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表現練習

森の一事

作者: 荻雅 康一

「はぁっ!!」


 月明かりに銀にきらめく線がひとつ。

 風を切る音と共に声変わり前の少年の声が深い森の中に響く。森の中にある木々の合間の広場のような空間で、夜の闇にまぎれるような黒服を着た少年が短剣を手に型の練習をしていた。

 どれほど練習していたのか彼の足もとには、辺りに生えそろってる草花がなくなっていた。彼は短い息遣いをしながら短剣を振っていく。

 右手の短剣を体を斜に低く構える。息を大きく吸って右足を前に出し、上半身を前に倒しながら低く構えた短剣を手首を捻りながら上へ跳ね上げる。そして振り上げた短剣を袈裟切りの要領で振り下ろした。そのまま左足を出す勢いで正面へ突きを繰り出し、跳ねるように右足を軸に回転をして大きく横降りをした。

 少年は、数度深く息を吸って乱れた息を整えてから定位置に戻り、また同じことを繰り返す。

空は快晴で満月の近い月と星たちが、爛々と光を深淵の森に降り注ぎ辺りは彼の振る短剣の音と彼の息遣いだけが聞こえ、時折聞こえる夜行性の鳥の鳴き声が不気味に響いている。少年の表情は、とても強固な意志の感じられ、振る短剣はその意思を表すように鋭利に風を切っていく。

 月明かりに鈍く光る短剣は片刃の直刀であった。そのあまりに定まった形は見る者に安心感をもたらす剣であった。体格はそれほど大きくなく顔からは抜け切れていない幼さを持つ少年であったが、短剣を振る動きは問題もなく、何かが正面に存在しているかのような真剣なまなざしで剣を振っていた。時折、左腕で額の汗を拭い大きく息を吐いているのが見受けられた。

 それから天頂に月が移動する時間まで少年は一人でその短剣の一通りの動作を一つひとつ確認するように繰り返していた。


 少年は短剣を腰の鞘に納め、傍らに置いてあったカバンを拾って森の中に入っていった。

 広場から少し森の入ったところに小川が流れており、少年はそこを目指していたのだ。少年は小川に近づくと手慣れた感じで場所を確保し、両手で器を作って小川の水を何度か口を付け喉を潤した。そして上半身に身に着けていた武器と黒の服、下の黒いズボンだけ脱ぎ、下着の状態になって小川の中に入って持ってきていた布で気が済むまで体を洗った。

 川岸に上がり、もう一枚持ってきていた大きめの布で体を拭いてまた同じように肌着だけ変えて真っ黒な服を着た。腰に短剣を差しいくつかの暗器ナイフを懐や腰になどに装着してから、彼はそのまま身近にあった大きな石に座ってカバンの中からパンを取り出し、小川を眺めながら食べた。

 景色としては、相当なものであった。清らかな小川に原始的な森の風景はとても惹き付けるモノであり、空に浮かぶ月や星は川の水を照らし、きらきらと反射する様はまるで星がそこにあるのかと思わせるものであった。

 ふいに、石に座って居た少年が石の上に立ち、辺りを警戒するように見回した。


 そのとき、森の中から獣の断末魔が響いた。


 少年はその声を聴いた瞬間に近くに置いていた自分の荷物を回収し、森の中に入って元来た道を駆け足で進んでいった。少年の顔には、それまでの自信と余裕にもとれた顔つきがなくなり、焦っている様子が窺えた。

 腰に差す短剣に手を置いていつでも動けるように辺りを窺いながら深淵の森を進んでいく。


「なんで……」


 闇に消えいりそうな声で少年が呟いた。

 そして、ついさっきまで短剣を振っていた広場に出る。そこで少年は、違和感を覚えた。背中を何かが這いずるような気持ちが悪い感覚が全身を駆けたのだ。それを感じだ少年は、口を堅く閉じ、辺りへの警戒を慎重に進めていく。なるべく音をたてないようにゆっくりとした動作で、広場の縁をぐるりと回るように歩みを進めていく。

 耳が痛くなるような静けさが森を支配していた。自分の動く音がやけに大きく感じられ、早くなる鼓動の音が、耳元でうるさく響く。

 するりと腰の短剣を抜いた。


 ソレはそこにいた。

 少年との距離は、間にあるブッシュを挟んで馬二頭分である。形はない。定型とした形が存在しないソレは、辺りを荒らしている魔物であると少年は気付いたようだ。向こうは、まだ少年には気づいていないようだ。ぐにゃぐにゃと形を変えながら森の中を進んでいる。色は真っ黒であり表面に油の反射のように虹色に鈍く月明かりを反射している。その様はあまりにも不気味で動きから生理的な嫌悪を感じさせる。

 少年は、魔物が動いている様子を見て呆然と固まっていた。手に握る短剣が小刻みに揺れている。少年にとって初めてとなる魔物との邂逅であった。


「できるか……」


 乾いた唇を舐め、短剣を握る手を強める。相手は一匹まだこちらに気付いていない。ずるずると音を立て広場の方向へ向かっていく魔物をじっと見つめる。

 音をたてないように後ろから魔物を追っていく。


 魔物は広場に入った瞬間、ぐにゅぐにゅと月の方向に皿のように形を変えた。そしてそのまま動きを止め、月の光を受けている。それにともない動いたのは、少年だった。歯を食いしばり決意を固めた練習中のような真剣なまなざしで皿の形になっている魔物に歩み寄り、右手にもった短剣を斬りつけた。

 動きは一瞬だった。彼の剣が触れようとしたその瞬間に皿のように広げていた体を魔物は魔物は丸めた。その結果、斬りつけた短剣は魔物に傷をつけることが出来なかった。

 刃がぶつかった音は、金属同士の鈍い音であり、彼の剣では切ることが出来なかった。

 焦ったのは少年である。

 初めての相手。しかも、十分余裕をもってタイミングを計った斬撃をこうも簡単に破られると考えておらず、一瞬であるが動きを止めてしまった。魔物はその隙を点き、丸めた状態で少年に向かって跳ね飛んできたのだ。


「うぁっ!?」


 慌てて対処しようと短剣でカバーに入ろうとする。直撃は防いだが、大きくバランスを崩してその場に尻餅をついてしまった。

 慌てて立ち上がろうとするが、そのタイミングでまた魔物が突撃してくる。身体を横に足すように転がり、その攻撃を避け今度こそ少年は立ち上がった。

 魔物は、地面でうにょうにょと形を変えながら少年を窺っている。少年は短剣を構え、どうするか迷っているようだ。

 先に動いたのは、魔物だった。先ほどのボールのような形ではなく、うにょうにょと形を定めずに跳んだ。少年はそれを見て覚悟を決め、正面に短剣を構えた。そして、向かってくる魔物に対して動じずに、短剣をタイミングを合わすようにして下から斬り上げた。


「はッ!!」


 すると、ぶちっと音とともに半分にその魔物が斬り裂けられ、二つになって彼のやや後方に落ちたのだった。

 少年は恐る恐る振り返り、二つに分かれた魔物を見た。どちらも砂浜に打ち上げられたクラゲのように地面にへばって動きを止めていた。


「……やった、か……?」


 しばらく見ていたが動く気配がなかった。

 ふぅーと息を吐いた少年は、その場に崩れるように座った。そして安心したように表情を緩めていた。それは、隠しきれない嬉しさがにじみ出ているようだった。


 月が森を照らし、世界を照らしていた。


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