メビウスの輪、あるいはバンジージャンプ1
よろめきながらバスターミナルまで歩き、
バスに乗った。
一刻も早く家に着き、横になりたい……
顔に縦線が走る、脂汗が垂れているはずなのに、
皮膚がぱさぱさになり唇がかわく
薬なんて、のまなきゃよかった。
体感温度、マイナス9度の北風を頬に受け、
わたしはよろめきながら、バスターミナルまで歩いた。
とぼとぼと、ターミナルを目指して歩くわたしのほかに、
町には誰一人として人影が見当たらなかった。
真冬の平日の午後四時半、たそがれ時、逢魔が刻。
あたりは、妙に白っぽい光が差していた。夕暮れなのに白い光なんておかしい。
朝の光に似ていた。
安らかな眠りを引き裂く、閃光のような、でもそんなに鋭くはない、光
ああ、これって目がおかしいのかもしれない。
わたしはぼんやり考えた。思考がばらばらになり、
崩れ落ちていく千のパズルのピースが、はらはらと脳みその中に舞っている。
パズルは、外国のお城を背にした、ナポレオン・ボナパルト。
なぜに、ナポレオン?意味はない。まったくといっていいほど
意味はない。
狂ってる。胃袋がねじ上がる。白いものが目の前をすーすー走っていく。
顔に縦線が走る。ざわざわと胸が不気味な音を立てる。
わたしは、ターミナルに停車しているバスに乗り込む。
乗り込んですぐに、バスの車両のドアが閉まった。
バスの席は程よい状態で埋まっていた。
わたしは席を取れなかった。
わたしの前に乗り込んだ、手荷物をたくさん抱えたおばさんが、
よっこらしょ、と呟きながら、車両の中ほどにある、ステップドアの前の
単独席を占領した。
わたしは仕方なく、そのおばさんの前の
バスの中ほどのドアのステップに立ち、
ポールを握ってたたずんだ。
わたしが立ち位置に落ち着いたところで
バスは出発した。
ぐらり、
揺れるにしたがって、目の前が、ぐわんとゆがむ。
バスって、こんなに揺れるんだ。
気持ち悪い。
吐き気が、あとからあとからこみ上げる。
わたしは手で口をふさぐ。よだれが垂れてきた。
つるぅっと糸を引くよだれを手の甲でぬぐう。
さりげなくオーバーのポケットのふちでよだれを擦り、
手を入れて、ハンカチを探す。
しかし、適当な布切れも、ティシュの切れ端の手ごたえも
なかった。
わたしは両手で口を押さえたいのを我慢する。
バスが揺れるので、片手はポールに預けなければバランスを崩すから。
きもちわるい、きもちわるい、きもちわるい。
胃の中で苦い胃液が暴れ、食堂に引き上げられようとしている。
やめて、やめて、やめて。
わたしは自分の意にそぐわない動きをしようとする胃袋を
押さえた。びくびく引きつっているのがわかった。
ああああああああ、モスキート音が、脳内に響く。
自分の心の声。
はやく、はやく、はやくしなさい。
はやくしないと、おいていかれるよ?
何に?自分の胃袋に?
そうじゃなくて、早く帰りたいの。
かえってどうするの?お母さんにしかられるよ?
おかあさんなんてどうでもいい。早く帰って、洗面器、洗面器、洗面器
プアーッ。間抜けな音を立てて、停車のブザーが鳴る。
早くおりろよ、こいつぶっ殺す。
まじめにそう思った。
でなきゃ、洗面器が遠ざかる
あああああ、いま誰もわたしに触れないで。
いきなり訪れた、下腹部の下痢のような腸のうごき。
びくびく、びくびく、びくびく……
死ぬ、もうだめ。
停車するたび、刺激が走る。
そういうときに限って、乗車と降車の割合が増えているみたい。
それに、何メートルごとに停留所って、あるんだよ?
5分とたたないうちに停車するぞ、これ。
あああああああ、吐きたい。
吐きたい。吐きたい。ものすごく吐きたい。
体中が、針になっている。
そうして、胃袋のバルーンを突き上げる。
割れるって!割れるって!
やめてえやめてえやめてえ
しばらくすると、波が収まったような気がする。
ほんのちょっとだけ、ほんの刹那だけ。
吐き気にはある一定の波があり、しばらくすると
ちょっとだけ楽になる瞬間があるのにわたしは機がついた。




