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足きれむすめの聖誕祭

作者: 瑠紗紅葉


 昔々というほどのことではないが、ある小さな村に、幼い娘が心優しい両親と三人で暮らしていた。他のどの子供たちよりも体が小さく、けれど笑顔は春の陽射しのように眩しかったので、家族だけでなく村中の人々からたいそう可愛がられる娘であった。

 ところがある日、両親は朝から遊びに出た娘が遅くになっても帰って来ないことに気が付いた。彼女が行きそうな場所をしらみ潰しにあたっても手がかり一つ見つけられず、周りに協力を頼み、村人総出で近くの山や林まで捜索の足をのばしてみても、どんなに些細な成果すら挙げることができないまま、夜ばかりが更けていった。

 そして朝になってみると、娘は何事もなかったかのように自宅の前で立ち尽くしていたらしい。誰よりも早く起きてそれを見つけた母親は心から安堵し、みんながどれだけ心配したか説教を始めようとしたのだが、少女は、ここではないどこかを見る目でこう言ったのだった。


「足、おいてきちゃったみたい」


 母親はもちろん慌て、娘の小さな足をよくよく確かめてみたものの、特におかしなところは見当たらなかった。まだ短くてふっくらとした両足はちゃんと彼女の体を支えて立っていたし、汚れ一つない靴を脱がせて見た指の数も、きちんと揃っていたのである。

 こんなときに人をからかうものではないとまた叱れば、娘はからかってなどいないと桃のような頬を膨らませた。


「ほらみてこの足! かみさまにとりかえられちゃったの。わからないの?」


 見ろと言われても、母親には何のことだかさっぱり理解できなかった。いくら目を凝らし、丹念に触ってみたところで、寒い思いをしたのか少し冷えてしまっている他は、いつも通りの可愛らしい娘の足に違いなかったのだ。

 しかし、娘には確かに見えていた。自分の足が明らかに人の足ではなくなっていることが、その目にしっかりと見てとれたのである。

 なにせ彼女の足首より下は、中の骨や細かく枝分かれした血管がくっきり見えるくらいに、透き通っていたのだから。



 その後、集まってきた村の人々に昨日の件を訊ねられた娘は、ただ『かみさま』のところへ行っていたと答えるだけで、あとは足を置いてきてしまってどうしたらいいかわからないという旨を告げるばかりだった。

 実の親に見えなかったものが、赤の他人に見えるはずもない。村では次第に悪い噂が広まり、いつしか彼女は、神隠しに遭って正気を失った娘として人々から避けられるようになってしまった。両親だけは努めて優しく接してくれたが、それも腫れ物に触るようなよそよそしいものだった。

 娘は自身を不幸にした足を憎み、半透明な硝子瓶に活けられた標本のようなそれを見るのが嫌で、ついでに冷えきったままの爪先を少しでも温めたくて、靴下を履き始めた。すると何があっても足を隠そうとする彼女を両親はなおさら哀れに思い、履くものがなくなってしまわぬよう、たくさんの靴下を買い溜めてくれた。その気遣いも本人にとってみれば不愉快極まりないものだったが、靴下に罪はないので、ありがたく毎日違うものを履くようになった。

 成長するにつれて、娘は自分を信じてもらえない村から出ていきたい、という願いを強めていった。一度落ちてしまった評判を取り戻すよりは別の街で新しい人生を始めた方がよほど簡単そうに思われたし、この村に住んでいる限りは、またいつかの『かみさま』に拐われてしまうのではという不安が絶えそうになかったためだ。

 あまりにも幼かった当時のことなどそんなに覚えてはいない娘だったが、それでも頭の中に焼き付いている『かみさま』という響きにだけは、もうずっと、二度と見つかってはいけない気がしていた。



 年頃になり、ある程度の準備期間を経ると、娘は逃げるように村を飛び出して、都会といわれる街で一人暮しを始めた。

 村での反省を活かし、滅多なことを口に出さないように気をつけたら、生まれつきの明るさも手伝ってそれなりに世の中を渡ることができた。どうせ他人には普通に見えるだけの足なのだから、自分さえ気にしないようにすれば、普通の人間らしく振る舞うのはそう難しいことでもなかったのだ。

 しかし当人から見ればその足の皮と肉とは相変わらず透けたままであったため、必要以上に靴下を履く習慣は続いていた。むしろ自分で生活費を稼ぐようになったぶん、手持ちに余裕があるときはすぐに靴下集めに費やしてしまい、彼女の住みかには色も大きさもさまざまな靴下が、どんどん溢れかえっていったのである。

 さすがにこれだけの量があれば一生かかっても履ききれないのでは、と気付いたときには、すでに集めた靴下だけで一つの店が開けそうな状態であった。それならいっそ開いた方が、靴下たちも誰かに履いてもらえて本望だろう。そう考えた娘は、街で初となる靴下の専門店を始めることにした。そして治らない悪癖のように、よそから目に留まった靴下を買いあさっては、小さな店の小さな棚に、少しずつ並べ足していったのである。小さいながらも珍しく、種類豊富な靴下が揃ったその可愛らしい店の噂は、じわじわと街中へ伝わって、それなりの客に恵まれた。



「その靴下……」


 控えめな声に横を見下ろせば、そこには一人の女性が細い人差し指を娘の足の方に向けて立っており、目が合うと穏やかに微笑んできた。


「可愛いですね。同じものも、売ってるんですか?」


 膝丈の裾から伸びた、ふくらはぎのデザインを確認する。レースを模した線が縦にあしらわれているだけの質素なニーソックスは、確かに店内でも販売しているものだった。


「ええ。こちらでしたら……」


 棚の上の展示を適当にすませて踏み台から降り、女性を目的の商品があるところまで案内すると、彼女は陳列された靴下に顔を近づけて嬉しそうに言った。


「あ、ほんとだ。色違いもあるんですね」

「サイズも揃えてますから、お好きなものをどうぞ」


 商品を前に、全身からきらきらという擬音が似合いそうな雰囲気を出して喜ぶ姿が、娘の頬をもゆるませる。いかにも人懐っこそうな横顔や、顎の下あたりでまっすぐに切り揃えられた飾り気のない髪型には、確かに見覚えがあった。

 間違えようもない、彼女は開店以来、少なくとも四回はここを訪れていた人だった。四回、というのは今までに会計をした回数なので、おそらく来店だけならもっとであろう。これはもう常連客といっていいのではないだろうか。卑小なこの店にも、そのような人が現れてくれるとは。


「いつもありがとうございます」


 結局、自分が履いているものとは色違いの靴下と、他にも二足をまとめて購入してくれた女性に、娘は包装を終えた小さな紙袋を手渡すタイミングで、素直な感謝の気持ちを伝えた。すると、相手は黒目がちな瞳孔と口とを一斉に開いて、驚きの表情をあらわにする。


「覚えてくれたんですか!」

「もちろん。なんと言っても、初めてできた常連さんですから」

「初めて、ですか? 私が……」


 正面から褒められたことが照れくさいらしく、女性客は両手で受け取った袋を胸に押さえつけ、顔を隠すように顎を引いた。


「嬉しいです。ここで売ってる靴下ってみんなかわいくて、お店の雰囲気もすてきだし。私、気が付くといつも来ちゃうんです。……あの、ありがとうございます」

「お礼を言うのはこっちですよ。わたしも、とっても嬉しいんです」


 無邪気な娘の笑顔に、顔を上げた女性も緊張をほぐして笑い合う。歳も近かった二人が意気投合し、店員と客の垣根を超えた友人同士に近い関係となるのに、そう長い時間はかからなかった。女性は前にも増して頻繁に通ってくれるようになり、店が忙しくないときには決まって、娘とおしゃべりを楽しんだのである。



 季節は進み、世間も冬への支度を終わらせた頃。街は来たる年に一度のクリスマスに向けて、どこもかしこも逸る気持ちをもて余し、浮き足立っている様子であった。

 もとは神の子の生誕を祝うものであるというが、今となっては敬虔な信者でなくとも周りの雰囲気に乗じて喜びを謳うことが当たり前になってしまい、それは商売の世界にしても同じことだった。

 クリスマスといえば世の子供たちにとってはその前日の方が、聖人からプレゼントを貰えるという点で何よりの一大イベントといえるだろう。プレゼントを確かに受け止めるという重要な役割を担う靴下の専門店主として、娘もこれに便乗しない訳にはいかない。この時期になると店はそれらしいモチーフでいっぱいに飾りつけられ、陳列棚には人間の足の大きさを遥かにしのぐプレゼント専用の靴下が、実によく目立つところに置かれた。


「大人気ですね」


 おかげでいつもより親子連れの割合が色濃くなった店内を、娘はあの常連客と端から微笑ましく眺め、いつものように世間話に花を咲かせていた。


「ええ。おかげさまで、ああして従業員を雇うこともできましたし」


 そう言った視線の先で、他の客の会計をゆるやかに行っているのは、まだ二十にも満たないあどけなさの残る少女であった。穏やかな性格で、少し落ち着きすぎている嫌いがあるためてきぱきとした仕事を期待することは難しかったが、都会の中でも庶民的なことが取り柄のこの店には、それくらいの方がちょうど良いのかもしれない。何より、従業員の募集をした覚えもないのに、自らただで良いから働かせてほしいと志願してきたところに好感が持てた。もちろん、働いてもらう以上はちゃんと給金を渡している。


「なんだか、私も常連第一号として鼻が高いですよ。……ほんとは、自分だけの場所をみんなに知られてしまうみたいで、ちょっぴり寂しくもあるんですけどね」


「ありがとうございます。でも心配なされなくたって、お店とわたしはここ以外、どこにも行ったりしませんから。いつでも、遠慮なくいらっしゃってください」


 買い物帰りらしい相手の手提げかごからは、今夜の食卓に使われるのであろう、野菜や肉の類いが新鮮な手足を覗かせていた。


「せっかくだから、私もうちの子にどれか買っていこうかな」

「お子さん、いらっしゃったんですか」

「はい。今年で六つになりました」


 主婦だろうとは思っていたが、この若さでもうそんなに大きな子どもがいたとは。同じ世代でも未だ独り身の娘は、一瞬彼女との間にめまいという名の壁を見た気がした。


「クリスマスには毎年家族でお祝いをするんですけどね、今年は夫が出稼ぎから戻って来られないらしくって、二人だけになりそうなんです。……あ、よかったら、なんですけど、どうでしょう。ご一緒にっていうのは」

「クリスマスを? よろしいんですか」


 とても嬉しい誘いではあるが、自分のような赤の他人が、親子水入らずの時間を邪魔しても良いのだろうか。


「もちろんです! 日頃からお世話になってるお礼に、精一杯おもてなししますよ」

「あ、いえ、ですからお世話になっているのはわたしの方で……」


 結果的に、娘はパーティーへ参加することに同意し、女性はクリスマス用の緑色が鮮やかな靴下を一つ(履くものではないので片方しかない)買って、その日は店を出て行った。



 夜になり、室内用のもこもこした靴下に履き替えてパーティーの日を楽しみにしながら床に入った娘は、久方ぶりの夢を見る。はっきりと記憶にあったわけではないが、周りを取り囲む木々の懐かしさと、見下ろした手のひらや足の小ささからして、自分が幼かった頃の話だということはすぐにわかった。

 ここは村の近くの山中かどこかだろうか。もやのかかった頭でそんなことを考えていると、不意に背後から地鳴りかと思うような低い音が轟く。咄嗟に振り向いた娘の瞳に映ったのは、黒くて、怖くて、鋭い目とむき出しの牙ばかりをぎらぎらと光らせた、熊とも狼とも猪ともとれる巨大な生き物だった。

 とたんに恐ろしくなって駈けだせば、獣はひときわ凶暴な息を吐いて後を追ってくる。娘の短い足ではあっという間に距離を縮められてしまい、獣の降り下ろした一撃があわや背中に届こうかというところで、突然、彼女の体はふわりと宙に浮き上がった。

 そのまま空の高くまで昇っていき、先程まで足を付けていたはずの山や、その向こうに住んでいた村が見えるころになって、小さな体ははぐれた綿雲のようにその場を漂い始める。とても不思議な感覚ではあったが、腹の辺りで誰かに抱えられているような暖かさを感じていたため、不安を覚えることはなかった。

 けがはないか、と響く声に辺りを見回してみても、誰の姿も見当たらない。


「あなたは、だあれ」

 だれでもないから、だれにもみえない。ひとはそれを、かみさまというらしい。

「かみさま……」


 どうりで、誰よりも遠くて、誰よりも近い声だと思った、と娘は心の中で呟いた。


「たすけてくれてありがとう。何かおれいができたらいいんだけど」

 そんなものをのぞんでたすけたわけじゃない。ひつようはない。

「でも、おかあさんはだれかにたすけてもらったとき、いつも何かをあげていたもの。わたしも、あなたにあげられるものはないのかな」


 そう訪ねると、『かみさま』は欲しいものを考えているのかしばらく言葉を返してこなかった。娘が怪訝そうな顔で見上げた空は、いつの間にやら薄桃色に暮れかけている。


「そろそろ、おうちに帰らなくちゃ」

 かってなこ。じぶんでいったことは、さいごまで、じぶんでまもらなくちゃいけない。

「ごめんなさい。でもおかあさんたちが心配するし……。そうだ、あなたのほしいものがきまったときに、またおしえて? わたしにあげられるものなら何でもあげるから。それでいいでしょう」


 その提案に相手はまたも見えない口を閉ざしていたが、やがて一言かまわない、とだけ答えた直後、娘の世界は白い光に包まれて、前後も左右も上下もない空間となった。真っ白で透明な空気に、意識を心地よく洗い流されながら、彼女は遥か彼方から聞こえてきた『かみさま』の言葉をつなぎ合わせる。


 ひとを、みわけるのはにがてなので、めじるしに足をあずかっておく。ほんとうはもう、きまっていたのだけれど、いまは、まだおさなすぎるから。としごろになったらまた、うかがおうとおもう。


 夢の中で気を失うと同時に、娘は布団の中で目を覚ました。

 嫌な思い出を見たものだと体を起こし、開店の時間が迫っていることを知って、ベッドから出した部屋着の靴下の片方に手をかける。そのまま素早く脱いで現れた、見慣れていたはずの骨と脈の色に、思わずぞっとしてしまった。

 あれが、過去にそっくり現実として起こったわけではないだろう、と少なくとも娘は考える。ただ似たようなことは確かにあって、そのために、彼女の足はこの超自然的な現象に巻きこまれてしまった。近頃は生活が充実していたこともあって気にもとめなかったが、夢のせいで変に意識が働いてしまったようだ。

 心を落ち着けなければとため息をつき、できるだけ両足を凝視しないように気を付けて靴下を履き替えながら、ふと、自分はいつまでこんなものを足首にぶら下げて生きるのだろうという不安を覚えた。



 パーティーの日はすぐに訪れ、娘はクリスマスにふさわしい色合いのハイソックスで固めた足を、招待されたアパートメントの一室に踏み入れた。三部屋程度の小綺麗なそこから母親とともに彼女を出迎えてくれたのは、どんぐりのように丸い目を持つ、とても素直そうな少年だった。


「息子さんだったんですね」


 そう笑いかけると、女性は「言ってませんでしたか」と言って恥ずかしそうに下を向いてしまう。それを見かねた少年に、とりあえず上がってもらったらと提言されたことでようやく気が付いた彼女は、慌てながらもなんとか中へ通してくれた。ずいぶんしっかりした六歳児だ。

 もう少しすれば料理もできあがると聞いて手伝いを申し出たのだが、「今日はあなたがお客さまなんですから」と言われては引き下がるしかない。娘はダイニングの椅子に座って、準備が整うのをのんびり待たせてもらうことにした。隣の席では彼女の息子も退屈そうに、小さな足を振って時を刻んでいる。彼も手伝いに立候補をして却下されたくちだ。どのように接すればこれほどの子が育つものかと眺めていたら、急にこちらを向いて微笑まれてしまい、心臓が跳び跳ねた。


「そうだ、ちょっとみてみる?」

「え」


 椅子をひょいと飛び降りた彼が向かったのは、こぢんまりとした洋服ダンスの前だった。娘に目配せを送ってから丸い取手を引いて見せてくれたのは、丁寧に丸めて詰められた、色とりどりの靴下たちだ。下の段も、その下の段にもそれぞれ違う靴下が入っていて、少年が広げて見せるまでもなく、それらは全て娘が女性に売った品だった。


「おかあさん、ほんとにおねえさんの靴下がすきみたい。ぼくもだけど」


 タンスの側面には先日女性が買っていったクリスマス仕様の靴下が下がっており、中に水色の紙で包まれたプレゼントの一角が見える。もらえたことが嬉しかったのか、まだ開封された様子はなかった。


「今日のも、よくにあってる」


 いきなり、とても近いところから聞こえた少年の声に驚いて下を見ると、娘の前で机に隠れ、膝立ちをしていた彼と目が合った。


「いいな、はいてみたい。ね、いいでしょう」

「まあ、うん。いいよ」


 戸惑いつつも頷けば、少年は母親とよく似た笑顔を返した後で、気品漂う横縞の靴下を両方とも、すっぽりと脱がしてしまった。とたんにあの醜く透き通った足もあらわになったが、そんなものが他人に認識されるわけもないというのは、これまでの経験上でわかりきっていることだ。

 ところが少年は靴下を脱がせたきり、床に置いたそれを履こうともしないで、娘の爪先をじっと見つめているではないか。


「……きれい」


 まさか、見えているはずがない。綺麗だと言うのならそれはきっと、自分には決して見ることの叶わない虚構の皮膚を指しているに違いない。娘は自身にそう言い聞かせ、必死に動揺を隠そうとする。しかし少年は小さな両手で片方の爪先を柔らかに包み込むと、「こんなにひえてかわいそうに」と呟いて、次のような言葉を続けた。


「今日がどんな日かしってる? ぼくはしってる。今日は、かみさまのおいわいをする日だって。……ほかのかみさまのおいわいをするひとが、どうして、にげてしまったの」


 そうして今一度足の甲を撫でてから、追い討ちをかけるように、口を開いた。


「ほんとうに、きれい。まるで、すいしょうみたい」


 ここまで言われれば、さすがの娘も勘付かずにはいられなかった。


「……欲しいなら、持っていけばいいじゃない」


 自分はついに、見つかってしまったのだと。


「いくらでもくれてやるから、私の足を返してよ」

「いったはず。ほしいものは、もうきまっていた」


 顔を上げた少年の無垢な瞳は今や、この世のものとは思えないきらめき方をしていた。


「おまえを、もらってあげる」


 それは、捉えようによっては良い意味にもなりかねないのだろうか。いやいやどちらにしても、これでまともな人間として生きる望みは潰えてしまったわけだ。思えば人として生きられたのなんて、たったの五年足らずではないか。あまりにもあんまりだ。娘の心に浮かんできたのは、ざっとそのような思いであった。


 支度を終えた女性が料理を抱えてダイニングに入ったとき、そこにはよれたボーダーの靴下と、その一方を握って眠る息子の姿だけがあった。


「もう、だめじゃない。机の下なんかで寝ちゃ」


 メインディッシュを置いてしゃがみ、ふっくらした頬を軽く叩いてやると、幼い少年は気怠そうにまぶたを上げる。その姿に平穏を感じ、眉尻を下げた。


「わたしの靴下まで引っ張り出して。今日はお父さんもいなくて二人だけなんだから、一人にされちゃったらお母さん寂しいな」

「おねえさん、は」

「お姉さんって?」

「……あれ。なんだっけ」

「ふふ、寝ぼけちゃって」


 女性にも、そして元通りのどんぐりまなこで起き上がった息子にも、先程までそこにもう一人がいたという記憶はない。それどころか用意していた食材の分量すら、もっともらしく二人分となっていたことに気付く者はもはや、この世に一人としていなかった。

 それでも女性のタンスから靴下が消えなかったのは、あの店が今も、娘に雇われていた少女の立ち上げたものとして、同じ場所に存続したためであることはいうまでもない。




このお話は「足首」「アパート」というお題を使って書いたものでした

なんと言いますか、何を書いても似たような構成になっている気がしてなりません。どうにか発想の転換をはかりたいのですが……


精進します。ここまで目を通してくださり、まことにありがとうございました

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