プロローグ
ファニィ・ラドラム
あたしの目の前には、褐色の肌の青年。
歳はあたしよりちょっと上っぽくて、黒い髪に黒い瞳。そして右頬には変な模様の刺青がある。この特徴は東の魔法国家・ジーン出身者に多く見られるもの。
ジーンは女王を中心とした魔法による統治国家で、国民のほとんどが魔法使い。きっと彼も魔法使いなんだろう。
だって魔法使いが好んで身に着けるような、ヒラヒラしたショールみたいなのを肩に引っ掛けてるし、腰からはスカートみたいな布がくっついてるから。でもその下に着ているものは、足元や胴回りが体にぴったりしてるから、それほど動きにくそうには見えない。あと魔法使いっぽい石の付いた杖。これ、典型的な魔法使いの特徴ね。
「我が組合に志願した理由を聞かせてもらおうか」
あたしの隣でお髭の渋いオジサマが彼に声を掛ける。
このオジサマは東西南北、各国家を結ぶ中央都市・オウカが誇る冒険者組合の総元締めで、あたしの養父でもある。
冒険者組合っていうのは、有り体に言っちゃえば『何でも請け負い屋』の事。危険なお宝探しから、ご近所の子犬の散歩まで、どんな仕事でも、報酬と引き換えに依頼を請け負う便利屋集団というかギルドのようなもの。事実、各国の要人からもわざわざ依頼があるほど重宝されている。
あたしはというと、元締めの養女ではあるものの、この組合の元締め代行、いわゆる補佐官という大役を任されている。つまり元締めが留守中の組合の元締め代行をしたり、元締めがいる時はその補佐をしたり。
今やってるのは、新しい組合員の加入のための面接補佐。
組合の面接は、それこそ「組合に入れてください!」って要望があれば即その場で面接になる場合が多いので、日常茶飯事と言えば日常茶飯事。テストがある訳じゃないけど、誰も彼も合格するような簡単なものでもなく、この面接で適正をちゃんと見極めるのが元締めと補佐官であるあたしの重大な仕事。
だって適正のない人をノリと勢いで組合に入れちゃって、もしその人が事故で死んじゃったりしたら、せっかくここまで大きくさせてきた組合の世間での印象は悪くなっちゃうし、信用だってなくなっちゃうじゃない? だから一応は申し込みの時に、誓約書に目を通させてサインを書かせる訳。
『組合の規律を守ります』『死んでも文句言いません』みたいなやつ。
この誓約書の時点で、軽い気持ちで申し込んできた人はビビッてゴメンナサイして帰っちゃうから、組合にはちゃんと役に立つ人間が残るというシステム。
騙してないし脅してもないよ。組合の仕事が場合によっては凄く危険なのはホントの事だから。
「このオウカでは、魔法使いは珍しいと聞きました。自分は未熟な修行中の身ではありますが、自分自身への鍛錬を兼ねて何かお役に立てればと」
あ、面接中だったの忘れてた。集中集中!
彼はいかにも模範ですって回答をして、じっと元締めを見つめている。回答は完璧に模範解答みたいだけど、軽い気持ちで組合に来たって訳でもなさそうね。
「君はジーン出身だったね。ジーンでは若者が魔法修行の旅に出る時期があると言うが、君はその旅の途中では?」
「あ、えっと……それも、あります」
元締めが手元の羊皮紙、彼が書いた誓約書の中にある出身国の項目を指先でなぞりながら問い掛けると、彼は急にしどろもどろになった。
ん? なんで口籠るかな?
元締めもそれに気付いたらしい。
「……何か隠しているね?」
鋭く問い詰めると、彼は小さく視線を逸らし、口元に手をやる。そして観念したように息を吐き出してから、またこちらを向いた。
「すみません。その……俺、じゃない。自分は家出中なんです。仕事を探さないと食い繋ぐ事も難しくなってしまって……」
家出というキーワードに、元締めがあたしの方を向く。そしてクックッと笑い出した。
あーあ、ツボに入っちゃったよ。元締めって一見強面だけど実は笑い上戸なのよね。
こうなってしまっては、元締めの笑いのツボが治まるまでは、面接の続きはまともにできない。そこで補佐官であるあたしの出番。
「オウカで魔法使いは確かに珍しいわ。組合にも何人か魔法使いを名乗る人はいるけど、魔物相手の実戦なんかで役に立つような実力者はほとんどいないの。君の実力ってどの程度のものなの?」
あたしの隣でひたすら笑い続けている元締めを不思議そうに見つめ、彼は小さく咳払いをしてあたしの方に向き直る。
「畑を荒らす子鬼など、低級魔族に属する程度の魔物でしたら一人でも退治はできます。もっと高等知能を持った魔族なんかになると、さすがにちょっと一人では無理ですが」
「魔物退治はそこそこって訳ね。じゃあ盗賊とかそういった悪党相手だったら? 盗賊の捕縛とか、そういった依頼もウチでは結構あるわ」
「相手を殺さずダメージを与える事はできるか、という意味ですか? 火炎魔法の微調整ならそれなりに自信はあります」
あたしもそんなに詳しい訳じゃないけど、魔法使いっていうのは、物質を構成する四大元素ってものを操って、魔法という見える力に具現化するっていう理論を聞いた事がある。彼は今、火炎がどうのって言ったから、彼の得意とする魔法は炎の魔法って事でいいのかな?
「はっ、はははっ! いいだろう。魔法使い君。組合への加入を許可しよう」
やっと笑い地獄から脱し……切れてないけど、脱しつつある元締めが、目尻の涙を拭ってゴーサインを出した。
まだ面接の途中だけど、元締めはどうやら彼の事が気に入ったらしい。昔から何度も思ってた事だけど、元締めってなんでこう簡単に──そう、まるでノラの犬猫拾ってきちゃう子供みたいに、大事なはずの組合員採用をあっさり決めちゃうのかな? まぁ……その中で役立たずだったって人は数える程しかいないから、元締めの第六感というか、観察眼や判断力は神懸かってると言えなくもないんだけど。
まさかとは思うけど……笑えるから、とかいう理由じゃないでしょうね?
「ありがとうございます!」
彼が椅子から立ち上がって大きく頭を下げる。
「家出……ぷっ……家出中なのだから、身を置く場所もないだろう? ウチには寮もあるから、そちらの手配も必要だね?」
「お手数お掛けしますが、ぜひよろしくお願いします」
「よろしい。ファニィ、管理部で彼の正式加入手続きを。それと寮の部屋を用意してやってくれ」
「はい、承りました」
こういった正式な場では、あたしも元締めにちゃんと敬語を使う。誰もいない時は親子のタメ口なんだけどね。
あたしは席を立ち、元締めの手から彼の誓約書を受け取った。そして彼の元へと歩み寄る。
「あたしはファニィ・ラドラム。組合補佐官です。手続きするのでついてきてちょうだい」
「よろしくお願いします」
あたしより頭一個分背の高い彼は、あたしに対して深々と頭を下げる。刺青と肌の色のせいで厳めしく見えるけど、実際は結構礼儀正しいみたい。実はいいトコのお坊ちゃんだったりして。
あたしは誓約書にもう一度軽く目を通した。
タスク・カキネ。年齢は二十歳。あたしより二個上なのか。質疑応答の受け答えなんか落ち着いてるし、もうちょっと上かもって思ってたわ。
コートニス・グランフォート
ジュラフィス・グランフォート
新しいからくりの設計図を描きながら、僕は窓の外を見ます。太陽が随分傾いて、もうすぐ夜になってしまいそうです。
いつもならそろそろファニィさんが、僕と姉様を夕食へ誘いにいらっしゃる頃なのですけれど、今日は少し遅れているようです。でもこういったことはよくあります。おそらく組合で急ぎの用事でも入ったのだと思います。
それでしたら僕のすることは一つだけです。ファニィさんがいらっしゃるまで姉様の空腹を紛らわせておくこと。姉様は食事には少し執着心が強い方なので。
僕は設計図を急いでキリのいいところまで描き上げ、組合の図書室にいらっしゃる姉様の元へと行きました。姉様は静かに読書中でした。
「姉様。僕、姉様とお話をしにきたのですけれど、お邪魔でしたか?」
「まぁコート。もう今日はコートのお仕事は終わりですの?」
「はい大丈夫です。終わらせてきました」
姉様は藍色のドレスの裾を摘まんで僕に歩み寄ってきます。そして僕は軽々と持ち上げられてしまいました。
僕が標準よりずっと小柄だということもありますが、姉様はとても力持ちなんです。
「コートは本当にお利口さんね。でもわたくしも今日はとても頑張りましたのよ。ほら、あのご本、今日は三ページも読んでしまいましたの」
「それはすごいです、姉様」
僕が笑うと、姉様も嬉しそうに微笑まれます。
姉様が途中で飽きもせずに『絵本』を三ページもお読みになるなんて、姉様は姉様なりに僕のお仕事に対して気を使ってくださっているのですね。僕、とても感激です。
「姉様は今日、どんな本を読まれたのですか? 僕にも教えてください」
「うさぎさんが鳥さんとお話しする本でしたわ」
姉様が僕を抱き上げたまま、さっきまで読まれていた本を拾い上げます。対象年齢三歳向けの、とても可愛らしいタッチで描かれた絵本です。
この図書室には対象年齢の低いかたに向けた本はあまり無いのですけれど、組合の補佐官であるファニィさんが気を使って何冊か用意してくださっているのです。それらはほぼ姉様専用です。
「ほら、ここですのよ。わたくしが読んでいたのは」
姉様が嬉しそうに先ほどまで読まれていたページを広げます。
「すごいですね、姉様。じゃあ明日は続きを読んで、また僕に教えてくださいね」
「もちろんですわ、コート」
姉様は椅子に座り、僕を膝の上にちょこんと座らせます。えへへ、僕の定位置です。
姉様はとても朗らかでのんびりしていらして、僕にとってはかけがえのない大切な姉様です。でもファニィさん曰く、 “手の付けられないほど頭の中がお花畑” と肩を竦めて仰るのです。確かに姉様は世間と少しだけズレていることは認めますが、僕は姉様の纏ったほわんとした空気、落ち着いてとても好きなのですけれど……変わってますか?
「そういえばコート、大変ですわ」
「どうされたのですか?」
姉様がいつも優しい表情を少しだけ険しくして、唇に指先を当てて僕に言いました。
「鳥さんと言えば、わたくし、すっかりおなかが空いてしまいましたの。そうですわねぇ……赤鳥の照り焼きが食べたいですわ」
あっ……!
姉様に動物の絵本を渡したのは僕の選択ミスでした。動物といえばお肉が食べたいという、姉様の食欲中枢をダイレクトに刺激してしまう選択だったのです。
「あの、えと……ファニィさんは今日、組合のお仕事がちょっと忙しくて遅れていらっしゃるみたいなんです」
「まぁそうなんですの? でも困りましたわ。わたくし、とてもおなかが空いていますの」
「ですからファニィさんがいらっしゃらないと、僕では夕食は……」
「コートもおなかが空きましたわよね? どうしましょう。わたくし、おなかと背中がくっついてしまいそうですわ」
一度空腹を訴え出した姉様に静かにしていただくには、何か召し上がっていただくしかありません。ファニィさんにいつも甘えさせていただいている僕では、姉様を満足させるような真似はとても出来なくて……。
「大変ですわ。赤鳥さんがわたくしに食べられたいと仰ってますの。ほら、コートも見えますでしょう?」
たった今まで読んでいた絵本の鳥を指差し、姉様が僕に同意を求めてきます。
ええと……確かに絵本の鳥は赤っぽい色で着色されていますが……ど、どうすれば……。
……食堂の注文、僕一人でお願いした事はないですけど、どうすればいいかなら、いつもファニィさんを見ているので分かっています。ちょっとドキドキして怖いですけれど、頑張ってみようかな。姉様を困らせるなんて僕、とてもつらいですし。
「わ、わかりました、姉様。僕がお料理を注文してみますから、食堂に行きましょう」
「まぁ! コートはなんてお利口さんですの! ではさっそく赤鳥さんをいただきましょう」
姉様はにこにこ微笑んで僕の手を引いて食堂へ向かいました。
僕、本当に一人でできるでしょうか……食事の注文……。
タスク・カキネ
「よう、新人」
冒険者組合の寮に案内された俺が、室内の設備を確認していると、開けっ放しのドアがノックされて誰かが声を掛けてきた。
しばらく使われていなかった部屋らしく、少し埃っぽかったので、不用心かと思いながらも換気のために窓とドアを開けたままにしておいたんだが、やっぱり不用心過ぎただろうか?
「おっと、挨拶挨拶。ハジメマシテだな、新人。いやー、最近、全然新人が入ってこなくてさぁ。お前、久しぶりの新人だよ」
煤けた金髪に小太りの体型。だがなかなか愛嬌のある顔立ちの男だ。推測せずとも、俺にとって彼は先輩になる。組合の寮に、外部の人間は入れないとの事だからな。
「はじめまして。俺はタスク・カキネといいます。今日からこちらでお世話になります。よろしくお願いします」
先輩には挨拶しておかないと。
いい歳ぶら下げて、挨拶しなかった新人を集団リンチなんて馬鹿げた事はないだろうが、悪い印象を与えるより、いい印象を持たれた方がいいに決まってる。これから当分世話になるんだし、おとなしくしておこう。
「おう、タスクね。その刺青、ジーンの出身か?」
「はい。修行中ですが魔法使いです」
「なるほど。どうやら元締め様にもファニィちゃんにも気に入られたみたいだな。この組合って、元締め様が気に入っても、ファニィちゃんが気に入らないと追い出されちゃうからなぁ」
「ファニィ……さん?」
聞きなれない名前を聞き、それが面接の時に元締めの側にいた補佐官と名乗る彼女の名前だった事を思い出す。組合には入ったけど、上層部の人間とはあまり関わる事はないだろうから、あんまり記憶に残っていなかった。
「補佐官やってる赤いバンダナがトレードマークの女の子がいたろ? 若いけど仕事はできるし組合でも人気があって、みんな気軽にファニィちゃんって呼んでるんだよ」
「そうなんですか」
随分若い補佐役だとは思ったが、こうして組合の面子から認められているという事は、彼女の実力は相当だって事なんだろう。
でも彼女は組合の仕事をしているより、町の市場なんかで果物や花を売る店の元気な看板娘といった印象なんだけどな。人は見掛けによらないものだ。
「へぇ、ジーンの魔法使いねぇ……」
先輩は俺の頬の刺青をまじまじと見つめる。
ジーンでは魔法使いの証として、物心付く前に顔に何らかの刺青を彫る風習がある。古代の魔法の力を込めたもので、これが無いと魔法は簡単には行使できない。逆に言えば、刺青を彫れば、ごく初歩の魔法なら誰でも行使できるようになるという事だ。
だからこそ、刺青の形、つまり古代魔法紋章はジーンでは特に厳重に管理されて、代々伝えられる神聖なものだった。
その割には選ぶ形や大きさは親の好みとその時のインスピレーションであっさり決まったりするんだが。ジーン出身者にとっては一生モノの刺青を、そんな安易に決めてほしくないと思っているのは俺だけじゃないはずだ。
俺の刺青は炎に複数の円を重ねたもので、右頬にだけ彫られている。俺の姉貴なんか、額に目玉みたいな幾何学模様だから、遠目には目が三つあるように見えるんだ。
俺がガキの頃に「姉貴は刺青のせいで三つ目の化け物みたいだ」と率直な感想を述べたら、魔法金属の杖で本気でぶん殴られて、額をカチ割られた経験がある。魔法金属は鉄なんかよりもっと硬いんだぞ! あの時は顔中血塗れになって、本気で姉貴に殺されるかと思ったぜ。
「タスクは魔法以外に特技とかってあるのか?」
「特技。そうですね……」
俺はしばらく考え、ポンと手を打った。
「特技というか、家事全般が得意です」
先輩の口がポカンと開いたまま固まった。
あれ? 俺、なんか変な事言ったかな? もしかしてオウカでは家事は専門職とか? まさかな。
俺、生まれてからジーンを出たのは今回が初めてだから、他の国の流儀やお国柄にはちょっと疎いんだよな。勉強しねぇと。
「あ、オウカでは家事って言い方しないんですか? えーと、料理とか洗濯とか掃除とか。つまり家の中の用事全般です。あ、でも子守りは苦手ですね。子供の相手は得意じゃないんで。その代わり料理はかなり得意ですよ」
ガッツポーズを見せると、先輩がますます頬を引き攣らせる。
「銀鮭のシチューはかなり自信ありますよ。今度厨房借りて作りますから食いますか?」
俺が言うと、先輩が弾けるように体の硬直を解いた。
「お、お前その顔で料理なんかすんの? 料理なんて女の仕事じゃないか」
「変ですか?」
「いや、その。お前、自分の見た目、鏡で見た事ある? 魔法使いって割にはガタイはいいし、厨房に立って包丁持って鍋振るって姿がマジで想像できねぇ」
そう言われてみれば、故郷でも俺が家の事をほとんど任されてると遠方の親戚に言ったら変な顔されたっけ。男が家事するのって、世間的にはおかしな事だったんだろうか? 実家じゃ俺も親父も、お袋や姉貴の言いなりだったんだが。
……ジーンは女王統治のお国柄だから、男の立場が女より弱いってせいもあるのかも。
「はぁ……俺のところじゃ普通でしたけど、こっちでは違うんですね」
「はは、は。まぁ、その内食わせてもらうよ」
先輩がやれやれと首を振る。だがふいに顔を上げて、俺の腕を掴んだ。
「料理が得意って言ったな!? かなり上手いのか? 美味いのか?」
「はい?」
「腕は確かなのかって聞いてるんだ!」
「ええと……身内や親戚には結構評判良かったですけど……あとご近所同士の立食会とかでも……」
半ば脅されるように答えると、先輩が大きくウンウンと頷いた。
「よし! じゃあお前、組合の厨房で専属バイトしろ!」
「へ?」
いきなり意味が分からない。
「ウチの組合の飯、すっげー不味くてさぁ。それもこれも組合員の交代当番制だからなんだけど。ファニィちゃんにもちゃんとした料理人を雇ってくれって言ってるんだけど、そんな予算はないって一蹴されちゃってさ。ウチの組合員は不味い釜の飯を分け合って食っているんだ。憐れと思わないか?」
「はぁ……」
せっかくの飯が不味いのは俺も勘弁だし、大人数の料理を作るのは不得意と言う訳ではない。
「ここだけの話、新人組合員の給料なんて雀の涙だぜ? いくら寮住まいだってまともに食ってけないぜ? だからバイトしろ。今すぐしろ。後生だからバイトしろ」
「そ、そうなんですか? ここなら衣食住に困らないと思ってたんですが」
「甘い。世の中そんなに甘くない! タスク、頼むから厨房でバイトしてくれ!」
先輩が必至の形相で俺に懇願してくる。この様子、よほど飯が不味いらしい。人間とは食い物で左右される生き物なんだなぁ。
「……分かりました。とりあえず部屋を片付けてから厨房に伺います」
「よしっ! サンキューな! あ、名乗り忘れてたけど、おれはイノス。組合の薬師やってるんだ」
薬師のイノス先輩ね。これから先、組合で上手く立ち回るために、仲のいい相手を作っておくに越した事はない。先輩のお節介は俺にとっても好都合だ。
利用させてもらうと言えば聞こえは悪いが、俺だって労力を提供するんだ。お互い様だって事で。
俺は先輩を見送ってから、急いで宛がわれた寮の部屋を片付けた。