メビウスの輪、あるいはバンジージャンプ3
うちに帰って自室にたどり着いたわたし。
もうなにも考えられない。ただ、ただ気持ち悪い。
天井がひっくり返って、床が競りあがる。
ジェットコースターなんて生易しいもんじゃない
これは、バヌアツ共和国発祥、バンジージャンプの
エアー版、だ。
足がもつれて、舌がしびれている。
へとへとになってたどり着いた自室で、わたしは、着のみ着のまま、ベッドに横になる。
仰向けになると、また苦しい。この体をどこにどうして、置いたら落ち着くのかよくわからない。
シナコー。シナコー。シナコおおおお……
お母さんの怒鳴り声がする。
ご飯だからあ。おとうさん帰ったからああああ。早く降りてきなさい
早く、早く、早くうううううう!!!
……あんた、鬼だな、三途の川原で積み上げた小石を、一瞬にして突き崩す鬼、だわ。
わたしは、激しくそう感じる。
こっちはご飯どころじゃないの。苦しくて、死にそうなの。死のうと思ったんだから
当たり前なんだけど。自分勝手なのは十二分わかってるんだけど。
でもね、そういう、自殺したくなるようなココロのねじれた子供に仕立て上げたのは、
あんたでしょうが。
さわやかに、晴れやかに、思いっきり言いたいこといってさ。
ひとの気持ち傷つけて、なんの反省もなく
ご飯だの、洗面器が新しいから汚すな、だの、よく言ってられるよね。
子供の苦しみにも無関心な母親なんだから、そういうこといえるもの当たり前か。
こうなったら、ご飯、胃袋に詰めるだけ詰め込んで、食卓で、思いっきり吐き散らしてやる。
ゆかりちゃんも、おとうさんもお母さんも、全部巻き添えにしてやる。ほえ面かくなよ、オイ……
もう、やくざの世界である。畜生根性丸出しである。
かまうもんか。
わたしは、絶望してるんだから。
きっと、家庭内の殺人事件って、絶望しただれかが、自分の絶望に相手を巻き込む
負の連鎖から発生するんだろう。
あああああ、気持ち悪い。みんな死ねよ。しね しね!しんじまえ!!!
言葉には出さない。絶対に出せない。
だって、わたしが『いい子』の仮面をはずしたら、この家族はばらばらになる。
メビウスの輪のように、よい子、と悪い子は表裏一体なのだ。
『いい子』の仮面の裏側が、どんなに、醜く、汚く、薄汚れているか、知ってる?
おかあさん?あんたの体面、繕って、わたしがどれだけ傷を負ってるか、わかってんの?
えええええ?おかあさん?早くしなさい、早くしなさいって、言うだけで、何のフォローもしてくれな
い。お弁当も持たせてくれないし、作れば、汁で汚すし。制服の色で人を判断するし、
走れないからって馬鹿にするし、太ってるからってあざけるし、
動きが鈍いのはしょうがないんだよお、早く動こうとするとめまいがするんだもん。
努力しても治んないの。動かそうとしても油切れなの。ぎしぎし、ぎしぎし、音がするの
骨と骨が擦れて、ぎくぎくって、いつも痛いの、痛いの、心が。どこにあるのかわかんない
こころがあ。いたいのおお。
わたし、ぼろぼろなんだよ?なんで?なんで?ねえ、おかあさん?何でだと思う?
あんたの、『見栄っぱり』のためだよ?
わたしのあたまの中は、ダークだ。
ブラックホールから、言葉にならない、叫びが響く。
その遠吠えを直訳したら、こんな感じでいかが?というくらいのもの。
チープな叫び。安っぽい自分。あああああ、安っぽい。どうせ
安物与えられて育った人間だよ。安っぽく、軽々しく放置されて育った人間だよ。
……ごみ、みたいにね……
シナコ?今日はてんぷらにしたんだけど、あんた、好きだったよね。掻き揚げ。
お母さん、あんたがそこまで鬼だとは思わなかった。
わたしは、食卓に座る。なんの口答えもせずに。頭の中は真っ白だ。半ば意識はない。
自動あやつり人形のように、食卓に座り、胃袋がねじ切れそうなのを我慢して
ご飯を、食べる。食べる、食べる。黙々と。
油っぽい掻き揚げに、我慢しきれなくなって、突然席を立ち、トイレに駆け込む。
かき揚げと、油が、ストレートで、苦い液とともに、おじやになって出てきた。
生暖かかった。
自分の体内の、体温をリアルに感じた。
生きてん、だ。
シナコ、どうしたの?気持ち悪いの?なんか、へんなもん食べたんでしょう?
熱は?風邪?そういや、明日テストとか言ってたんじゃないの?
もう、寝なさい。寝るときは電気消してえ。
わたしは、トイレを出て、洗面所に向かった。洗面所の白い蛍光灯の下、
わたしの顔は、死霊のように蒼い。蒼白、だ。
おもむろに、風呂場の戸を開け、一番新しい、薄いピンクの洗面器を手に取った。
これに、思いっきり、一晩中吐き膜ってやる。
わたしは二階の自室に引きこもる。
それから、夜じゅうのた打ち回った。
頭の中に川が流れ、その川が瀬戸内海の鳴門の渦潮みたいに
見事に渦を巻いてぐるぐる、ぐるぐる、氾濫してる。
その流れが、メビウスの輪になり、どこが川面だか、水面下だかわからない。
やがて川の帯が、しろい道になる。わたしはその路をたどる。どこまで行っても終わりがない。
果てがない。いつまでも歩く、歩く、歩く。
その道が、空に競りあがる。空はブラックホールに連なる。歩いているわたしは、天に連れ去られ
そこから、なんどもバンジーさせられる。
ぐるぐる、ぐるぐる、果てしない、上昇と下降。巨大字ジェットコースターもまっさおな。
このバンジージャンプの弱いゴムが切れたら、そのときわたしは死ぬんだわ。
あがって、下がって、ねじれて、回って。
果てしない闇の中で、終わりなく。
いつ眠りについたのか、わからない。
しかし、夜明けは確実にやってきた。
おそろしい、無間地獄を垣間見た、シナコ。でも、もっと恐ろしいのは
現実という時間をつれてくる、朝。




