腐った金魚その3
わたしは金魚が嫌いだ。
そのわけは、ゆかりちゃん誕生の頃にさかのぼる
ゆかりちゃんが生まれたのはお盆の最後の日だった。
近所のペットショップでお母さんが買ってきた金魚が
ゆかりちゃんの出産のために
水槽に入れっぱなしになっていた
水槽は汚れ、緑色になり
色あせた金魚が水素のそこに沈んでいた・・・・
わたしは、水槽のそこに手をいれ、金魚をすくった
腐ってぬめぬめしている
それを、誰に言われるでもなく、お庭の畑の端っこに埋めた。
石を載せて
お墓を作る
そうだ、わたしにとって金魚は
初めて目の当たりにした『死』の象徴なのだ
橋の下に、凍りつくような風が吹き込む。
凍りつくような、の『ような』は余計だ。
ただでさえ、寒い冬の日のこと、雪がちらついて
風が出てきたら、それはもう体感温度は
ソビエト連邦の『赤の広場』並みである。( ※注 当時はまだソビエト連邦だったのね、いまから三十年以上もまえだったから。念のため)
体感温度、マイナス10度?まさかそんなに低くはないだろうが、
冬に吹く風はそれくらい冷たい。
わたしは、コーラを飲んだせいで
何回もゲップをした。
コーラの焦げた砂糖の味と、薬の糖衣の味がまざりあって
とても後味が悪い。
でも、体のほうは、なんという変化も起こらなかった。
青酸カリじゃないから、そんなに速攻に死ぬわけないか・・・
と、ぼんやり考えた。
そっか、死なないか。でもわからないぞ。
徐々に薬効成分が血液に運ばれて心臓に達して
脳に達して、ぐるぐるになって、ぐちゃぐちゃな思いして
やがて事切れるんだわ。
わたしは、吹きさらしの風に吹かれながら思った。
雪がもっと降れば、気を失って個々に倒れたままでいれば
凍死とかの可能性もあるよね。
自分が凍りついた世界に倒れて、真っ白い血の気のない顔で
安らかに眠る姿を想像するのはそんなに悪い気分じゃない。
新聞に載って、女子高校生、川原で自殺、とか
ワイドショウで、彼女に何が起こったのでしょう?
以上、現場から○○がお送りしました。
とか、コメンテーターが、
今の若者の心の闇って、理解できませんよね
なんて、コメントしてたりして、
わたしは有名人で、みんながわたしに注目して
そういえば、彼女は体育の先生に、罵倒されて落ち込んでました
それを気にして、かなり痩せたんです。
せっかく、美しくなって、人生これからなのに残念です。
ともだちとして、停められなかったことを悔やみます。
…なんてね。
ふう。
でも、そういうの、残念ながら聞けないのよね。だってそのころわたしは
死んでるもん。ああ、面倒くさいから早く気を失わないかな。
そんなことを思いつつ
ぼんやり川原のごみを眺めていると、
ごみの中に、鈍い銀色に光る、ぐにゃっとした物体を発見した。
アルミホイルの堅いチューブかなにかだと思った。
どうしても気になるので
そばに近づいて触れようとしたら
なにか、黒い、ぬめぬめした部分に連なっているのに気がついた。
…さかな、だった。
しかも、焼いて食べ散らかした魚じゃなくて
釣竿でつって、詰まんないから捨てた、かのような
くっきり、さかなの形をした、なまなましい さかな だった。
川魚?こんな汚れた川にどんな種類のさかなかわからなかったが
それは、色の抜けた和金のような、
つまり、泥の中に住む、フナみたいな魚だった。
あるいは、フナ、そのものだったのかもしれない。
きもちわるい
それをみて、待ち構えたかのように、吐き気が襲ってきた。
思い出した。
あの、さかな。
緑いろのどろどろした水槽のそこに、浮かび上がることもせず、
色あせて、沈んでいた、金魚。
和金のいろが抜けると、フナそっくりだ。
あとで、和金の原種が、フナだったということを知ったとき、
わたしは大いに納得したのだ。
そう、金魚なのに、腐った灰色の泥の中のフナ、みたいに
水槽に沈んでいた、あの金魚を目の当たりにしたときから
わたしは、金魚がきらいになったのだ。
思い出した。夏だった。
三歳の夏。せみの声がぐあんぐあん響いてた。
おかあさんは、ゆかりちゃんを産むために
産婦人科に入院していた。
ゆかりちゃんが生まれたのはお盆の最後の日だった。
近所のペットショップでお母さんが買ってきた金魚が
ゆかりちゃんの出産のために
えさも与えられず、水も替えてもらえずに
水槽に入れっぱなしになっていた
水槽は汚れ、緑色になり
色あせた金魚が水素のそこに沈んでいた・・・・
わたしは、水槽のそこに手をいれ、金魚をすくった
腐ってぬめぬめしている
それを、誰に言われるでもなく、お庭の畑の端っこに埋めた。
おとうさんは仕事にでかけていて、
ちいさいわたしは、独りで家で留守番していた。
おとうさんが夜に家に帰ってくるまで。
そうだ、そうだ。ゆかりちゃんが生まれるまで、わたしはお姫様だった。
おとうさんは、わたしがひとりで寂しかろうと
おともだちをくれた。
夜、おとうさんが仕事から帰ってきてから、
自転車のかごに座布団を敷いて、その中に載せられ、
駅前のおもちゃやに連れて行かれた。
大きいのがいいぞ。これにしろ。
と、お父さんは言って、
横に寝かせると、目が自然に閉じて、小さく、ま、まー
と呟く、青い目の、緑のドレスを着た、昔で言う、セルロイド、(そのときはもうプラスチック)
の抱き人形を買ってくれたのだ。
思い出した、思い出した。
その人形は、ゆかりちゃんに気を取られて、わたしのことなんか
捨て犬に飽きて、かまわなくなった小学生の飼い主みたいな状態のおかあさん
を、わたしのほうからあきらめさせるのに十分な効力を発していた。
そう、そう。
あははは。そうだった。そうだった。
なぜか可笑しくなってわたしは、笑った。
おかあさんも、おとうさんも、そうだ。あのひとたちは昔から生き物を育てられない人だったんだ。
わたしは、自分の目の前に転がってきたなにかにすがって、生きながらえてきたんだ。
緑色のドレスを着た、ママー人形、とか、脳みそと胃袋を呪縛するメロンパン、とか。
あははは、たのしい、たのしい。
笑いながら、涙が出た。
それと同時に、こみ上げる吐き気が、次第に凶暴になる。
吐く、吐く。そういいながら、何も食べていないわたしは
ゲップと吐き気に襲われながら
よろよろと、まさに年寄りの足取りで
橋の下から一歩歩を進めた。
とにかく、寒かった。
そして、毛筋の一本でも触れたら、胃袋の黄色い苦い液体をすべて吐き出しそうだった。
そのままの状態でわたしはバスにのり、意識がとおのくまま
揺れに身を任せていた。
シナシナ、どこ行くの?明日、てすとだよ?




