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Light Fantasia  作者: 天海六花
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峡谷からの脱出

     峡谷からの脱出


       1


 随分急なお仕事です。

 通常なら組合へ持ち込まれた依頼は、内容を充分に吟味したのち、もっとも適切だと思われる組合所属のチームにそれぞれに振り分けられるのですが、今回は元締め様宛に書簡を届けてくださった方が直接僕らのチーム、つまりファニィさんのチームを指名して、そのままお返事も待たずに組合から姿を消されたのです。もちろん元締め様もファニィさんもかなりお疑いになりました。組合は料金次第でどんなお仕事も引き受けますから、相応にして組合を恨んだり敵視する盗賊団のかたや悪い人も多いのです。だから今回のお仕事もそういった妬みや恨みが絡んでいるのではないかと、お二人は随分長く話し合いをされていました。

 でも結局は引き受けることにしたようです。なぜなら内容が、人命に関わり、急を要するものだったからです。

 エルト地方へ向かう国境を越えてすぐの辺りに、珍しい鉱石が採掘される峡谷があります。鉱石の採掘はエルト地方のかなり主力産業で、その峡谷の採掘場で働いているかたは大勢いらっしゃいます。

依頼とは、その峡谷内にとても大きな恐ろしい魔物が出現したので、組合で退治してほしいというものでした。その魔物は人を襲うので、採掘のお仕事が滞ってしまって、エルトの鉱石流通産業に大きな痛手がこうむっているため、早急な対処を求めるというものでした。

 魔物退治は組合では割とよくある依頼です。ですが低級な魔物ならまだしも、人を襲ってくるようなとても手強い魔物を相手に応戦できる組合員はそう多くはありません。組合に持ち込まれる魔物退治の依頼の多くは、畑を荒らす動物に近い低級な魔物退治が多いのです。

 襲撃によって採掘に支障を来たすほどの巨体と、相応に高いであろう知能を持った魔物の相手なら、かなりの実力を備えた組合員を派遣しなければいけません。

だから、僕たちが赴くことになりました。

 ファニィさん、ジュラ姉様、僕、そして今回から正式にファニィさんのチームに所属となったタスクさんです。

 本当は今回も僕は留守を言いつけられたのですが、でも何かの役に立ちますから、と、無理を言って同行させていただくことにしました。

調べ物や謎解き以外で僕が役に立てることは本当に少ないですが、でももう一人だけ、置いて行かれるのは寂しかったんです。


 この間の、闇市場への潜入捜査で姉様とタスクさんが赴き、ファニィさんも途中まで同行されて組合を留守にされた時、一人残された僕は事あるごとにずっと窓の外を眺めていました。ミサオお師匠様から魔術のお勉強をご教授いただいていましたけれど、でも姉様たちのことが気になって、全然集中できなかったんです。すごく寂しくて、無力な自分が悔しくて、何もできない自分が恨めしくて、僕、これからは頑張ってもっと自分を主張して前に出ないと、また一人にされてしまうって思ったんです。

 僕、もっと強くなりたいんです。エイミィさんの時のようなこと、もう二度と経験したくないんです。

 だから……同行を許してくださったファニィさんのご期待に少しでも添えられるよう、僕、精いっぱい頑張ります。


「いい、コート? もし魔物に遭遇したら、すぐにタスクの後ろまで下がるんだよ。あたしとジュラが前衛に出るからね」

「は、はいっ。ぼ、僕……あのっ……で、できないことを無理にしようとして、ご迷惑はかけませんから!」

「うん。いい子いい子。よく分かってるね」

 ファニィさんが僕の頭を帽子の上から撫でてくださいます。

「じゃあお前には、俺の呪文詠唱中のフォローを頼むかな。構築式の描き出しに集中してたら無防備だから、俺」

 タスクさんが僕に笑い掛けてくださいました。僕は嬉しくなりました。

「はいっ! 火薬玉はいっぱい仕込んできました! ま、任せてくださいっ!」

「お、おう……こっちに飛び火しない程度にやってくれ……」

「コートってば、ちょーっと力み過ぎかな? あはは」

 タスクさんが魔法の詠唱に入られた時、周囲に危険が迫っていたら確かに集中できませんよね。僕、お師匠様に聞いてちゃんと勉強してきました。

 いつものように時限発火式の火薬を仕掛けて、周辺に火花を起こして誰も寄せ付けないようにすれば、きっと大丈夫です。火薬は増量しておきましたから、火花の持続時間もばっちりだと思います!

 今回はファニィさんも前衛に出ると仰るくらい、おそらく総力戦になります。僕だけ怖がっていちゃだめですよね。タスクさんのお役に立つためなら、僕もたくさん頑張らないと!


「この辺りが目撃情報のあった現場だよね?」

 ファニィさんがポケットから、依頼の詳細をメモした紙を取り出して、周囲を見回します。

 オウカの組合本部から徒歩で二日。採掘場があるという峡谷に入って一時間ほどでしょうか。

 両脇にそびえ立つように切り立った崖があり、その高さは相当なものです。そのせいか、太陽が真上に来ない限りは日の光があまり届かず、少し薄暗い感じがします。魔物が出現してから採掘の作業員のかたは、みなさん退避されているとのことで、そのせいか、あまりに静かなのでちょっとだけ不気味です。

僕たちは峡谷の中のトロッコの車輪跡を追いながら歩いています。

「日の光が少ないから、ちょっと肌寒いね」

 そう言いながら、ファニィさんはいつも肩まで巻き上げている袖を下ろしました。でもおなかの辺りはいつも通り、シャツの裾を絞り上げて出ているので、まだなんだか寒そうです。

 僕は姉様の手をぎゅっと掴んで見上げました。姉様は僕を見下ろして柔らかく微笑み返してくださいます。

 姉様はいつもなら丈の長いドレスを纏っていらっしゃるのですが、今回は動きやすいようにと、膝丈の物を身に付けていらっしゃいます。姉様がこういった動きやすさを重視する服装をなさる時は、それだけ相手を油断ならないと感じている時なんです。きっとファニィさんのご指示です。

「ねぇ、ファニィさん。少し休憩なさいませんこと? コートが疲れたと言っていますの」

 僕が姉様の手を握ったこと、姉様は勘違いなさっていました。僕はちょっとだけ、ここの雰囲気が不気味で怖かっただけなんですけれど……。

 ファニィさんが振り向いて僕を見ます。僕は慌てて「疲れてません」という意味で首を振りました。ファニィさんはすぐに僕の意図に気付いてくださり、クスッと笑って腰に手を当てます。

「そうだねぇ。ちょっと小腹も空いたし、早めに腹拵えしとこうか。タスク、お弁当」

 ファニィさんは当然といった様子で、手頃な岩に腰掛けてタスクさんのほうに両手を差し出しました。え……お弁当、あるんですか? いつもは携帯食糧ですけど……。

「うるせぇな……ったく。ほら」

 タスクさんも当然のように、ご自分で背負っていた鞄の中から包みを取り出しました。

 わぁ……タスクさん、準備万端ですね。今朝、タスクさんが早起きなさっていたのは知っていましたけれど、お弁当を作ってくださってたとは知りませんでした。

阿吽の呼吸で、やっぱりファニィさんとは息がぴったりです。


 タスクさんが取り出したお弁当は、ジーンではわりと一般的なお弁当だそうで、お米を固めに炊いてお団子のように丸めたものが出てきました。中にいろいろな具を詰めてあるんだそうです。

そういえば随分前に、ジーンの大衆向け料理雑誌か何かで読んだような気がします。僕、本と名が付くものなら何でも読みますから。

「お米をリゾットより硬く煮るんだ。珍しいね」

「握り飯っつーんだよ。オニギリだとかオムスビだとかいう言い方もある。見た目より腹持ちがいいんだ」

「まぁ美味しそうですわね。でもフォークがありませんわ」

 姉様が困ったように、オニギリの周りに食器が無いか探しています。あ、僕、使い捨てのフォークを持ってますからそれを……。

「ジュラさん。そのまま手で摘まんで食ってください。フォークや箸を使う方が食い難いですから。はい、これで手を拭いてください」

 タスクさんが水で湿らせたナフキンを姉様に差し出します。

「わぁ、手掴みだなんて野蛮な食べ物だね」

「だったらお前は食うな」

「食べるよ!」

 タスクさんとファニィさんがいつものように言い争いをしています。えへへ、いつも仲良しなんですね。お二人って。

 濡れナフキンで手を拭って、姉様がさっそく一つ摘まんで召し上がりました。

「まぁ、美味しいですわよ。塩で味付けしてありますわ。コートも早くおあがりなさいな」

「はい」

 僕も手を拭いて、一ついただきました。

「コート、それの中なに? あたしのは焼いたお魚」

「え、えっと……甘辛く炒めたお肉です」

「じゃあ次あたしもそれ!」

 ファニィさんが片手に食べ掛けのオニギリを手に、空いたほうの手で新しい別のオニギリを手にしようとします。

「こらファニィ。全部食ってから次のを取れ。意地汚ねぇぞ」

「誰が意地汚いって? あ、ジュラもう次の食べてる!」

 ファニィさんがぷっと頬を膨らませて姉様を睨みます。

「だから全部食ってから次の……ああ、ほらコート! よそ見してたら落とすから!」

「す、すみませんっ……!」

 タスクさんがオニギリの食べ方に不慣れな僕たちをいろいろフォローしてくださいます。えへへ。なんだかタスクさんがお母さんみたいですね。

「ファニィお前、意地汚すぎ! ただでさえ最近ブクブクしてんのに、これ以上コロッコロと丸くなってどうする?」

「うっわ、何それ! 最っ低! いつ見たのよ!」

 ファニィさんが両手でおなかを抑えてタスクさんを睨みます。

「お前はいつでも恥じらいもへったくれもない、人目を気にする気がさらさら無い腹を出した服ばっか着てるだろうが。黙って自分の腹をプニッてみろ。絶対摘まめるから」

 えっ? ファニィさん、摘まめるんですか? ファニィさん、細いのに。

 僕はびっくりしてファニィさんを見ました。

「やだ何この変態! スケベ! コート、あんたはこんなエロ男になっちゃダメだからね!」

「誰がエロ男だ、誰が!」

「はっきり言われないと分かんないの? タスクが! スケベなの!」

 ファニィさんとタスクさん。最近前にも増して仲がいいんです。そしていつも軽口を叩きあって笑っていらっしゃるんです。お互いの事を貶しつつも、でもとてもよく理解しあってて呼吸もぴったりで、その……夫婦喧嘩のように見えてしまって……僕、少し羨ましいです。お二人が仲良しなのは、僕も嬉しいはずなんですけれど……。

「コート、美味しいですわよ。はい」

「ありがとうございます、姉様」

 僕は姉様が差し出してくださったオニギリをぱくりと食べ、そしてふと気付きました。だって……これが最後の一つだったんです。

 ファニィさんとタスクさんはお喋りしてて……姉様はずっと食べていらして、それで最後の一つを僕がいただいて……良かったんでしょうか? ファニィさんとタスクさんはほとんど召し上がってないような気がするんですが。

「ジュラ! あんた全部食べちゃったのっ?」

 お弁当が無くなっているという事態に気付いたファニィさんが、すごい剣幕で姉様に詰め寄ります。

「美味しかったですわね、ファニィさん。ねぇタスクさん、また作ってくださいましね。ご馳走さまでしたわ」

 姉様はニコリと笑って、口元をナフキンで拭いました。

「いえ、あの……ご馳走さまはいいんですけど……俺のは?」

「また作ってくださいましね」

 姉様がもう一度微笑まれます。あ……えと……ぼ、僕まだ食べてますけれど、姉様と一緒にごちそうさまをしたほうがいいでしょうか……?

「……はぁ……はい、また今度……」

 タスクさんは多分……一つも召し上がっていらっしゃいません。ずっと僕たちのお世話をしてくださっていたので。気付かずに申し訳、ないです……。

「……ジュラぁ……あんた絶対太る。太ってくれなきゃあたしが怒る」

「あらまぁ、大変ですわ。わたくし最近、またお洋服の胸の辺りがきつく感じますの。太ってしまったかしら?」

 姉様がご自分の胸のあたりに手を添えられます。それを見たファニィさんは口元を引き攣らせ、タスクさんは後ろを向いて肩を震わせて笑っていらっしゃいます。

「ジュラさんとファニィじゃ、脂肪の付く場所が違うらしいな。さしずめお前の場合は贅肉って言い方になるのかな? それとも無駄肉?」

「タスクッ! あんた絶対ブチ殺す! とりあえず顔中心に殴ってやるから、黙っておとなしく殴られなさい!」

 ファニィさんが怒りで振り回した拳を、タスクさんは面白がりながら避けます。あ……また仲が良さそうにして……。

「コート、どうしましょう。わたくし太ってしまいましたわ。毎日毎日お食事がとても美味しいんですの。でも太るのは健康にもよくありませんし、ダイエットした方がよろしいかしら? でもお食事を制限するなんて、わたくしにはできませんわ。どうしましょう。わたくしとても困りましたわ」

「美味しかったのなら良かったんじゃないでしょうか? 僕から見て、姉様は太っているようには見えませんから大丈夫です」

 確かこの間の健康診断の時も、僕が姉様の体脂肪率を計算しましたけれど、特に問題なく標準値でした。食欲があるのは健康的でいいことだと思います。

「ファニィさんのご冗談ですよ」

「まぁ良かったですわ。安心したらまたおなかが空いてきましたの。帰ったら美味しいお茶とケーキを戴きましょうね。わたくし先日、ラズベリーの香りがする紅茶を買いましたの。とてもいい香りでしたのよ」

 姉様の新陳代謝の良さは、僕もちょっと羨ましいです。僕、一生懸命食べても全然背が伸びないですもの。もうちょっと大きくなりたいです。


       2


「魔物なんて、どこにもいないじゃないのよ」

 あたしは不平を漏らしつつ、疲れた腰を伸ばして固まった筋肉をほぐす。そしてコートに依頼書のメモを渡した。

「間違ってないよね?」

「ええと……はい、確かにこの辺りです」

 コートが鞄から取り出した持参の地図と、メモに記した地図を照らし合わせている。地図とか文書関係はやっぱりコートに見せた方がいいよね。あたしが見るより遥かに正確だもの。

「コート。魔物が潜んでそうな場所って分かる?」

「あ、はい。えと……少し待ってください」

 と、コートは襷掛けにしている大きな鞄の中から、今度は辞典みたいな分厚い本を取り出す。

 あの鞄の中身はあたしにとっては未知の領域。恥ずかしがって見せてもくれないし、重そうだから持ってあげるって言っても遠慮してるのか持たせてくれないし、あたしが何か聞いたらすぐに答えを引き出すための参考文献やら何やらが、コートの手によって鞄の中からひょいと出てくる。

一体何がどれだけ入っているのやら。多分見たとしても、あたしじゃ理解できない物が大量に出てくる気がする。


 コートが調べ物をしてくれている間、あたしは峡谷を眺めてみた。前と後ろにずーっと伸びてる高い両脇の壁。そのためにトロッコが二台くらいすれ違えるくらいの幅しかない、長い長い長ーい道が前後に延々と伸びてる。

あたしちょっと思ったんだけどさ。この採掘場の形状にはちょっと問題あるんじゃないかしら? だって真ん中辺りにいて帰ろうと思ったら、ずっと延々引き返すか進むしかないんだもの。それじゃ行き来するにも時間が掛かって仕方ないんじゃない? 上から縄梯子でも下ろしてあればいいんだけど。

「……ええと……そうですね。魔物の種類が分からないですし、確実性はないんですけれど……窪んで雨水が溜まっているような……」

「ちょっと黙ってろ」

 タスクがコートの言葉を制して、自分の耳に手を翳す。

「どしたの?」

「静かにしてろ」

 あたしも真似してみたけど、何も聞こえない。うーん、今、新月近くてあたしの聴力も人並みだからなぁ。

「あら? 何かが崩れる音がしますわね」

 ジュラがおっとりした口調でいう。

 さすがラシナの民。あのナイフみたいに長くて尖った大きい耳は伊達じゃない。あたしたちに聞こえないものが聞こえるなんてね。

「でも崩れるって……何が?」

 あたしが聞き返した時、突然地響きが起こって凄まじい揺れが辺りを襲った。あたしとタスクは壁に手をついて揺れに耐え、ジュラは並外れたバランス感覚で平然と立っている。踵の高いハイヒールで。そしてコートは本を抱えたまま、わっと叫んで体勢を崩して尻餅をついている。

「まぁ、大きな岩」

 揺れに全く動じていないジュラが優雅に振り返る。あたしもそっちを見て、血の気が引いた。

「うっそぉーっ!」

 巨大な岩がこっちに向かって転がってくる。あの大きさじゃジュラでも破壊できそうにないし、あたしや小さいコートなら簡単にペシャンコになっちゃう!

「ジュラさん走って!」

 タスクが尻餅をついたままのコートを担ぎ上げ、荷物みたいに肩に乗せて走り出す。ジュラはタスクの言葉を聞いてすぐに走り出し、あたしも全員の避難行動の確認を瞬時に行なってから全力でダッシュした。

「わあっ! ぼっ、僕っ……じ、自分で走りま……っ!」

 コートがタスクにしがみ付いたまま、真っ赤になって叫んでいる。こういう状況じゃなければ、憧れのタスクに抱っこ……というか、荷物みたいに担がれてても嬉しいんだろうけど。

「黙っておとなしく掴まってろ! お前が全力疾走したって俺より遥かに遅いだろうが!」

 確かに。この面子で歩幅が明らかに一人だけ違い過ぎるよね。小っこいコートの場合。

 この中で一番足が速いのはあたし。あたしが全力疾走すれば転がる岩から逃げ切れるだろうけど、でもみんなを見捨ててはいけないよね。リーダーとしても仲間としても。

 次に足が速いのはジュラだけど、でも本気になるまでが遅いからなぁ。しかも踵の高いハイヒールだし。

 タスクは魔法使いという、どちらかといえば頭脳労働タイプの割に体力はかなりある。組合の厨房の大きいフライパンを軽々と器用に振り回す腕力は侮れないし、それにこないだ、背中の刺青をあたしに見せようと上着を脱いだ時、なかなかいい体付きはしてたもん。それなりに筋肉付いてたし。

 あ、見たくて見たんじゃないからね! あいつが勝手に脱いで見せてきたから見えちゃっただけだからね!

「タスク! あん、た、コート……ジュラに、渡、して! あんたじゃ、スピード、落ち、る!」

 走りながら喋るのって難しい。下手したら舌噛んじゃうもん。

「今っ、止まっ、たら、アウト……だろ!」

 タスクも変な喋り方になってる。

「投げ、れば、いいのよ!」

「そんな、力あるか! 俺は魔法つか……ガッ!」

 舌を噛んだのか、タスクが片手で口を押える。あ、モロにやったね。すっごい涙目。

 いい気味ー! さっきあたしを馬鹿にした報いよ!

「すみません、タスクさん……」

 コートが泣きそうな顔をして、ううん、もうポロポロ泣きながらタスクにしがみ付いて謝罪してる。律儀な子ねぇ。でも担がれてるだけだから、まだ比較的ちゃんと喋ってる。


 転がってくる岩に追い付かれたら確実にペシャンコよね。そこまでスリムになりたくないわ。

 でもどこまで逃げても、この延々と続く切り立った採掘場に横道なんてない。どこまで逃げればいいのか……ん? 横道?

「ジュラ! 壁に、穴っ、掘れるっ?」

「でき、ますけれど……作っ、ていると、間に合い、ませんわ」

 ああそっか、確かに。立ち止まって壁を砕いてる間に、追い付いてきた岩があたしたちをプチンとやっちゃうわよね。

「ファニィさん、これ! タスクさん、点火を!」

 コートが鞄の中から薄紙で包んだ火薬をあたしに向かって投げて寄越した。あたしはコートの言わんとしている事をすぐさま察知し、火薬玉をキャッチしてタスクの前に掲げた。タスクもコートの意図を理解したらしく、パチンと指を鳴らしてあたしの持つ火薬の包みに尻尾みたいに付いてる導火線に、小さな火種を起こす。わお、魔法って便利!

 あたしはみんなから離れて一気に走るスピードを上げた。そして走りながら壁の僅かな凹みを見つけ、そこへ火薬玉を投げ付けてそのままそこから走り去る。ちょっと先まで行った所で足を止め、振り返るとさっきの凹みで爆発が起こった。

「こっちよ!」

 あたしはすぐさま火薬の爆発で空けた穴に飛び込む。まだ中は火薬の臭いと砂煙でもうもうとしてたけど、この状況でそんな贅沢は言ってらんない。

熱は感じないから、コートはちゃんと計算して壁に穴を空けるだけの量の火薬の玉を渡してくれたみたい。熱を発するような量の火薬じゃ、こうはいかないよね。その辺はあたし、コートを信用してるもん。

 あたしに続いてジュラ、コートを背負ったタスクが慌てて穴の中に体を滑り込ませてくる。そのすぐ後を、巨大な岩が転がっていった。

 随分走らされたんで、まだ息が苦しい。あたしたちは思い思いに空気を貪り、ペシャンコの恐怖から逃れられた安堵を噛み締めた。

「みんな、大丈夫? 怪我ない?」

「わたくしは大丈夫ですわ」

 珍しくジュラも肩で息をしている。少し汗をかいたのか、長い銀髪を鬱陶しそうに背中に払っている。

「……僕も大丈夫ですけど……その……タスクさんが……」

 コートがトンと地面に降り立って、タスクの傍に屈み込む。タスクは完璧に撃沈していた。

 返事も出来ないくらいに激しく咳き込み、両手を地面に付いて大きく肩を上下に揺らしてゼェゼェはぁはぁ。喋る元気は一切残ってないらしい。

「あ、の……あのっ……すみません。僕、お邪魔にならないって言ったのに……僕、重くて……ぐすっ……」

「コートのお陰でみんな助かったんだから謝る事ないよ。タスクはほっとけばその内、復活するから」

 あたしの言葉に、タスクが無言のまま頷く。一応あたしの言葉に同意したらしい。

「で、でも僕……」

「……ま、魔法……使い、な……んだぞ、俺……は、肉体……労働、向き……じゃねぇ、んだよ……」

 かなり聞き取りにくい、切れ切れの不満を述べるタスク。苦しいなら喋らなきゃいいのに。

「ごっ、ごめんなさい! ごめんなさい……あ、あの僕っ……つ、次からはちゃんと自分で……」

「自分で走らなくていいから、何かあったらジュラに飛び付きなさいね。コート」

「は、はいっ」

 コートはゴシゴシと目元を袖で拭った。

 そういえばコートはあの重たそうな何でも鞄を引っ掛けてるのよね。じゃあコートの体重プラスあの鞄の重量か。やっぱ結構重いわよね? ……こういう場合はタイミングと立ち位置が悪かったとしか言えないわよね、タスク。ご苦労様。


 あたしは即席横穴からソロリと顔を出し、外の状況を確かめる。

「ひとまず大丈夫みたいよ」

 あたしが戻ると、タスクがちょっとだけ復活していた。

「ったく、体力ないのねー」

「あのなぁっ! さっきから俺は魔法使いで、肉体労働向きじゃないって言ってるだろうが!」

「だから何よ。コートだってお子様で頭脳労働派のからくり技師だけどピンピンしてるじゃない」

「コートは自走してねぇだろうが!」

 タスクが顔を上げて噛み付いてくる。だけど顔には汗びっしょり。

「ごめんなさい。僕のせいで……」

「泣くな、鬱陶しい」

「ふぇ……う……」

 コートが必死に泣くのを堪える。

「タスク、あんたコートに当たらないでよ!」

 コートをぎゅっと抱いてやり、あたしはタスクを睨み付ける。そういえば……さっきからジュラ、随分静かだけど。普通ならコートコートって、真っ先に騒ぐのに。

「ジュラ、どうしたの?」

 いつの間にか穴の外に出ていたジュラを追うと、ジュラは人差し指を唇に当て、考え込むような仕種をしていた。ホントにちゃんと考えてるのかな?

「あら、まぁ……ねぇ、ファニィさん」

「なに?」

「ええとわたくし、よく覚えていないのですけれど、わたくしたちはどちらからこの峡谷に入ったのでしたかしら?」

「どっちって……あっちだよ。岩の転がってった方」

 あたしは遠くの方で止まっている巨大な岩を指差し、ジュラの質問に答える。そしてハッと気付いて息を飲んだ。

「ふぇっ……あ……えええぇぇぇっ!」

「……どうした、ファニィ?」

 ようやく動けるまで復活したタスクがやってくる。コートもくっ付いてきた。

 あたしは遠くの岩を指差したまま、口元がやや引き攣る笑顔を無理矢理作って、タスクとコートに今あたしたちが置かれている現状を簡潔に告げようとした。

「……あは……あははー……」

 ダメ、思わず笑ってしまった。全然笑い事じゃないんだけど、もう笑うしかないもん。

「ん? お前、何をヘラヘラしてんだ?」

 タスクが小首を傾げる。

 あんたさっき自分は頭脳労働タイプだって言ったじゃない。気付きなさいよ。

 ふぅ。馬鹿な男連中にはキチンと説明してやらなくちゃダメか。あたしは小さく深呼吸して、引き攣り笑顔のまま、なるべく軽めに重大な事実を口にした。

「……あたしたち……閉じ込められちゃったみたい……」

 巨大な岩は、あたしたちが入ってきた峡谷の、オウカ側の入口を完璧に塞いでしまっていた。


       3


 組合に寄せられた依頼で、俺とファニィ、ジュラさんとコートは、エルト国境近くにある峡谷内の採掘場へと訪れていた。この採掘場に出没するという魔物退治の依頼だ。

 だが突然崩れてきた大岩で、オウカへ戻る唯一の入り口だった退路を断たれ、仕方なく一旦エルト地方へ抜けてから迂回ルートでオウカへ帰還するという事になったんだが……切り立った断崖絶壁のように両脇にそびえる峡谷の果ては、一向に見えはしなかった。一体いつになったら出られるのか。


「随分日が高くなってきたね」

 午前中は高い壁のせいで日差しが遮られて薄暗かった採掘場内だが、太陽がほぼ真上に昇ってくると、明るさも温度も格段に増してくる。日陰になるような岩の出っ張りもなく、俺たちはジリジリと直射日光をダイレクトに浴びる羽目になっていた。まさに干物にされる魚の気分だ。

 肌の色が明るいファニィや、白色系人種のジュラさんやコートに比べ、褐色の肌と黒髪を持つ俺は、こいつらより遥かに体が熱を吸収しやすい。ジーンは元々熱帯に近い気候ではあるとはいえ、そこに住む人間全員が暑さに強い訳ではない。

 言わずもがな、俺だ。

 つい最近までは魔神の呪いのせいだなんて知らなかったからだが、ろくな魔法が使えない俺は他人より何倍も努力して魔法の勉強をすべく、外に出て遊び回っているより、実家の書庫に籠って勉強三昧の日が多かった。家の中は親父の使う水の魔法によって快適な温度と湿度に保たれていたせいで、俺はジーン生まれジーン育ちのくせして、ジーンの気候にはやや不慣れなんだ。

 だから強い日差しにあまり強くない。ゆえにこの峡谷の日差しですら、耐性の弱い俺にはかなり堪えている。

 俺は僅かでも日陰にならないかと、壁際に寄り添った。

「……あ、あの……だ、大丈夫ですか?」

 俺の異変にいち早く気付いたのはコートだった。

 答えようとしたが、喉がカラカラに乾いていて声が出せない。頭もズキズキ痛み出し、どうやら軽い熱中症にでもなったようだ。

 俺はついに根を上げ、額を抑えて壁際に座り込んだ。そのまま僅かな影と壁の冷たさで、どうにか意識を保つ。頭……痛ぇ……。

「……悪い……少し、休む……」

 片膝を立ててそこへ頭を乗せる。頭痛だけじゃなく、体のだるさまで感じるようになっていた。これ以上、無理したらマズいな。

「なんかね。さっきから気になってたんだけど……」

 ファニィもかなり暑さに参ってたのか、俺の隣にペタンと座り込む。するとジュラさんとコートも、それぞれ腰を下ろした。

みんなもこの状況に限界だったのかもしれない。代わり映えのない視覚的刺激の少ない単調な道と、真上から照り付ける日差し。そして不明瞭な依頼に対する不満や欺瞞ぎまんでなかったのかという不審。

「さっきの大きい岩って、ちょっと不自然じゃない?」

 俺ほどは堪えていないんだろう。ファニィが明るい声で言う。だがその声には言葉通りの不審感がありありと見えた。

「ファニィさんも、お気付きでしたか」

 コートが膝の上に鞄を乗せてそれを抱えるようにして同意する。

「ここ、採掘場なんだよね? なら、なんであんな大きい岩が砕かれてないの? 貴重な鉱石があるっていうなら、あんな岩の中にこそ埋もれてる可能性が高いから、砕いて探すものだよね? ここってそのための場所なんでしょ?」

「ファニィさんの、仰るとおり……です。じ、人為的に切り出さない限り……あのような状態、の、岩があるなんて、あまりに不自然、だと思います。ぐ、偶発的に崩れたのなら、地面に落ちた時点で……大なり小なりの、ひびが入って、く、砕けるはず、です」

 沸点の低いファニィを刺激しないようにしているのか、コートが慎重に言葉を選びながら分析する。

「じゃあやっぱりさ……」

 ファニィはポケットから依頼のメモを取り出す。

「あたしたちは、偽の依頼に騙されて来たって事になるのかしら」

 ファニィがパチンと指先でメモを弾いた。

「……じょ、状況的に……その可能性は高いかと……」

 組合に恨みを持つ者の仕業、か……。

 組合は仕事柄、恨まれ事が多いとは聞いていたが、実際、新人で末端の組合員である俺にまでその影響が飛び火してくるとは思ってなかったな。補佐官であるファニィのチームに所属となったせいかもな。俺の考えが甘かったか。


 俺の顔をジュラさんが覗き込んできた。

「大変ですわ。お顔の色が優れませんことよ?」

「はい、まぁ……暑さで……ちょっと……」

「確かに少し暑いですわね。でも大丈夫ですわ。すぐに涼しくなります」

 ジュラさんは両手を合わせてニコリと微笑む。その言葉を聞いたファニィとコートが顔を見合わせ、あたふたと慌て始めた。

「た、大変……です……っ!」

「もう太陽真上よ! じきに暮れちゃうじゃない!」

 二人だけが何かに気付き、わたわたと意味もなく周囲を見回したり太陽の位置を確認したりしている。

「……何が……だ?」

 頭痛が少しでもマシにならないかと、こめかみを揉みながらファニィを見上げる俺。立ち上がってキョロキョロと周囲を再確認していたファニィはむっとした表情で頬を膨らませ、腰に手を当てた。

「あんた何にも知らないの? エルト地方は夜になると氷点下だよ! 今はこの暑さでも、夜になったらあたしたちは凍え死んじゃうかもしれないのよ!」

「こ、ここはまだ、オウカ寄りですが……そ、それでも午前中の肌寒さを考えれば、夜間の冷え込み、は……想像に難くありません」

 そう言えば、おぼろげだが昔、本か人伝か何かで見たか聞いたかしたな。夏は涼しく冬は極寒のラシナ、一年の半分以上が雨に見舞われるコスタ、熱帯寄りの気候のジーン、年中気候の安定したオウカ、そして昼夜で温度差の激しいエルト。

 俺は生まれ育ったジーンと流れてきたオウカしか知らないから、地域によって気温の変化がどうとかいう話題には疎い。

「上まで登る事ができれば、近くの村とかまで一時的にでも避難できるかもしれないけど……」

「む、無理ですよぅ……空でも飛べない限り、こんな高い絶壁を昇るなんて……」

 コートの言葉を受けて、ファニィが俺を見る。

 な、なんだよその妙に期待に満ちた眼差しは。俺は苦虫を噛み潰したような表情になり、ファニィが口を開くより先に釘を差す事にした。めっぽう反感買いそうだが、後から言うよりまだマシだろう。

「先に言っておく。期待を裏切って悪いが、俺は空を飛ぶといったような便利な魔法は使えない」

「なんなのそれ。肝心な時に役に立たない男ねー!」

 はぁ……やっぱりきたか。でもこの程度で済んだのは不幸中の幸いか。

 すっかり慣れてしまったファニィの悪態だが、俺はふと思う。なんか俺の存在って、ファニィやら姉貴やらの罵詈雑言を受け止めるためのサンドバックなんだろうか? うう……考えたら何だか虚しくなってきたぜ。

「あのなぁ! 何でもかんでも魔法でどうにかなると思……ッ!」

 思わずファニィを怒鳴り付けようと腰を浮かせた瞬間、プッツリと頭の中の何かが切れたかのようにふいに俺の意識が遠のく。ま、マズい……ッ!

「……っえ……タ、タスク?」

「タスクさんっ!」

「まぁ……」

 みんなの声が随分遠くに聞こえる。

 駄目、だ……完全に……日差しに、やられた……。


       4


 ゾクリと身震いして、あたしは目を開ける。しまったぁ、居眠りしちゃってた。

 ゴソゴソと起き出し、あたしは消えそうになってる小さい蝋燭の火を次の蝋燭へ移す。

 簡易野営用の薄い毛布にくるまったまま、タスクはまだ一度も意識を取り戻してない。傍にはジュラとコートが二人くっ付いて、うとうととしていた。

 タスクの馬鹿が熱中症なんかで倒れるから、こんな危険極まりない野営をする羽目になっちゃったんだよ。エルト地方の夜の冷え込みを馬鹿にしてたら、本当に普通の人は死んじゃうんだから。

 今更文句言ったってどうしようもないけど、でもそうでも思わないとやってらんないわ。だって……だって……。

「……あ……ファニィさん……すみません。僕、寝てしまってました」

「あたしもだよ。朝から死ぬほど走らされたもん。みんな疲れてるしね。仕方ないよ」

 コートはジュラが倒れないようにしっかりと壁に寄りかからせてから、水色のケープの前をきゅっと合わせてあたしの傍に移動してきた。でもその肩は小刻みに震えている。寒さに強いはずのラシナの民でこれじゃ、ジーン育ちのタスク、ヤバいんじゃないの?

 あたしはまぁ……寒さとか暑さとかは感じるけど、不死って耐性がある分、普通の人よりそういうのに鈍感だから。

「ねぇ、コート。今夜、もつと思う?」

「……分からない、です……」

 病人抱えて動けないから、とりあえずまた横穴空けて、入口は石ころ積み上げて簡易的に塞いだわ。直接風が入り込んで来ない分マシかもしれないけど、でも地面からジワジワと冷えてくる冷気はどうしようもない。

 一応全員一枚ずつ、簡易野営用の毛布は持っている。だけどエルトの夜を過ごすにはあまりに心許ない。それに携帯食糧の残りも、どう切り詰めたとしても明日のお昼までが限界かもね。魔物退治くらい、あたしたちの実力なら簡単だからって、ちょっと過信してて、準備を怠ってた部分は反省点。

 あたしの見込み違いと判断が甘かった。あたしの油断がみんなを危険に晒してしまった。何とかしないと……ここでみんなを死なせたんじゃ、あたしはあたしを責め続ける事になる。


「おいで、コート」

 あたしは震えてるコートを背後から抱き締めた。そして薄い毛布をぎゅっと自分とコートに巻き付ける。コートはあたしに甘えるように寄り掛かってきた。コートも不安なんだろう。

 あ、ちょっとあったかい。子供は大人より体温が高いって、本当なんだ。

「……あたしは怪我しても死なないけど、凍死はすると思う?」

 冗談っぽく軽く言うと、コートはあたしを見上げてブンブン首を振り、涙目で声を張り上げる。

「そ、そんなご冗談、い、今っ……仰るべきじゃないですっ! そんなの僕、いやです!」

「ごめんごめん。意地悪言うつもりじゃなかったんだ」

 コートが無言であたしの腕にぎゅっとしがみ付いてきた。

「……そんなご冗談、もう言わないでください」

 ごめんね、コート。コートは素直だから、あたしの冗談を真に受けちゃったんだよね。もう言わないから。

 よしよしと頭を撫でてあげると、コートは涙目のまま、ぷっと頬を膨らませた。

「せめてタスクが起きてくれれば、炎の魔法でちょっとくらいの暖が取れたかもしれないんだよね」

「……俺が……何だって?」

 あたしが独り言を呟くと、それに反応してタスクが少しだけ顔をこっちへ向けた。良かった、気が付いたんだ。でもまだ顔色が悪い。

「起きたんだね」

「今な」

 コートがあたしから離れ、タスクの傍ににじり寄る。そして恐る恐る声を掛ける。

「……大丈夫……ですか?」

「全然無理。今にも頭が割れそうだ」

 タスク弱音をきっぱり断言。それを聞いてコートがまた泣き出しそうな顔になる。もー、タスクったら……。

「ちょっとタスク。そういう事、言ってコートいじめても、どうにもなんないでしょうが」

「平気っつっても信用せずに余計に心配するだろ。だから事実を言っただけだ」

 なんだ、そういう事か。タスクの言うように、空元気で平気って言われても、コートもあたしも、余計に心配になるわよね。だったら素直に弱音吐いてもらった方がこっちも対処のしようがある。

「……でも昼間よりはマシだ」

 タスクが小さく首を振りながら起き上り、壁に背を付けて座った。

「……悪いな。足、引っ張っちまって」

「うん、すごく悪いよ。やっぱ寒い?」

「かなり」

 なんとか軽口に対抗できる程度には楽になってるみたいね。

「少し……熱が出ているかも……しれないです」

 ビクビクおどおどしながら、タスクの額にチョンと手を置いてから、自分の額にも手を置いてタスクの熱を測るコート。

「冷やすものは無い……事ないか。冷やすものだらけだけど、あっためる物はないよ。どうする?」

 あたしが言うと、タスクは少し考えるように目を閉じ、小さく息を吐き出した。そしてコートの手首を掴んで自分の方へ引き寄せる。

「ガキは体温高いから、コイツでしのぐ」

「あ……あ……あの……あのっ……」

 さっきあたしがしてたみたいに、コートを背後からぎゅっと抱き締めて、タスクは短く答える。当のコートは耳の先まで真っ赤になって、逃げ出そうにも完全にタスクにホールドされて、おとなしくしてる自分に驚きつつも挙動不審に陥っている。あたしはニッと笑ってコートの頭にポンと手を置いた。

「タスクをお願いね。あたしはジュラといるから」

 そうよね。こうやって人肌同士で暖を取り合えば、どうにか切り抜けられるかもしれない。


 タスクは辛そうに目を細めたまま、コートに声を掛ける。

「……おい。油、持ってるか?」

「ち、調理……用、の……ものでしたら……」

「それで充分だ。貸せ」

 タスクが腕を緩めると、コートは這うように手を伸ばして自分の鞄を引き寄せた。その中身をゴソゴソと漁り、小瓶に入った油をタスクに見せた。

「燃焼時間に比重を置くから、光量は限りなくゼロ。だが炎の力の粒子を空気中に分散巡回させるから、何も無いよりは空気を暖められるはずだ」

 そう言ってタスクが小瓶の蓋を開けてから、傍に置いたままの魔法の杖に手を振れて、何かよく分からない呪文を唱えた。すると小瓶の口に小さな炎が上がる。タスクの言ったように全然明るくならないんだけど、でもたったこれだけの小さな炎なのに、ほんのり穴の中が温かくなったような気がした。

 魔法使いの常識なのかもしれないけど、タスクが何を言ってるのかあたしにはチンプンカンプンだった。けど、でも要は『空気をちょっとだけあっためる魔法』っていうのを使ったのよね?

「タスク。ありがと」

 コートは手に持った小瓶を灯り用の蝋燭の傍に置き、また自分の鞄の中から水袋を取り出した。

「あ、あの……す、水分を摂って休んでください。え、えと……その……ぼ、僕でよければ……お、お傍にいます」

 タスクはコートから水袋を受け取って中の水を一口飲み、再び毛布にくるまった。チラリとコートを見ると、コートはこくんと頷いてその毛布の中にゴソゴソと潜り込む。

 タスクは壁に寄りかかったまま、すぐに寝息をたて始めた。今、あたしたちと会話してるのも辛かったんだろうな。コートは頬を赤くしたまま、自分の体温をタスクに分けようとでもするかのように、きゅっと一生懸命タスクの服を掴んでいる。

 あたしはそれを見届けてから、ジュラと同じ毛布にくるまった。

 夜が明けたら……何としてもこの峡谷をみんなで抜けてみせる。絶対に誰一人死なせやしない。あたしの……あたしの大切な仲間なんだから。


       5


 どなたかのくしゃみに気付いて、わたくしは目が覚めましたの。岩の隙間から日の光が差し込んでいますわ。

 わたくし、考える事はとても苦手ですの。でも見渡してみても、みなさんまだぐっすりお休みになっていますから、起こしてしまうのも可哀想ですわね。でしたらわたくし、頑張って自分で思い出してみようかしら。


 ええと……昨日、タスクさんが体調を崩されて、わたくしたちはこの峡谷で一晩お休みする事にしましたわ。でもエルト地方の夜はとても寒いんですの。ですからわたくしはファニィさんに指示されて、休んでいる間の風除けのために、壁を削って横穴を空けましたわ。それから少し物足りない簡単なお夕食を済ませて……ええと……昨夜までの出来事はきっとこれで良いのだと思いますけれど、でもやっぱりこれ以上はわたくしには分かりませんわね。だってわたくし、少し疲れていたのですぐ休んでしまいましたもの。でも皆さんご無事で朝を迎えたのですから、もうきっと大丈夫に違いありませんわ。


「ジュラ、おはよ。体が冷えて具合悪いとかない?」

 わたくしと肌を寄せ合うように眠ってらしたファニィさんが声を掛けていらっしゃいましたわ。いつお目覚めになったのかしら?

「ええ、わたくしは平気ですわ。少し肌寒い感じはしますけれど、朝食をいただいたら元気になりますわ」

「うんうん。ジュラはいつも通りの平常運行ね。タスクとコートは……っと」

 ファニィさんが顔を向けると、タスクさんは小さく手を上げてご挨拶なさいましたわ。わたくしは応えるように小さく一礼しましたの。

「動けそう? 動けなくても動いてもらうけど」

「多少なら」

 ファニィさんがほっと胸を撫で下ろすように、表情を和らげましたわ。

「良かった。じゃあ、さっさと準備して今日中に峡谷を抜けないと」

「まだ駄目だ」

「なによぅ。今、動けるって言ったじゃない」

 ファニィさんが腰に手を当ててぷうっと頬を膨らませましたの。うふふ、そういう表情も可愛らしいですわ、ファニィさんたら。

「俺は動けるが、コートがまだ寝てる」

 まぁ! コートったらタスクさんに抱かれて眠っていますわ。タスクさんにご迷惑をお掛けして、いけない子ですこと。

「コート、タスクさんがご迷惑ですわ。起きませんと」

「当分無理ですよ。こいつなりに必死に俺を労わってくれてたみたいなんで」

 タスクさんが毛布を外しますと、コートはタスクさんのお洋服をしっかり握ったまま、まだすやすやおねむさんでしたの。お洋服をぎゅっと握った手を離そうとする気配はありませんわ。

 コートがお寝坊さんするなんて、珍しい事もありますわね。

「コートの愛が重いでしょ」

 ファニィさんが笑いながらコートの手を外そうとするのを、タスクさんが制しましたわ。

「いい。俺が担いでく」

「またあんた倒れちゃうよ? まだ完全復活じゃないんでしょ?」

「大丈夫だ。それよりジュラさん。すみませんけど、俺の荷物とコートの荷物、お願いします」

「ええ。承知しましたわ」

 わたくし、お荷物くらい楽々持てますのよ。だってわたくし、とても力持ちさんですもの。うふふ。


 ファニィさんが手渡してくださったお荷物を全部背負って、わたくし、入口に積んでいた岩をどけましたの。まぁ、お外は清々しい朝ですわ。少し肌寒いですけれど、空気はピンと澄んで張りつめていて、わたくしにはこれくらいの方が気持ちいいですわ。

 出発してから少ししてですかしら? わたくし、なにかとても嫌な気配を感じてファニィさんに聞いてみようと思いましたの。

「ファニィさん。わたくし、先ほどから気になっ……」

「わあああぁぁぁっ! ごめんなさいごめんなさいっ!」

 わたくしの言葉を遮って、コートが悲鳴をあげましたの。

 タスクさんに抱えられたまま、両手で真っ赤になったお顔を抑えて何度も謝っていますの。あんなにお耳のすぐ傍で大声を出しては、タスクさんにご迷惑ですわ。お耳がキーンと痛くなってしまいますもの。

「タスクさっ……ごめんなさいっ! ぼ、僕、迷わく……わああぁぁんっ!」

「おい落ち着け、コート! 人の頭の上で喚くな叫ぶな騒ぐな泣くな暴れるな! ほら、起きたんなら降りろ。とっとと自分で歩け」

 お荷物みたいに肩の上で抱えられていたコートは地面に降りるなり、ペタンと座り込んでグスグスと泣き出しましたわ。うふふ。髪から飛び出たお耳の先まで真っ赤になって、なんて可愛らしいんでしょう?

このとても愛らしいコートは、わたくしの自慢の弟ですのよ。わたくし、こんなにも可愛らしくてお利口さんな弟がいて、なんだかとても誇らしいですわ。

「僕……タスクさんにご迷惑……ぐすっ……お体が悪い……のに……僕……」

「コートも疲れてたんだしさ。そんなに気にする事ないって。どうせご飯係……じゃない、荷物持ちくらいにしか役に立たないんだし」

 ファニィさんがペロリと舌を出してご自分の言葉を訂正なさいましたわ。それを聞き咎めたタスクさんの眉がキリキリと攣り上がりますの。

 あら? でも今、ファニィさん、何係と仰ったかしら? ちょっと気になりますわ。とても大切な事を仰ったような……?

「なんで俺がお前らの餌係なんだよ! 飯くらい……」

「あああっ! それ言わないで! ジュラが……!」

 め、し……? お食事の事、ですわよね?

 ……そうでしたわ! わたくしたち、まだ朝食を戴いていませんでしたの! わたくしったらとても大切な事を忘れていましたわ! もう、わたくしったら自分でメッですわよ!

「ファニィさん、大変ですのよ! わたくしたちまだ朝食をいただいていませんわ。わたくし、とてもおなかが空きましたの」

「あああああ……やっぱり思い出したかぁ……」

 ファニィさんが頭を抱えて蹲りますの。きっとファニィさんもおなかが空いて動けなくなってしまったんですのね。

 朝食を抜くなんて体にも悪いですわ。一刻も早くお食事にしないと。

「タスクさん。コートも起きた事ですし、やっぱり朝食を……あら?」

 わたくし、先ほど感じた嫌な気配が、はっきりしたものに変わった事に気付きましたの。

「……ファニィさん、わたくし今、感じましたの」

「ああ、もう何? 朝食なら携帯食糧がちょっとだけ残ってるけど、できれば切り詰めたいんだけど……」

 ファニィさんが疲れた様子でわたくしを見上げてきましたの。

「落石ですわ」

 わたくしは簡潔に答えましたわ。

「落石なんて名前のご飯は……はいっ?」

 ファニィさんが立ち上がって絶壁を見上げましたの。すると明らかに、どなたにも分かるような大きな落石の音が聞こえてきましたわ。

「きゃあああっ! 走って走って!」

「マジかよっ!」

 わたくしたちは一斉に走り出しましたわ。幸い絶壁が高いので岩が落ちてくるまでに少し余裕がありましたの。あら、でも……上に人影が見えたような気がしましたわ。

「タスク! コート任せた!」

「また俺かよ!」

「ジュラよりあんたのがコートに近いし、ジュラは今、両手塞がってるでしょ!」

 ファニィさんがコートをタスクさんに押し付けましたわ。タスクさんは小さく悲鳴をあげるコートを担ぎ上げて走り出しましたの。

 あらあらまぁまぁ。昨日と同じですわね。でもわたくしもコートを抱っこしてあげたかったですわ。だってコートはわたくしのコートですもの。

「……す、すみません……」

「だーっ! 俺マジ死ぬぞ!」

 コートがタスクさんの肩の上から涙声でお詫びしてますの。タスクさんは「死ぬ」なんて不吉な事を仰いながらも、ショールを翻して元気に走ってらっしゃいますわ。うふふ。もうお体の具合は良くなったようですのね。


 落石はほんの少しで、昨日の半分も走らない内に何も落ちてこなくなりましたの。わたくしたちは立ち止まって息を整えましたわ。でもタスクさんがまた蹲っていらっしゃいますの。

「ら……落石は自然現象よね? 疑いたくもなっちゃうわ……はぁ……」

 ファニィさんが息切れなさっているタスクさんの背中を擦りながら仰います。ええと……わたくし、やっぱりお伝えした方がいいですわよね?

「ファニィさん」

「どうしたの、ジュラ?」

 ファニィさんがわたくしの方へ首だけ向けてお返事してくださいましたわ。

「わたくし、岩を落としてくる皆さんに、どこかでお会いした事がある気がするんですの。でもどこでお会いしたのか思い出せないのですわ」

「岩を落としてくる奴ですってーっ!?」

「ハァッ!?」

 ファニィさんとタスクさんが揃って絶壁を見上げますの。

「あたしには見えない、けど……でもきっとそいつらがあたしたちをこんな罠にハメてここに閉じ込めたに違いないわ! 許せない!」

「そういえば……どなたかいらっしゃいます」

 コートがわたくしの手を握ってきましたの。わたくし、コートを抱っこして上を見せてあげましたわ。だってコートはわたくしよりずっとずっと小さいですから、わたくしの背より上のものがちゃんと見えないんですの。

それにコートは先日、「少し目が悪くなりました」と申してましたの。頑張るのはよい事ですけれど、お勉強のし過ぎですわね、きっと。

 コートが上の方たちを見たら、わたくしの代わりに思い出してくれるかしら? コートはお利口さんなだけでなく、記憶力もいいんですのよ。

「こらーっ! 降りて来なさいよーっ! 叩き潰してやるんだから!」

 ファニィさんが大声を張り上げましたわ。

「待ってようが怒鳴ろうが、上で高見の見物かましてる奴らが、こっちがいくら挑発したって、のこのこ降りてくるはずがねぇだろうが」

「だってあたしたちを罠にハメた犯人がすぐ傍にいるんだよ! 許せないじゃないの! あーん、もうっ! 登れないのが悔しいっ! あたし見下されるのって大っ嫌い!」

「だったら引き摺り下ろせばいい」

 タスクさんはすっくと立ち上がり、帯の後ろに差していた魔法の杖を取り出しましたの。

「え? あんたの魔法じゃ飛べないんでしょ?」

「魔法じゃない。魔術で引きずり下ろす」

 タスクさんの目、ちょっと怖いですわ。いつもの朗らかなお顔じゃないんですもの。

 でもわたくしもちょっとだけ気持ちが分かりますわ。わたくしの朝食を邪魔するなんて、許せませんもの。メッですわよ。

「ジュラさん、上にいる奴らの正確な位置を教えてください」

「この上ですわ」

 上は上ですもの。他にどんな伝え方があるのかしら?

「……目測になりますが、姉様の身長の四倍の高さと、僕の歩幅で五歩から十歩程向こう側です。人数は五名以上です。それ以上は見えません」

 わたくしの言葉の補足をコートがしてくれましたの。やっぱりコートはとてもお利口さんですわ。わたくし、鼻が高くてですのよ。


「それで充分! 導かれししるべを失いし、彼の地に惑う悪霊たち! 我、示す生者を彷徨えるぬしらへの贄と成そう! 我が元へ!」

 タスクさんが杖を掲げてもう片方の手を添えると、黒い蛇のようなうねった煙が勢いよく絶壁を昇って行きましたの。

 ……ええと……わたくし、蛇さんはあまり好きではありませんわ。あまり美味しくないんですもの。

「暗黒魔術……」

 コートがわたくしの首にきゅっとしがみ付いて、少し怯えた目でタスクさんを見ていますわ。

「……あいつら……ッ!」

「知ってるの?」

 黒い煙の蛇さんに手足を絡め取られて、壁を引き摺り下ろされてくる人たちが何人かいますわ。その方たちを見て、タスクさんが声をあげましたの。やっぱりタスクさんも見覚えがあるんですのね。

「あの闇市場の盗賊連中だ! 出口のトコでジュラさんに初っ端ボコられて、やられた奴の顔に覚えがある! 俺とジュラさんがあそこを半壊させた逆恨みか!」

「なんですって! あんたたちのせいなの? じゃああたしとコートは関係ないじゃない!」

「お前は組合の補佐官だろう! 俺とジュラさんの正体がバレたんだから、必然的に組合全体が恨まれるに決まってんだろうが!」

「んもうっ! だからあたしたちを名指しで偽物の依頼してきたのね! 最初から罠だって知ってたら、依頼持ってきた奴、逃がさなかったのに!」

「今更言っても仕方ねぇだろうが!」


 上にいた方で、黒い煙の蛇さんたちに捕まった方が七人ほど、わたくしたちの前に引きずり落とされましたわ。タスクさんの魔法に驚いて何か叫んでいらっしゃいますけれど、黒い煙の蛇さんたちはまだ盗賊の皆さんの周りをグルグル回っていますの。わたくしもあんなものにグルグル纏わり付かれたら、少し気持ち悪いですわね。ご心情お察ししますわ。

 タスクさんががくっと膝をついて、杖に縋って何とか体勢を保たれましたわ。まぁ……やっぱりまだお悪いのかしら?

「悪い……まだ調子出ねぇ……」

 ファニィさんは太ももに差した鞘から短剣を抜き放ちましたわ。

「ジュラ! 本気でやっていいよ! コート下がって! タスクはあたしたちに前任せて、後ろで時間稼ぎしてくれればいいから!」

「頼む!」

 タスクさんは先ほどより短い呪文を矢継ぎ早に唱えて、かく乱のための小さな火の球を放ちながら、徐々に後退なさっていきますわ。そしてコートも慌ててタスクさんに付いていきますの。

 ファニィさんはわたくしに、本気でいいと仰いましたわよね? それでしたら皆さんのお相手するのに、わたくし、遠慮しないでいいという事ですわね。

 短剣を構えるファニィさんの隣に並び、わたくしはゆっくり腕を腰溜めに引き寄せましたの。


       6


 時間稼ぎするように言われたが、正直言ってかなり辛い。

 熱中症による頭痛はまだ引いていないし、呪文の詠唱時間が短く構築式の簡素な魔法を選んでいるとはいえ、こう立て続けに乱射していると舌は絡まって詠唱失敗するわ、初歩的な構築式を間違うわ……。

 もともと魔法の行使とは精神力を平常時より摩耗させるものだし、休み無く魔法を使い続けると、前触れなくふいに意識を失う事だってある。今、ぶっ倒れでもしたら、それこそファニィの罵声を浴びるどころの騒ぎでは済まされない事態に陥ってしまうから、充分注意して魔法を行使しているんだが……。

「火炎球!」

 杖を振り降ろし、炎の球を放つ。だがそれの射出速度は確実に落ちていた。


 俺の行使できる魔法の命中精度は、広範囲魔法などの大掛かりなものはさほど気にならないんだが、単発で放つものはよほど集中していないと極端に命中率が下がる。

 つい最近までは、俺の能力不足と構築式の暗記が伴っていないからだと思っていたが、実際は俺の魔力そのものが、炎の魔神の呪いだか何だかを封じるために、両親から強い封印を掛けられている事から起因するものだと分かった。

 それらと疲労、熱中症という総合的な弊害によって、もう俺の放つ火炎球程度の低級魔法は、しっかり見極めれば術式を発動させてからでも充分避ける事ができるほど、威力も命中精度も限りなくショボいものとなっていた。もうこうなってしまったら、相手がよほど油断しているか、俺と相手との間合いを限界まで詰めたゼロ距離発動でもない限り、目標にブチ当てる事などほとんど不可能だろう。

 最前線で頑張ってくれているファニィとジュラさんには悪いが、本当の意味で足手まといにしかならなくなった俺は、一時撤退した方がよっぽど二人に貢献する事になる。動けなくなって人質にでもなってしまっては、マジで洒落にもならない。

 俺は魔法の詠唱をやめ、すぐ近くまで迫ってきている盗賊の一人と距離を取ろうと大股で後ろへ下がった。

「タスクさん止まってください!」

 コートの切羽詰った叫び声。珍しく鬼気迫るコートの声に、俺はとっさに足を捻じって斜め横へと重心をずらして跳ぶ。初動の勢いが殺せず、もう完全静止はできなかったんだ。

 と、俺を追ってきた盗賊の足元に突然小さな、だが激しい火柱が上がった。この独特のキナ臭さ……火薬か!

 俺は振り返って、姿勢を低くして自分の鞄にしがみ付いて立ち竦むコートを見やる。

「あ、あのっ……下手に動かないでください! その辺りに火薬、い、いっぱい撒いたので……動くと危ないです!」

「お前の仕業か!」

 コートが子供特融の甲高い声を張り上げ、俺に注意喚起する。

「は、はい! じ、時間によって発破する仕掛けもあります!」

 おいおい。このガキ、ただ逃げ回ってるだけかと思えば、俺が立ち回ってた場所で何を仕出かしてくれてんだか。そんなデンジャラスな火薬や仕掛けがてんこ盛りの、言わば地雷原みたいな場所で、俺が迂闊に炎の魔法なんか使おうもんなら、下手すりゃ完全にこっちに被弾しちまう。

コートは俺を庇いたいのか葬りたいのか、どっちなんだ?

今更だが、炎使いと火薬使いだなんて、味方とするには相性最悪じゃねぇか。

「悪いが俺は一時撤退だ。案内頼めるか?」

「は、はいっ!」

 コートが不自然な迂回やジャンプしながら俺の元へ駆け寄ってくる。

おいおい……お前が避けた二歩目といえば、俺の歩幅の一歩目だろうが……。

 俺が半ば呆れてコートの到着をぼうっと眺めていると、コートが両手を口元へ当てて立ち竦む。

「み、右手に!」

「火炎球!」

 風にそよぐ俺のショールを掴もうとした盗賊に向かって、俺は振り返り様、至近距離からの魔法を叩き込む。だがダメージとなったかについては、首を傾げざるを得ない程度の威力だ。多少の火傷を負わせた程度で炎は消滅する。

 これだけの至近距離なら、命中精度に関してはまだどうにかなるようだ。だがやはり、ゼロ距離発動しかアテにならないらしい。

 あと威力については、もはや目晦まし程度だと考えた方がいいかもしれない。構築式をひと段階上のものに切り替えて魔力を底上げすれば、もう少し使い物にはなるだろうが……これ以上の精神力の消耗を考えたら、ここであまり力み過ぎるのは良策とは言えないな。

「三歩こちら……後ろです!」

 俺の服を掴んだコートが、ぐいと俺を自分の方へと引っ張る。俺は指示に従いながら、たった今、火炎球を放った盗賊に向かって魔法の杖を突き付けた。

「槍よ!」

 炎の槍が地面から突き出てくる。その槍は盗賊の顔を焼いて、俺たちと逆方向へやつを凪ぎ倒した。あっぶねぇ。あと少し反応が遅ければ、俺は背中を斬られていたかもしれない。

頼むからこれ以上、追い掛けてきてくれるなよ。コートの仕掛けた地雷原に怯んでくれれば儲けものなんだが……簡単には引き下がっちゃくれないよなぁ。

 盗賊の周囲には、こいつらを崖上から引きずり下ろすためにさっき放った魔術の蛇がまだ煙となり、実体となり、燻ぶるように蠢いている。こいつらが絶命した瞬間、この蛇どもは魔術の呪詛の言葉にのっとり、盗賊たちの魂を食らう。

「だ、大丈夫……ですか?」

「疲労困ぱい。倒れる寸前」

 俺が肩を竦めて見せると、コートは複雑な笑みを浮かべて俺を見上げてきた。

「……ま、間に合って良かった、です」


 振り返ると、随分ファニィとジュラさんから離れていた。ファニィが俺に時間稼ぎしろと言ったって事は、自分たちの相手を片付けてこっちに加勢してくれるものだと思っていたが、案の定向こうもかなり手こずっているみたいだな。

 盗賊どもは俺たちが予想していた以上に手強い。向こうの攻撃はどうにかかわせるんだが、こっちの攻撃も当たらないんだ。正に一進一退の攻防。フラフラの俺がこのまま戦いを続けていても、勝敗は近い内に決まっていただろう。マジでコートが来なければ、俺はヤバかったかもしれないな。

「がっ……あ……るああぁぁぁっ!」

 炎の槍で顔を焼かれて倒れたはずの盗賊が起き上がり、焼けて爛れた顔をこちらへ向けてなおも向かってきた。コートはその様子に怯えて、俺の服を掴んで目を閉じて恐怖に堪えている。

 皮膚や服の焦げる嫌な臭いで、俺の表情も歪む。至近距離でコートにあんまり見せたくないし、ファニィにも後で怒鳴られるんだが……俺も自分の身が可愛いし、個人的恨みもあるんでね。悪いがあの世へ逝ってもらう。

「溶けろ!」

 炎の魔法でなく、暗黒魔術を放つ。

 盗賊を捕縛するために放った暗黒魔術の蛇の影から、盗賊目掛けて強い酸が飛んだ。酸が盗賊の体に付着し、刺激臭を撒き散らしながら体を溶かし始める。

「ううっ……」

 コートが口元を抑えて小さく呻く。俺はコートの頭に帽子の上からポンと手を乗せて静かに言った。

「目、瞑ってろ」

「……目を、閉じてたら……ご案内、できませ、んっ!」

 コートが今にも泣き出しそうな顔のまま、生きたまま溶かされる盗賊に露骨な嫌悪感を剥き出しにして、俺の服の袖を引っ張った。俺たちが移動したすぐ後ろに、皮膚の半分以上を溶かされた盗賊が倒れる。さすがに絶命しただろう。

 俺はホッと一息吐き、吐き気を堪えているコートの頭を撫でてやった。

「助かったよ、コー……ッ!」

 俺の足首に激痛が走る。見れば、絶命したはずの盗賊の死体が俺の脚に噛み付いている。

 目を剥き、酸で溶けた肉片を顎から滴らせ、もはやそれは人とは呼べないモノへと変化していた。

「チィッ! ミスった! 悪霊が乗り移った!」

 盗賊たちを断崖の上から引きずり下ろすために使った魔術は、生者の生贄を代償に俺の命令に従わせるものだった。その贄が未だに俺から与えられない上に、更なる魔術、つまり全てを溶かし消し去る酸の魔術を発動させたため、悪霊たちが盗賊の死体に乗り移って俺を贄と誤認識して襲ってきたんだろう。

 こうなってしまっては、盗賊の死体を完全に焼き尽くさない限り、悪霊の取り憑いた死体は見境なく生者を追い続ける。

 魔術で扱う悪霊が厄介なのはこの点だ。


 魔術は悪霊の「魂や肉を食らいたい」といった欲望を利用して、黄泉の世界から奴らを呼び出して使役するんだが、魔力を封じられている俺が完璧に使役するにはここいらが限界点であり、これ以上の使役は無理な事だったんだ。二重に重ね掛けする魔術が危険なのは分かっていたが、魔術は潜在的能力でもあるから、魔法より精神力の消費が少ないと、まだ俺でも制御できる範囲だと踏んでいたんだ。が、あまりにも安易に考えすぎていたようだ。

ある程度予測できた事だったのに、俺は一時の怒りの感情に任せてこの厄介な魔術を使ってしまった。せめて最初の黒き蛇の魔術に対する代償を悪霊たちに与え、きちんと一つの命令として完了させておけば、死体に取り憑いて術者である俺を襲ってくるといった事はなかったはずだ。

「このっ……」

 至近距離から弱い魔法の炎を放つが、悪霊の憑いた盗賊の死体は離れない。これ以上威力を上げれば、食らい付かれてる俺まで炎に巻き込まれる。

「タスクさん、来ます!」

 悪霊憑きの盗賊とは別の、まだ息のある盗賊が俺を見つけて全力でこちらへ駆けてきた。

 しまった! 今の俺に二人同時に相手するのは無理だ! 完全に俺の誤算、判断ミスだ!

 せめてコートだけでも逃がしてやらなければと、俺は奴の肩を掴もうと手を伸ばした。

「コート、お前逃げ……」

「……えいっ!」

 俺のすぐ脇に、盗賊がやたら滑稽な格好でスライディングしてきた。いや、頭を残して体が滑ってコケたと言うか……。

「こ、来ないでくださいいぃっ!」

 バコンとすぐ傍で鈍い音が響き、そちらへ俺が顔を向けると、コートが分厚いハードカバーの本で盗賊を一心不乱に殴打していた。目を瞑っているから完全に敵味方の区別がない無差別攻撃。お陰で時々俺の足に噛み付いている、悪霊憑きの盗賊の死体をも殴っている。むろん俺にも当たる。本人は当然目を瞑っていて気付いていない。

 しかしなにせ十歳のガキの腕力だ。そうダメージは通っていない……はずなんだが、手にした獲物はハードカバー。そして角は金属の板で補強してある。ピンポイントで当たれば相当痛い。いろんな意味で。主に屈辱的に。

 こっちに向かってきた盗賊に対し、コートはとっさに例の『何でも入っている亜空間な鞄』からこの獲物を取り出して、突っ込んできた盗賊目掛けてかなりの遠心力を付けてフルスイングしたんだろう。で、本は盗賊の顔面に命中。盗賊は見事に無様に間抜けに顔面にコートの本が命中、体は突っ込んできた勢いを殺せぬままズルリとスライディング。そして地面に大の字の人文字完成。多分、こういう筋書きだろう。


 ……なんつぅか……これ、新しいコントか?


 姿勢を低くして突っ込んできてしまった点が、この盗賊の誤算だな。通常の姿勢なら、チビのコートのスイングに頭が届くはずがない。むしろ危険なのは男の急所。頭と急所、どっちを狙われた方が不幸だったのかは……む……どっちも屈辱的だな。名も知らぬ盗賊、ご愁傷様だ。


 あー……まぁ、とりあえずコート。よくやった。褒めてつかわすから、無差別攻撃で俺の脛に本をブチ当てるのやめてくれ。いい加減、痛い。

「やだっ! 嫌ですっ! 向こうへ行ってくださいっ!」

「痛っ、痛てっ! このクソガキ!」

「……ッ! やだぁ!」

 コートが自分の袖をポンと叩くと、袖口から何かが転がり出てきた。そして指に嵌めた風変りな指輪をシュッと擦り付け、そのままそれを盗賊目掛けて投げ付けた。

 ……って、それ火薬玉じゃねぇか!

 ちょ、ちょっと待て! いや、待ってる暇は無い!

 俺はコートの襟を掴んで慌てて跳んだ。だが足に絡まる悪霊憑きの盗賊が邪魔をして、充分な飛距離が出なかった。

 一瞬耳がキーンと鳴り、鼓膜が破裂したかと思うような破裂音がすぐ傍で聞こえた。いや、感じた。激しい爆発音は聴力の限界を超えて、『聞いた』というレベルで済まされない大音量だったからな。

 轟音と瞬間的な熱風が俺たちを包む。そしてふいに足が軽くなった。


 火薬臭い煙の中に目を凝らすと、黒焦げの人影が二つ、転がっていた。一つは悪霊憑きの盗賊、もう一つはコートに屈辱的にコテンパンにされた盗賊だ。間違いなく、コートの投げた火薬の爆発に巻き込まれたのだろう。実際、俺の服もちょっと焦げている。

「ぐすっ……えぐっ……怖かったですぅ……」

 コートが俺の傍でぐずってやがる。


 俺の使う暗黒魔術をグロテスクだの残酷だのとファニィは責めてくるが、生きた人間に向かって火の点いた火薬玉を投げ付けて火だるまにしてしまうこの小僧の方が、俺より遥かに残酷なんじゃないだろうか? 虫も殺せぬような天使のごとき愛らしい面構えで、悪魔のごとき惨たらしい所業を平然とやってのけ、そして終わってから定型常套句の「怖かったですぅ」と、めそめそ泣いて臆病アピールで知らん顔。

 ……これ、いいのか? この無邪気な爆弾小僧を野放しにしておいて本当にいいのか?


「……完璧に殺ったな、お前……悪霊も吹っ飛んだぞ……」

「ま、まだですぅ……だ、だって僕の火薬……威力は抑えてありますから……」

 これのどこが抑えてるって? 悪霊憑きだった方、明らかに骨までこんがりウェルダンだぞ。でもコテンパンだった方はまだ辛うじて、ピクピク動いてる分、コート流に言えば『抑えて』いたんだろう。

 いや、もう深入りすまい。こいつらが追ってくる可能性は多分もうゼロ。俺がすべきはさっさと尻尾巻いて逃げ出す事。

「……ほら行くぞ。どこ踏めばいい?」

「あ、あの……左四十五度のほうです」

 コートを小脇に抱えたまま、俺はコートの仕掛けた地雷原を何とか抜け出した。

 しばらく身を隠していると、近くで何度か爆発の音が聞こえた。危険察知能力の高いジュラさんが一緒にいるんだし、ファニィたちは爆発に巻き込まれてないだろうが……なんか不安だ。

 俺がかつての地雷原を覗き込むと、煙に巻かれながらファニィとジュラさんがやってきた。


「遅くなってごめん! 無事?」

「僕は大丈夫です。でもタスクさんが……」

「タスクは見た目無事。よし、オッケー。コート、心配したよー」

「あのなぁファニィ……俺はお前みたいに不死身じゃねぇんだぞ」

 熱中症の頭痛と魔法乱射による精神力の疲弊、そしてコートの情け容赦無い目つぶり無差別攻撃を目の当りにした俺は、心身ともに疲れ切っていた。呆れてこれ以上の文句を言う気力もなく立ち上がると、ファニィの腕に細く赤い線が出来ているのが目に付いた。

「……おいファニィ。その線、何の目印だ?」

「あ、これ? 血の跡。油断して背中を取られて腕をばっさり切断されちゃったの。もう繋がってるから平気」

 両手を顔の横で握ったり開いたりして見せ、無事である証明をするファニィ。

 ……相変わらず呆れるほど反則的に不死身な女だな……もはや何も言えない。しかも脇腹にも血痕があり、短剣の鞘を差している足にも腕と同じような血の線が付着している。

「お前……何ヶ所怪我したんだよ」

「えっとー、おなか刺されたのと足に矢が刺さったのと……んー、よく分かんない。しばらく死んでたし。あ、あたしの場合は気絶って言うのかな?」

 ……何も言う言葉はない。あえて一つだけ何か言えというなら、俺、本当にこんな女に惚れて良かったんだろうか?

「タスクさんはお怪我ございませんこと? わたくし、打ち身が出来てしまいましたわ。だって盗賊さんが本気でわたくしに斬り掛かってくるんですもの」

 ジュラさんが擦る細くて綺麗な腕には打ち身どころか傷一つない。

「斬られなかったんですか?」

「わたくし、打ち身はできますけれど、切り傷はできませんのよ」

 あの柔肌で刃を受け止めたのか。しかも本人の主張とは裏腹に、痣一つこさえずに。この人も普通じゃねぇな……分かってたけど。

「こっちは元々本調子じゃない所に魔法の使い過ぎで疲労困ぱい。怪我は噛み付かれた傷と火薬による火傷くらいだ。コートのお陰でこの程度で済んだ」

 ちょっとだけ皮肉を込めて言ったつもりだった。

「ぼ、僕……その……必死で……こ、怖かったですけど頑張って……タスクさんのために……」

 コートは顔を赤くしてもじもじと答える。皮肉は案の定通じていなかった。

「へぇ、コートも戦えるんだ! じゃあ今度からも頑張ってもらおうかな?」

「そ、そんなっ! 僕、怖いですぅ!」

 ファニィの言葉に泣き出しそうな勢いで過剰反応するコート。いや、怖いとかほざいててもお前なら殺れる。絶対。確実に。

「嘘だって。まだコートの出番じゃないよ。もうちょっと大きくなってからね」

 一番要注意人物だったのはコートなんだがなぁ……とりあえず黙っておこう。コートに逆恨みでもされたんじゃ俺、絶対死ぬ。殺される。コートが口にする『必死』とは、相手を『必ず死へ追いやる』という意味だからな。そういう認識に、改めざるを得ない。

「ふぅ……じゃあちょっとだけ休憩して、また頑張ってエルトに向かおう。早くオウカに帰りたいね」

 あ、そうだった。まだ終わってないんだ。エルトに抜ける迂回ルートでオウカに戻るという行程をクリアしない限り、俺たちに終わりはこないんだった。


 はう……また頭痛が……熱も……。

 俺は倒れそうになりながらも、必死に意地だけでファニィに付いて歩いた。二度も倒れるという醜態を晒してなるものか。懸命に最後の一滴まで気力を振り絞って俺は歩いた。

「……タスクさんのためなら……僕、もっと頑張れるかも……」

 コートが両頬を染めながら、天使のごとき愛らしい笑みを浮かべて俺をチラ見してきたが、俺はその視線をかわす気力すらもう残っていなかった。

 もう勝手にしてくれ。


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