⑧針と糸。
物思いに沈むレオの足を、だれかがけった。体重の乗った足を軽々と払われ、レオは座り込んでしまう。
「これを見ろ」
眼前に、唐突に差し出される本。レオは驚いて相手を見やった。
「お義父さん?」
「いいから見ろ。……見たか? しまうぞ」
養父は油断なく周囲に視線を滑らせ、何度も入り口を確認しながら、それを服の下に隠し込んだ。書物の厚みの分、やけに膨らんだその腹にレオは笑いをかみ殺す。
「針糸の絵なんて、どうしたの? 裁縫でも習うつもり?」
「笑うな。貴重な絵なんだぞ」
養父は、「よく聞け」とレオの首根っこを押さえた。
「これは靴職人をしていたころ、親方から聞いた話なんだ。ここらの地方には、古くからの言い伝えが残されている。職人だけに伝わる、宝物の伝承だ」
「職人だけに、伝わる?」
「そう。宝物だぞ」
話に釣り込まれたレオは、思わず身を乗り出した。
「親方は、またその親方から聞いたそうだ」そう前置いてから、養父ディゴロはレオの肩に左手を載せ、ゆっくりと話し始めた。
「……ある靴職人がいた。ずっと、ずっと昔の話さ。そいつは、実直だけが取り柄の貧乏な男なんだ。それが、何日も飲まず食わず。ある日とうとう倒れちまった。そこで、だ。そいつはどうなったと思う?」
「……死んだの?」
レオは首をひねる。
「まさか」養父は声をひそめた。「そいつはな、助かったんだよ。針糸が現れたんだ」
「ハリ・イト?」
レオは小首をかしげて、繰り返す。
「そう、針と糸だ。見たろ、あの絵だよ。職人の神様からの贈り物さ。それからそいつは大金持ちになって、いつまでも幸せに暮らしたんだ」
レオは養父の膨らんだ腹を何度も見返した。どうやったら、針や糸で幸せになれるのだろうか。書物に描かれていた針糸を思い返そうとしたが、どうにもぼんやりとして判然としない。
「お義父さん、もう一度だけ見せて」
「だめだ」にやりとする。
「あれは貴重なものだ。おいそれと見せるわけにはいかん。ひとつの職を真摯に極めた人間への、神様からの贈り物……そう、幸運の宝なのさ」
「幸運の宝?」
「しっ、声が大きい。ガス・ダイ・レンジなんかに聞かれてみろ、明日の夕暮れには、街じゅうに知れ渡っちまうことだろうよ」