合員はいない周知の事実だけど、でもあたしの体は巨漢って言われるような大きさじゃない。魔物化した時だって体格はそんなに変わらない。むしろ小柄。背だって同じ年頃の女の子より低いくらいよ。

「ああ、悪い悪い。ちょっとどころか、ことごとくいろんなポイントが耳に引っ掛かっただけだからお前は気にするな」

「気にするわよ!」

 あたしは歯ぎしりしてもう一度テーブルを叩いた。コートが怯えてジュラにしがみ付いている。

「そんなに疑うならあたしに見張りでも付ければいいでしょう!」

「魔物化して暴れるお前を抑えきれる奴がこの組合にいるか、馬鹿」

「タスク! あんたやっぱあたしを疑ってんのねっ!」

「だからそうムキになるな。誰もマジでお前だとは思ってねぇから」

 あーっ、ムカつくわねっ! あたしは足を組んで椅子に深く座り、頬を膨らませて顔を背けた。

「今から町の見回りよ! あたしは疑われてるみたいだから、あんたたち、絶対目を離さないようにね!」

 あたしが皮肉を込めて言うと、タスクは苦笑してテーブルに頬杖をついた。

「お前もガキだねぇ。いちいちムキになって」

「なによぉっ! 疑われるこっちの身にもなりなさいよ! 言っていい冗談と悪い冗談があるでしょうが!」

 本気でムカついてきた。あとでタスクの背中蹴っ飛ばしてやるわ!


       3


 組合に猟奇殺人事件解決の依頼が持ち込まれて、今日で五日になります。あっ……夜間に持ち込まれた依頼だったので、正確には四日と半日、としたほうが正しいでしょうか。

 僕と姉様、ファニィさん、タスクさんは、午前と午後、そして夜間の三回、毎日町の見回りに出掛けています。でもこの五日で、同じような事件は起こっていません。僕たちの見回りが功を奏しているのでしょうか?

「はぁ……」

 ファニィさんが気だるそうに溜め息を吐かれます。実を言うと、僕もさっきから欠伸をしないように我慢しているんです。

 一日三回の町の見回りをもう五日も続けているのですから、みなさん、疲労が蓄積してきて当然です。ファニィさんは見回りのほかに、組合の補佐官のお仕事もされていらっしゃいますし。そして僕は子供ですから、みなさんよりずっと体力がなくて。

「今日、早めに切り上げるか?」

「そういう訳にもいかないでしょ」

 タスクさんがファニィさんを気遣って声を掛けていらっしゃいます。ファニィさんはいつものように突っぱねましたけれど、本当はタスクさんが仰るように、組合に戻って休みたいと思ってらっしゃるのがよく分かります。

 僕は姉様に手を引かれて歩いていますが、さっきからよく足がもつれて躓くんです。

「コート。お前は先、帰ってろよ」

「だ、大丈夫……です……」

 タスクさんが僕を気遣ってくださったので、僕は嬉しくなって顔が熱くなりました。


 市街地を抜けて、市場の見回りのために町の中心部へ向かっている時でした。

「あ、タスク兄ちゃん。こんちは」

 聞いたことのない声がタスクさんのお名前を呼んで、タスクさんが振り返りました。僕たちもそれにならって振り返ります。

 すると大きな籠を背負った、健康的に日焼けした肌のかたがタスクさんに向かって元気に手を振っていらっしゃいました。お歳は……僕より少し上、でしょうか?

 僕は知らないかたですけれど、タスクさんのお知り合いなのでしょうか?

「よう、コハク。配達の帰りか?」

「そうだよ。これ終わったら組合に行くつもりだったんだ」

 タスクさんがあっと小さく声をあげて、僕たちの方へ向き直りました。

「おう。みんな、悪い。紹介するよ。こいつは市場の青果屋台のトコの坊主でコハク。最近親父さんの手伝いを始めたんだってさ。だから組合には親父さんの付き合いで御用聞きに何度か来てる」

「こんちは。はじめまして」

 コハクさんが僕たちに向かってペコリと頭を下げられました。僕も慌てて頭を下げます。

「はじめましてだね。こんにちは。あたしは組合の補佐官のファニィ。こっちはジュラで、こっちがコート。コハク君、よろしくね」

「タスクさんのお友達さんですのね。わたくしはジュラフィスですわ」

 僕はコハクさんに挨拶なさる姉様に隠れて、もう一度小さくペコリと頭を下げます。知らない人とすぐ気さくにお話しなんて……僕にはできません。恥ずかしいです。

 僕がまごまごしていると、コハクさんは僕を不思議そうな目で見ていらっしゃいました。な、何か……僕にご用、なんでしょうか?

「タスク兄ちゃん。みんな組合の人?」

「ああ、そうだよ」

 コハクさんは僕を指差し、首を傾げられました。

「こいつ、まだ子供じゃん。組合って年齢制限あんだろ?」

「ああ、えっと、コハク君。この子はちょっと特別なの。特例で組合に所属してるのよ」

 ファニィさんが説明されましたが、コハクさんはまだ首を傾げています。

「まだこんな小っせえのに?」

「コハクは十一だっけ? じゃあこいつはお前の一つ下だよ。見た目、コレだけど」

「うわー! 小さいな、おまえ!」

 え……僕と一歳しか違わないんですか? 体も大きいし、物怖じなさらないし、もっと年上のかただと思っていました。

 突然、タスクさんがポンと手を打ちました。

「そうだファニィ。ちょうどいいから、市場の青果屋台、寄ってっていいか? 後で御用聞きに来てもらうくらいなら、今ついでに注文入れておいた方が、コハクの親父さんも手間にならないし」

「うん、別にいいわよ」

 不審な気配を探して見回りするにも、少し飽きていたせいかもしれません。ファニィさんはタスクさんの提案を快諾なさいました。

「うち来るの? じゃあこっち。近道だから」

 コハクさんが嬉しそうに僕たちを案内してくださいました。とても元気なかたなのですね。


 オウカの歴史は他国と比較すると意外と浅く、最初から整列整備されて作られた町ではないので、後付けで敷かれた細い脇道や裏通りも多いのです。だから地図にない入り組んだ裏道は僕もちゃんと把握し切っていませんから、近道を教えていただけるのはとても助かります。

 市場の西の端の方にある青果屋台の前まできて、タスクさんは屋台のご主人と、組合の食堂の注文についてお話を始められました。僕たちは口出しする事はないので、ただ待っているだけです。

「タスクったらすっかり食堂の実権握ってるね」

 ファニィさんがおかしそうに笑っていらっしゃいます。

「まぁ珍しい果物ですわ。わたくし、ちょっとおなかも空いていますし、試食させていただけないかしら?」

 姉様が屋台に並ぶ果物を見て呟いていらっしゃいます。

「ジュラ姉ちゃんだっけ? 食べる?」

「まぁ! よろしいんですの? 嬉しいですわ」

 コハクさんがナイフを取り出して、果物の山から一つを取り、器用に手の上で切り分けられました。そして一切れずつ、姉様とファニィさんに渡してくださいました。そして姉様の背後に隠れている僕にも、熟れて瑞々しい果物を差し出してくださいました。

「お前も食っていいよ」

 ニッととても愛嬌のある笑顔で微笑まれます。

「……あ、あの……ね、姉様が……ご無理を……すみま、せん……」

「は? 何? おまえ、声小っせえから聞こえない」

 僕は姉様がご無理を言ってしまったことをお詫びしたかったのですが、コハクさんには聞こえていなかったようです。ど、どうしましょう……ちゃんとお詫びしないと……。

「ね、姉様が……」

「なぁお前。小さいのにすごいんだな! 冒険者だって!」

 突然コハクさんが僕の手を取り、先ほどの果物を乗せてくださいました。それから僕のことを、褒めてくださいました。

 そ、そんな……僕は姉様に隠れて、みなさんに必死に付いていくだけで……。

「美味いよ、それ。エルト地方の果物なんだ」

「え……は、はい……あの、いただき……」

「オヤジ! シークの実、一個潰したから!」

 コハクさんのお話は、話題が次々に変わってしまうので、いつどういう風に返事をすればいいのか、そしてタイミングも、僕には分かりません。ただでさえ僕は知らないかたとのお話しが得意ではないですのに……。

 僕が戸惑っていると、手の中のシークの実から果汁が滴って、手がびちゃびちゃになってしまいました。

「あ、ほら早く食わないと!」

「は、はいっ……う……」

 急かされて実を口に含んだ僕は、思わず涙目になってしまいました。だってとても酸味が強かったんです。

 僕、すっぱいものはあまり得意でなくて……。

「酸味があるけど、後味がさっぱりして美味しいね」

「わたくし、とても気に入りましたわ」

 ファニィさんと姉様が美味しそうに実を召し上がっていらっしゃいます。

「姉ちゃんたち、気に入った? まだあるけど」

「まぁ嬉しいですわ」

 姉様がもう一つコハクさんから実を受け取って召し上がっていらっしゃます。姉様は食べ物の好き嫌いがあまりないですから。

「あれ? おまえ……」

「す、すみま、せん……その……少しすっぱくて……」

「こういうの苦手なんだ。じゃあ別のなんか甘いやつをっ、と」

「い、いえ……っ! う、売り物ですし……!」

 僕が慌てて遠慮すると、コハクさんはきょとんとして僕を見ます。僕は少し恥ずかしくなって口籠り、俯いて上目使いにコハクさんを見ました。

「いらないのか?」

「は、はい。あの……お気持ちだけで……あ、ありがとう、ございます……」

 コハクさんは腰に手を当てて、むっと唇を尖らせました。

「お前ってめんどくさい話し方するんだな。疲れねぇ? おれとおまえって歳もそう変わんないじゃん。タメでよくねぇ?」

「は、はぁ……でも……その……これが普通ですし……」

 僕って面倒くさかったのでしょうか?

 ……あれ? 僕、コハクさんと普通に話しています……よね? まだ少し緊張はしますけれど、でも会ったばかりのかたとこんなに普通にお話しできるなんて。

 不思議な人です、コハクさんって。

「ねータスクー! まだー?」

 ファニィさんがタスクさんを急かしました。食堂で使う食材はたくさんありますし、その注文をするのですから、そんなにすぐには無理だと思うのですけれど……。


「……あら? ファニィさん、あちらへ!」

「きゃっ!」

 姉様が小首を傾げて屋台の天井を見上げ、そしてすぐにファニィさんを突き飛ばしました。そのまま僕の方へ手を伸ばしてきたのですが、僕も姉様の気付いた異変に気が付いた時、すでに遅かったんです。

 僕の視界が真っ暗になりました。地面に強く投げ出された衝撃と、屋台の柱が折れる音にびっくりして、僕はとっさに傍にあったものにぎゅっとしがみ付きました。

「ファニィ! ジュラさん! コート!」

「コハク!」

 真っ暗闇の向こうから、タスクさんの声と、屋台のご主人の声が聞こえます。

「イタタ……あたしは平気……ジュラ、ありがと。でももうちょっと力加減、考えてね」

「コート! コートはどこですの?」

 姉様の声。僕の視界はまだ真っ暗で、何も見えません。僕、屋根の下敷きになってしまったのでしょうか?

 屋台は太い柱に厚手の布を屋根としたものですが、大きな布をピンと張るために格子状に細い木材を張り巡らせてあります。だから結構重いんです。そんなものの下敷きになっては、僕なんて潰されてしまいます。

 でも……体は打ちましたけど……あまり痛くないです。

「イテテ……」

 すぐ傍でコハクさんの声が聞こえて、僕は驚いて目を開きました。

 あっ……ぼ、僕、驚いて、目を瞑っていたことに自分で気付いてなかったんですね。だから何も見えないと勘違いして……。

「コハク、無事か?」

「何とか。こいつも無事だよ」

 屋台のご主人が、コハクさんと僕を屋根部分の布の下から助け出してくださいました。

「コハク君がコートを庇ってくれたのね。ありがとう」

 僕はコハクさんに手を引かれ、ゆっくり立ち上がりました。どうやら僕、とっさに動けなくなっていたところを、コハクさんに庇っていただいたようでした。

「おまえ、冒険者なんだろ? あんましボーッとしてんなよ」

 コハクさんが手の甲で、頬を擦って砂を落とします。まるで何事もなかったかのように、さっきと同じように、人懐っこい笑みを浮かべていらっしゃいます。

「え……あ……ごめ、んなさ……ご迷惑……」

「オヤジー! なんでもっとしっかり柱固定してねぇんだよ! あぶねぇじゃん!」

 コハクさんが腰に手を当てながら、屋台のご主人様の方へ行ってしまいました。僕はお礼を言いそびれて……ただ茫然と、その場に立ち尽くしていました。

 忙しくて、嵐みたいなかたです……コハクさん。でも、悪い人でないのは分かります。素敵なかただと、思います。


       4


 町の見回りはあれからまだ続けてる。だけど全然事件は発生しない。

 そりゃあ殺人事件なんて再発しないに越した事はないんだけど、でもそれじゃ犯人は永遠に捕まえられない訳で、そしてあたしたちの見回りは延々と続く訳で、とにかく事件が起こってくれないと、この依頼は未来永劫完了しない。

 さすがに不死身のあたしでも、そこまで体力は持たないわ。死なないけど。


「かと言って、二人と二人の交代で見回りって訳にもいかないわよね。もし事件が起こったら、二人じゃ対応できないし、コートを一人分とカウントするには可哀想だし」

「他のチームにも手伝ってもらうってのも無しか?」

「うーん……ホントはあたしの手で片付けたい依頼だったけど、その方がいいかもね。いざって時に動けないじゃ意味ないもの」

 あたしは食堂で、タスクの淹れてくれたお茶を啜りながら、かなり疲れた足を片手で揉みほぐす。誰かマッサージしてくれないかな?

 あたしの隣では、ジュラがテーブルに両手を枕にしてすやすや眠り込んでいる。体力だけが自慢のジュラでこれだもんねぇ。あ、ジュラだから能天気に居眠りしてるのか。

「……プーッ! ご主人サマってガラかよ、あのオヤジが!」

 食堂の端っこで大声で笑っているのは、町の青果屋台の息子のコハク君。なんだかコートが気に入ったとかで、御用聞きのついでにいつもここでコートとちょっとお話しして帰っていく。お話って言っても、聞こえるのは声の大きいコハク君だけで、元々声が小さいコートの声はほとんど聞こえない。

 一応……会話、成立してるのよね?

「コートもなんか楽しそうだな」

「組合に同年代の友達いないもんね。オウカに来てから、初めての友達じゃないかしら?」

 コートが真っ赤になってコハク君に何か反論している。だけどコハク君はケラケラと笑っているだけ。

 社交的で明るいコハク君に、内気で慎ましやかなコート。全然違うタイプだけど、やっぱり同年代っていうだけでもいい友達になれるわよね。

「そうだ、コート! こっちこっち!」

 コハク君が突然、コートの手を引っ張ってあたしたちの方へやってきた。

「タスク。おやつのおねだりかもよ?」

「えー、マジかよ」

 茶化して言うと、タスクはまんざらでもない様子で笑う。こいつって、自分の作ったもの食べた人が美味しいって顔してると、すっごい嬉しそうないい顔するんだよね。

 健康的に日焼けした肌の元気いっぱいのコハク君と、ラシナの民特融の透明感のある白い肌でおとなしそうなコート。本当に見た目も正反対。


「姉ちゃん、兄ちゃん、ちょっと相談!」

「なぁに?」

 あたしが首を傾げると、コハク君は突然コートをぎゅっと抱きしめた。コートは目を白黒させて驚いている。

「おれ、コートと付き合っていい? こいつ、すっげー気に入ったんだ!」

 タスクが盛大にお茶を吹き出す。うわっ、汚いなぁ!

「え……ふええぇっ?」

 コートもコハク君の突然の交際宣言に驚いて、彼の腕の中で顔を真っ赤にして硬直している。

 あたし、ちょっと絶句。

 あー……うん。ちゃんと言ってなかったあたしたちも悪いんだけど、でもコハク君が勘違いするのも仕方ないよね。コートだし。

「コ、コハクさ……な、なに……急に……だって……!」

「おれ、彼女作るなら絶対頭のいい奴って決めてたんだ! おれバカだからさ」

 テーブルの上に自ら吹き出したお茶を、クロスで拭きながらタスクは渋い顔をしている。あたしは頬杖をつき、ふぅと嘆息した。

「……どうする?」

「言ってやれ。傷が浅い内に」

「タスクが言えばいいでしょ。関係者なんだし」

「なんで俺が!」

 期待に満ちた眼差しで、コハク君はあたしたちを見ている。どっちが話すかタスクと言い争ってると、ジュラが小さく欠伸をして目を覚ました。

「まぁコート。お友達さんと仲良くしていて?」

「ジュラ姉ちゃん! おれ、コートと付き合っていい? 姉ちゃんはコートの姉ちゃんなんだよね?」

「コートと仲良くしてくださるの? それはとてもいい事ですわ」

 ジュラが会話に混ざると余計にややこしくなるから黙らせないと。

「ジュラ。ちょっと黙ってて」

 あたしはやれやれと首を振り、コハク君の視線に合わせて身を乗り出した。

「コハク君。ちょっと勘違いしてるみたいだからきちんと教えてあげるね。コートって、君と同じ男の子だよ」


「うん。だから?」

 コハク君が不思議そうに小首を傾げる。

 ……あれ?

 今度はあたしの方が逆に首を傾げる。


「いえ、ね。だからコートは男の子だけど、付き合うって……本気?」

「ファニィ姉ちゃん冗談うまいなぁ。こんな可愛い男、いる訳ないじゃん。な、コート?」

「ぼ、僕……男……です……」

 コートが真っ赤な顔で、今にも泣き出しそうな表情で正体を明かす。あ、ううん。明かすって言うより、ありのままの事を白状するというか。

するとコハク君は笑顔のまま硬直した。

「ファニィさん、コハクさんはどうなさったの?」

「うん、ショックなんだと思うよ」

 ジュラが、訳が分からないと言った様子で指先を唇に当てて首を傾げる。ジュラに、このややこしい状況を理解させるのは無理だろうなぁ。掻き混ぜてひっくり返してもっと混乱させるのは得意だろうけど。

「……えっ、えっ? だってコート、タスク兄ちゃんに憧れてるって言ったじゃん! タスク兄ちゃん男じゃん!」

 タスクがやれやれと溜め息を吐いて、面倒臭そうにコハク君の前で手をヒラヒラさせる。

「コートはな。『そういう性癖』なんだよ。一方的に惚れられてんの、俺。でも俺はノーマルだから相手にしてねぇけどな」

「ぐすっ……」

 コートが目に涙をいっぱい浮かべてコハク君を上目使いに見る。

「ご……ごめん、なさい……言うタイミング……逃してしまって……でも、コハクさんが僕のこと、そう思ってくれてるなんて知らなくて……」

 コートって自分が惚れっぽい性格してる割には、周りからの好意に鈍感だよね。エイミィの時もそうだったし。

「……マジ?」

 コハク君が腕の中のコートに再確認する。コートはぐすぐすとしゃくりあげながら一回頷いた。

「……えーっと……ちょっと考えて……また来るよ。おれ、なんか頭グチャグチャ」

 コハク君がコートから離れ、ぐっと唇を噛み締めて逃げるように食堂から出て行った。

「コート。なんで最初に言わなかったの?」

 コハク君もちょっと強引だし身勝手だったけど、でも最初に説明しないコートも悪いわよね。今までどれだけ自分が女の子に間違えられてきたのか、忘れちゃってるんじゃないかしら?

「だって……お分かりになっていらっしゃるとばかり……」

「お前は自分の見た目と中身のチグハグさを認識しろ。もういっぺん鏡見てこい」

 タスクは呆れたように呟き、カップに残ってたお茶を飲み干した。


       5


 魔物による町での猟奇殺人事件解決の依頼が組合にもたらされてから、今日で十日。日に三回の町中の見回りも、正直今日辺りが限界だった。

 疲労の滲む足取りで、月明かりと手元のランタンだけが頼りの見回りを続ける俺とファニィ、そしてジュラさんとコート。

「ふあぁ……ねむ……」

 俺は大欠伸をしながら、ランタンで、人っ子一人いなくなった市場の物陰を照らして、何か手掛かりがないかを確かめた。

「眠いですわ。わたくし、夜更かしは得意ではありませんの」

「そう? 夜の方が目とか冴えてこない?」

 ジュラさんが眠そうに目を擦る。するとファニィは一人妙に軽い足取りでステップを踏み、ニィと笑って振り返った。ああ、そういやもうすぐ満月だな。またこいつの血が活発化する時期だ。

「俺たちとお前を一緒にするな。夜行性」

「ひっどーい! まだあたしをそういう目で見るかぁ?」

 ファニィが大仰な仕種で返事をする。本気で怒っている訳ではなく、疲労と睡魔に見舞われている俺たちを、少しでも元気づけようとしているんだろう。いかにもファニィらしい。

 ファニィの様子にクスクスと柔らかく笑ったジュラさんだが、コートだけはぼんやりとしている。ガキはとっくに寝てる時間だから仕方ないんだが。

「じゃあ市場をもう一周だけして、今日のところは帰ろうか。明日からは別のチームにも見回り、手伝ってもらえるし」

 いつも以上に歩調が遅れ気味のコートを待ち、そして歩き出しを繰り返す。

 コート、まだコハクの事を考えてんのかね? あれからコハクは組合に来なくなっちまったし。

 んー、でもまさかコハクの奴が、コートに惚れるとは思ってなかったからなぁ。コートもさっさと性別バラしておけば、あんなにややこしい事にはならなかったのに。


 市場の西方面に向かって歩いていると、ふいに俺の胸がグッと締め付けられるような感覚に見舞われた。呼吸が浅くなり、ギリギリと心臓が締め付けられ、指先が痺れ、そして額に脂汗が滲む。

 なんだ、これは……?

「タスク、どうかした?」

 いち早く俺の異変に気付いたファニィが訝しげに俺を見上げてくる。

 これ、は……これは!

「魔術……」

「え、なに?」

 間違いない、魔術の力だ! この近くに魔術に関わる何かがある! なぜだ? 昼間来た時は何も感じなかったのに……。

「お前らは俺の後ろに下がれ! 魔術に関わる何かがこの近くにある!」

「え? え? それって何? 前にあった魔鏡みたいなもの?」

「弱い力だからまだ分からない。だが……」

 俺がそう言い掛けた時だ。絹を裂くような悲鳴が、軒を連ねる屋台島の先から聞こえた。

「まさか出たの?」

 ファニィが腿に差した鞘から短剣を抜き放ち、声のした方へと駆け出す。

「待て、ファニィ!」

 あの声は気になるが、この魔術の波動だって放ってはおけない!

「コート!」

「はい、姉様!」

 ジュラさんがコートを抱え上げ、ファニィに続いて駆け出した。ああっ、ジュラさんまで!

「クソッ……」

 魔術の波動の事は気になるが、ファニィたちを放ってはおけない。あの悲鳴は例の殺人事件の犯人に出くわした誰かかもしれない。俺は一人遅れてファニィたちを追った。

 悲鳴のあった方へ近付くにつれ、なぜだか俺の胸騒ぎが酷くなる。そして魔力の波動も強くなってきたんだ。まさかこの力の源が、殺人事件に何か関わっているというのか?


 市場の西のはずれの、広場となっている場所で、妙齢の女性に襲いかかろうとしている人影があった。その人影には見覚えがある。

「リッケル君!」

 ファニィが叫ぶと、人影はこちらを振り向いた。

「ウウッ……」

 組合で見る、線が細く真面目で固い印象のリッケル先輩とは全く別人かと思えるほど、彼の放つ気配が変化している。月灯りに照らされたリッケル先輩は、苦しげに小さく呻いて牙を剥いた。

 深い緑色の瞳が赤く変化し、細見の体がゴツゴツと不自然に隆起し、膨らみ始める。

「赤い目の……魔物!」

 ファニィが両手で口元を覆って小さく首を振る。

「ファニィ! リッケル先輩にも魔物の血が混ざってたのか?」

「いえ! リッケルさんは普通の人間です。身元は組合加入の時に確認しています!」

 コートがジュラさんの腕から飛び降りながら叫ぶ。

「だったらなぜ、体が魔物に変化するんだっ?」

「ガアアァッ!」

 巨躯の魔物となったリッケル先輩は、気を失って倒れている女性の喉笛に噛み付いた。

「あ……ああっ……!」

 ファニィが強く自分の体を抱き締めながら、その場にへたり込む。ブルブルと全身を震わせ、目の前の魔物に心底怯えているようだった。

 どういう事だ? ファニィという奴は、組合の仕事で出掛けた先で、どんな恐ろしい魔物に遭遇しても、果敢に真っ先に飛び出していくような奴なのに、なぜか今回は、目の前のリッケル先輩だった魔物に怯えて、ただひたすらに震えて縮こまっている。

 クソッ! こんな時に何やってんだ、ファニィ!

「ジュラさん!」

「ええ、参りますわ!」

 ジュラさんが魔物との間合いを一気に詰め、掌底を叩き込む。魔物は噛み付いていた女性を離し、ジュラさんに向き直った。俺はすかさず帯に差していた魔法の杖を抜き放ち、火炎球の魔法を放つ。

「ファニィさん!」

 コートもファニィの異変に気付いたのか、彼女の元へと駆け寄る。だがファニィはコートの体を、悲鳴をあげながら突き飛ばした。コートが小さく声をあげて弾き返され、尻餅をつく。

 パニックでコートの事も分からなくなってるのか?

「おいコート! ジュラさんのフォロー行け!」

「は、はいっ」

 コートが袖を叩くと、手の中に火薬玉が幾つか転がり出る。そして火打石代わりの指輪に導火線を擦り付け、魔物に向かって投げ付ける。

よし、姉弟タッグにちょっと場を任せるぜ。


「ファニィ、しっかりしろ!」

 俺はファニィの腕を掴み上げ、無理矢理立たせる。

「イッ……イヤァーッ! 何もしてない! あたしは何もしてない!」

 幻覚でも見ているのかのように、ファニィが訳の分からない事を叫んで激しく首を振り、俺の手を振り解こうとする。

「ファニィ!」

「イ、イヤ……イヤなの……ッ! パパ! ママ! あたし何もしてない! 何もしてないよ!」

 青ざめた顔で、何度も何度も嫌々と首を振る。

 駄目だ、こいつは。錯乱しちまって、ファニィがファニィでなくなっている。何を切っ掛けにこうなってしまったのか、今は原因を究明している暇はない。

「ファニィ、しっかりしろ!」

 俺は少し強めにファニィの頬を打った。ファニィは一瞬体を強張らせ、怯えた眼差しで俺を見上げる。

「しっかりしろ。ファニィ」

「……見た……の……同じ……見て……」

「何を見たんだ?」

「……あたし、見た……同じ、なの……」

 ファニィが虚脱するようにまたその場へ座り込む。だが今度はさっきの怯えとは違い、魂が抜け落ちてしまったかのように呆けている。

「タ、タスクさん! リッケルさんが……どうすれば……!」

 コートがもどかしそうに声をあげる。二人だけでの応戦も、もう限界だな。

 それにこんな状態のファニィは使い物にならない。こいつを当てにはできないって事だ。

「今行く!」

 俺はファニィをその場へ残し、ジュラさんとコートの元へ急いだ。

 ジュラさんの体術と、コートの発破での攻撃は、波状となって魔物を広場の奥へと追いこんでいる。さっき噛み付かれた女性から遠ざけようとしているんだ。

 俺は牽制の火炎球を放ち、ジュラさんとコートの間へ割って入った。

「コート、さっきの女性の意識を確かめて動けるようなら避難させてこい! 首の止血方法も分かるな?」

「は、はい!」

 コートが駆け出す。すると魔物がコートを追って動いた。

「させるか!」

 再び火炎球を放つ。だが命中はしなかった。

「コートにおイタは許しませんわ!」

 ジュラさんが魔物に向かって素早く回し蹴りを放つ。魔物はそれを交わし、大きく跳んで空へ舞う。

「しまった!」

 コートのすぐ目の前に着地した魔物は、間髪入れずにコートに襲い掛かった。コートは足をもつれさせて転び、頭を抱えてその場に蹲る。

「コート!」

 ジュラさんが切羽詰った声をあげる。

「間に合わない!」

 頭の中の構築式が崩れ、俺は魔法を不発に終わらせてしまう。刹那、魔物が渾身の力で地面を叩き、石畳は割れた。


 だが……そこにコートの姿はない。コートはどこに行ったんだ?

「おまえ、ボーッとしてんなよ! 冒険者だろ!」

 弾けるような声がして、俺は魔物の肩越しに更に奥を見る。

 そこにはコートを抱いたまま転がっているコハクの姿があった。コハクはコートに怒鳴り付け、そして素早く手を引いて立ち上がらせる。

「コハク! コート!」

「兄ちゃん、やっちまえ!」

 コハクが俺に向かってそう叫び、コートの手を引いて市場の屋台の影に隠れた。

 あいつ、またやってくれた! コートの窮地を二度も助けやがって!

 俺はほっと胸を撫で下ろす。夜中にうろついてるコハクには感心しないが、今回はそのお陰でコートが助かったんだ。小言は少しだけにしておこう。

 だがコハクに「やっちまえ」と言われても、魔物化した人間を鎮静化させるなんて芸当、俺にはできねぇぞ……どうしたものか。純白魔術なら可能かもしれないが、コートはまだ魔力のコントロールができないから無理だ。

 だったら……もう、手は一つだけしか残ってない。


「……先輩、すいません! 恨んでくれて構いませんから!」

 俺は頭の中に複雑な構築式を描いた。

「ジュラさん引いて! 剣よ、貫け!」

 無数の炎の剣が、リッケル先輩だった魔物を次々と貫く。皮膚が焼け、骨が焼け、そして全てを焼き尽くした。

「はっ……はっ……」

 精神力をかなり消耗する、俺の使える中でも最大級の魔法。俺は消し炭になった魔物の死骸を見て、膝を折ってその場に座り込んだ。

「うっわ、すっげぇ……」

 コハクが屋台の影から首だけ出して、俺の魔法に感心したように声をあげている。

「はあ……はぁ……コハク、ちょっとこっち来い」

「なに、兄ちゃん?」

 ノコノコとやってきたコハクの頭を、俺はパコンと殴ってやった。

「なんでガキがこんな夜中に、こんな人気のない場所を一人でうろついてんだよ! 今、オウカじゃ殺人事件が起こってんの、お前だって知ってるだろうが!」

「いってーなぁ! だって仕方ないじゃん!」

 コハクが掴んでいたコートの手を引き、自分の方へ引き寄せる。コートはわっと小さく声をあげ、コハクにしがみ付くようによろめいた。

「どうしてもコートに会いたくなったんだからよ」

「えっ?」

 コートは驚いた表情でコハクを見上げる。

 俺は杖を頼りに立ち上がり、胸を押さえて深呼吸した。やっと息が整ってきた。

「コートはお前と同じ男だって、こないだ教えてやっただろ?」

「聞いたよ。だから?」

「だからって……」

 俺は思わず口籠り、眉を寄せる。

「ずーっと考えてみたんだけどさ。コートが男でも女でも、別にいいかなって。だっておれ、コートが好きなんだし」

「別にって……そういう問題じゃ……」

 コハクは一体何を考えてるんだ?

「コートだって兄ちゃんの事が好きなんだろ。じゃ、おれだってコートが好きでもいいじゃん。だから兄ちゃん、今、はっきり宣言するぜ!」

 コハクが俺をビシッと指差してくる。

「オウカにいる限り、コートはおれが守る! だから兄ちゃんは今からおれのライバルな! おれ、絶対にコートを諦めねぇから!」

「はぁっ?」

 つまりこれはコハクの同性愛趣向許容宣言で、俺は俺の意図しない三角関係に巻き込まれたという事か?

「まぁまぁ、わんぱくさんなお友達さんですのね。タスクさん、コート。新しいお友達さんがわんぱくさんで楽しいですわね。わたくしも今度ご一緒してよろしいかしら?」

 ジュラさんがのほほんと微笑んでいる。この人は本当にどこまでも、何が起こっても我が道を行く人だな。でもファニィは絶対この事を面白がってからかって……って、ファニィを忘れてた!

「おいコート! さっきの指示通り、あの女性の様態を見てこい! コハクも付いてってやれ! ジュラさんは念のため、ここにいてアレを見張っててください! 俺はファニィの所に行く!」

「え、あ、はいっ!」

 俺が急いでファニィの所へ戻ると、ファニィはまだ同じ場所で蹲っていた。

「ファニィ……?」

「……見、たの……あたし、同じ……見た……あたしじゃない……あたしじゃ……ない……あたし……何もして、ない……」

 ファニィは蹲って焦点の定まらない視線を泳がせ、さっきと同じうわ言を延々と繰り返していた。


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