アモーレ、アモーレ
なつやすみ、夏期講習に通う品子。学校の帰りみち、公園でスケッチをする
亜漏にあった。
今度、画廊で、グループ展するから、きなよ。
亜漏に誘われて出向いた駅前の画廊で、亜漏の作品にショックを受けた品子
それから、亜漏の行方がわからなくなって・・・
一学期の期末試験が終わり、夏休み突入モードになった。
暑い、暑すぎる。
窓を全開にしているのに、無風状態の教室は
蒸し風呂みたいで、女子の汗の臭いと、安っぽい制汗剤の臭いであふれかえっている。
息苦しい。
夏の女子高生の教室の机の下は無法地帯だ。
大また開きに椅子に座り、またの下を下敷きやノートでぱたぱた仰ぐ。
それを見た女子高赴任初の新任男性教師は、
初めの頃こそ眉をひそめて注意を促したが、
次第になれて、それが普通の光景になり、
どっしりと構えて、体育の次の時間でも平気で教室に入ってくるようになる。
「ちょっとお、今着替え中なんですう」
誰かが講義をしても、意に介さない。
「早く着替えろよお、授業時間削られて、単位落とすのお前らなんだからなあ」
確かに。
せんせーえっちー
誰かが叫ぶ。
お前らの裸見てもぜんぜん何も感じねえよ。
おこちゃま
キューピーちゃん体形だろうが。
うっそお、信じられない、エロ教師い
はいはい、教科書開いてー
はいー、小野寺品子、読んで。
そうだった、体育の次は現代国語だった。
わたしは森鴎外の舞姫を読む
はい、ここでえ、主人公はなぜエリスを捨ててえ
帰国したのかな?
っていうかあ、この男さいていだからあ
子供作ってさあ、都合悪くなると逃げちゃうってしんじらんなああい
誰かが叫ぶ。うっとうしい。余計暑くなる。
はい、品子、答えてえ。外野は黙ってえ
んーと、主人公はまともだと思いますっていうか、自分に正直。
だって、男なんてそんなモンでしょう?社会的な生き物だから、
情とか、愛とか、そういうのには引きずられなくて、
なんていうか、女とは違う生き物だと思うし
脳みそが別っていうか
ああ、そうだ、人生は理不尽にできてるんだよ、気をつけな、お嬢さん
って森鴎外は、女性に注意を促してるんだと思います
適当に答えた。
エリスに子供ができようが、それで森倫太郎に振られようが、きちがいになろうが、
そんなことどうでもよい。
理解すべきは
この世の中は理不尽でできている、というただ一点なのだ。
文学は、理不尽のリアルさをどのように解消するか、に尽きる。
文学によって理不尽な人生を昇華できれば
それは普遍的な意味を持つ、
と、思う。なんとなく。
とにかく、理不尽だ。なにもかも。
夏休みになっても、数学の補講はあるし
英語は毎日文法攻めだし
長文読解シルブプレ、だし
ああああ、灰色な青春。進学校なんていやだ。
大学なんて行かなくてもいい
でも、大学いかないと恐ろしいことがおこりそう
学生はおとなしく勉強しなければ、ならない、のだ。
ああああ、お母さんに毒されてる。
お母さんの怒鳴り声がせみの声に重なっている。
幻聴か?
頭の中がもわもわする
健康じゃない。
そう思ったわたしは、この理不尽さを解消すべく、文学的な観点から
授業をエスケープすることに決めた。
クラスメイトが次の授業準備のために個々に教室を
離れた、その隙を狙って、
エスケープ、完了。
わたしは、市役所前の運動公園の中の、バラ園のベンチの日陰で涼を取っている
バラ園には、遅咲きのバラがまだ大輪の花びらを広げている。
濃いピンクのバラを眺めていると
そこに見覚えのある、白シャツを着た長髪ののっぽの男の子が
じっとわたしを伺っていた。
亜漏。わたしはびっくりして叫んだ。
亜漏はちょっとはにかんで白い歯を見せた。
そして片手で、肩の長髪を払いのけた。
亜漏、髪の毛うっとうしくないの?
わたしは尋ねる。
うっとうしい。と彼は答えて、
品子、髪ゴム頂戴、と手のひらを差し出した。
わたしはツインテールの黒いゴムの片方を引き抜いて
亜漏に差し出した。
亜漏はそれでポニーテールにして、ついでにわたしの髪もうまいこと
まとめてくれた。
亜漏、上手だね
わたしは言った。
ああ、姉さんの髪、いつもやらされてたから。
美容師になれるよ。わたしは言った。
美容師なんかならないよ。そんな根性ないって
亜漏はそういいながら、わたしに板ガムを差し出す
学校は?わたしは尋ねた。
んん、なんか授業を聞いても、耳からだらだら流れ落ちてきそうなんで
サボってみた。
同じく。
ねえねえ、品子、いまさあ、グループ展やってるの。
駅前のカルチャークラブで。
三階でやってるからさあ、見に行こうよ
今から?
今から。
亜漏が珍しく、きっぱり誘うので、わたしはなんとなく
亜漏について行き、駅前のカルチャークラブにたどり着いた。
抽象画の展覧会なんだねえ
わたしは、意味のわからない鮮やかな色だけが
キャンパスにたたきつけられたような抽象画の数々を
ひとつひとつ、丁寧に見た。
亜漏の作品は?
抽象画の中には亜漏の名を冠したキャプションが見当たらなかったので
聞いてみた。
後ろ。
亜漏にいわれて初めて五十号くらいの人物を描いた作品に気がついた。
これだけ?
そう。だしているのはこれだけ。
亜漏は頷いた。
まるで、芥川龍之介みたいな青い着流しを着た男が
胸の前で腕組をしている、ごく普通の人物画、のはずだった。
でも、なにかおかしいな、なんだろう
じっと見ているうちに違和感のわけがわかった
人物の片目が、眼帯をしてるみたいに楕円形に縁取られ
中は真っ赤に塗られているからだった。
目、がないね。
そう。わざと描かないの
なんで?
そういう画風があるの。
何で目がないのかな?とわたしは思った
きっとそれは亜漏の心の窓が開いてないんじゃないのか?
そう、訊ねてみたかった
でも、やめた。
なんだろう
ものすごく悲しい絵だ。
亜漏ってもしかしたらひどく悲しい子なのかもしれない
シンパシーを感じるのはそのせいなのかな
勝手にそう思っていた。
亜漏って不思議な絵を描くんだね
わたしは賛嘆したつもりだった。
ぜんぜん、不思議じゃないよ。
亜漏はすこしむっとしていた。
怒らせたかな?
ごめん、とわたしはなにげなく誤った。
なにが、ごめんなの?ごめん、なんて思っても居ないくせに。
亜漏は呟いた。
怒らせたかなって思って。
わたしはおどおどして言った
もう、いいよ。ごめん。見てくれてありがと。
そういって、亜漏は駅のほうにさっさと歩き出した。
これから、新宿に行ってレコード探すんだ。またね。
それが、亜漏を見た最後だった。
二週間後、新聞に亜漏の名前が載った。
駅のホームから転落した、というニュースで。
亜漏の転落は事件?事故?
なぞがなぞを呼ぶ。真相はいかに?




