高田馬場、ビッグボックス前
マリー・ルウというダンサーがいてね、その子の名前をもらったの
とりえが言った。だからトウキョウにきたら、あたしの名前はルーさんね
東北新幹線ができる前だったので、東北本線の特急に乗る。
終点上野駅で国電(JRではない!)に乗り換え、池袋方面の電車に乗り
高田馬場で降りる。ビッグボックス前の降り口で降りて
アスファルトの照り返しを浴びながら、りえの到着をまった。
一時間待ってもりえは現れないので、わたしは何度か駅前の公衆電話に駆け込み、
りえの就職した芸能事務所に電話をかけた。
電話はなかなかつながらない。
十回以上コールしてやっとつながり、りえに取り次ぐようにたのむと
決まって、外出先から戻ってきませんとい返事だ。
今とちがって携帯電話なんかなかったし、
待ってる間携帯のゲームやテレビや
情報収集やラインで時間をつぶすなんてことはできなかった。
ただ、まつ。ひたすら、まつ。足に根っこが生えるまでまつ。
わたしは駅前のバスから降りてくる若い人たちを見た。
バッグパックを背負ってよれたシャツを着た男の子
テニスラケットを持ってそろいのジャージ姿で群れる女の子
比率は男子の方が多いような気がする。
学生か、いいなあ
とぽつんと思った。
自分もこれから働いて二部の学生になるんだ。
漠然とそう思った。
文学、するんだ。
学校にいたころはあれほど勉強がいやだったのに
社会にでると猛然と勉強したくなるのが不思議だった。
でも、わたしは大学の先、については考えていなかった。
大学にいって、どんな仕事につくのか
まるでビジョンが沸いてこないのだ。
そもそも
わたしは自分が働くということに現実感をもっていない。
頭の中は妄想だらけで地面に足がついていない
ふわふわとただようこと
それができるのがトウキョウの魅力
トウキョウは、現実も非現実に変えてしまう魔法の町だと思った。
そんなことを思っていると
目の前にいきなりりえが現れた。
りえだ。確かに。丸い顔の輪郭、
二重まぶたの接着剤で二重にしている重たいまぶた。
うまく言ってるときと、晴れがひどくて
接着剤が二重のラインからはみ出てるときがある。
そこに溜まった、安っぽいブルーのアイシャドー
だまだまになったアイラインと毛玉のようなマスカラ
くるくるパーマのヘアにレースのスカーフを
カチューシャがわりに頭のてっぺんでリボン結びにしてる。
歯科医に行く前か、おたふく風邪の子供みたいだ。
りえは天然パーマなので
髪が伸びると爆発して
アフロみたいになる。
髪の毛、ブロウするの、たいへんなんだよね
高校のころ、文芸部の部室に現れては
おかし食べながら、ギャルズ・ライフを見ていた。
たしか、一組の私立、就職組み、だった。
りえは、高校生のときも化粧をしていた。
だから、化粧の濃いのはしかたないなあと思うが
そのファッションも度肝を抜かれる
ピンクとブルーのハイビスカスが大胆に描かれたアロハシャツの裾を結び
水色に白い花をちりばめたミニのフレアスカートをはき
首元にチープなプラスチックのピンクのビーズを連ねたネックレスをかけ
足元は素足に、ショッキングピンクの5センチヒールである
なんというか、すごい。
原宿のひと?
ギャルズライフを満喫してるんだろうな、このひと
わたしは、感心して思った。
とてもじゃないけど
おかあさんに
この子、友達なんだ、とかは絶対にいえない人種のひとだよな
と、思った。
でも、ここはトウキョウなのだ。
おかあさんはいない。
どんなふうに自分を主張してもだれも何も言わない
だから、りえのものすごい格好をみても
それは普通のことなのだから、干渉しなくてもいいのだ。
と、わたしはじぶんに言い聞かせる。
そもそも、りえとわたしは、高校の三年間、
同じクラスだったこと一度もない。
なぜ、りえがわたしを知っているのか、ものすごく不思議なのだ。
高3の冬、最終の登校日、わたしはりえに昇降口で呼び止められた。
小野寺品子ちゃんだよね?
そう、だけど?
進路、決まったの?
一応ね。大学受ける。二月にね。
トウキョウの?
いえいえ、トウキョウの手前の、埼玉の大学。
学部は?
教育学部と、文学部。
先生になるの?
ならない。
なんで教育学部なの?
先生になるって大義がないと、大学うけさせてもらえなかったから
大変、だね?
まあね、でも世の中なんてそんなもんじゃないの?
お父さんとお母さんは元気?
わりとね。
お父さんって何の仕事してたっけ?
なんでそんなこと聞くの?
公務員?会社役員?先生?
なんで?
この学校ってそのどれかじゃない?親の仕事。
だから、なんで親の仕事をあんたにいわなきゃならないわけ?
いいじゃん。
べつにいいけど。公務員だよ。
国立めざしてたよね?
ああ、共通一次むりだから、私立に志願変更した。
受かるといいね。
りえは、そういってくろい茶ばねゴキブリみたいなフードのついたコートを翻して
昇降口を去った。
なんなんだ、あの子?
不思議ちゃん、だ。
それ以来、わたしはりえをわすれていたのに
りえはわたしを忘れてはいなかったようで
大学に落ちて、就職したという情報が流れると
なぜかわたしの家に電話してきたのだ。
聞いた、きいた。友達から。会社辞めようと思ってるんでしょ?
え。まあ。でも、友達ってだれよ?
わたしねえ、品子ちゃんがおもってるより顔が広いから
いろんなところにルートがあんのよ。
田舎の会社なんか辞めてトウキョウにおいでよ
あたし、今芸能プロダクションにいるんだけど
こないださあ、中森明菜ちゃんに会ってさあ、明菜ちゃんが営業でうちの事務所に
来たんだけど、すっごく素敵だったよ。
はあ、中森明菜ですか?
わたしは、中森明菜に興味はない。しかし、次の話には大変興味が沸いた。
もし、嫌気が差してトウキョウでやり直したいとおもうんなら、いっしょに住もう。
わたしのアパートって高田馬場ってとこにあって、住みやすいから。早稲田大学にちかいからさ、
仕事しながら早稲田の二文でも受けなおせばいいじゃん。
え?
そういうのってあり?
あり、あり。じゃあね。いつでも待ってるから。世界はひろいのよお、品子ちゃん。
両親はわたしが就職して給料を入れることができる身分になると
なにも干渉しなくなった。
つき、3万、入れてね。おかあさんは当たり前のように言った。
そのときのわたしの給料は手取り八万だった。
隔週で土日、休み。
残業はないといわれていたにもかかわらず
会社の人は休日出勤がすきなようで
残業もすきなようで
無言の圧力がかかり、残業手当のないのにもかかわらず
わたしは毎日八時ころまで仕事をしていた。
会社は水道とか、パイプの銅管やプラスチックの管やねじなどを扱う商社だった。
よく、わからない。
工業高校でもない、
商業で伝票についてまなんだり簿記をやったわけでもない
社会のしくみとかモノの流通とかについて専門学校にいったわけでもない
ただ、せっせと受験英語や、歴史の文献、古典文法なんかを暗記していた
書物のことしかわからないひよっこをいきなり社会にほうりだすなんて
無謀すぎる。
だって、コンビニでバイトしたことすらないのだ。
お金がどう流れて、物がどう流れて顧客の手元にわたるのか
手形がどうの在庫がどうの
本日の銅の値動きがどうの
わからないことだらけ、だ。
すっかりいやになった。
それにお父さんは公務員のくせに労働組合とかしてたから
わたしが残業手当もなしに残業してるのを、労働基準法違反だ、とか怒るから
もう、どうしていいかわからなくて
呆然としてしまっていた。
そんなわたしに、救いの手がのびた。そのときは、本当にそう思った。
品子ちゃん,待った?
あたりまえです。いつまで待たせるつもりだったの
わたしはいらついた。
かりかりしないの
さ、わたしの部屋に行きましょう
ビッグボックスを背にして、早稲田のとおりに向かって歩く。
お菓子屋の小さな路地を左に曲がり、速記の専門学校のビルを右手にみてあるくと、
法面をセメントで固めた、側溝のような川ぞいに橋が架かっているのが見える。
神田川、だよ
りえが教えてくれた。
へえ、これが、ね?
もっと情緒があるかと思った
たんなるどぶ川に近い。それになにか汗臭いような
こもったようなにおいがする
暑さで蒸れているところに
むっとするどぶ川の臭い
それが初めてトウキョウを感じたにおいだった。
りえは打ちっぱなしのコンクリートの三階建てのビルの前でとまった。
ここがそうなの。
四畳半で狭いけど、家賃三万もするの
へえ、高いの?安いの?
わたしは部屋に値段がつくなんて想像もできなかった
独り暮らしをしたいと思っていたわりには
そういう現実的な部分がちゃんとしていないのだ。
高いと思う
りえは鉄の重そうなドアに鍵を差し込んだ。
その扉を開けるとコンクリートの廊下があり、赤、黄、青に塗った鉄の扉が
並んでいた。
りえは真ん中の黄色いドアの前で別の鍵を差した。
ここは女性専用のアパートだから用心がいいのよね。
変な人入ってこないから。
しかし、部屋のそとには変な人はいなかったが、
部屋のなかに変な人がいた。
おかえり。
そのひとはりえを迎えて、はぐした。
びっくりした。
フィリピン人だったのだ。
部屋の中にいたフィリピン人はなにものなのか?




