③手負いの盗賊。
恐れるものは何もないのだ、という不思議な感覚に陥る。波紋の「顔」目がけて赤目が剣を振るうのを、無防備な赤子のようにただただ見守っていた。
もうもうと押し寄せていた「顔」は四方に離散し、やがてぼやりと消えていく。それが何のためのできごとかも分からぬまま、レオは胸をなで下ろした。
波紋の「顔」はすべて消えた。
……そう、思った。
おそらく赤目も同じ思いだったのだろう。最後の「ひとり」の急襲にあい、均衡をくずして地上目がけて滑り落ちた。レンガのかたまりをいくつかけ落として踏みとどまると、勢い付けて反転する。
「あぁ……」
何かきらめく小さなものが、赤目の手からすべり落ちた。左の指を目いっぱい広げて顔面を覆うと、赤目は唇をかむ。その苦悶の表情を前にレオもまた、まゆをひそめた。
そこに「顔」の残党が突進していく。
例えるなら、闇夜のカラスのいななき。
または、焼け野に響く遠い雷鳴。
宙を切り裂く衝撃が、赤目に向けて怒涛の勢いで発せられた。剣先だけは天に向けたまま、赤目は頭を振る。
生つばをごきゅりと飲み下し、レオは引きつったほおをぴしゃりとやった。
「赤目……動かない。やられたんだ、あいつに」
波紋の「顔」は、なおも執拗に赤目の周りを飛び回る。きつい表情で「顔」をとらえると、彼は慎重に最後の剣を振り下ろした。声にならない不穏な叫びを残し、「顔」は霧散して消えていく。
緩慢な動きで地上に降り立ち、赤目はようやく抑えていた左目から手を離した。
「あっ!」
彼の名の由来とも言うべき赤い目が、隻眼となっている。落ち窪んだ左の眼窩はまさに空洞であり、はめ忘れた謎解きの一片のようにも思えた。
本当に「顔」は消えたのだろうか。レオは恐る恐る窓枠から身を乗り出して、広場の水盤に目を凝らした。
手負いの赤目も油断なく、辺りをうかがっている。いくら待っても、何の変化も現れない。安堵したレオは、急速な眠気に襲われた。それでも赤目の消息を確かめようと、必死で目を凝らす。
――目を閉じるな、閉じるな。
レオは自分に言い聞かせる。今ここで彼を見失えば、次いつまた出会えるのか、分からない。
――眠るな。眠るな。ネムルナ。
『いいか、必ず探し出せ』
そんな声を聞いたように思ったのは、それが夢に落ちる前だったのか、あとだったのか、レオには判別できなかった。