小さい頃の寓話
おかあさんについて作文を書けといわれた、小学校時代にお母さんは鬼のようだ。
おまけに、すぐ怒る単細胞だ。と書いたら
怒られた。そして泣かれた。
事実だったから仕方がない。
お母さんはずっとほかに居ると思っていた。今のお母さんはわたしが病院ですりかえられた子供だったから、ぜったいよそに
本当の優しいお母さんがいるって思っていた。
高校のとき、進学校を落ちて、滑り止めの私立高校に入学した。
ある日、学校から帰ったら、真っ赤な子ベンツが家の前に止まっていた。
だれかしら?
そのひとは真っ赤なワンピースを着て、真っ赤な口紅をしてて、ゴールドの立派な指輪をしている。
宝石商の女性らしい。
お母さんは特にきれいな人でもないのに、
きれいな人じゃないから余計に、美しさにあこがれてて、よく高い化粧品とか、貴金属をお父さんに内緒で購入していた。
そのことは別にいい。
わたしは、お客さんに挨拶しようとして、
客間の引き戸を開けようとした。
そのとき、
お母さんはわたしの手を取って、引き寄せた。そして耳元で、
「そんなみっともない格好で人前にでるんじゃない」
といった。
「制服だから、みっともなくないよ」
と口答えしたわたしの横っ面をひっぱたき、こういった。
「その、緑色の制服で、人前に出るんじゃない。外聞わるい」
おかあさんはすぐ、がいぶんわるい、という言葉をつかった。
がいぶん、が外聞という感じを当てることをしったのは大人になってからだった。
要するに、お母さんはみえっぱりだったのだ。
仕方ない。
お母さんに認められなければ子供は生きていけない。
なので、わたしは滑り止めの高校をやめて
進学校に入りなおした。
この家を出て東京のか横浜の大学にいこうと思った。
それほどわたしは馬鹿ではなかった、というか、高校入試なんて二回もやればたいていのところに入れるんだとわかった。
翌年は、お母さんを満足させることができた。
「やっぱりあなたは、やればできる子なのよ、その紺色の制服よ似合うわぁ」
お母さんとわたしは、誇らしげに入学式に赴き、誇らしげに写真館で写真を撮った。
そのときのわたしは、髪にしっかりおばさんパーマを当てていた。
まるで似合ってない。
でも、そのときわたしにできる自己主張は
パーマを当てる、ことだったのだ。
はじめからパーマを当ててれば、校則違反にはなるまい。
なんでもいいから、自己主張したかっただけ。
進学校の制服を着ていたわたしに、おかあさんは何も言わなかった。
何をしても怒らなかった。
本を買う、といえば潤沢にお小遣いをもらえた。雨が降ったら、タクシーで学校に行った。
制服のいろが変わった。
ただ、それだけで、わたしへの評価が変化した。
がいぶんわるい、とか言わなくなった。
わたしは、その瞬間から、
自分を亡くしてしまった。
わたしには妹がいたらしい。
妹はゆかりちゃんといった。
ゆかりちゃんは、体が弱かった。
だから、体も細くて、肥満気味のわたしよりスマートでかわいらしかった。
ゆかりちゃんは、みんなに愛された。
小さい頃の話。
ゆかりちゃんとわたしを連れておかあさんはデパートに行った。
洋服売り場で、サイズの合う洋服を必死に
探していたわたしに、お母さんはなにか、紺色の安っぽいジャンパースカートを押し当てて、
「あんたは、これにしなさい」
といった。それは特価品で、いかにもセンスが悪かった。でもわたしは太っていたので仕方ない。それしか入る服がないので
それを買ってもらった。
「あんたは安いのでいいの。おねえちゃんなんだから」
そのときわたしは思った。
「おねえちゃんって損だ」
シンデレラとか、昔話のヒロインはみんな妹だ。お姉さんはいつも意地悪で、罰を受ける。なんでなんだろう?
そう思っただけで、妹に関心がなくなった。
「この人はお姫様。わたしは罰をうける。
なぜなら、お姉ちゃんだから」
妹は、一万円近くする、ベージュ色の丸襟のコートワンピースを買ってもらった。
ウエストマークのリボンが素敵だった。
わたしには着られない洋服をさらりと着こなす、細い妹。
きっとこの人は姉妹じゃない。
ものすごいコンプレックスをかかえたわたしは、現実から立ち去った。かわりに、
物語の主人公として生きることを選んだ。
だから、わたしの人生の大半は嘘で固められている。
わたしは自分を生きてこれなかった。